20/06/19 12:47:06.92 xzn+Z1+9.net
仏教で言う第一段階の悟り・預流果では、こういうありとあらゆる哲学・概念に対する未練が消えてしまいます。
どんな哲学を聞いても、「ああそうですか、がんばってください」と言うくらいで、自分はそこに入り込まない。
何の興味も執着もなくなります。何の意味もないと分かるのです。
「すべては空である」という大乗仏教の哲学は、ある立場から見れば正しいです。
それは初期仏教・テーラワーダ仏教でも認めます。
それに対して、初期仏教やテーラワーダ仏教が厳密に分類している物質や心の区別論・分別論が間違っていると主張するのは、大乗仏教だけです。
確かにすべてが空という立場から見れば、区別・分別は間違いです。
でも初期仏教の立場では、間違いではないのです。
物質や心の現象を徹底的に分析したときは、「すべてが空」という立場から説いたわけではないからです。
当然、その内容も間違っているわけではありません。「すべては空だ」という一つの立場に執着して、すべてをその立場からだけ見ようとすると、空論以外はすべて間違いだということになる、ただそれだけのことです。
アルボムッレ スマナサーラ 他2名
ブッダの実践心理学 (アビダンマ講義シリーズ―物質の分析) (アビダンマ講義シリーズ (第1巻 物質の分析))