20/06/20 14:18:11.87 vX+LUGku.net
正量部の成立は,部派仏教における各部派の中では比較的新しいといえる。
しかし,例えば,7世紀,630年ごろから12年にもおよぶインドでの滞在を了えて帰唐した玄奘三蔵(602-664)は ,『大唐西域記』の中で,仏教の学ばれていた場所を全部で99箇所挙げているが,
その中で小乗を学ぶ所60箇所,大乗を学ぶ所24箇所,大乗・小乗兼学の所15箇所としていて,圧倒的に小乗の方が優勢であることを示し,しかもその小乗の60箇所のうち,19箇所が正量部,14箇所が説一切有部であるとして,正量部が最も盛んであった如く示している。
また,同じく7世紀,671年から25年間にわたってインド各地を巡り,後に『南海寄帰内法伝』を著わした義浄三蔵(635?713)も,当時のインドにおける部派を大別すると,大衆部,上座部,根本説一切有部,正量部の4部派に分けられるとし,しかもその中でも正量部が最も盛んであると述べている。
さらに,サールナートの碑文によると,鹿野苑の精舎はクシャーナ朝の時代には説一切有部の所領であったが,4世紀ごろには正量部のものになったといわれている。
こうしたことからみて,正量部は4世紀ごろにはすでにかなりの勢力を持っており,後代に到るにしたがって次第にその勢力を拡大し,6?7世紀ごろにはインドにおける最大級の部派として存在していたと想像される。
即ち,ここで注意する必要があるのは,この部派が勢力を持っていた時代と,後期大乗仏教の諸論師たちが活躍した時代とが重なり合うということである。
従来研究者の間では,経量部 (Sautrantika)が,小乗仏教から大乗仏教への橋渡しをした部派として,また後期大乗仏教の認識論に大きな影響を与えた部派として注目されてきたが,正量部は,後期大乗の論師たちの背後にあった部派として,もっと注意されてよいように思われる。
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