20/06/06 01:58:36 Z8/7zVHU.net
漢(おとこ)
>> 菩提があるから、煩悩があり、楽があるから苦がある、すべては自我の認識であるということから言うと、菩提が無ければ煩悩もなく、楽を求めなければ苦もない。 』
極楽が地獄を準備したのか。
地獄が極楽を準備したのか。
極楽は地獄を知らない。
ただ極楽だけが地獄を知る。
極楽は極楽であることで、終始する。終始一貫である。
むかしむかし、お釈迦様は蓮池の底をご覧になった時、地獄が見え、くもの糸を一本、たらされた。
これは方向性を指し示されたものである。
くもの糸を登れ、力を込めて登れと励まされたのである。
だから、細い細いくもの糸は何百億人を登らせ、途中で切れる事は無い。
わたしの教えは優しい。どこへ行っても必ず受け入れられる。
だから、この道を二人して行くような無駄をするな。
サイの一本角(いっぽんづの)のようにひとり 歩み行け。
くもの糸は切れない、切れる事が無い。
一度聞いたことは忘れない、と言うIQ180の漢(おとこ)が 居る。短期記憶を長期記憶にただちに置き換えるのだろう。
お勉強は 理解と記憶である。
天才と言える。
祖佛、祖師方は天才である。
ある漢(おとこ)はどうしてもさとれなかったが、来る日も来る日も参拝者の靴を磨き続けたある日、遂にさとった。
さとりはさとれば、さとったので、もう 無い。
さとる前、悟前(ごぜん) 未悟(みご)の人には)、さとりがある。
地獄、極楽、さらには、くもの糸もない、ところを真理(さとり、忘我 と言う。
~らしい、
では さとりは?
やはり、
~らしい、と言うのだろうねぇ。_〆ヾ( ̄(エ) ̄ メモメモ・・・
真正面、禅は 真正面。