20/05/28 07:51:49 TwG7lr+B.net
>仏教が「空」と語る「我」は無常である色受想行識の五蘊によって生じる、
>通常我々が「私」と信じている、仮初めの自我についてです 諸法無我です
違う。
「わたし」は我(アートマン)であるとインドでは言われていたのだが
その通説に対して佛教は、我(アートマン)は永遠に変わらない固定的な実在という概念だが
「わたし」をアナライズすると、身体(ルーパ色蘊)+心(他四蘊)が一時的に結びついて
動的に瞬間瞬間に現象している無常(anicca)である。
無常(anicca)なのにもかかわらず、人はそれを変わらない我(アートマン)であると執着するから
苦(dukkhaドゥッカ)である。苦(dukkhaドゥッカ)であるものは無我(アンアートマン)だ、と説いたんです。
「仮初の自我」ではなくて「変化するわたし」がリアルなわたしなんです。
私を分析したら⇒身体と心に細分化される⇒そのどれひとつも変化し現象しているだけ
不変のものはわたしにはない
簡単に言えば、私は老いればしわくちゃになりシミが出る 老眼近眼乱視になる
それがわたしなんです。仮初ではなく、変化する私が、わたしなんです。
我という漢訳語に囚われて基本を誤解している者がネットには多過ぎ