20/05/16 14:18:08 +7Vso9mP.net
>自分というポジションは、自分自身にとっては唯一無二ではあるけど全体からすると無に等しく、その中間に近親性というものがあるそうです。
じゃぁこれは仏教ではどうなの?って話しに展開してゆくと思うんです。
自分自身にとっては唯一無二は”一”、全体は”多”って置き換えられると思うんですが、(華厳)仏教では一即多・多即一って視座から見てるようですね。
つまり、依りてあるという縁起で捉えていこうって事だと思うんです。
ひいては中道って事だと思うんです。