20/05/13 11:18:17 KJiNgGLZ.net
無我思想について、ちょっと考える(その4)
>>ああ、認識の主体を何によって認識することができようか。
>つまり、認識し得ない認識の主体=アートマン(我)の探究
これについて少し掘り下げて考察してみましょう。
我というと誰しもデカルトのコギト問題を想起されると思います。
”われ思う、故にわれあり”ってやつで、西洋哲学の流れにおいての基点探究の末にデカルトが行き着いた結論だと思います。
何故、認識の主体が我なのかは一旦おいといて、認識の主体としての我という点では、ここでは東西の見解の一致をみる訳です。