20/05/13 10:09:28 KJiNgGLZ.net
無我思想について、ちょっと考える(その2)
無我思想の変化を考えるとき、前時代の流れを把握しておく事は必須だと思うんです。
お釈迦様といえば古代インド、古代インドの思想の巨人といえばヤージュニャヴァルキヤではないでしょうか。
詳細は省きますが、彼のアートマンは「~ではない、~ではない(ネーティ、ネーティ)」思想は仏教思想を知るうえで欠かせないと思うんです。
先般「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫) 飲茶」を読みましたけど、私のようなビギナーには大変分り易いものでした。
ここで、後の無我思想の源流となる部分について彼の著作から抜粋させて戴きます。
>実に、アートマンこそ見るべきもの、聞くべきもの、考えるべきもの、認識すべきものなのだ。
>マイトレーイーよ。ああ、アートマンさえ見られ聞かれ考えられ認識されたなら、万物が知られるのだ。
>(中略)
>この『非らず。非らず』(neti neti) という(ことばでのみ表される)アートマンは捉えることができない。捉えられないから。
>壊れることがない。壊されないから。
>こだわりがない。こだわらないから。
>つながれず、動揺せず、損なわれない。
>ああ、認識の主体を何によって認識することができようか
>(ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド)