20/04/29 12:32:30.91 +hSQ4Y0d.net
>>58
主客が幻想である、というのは、主客二つあるんじゃない、ということです。
コップを見ているときは、コップしかありません。。
コップを見る私はいないんです。。
主客あるのではなく、コップという現象のみです。
で、コップを見ている、と気づいた時に、見ている私、が想定されるだけです。
コップという認識があるのだから、認識者があるだろうという、推論、に過ぎないんです。
コップという認識があるから、認識するものがあるだろう、と考えるのは、
西洋哲学では当たり前ですが、道元禅師などはそうではないという。。
現成公案にある通りです。
学者にはわからないところかもしれません。