20/05/11 13:27:18 CMLc84fJ.net
>>846
パーリ相応部の蘊相応は、
五蘊が、「無常・苦・無我」であると如実知見して
五取蘊を厭離して解脱を得ましょうという経典なのだが、
経典中には、
色・受・想・行・識が無常であるから苦であり
苦であるから無我だ。だから厭離しましょうとしか説かれていない。
推測するに、
四法印の「諸行無常」「一切皆苦」「諸法無我」を説いている。
さて解説。 ここで言う五蘊とは我々の身体と精神活動のことだ。
たとえばヤンキー麦の身体は若い頃はそれなりに見られたかもだが
老いた今は、しわくちゃでシミだらけである。
無常だからヤンキー麦の身体は若さを失い、老いさらばえたのだ。
そしてかつて若さをもっていた故に老いはヤンキー麦にとって苦である
苦であるのは、ヤンキー麦の身体が、ヤンキー麦の思いや意志通りに
若さを維持できないからであり、なぜ維持できないかというと
ヤンキー麦の身体はヤンキー麦の「我」ではないからだ。
>>847
即非というのは仏教ではない。ここでは即非が語られているのではない。
超絶美人ケーマには蓮華は似合うが、ヤンキー麦に似合うのはチェーンとタバコなのである