20/04/27 14:41:51 ASbNbz4I.net
>>879
原始経典の涅槃とはどのような状態かという事を言葉から推し量って行くと存在するとも存在しないとも断定出来ない状態だから
まず六識を司る感覚器官は存在しないし感覚器官を構成する色身=肉体も存在しないんだよね
自分という想いも無いから他者も存在しない 他者が存在しないのに他者を守護するのは変でしょ?
だから誰かを守護したり導いたりするのは菩薩であったり 神であったり 人であったり
いずれも自他の区別が残ってる存在者にしか出来ないんだよね
如来には自他の区別も生死も無いから区別ある世界を意識する事さえ無い それが入滅という事だと思うよ
法華経に限らず大乗経典は原始経典を根本として成り立ってるから根本経典を理解しないで大乗を理解出来る方法は無いと思う
法華経の釈迦が言う私は死んでいないというのはこの世界で言う生死を超えているという意味だから 死んでもいないけど生きてもいないし生まれもしない
という事じゃないかな?