20/03/17 10:20:44 FZAQc8tm.net
苦しんでいるときは、苦しみから抜け出したい。。
悩んでいるときは、悩みから抜け出したい。。
苦しんだり悩んだりすることなく生きたい、と思う。。
これは、人間の願い、ではあるけれど、仏法として見たら、そういう法があるだけ、のこと。。
苦しむ時は苦しみ、悩む時は悩むしかない、これが正しい認識であって、悩む時に悩まないとか、
苦しむ時に苦しまない、なんてことができる人はいない。。w
苦しいときは、苦しみがあるだけ、悲しいときは悲しみがあるだけ、悩んでいるときは悩んでいるだけ。。
そういう風に見るのが、人間的な見方ではなく、正しい見方だわな。。
この正しい見方で、自身を見る、のが仏道なのであって、それ以外は実はない。。
だから、苦を滅する道を説いた、というのは、あくまで人間を救おう、という道であって、
仏法として正しいことを言ったんじゃないかもしれない、と思う。。
だから、苦しみを滅する、というのは、苦しみを滅した後に、正しい見方ができるようになるであろう為の、
第一ハードル、であって、苦しみを滅するのが、悟りではないのではないだろうか?
苦しみがあったら、そのことが気にかかり、正しい見方どころではないだろう。。
だからまず、方便として、苦しみを滅する道を説こう。。
苦しみを脱して、正しい見方ができるようになれば、そののち悟ることができるだろう、というだけなんじゃないだろうか?
そういう風に考えると、苦しんでいる人が、悟って苦しみを抜け出したい、と考えるのは、
まったくの間違いである可能性がある。。
なぜなら、苦しんでいて、かつ、苦しみから抜け出したい、と思っているうちは、まったく正しい見方ができていないからだ。。
これは、残酷なようで、間違ってないように思うんだけど。。