19/10/10 13:49:49.68 OJHSgSlx.net
スレ立て乙です
3:神も仏も名無しさん
19/10/10 15:51:11.02 BPk8asD9.net
第二章は物質の分別 v i b h ā g aです 。
日本語で 「分別する 」と言うとあまり好ましくないですが、初期仏教・テーラワーダ仏教では、自分たちのことを分別論者 v i b h a j j a v ā d i nと言います 。
大乗は自分のことを大乗仏教と言いますが、そのように我々も自分たちのことをテーラワーダ・上座部と言うよりも、もし威張って言うならば、分別論者だと言うのです。
我々は、存在という幻が消えるところまできめ細かく分析するのです 。
物事をそのまま、全体的に、大乗が言うように「すべては 」とか「一切は」などとまとめて説明することはしません。
そんな大雑把でいい加減な説明は、始めからどうせ間違っていますから。
ー略ー
真実を知るためには、分析するしか方法がありません 。
総体的に大雑把にまとめてみても、いい加減なだけで 、何も分かりません。
テーラワーダ仏教の特色は、本当に、とことん分析してみるということです。
その特色だけは守りましょうということで、「 V i b h a j j a v ā d ī B h a g a v ā .世尊は分析論者だ 」と言います。
分析しないでまとめて 、「すべては梵我一如 」などと言えば、それは邪見・邪教です、と簡単に捨ててしまいます 。
森羅万象の中で同じ一つのものはないかと探すのも、またちょっとした心の間違いです。
もし真剣に調べて、分析して、同じ・不変の一つのものを探そうとしたら、見つかるのは「無常」ばかりです。
あるいは今説明した、積集、相続、老性、無常性の四つの共通項目しか、最終的には見つかりません 。
物質をどんなに探しても梵・ブラフマンも我・アートマンも、神も見つかりません 。
byスマナサーラ(ブッダの実践心理学 (アビダンマ講義シリーズ―第1巻 物質の分析)
4:神も仏も名無しさん
19/10/10 15:58:42.70 BPk8asD9.net
>>3
>我々は、存在という幻が消えるところまできめ細かく分析するのです 。
テーラワーダ では、幻(妄想)が消えるところまできめ細かく分析して、残った心、心所、色、涅槃の4つ、法数170が真に存在するもの、勝義諦となる。
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
5:神も仏も名無しさん
19/10/10 20:14:56.77 /GbGfuY+.net
小乗仏教は劣った仏教
6:神も仏も名無しさん
19/10/10 22:13:35.25 N5cibEQq.net
>>5
それは言い過ぎ
仏教に劣った教えが有るんじゃ無い
劣った理解者が居るだけだよ
未だに上座部を小乗と見下すのはどうせ日蓮患者だろ?
大乗の面汚しだから仏教を名乗らないでくれる?
7:神も仏も名無しさん
19/10/10 22:57:06.13 BPk8asD9.net
>>5
大乗仏教を代表する龍樹菩薩は般若波羅蜜の完成には三十七菩提分法の修養が不可欠であるとしました
他の菩薩(僧侶)は三十七菩提分法は声聞(小乗)の修行法だから必要ないと力説している中でのことです
8:神も仏も名無しさん
19/10/11 01:22:59.39 dsc3mEXi.net
>前スレ1000 (スレリンク(psy板:1000番))
>仏陀が説いた相手は古代インドの人々だ
>今生で何人分の人生を生きようと思うのか?
>古代インド人の人生を
パーリ三蔵経典、または戒定慧の三学、四諦八正道に
時代を超えた普遍性を見いだせない、という意味ですか?
9:神も仏も名無しさん
19/10/11 01:39:11.89 dsc3mEXi.net
2500年前が古くて、現代が新しいと思ってるのか。
まぁそうだけど、視野と視点が人間的すぎる。
本当に智慧まで達してるのかかなり疑わしい。
2500年とか、うたた寝ぐらいの一瞬じゃない?
10:神も仏も名無しさん
19/10/11 02:09:14.82 g1XdHuHa.net
仏教で言う幸福は、身体に依存するものではなく、心に依存するものでさえないのです。
心とか身体のために求めるものではないのです。
我々がヴィパッサナー(観)瞑想をずーっと続けていても、それによって求めているものが、身体がよくなるのではないか、健康になるのではないかとか、
そんなことばかりでは、それは仏教の幸福とは相反する性格ですから、どうにも進歩はありません。
瞑想の中で何か安らぎというか、何も求めない心、落ち着いた心 、火が消えた心が生まれたら、それはよいことですが、
それは身体や心の快楽とはまったく別のものと思った方がよいです。
すべてを捨て去る心が生まれないといけません。
身体に基づいて幸福を味わおうということでなく、こんなくだらない身体はどうでもいいやという気持ちにならないといけません。
心についても、心をなんとか鍛えて、智慧を発達させて才能抜群の人になろうということではなく、
瞬間瞬間に変化するこんな心はとんでもないゴミだと気づいて、心を入れ替えないと、本当の解脱の世界は見えてきません 。
byスマナサーラ(ブッダの実践心理学 (アビダンマ講義シリーズ―第1巻 物質の分析)
11:神も仏も名無しさん
19/10/11 12:57:16.66 y5OoDAOV.net
スマナサーラ長老はもう禅定なんか私はやりませんよと仰っていたけれど
それって八正道を守ってませんよね、卒業したということですか?
スマナサーラ長老は阿羅漢なのですか?
12:神も仏も名無しさん
19/10/11 21:39:54.53 dsc3mEXi.net
布教する側に回ります、ってことでっしゃろ。
13:神も仏も名無しさん
19/10/11 23:09:28.26 Z2EQ2NJe.net
理由になってるかそれ
14:
19/10/12 00:04:53 SB2yWxdN.net
>>8
パーリ三蔵経典という言い方はおかしい。
パーリ三蔵というのはパーリ語で書かれた阿含の経蔵、分別説部のアビダルマ論書のパーリ論蔵、それとパーリ語の律蔵、の三つで構成されている仏典群のはず。
パーリ語の阿含(ニカーヤ)はともかく、パーリ論蔵やパーリ律蔵なんて日本人の仏教徒でもテーラワーダ 僧侶や学者を除いて読んだことある人は少ないんじゃないの?
パーリ論蔵よりもどこかの部派の三蔵には入らない中論や清浄道論の方が読まれてそうだが。
15:神も仏も名無しさん
19/10/12 00:07:12.66 diL2hey2.net
ここで赤の他人が推測してても仕方がないので、本人に直接聞いてみて。
ただ、スマ長老がしゃべってくれなかったら、いまの日本で現代人に向けて
日本語でストレートに説教できる人って、そうそう居ないと思いますよ。
現代人のほとんどは自分が賢くて正しいと思ってて、悟りの智慧とオカルトの
区別もできない状態だからね。
大事にした方がいいです。
16:神も仏も名無しさん
19/10/12 00:14:47.17 SB2yWxdN.net
>>15
ほう、その悟りの智慧とは何か?
17:神も仏も名無しさん
19/10/12 00:15:42.01 diL2hey2.net
>>16
ほう、じゃないよ。
偉そうに。
18:神も仏も名無しさん
19/10/12 00:21:31.09 SB2yWxdN.net
>>17
貴方が書いた>>15のレスの後段も随分と尊大な書き方だよ。
自分はそれに合わせただけ。
悟り智慧について説明できないのならしなくてもいいよ。
19:神も仏も名無しさん
19/10/12 00:31:46.08 diL2hey2.net
わたしの理解するところでは、智慧は概念ではなく洞察、知識ではなく体験なので、
言葉を解釈して概念化したものではないと思います。
言い方を変えると、わたしの言語運用能力では表現、伝達できません。
ただし、無明に基づく主観的な解釈が入り込む余地がないほど徹底した分別と、
正確な分析ができるのでない限り、という但し書きがつくのでしょうけれども。
それをやっているのがアビダルマ(論蔵)なのだろう、と理解しています。
20:神も仏も名無しさん
19/10/12 01:34:56.35 SB2yWxdN.net
>>19
なるほど、ありがとうございます。
では、その説によれば、体験が無明に基づくオカルトではないと分別できるようにアビダルマの勉学をしなければなりませんね。
それと、その言語運用能力を駆使して表現、伝達する智慧を後得智などと大乗仏教では呼称します。
有名な般若心経の色相是空に続く空即是色が後得智であり、これがないと智慧は完成しないとされています(あくまで大乗仏教の話)。
URLリンク(www.e-sogi.com)
>(A)(色即是空)は言葉によって実体に執着することを否定する智慧の段階を表現しています。
>それに対して、(B)(空即是色)は何も存在しないという極端な考え方を否定すると共に、言葉のない体験に執着することも否定する智慧の段階を表現しています。
>(B)は大乗仏教が重視する智慧で「後得智」と呼ばれるものです。
>言葉による 認識はあっても、それらを実体視せず、執着もない状態であり、最終的には、言葉のない直観的な認識と言葉をともなう認識が完全に一致・両立します。
>この智慧があってこそ、人を救うことができるのであって、小乗仏教の阿羅漢とは異なる大乗仏教の仏の智慧であると考えられました。
21:神も仏も名無しさん
19/10/12 08:43:49.67 VE6duWb+.net
知能指数が200以上あると説明されている苫米地博士によると
般若心経は間違っているということだけど、彼がここで般若心経について肯定されていることについて
どう言うのか興味があるね。
特にスマナサーラ長老も指摘していた、空即是色は間違っていると主張しているんだけど。
22:神も仏も名無しさん
19/10/12 09:36:17.24 diL2hey2.net
無著や世親も阿羅漢だったそうだから、テーラワーダ仏教が小乗仏教なのではなくて
方便力のある解脱者と、ない解脱者との違いがあるだけじゃないの?
しかも後得智というからには、段階的に身につけていくものでしょう。
小乗仏教という概念を実体視しているのは、自分は大乗なんだという執着(見取)から
でてくる幻想でしかないと思うんだけど。
23:神も仏も名無しさん
19/10/12 09:55:20.94 diL2hey2.net
智慧が無いのに後得智の勉強だけして、おれたちは大乗なんだって威張ってたら
そりゃ形骸化して没落するよね。
24:神も仏も名無しさん
19/10/12 11:06:26.94 L4ngqjV2.net
>>22
概念を実体視してるのは一部だけでしょ?
ちゃんと調べる人は説一切有部が現存しないって知ってるから 上座部を小乗と呼んだりしないし 自分を龍樹と同じ位相だと勘違いする人も多くは無いですよ
小乗の呼称を用いた日本の記者にダライ・ラマ倪下が「小乗と呼んではいけない 根本仏教と呼びなさい」とたしなめられた話も知る人ぞ知るです
大乗を学べば学ぶ程に根本から学ばないと流れの解らない所とか出てくるので 真面目な人ならスッタニパータやダンマパダを読んだりしてますよ
25:神も仏も名無しさん
19/10/12 13:26:10.82 DZK1hhrO.net
>>21
彼の超訳般若心経はスマナサーラ同様に空を概念視しているから余計にぎこちなくなってしまってますね。
概念を否定したものを空というのに空は色の上位概念であるという把握で超訳般若心経を作ってしまったからぎこちないのですよ。
直リンは貼れないので 苫米地 般若心経 超訳 でググってください。
空包摂無はYouTubeの苫米地氏の般若心経批判の動画では空包摂有無だったような気がしますが、どの道この説明文は不要でした。
数学者らしく公式に当てはめようとして表現するのが良くないのだと思います(もっとも、良くなと思ってるのは私であって、彼は良いと思っているでしょうが)。
色即是空の根本智を得るためにも空包摂無(空包摂有無)の言葉は余計だと思います。
26:神も仏も名無しさん
19/10/12 13:41:55.82 DZK1hhrO.net
>>22
無著は化地部、世親は説一切有部の出身ですからテーラワーダは関係ありません。
もっとも、テーラワーダ側ではスマナサーラが世親が書いた唯識三十頌にある阿頼耶識を批判していますw
後得智はその通り、根本智を得た後に得る智慧です。
後得智
pṛṣṭha-labdha-jñāna पृष्ठळब्धज्ञान (S)
仏教の説く智慧の一つで、「根本無分別智」の後に獲得される智慧。
根本無分別智とは究極の真理である一味・平等の真如を無分別に見る智慧のことであり、その根本的な智慧を得たのちに、ふたたび現象的な差別の世界を分別をもって眺める智慧のことを後得智という。
真如を見る以前の「分別智」とちがって、この後得智はすでにそのなかから汚れがとり除かれ、清浄になって世間を観察するから、詳しくは「世間清浄分別智」とよばれる。
この智によって具体的に世間の中で人びとを救済することができる。
URLリンク(www.wikidharma.org)
根本無分別智とは究極の真理である一味・平等の真如を無分別に見る智慧→色相是空
その根本的な智慧を得たのちに、ふたたび現象的な差別の世界を分別をもって眺める智慧のことを後得智という→後得智
27:神も仏も名無しさん
19/10/12 13:42:04.62 DZK1hhrO.net
小乗仏教という概念を実体視というのはどうでしょう?
小乗仏教は歴史的に使われていた言葉ですからね。
穢多非人という概念を実体視するな、と言われても「そりゃ概念ではなくて実際に使われてきた言葉でしょう、でも今は人に向かって穢多非人を使うのはやめましょう」と返すだけですよ。
ただし、大乗側は自らを大乗とは称しましたが、対立する部派を小乗ということはあまりしなかったようですが。
小乗
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
(語の成立と用法 参照)
般若経註釈文献における「小乗」につ い て
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
それともう一つ、何でもそれは概念に過ぎないというのはテーラワーダでもNGなはず。
世間で使われてる常識的な存在や用語は世俗の真実、世俗諦として認めるというのが、部派仏教以来の仏教の伝統で、もちろんテーラワーダもその例に漏れてはいません。
28:神も仏も名無しさん
19/10/12 13:52:07.59 DZK1hhrO.net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
日本人は漢文経典の多くを鳩摩羅什訳で読んでいるので(特に日本で人気の法華経は鳩摩羅什訳のものでしょう)、本場インドよりも小乗を多用した可能性はあるようです。
ただ、本場インドでも小乗は使わなくても声聞乗は多用していたとは思います。
29:神も仏も名無しさん
19/10/12 14:38:27.87 DZK1hhrO.net
>>26の訂正
>その根本的な智慧を得たのちに、ふたたび現象的な差別の世界を分別をもって眺める智慧のことを後得智という→後得智
↓
その根本的な智慧を得たのちに、ふたたび現象的な差別の世界を分別をもって眺める智慧のことを後得智という→空即是色
30:神も仏も名無しさん
19/10/12 14:54:06.56 diL2hey2.net
みなさま、興味深いお話を聞かせて頂き大変ありがとうございます。
個人的には、中論を読んで自分は大乗だと威張ってる人が声聞だよな、とは思ってます。
個々の仏教徒の資質を離れて、大乗仏教、小乗仏教というものがあるとは思っていません。
31:神も仏も名無しさん
19/10/12 20:51:52.97 SB2yWxdN.net
>>30
スリランカで大寺派、今のテーラワーダだけが残った理由は王権と結びついて大寺派以外の二つの部派の大粛清に成功したからで、個人の資質とはあまり関係ないと思いますよ。
まあ、王様の資質・気質とそれに取り入った大寺派の僧サーリプッタ(もちろん舎利弗とは別)の政治的資質は大いに関係しているとは思いますが。
32:神も仏も名無しさん
19/10/13 09:20:49.50 G+WMvwRC.net
自分の外にある形式的なものが仏教だと思っているんだね。
33:神も仏も名無しさん
19/10/13 10:01:39.82 GbQbqk2O.net
個人の資質云々の前に仏教に触れたことがない人は仏教を知らないでしょう。
仏教は自分の外からまず来るんですよ。
スリランカで大乗仏教や密教が廃れてしまったのは信仰していた人が自主的には改宗したからではありません。
外からの力で改宗させられたのですよ。
個人の資質ではどうにもならないことですよ。
これは歴史的事実ですからね。
34:神も仏も名無しさん
19/10/13 11:13:31.33 G+WMvwRC.net
話の腰を折って申し訳ないんですが、わたしのことをスマナサーラ長老の信者か
スリランカのテーラワーダに所属していると思ってるようですけど、わたしは
そこに所属していません。
35:神も仏も名無しさん
19/10/13 11:23:24.81 G+WMvwRC.net
昨今の日本仏教の残念なところは、せっかく大きな乗り物があっても
岸からどこにも渡っていないケースが多いようにみえることです。
一方、たとえ1人乗りの舟でも、100人が渡り越せば、動かない舟よりも
よほど役立つと思います。
36:神も仏も名無しさん
19/10/13 12:51:06.21 sNwmxwSO.net
仏教の瞑想法と修行体系
URLリンク(ameblo.jp)
37:神も仏も名無しさん
19/10/13 15:07:33.76 G+WMvwRC.net
尊大な正直と、慇懃な高慢。
38:神も仏も名無しさん
19/10/13 15:12:25.99 IX2u1K/D.net
スマナサーラさんのことそんな風に言うなよ
テーラワーダの理論に則って、般若心経は私には読めませんと言ってるだけだぞ
尊大でも高慢でもない
39:神も仏も名無しさん
19/10/13 19:42:13.57 GbQbqk2O.net
>>35
え?日本の仏教が一番渡れるのですが。
死んだら凡夫でも四十九日の中宥の間に仏弟子となって四十九日後には仏になれるのですから。
あるいは、阿弥陀仏の本願を信じて正定聚を得れば死んだら浄土に渡り即涅槃です(もちろん凡夫でも可)。
あるいは題目を唱えれば即身成仏できます。
日本仏教が一番渡れますよ。
40:神も仏も名無しさん
19/10/13 19:47:49.88 G+WMvwRC.net
でも、今世での智慧の開発は投げちゃってない?
41:神も仏も名無しさん
19/10/13 19:54:28.07 G+WMvwRC.net
渡れるならいいよ。
ただ、仏道修行をするために人間に生まれてきてる人もいるんだから、そういう
生きてるあいだに智慧の開発をしている人々に向かって小乗呼ばわりは、やっぱり
何か勘違いしているというか、わかってないんじゃないかと思ってる。
42:神も仏も名無しさん
19/10/13 19:55:07.86 GbQbqk2O.net
>>40
テーラワーダでは今生で智慧を開発して直ぐに解脱できると言ってますか?
だいたい7回転生する間に仏道修行を欠かさなければその間に、遅くとも7回目の転生には涅槃に入れるというのがテーラワーダでしょう。
43:神も仏も名無しさん
19/10/13 19:56:15.25 GbQbqk2O.net
>>41
はい、それは勘違いでいいのではないでしょうか。
44:神も仏も名無しさん
19/10/13 20:43:07.18 G+WMvwRC.net
>>42
経典には、今世で阿羅漢になった比丘のお話はたくさん載ってますけども。
45:神も仏も名無しさん
19/10/13 20:47:38.08 G+WMvwRC.net
お釈迦さまが大念処経でおっしゃってるのは、これをやったら今世で涅槃に行けますよというお話ですよね。
それは違う、と信じて疑わないのは我々凡夫の勝手であって、お釈迦さまの話を素直にそのまま受け取れば
何も難しいことや不可能なことは言ってないと思います。
46:神も仏も名無しさん
19/10/13 20:49:02.23 G+WMvwRC.net
お釈迦さまの話が理解できない(しない)から、大乗仏教が必要になったのであって
仏説をダイレクトに受け止められる人には、わざわざ仏説を捨ててまで他の方便(処方箋)を
選ぶ理由がないんですよ。
47:神も仏も名無しさん
19/10/13 21:05:10 G+WMvwRC.net
本気でやれば7日で一皮むけるぐらいのことは起きます。
これについては、「思います」ではなくて自分自身の経験に基づいて
言い切れます。
48:神も仏も名無しさん
19/10/13 21:09:24.82 GbQbqk2O.net
>>45
それは出家者向きの教えで、出家するためにはまず物欲を断つために無所有となって執着を捨てることが必要(三衣一鉢など生きるための最低限の所有のみ許される)。
貴方のようなスマホ若しくはパソコンを捨てられない人のための教えではありません。
そのような物を所有している限り智慧の開発は無理だと思いますよ。
貴方は智慧を得たいのですか?そうでないのですか?
49:神も仏も名無しさん
19/10/13 21:10:09.82 GbQbqk2O.net
>>47
それがオカルトではないという証拠は?
50:神も仏も名無しさん
19/10/13 21:18:32.96 GbQbqk2O.net
【中部 三明ヴァッチャ経】
ある時、釈迦たちはヴェーサーリー近郊のマハーヴァナ(大林)クーターガーラ(重閣)講堂に滞在していた。
そこに外道の修行者ヴァッチャが訪れ、仏陀は何でも知っている者であるのか問うと、釈迦は正確には三明を備えた者が仏陀だと答える。
釈迦は更に、ヴァッチャの質問に答える形で、在家は天界へは行けるが、涅槃には到達できないこと、
外道ももちろん涅槃には行けないが、天界に至った者は例外的に一人いたと答える。
ヴァッチャは歓喜する。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
51:神も仏も名無しさん
19/10/13 21:46:32.41 G+WMvwRC.net
思考も感覚も手放した状態に、自己や、自己の考えや、自己の所有物なんてものはありません。
52:神も仏も名無しさん
19/10/13 21:51:30.95 G+WMvwRC.net
>>49
禅の指導でも基本的には同じだと思いますが、
経典の記述、長老の判定、瞑想体験あるいは観測されたものとの整合性だと理解しています。
参考までに、在家での修行については経典にも在家預流果の存在が示されています。
在家でも可能か不可能かと問われれば、ある段階までは可能なことは確かなようです。
53:神も仏も名無しさん
19/10/13 21:55:29.30 G+WMvwRC.net
ここは多少推測も入りますが、
瞑想中の比丘は袈裟や鉢すら心の中で捨ててると思いますよ。
54:
19/10/13 22:43:38 G+WMvwRC.net
>>50
>在家は天界へは行けるが、涅槃には到達できない
浄土宗も、いったん浄土を挟んでからの涅槃でしょう。
同じことではないんですか。
多分ですが、浄土で八正道(四念所)やる羽目になると思います。推測です。
>>39
>題目を唱えれば即身成仏
佛随念によるサマーディとか、そういうことでしょうか。
日蓮宗の信徒さんたちのなかに、外からみて明らかに佛になったと
分かるような事例も知らないし、ちょっと判断できません。
55:神も仏も名無しさん
19/10/13 23:47:12.16 GbQbqk2O.net
>>51
それは完全に解脱した人の話であってあなたは違うでしょう。
それに完全に解脱した人でも所有は許されてはないですよ。
少なくともパーリ律では比丘の財産の所有は禁止です。
>>52
貴方はその経典の記述、長老の判定、どちらとの整合性でオカルトではないと確信したのですか?
あと在家では預流果がやっとでは、やはり日本仏教の方が渡れるということですか?w
ちなみに大パーリニッバーナ経に出てくるナーディカ村の釈迦の直弟子の優婆夷・優婆塞は預流どころか後の部派仏教で不還と呼ばれる所まで達した優婆夷・優婆塞がたくさんいますよ。
しかも、この経典成立時はまだ四向四果の概念がないらしく、不還で般涅槃です。
もちろん優婆夷・優婆塞といっても三結を断じて尽くしていたり、五下分結を滅尽してので、そういう位に達したのは言うまでもありません。
(ちなみにこの経典には五上分結という言葉も出てこない)
凡夫の優婆夷・優婆塞では到達できないということです。
>>53
瞑想中は自由、それと実生活で所有欲という煩悩を滅することができるのかは別です。
少なくともスマホを手放せないようでは煩悩を滅することは出来ないと思いますw
>>54
それはインドや中国の浄土教。
極楽浄土にはスマホはもちろん、あらゆる煩悩の根源がなく、また諸仏が直接指導するので娑婆世界よりも涅槃に容易に至るとされています。
しかし、日本の浄土真宗では浄土即涅槃(この場合は往生したら即仏)、時宗では阿弥陀仏の本願が成就した時点で信不信を問わず死後の往生決定。
どの道凡夫でも仏になれること確定です。
題目は分からなくてもそれによって救われて苦滅に至れば彼岸到達です。
56:神も仏も名無しさん
19/10/14 07:20:09 /k7kBkyN.net
>>55
サマディに入った段階で欲界の自己は一時的にせよ消えますからね。
問題はそこから先ですが。
在家に比丘戒律を守れとは誰も言っていないはずですし、言う人がいたら完全に勘違いというか
門外漢ですな。
57:
19/10/14 07:24:04 /k7kBkyN.net
いずれにせよ、知識だけあっても中身がない状態で、中身に取り組んでいる人々を蔑む
というのは根本的に間違っていると思いますね。
フィギュアファンが、フィギュア選手を見下すようなものというか。
そんなことをしているようでは駄目です。
58:神も仏も名無しさん
19/10/14 07:27:23 /k7kBkyN.net
>>55
パソコンって道具ですよね。
筆や硯や紙は道具ですよね。
昔のお坊さんは、何でお経を読み書きしていましたか。
59:神も仏も名無しさん
19/10/14 07:29:58.14 /k7kBkyN.net
>>5
>諸仏が直接指導する
わたし(佛)を見るものは法を見る。
法を見るものはわたし(佛)を見る。
最初っからそう言ってますし、わたしは同じだと思ってます。
実際、ちょくせつ見ます。
見るというか一体化します。
60:神も仏も名無しさん
19/10/14 13:20:55.47 BaN96aE7.net
とりあえず私としては、現代人として、原始仏典にあたれるというのはありがたいです。
昔の人は何が原始仏典なのか解らなかったわけですし、そもそも字が読めない人が大半なわけですから。
三十七菩提分法、八正道、観瞑想、止瞑想、など大事なことは何なのか分かりますからね。
自分としては、現代人として、それらが分かっていることはありがたいことだと思っています。
異論はもちろん受け止めます。
61:神も仏も名無しさん
19/10/14 16:42:31.99 gd0g9PWU.net
原始仏教にある智慧を得るとどうなるか?
長老偈テーラーガータの常套句
>そののち、わたしに、根源のままに意を為すこと(如理作意:固定概念なく思い考えること)が生起した。〔世俗の〕危険は明らかと成り、厭離〔の思い〕は確立した。
智慧とは世の実相をありのままに観ること、観ると無常や無我が皆苦などが概念ではなく確信的なものとなり、この長老方のように世を厭うようになる。
この世を捨て去り出家するようになる。
しかしインドでは出家した聖者は自ら生産しなくても托鉢行で命を繋ぐことはできる、他人の生産に依存しているので他力本願ではあるが。
現在のテーラワーダもこの形で食べていける。
しかし日本では厭世、厭離の思いはニートもしくはピッピーへの道かやはり出家への道しかない。
出家の場合でも托鉢には頼れないので社会性は保たないといけない。
それでもニートやピッピーのように軽蔑の眼差しを向けられることは、生臭坊主でない限りはないが。
智慧を深めれば深めるほど厭世観が強まり出家以外はニートやピッピーへの道まっしぐらになる。
だから出家を心がけている者でない限り、智慧(仏智)などに過度な価値を置くものではない。
大乗仏教の場合は空即是色で世俗に還ってこれるので、般若波羅蜜でいくら智慧を深めようとも大丈夫とされているようだ。
62:
19/10/14 17:06:28 X3z+SDT9.net
>>59
どのような姿ですか?
差し支え無ければ教えてください
63:神も仏も名無しさん
19/10/14 17:44:00.55 GR1NelHu.net
インドだからとか言わないで
日本でもやってみればいい
生活することが目的じゃないんだし
人が一日生きるのに
食べ物さほど要らないよ
私は日本でも今も
そんな風に生きて死ぬ
人が居ると思う
会う機会はないけどね
似たようなことやってないと
会う機会は生まれない
64:神も仏も名無しさん
19/10/14 17:46:50.35 1Dbnihnl.net
>>58
スマホやパソコンで5chの宗教板に書き込む場合、スマホやパソコンは道具は道具でも戯論をもて遊ぶための遊び道具。
まあスマホなどを純粋に通信におけるコミュニケーションの手段として使ってる人の場合でさえも、
瞑想合宿なるものに行ったらスマホは取り上げられるみたいですけどね。
65:神も仏も名無しさん
19/10/14 19:55:07.27 274ZZ3Vj.net
現代では智慧の道は大層難しいよ
贅沢に慣れきっているからね
木の実だけ食べて生きていけるならともかく何度決心しても肉体を私だと思う感覚は抜けないよ
66:神も仏も名無しさん
19/10/14 20:32:26.19 GItlnfMi.net
インターネットも法を語り合う道具としては良いんじゃね
つか、在家一般の指導だと、怠惰に気をつける、遊びほうけない(やることはキチンとやる)
見せ物に耽溺しない、みたいなのは言われるけど、そこまで厳しくない印象なんやけど
67:神も仏も名無しさん
19/10/14 23:24:06.51 /k7kBkyN.net
>>61
般若って知識ではないので、瞑想しないで勉強だけしてても
般若波羅蜜にならないのと違いますか。
68:神も仏も名無しさん
19/10/14 23:26:07.74 /k7kBkyN.net
>>62
慈悲の大海でした。
しかし、瞑想の段階や、修行者の状態に応じて様々な見え方があり得るのかも知れません。
その辺は分かりません。
69:神も仏も名無しさん
19/10/14 23:29:28.83 /k7kBkyN.net
>>61
また、>>7 の
>龍樹菩薩は般若波羅蜜の完成には三十七菩提分法の修養が不可欠であるとしました
との指摘に関しては、どのように考えておられますか?
70:
19/10/15 00:14:20 YTzjq4M5.net
般若心経は、観が自在な菩薩(だからこの経では観音菩薩ではなく観自在菩薩となる)が空観という瞑想によって、
深淵なる般若波羅蜜という修行を完成(多)させた時に(行深般若波羅蜜多時)五蘊はみな空であることを正しく見極め一切の苦厄から解脱したことを説いているお経。
(参考)
般若心経は観の瞑想の勧め
URLリンク(mixi.jp)
71:神も仏も名無しさん
19/10/15 00:17:56.72 YTzjq4M5.net
般若波羅蜜は六波羅蜜の最後だから他の五�
72:g羅蜜の修行は既にしていて、般若波羅蜜の完成による六波羅蜜の完成で無上の覚り(得阿耨多羅三藐三菩提)に達する。
73:神も仏も名無しさん
19/10/15 00:33:00.85 YTzjq4M5.net
無上の覚り(得阿耨多羅三藐三菩提)×
無上の覚り(阿耨多羅三藐三菩提)◯
74:
19/10/15 09:38:06 YTzjq4M5.net
>>71補
般若波羅蜜は智慧波羅蜜とも呼ばれるが、他の五つの波羅蜜も畢竟智慧の育むための行であるので般若波羅蜜に含まれると言える。
波羅蜜
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
龍樹は『宝行王正論』[注釈 2]においてこの6項目を以下の3つのカテゴリーに分けて解説している[6]。
布施・持戒 -「利他」
忍辱・精進 -「自利」
禅定・智慧 -「解脱」
龍樹によれば、釈迦の教えとは要約すれば「自利・利他・解脱」の3つに尽き、「自利・利他・解脱」はすべて六波羅蜜によって包摂されるため、
阿含経に根拠を持たない大乗独自のこれら六波羅蜜も仏説であるという[6]。
75:神も仏も名無しさん
19/10/15 17:23:20.68 AbV7n1dH.net
空とは何でしょう? ―中観派の教えを学ぶ―
URLリンク(www.chisan.or.jp)
これは空を学ぶのに分かりやすくて良いページ
空は概念ではないので体得するしかない
維摩経ではまだ空という言葉が使われてないが似たような概念を不二という言葉で表し、この不二の説明を最後に求められた維摩は沈黙をもって答えとした
空というのも本来的には言葉では説明できないものでそれでもなんとか説明しようとすると不とか無とかの否定形でしか説明できないことになる
上のページはそこまで書いてはないが結局は同じことをより丁寧に書いていると思う
76:神も仏も名無しさん
19/10/15 18:46:28.60 YTzjq4M5.net
>>74
ほぼ同意だけど
>空は概念ではないので体得するしかない
ここは
空は概念でしかないので(本質を得るには)体得するしかない
じゃないかな?
77:神も仏も名無しさん
19/10/15 22:47:50.02 6aTk91ku.net
仏教徒なら瞑想などの修行も良いけど物惜しみせずに財を手放すことによって執着をなくしていくことも大切です。
もちろんただ散財すれば良いというのではなく正しいことのためにお金を使うへぎとは思います。
そこで、今回台風の支援募金をスーパーやコンビニなどでしていますが、買い物した時の釣り銭を募金箱に入れるなどしてみるのはいかがでしょう。
余裕がある人は赤十字やYahooその他にまとまったお金を募金するのも良いと思います。
物惜しみをする人は来世において貧乏人となると世尊も言われています。
78:神も仏も名無しさん
19/10/15 22:50:14.90 cbn/SZBB.net
>>74
いいですね!
「空」がブッダの哲学と矛盾するものではない、ということが端的に説明されていて良いページだと思いました。
同じような趣旨の本として下記もおすすめです。
史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち
URLリンク(www.kawade.co.jp)
ヤージュニャヴァルキヤ→釈迦→老荘思想→龍樹→大乗仏教
と時代を経て登場した東洋哲学の思想はお互い矛盾するものではなく、覚者が到達した同じ真理をどのように伝えるか、その「変奏」の違いである、ということが分かりやすく述べられていて目から鱗でした。
79:神も仏も名無しさん
19/10/16 06:32:29 +EPBTPXb.net
【カルト】スマナサーラの瞑想で発狂した奴 2鼻毛
スレリンク(psy板)
スマナサーラ 批判
スレリンク(psy板)
ラーマクリシュナvsアルボム
80:ッレスマナサーラ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1289708760/ テーラワーダ仏教協会を批判スレ [無断転載禁止]・2ch.net http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1498970887/ 日本の僧侶には破戒僧しか残ってないの? http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1401719776/ カルト【破和合僧】佐藤哲朗【誹謗正法】 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1545486457/
81:神も仏も名無しさん
19/10/16 10:01:21.70 yRmyuGuO.net
>>74
>自我と我所(自我の所有するもの)が空であると観察する「空三昧」、
>無常を知るために事物には固定した特徴がないことを観察する「無相三昧」、
>過度に期待することなく願い求めるものがないことを観察する無願三昧の、
>三つの瞑想を実践する「三三昧」が説かれるようになります。
oh...
完全にニンジンケーキ。
82:神も仏も名は有るさん(男性)
19/10/16 10:27:36 vjUFE1Bb.net
「釈尊のことば」
真理を伝えることは他のすべての施こしにまさり、真理の妙味は他のす
べての味わいにまさる。
真理によりうける喜こびは他のすべての喜こびにまさり、欲望に打ちかつ
ものは、すべての苦渋をのりこえる。──『真理のことば354』
仏教の中での施こしには次の三つがあります。
1. アーミサ ダーナ 物を施こす
2. アブハヤ ダーナ いのちを守る
3. ダンマ ダーナ 真理を伝える
[1-3]
83:神も仏も名は有るさん(男性)
19/10/16 10:28:56 vjUFE1Bb.net
─ものの施こし─
アーミサ ダーナ、いろいろなものを施こすことは宗教に係る者すべて
の行っていることで、きわめて当然のことであります。
食料、衣料、住まうところなどが、その不足で困っている人々とか難民
などに各種の宗教団体、社会団体の手を経て施こされています。
飢えた人々や渇えた人々にその飢えや渇をみたすことは、疑いもなく良
いことであります。このような施こしは、仏教においてはきわめて大事な
ことであって、アーミサ ダーナといわれるものであります。
─いのちを守る─
次はアブハヤ ダーナ、火事や水害或いは襲われたりして危険にさらさ
れている人々の生命を守ることであります。時として輸血の不足から死に
至る人々のことを聞きますが、血液を施こし他人の生命を教おうとするの
はたいへん良いことであります。
眼や腎臓の施こしも仏教においてはたいへんよいこととされております。
これらのことはアブハヤ ダーナとよばれるものであります。
[2-3]
84:神も仏も名は有るさん(男性)
19/10/16 10:32:09 vjUFE1Bb.net
─真理を伝える─
最後にダンマ ダーナ、真理を伝える、或いは教理の弘宣とよばれるも
ので、あらゆる施こしのなかでもっとも大事なこととされるものでありま
す。
真理を伝えることは釈尊の教えを人々に教え、語り、誤まった道から離
れさせ、正しい道へと導くことであります。何が道徳に沿わぬかを教えた
り、釈尊の教えについてはなしあいや学習のつどいをひらいたり、脈々と
生きつゞけている釈尊の教えを刊行したり、図書センターを設けたりする
ことであります。
人は、出来得る限りの方法で衣食住薬をすべての釈尊の弟子達に扶け与
えることができるでしょう。また市中の困っている人々にいろいろな物を
施こし与えることもできるでしょう。しかし釈尊の教えの中の、たった4
行の詞句で、人々を正しい道に立たせられるのなら、これこそ最善かつあ
らゆる施こしの中で最高のものといえるのではありませんか。
聴く者に、教えを説き、光明を与え、確信をもたせ得る人はそう多くは
いないでしょう。しかし真理への道を書き記した書籍は、仏教を広めるの
にたいへん重要な役目を果しています。
[3-3]
以上、千葉県にある蘭華寺の前身、日本・スリランカ仏教センターが東京
で活動していた頃、頂いた書「Buddha's Teaching」の巻頭言からでした。
85:神も仏も名無しさん
19/10/16 14:18:32.78 W8KDvdCD.net
>>75
空は世俗諦として概念ということもできるけど、本来的にはあらゆる概念を否定したものが空なので、
空を実体視するのはもちろん概念視こともできないんじゃないかな!?
>>77
ありがとうございます🙏
面白そうな本なので読んでみます
86:神も仏も名無しさん
19/10/16 14:59:24.05 2mmV+YyE.net
あらゆる概念を否定したというのはどうかと
概念は空から生じてくるものでしょうから
87:神も仏も名無しさん
19/10/17 00:56:52.26 LN58Up9f.net
>>84
空は世俗諦として概念(戯論)ということもできるけど、本来的にはあらゆる概念を否定したものが空なので、空そのものを実体視するのはもちろん概念視こともできない
空という言葉は概念、しかし言葉が指し示すものは概念を否定したもの
夢相、無分別、無差別など否定形でのみその相を表すことができるもの
中論
24-7の考察
さあ、これに私たちは答えよう。
あなた方は、空のもたらすものも、空そのものも、空の意味もわかっていないのだ。だからあなた方はこのように論難するのだ。
24-8の考察
二諦をもって、すべてのブッダは法を説かれた。世俗諦と勝義諦だ。
24-9の考察
この二つの真理を区別できない者は、ブッダの法の深く微妙な所をまだ理解しているとは言えない。
24-10の考察
世間の言葉に頼らなければ究極の真理を説くことができない。
究極の真理に到達しないなら、涅槃を体認することはできない。
24-11の考察
不完全にとらえられた空は、智慧の浅い者たちをつまずかせることになるだろう。ちょうど、不完全に捕まえられた蛇や、半人前の魔法が人を害する結果になるように。
24-12の考察
だからブッダも、その法が智慧の浅い者たちによって誤解されることをおそれて、伝道をためらったほどだ。
88:神も仏も名無しさん
19/10/17 18:19:53.66 dnGTRUDx.net
1.布施波羅蜜
2.持戒波羅蜜
3.忍辱波羅蜜
4.精進波羅蜜
5.禅定波羅蜜 ←ココまでがあって
6.智慧波羅蜜 ←初めてコレ
89:
19/10/17 18:25:51 dnGTRUDx.net
三学
戒 ←コレと
定 ←コレがあって
慧 ←はじめてコレ
戒 ・・・ 持戒と忍辱
定 ・・・ 精進と禅定
慧 ・・・ 智慧
分類が違うだけで、中身というか本質的な部分は、実は全く同じだと思う。
90:神も仏も名無しさん
19/10/17 23:54:04.31 LN58Up9f.net
法然
経典にはさまざまな教えが説かれているが、詮ずるところ、戒・定・慧の三つの修行法に集約される。
小乗と大乗、顕教と密教、それぞれにこの三つの修行方法がある。
ところが私自身は、戒(不殺、不盗などの仏教の戒め)に関しては一つの戒すら守ることができない。
定(精神集中の修行)についても一つも体得できなかった。
ある高僧が言うには、「戒(インドの言葉でシーラ)が清らかに守られていないと、心の集中状態は現れてこない」とのことだ。
また私たち凡夫の心は、ものごとに引きずられて移ろいやすい。それはまるで、猿が枝から枝へと動いているようなもの。
まことに散乱して落ち着きが無く、一処に静まりがたい。
このような状態で、煩悩に汚れぬ正しい智慧が、どうして起こり得るだろうか。
もし汚れなき智慧の剣がなければ、どうして悪業や煩悩の絆を断つことが叶おうか。
悪業煩悩の絆を断たずして、どうして迷い苦しみの輪廻世界から解脱することができようか。
ああ、まことに悲しき哉、一体どうしたらよいのだろうか。
「私のような者は、もう戒・定・慧の修行を全うできる器ではない。この三種の修行法のほかに、私の心に相応しい教えがあるのだろうか。
私の身体でも行なえる修行がはたしてあるのだろうか…」
かように思い直し、多くの賢者の教えを請い、様々な学者を訪ね歩いた。
だが、それを教えてくれる人はおらず、道を示してくれる仲間もいなかった。
そこで、歎き歎き経藏に入り、悲しみ悲しみ経典に向かい、みずから手に取って開き見た、
善導和尚(7世紀中国の高僧で、法然上人が師と仰いだ)が書かれた『観経疏』という本の中に見出したのが、次の一文である。
「一心に専ら阿弥陀仏のお名前を念じなさい。
行住坐臥、日常生活のどのような状態にあっても、時間の長短を問わず、片時もやめてはならない。
これを正定の業と名づけよう。かの阿弥陀仏の本願にしたがう行であるゆえに。」
その後は、
「私のような無智の身は、ひとえにこの一文を仰ぎ、ここに説かれる道理を頼みとしよう。片時もやめない念仏行を修めて、必ずや極楽往生を得るための備えとしよう」
と心を定めたのである。
URLリンク(www.rinkaian.jp)
91:神も仏も名無しさん
19/10/18 00:46:49.80 IeOWSnry.net
>>88
念仏もテーラワーダの実況中継も一緒のようなものなのかもしれませんね
92:
19/10/18 06:32:22 kMUWXJ5Y.net
ニンジンプリンの登場である。
93:神も仏も名無しさん
19/10/19 09:22:07.09 es6ZJjrC.net
しかしスマナサーラの般若心経の本は酷すぎて笑えるな
空即是色、大乗の勝義諦と世俗諦、これらが全く理解できてないから般若心経は虚無主義で修行の役には立たないどころか有害だなどと書いていまうんだな
まあテーラワーダの理解はこの辺までというのを示すには格好の本だとは言えよう
他のテーラワーダ僧はスマナサーラほど酷くはないとも思うがね
94:神も仏も名無しさん
19/10/19 20:08:29.91 zKjwIW6s.net
>>91
智慧も慈悲もない、怒りからの陰口・悪口。
大乗仏教というより、日本仏教の形骸化の問題をよく示した発言じゃないかな。
95:
19/10/20 00:14:09 jh0ezDLb.net
>>92
いや、実際に本を読んでみれば分かるが単に般若心経は欠陥だらけであることを指摘しているだけの本。
日本仏教は関係ないよ。
一つ、部派仏教系・小乗系では空は無常苦無我のことだが、大乗になると空は無分別であるから平等という観念も出てくる。
そこに踏み込まないから、般若心経の不生不滅不増不減不垢不浄は単なる言葉遊びの観念論で意味がありませんと言ってしまうんだろうな。
大乗の観点で読むと是故空中が最初についているのだから不生不滅不増不減不垢不浄で当然となるんだけどね。
96:神も仏も名無しさん
19/10/20 09:20:28 /2GBEvJp.net
空即是色は“小乗”の智慧が完成した後、八正道を回していけばついてくるので
“大乗”という区別も悟っていない段階の人の頭のなかの概念でしかない。
97:神も仏も名無しさん
19/10/20 09:25:57 /2GBEvJp.net
小乗仏教という、頭の中のわら人形と戦ってる時点で
そして普遍的真理に大小優劣をつけている時点で、自分自身が小乗になってる(平等に達していない)。
98:神も仏も名無しさん
19/10/20 10:00:30.22 /2GBEvJp.net
悟りに達するまでの八正道の実践と、悟りに達した後の八正道の実践とでは、
実践の在り方に質的な変化がでてくるはずです。
個人的な経験として言える範囲で言い換えれば、智慧が出てくるまでの八正道と
智慧が出てきてからの八正道とでは、質的な違いがあります。
例えば医療に関して言えば、患者、医学生、医師、教授という立場の違いはあっても、
医学そのものに大小があるわけではありません。
仏教にも、患者の立場もあれば、教授の立場に相当するものもあります。
仏教そのものに大小があるわけではありません。
普遍的真理に大小優劣があるのではなく、普遍的真理“について”の概念に
区別がついてまわるのではありませんか。
99:神も仏も名無しさん
19/10/20 10:02:38.39 /2GBEvJp.net
小乗仏教に対比して大乗仏教が優れているのではなく、
大乗仏教に所属しているという自意識に基づいて、ありもしない小乗仏教をでっちあげ
他の仏弟子を蔑むという、その行いが小乗なのです。
100:神も仏も名無しさん
19/10/20 10:09:04.28 jh0ezDLb.net
>>94
ごちゃごちゃ書いてるけどスマナサーラは空即是色は間違いと言ってる、それは恐らくはテーラワーダの教理では空即是色はないから、だから般若心経を読み取れない、畢竟それだけの話ですよ。
101:神も仏も名無しさん
19/10/20 11:13:04.42 /2GBEvJp.net
>>98
>スマナサーラは空即是色は間違いと言ってる、
>それは恐らくはテーラワーダの教理では空即是色はないから
それは単純に論理飛躍ですよ。
スマナサーラさん個人をテーラワーダ仏教全体に敷衍して断定している時点で間違い。
般若心経を否定しているテーラワーダ僧侶は、むしろわたしの周囲では見かけてことがありません。
102:神も仏も名無しさん
19/10/20 11:14:21.16 /2GBEvJp.net
空即是色が分からないと空が分かっていないというのであれば、
仏陀金口の仏説は空即是色そのものですから、仏説を小乗と蔑んでいる時点で
空が分かっていないと自白しているのと同じなんです。
103:神も仏も名無しさん
19/10/20 12:05:55.09 jh0ezDLb.net
>>100
>仏陀金口の仏説は空即是色そのものですから、仏説を小乗と蔑んでいる時点で
誰が仏説を小乗と蔑んでいるの?
般若心経は間違いは仏説なの?テーラワーダは全て仏説なの?
104:神も仏も名無しさん
19/10/20 12:33:53.77 /2GBEvJp.net
智慧の開発段階は、個人個人で違う。
話が噛み合わない原因は、単にそれだけのことだと思います。
そもそも小乗仏教といえるものが、現代のどこのどの宗派のことなのか、具体的に指摘できますか。
できないと思いますよ。
テーラワーダと呼称されている部派は、実践上は釈尊とその教えを奉じているわけですから、テーラ
ワーダ批判は釈尊と釈尊の仏法批判ということになってしまいますから。
大乗仏教の祖師のいったい誰が仏陀を批判していましたかね。
していないんじゃないですか。
105:神も仏も名無しさん
19/10/20 13:07:43.32 jh0ezDLb.net
>>102
分別説部(上座部)の心所説 ―真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺―
URLリンク(www.horakuji.com)
URLリンク(i.imgur.com)
実際に玄奘三蔵などの三蔵法師はインドに行ったときに大乗以外の部派仏教を小乗と記している、これは歴史的事実なのだからそんな事実はないといっても仕方がない。
自分も最初に>>93にて部派仏教のことを小乗と別称していたことを示唆するために部派仏教・小乗系と書いた。
>テーラワーダと呼称されている部派は、実践上は釈尊とその教えを奉じているわけですから、テーラ
ワーダ批判は釈尊と釈尊の仏法批判ということになってしまいますから。
そしたら全ての仏教は仏説でしょう?
でもね、パーリ経典の中には我空法有の教えとか刹那滅の教えとかはないと思うよ。
パーリのアビダルマ論蔵にはあると思うけどね。
そこはテーラワーダのドグマじゃないのかね?
いや、ドグマはあっても良いとは思うよ、ただドグマではなくそれが釈迦の直伝の教えですと誇大広告するのはよろしくないとは思うけどね。
106:神も仏も名無しさん
19/10/20 15:16:35 /2GBEvJp.net
言語を越えた部分の言語化の仕方の違いは、
観測された時点で無意味になるので、あまり拘る必要はないと思う。
107:
19/10/20 15:34:59 jh0ezDLb.net
>>104
>言語を越えた部分の言語化の仕方の違いは、
テーラワーダでは言語を超えた部分は涅槃しかないよ。
五蘊とかは施設(概念)ではなく自性を持つ勝義の法だよ。
108:神も仏も名無しさん
19/10/20 16:56:50.17 /2GBEvJp.net
普遍的真理というのは、人種や年齢性別で変わるものではないし、
宗派や宗教が違うからといって変わるものでもないはずです。
医療や人体構造で例えると、例えば人間の血圧の上下する仕組みは
東洋人でも西洋人でも同じです。
東洋医学でどういう説明の仕方をしていても、人体の構造というのは
西洋でも変わるわけではありません。
西洋医学でどういう説明の仕方をしていても、人体の基本構造や血圧
の上下する仕組みが、東洋人と異なるわけではありません。
心の仕組みも同様だと思います。
異なるのは、あくまで説明の仕方、言語的概念化の段階の話であって
観測事実としての心、あるいは生命の成り立ち、その現実が異なるわけ
ではありません。
109:神も仏も名無しさん
19/10/20 16:58:47.08 /2GBEvJp.net
>>103
>三蔵法師はインドに行ったときに大乗以外の部派仏教を小乗と記している、
>これは歴史的事実
なぜ、>>102
>現代のどこのどの宗派のことなのか、具体的に指摘できますか
この部分を読み落とすのでしょうか。
その心理的プロセスと、その後の言動に気づくこと(正念)が智慧のはじまりです。
110:神も仏も名無しさん
19/10/20 16:59:32.29 /2GBEvJp.net
知識ではないのです。
111:学術
19/10/20 17:03:20.02 04z1eoN9.net
環境や生物の身体の構造は同じではないのだけどな。
112:学術
19/10/20 17:03:57.16 04z1eoN9.net
ついでに言うと医学を始めたのは人ではないわけ。
113:学術
19/10/20 17:04:39.70 04z1eoN9.net
宗教もそういうものさ。ハイレヴェなお経じゃないと泣く子も多い。
114:神も仏も名無しさん
19/10/20 19:10:40.58 ndP8+rTf.net
>>106
いや、テーラワーダ僧がいうにはテーラワーダは元々は説一切有部だったけど、有部の三世実有を批判して分裂したと言ってるぞ
(史実ではどうやら説一切有部とテーラワーダに接点はないようだが)
説明の仕方とか言語化概念化とか批判して有部から分かれたテーラワーダのことを君が言ってるのなら君の言ってることも説得力があるけどね
115:神も仏も名無しさん
19/10/21 00:59:45.40 eAwY+tTl.net
仏陀の言葉は真理を指し示してるもの、方便であって
テーラワーダみたいな言葉通りの解釈が真理、仏陀は完璧なわけではないと思うんだ
116:
19/10/21 01:09:07 4w8POM1T.net
>>107
じゃあ一例を挙げるよ
7世紀には玄奘三蔵がスリランカの寺院について書き残している (『大唐西域記』、第11巻)[7]。
玄奘はセイロン島の上座部に二派があったと報告しており、マハーヴィハーラ派(大寺派)を小乗上座部、アバヤギリ・ヴィハーラ派(無畏山寺)を大乗上座部と呼んでいる[8]。
玄奘は、スリランカでは「大乗上座部」(大乗と上座部の兼学と解される)が行われていると報告しており、考古学資料はアバヤギリ・ヴィハーラ(無畏山寺)で大乗経典が学ばれていたことを裏付けている[9]。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
ちなみに小乗上座部と玄奘三蔵に書かれた大寺派が現在のテーラワーダの祖
117:神も仏も名無しさん
19/10/21 01:45:27 HZ38CxCN.net
私は誰か? ~古代ヴェーダ哲学~
URLリンク(abmilk.sa-kon.net)
118:神も仏も名無しさん
19/10/21 16:23:31.92 EYOavmkj.net
スマナサーラ
「般若心経は十二因縁や四諦なども無としてお釈迦様の教えを骨抜きにする虚無主義のお経です」
これも間違い。
観自在菩薩は五雲皆空と照見して一切の苦厄を度している。
苦滅を成し遂げ彼岸に渡った人は釈迦の教えという筏を捨てても良いという筏の喩えはパーリでも中部蛇喩経に書いてあり有名な説話。
決してお釈迦様の教えを骨抜きにしているわけではない。
また是諸法空相とわざわざ事前に書いてあるのもスマはスルーしている。
空という相においては実体であるものはないので無~無~で正しい。
空観にて諸法空相であると体得したものが苦厄を度すことができ、釈迦の教えと言えども実体視することはない。
智慧もまた実体視はしないので空相を体得した修行者にとっては無智亦無得で正しい。
そして、前述の中部蛇喩経にて釈迦の教えの方が虚無主義だと当時の識者に思われていたことについてもスマはスルーしている。
仏教はもとから虚無主義と言われやすい性質を持っていたことに触れていればあの本も少しは良くなっていたかもしれないのに。
比丘たちよ、このように説き、このように論ずる私を、一部の沙門婆羅門たちは、不実ゆえ、虚偽ゆえ、虚妄に、偽って、誹謗します。
『沙門ゴータマは虚無論者であり、存在する有情の断滅、消失、非有を説く』と。
比丘たちよ、私はそのようではありません。私はそのように説いてはいません。
〔にもかかわらず〕彼ら沙門婆羅門たる者たちは私を、不実ゆえ、虚偽ゆえ、虚妄に、偽って、誹謗します。
『沙門ゴータマは虚無論者であり、存在する有情の断滅、消失、非有を説く』と。
比丘たちよ、私は昔も今も、苦と、苦の滅のみを説いています。
(蛇喩経)
119:神も仏も名無しさん
19/10/21 16:42:47.53 3XhGbCyo.net
スマさんにとって空即是色は「自分にはわからない」なら良かったけれど
「出鱈目」とレッテル貼ってるだけだからなぁ
120:神も仏も名無しさん
19/10/21 18:16:18 wHhv7HiA.net
>>113
経典に書いてあるとおりの輪廻があるかはわからないけど
生まれ変わりとかはある程度存在する可能性を考えておいたほうが良いとは思ってるで
その上で無我ということみたいやけど
121:神も仏も名無しさん
19/10/21 23:30:14.00 qZJGw7S6.net
>>118
ブッダの説いた無我という言葉が先行して有情の断滅、消失、非有を説いたと見做されてしまったからブッダは虚無論者だと思われたりもした。
122:神も仏も名は有るさん(男性)
19/10/21 23:34:48.31 O2z68PPg.net
Loving Kindness and Compassion
Random Acts of Kindness - Faith In Humanity Restored - Good People 2019
URLリンク(www.youtube.com)
Random Acts of Kindness - Faith In Humanity Restored - Good People 2019 Part 2
URLリンク(www.youtube.com)
Random Acts of Kindness - Faith In Humanity Restored - Good People 2019 Part 3
URLリンク(www.youtube.com)
123:神も仏も名無しさん
19/10/21 23:39:52.38 JIx64mws.net
>>7
↑コレに尽きる。
川を渡る前に筏捨ててどうすんのか、と。
124:神も仏も名無しさん
19/10/21 23:44:07.83 qZJGw7S6.net
>>121
どの教えが川を渡る前に筏を捨ててるのかね?
125:神も仏も名無しさん
19/10/21 23:46:52 JIx64mws.net
論理哲学的に空の説明を論証した書物なりお経を読んで、その証明過程を
理解した段階で空を体得したぞ、と思い込むケースがね、
非常~・・・に、多いんじゃないですか。
かくいう私もそうでしたけどもね。
それは空についての概念であって、空じゃないですからね。
126:神も仏も名無しさん
19/10/21 23:48:14 JIx64mws.net
お餅の説明を完璧にした論文を読んで理解しましたと。
いいですよ、でもね。
そのお餅食べられますか。
127:神も仏も名無しさん
19/10/21 23:58:04 JIx64mws.net
教えが問題なんじゃないんですよ。
教えを解釈した人間自我が問題なんです。
テラワダだろうと大乗だろうと同じでしょ、実践しなかったら。
絵に画いた餅、机上の空論。
128:神も仏も名無しさん
19/10/22 00:10:01.71 ugngPSTb.net
>>123
それは空だけではなく無我、無常、苦、などにも言えるんじゃないか?
無我の教えだけを聴いて人間には芯となる実体(アートマン、魂)はないと頭の中で言い聞かせている人も多そうだが。
ちなみに、だが、ヒンドゥー教ヴェーダーンタ学派不二一元論者のシャンカラという聖者は
「知識のみが無明(無知)を滅することが出来る」
「無明が〔ひとたび〕正しい知識根拠によって除去されてしまったならば、どうして再び生ずることが出来ようか」
と説き、修行よりも正しい知識を得ることが解脱には必要とした。
(もちろんシャンカラ自身は瞑想などの修行もしている)
129:神も仏も名無しさん
19/10/22 00:25:57 Tr8wmfs4.net
そうでしょうね。
善知識との出会いがなければ、妄想概念を永遠に回転させ続けることしかできない
無明のかたまりである凡夫が、偶然悟るなんてことはまず考えられないしな。
130:神も仏も名無しさん
19/10/22 07:15:06.93 yovy0Br3.net
>>125
その通り。
いや、自我は自我としてその事が問題であるということに、原理的に気づけない。
原理的に気づけないから、自分で実践して言葉をこえた意識に目覚めて自分の身にするしかない。
釈迦の教えは、只実践であり、人々に説いていた説話は、あくまでも方便。
禅は釈迦の教えを、その身に体得した者が偏見も思想もなしに、実践のみのものとして連綿と繋いで継承してきたもの。
禅は、釈迦を崇めない。祖師を崇めない。信仰しない。信仰という不安の投影をしない。
釈迦は誰の御父上でもなければ、達磨も誰の教師でもない。真実の自己たる無我、無我という言葉以前の究極にして純粋性としての無自己の自己に目覚めるために、付き合いもヒステリックな平和運動もなんぞもいらない。
釈迦の残した、"自己を灯明とせよ""犀の角のように一人進め"を実践することを継承しているものは禅だけ。
あとは、テーラワーダだろうが、大乗だろうが、コミュニケーション・ツール。文化。芸術。
いくら形骸化していこうが、文化の存続として広く禅が残っている日本で、テーラワーダのようなカルトがいちいち出てくる余地はいらない。
賢い人なら偽物とわかる。わからないのは、まだそれだけ本質を見極める観察眼が備わってないだけ。
131:神も仏も名無しさん
19/10/22 07:22:26.65 yovy0Br3.net
あ~あと。
スマナサーラでは、念仏やマントラが、呪文などといってばかにしているようだが。
一心に、一点に唱える事によって、音声と自己が一体になって無自己の自己となる、という瞑想法としてちゃんと有効だから残っているのである。
哲学的解釈として、念仏の意味を考えてどうにかなるものではない。
極端な事を言えば、南無妙法蓮華経だろうと、ナムアミダブツだろうと、コカ・コーラだろうといいのだ。
要は、一点に唱え続けるという瞑想方法だという点にある。
それは、ことばというものはそれ自体まやかしを産むので、そこで言葉を一心にとなえ、いわば"ゲシュタルト崩壊"的な認識を音声に引き起こして、意味に囚われない認識を得るために発声を繰り返すのである。
きちんと有効な瞑想だからあるのだ。
132:神も仏も名無しさん
19/10/22 07:23:41.43 Tr8wmfs4.net
患者とその症状に応じて応病与楽ということが分からないなら、
分かったつもりでまた概念化して固執してるんだよ。
133:神も仏も名無しさん
19/10/22 07:26:47.31 Tr8wmfs4.net
人々はみな機根も違う、波羅蜜が違う。
業が違う、性格傾向が違う、主観(思い込みのフィルター)が違う。
人それぞれに人生の目的というか使命といったものが違う、と言った方が
分かりやすいかも知れない。
そこに自分の尺度を当てはめて裁いているというのは、まだ概念化と
自我の視点からの自由を表していないと思いますよ。
134:神も仏も名無しさん
19/10/22 07:28:22.19 yovy0Br3.net
嘘だと思うなら、カラオケボックスにでもいって思いっきり歌うかどこかで同じ言葉を繰り返し叫ぶかしてみればいい。
きっと、なにもかも忘れているということに気づく。その時の自分は、考えている時の自分より無自己である。
現代は、形式的にやっておるが、本来は喉が潰れるまで意識が朦朧としてもやる、という一心さが必要なのである。
なんにせよ、頭だけ立派に詰め込んだ連中が好き勝手に思い込みでやっているスリランカ産のカルトに付き合う
135:必要はない。
136:神も仏も名無しさん
19/10/22 07:44:23.73 Tr8wmfs4.net
信仰対象も観測によって確認された時点で確信に変わる、あるいは体験としての知識に変わるので、
仏法僧に対して信を抱くのは問題ないよ。
それが善知識との出会いの始まりでもある。
信が確立された段階で、依存的な信仰心は脱ぎ捨てられる。
そもそも迷信を信じることと、人間より正しいものを信仰することとは明確に違う。
子どもたちが、誘拐犯と親族や教師とを見分ける必要があるのと同様、信仰と迷信は区別される必要がある。
人智を超えた領域については概念として捉えている段階では、普通は迷信と区別がつかない。
そのため、形式的にも伝統的な仏法僧が残っている必要があるのだと思う。
仏道は素直に進んでいけば、洗脳もマインドコントロールも自然と解けていく。
そういう風になってる。
137:神も仏も名無しさん
19/10/22 08:58:16.98 ugngPSTb.net
>>133
それが思い込みだっていうねん。
人智を超えた領域、例えば輪廻一つをとってもテーラワーダ僧と中観の僧と唯識の僧ではそのメカニズムにおいて言ってることが違う。
方便として違うだけではない。
テーラワーダのスマナサーラなどは唯識の阿頼耶識はおかしいとあの手この手で理屈をこねて多数の著書で批判している。
自分はKindleでいろいろなスマナサーラの本を読んでるからそれを知っているw
138:神も仏も名無しさん
19/10/22 11:56:38.73 Tr8wmfs4.net
群盲象を評すにしかならんから、その辺の議論はやらん。
考えるアプローチでは、一生掛かっても解答まで辿り着くのは無理なはず。
構造的に無理。
二次元の紙の上で、立体モデルを解明しようとしてるようなもん。
間接的に分かったつもりになるだけ。
しかも凄まじく時間がかかる。
死ぬ。
139:神も仏も名無しさん
19/10/22 12:02:12.63 ugngPSTb.net
>>135
>考えるアプローチでは、一生掛かっても解答まで辿り着くのは無理なはず。
で、考えないアプローチで解答まで辿り着けるの?
何か見えたとしてそれが錯覚である可能性はないの?
釈迦が日本に生まれたとしても悟ったら輪廻からの解脱を説いていただろう、だって輪廻は観察して見えたもので虚ではないから、とでも言わはるつもり?
140:神も仏も名無しさん
19/10/22 12:03:20.38 Tr8wmfs4.net
象がいるのは知ってるし、想像の象との区別もできる。
象の全体を見渡して、知り尽くしているわけじゃないので、その状態で話しても無駄。
少なくとも、自分が仏法を知らないってことは知ってるよ。
その自覚はある。
知識だけの場合、その自覚すらないのが問題。
141:神も仏も名無しさん
19/10/22 12:06:07.43 Tr8wmfs4.net
如来という単語ひとつとってもそう。
昔から如来という言葉は知ってたよ。
如来って、そういう意味か、と。
なるほどなー、て思ってた。分かってる、知ってると。
でもある時、瞑想していたら、あーなるほどなーってなった。
如来って、そういう意味だったのか、と。
なるほどなー、て思ってた。分かってなかった、知らなかった。
いまでも知らないし、分からない。
知らないし、分かってなかったという自覚はある。
これから分かっていくのだという確信のようなものもある。
如ってそれかー、と。
だけど仏教は知らないよ。
ぜんぜん分からない。
142:神も仏も名無しさん
19/10/22 12:08:43.33 Tr8wmfs4.net
其れって何?と言われて、其れは其れだろ。
其れの如し。
これって言語上は100%回答だけど、なんも分からんでしょう。
143:神も仏も名無しさん
19/10/22 13:15:06.81 ugngPSTb.net
仏教学者の中村元によれば、「タターガタ」(tathāgata)とは本来、「そのように行きし者」「あのように立派な行いをした人」という語義であり、
仏教・ジャイナ教・その他の古代インド当時の諸宗教全般で「修行完成者」つまり「悟りを開き、真理に達した者」を意味した語であるが、
「如来」という漢訳表現には「人々を救うためにかくのごとく来たりし者」という後�
144:「の大乗仏教的な見解がひそんでいて、初期仏教における語義とは乖離があるという[6]。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E6%9D%A5 想像するのは自由だけどこういう歴史的背景も知っておいた方が良い じゃないと独善的な論を生み出すかもしれない そしてそのような独善的な論をもてあそぶものも戯論する者に入るのだろうな
145:神も仏も名無しさん
19/10/22 14:41:24.98 Tr8wmfs4.net
はやり教行証と言われるように、善知識から正しく教えを学ぶことと、
その実践とが車の両輪となって無明の河を渡る原動力になるんでしょうな。
146:神も仏も名無しさん
19/10/23 17:12:28.34 g24WE3Gm.net
ダンマパダ
184 忍耐・堪忍は最上の苦行(修行)である。ニルヴァーナは最高のものであると、もろもろのブッダは説きたまう。
他人を害する人は出家者ではない。他人を悩ます人は<道の人>ではない。
瞑想も良いですが忍辱こそが最上の修行です。
その忍辱を行するのに日頃から止観の瞑想をして落ち着いた心を育むこともまた肝心ですが。
147:神も仏も名無しさん
19/10/23 20:17:00.43 An9zEpog.net
うむ、あと誰かも書いてたが台風募金がスーパーやコンビニで始まってそこに募金をすることは財への執着を捨てる修行になると思う
そして瞑想は手放していくものだから瞑想での修行は募金する時に惜しむことなく募金するための心を作るにも良いと思うよ
ただ瞑想をして智慧がどうこうと言葉だけで語るよりも、その智慧を活かして財産は無我・非我だから執着せずに施そうとか、
屈辱を受けてるのは我でも我ものでも我がアートマンでもないので耐えられるとか、そういう風に実生活に活かすことが大切なんじゃないかな
それではなく、本当に智慧を完成させてこの世とあの世を共に捨て去りたいと思ってる人は、まずこの世を捨て去る意味で出家か浮浪者になる覚悟を決めることだね
148:神も仏も名無しさん
19/10/23 21:55:58.74 7UtRWel/.net
我が辞書にぐうの音なし。
149:神も仏も名無しさん
19/10/29 23:59:41.40 +ZB9MASb.net
インドの呪文は、om オームで始まって、svāha スワーハで終わります、
その点『般若心経』の呪文には om オームがないので、呪文として不完全です。
呪文にはなんの意味もないし、効き目もないけど、om オームが抜けてるからなおさらです。
効き目を期待するなら、 Om gate gate pāragate pāra-saṃgate bodhi svāhaḥと唱えないと。
玄奘訳以外の他の『般若心経』(大品系)には、呪文にオームを補ったものもあります。
「これじゃあマズイ」と誰かが気づいたのでしょう。
とスマナサーラは「般若心経は間違い?」という本で書いているが、果たしてどうか?
不動明王真言
「のうまく・さんまんだーばーざらだん・せんだん・まーかろしゃーだーそわたや・うんたら・たーかんまん」
これにはオームもスワーハ(そわか)もないが
光明真言
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらはりたや うん」
これはオーム(オン)はあってもスワーハ(そわか)はない
漢訳で消したのではなく元のサンスクリット梵語の時からないのだが
他にも陀羅尼系のお経でもオンやソワカ(ソモコ)が使われてないのもある
マントラの効力の有無は仏教とヒンドゥーで解釈が違うので、呪文に意味はないというのは仏教原理主義的には正しいのかもしれないが、
オームがないからこの呪文は欠陥だとするのはどうなのだろう?
150:神も仏も名無しさん
19/11/02 11:39:46.71 QJZcnNYu.net
悪友とは交わってはいけないということだけれど、
慈の瞑想で生きとし生けるものに友愛の念を持つということです。
これってどうとらえたらいいんでしょうか?
この点においてなかなかうまく瞑想できません。
151:神も仏も名無しさん
19/11/02 22:09:37.76 2ChpNKI9.net
>>146
あくまで私個人の理解にもとづいた意見として述べさせて頂きます。
悪友にも慈悲の念を起こすのは、瞑想の話であり、自分自身の心の持ち方の問題だと思います。
一方、悪友と交わらないというのは、人間関係の話であり、日常の社会生活の問題だと思います。
実践の中で気づきを重ねていくなかで、矛盾のない視座が開けてくるのではないでしょうか。
152:神も仏も名無しさん
19/11/02 22:48:01.51 2ChpNKI9.net
生きとし生けるすべてのものに対して無量無辺の慈しみの心を起こします。(正念)
慈しみの念が起こらない時は、奮起して起こします。(正精進)
日常生活においては、反射的に反応せず、その場その場で適切な言動を選択します。(正語、正業)
153:神も仏も名無しさん
19/11/04 16:55:17.04 QM6MsOo1.net
>>147
ありがとうございます。
理解が深まりました。
まだ消化できない点は多いので、今後も取り組んでいきたいと思います。
教えて下さりありがとうございました。
154:神も仏も名無しさん
19/11/04 18:57:56.17 BRkJH9I5.net
>>76
>物惜しみをする人は来世において貧乏人となると世尊も言われています
この出典はありますか?あったら教えていただきたいです。
155:神も仏も名無しさん
19/11/04 19:07:57.22 BRkJH9I5.net
すいません、自己解決しました
人が身体で行ったもの、つまり身体で行った善き行為の報い、
身体で行った悪しき行為の報い、また言葉や心で行ったもの、
つまり言葉で行った善き行為の報い 言葉で行った悪しき行為の報い
また心で行った善き行為の報い、心で行った悪しき行為の報い等
それこそが、その人自身のものである。
人はそれ(自己の為した身体と言葉と心でなした業)を受け取って
(死後の世界 来世に)行くのである。
それは(死後の世界 来世で)かれに従うものである。影が人に従うように。
それ故に善い事をして功徳を積め。功徳は人々のよりどころとなる。
ーサンユッタ・ニカーヤー
お布施をすることや惜しみない施しをすることは善行為であり、
善行為は自分にとっての功徳となり、やがて天に生まれる因となる
ということらしいです
156:神も仏も名無しさん
19/11/05 00:44:48.76 Md0MxuBe.net
天界に行くってのは、牢屋のなかで出世することだろう。
牢屋から出た方がずっといい、つまり解脱した方がいい。
善と悪というコンセプトのなかで上がったり、下がったりするのは
結局、牢獄の中で浮沈を繰り返しているに過ぎない。
そうした人生に使命や人生の目的を想定しているのだとしたら、
それこそが錯覚なのだと思う。
少なくとも、牢獄で過ごす生に使命や目的などいらない。
まず出所するべきだ。
157:神も仏も名無しさん
19/11/05 00:46:40.03 Md0MxuBe.net
人生の目的や使命感というのは、真善美や異性を追い求める心と並んで
最大の罠といっていいかも知れない。
158:神も仏も名無しさん
19/11/07 00:44:22.11 jxNklKoy.net
>>152
>まず出所するべきだ。
まずは世捨て人となるべきだ
と言ってるのとほぼ一緒
社会からドロップアウトするための自己正当化の理屈だな
もっとも本当に発心して出家して覚りを目指すというのならそれも良いと思うけどね
159:神も仏も名無しさん
19/11/07 11:04:02.51 ZwUpaxzR.net
牢獄はこの五蘊であって、自分の外にある何か、たとえば社会ではないよ。
160:神も仏も名無しさん
19/11/07 11:06:00.36 ZwUpaxzR.net
牢獄を抜け出すとは、少なくともまず有身見を捨てることを勧めています。
この話を、有身見を前提に解釈されることを考慮していないと、うまく伝わらないわけか。
なるほど。
161:神も仏も名無しさん
19/11/10 09:57:42.74 RX3u4xAQ.net
youtubeで預流果について検索したら浄土真宗講義っていうのが出てきて、
見てみたら親鸞や龍樹が預流果に言及していたと知ってビックリした。
大乗とは全然関係ないと思っていたんだけど、違うみたい。
大乗では52の悟りの階段があるけど、親鸞はそれと関係していると考えていたようですね。
162:神も仏も名無しさん
19/11/10 11:20:49.00 WWKwfFeL.net
わたしもずっと長いこと、初期仏教と大乗仏教は全くの別物だと思っていました。
しかし、ここ数年でその認識は大分変わりました。
空海さんも、「仏法の無二を現ず」といいますし、他宗派では三車火宅の喩えを
もって、同じことを述べているような気が致します。
163:神も仏も名無しさん
19/11/10 11:21:51.07 WWKwfFeL.net
あるいは、拈華微笑のエピソードもそうかも知れません。
164:神も仏も名無しさん
19/12/18 16:58:09.50 VDTSQgp2.net
※知恵袋からコピペ
ビクサンガを釈尊自身が外道=非仏弟子であると判断したことは歴史的・客観的・合理的な事実です(『ディーガ・ニカーヤ』和訳『ブッダ最後の旅』62ページ)。
テーラワーダを主観的に仏教であると捉えたいのなら客観的な釈尊のことばを否定する必要があります。
歴史的・客観的・合理的な釈尊のことばを肯定するならテーラワーダは恣意的・主観的・情緒的にどうであれ合理的・客観的・理性的に外道です。
皆さん感情的に認めたくないだけ、合理的に反論されたことは一度もありません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
ブッダ最後の旅の62ページにそんなこと書いてありませんが?
165:神も仏も名無しさん
19/12/18 17:22:20.92 bKieqzE1.net
日本は呪われてる
真敵・職人気質が格差の根元である。
職人、職人気質が格差をつくり、イジメを生み、犯罪を生み、戦争を生み、地域振興を阻害し、治安が悪化し国力が低下する。
職人気質を廃してこそ日本は平和かつ生産的かつクリエイティブな国家になれるのだ
職人気質は存在自体がパワハラです。緊急事態です。
職人気質は悪しき文化
スレリンク(rail板:755番)
ddf
166:神も仏も名無しさん
19/12/21 01:34:04.64 qRSDUrO8.net
悟りとは、俗っぽい言葉で言えば、「無常だ」と納得してしまうことです。
普通の納得とは違います。修行してとことん観察して、徹底的に自分の身体の現象、心の現象を観続けるのです 。
「それでも生きていきたい」という自分の心の渇愛を体験して、「なんで生きていきたいか」と観続けて、あるところで、「もう諦めよう。無常だから」と、何かすごい納得が生まれるのです。
それは予想しない瞬間に、パッと瞬時に生まれる心なのです。
悟りの心が生まれる前、人はだいたい、徹底的に落ち込んでいます。
普通の人間には堪えられない、極度の落ち込みに陥るのです。
だから長い間修行をしてしっかりした人間になって、性格が力強いものになって、人間としての基本ができたところで、本当のものが見えてくるのです。
恐ろしいものを見る前には、「恐ろしいものを見ても大丈夫」と言えるだけの精神的な準備が必要なのです 。
(スマナサーラ師)
167:神も仏も名無しさん
19/12/21 08:34:28.21 L76HlovD.net
良寛さんも修行時はシリアスだったみたいですね
168:神も仏も名無しさん
19/12/21 10:49:52.46 vxGcwZDd.net
>>161
妄想乙
169:神も仏も名無しさん
19/12/21 10:51:11.55 vxGcwZDd.net
>>162
これ読めばスマが悟ってないことがわかるね
170:神も仏も名無しさん
19/12/22 00:00:00.04 JfpKJDNm.net
>>165
では、もしよかったら悟りを説明しては頂けまいか。
171:神も仏も名無しさん
19/12/24 20:15:01.02 On7oAveO.net
>>165
破壊僧は地獄行き、預流果以上は戒律を守る。
他ならぬ破戒僧スマナサーラ自身がそう言っているんだが。
172:神も仏も名無しさん
19/12/24 23:46:39.50 3te1KCN1.net
>>167
比丘戒律の律のことなのか、基本的な戒の話なのかで
大分意味が違ってくるのだが、どの話なんですか。
173:神も仏も名無しさん
19/12/25 14:04:24.67 YcE9u2IR.net
日本人に差別されたという妄想に取り憑かれた煩悩まみれの破戒僧スマナサーラ
URLリンク(youtu.be) @YouTubeより‬
174:神も仏も名無しさん
19/12/25 20:00:12.37 yzYHj56m.net
>>168
気になるならおまえがスマナサーラに聞け。
おまえは戒と律の違いをきちんと説明しろよ。
どちらもしないしできないんだろ?
175:神も仏も名無しさん
19/12/26 14:40:23.41 WutSUhur.net
>>170
順番から言えば、問題を提起した人にその責務がある。
もしできないなら難癖でしかない。
176:神も仏も名無しさん
19/12/26 23:25:12.55 JhCp4Igg.net
>>171
最初に問題を提起してんのはスマナサーラじゃん。
難癖つけてスマナサーラの破戒を正当化したいんだろ?
ああいえばこう言うでオウムと本質が変わらない。
177:神も仏も名無しさん
19/12/26 23:29:24.33 JhCp4Igg.net
>>171
相手にしてやるからこっちこいよ。
戒と律をググって貼ってスマナサーラはここがおかしいとやって欲しいんだろ?
忙しいから調べたら出て来るようなことはおまえがやれ。
カルトの話題は専用スレに来い。
【カルト】スマナサーラの瞑想で発狂した奴 2鼻毛
スレリンク(psy板)
こんなにあるんだぞ。スマナサーラカルトのスレは。
【カルト】スマナサーラの瞑想で発狂した奴 2鼻毛
スレリンク(psy板)
スマナサーラ 批判
スレリンク(psy板)
ラーマクリシュナvsアルボムッレスマナサーラ
スレリンク(psy板)
テーラワーダ仏教協会を批判スレ [無断転載禁止]・2ch.net
スレリンク(psy板)
日本の僧侶には破戒僧しか残ってないの?
スレリンク(kyoto板)
カルト【破和合僧】佐藤哲朗【誹謗正法】
スレリンク(psy板)
178:神も仏も名無しさん
19/12/27 12:46:32.67 avMzJXHE.net
いや。
透明あぼんだよ。
個人的にスマさんとあんま関係ないし。
179:神も仏も名無しさん
19/12/27 15:17:53.16 wVZlNjyB.net
信者は増えてるの?
180:神も仏も名無しさん
19/12/27 22:53:27.76 aCkaEyQ+.net
苦しみを知り
苦しみの原因を知り
苦しみから抜ける道を知り
安らぎを実感するのが仏教だと思う
181:神も仏も名無しさん
19/12/28 00:16:47.55 V85o13/+.net
>>174
逃げてやがんの。流石、カルト信者。
182:神も仏も名無しさん
19/12/28 10:52:37.37 v5G4BB6D.net
>>165
そんなことない
自分はスマナサーラさんもマハシも批判的に見ているが
>>162に関しては全くその通りだよ
183:神も仏も名無しさん
19/12/30 19:41:19.46 nID2UlRa.net
理性的にスマナサーラ氏の言説を批判するスレがないかとおもってたけど
ほとんど中傷にちかい罵詈雑言スレばかりだった
正当な批判も埋もれてしまう
184:神も仏も名無しさん
19/12/30 23:27:32.89 8py+xoWH.net
自我は無我を嫌がるものだから、その拒絶感の現れでしょう。
185:神も仏も名無しさん
19/12/31 00:40:37.22 eDqOk2xB.net
1. スマナサーラ長老はスリランカ仏教に長い伝統があるように主張しているがこれは嘘である
2. 近代スリランカ仏教はサンガが途絶えていたものを1753年にタイから再輸入した事に復興の始まりがある
3.その後、スリランカは1796年からイギリスの植民地となり以降、仏教は風前の灯となる
4.植民地下に神智学協会会員であり大戦中の日本の躍進に鼓舞されたシンハラ人の
ダルマパーラ(1864~1933受戒1933年)は自分達をアーリア人種だと信じるシンハラ人の
民族的自意識と仏教復興運動を結び付けナショナリズムを煽るために奔走した
5. この為スリランカは仏教が特定の人種、ナショナリズムと結び付くという特異性を持つに到る
6. オカルト団体である神智学協会の庇護の下、ようやく復興できたのがスリランカ仏教であり
同協会のブラヴァッキーとオルコットの活躍なくしてスリランカ仏教のスリランカ現地における隆盛はない
7. イギリス植民地から独立し仏教が本格的に復興したのは第二次世界大戦以降であり
スリランカ仏教は度重なる壊滅を経て第二次世界大戦、復興された新宗教である
8. これを伝統宗教というなら日本の新宗教の多くが伝統宗教からの派生なので伝統宗教になる
9. 日本テーラワーダ仏教協会は本体の土着性、新興性を隠した上で作られた新宗教である
10. スリランカ仏教が度重なる壊滅を、経たことに触れずに伝統を騙り他宗教を揶揄し学問と
しての仏教や文献学まで否定し自派の優位を装うスマナサーラ長老のやり口は異常である
11. スマナサーラ長老はヴィパッサナーをお釈迦さまの瞑想法と主張しているがこれは嘘である
12. スマナサーラ長老が広めているヴィパッサナー瞑想法はマハーシ(1904~1982)により
1942年に発表され第二次世界大戦後、普及した新興の創作瞑想法である
13. マハーシがネタ元として挙げる大念住経等の経典とこの瞑想法は乖離していることで知られる
14. 長老は新興の瞑想にありもしない伝統と結果が伴わない効能を吹聴し商売している
15. 本人や取り巻きがその効果を否定しているが、一向に省みる気配はない
16. 長老の指導を受け離反した著名人達は過去の長老との深交に触れず黙秘する傾向にある
186:神も仏も名無しさん
19/12/31 00:41:53.73 eDqOk2xB.net
17. スマナサーラ長老は一神教の異教徒虐殺を批判することが多いがこれには情報隠蔽がある
18. 最初に悪いものを見せておけば後から見せるマシなものが相対的によく見える(対比効果)
19. スリランカの仏教徒は現代に勃発したスリランカ内戦(1983~2009)において
ヒンドゥー教徒大虐殺を行っている
20. スリランカ国民の多数派の仏教徒は自らをアーリア人種であると信じるシンハラ人が大きな割合を
占め、一方で国民の少数派のヒンドゥー教徒はトラヴィダ系のタミル人が大きな割合を占める
21. イギリスは植民地時代にタミル人を重用しシンハラ人を統治させる分割統治を行う
22. 独立後、シンハラ人はシンハラ人を優遇する法案を通しタミル人を排除しようとした
23. これが対立の始まりでスリランカ内戦は民族紛争だとも宗教戦争だとも言われる由縁である
24. 1972年セイロンからスリランカ共和国に国名変更し新憲法により仏教最優先の地位が与えられた
25. セイロン島において仏教とヒンドゥー教との争いは歴史上、何度も起こっている
26. スマナサーラ長老のヒンドゥー教、他宗教蔑視は母国における仏教徒による異教徒迫害と無縁ではない
27.スマナサーラ長老はヒンドゥー教のカースト差別を批判してみたり日本の江戸時代の身分制度に 触れてみたりして仏教の平等思想を称揚するが情報隠蔽した上での印象操作である
28. スリランカには、いまだにカースト制度がある
29.スマナサーラ長老のスリランカ仏教シャム派はカーストによる出家差別を行っている
30.スマナサーラ長老は出身派閥の暗部に触れず称号まで貰い、異教の差別や戦争ばかり弾劾する
31. スマナサーラ長老のスリランカ仏教シャム派から名誉称号を貰った人物には桐山靖雄がいる
32. 長老は著書でスリランカ人を毛嫌いし日本人を馬鹿にするような発言を繰り返している
33. スリランカ仏教寺院ではヒンドゥー教のデーヴァを祀り、重要儀礼で占星術を執り行う
34. 長老はこういった事実に触れず自らも呪術を弄ぶくせ異教の呪術に対し批判をしている
35. 歴史上スリランカで上座部が残っていた時期があるのは彼らが王権に取り入ったためである
36. 長老は過去のスリランカにおける大乗隆盛に触れずに「大乗は論破して追い出した」ことにしている
187:神も仏も名無しさん
19/12/31 00:42:57.15 eDqOk2xB.net
37. 長老は仏教は科学と謳う割に科学的知識と方法論に無知で文献学まで否定している
38. 科学と謳う割に重要部分で再現性や反証可能性を保証しない長老のやり方は筋が通っていない
39. 仏教は科学だと言い張る長老に対してはその主張に対して科学的方法論に則った証拠を要求できるが信者は喜んで妄想に従い、長老は教義の根本を疑われると怒るだけである
40. こういった証拠によって裏付けられない事実の主張を事実もどきという
41. 長老の教えは非科学で教えの根本は事実もどきであるが布施をすれば功徳になる
仏法僧に貢げば業が良くなる等と吹聴しコストゼロの極めて合理的な集金には成功している
42. 他人の誇大妄想的信仰をせせら笑いながら無謬で全知の一切智者釈迦を説く長老は二枚舌である
43. 長老は罪業の区分をサンガと僧侶中心の官僚機構優位に定め他の職業を差別している
44. 俗世間に衣食住を依存し、社会に寄生し自らへの寄付は功徳になると謳う長老は愚かである
45. サンガを重要視させながら消費、テレビや音楽の視聴等の破戒を行う長老は言行不一致である
46.「怒ってはいけない」と言いながら長老本人は常に怒っていて言行不一致である
47. そもそも長老には自らの言行不一致が人に悪印象を与えるという概念がないようである
48. 信者によれば長老の怒りは「怒っているようにみえるだけ」らしい
49. 長老信者の主張によれば長老による外部に対する、批判は構わないが長老が批判されない
50.この様に日本テーラワーダ仏教協会は否定的情報の封殺に非常に熱心な組織である
51.長老たちがよそを糾弾する場合、必ず自分達に全く同じような問題がある
52. スマナサーラ長老による他宗教の問題点の指摘は長老の正しさを全く保証しない
53. 長老信者は長老のおかしさを指摘されると「大した問題ではない、異教よりまし」等と適当に逃げる
54. スマナサーラ長老シンパは、長老批判を異教徒による妬みと解釈する傾向にある
55. 不都合な事実に触れたとき認識をねじ曲げるこのような態度を認知的不協和の発生という
認知的不協和とは社会心理学用語で、カルト信者によく見られる反応である
188:神も仏も名無しさん
19/12/31 00:43:55.32 eDqOk2xB.net
56. 長老と旧知の仲の長老の『怒らないこと』などの著書を出版するサンガ社長は物惜しみによる 怒りに我を忘れタクシー運転手相手に傷害事件を起こし代金を踏み倒し強盗で逮捕されている
57. スマナサーラ長老は多くの著作で知られるが、本人は漢字がほとんどわかっていない
58. スマナサーラ著となっている書籍の多くが口述筆記か録音の書き起こしであると推測される
59. スマナサーラ長老の説法は著書と違い不明瞭で聞き取りにくく支離滅裂であることが多い
60. ブッダの実践心理学など専門書の出版が遅れるのは支離滅裂な語りを纏めるのに 難渋するからだと推測され同書の執筆は「長老が嫌いな浄土真宗」の住職藤本晃である
61. スマナサーラ長老は漢字が余り読めないことを公言しているが自称道元研究者である
62. 長老は日本語を読むとき漢字と平仮名を分けて別々に読んで文章を綜合するので時間がかかる
63. 長老が古文で綴られた道元の正法眼蔵をどうやって読んだかは謎に包まれている
64. スマナサーラ長老は「アートマンがないからこそ輪廻する、心のエネルギー保存則」など という意味不明の理論で長年の仏教の無霊魂論に対する批判に対し思考停止している
65. Wikipediaの日本テーラワーダ仏教協会、アルボムッレ・スマナサーラ、スリランカ仏教など 日本テーラワーダ仏教協会関連の記述はajita氏、naagita氏により支配されている
66. ajita氏、naagita氏両名は、佐藤哲朗氏のコテハンと出家名と同じであることが知られている
67. 長老は宮崎哲弥や苫米地英人といった思想的敵対者を出版社のセッティングで無自覚に 取り込んでいるが、苫米地との対談を出版するか否かを決める裁量権も持たないようである
68. これを決めるのは元一時出家者の日本テーラワーダ仏教協会事務局長佐藤哲朗のようである
69. 日本テーラワーダ仏教協会シンパは佐藤哲朗を筆頭にブッダダーサなどテーラワーダ系著名人の業績まで 否定する傾向にあり他人の梯子外しには必死だが自分達は安直な信仰・結論に居座る
70. この佐藤哲朗という男は入信前はスリランカ仏教の問題点を早くから指摘していた人物である
189:神も仏も名無しさん
19/12/31 00:45:01.97 eDqOk2xB.net
71. 長老は輪廻と業思想に対する質疑には嫌悪感を露にし根拠を提示出来ずスッタニパータのアートマン思想と自らの無霊魂論、仏典無謬説にも整合性を保てず詭弁に終始している
72. 輪廻と業思想が批判されるのはスリランカ仏教の如く差別と結び付き長老のような詐欺師の金儲けの道具になるからである
73. 長老のように外部にばかり辛辣で同じ問題を持つ自分に甘い教祖として文鮮明が挙げられる
74. スマナサーラ長老の布教戦略の特徴は誇大広告と異教を叩くことにより 見せかける比較優位の演出と自派の大問題にあえて触れない隠蔽体質にある
75. スマナサーラ長老は自律訓練法程度の歴史しかない自派の瞑想法で仏陀が悟ったと主張し商売する
76. スマナサーラ長老は瞑想で前世を思い出せると主張するが第三者から見れば長老が嫌うキリスト教信者の語る「神の実在の確信」と大差がない妄想である
77. スマナサーラ長老は<業>で決まる<輪廻>が存在し仏教を実践することで <悟り>を得て、苦である輪廻から<解脱>できると説いているが<>内の現象が存在する証明を客観的に行ったことはないし詰まる所、証拠がない師の信仰でしかない
78. 仏教が宗教である以上、証明不可能な概念を信じるのは自由であるが長老は仏教が科学であると称し他の宗教は妄想とせせら笑い、差別化を図っている
79. 瞑想で前世を思い出したと考えることと前世の存在の有無は別問題である
80. 悟りという脳内現象が存在するのとそれに対する説明体系が妥当か否かは別問題である
81. スマナサーラ長老は心が物質を作り、現代が物質的に豊かなのは業が良いためである、などと疑似科学の典型のような主張を行っている
82. 長老が説く因果法則、業とは徹底して比丘やサンガという官僚機構優位に作られている
83. 長老の主張では生物、酒類、兵器の売買に関わる商いは恐るべき悪業を積むことになる
84. 長老は三宝誹謗や聖者を傷付ける事は地獄行きであり、サンガや僧侶への寄付、寄進は最高の功徳であると説いている
85. 輪廻と業思想を利用し大衆から搾取し安逸を貪っているのは長老のような自称比丘に他ならない
190:神も仏も名無しさん
19/12/31 00:49:56.67 eDqOk2xB.net
86. スマナサーラ長老は餓鬼が二、三匹まわりにいるなどと主張しているがこれは統合失調症等の精神疾患の可能性を示唆するものである
87. スマナサーラ長老は心を鍛えたら空を飛べる、古代文献にそんな記述があるのがその証拠などという麻原を彷彿とさせるトンデモ与太話を平気で語る
88. スマナサーラ長老は異教徒が同じようなことを語れば徹底的に攻撃する 89. スマナサーラ長老はイスラム教徒がほとんどいない日本でイスラム批判を行う愚か者である
90. 日本テーラワーダ仏教協会は書籍の中国語訳などに熱心な教団で、他宗教批判でシェアを拡大しているが仏教圏以外の異教徒の耳にきちんと届くよう批判の外国語訳をしようとはしない
91. 上記のように長老は日本における宗教的マイノリティの信仰の否定にも余念がない
92. スマナサーラ長老は因果法則は普遍的であるかのような主張をしているが師の語る因果法則は原始的で場合分けが出来ていない妄想であり特定の集団を利する為に作られている周到な作為の産物である
93. 長老の考える科学とはカーゴカルトサイエンスのような疑似科学に過ぎない
94. スマナサーラ長老は「仏教は宗教ではない」という妄想を、ごり押ししているが日本テーラワーダ仏教協会の宗教法人格の取得に熱心であったことで知られる
95. 長老は仏教は科学だと言うが、科学的には仏陀は側頭葉てんかん等脳機能障害の可能性が高い
96. 仏教は科学だと言い張る長老は悟りに対する脳科学的見解は都合に応じて却下する
97. そもそも宗教ではない団体が宗教法人格を取得するのは脱税目的の詐欺である
98. 日本テーラワーダ仏教協会の集金手法の一端は『実況中継!日本テーラワーダ仏教協会の変質』というネットに転がっている、2ch過去スレの中の協会内部文書に詳しくそこには長老に対する疑惑のひとつ、破戒行為『蓄財』の根拠とされる寺院建設時の長老による出資が記されている
99. 日本テーラワーダ仏教協会は長老の著書を無料で配布したりしているがこれは布施狙いの、「返報性の法則」の利用に過ぎない
100.「返報性の法則」とは受けた恩は返さずにいられないという人間心理を利用したマインドコントロールのテクニックである
101. この手法はクリシュナ意識国際協会が有名にし、多くのカルトで利用されている
102. 初期仏教や絶え間なき法統といった「権威」を騙るのはマインドコントロールの手法である
191:神も仏も名無しさん
19/12/31 00:51:27.11 eDqOk2xB.net
103. 業、輪廻、地獄といった「恐怖」を持ち出すのはマインドコントロールの手法である 104. 恐怖を植え付けて権威をちらつかせ恣意的救済を提示するのがカルトの常套手段である 105. スマナサーラ長老は自らがカルトの常套手段を用いながら他のカルトを批判する
106. スマナサーラ長老のヒンドゥー教批判は過度の一般化と偏見に満ち溢れており、なんら妥当性のない代物ものである
107. 一例を挙げればクンダリニーヨガをヒンドゥー教一般の体系のように語り偏見の眼差しで揶揄するのはミスリード以外の何物でもない
108. 長老はヨガのアーサナを身体を柔らかくしてどうすると理屈すらなく馬鹿にしている
109. 長老は日本は金儲けばかりの国だがスリランカにはアーユルヴェーダという素晴らしい文化があると主張しているが日本でも以前からアーユルヴェーダが定着しつつあり、そのインド由来のアーユルヴェーダ理論は長老が否定するバラモンのサーンキヤ哲学に基づいている
110. スマナサーラ長老は大乗経典創作を批判しているが原始仏典とされるものは仏陀没後、数百年経て得体の知れない人達の口伝を文字化したものに過ぎない
111. 長老が評価する指導者にはクリシュナムルティが挙げられるが彼の思想に対する解釈はご都合主義的で、彼本人への理解は誇大妄想に満ちている
112. 長老はクリシュナムルティを「少なくとも預流果」だと憶測し仏教的真理の体現者の例として仏教の素晴らしさを引き立てる道具に仕立て上げてしまう
113.「真理に到る方法はなく、方法そのものが真理から遠ざける」と主張したクリシュナムルティに「方法論がない」と批判する長老は根本的にどうかしている
114. 長老が道元など立場の違う者を評価する時は自派の優位性を騙る道具及び瞑想のネタ元としてである
115. 長老が真理に到る方法論として提示するのがマハーシが近年創作した瞑想に新宗教に過ぎないスリランカ仏教を加え長老の神秘主義的妄想とありふれた自己啓発をごった煮にしたようなニューエイジ風の意識の進化論に過ぎない
116. 長老やスリランカ仏教徒を見ればその方法論とやらの対効果は極めて怪しく有害ですらある
117. 長老はチベット死者の書を間違った法則があると批判しているが長老の著書とされる『死後はどうなるの』は単なるトンデモ本である
118. 長老は人生は無意味だという主張をする割には輪廻からの解脱という意味にすがる
192:神も仏も名無しさん
19/12/31 00:52:30.89 eDqOk2xB.net
119. 長老は故・ラジニーシを非常に汚い言葉で中傷しているが自分の問題の投影であり器で言えば釈迦を盾に安全圏から石を投げるような姑息な手法が特徴の長老は世界的な活動を行い生涯を通じ命を狙われ続け米政府から国外退去命令まで受けた彼の足元にも及ばない
120. 長老はラジニーシや麻原など自分と似たようなグル体質の人物を探して来ては批判する
121. 長老は地下鉄サリン事件を批判してもスリランカ仏教徒の異教徒虐殺に触れない
122. 長老はバガヴァッド・ギーターを戦争肯定していると批判するがスリランカ仏教徒の異教徒虐殺に触れない
123. 長老はラーマクリシュナをバカにしているがその揶揄は初歩的な無知と偏見に基づいている
124. 長老のラーマクリシュナやインド哲学に対する無知はネットで専門家から論難されている
125. こういった長老による他者に対する一知半解の知識に基づいた誹謗中傷を信者が真に受けて同じように撒き散らす姿はネットで頻繁に見られる光景である
126. 長老は法話でムハンマド風刺映画に反するテロを批判しているがスリランカではキリスト教会に対し仏教僧侶がテロを行うのは日常茶飯事の光景である
127. スリランカの比丘は大挙してイスラムのモスクに押し寄せ破壊活動に興じる
128. スリランカの比丘はスリランカ政府軍に祝福を与える
129. 長老はこういったスリランカの実態に触れず自らも敵愾心を煽りながら排他的宗教を批判する
130. 原始仏典には修行を怠るなとしつこく書いてあるのに長老一味は排他的なアジに夢中である
131. スリランカでは土着の神と仏陀が習合したサマン神�
193:ェポピュラーである 132. スリランカでも、天部がポピュラーであり仏教徒は現世利益を祈願する 133. 長老の騙るような長老基準で合理的な仏教は自称仏教原理主義者の長老の脳内にしか存在しない 134. スマナサーラ長老は「日本は遅れている」と主張しているがスリランカは宗教紛争が熾烈で仏教徒がヒンドゥー教徒を虐殺する国家であり経済的には貧困率が高く政治的には露骨な仏教徒優遇措置を採用する状態にある 135. 排他的、選民主義的という意味において長老はスリランカ仏教の最も正統な嫡子である 136. 長老は場当たり的で矛盾だらけの詭弁と風説流布を対機説法と考えているようである
194:神も仏も名無しさん
19/12/31 00:57:32.79 eDqOk2xB.net
136. 佐藤哲朗は文化相対主義を批判しているが宗教という領域においてその主張に妥当性はなく排他的新宗教の恣意的価値基準を重視する理由は更にない
137. 無宗教者から見れば神に対する信仰も悟りに対する信仰も大差がない妄想である
138. 宗教は立場が異なれば妄想に過ぎず『仏教は心の科学』なる空虚な嘘を流布するのも科学は客観的で、宗教は個人的信仰であるという社会通念がある事を知った上での物言いに過ぎず、よそを独善的尺度で裁くことは争いに通じる
139. 上座部仏教の僧侶は227種の戒律があり、特に重要な項目として十戒がありその中で不促金持戒によりお金に触れない事を規定しているが長老は自ら買い物に行くことを法話や著書で漏らしている
140. 更に重要な戒律である八戒の不歌舞観聴戒では音楽や芸能を観たり聴いたりしないことを規定しているが長老はテレビや映画や音楽を視聴していることを法話や著書で話してしまい下手な言い訳に終始する体たらくである
141. 長老はそもそも不妄語戒も守っていないしハ正道すら実行する気がないようである
142. 仏教の教えと戒律を守らないのは長老を筆頭に世界の比丘も同じであるが長老は異教徒の些細な歪みや矛盾すら許容できず鬼の首を取ったように攻撃を行い、サンガに貢げば功徳になると仏法を蔑ろにする自分への服従を促す
143. 日本テーラワーダ仏教協会信者は「そんな悪事、宗教はみんなやっている」と 「仏教は宗教ではない」という様なダブルスタンダードを都合に応じて使い分ける
144. 信者の二重思考の核には心地よい妄想と、結果に対して無責任で済む心の進化なる現実逃避の階梯を与えてくれる長老に対する信仰を守ること以外なんら一貫性がない
145. スマナサーラ長老は信者が少なかった頃はもう少し表面的には謹み深かったことで知られる
146. こういったグルと狂信者拠り合って異様な信仰に陥る様をグルイズムと呼ぶ
147. 日本テーラワーダ仏教協会はネットを商用しているが長老はネットを肥溜めと呼び批判封殺している
148.「自分は良くて他人はダメ」これが日本テーラワーダ仏教協会の真理である