【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践17at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践17 - 暇つぶし2ch1007:神も仏も名無しさん
19/10/09 11:21:37.01 FcNu5+ps.net
>>975
テーラワーダではしっかりと分析して分別した結果、戯論(妄想、言語的概念化)はなくなり智慧が得られるとする立場をとります。
テーラワーダにとって勝義諦は無分別ではないですが、戯論寂滅していると言えるかもしれません。

1008:神も仏も名無しさん
19/10/09 11:35:25.66 FcNu5+ps.net
正思 その8 無分別智
URLリンク(budda.at.webry.info)
正思 その10 非戯論
URLリンク(budda.at.webry.info)

1009:神も仏も名無しさん
19/10/09 23:17:13.79 AQEw+0ri.net
有無については何かが有であるとか無であるということにこだわる自分がまずなくなる
そうなると現象上の有や無がどちらでもいいし自分にとって同じことになる
そうなると自分の心身上において現象上に現われる有や無ということはこれまでと変らなくてもそれらの概念から自由になっている
有も無も現象上の現われに過ぎなくなっている

1010:神も仏も名無しさん
19/10/10 00:04:27.40 qeRiW0kz.net
中道…

1011:ポッタン師
19/10/10 06:25:50.17 Tpg4iZCY.net
985.バカ丸出し、である、よ。
大爆笑である。

1012:神も仏も名無しさん
19/10/10 08:06:53.21 upmZgglw.net
>>983
ありがとうございます。
> テーラワーダではしっかりと分析して分別した結果、戯論(妄想、言語的概念化)はなくなり智慧が得られるとする立場をとります。
上記についてはそのとおりだと思います。
> テーラワーダにとって勝義諦は無分別ではないですが、戯論寂滅していると言えるかもしれません。
上記については一考の余地があるのではないかと思います。
「分別」と「戯論」の関係を調べる中で、詳しく論じられた下記の資料を見つけました。
URLリンク(otani.repo.nii.ac.jp)
上記資料の中で、
『龍樹は「分別は戯論より生ずる」と延べ』たとし、
下図のような「真実の世界」から「戯論」を経て「分別」が生じる機序を説明しています。
URLリンク(i.imgur.com)
この機序を正しいとすると、
戯論が寂滅していれば、分別も生じないことになり、
テーラワーダにおける勝義諦は「無分別」ということになります。
もしかすると、「分別」の意味の捉え方で見解が分かれるのではないでしょううか。
「分別」を「区別」の意味で捉えると、
テーラワーダにおける勝義諦には色、心所、心、涅槃という区別が
あるため、「分別」しているということになります。
一方、「分別」を上記資料のように『「戯論」によって作り出されることばの世界』の意味で捉えると、
テーラワーダにおける勝義諦では戯論が寂滅しているため、「分別」は生じないことになります。
瑣末な議論を重ねてしまい申し訳ございませんが、
(これこそ「戯論」ですねw)
見解をご教示いただけますと幸いです。

1013:神も仏も名無しさん
19/10/10 10:18:10.20 3s9qUN3a.net
>>988
『中論』の第18章5偈
業と煩悩とが滅びてなくなるから、解脱がある。業と煩悩とは分別思考から起る。ところでそれらの分別思考は形而上学的論議(戯論)から起る。しかし戯論は空において滅びる。
(中村元訳)
行為(業)と煩悩が尽きることによって解脱がある。行為と煩悩は分析的思考(分別)による。それら(の分別的思考)は概念化にもとづく。しかしながら概念化は空において抑止される。
(斉藤明訳)
papañcaを中村先生は漢訳に従って戯論と表し斎藤先生はより分かりやすく概念化と訳しています
しかしこの戯論(概念化)に基づいて分別思考が起きるというのは、あくまで大乗仏教の龍樹の説であり、分別思考をする部派仏教のアビダルマ哲学への批判ではないかと思います
一応、部派仏教テーラワーダのスマナサーラも
「非戯論の世界とは、一切の妄想概念から解放された自由の境地、いわゆる涅槃のことです。」
とは言っています
但し勝義諦の他の3つの色、心、心所は非戯論であるとは言ってはいません
ですからテーラワーダにおいて戯論寂滅しているのは勝義諦の中の涅槃に限定されるということです
一方で、戯論(概念化)の対象は施設されたもの、つまり世俗諦であるというのは部派仏教でも大乗仏教でも変わらないようなのがややこしいところです
その世俗諦の施設の内容も部派仏教と大乗仏教では異なります
詳しくは下記のWikipediaを参照してください
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)(%E4%BB%8F%E6%95%99%E7%94%A8%E8%AA%9E)
こう考えると
「非戯論の世界とは、一切の妄想概念から解放された自由の境地、いわゆる涅槃のことです。」
というスマナサーラの言も「ん?」と思えてしまうんですねけどね
微妙ですし難しいですね

1014:神も仏も名無しさん
19/10/10 10:42:40.42 74g53Gno.net
ということは、「経典読んでて悟った」というのは普通にあり得る話なのか。
しかしそれも、徹底的に精密に分析した結果として洞察が生じる(慧に至る)
ということで、それ相応の下地のあることが前提だろうけれども。
アッサジの言葉を聞いて即座に預流果に悟ったサーリプッタなど、そうした
エピソードは龍樹登場以前からあったわけで、龍樹の空観が仏陀と比較して
特別優れているとは思わないけどね。

1015:神も仏も名無しさん
19/10/10 10:53:12.95 3s9qUN3a.net
>>989 の補足
心 、心所 、物質 、涅槃という事実 、真実 「勝義諦 」の立場でここまで分析とまとめ ・統合の解説が進んできました 。
ここからは施設 「世俗諦 」の分析が始まります 。
統合というほど厳密ではなくても世間の常識でまとめた車 、家 、国家などの曖昧なものごとも 、 「それは真理の立場からは戯論だ 」などと捨てるのではなく 、
世間でそのように成り立っている施設が 、どのように成立し 、どのように作用しているかを分析して 、その功罪を知っておくことも 、アビダンマの仕事なのです 。
(藤本晃『アビダンマッタサンガハ』を読む)
URLリンク(i.imgur.com)
この著書によると、戯論は施設「世俗諦」のことであって、真実である心、心所、物質(色)、涅槃という「勝義諦」は戯論には当たらないようにも読めますね

ですからスマナサーラの
「非戯論の世界とは、一切の妄想概念から解放された自由の境地、いわゆる涅槃のことです。」
には「ん?」と思ってしまうわけですねw

1016:神も仏も名無しさん
19/10/10 11:00:27.33 3s9qUN3a.net
>>990
>龍樹の空観が仏陀と比較して特別優れているとは思わないけどね。
龍樹は仏陀を超えることを目標としていたわけではなく、「ブッダに帰れ」というスローガン?の基に空観を提唱?構築?していったので、
仏陀と比較して優れているとかそういう比較は違うと思いますが

1017:神も仏も名無しさん
19/10/10 11:01:50.49 74g53Gno.net
中論もアビダルマも、そこまで精密に読む人って仏教徒のなかでも小数じゃなかろうか。
心、心所、物質が無常、苦、無我で、涅槃が(生老病死からの)自由の境地だとすると、
スマ長老の説明は、修道上は必要十分なんじゃなかろうか。

1018:神も仏も名無しさん
19/10/10 11:05:27.73 74g53Gno.net
>>992
それは失礼しました。
龍樹はすごいなぁと思うんですが、「小乗仏教」がどうのこうのと言ってくる大乗仏教徒に
対しては、「それってあなたの頭の中の概念ですよね」、と言いたくなってしまうことがよく
あるもので。

1019:神も仏も名無しさん
19/10/10 11:24:02.02 hDxt+2MS.net
君の比較分別も頭の中の事に見えるけど

1020:神も仏も名無しさん
19/10/10 11:29:40.03 74g53Gno.net
わたしは悟ったわけでも解脱したわけでもなく修行中ですから、当然、ふだんは自我が考えてます。
自我の停止を経験したことはあっても、そんなもん一過性のものですから。
ただ思うのは、昔から応病予約と言われているように、仏教に大小があるのではなく、方便が違うだけ
なんだろうなということ。
つまり処方箋が違うだけなのだろうな、と。
患者同士が、おれの処方箋の方が上だとか、デカいとかドヤってるのって、滑稽ですよね。

1021:神も仏も名無しさん
19/10/10 11:40:38.78 3s9qUN3a.net
>>993
スマナサーラはテーラワーダのアビダルマ論に沿って大乗仏教やヒンドゥー教などを批判しているので、
彼の著書を読む人はテーラワーダのアビダルマに直接・間接的に触れてることになると思います

1022:神も仏も名無しさん
19/10/10 11:42:44.43 74g53Gno.net
それから、百聞は一見にしかずとも言いますね。
例えば日常生活でも、ググるだけの人が街の様子を知るためには、詳細情報が必要です。
しかし実際に歩いて現場に行く人には、簡単なメモで事足ります。
座学も大切だし役立つと思いますが、わたしはテキストを読むだけではなく瞑想実践を
進めていきたいと思っています。
特に、自分はもう若くはないので時間がないからです。

1023:神も仏も名無しさん
19/10/10 12:17:55.28 Nt/+rh2s.net
>>991
ありがとうございます。
> 戯論は施設「世俗諦」のことであって、真実である心、心所、物質(色)、涅槃という「勝義諦」は戯論には当たらない
私もテーラワーダの勝義諦においては戯論は寂滅していると思います。
(文献は探せていませんが、『テーラワーダにおける真諦である「勝義諦」でも「戯論」が生ずる』とは言いにくいのではないかと・・・)
これまでご教示いただいたお話で、大分「分別」への理解が深まりました。
ありがとうございました。

1024:神も仏も名無しさん
19/10/10 12:34:29.10 nHHO0w8u.net
大乗だったらより簡単なメモになる
「涅槃の生の現象としての生をいま生きている」
仏陀は相手に合わせてそれを説いただけ
個別具体例が整合性があることが仏法の真理の証ではあるが
その個別具体例を全てつなぎ合わせて理論化しても意味がない
間違ったエリート主義に陥っている
仏陀が説いた相手は古代インドの人々だ
今生で何人分の人生を生きようと思うのか?
古代インド人の人生を

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