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■田中智学の「国立戒壇」論が時流を背景に拡散
日蓮大聖人が示されたのは「本門戒壇」のみ
まず、国立戒壇なる語は、もともと明治三十五年に、
在家日蓮主義の国柱会(日蓮正宗とは無関係)の創始者・田中智学の著『本化妙宗式目』中で初めて使われたもので、当時の時流であった日本国体思想に合致して、大いに使われるようになった。
いうまでもなく、明治以前の御歴代上人の御指南や、宗祖の御金言中には、国立戒壇なる語は、ただの一箇所も見られない。
田中智学の国立戒壇論は、発絋一宇(はっこういちう)という日本書紀中の神武天皇の詔(みことのり)と、日蓮主義とを結びつけた思想で、発絋一宇(世界を一つに統一する)を、日蓮主義を根本に実現させる、というものである。
ついでに言っておけば、顕正会の軍隊式の組織運営も、戦時下の国粋主義に酷似(こくじ)しかねないことが、公安からマークされる所以(ゆえん)である。
血脈付法に対する信心欠如の証明。 そのような輩は
「此の経は相伝に有ざれば知り難し」(御書 九二頁)
と仰せのごとく、法義を異解(いげ)してしまうのである。
(慧妙 平成28年11月1日号)