【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践16at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践16 - 暇つぶし2ch918:桃太郎
19/05/31 18:42:57.94 KKged6Qq.net
<二乗永不成仏>
声聞・縁覚の二乗は永久に成仏できないこと。
爾前の諸大乗教では、二乗は永久に成仏できないと弾呵されたことをいう。
二乗不作仏ともいう。
日蓮大聖人は「開目抄」に仰せだ。
「もろもろの声聞らは、前四味の爾前経においては、どれほどの呵嘖をこうむり、
人天大会の中で、恥辱がましきことを数知れず受けた。
そのゆえに迦葉尊者の泣き叫ぶ声は三千世界をひびかし、須菩提尊者はぼう然として手の一鉢を捨てた。
舎利弗は食べている飯を吐き出し、富楼那は宝器に糞を入れているような下劣な人間であると嫌われた。
世尊は初めて成道した時、鹿野苑において阿含経を讃歎し、二百五十戒を師として修業せよなどと、ねんごろに褒めさせ給うておきながら、
今また、いつの間に自分の所説を、このようにまで謗り、声聞の弟子を弾呵されるのであろうか。」と。
当然、二乗の修行の極果である、阿羅漢も成仏できない。
...と、爾前教(法華経以外の教え)では説かれている。
まぁ、在世の阿羅漢と言えば大抵外道出身のエリート僧が大半らしいけどね。
だから、エリート意識や、慢心、利己主義的な心が無意識の中にあったんだろうね。
ちなみに、爾前権教では、女人、五逆罪を犯した者、二乗の修行者は成仏できないと戒められている。
ところが、一転して法華経にきて、これら不成仏の衆が、ことごとく「成仏」を許される。
ゆえに、法華経は難信難解(信じ難く解し難し)なんだよ。
いわば、「不成仏」と弾呵する釈尊の心は一つの戒めだろうね。
仏は最初から、誰一人見捨てる事はしない。それが仏の慈悲というものだ。
不良の子どもがいて、見捨てる親がいないように。

919:神も仏も名無しさん
19/05/31 18:58:26.01 Xz++FDJ/.net
日蓮が言うから正しいとするのは日蓮宗、創価学会の中でのみ有効な論理だろうな

920:桃太郎
19/05/31 19:11:38.99 KKged6Qq.net
爾前教に於いては、十界の衆生を隔別に説いたが
随自意の法華経に於いては、その考え方を根本的に乗り越え、
十界のいかなる衆生も仏界を顕し、成仏する可能性をもっているとの変革の原理を説いたのが、法華経の十界互具である。
ゆえに、二乗永不成仏はそのまま、他の八界の不成仏となる。
端的に言えば、仏界とはどこにあるか。ほかでもない、二乗界にある。
逆に、二乗界とはどこにあるか。ほかでもない、菩薩界にある。また仏界にもある。
生命観の大転換です。
法華経提婆達多品において、最初に成仏したは「竜女の成仏」
畜身であり女人である竜女の成仏を説く事で、法華経による一切衆生の成仏を説き顕わしたのです。
物語の中では、「竜女の成仏」を舎利弗が非難して曰く
「なんで、おめー女人のくせしやがって、俺より早く成仏出来んだよ、オラー」
「成仏するには、すげー長い間何度も生まれ変わって修行して初めてなれんだぞ!」
「即身成仏なんてありえんだろうがぁー!」と言ったとか言わなかったとか。(笑
そこで、竜女曰く「「舎利弗よ、これを『竜女の成仏』と思うのが見当違いなのだ。『我(舎利弗自身)が成仏』なのだと観ていくのだ、
と(竜女が舎利弗を)責めたのである」」と経文には書かれてある。
法華経がそれほど偉大な経文あることを比喩を通して説かれてあるのです。

921:神も仏も名無しさん
19/05/31 19:23:40.29 Qi42maL7.net
桃さん回答ありがとう。
一つ疑問があるんですが、成仏するために、
その前段階である阿羅漢になってないといけないわけではないんですか?
私の理解では、阿羅漢に至った後、さらに修業を続けて仏を目指す、と思っていたんですが。

922:神も仏も名無しさん
19/05/31 19:35:18.81 PSKrV9Nr.net
>>885
全員が出家じゃないからね。

923:神も仏も名無しさん
19/05/31 19:38:09.03 PSKrV9Nr.net
世界宗教の聖書の宗教も、全員がラビや牧師、つまり聖職者ではない。

924:神も仏も名無しさん
19/05/31 19:50:46.84 Xz++FDJ/.net
道元は大乗も上座部も同じ一つの仏教だとしたよな
これが本物、単純な事実、格の違い

925:神も仏も名無しさん
19/05/31 19:51:10.91 PSKrV9Nr.net
禅宗に乗り込んで折伏しようとしても、返り討ちに遭うだけ。
テラワダも同じ。
成仏して下さい。

926:神も仏も名無しさん
19/05/31 20:24:06.56 PSKrV9Nr.net
処方箋が正しいかどうかは、患者による。
それはどの処方でも同じ。
日蓮が打った大芝居も処方箋のひとつ。

927:神も仏も名無しさん
19/05/31 20:54:14.06 34+hAoLN.net
上の方で機根云々の話も出ていたけれど、
同じ病状でも、個々人の体質や合併の症状や耐性体力アレルギー等で
薬の成分や処方を変えるのと同様、機根に合わせて説かれたから、八万四千と言われるわけで。
「機根」に合わせず、唯一種類の薬を処方し続けるのが、日蓮系の愚行でしょうに・・w

928:神も仏も名無しさん
19/05/31 22:59:55.54 Xz++FDJ/.net
そもそも末法の世という認識が正しかったのかどうか

929:神も仏も名無しさん
19/06/01 09:34:33.67 eCqLHxsG.net
日蓮とスマナサーラって自分ところが正しくて他は間違いとするところで似てるね

930:神も仏も名無しさん
19/06/01 10:20:50.79 FaXYwUmt.net
偏狭な大乗ってしかし妙ちくりんな宗派だな

931:神も仏も名無しさん
19/06/01 10:27:52.83 cmWDLL8C.net
そうかって冥想するの?

932:神も仏も名無しさん
19/06/01 11:33:57.45 OeWVQxTg.net
日蓮聖人は、
「妙法五字の光明に照らされて本有の尊形となる」(『日女御前御返事』) 「妙法蓮華経の五字に照らされて、私たちが本来持って生まれてきた尊い姿のとなる」
「心が統一され、安定した状態。一つのことに心を専心して無念になる」
という境地になる と述べられています。
この境地を「唱題三昧境」(唱題による深い瞑想の境地)といいます。
URLリンク(www.honsyoji.jp)

933:神も仏も名無しさん
19/06/01 15:20:48.26 1/rl0CYV.net
三昧に入るには精神統一が不可欠だから、(五蓋の)疑があったら入れない。
瞑想じゃないよ、といいながら瞑想させる。
ニンジンが食べられない子どもに、ニンジンケーキを作って食べさせる母親と同じ。
ニンジンが好きで、すすんで食べる子には別に必要ない。

934:神も仏も名無しさん
19/06/01 15:23:02.73 1/rl0CYV.net
今ひとつの理由は、
日蓮が活躍した当時の日本においては、宗派が乱立して、何が本当の仏教なのか
一般人には見分けがつかなくなっていたはず。
そこで、何でも良いから信じられる対象、一心不乱に熱中して精神を傾注できる
対象を与えるしかなかったのだと思う。
それが念仏であったり、お題目だったなら一応理屈は通るし、理解できる。
各人が各様に解釈した仏教概念は、いわば「想像の象」に過ぎないので、そうした
ものを一片に捨て去って、とにかく何かひとつの方便を信じさせ、精神統一させる
必要があったのだろう。

935:神も仏も名無しさん
19/06/01 15:24:41.75 1/rl0CYV.net
いまはもう第六結集を経たパーリ三蔵経典にも、経典を解釈できるサンガにも
世界中どこからでもアクセスできるので、日蓮の時代とはだいぶ状況が違う。

936:桃太郎
19/06/01 18:00:01.83 SzdrW9bF.net
>>916 
それは日蓮宗の教義であって、創価学会のとは違います。
瞑想など必要ありません。
ただ、唱題行と折伏のみ、そこにすべての修行が含まれているとします。
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我らこの五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまう」
「如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」
これに尽きる。

937:桃太郎
19/06/01 18:00:39.31 SzdrW9bF.net
>>911
>「機根」に合わせず、唯一種類の薬を処方し続けるのが、日蓮系の愚行でしょうに
法華経はそもそも、末法の衆生のために説かれたものと言ってよい。
在世の衆生は元々過去世に於いて釈迦如来と仏縁を結んだ衆生であるから、
衆生の機根次第では、原始仏教(小乗教)でも権大乗経でも得道することも出来た。
ところが、「五の五


938:百歳」すなわち仏滅後2000年後の末法に於ける衆生は釈尊とはまったく縁の無い。(本未有善) その時に、法華経の経典には「上首上行菩薩(地湧の菩薩)が出現して末法の法華経を説くであろう」と記されている。 法華経従地涌出品では、多くの阿羅漢や大菩薩達が、「末法に於いて命を賭けてこの尊い法華経を弘めます」と誓願するが、 釈迦は「止みね。善男子よ。汝等が此の経を護持せんことを須いじ」とこれを制止した。とあります。 すなわち釈尊は上首上行菩薩をはじめとする(地湧の菩薩)眷属にのみ末法の「法華経」を託したのです。 ここで予言されている「上首上行菩薩」とは言うまでもなく外用の立場で日蓮大聖人であり、その内証は「久遠元初自受用身如来」であられるのです。 結論から言うと末法の衆生への処方箋は「南無妙法蓮華経」ただひとつなのです。 法華初心成仏抄に曰く 「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」 素直に信じようが、信じまいが、とにかく尊い法華経を聞かせてあげなさい。 信じるものは速やかに仏になるし、謗ぜん者は毒鼓の縁となっていったんは地獄に墜ちるが仏縁を結んだことにより、必ず最後は成仏するという意味です。



939:神も仏も名無しさん
19/06/01 19:23:52.38 Vnvt7pRE.net
>>918-919に尽きてるだろう

940:神も仏も名無しさん
19/06/01 20:19:59.30 1/rl0CYV.net
仏教の教授期は、二度目の2500年周期に入ったらしいので
いまは正法に接することができる時代。
この2500年が終わると、もうこの世界では次の弥勒仏まで
解脱の教えに出会うことはできないらしい。
つまりいまがチャンス。

941:神も仏も名無しさん
19/06/01 23:15:46.39 7b+bFC8F.net
20世紀からが正法が蘇ってくる時期に当たるのかな?
だとするならば
桃太郎さんもひょっとしたらワンチャン日蓮さんを超えるかも知れないんだよね

942:神も仏も名無しさん
19/06/02 01:23:33.92 ibiK3L9x.net
なんか法華経信心する夢見たw
桃太郎のせいだと思うけどw
これで自分もいつか成仏するんだろうかw

943:神も仏も名無しさん
19/06/02 01:25:07.64 ibiK3L9x.net
ちなみに現実では信心するつもりはないw
これからもテーラワーダ信じていきますw

944:神も仏も名無しさん
19/06/02 11:56:39.58 8232q7hE.net
それ折伏されとるのでは…

945:神も仏も名無しさん
19/06/02 12:12:47.93 ibiK3L9x.net
www

946:神も仏も名無しさん
19/06/02 13:05:16.62 RhWV1mR7.net
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)

947:桃太郎
19/06/02 18:18:54.03 0czi4x3f.net
>>924
あっははは。www
正直な人だね。
>>925
それでいいんだよ。(笑
私が日蓮仏法を書き込む目的は「動執生疑」を促す事なんだから。
私が君たちの立場だったら、そんなに簡単に自分の信仰を変えるわけないよ。
そんなことは最初から分かっている。
君たちからも色々学ぶことはあるよ。
ただ、宗教的信念の上から安易に妥協することは無いんだけどね。

948:桃太郎
19/06/02 18:20:44.64 0czi4x3f.net
ごめん。
上のアンカーひとつずれている。
>>925-926 だね。

949:神も仏も名無しさん
19/06/03 00:05:46.66 9DmovS4l.net
透明あぼんに戻した。

950:神も仏も名無しさん
19/06/03 02:09:14.14 Lor0O6RC.net
あと少しで有身見から離れられそうなのだが、最後の一歩が果てしなく難しい・・・
思いの手放しだけでは駄目で、無常についての真の理解(体感)が必要なことは分かった
ただそのためにはある種の執着を断たねばならない

951:神も仏も名無しさん
19/06/03 09:12:45.48 lZhDGsPS.net
預流向というものですね。
智慧が生じて煩悩が生じなくなるのだから、頭で理解するのではだめなんでしょうね。
心が変化して、もう二度と戻らないようになる必要がある。
あと一歩とのことなので、達成できるのではないでしょうか。
いい結果が出ることを祈ります。

952:神も仏も名無しさん
19/06/03 09:15:55.45 c/ijRdcF.net
なんか現代に於いては出家って胡散臭いと思ってしまうのは私だけか?内7割ぐらいはただ働きたくないだけなんじゃないの?
クラウドファンディングみたいに、その人の背景や出家に至った理由などが明らかで、支持したい人を支持できるというのならわからなくもないけど
なのでダンマ中心に回ってる組織のほうがまだ健全なのかなって気がしてしまう、まあそこにもトリックがあるのかも知れないけど

953:神も仏も名無しさん
19/06/03 09:34:23.87 lZhDGsPS.net
それはあるでしょうね。
どの国か忘れましたが、東南アジアのある貧しい国では出家している人が20%もいるようです。
wikiで見ました。これなんかは生活していくためなんでしょうね。

954:神も仏も名無しさん
19/06/03 17:13:47.36 9DmovS4l.net
出家全体のうち、尊敬を集めているのは極一部。
街中の観光寺と、森の中とは違うし、自立している人と、依存している人の差も
実際には顕著だと思う。
ただしこれは個人としてみればの話で、サンガとしてみればまた別かな。

955:神も仏も名無しさん
19/06/03 17:16:07.35 9DmovS4l.net
まぁ、出家できるんだったらつべこべ言ってないでした方がいいと思うよ。
世間の尺度でどう評価されようが関係ない。気にするべきじゃない。
どうせ“世間的には”無価値な乞食でしかない。

956:神も仏も名無しさん
19/06/03 17:21:49.64 9DmovS4l.net
働くのが嫌なだけで出家しても、出家って修行するのが仕事だから
その意味では早朝から夕方までずっと仕事だし、休みは一日もない。
やる気がある人にとっては充実した毎日になり得るが、やる気が逃避
しても脱落するか、ただの辛い日々になり兼ねないのでは。

957:神も仏も名無しさん
19/06/03 17:27:21.10 9DmovS4l.net
正式な出家って戒律に則った集団生活だから、個人的な都合で仕事しないで
怠けてるってことはできないはず。
ここでいう仕事とは、三学(戒定慧)=八正道のこと。

958:神も仏も名無しさん
19/06/03 18:22:08.79 Lor0O6RC.net
>>934
ありがとう
一晩寝て考えを整理したら、少しずつ分かってきた
「自己の無常」と「自己の非所有」というのが鍵だった
心の変化というより、気づきの実感が必要だった模様
まだ完全に分かったわけではないけど、完全な理解というのもあるのかどうか分からない

959:神も仏も名無しさん
19/06/03 20:53:40.68 EFgpiLZs.net
いずれにしろ、
日本(日本社会)では不可能、
ということには変わりないがw

960:神も仏も名無しさん
19/06/03 22:31:03.10 9DmovS4l.net
唯物論が間違いだということを、物的証拠として求められる世の中なので
越えなきゃ行けないハードルは多い。

961:神も仏も名無しさん
19/06/04 01:13:19.15 ENTl3cKe.net
唯物論が間違いだと分かる人はかなりレベルが高い人なんじゃないかと思っています。

962:神も仏も名無しさん
19/06/04 01:15:33.31 ENTl3cKe.net
それか霊的に大きな経験をしたかじゃないでしょうか。

963:神も仏も名無しさん
19/06/04 10:54:30.80 fwZbwSYN.net
もし唯物論が正しいなら、すべての宗教は迷信という結論にしかならんと思います。
「神は死んだ」です。
でもこれって、レベルでいったら中高生レベルの思索ですよね。
人間が人間の中に生みだした概念が、ただの概念でしかない(=迷信)だなんてことは
当たり前でしょう。
現代人の科学信仰は迷信レベルなのに、そのことに無自覚。。
レベルが低すぎなんですわ。

964:神も仏も名無しさん
19/06/04 10:56:02.10 fwZbwSYN.net
仏陀や先人達がいってる智慧は、概念じゃないですからね。
その区別すらできないんだから、仏教が理解できない/されないのも無理はないのでしょうけど。

965:神も仏も名無しさん
19/06/04 11:10:21.64 FVoSubVn.net
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966:神も仏も名無しさん
19/06/04 12:56:20.42 PUn29p1Z.net
>>948
QUOカードだけもらうわ

967:神も仏も名無しさん
19/06/04 19:47:47.19 fwZbwSYN.net
デカルトだって方法序説で言ってることは、精神は捉えどころがないので
とりあえず観察対象を物質のみに絞りましょう、ってことであって
精神は物質です、なんて言ってない。
なのに現代人はかなりの人が精神が物理現象だと思ってる。
五感や思考に「実感」を感じている、その「実感」が、物理現象だと思っていて
五感と実感との区別ができてない。

968:神も仏も名無しさん
19/06/04 19:51:25.92 fwZbwSYN.net
(瞑想をしない)ほとんどの人は sensation と realization が同じものだと思ってる。
これは正しくないと思う。

969:神も仏も名無しさん
19/06/04 21:07:03.42 03xmiEMs.net
クオリアの問題。
また、唯物論的思考にも強弱の段階がある。
それくらい基礎知識じゃね?  >>ALL

970:神も仏も名無しさん
19/06/04 21:13:06.36 03xmiEMs.net
特に、こういうスレだと、皆、「物しか存在しない唯物論」一種としか考えてないしね。
愛や友情や悲しみや喜びが無いとまで言い出す始末w
人殺しも問題ないんだろ?wとか悦に入る輩の何と多いことか・・。
そういう問題じゃねーだろ?と。
アートマンを認めるが如く、スピリチュアルな何がしか(エネルギーか霊体かアストラル体か知らんけど)
を認めるくらいなら・神智学のように真我を認めるくらいなら、
甘んじて唯物論の烙印を受容するさ。 ( >>宝珠 w )

971:おじゃる?
19/06/05 09:54:12.61 3RlqvbJq.net
 
>>951
sensation
感覚?知覚?
realization
実現?理解?実行?
感覚・知覚があって
そして
それから理解がある?
たとえば
戒から定(三昧)を生じ
定によって智慧を得
智慧によって解脱に到達し
解脱によって解脱智見を知る
解脱智見とかのことでつか?
日本語で
ご教示よろしくお願い致します m(_ _)m

972:神も仏も名無しさん
19/06/05 16:23:31.47 6uFKi/7u.net
目の前にリンゴがある
リンゴは実体と思う(当たり前)
しかし、そのリンゴは視覚に取らえられた情報でしかない
リンゴは実は頭の中にしかない

973:神も仏も名無しさん
19/06/05 16:25:29.10 6uFKi/7u.net
目の前にリンゴがある
手を伸ばしてリンゴにさわってみた
リンゴは確かにリンゴはある
しかし、そのリンゴは触覚に取らえられた情報でしかない
そのリンゴは実は頭の中にしかない

974:神も仏も名無しさん
19/06/05 16:27:13.24 6uFKi/7u.net
目の前にリンゴがある
リンゴに鼻を近づけて、匂いを嗅いでみた
たしかにリンゴの匂いだ
リンゴは確かにここにある。
しかし、そのリンゴは嗅覚に取らえられた情報でしかない
リンゴは実は頭の中にしかない

975:神も仏も名無しさん
19/06/05 16:28:29.34 6uFKi/7u.net
目の前にリンゴがある
そのリンゴをかじってみた
リンゴの味がした
たしかにリンゴ存在している
しかし、そのリンゴは味覚に取らえられた情報でしかない
リンゴは実は頭の中にしかない

976:神も仏も名無しさん
19/06/05 16:41:13.51 6uFKi/7u.net
りんごを
目で見て嗅いでみて味わってみて触ってみて
確かにリンゴは実体としてここにある。
これほど確かな事はない
しかしリンゴは実は頭の中にしか無い
と言っても......ね

977:神も仏も名無しさん
19/06/05 16:51:28.23 PaQbMgOx.net
目の前にリンゴがある
そのリンゴをケツの穴に入れてみた
直腸にリンゴらしき感触がした
たしかにリンゴはある
しかし、そのリンゴは直腸で取らえられた情報でしかない
リンゴは実は頭の中にしかない
いやケツの中にもある

978:神も仏も名無しさん
19/06/05 17:33:19.78 3RlqvbJq.net
 
sensation と realization の意味がわからなかったので
とりあえず
パオ・セヤドー realization で検索すると
URLリンク(yamaneko.hatenablog.jp)
…パオ・セヤドーは
パーリ三蔵全体とその義註及び複注における
相互の関連性を引用しつつ
《涅槃証悟の唯一の道》
(The Only Way for the → Realization ← of Nibbāna)という
当該の著書を完成させたのである
  _  _  _
sensation ではなくて
パオ・セヤドー feeling で検索すると
ルアンポル・ティエン師の瞑想法(気づきによる瞑想)の特徴
You should understand that awareness means only → feeling ← or knowing,
not more than that, not anything additional to that.
気づきというのは、ただ感じがあるだけ、または、ただ知っているだけで
「もっと深い意味がある」と思ってはいけません
仮設としての
無明に依存して
渇愛に依存して
妄想に依存して
「もっと深い意味がある」と我執してはいけません
(自分の心身の中に、恒常不変の実体があると考えて執着する我執 >>953宝珠タソ?)

979:神も仏も名無しさん
19/06/05 18:35:55.58 oPIMiffn.net
諸法が縁起する中、
 ≪縁起しない「わたくし」≫
なんぞ、どうして認めることができようか・・。

980:桃太郎
19/06/05 18:37:53.00 sLqarIKF.net
ビルの頂上から飛び降りてみた。
眼下にコンクリートの地面が見える。
しかし、その地面は視覚に取らえられた情報でしかない
地面は実は頭の中にしかない。
そして、それが最後に見た光景となる。...と言ってもね。(笑
映画マトリックスの見過ぎだよ。
映画の中じゃ、本当に死んじゃうんだけどね。

981:桃太郎
19/06/05 18:40:36.96 sLqarIKF.net
>>962
その通りだ!グッジョブ!

982:桃太郎
19/06/05 18:56:56.54 sLqarIKF.net
諸法実相だよ。唯識でも唯物でもない。
「諸法は縁より生ず」とあるように、霊魂とか個我などの実体を想定せず、一切の事象は互いに他との関係性によって生じている。
 人間の認識についても、六つの感覚器官と六つの対象との対応関係から識別が生じ、
それによって、接触と感受と表象と意思と統一作用と生命力と注意などの諸法が生起する。
したがって、そこには、主観が先か、あるいは客観が先かといった論が起きるはずがなく、
また、認識の恒常的な主体を立てるという論もありません。
 私たちは通常、まず自分(恒常的な主体)があり、その自分が対象を認識するというように考えがちですが、
仏教本来の立場からいえば、それは迷妄にすぎない。
本当はそうではなく、自分という考えが浮かぶのも、じつは六根と六境と触れあった後に起こっているのです。

983:神も仏も名無しさん
19/06/05 20:17:11.42 xqbGoRBU.net
それを智慧で体験的に知るのか、哲学的・論理的に概念として理解しているのか
そこの差はでかいと思う。

984:神も仏も名無しさん
19/06/05 21:48:33.74 3RlqvbJq.net
 
>>962
(たぶん宝珠タソには
  仮設・空性・相互依存とかは無理だと思うけど)
了解で おじゃります m(_ _)m
  _  _  _
>>951
sensation と realization の説明が
>>966ということで良いのかしらん?

985:神も仏も名無しさん
19/06/05 23:29:11.97 xqbGoRBU.net
感覚という物理現象に実感を感じているのは、感覚とは別の精神現象だということです。
仏教用語で厳密に何というのかはよく知りません。
sensation と realization の違いとは、名と色が別物だということで、
知識と体験の違いとは、名と色が別物だということを知識として知っているのか
洞察(体験)によって知っているのかの違い、ということだと思います。

986:神も仏も名無しさん
19/06/05 23:40:06.28 3RlqvbJq.net
 
>>968
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

987:神も仏も名無しさん
19/06/06 00:03:38.73 a7hL1GzH.net
 
URLリンク(pao.hamazo.tv)

無常・苦・無我を観る

生じては滅し、生じては滅しを繰り返しています
そういう「現れては滅して」を観て「無常」を知ります

縁によって変化だけを続けていることがわかり

「無我」であることを知ります
(「アートマンではない」ことを知ります)
URLリンク(docs.google.com)
マハシ・セヤドーは
ニッバーナというのは
認識できないという立場
それに対して
パオ・セヤドーは
認識できるという立場

988:神も仏も名無しさん
19/06/06 00:05:14.78 8zaAkiKu.net
色即是空だから仏教は物質を一元とする唯物論ではないよ。
色即是空は大乗仏教の言葉だが、中部か長文経典に仏弟子の阿羅漢と六師外道の唯物論者の問答もあったはず。
そこで仏弟子は唯物論を否定している。

989:神も仏も名無しさん
19/06/06 00:15:24.15 dRnuAnrs.net
>>970
その議論のソースを確かめてみないと判断できないけど、
両者が使っている「認識」という言葉の定義が違ってる可能性はないですか?
あるいは別の角度から言うと、お釈迦さまや阿羅漢の涅槃証悟は、果たして
「認識がない」という体験だったのかどうか。
お釈迦さまの感興の言葉なんかには、みたというニュアンスの表現で溢れて
いたような気がするのだけど。
認識というのは言葉としては、主体(主語)を想定する言葉だけど、悟りは無我
らしいから、言語として表現した時に、真逆の表現で同じことを言ってるという
事態はあり得るのかも知れない。

990:神も仏も名無しさん
19/06/06 00:18:18.79 dRnuAnrs.net
真逆の表現で同じことを言っている例としては、例えば
涅槃寂静と一切行苦なんかもそうじゃないかと思うんですね。
これ、コインの裏表で同じことのはずなので。

991:神も仏も名無しさん
19/06/06 02:25:59.98 f+eHTTEs.net
>>970
認識できる、認識できない、と言うときに
はたして「誰」にとってのことなのか、というところでつまずく
両者とも、「涅槃がある」ということについては異論はないとは思うが
心に起こる現象を言語で表現しようとするときに難しさが発生する
せっかく「わたし」を手放したのに、言葉にするときには「『わたし』を手放していない世界」に戻ってこなければならない難儀さ
おまけに話しても伝わらないし

992:神も仏も名無しさん
19/06/06 05:06:06.75 SmNxvyjE.net
なんで話して誰かに伝えなきゃいけない
と思うのか

993:神も仏も名無しさん
19/06/06 06:18:13.65 H8pa4Cqh.net
そこに、梵天勧請の裏の意味がある。 >>975
なぜ、お釈迦さんは菩提樹の下から立ち上がったのか?
(→立ち上がらざるを得なかったのか?立ち上がりたくなったのか?)

994:桃太郎
19/06/06 09:50:26.11 YJ3miZfi.net
本来、原始仏教では、あくまで自己の体験的覚証を得ることが最第一の関心事ですから、
理論的に論証しようとしたり、誰かと論争したりすることは頭から否定したでしょう。
究極の生命を体得するという修行だけに心を集中することが第一義ですから、それから逸脱する行為は邪道としてしりぞけられたであろうと思う。
「...は、こうである」「~のようなものだ」と言うこと自体が、聞き手に固定観念を植え付けるようなものであり、
初期の原始仏教では沈黙が最大の雄弁とされて、対話にすらならなかった。
ところが時代が変遷し、滅後約100年して前3世紀半ばアショーカ王の時代、
教団が多くの部派に別れ次第にアビダルマに傾斜して論争が頻繁に行われた。
仏法の理論化、テラワダもこの流れを踏襲しているように思われる。
逆に大乗仏教では天台の一念三千の法門にあるように仏教の完全なる理論と体系化が行われた。
仏は文字によって衆生を教導救済するゆえんである。
小乗仏教の理論化が誤りと言うわけではないが、体験的覚証を第一義とする原始仏教には一つだけ大きな落とし穴があるとされている。
それは、...【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践17で語るとする。※終了

995:神も仏も名無しさん
19/06/06 10:02:50.13 f+eHTTEs.net
>>975
話す必要がある人が居るからさ
悟りを求むる人が居るならば、可能な限り手助けしたい
全く心動かされないロボットではないので
心は動くんだよ
それに執着しないというだけで
慈悲の心には執着するのかといわれると、答えは難しいけど

996:神も仏も名無しさん
19/06/06 10:07:05.79 dRnuAnrs.net
うん。
まぁ、お釈迦さまのご遺言は、「怠ることなく勤め励みなさい」なのだが。

997:神も仏も名無しさん
19/06/06 13:43:07.78 f+eHTTEs.net
>>979
ありがたい言葉だよね
ブッダはいまわの際まで弟子たちに対する慈悲に溢れていた
悟りはある、と信じて常に気づきを保ち、瞑想を毎日行う、これに尽きると思うよ

998:神も仏も名無しさん
19/06/06 15:03:50.51 le3IZp1z.net
瞑想は大事だよな。
悟りを深めるには瞑想が必要不可欠といわれているわけだし。

999:神も仏も名無しさん
19/06/06 16:49:17.84 8zaAkiKu.net
修証一如
迷悟一如
煩悩即菩提
生死即涅槃
ですよ

1000:神も仏も名無しさん
19/06/06 17:01:39.66 68Nul4Ds.net
>>970
認識出来る
そう
認識しているものは、何か
重大問題

1001:神も仏も名無しさん
19/06/06 20:24:44.49 f+eHTTEs.net
>>983
何が認識しているのか、これを言葉で説明したり、説明されて理解するのは難しいので
最終的には自分で確認するしかないし、それが一番
瞑想しながら、色々去来する思いについて、「これはわたしの本性か?」
「わたしは本当にこの思いを望んで思っているのか?」
「この思いは無常なのか?」
などなど、思いを手放したり、脱線しては元に戻りしながらやってみるとよいと思う
集中を保てるにせよ、脱線するにせよ、無駄な瞑想というものはないと思うので

1002:駄々おじさん
19/06/06 20:36:26.37 W8co6OPK.net
>>121
あんまり仏教知らないけど、一瞬で現象が生まれるの意味はね、悪魔に訊いたよ。
正確にはにはお稲荷さんね、人間が一瞬でも想像した事柄は地縛霊が実際に憑依
して地上で起こしてしまわないと気が済まなくなるんだとか・・。マタイの五章
の28節もそういう話になると思う。良かったら教養の無い俺のスレを見てけろ。
【666】こっくりさんについて【狐狗狸】
スレリンク(spiritual板)

1003:こちらもコピペして帰る。
19/06/06 20:38:58.18 W8co6OPK.net
牛の首の意味と件(くだん)の意味がわかった。
これは地上で起きた怪談ではない。
あの世の秘密を漏らすと処刑するぞ、というあの世からの伝言だ。
NAVERの文を読むとわかりやすいが、このタイプの文章は全体から何を云わん
としているか?をハッキリと口にしてない空気を読み取らないといけない。
見張りに目撃されたA村から出てきた男はスサノオだ。
そして、後から口を揃えるように「そんな男はいない」と言ったAの村人たちは
あの世の共犯か、口外すると自分の身も危なくなるあの世の住人。一番怖いのは
今の今までこの怪談話が、あの世からの警告だと指摘する人がいなかった点。
誰もが話の意味をわかっていたんでは無いと思う。ネットなら何人かは
そのように解釈して書き込む人もいるのが自然だから。だから怖くなる。
誰もが意味を把握しないまま、読んで過ぎてしまっているところが。
不安だ、、いつも何故か、私だけが謎を解いてしまう役回りだから。
件(くだん)の件は、あの世で犯された女性の死者が腹いせに秘密を漏らそうと
する前に牛の姿にされてスサノオと同じ権力を持たせる代わりにその後で抹殺
されてしまうというあの世で起きる証拠隠蔽エピソードだったんでは?と思う。
アセンション
スレリンク(spiritual板)

1004:神も仏も名無しさん
19/06/06 20:42:33.48 W8co6OPK.net
つまり、お釈迦さまは確実に悪魔と対談しておきながら、人間には
その背景を説明せず終わった。だから俺が代わりに説明してやった。

1005:神も仏も名無しさん
19/06/06 23:05:54.67 xsESUC2J.net
悪魔ってのは時代のパラダイム、集団潜在意識みたいなものだと思うけどな

1006:神も仏も名無しさん
19/06/06 23:08:32.31 xsESUC2J.net
今だったら唯物論的な科学絶対みたいな潜在意識というのは強いから
これに気づいてない人に瞑想の話をすると人が変わったように軽蔑の態度を取ってきたりするでしょう
そういうのが悪魔の顕現だと思ってる

1007:神も仏も名無しさん
19/06/07 12:56:33.80 faLmEztv.net
お釈迦様の教えは口伝であるのに古い経典に「お経を読みなさい」とかいてあるのはどういうことですか?
経典なんかなかったはずですよ。

1008:神も仏も名無しさん
19/06/07 13:34:24.13 FEmIR2bq.net
効果があるからでしょ

1009:神も仏も名無しさん
19/06/07 14:04:42.78 FEmIR2bq.net
バーヒヤさん、それでは、ここに、このように、あなたは学ぶべきです。
『見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろう。
聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろう。
思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろう。
識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろう』と。
バーヒヤさん、まさに、このように、あなたは学ぶべきです。
バーヒヤさん、まさに、あなたにとって、
見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろうことから、
聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろうことから、
思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろうことから、
識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろうことから、
バーヒヤさん、それですから、あなたは、それとともにいないのです。
バーヒヤさん、あなたが、それとともにいないことから、バーヒヤさん、それですから、あなたは、そこにいないのです。
バーヒヤさん、あなたが、そこにいないことから、
バーヒヤさん、それですから、
あなたは、まさしく、この〔世〕になく、あの〔世〕になく、両者の中間において〔存在し〕ないのです。
これこそは、苦しみの終極“おわり”です

1010:神も仏も名無しさん
19/06/07 14:34:05.44 NdQlxLR9.net

>>970
>>972
>両者が使っている「認識」という言葉の定義が違ってる可能性はないですか?
ふ~む =^・・^= わかりゃんけど.とりあえず
URLリンク(suttanipata.com)
スッタニパータ 1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて
(無明に依存している我執)頭を裂け落とさせるものである
↓明知からの解脱智見?↑解脱智見からの明知?
URLリンク(www.wikidharma.org)
解脱智見
戒から定(三昧)を生じ
定によって智慧を得
智慧によって解脱に到達し
解脱によって解脱智見を知る
((仮設としての)
  我所もなく我もないけど
  それでも.とりあえず
  解脱の智慧をもって見る? → 知る?)

1011:神も仏も名無しさん
19/06/07 15:30:26.97 b7Oqtrg9.net
スピ系の本などによく自分に起きている現象(身受)を映画のスクリーンを
通してみているような状態
というのは仏教的になにか名前があるのでしょうか? 

1012:神も仏も名無しさん
19/06/07 16:08:55.17 j13IsXYl.net
大念住経にそのような記述がありますよ。
身をただ身とみる、受をただ受とみる、というのが。

1013:神も仏も名無しさん
19/06/07 16:10:39.71 j13IsXYl.net
違ってたらすいません。

1014:神も仏も名無しさん
19/06/07 16:22:10.00 FEmIR2bq.net
如実知見

1015:神も仏も名無しさん
19/06/07 16:23:18.13 FEmIR2bq.net
諸法実相

1016:神も仏も名無しさん
19/06/07 18:47:19.18 LpUon4EQ.net
マーヤ

1017:神も仏も名無しさん
19/06/07 18:55:51.24 8jt8I4WC.net
その場合の「見る」は、
はたして、「スクリーンの映像」を見るような「見る」でよいのだろうか? >>994-995
たとえば、生まれつき視覚ゼロの者も、身を念じて観察することは可能だろうし、
意によって身体を化作することも、経典の記述に従うなら可能だろうし。
(視覚の無い者は見ることができない、という制限は無かったと思う)
特にスピ系とか心霊系に多いんだけど、
「見る」「見える」って、 ≪(健常者が視覚に頼るような)『映像としての』見る≫ なんだろうか?

(たとえば「幽体離脱」なんかも、手術中の自分を
 【上空から】【見下ろして】【見ている】 なんて言い方が多いけど、
 それって、もろに ≪健常者の、映画鑑賞のような(絵コンテのような)見え方≫
なんだよね・・。 映像メディアが浸透する以前の見え方とかも、ちゃんとあるのかしらん? (´・ω・`))

1018:1001
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