【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践16at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践16 - 暇つぶし2ch670:神も仏も名無しさん
19/05/01 13:23:00.70 tVHK/fNj.net
ちゅーか、3に行っても1が滅してるわけではない
と言ったほうが良いのか
あと、慈悲の位置がおかしいと思う
慈悲は3の高さに現れてくるもの
現れてきても人が人に慈悲なんて実践できない
仏陀の慈悲の中で自他がなくなるのであって、自が施しを実践するものではない
と思うよ

671:神も仏も名無しさん
19/05/01 13:27:29.46 f2Mr1pei.net
「ええから黙って坐れ」の意味が分かってきた。
昔は「なんぞ、偉そうにクソ坊主が」と思っていたが。

672:神も仏も名無しさん
19/05/01 13:30:33.92 +3zaxn+K.net
1だけじゃ足りないから果てしない模索が始まる。

673:神も仏も名無しさん
19/05/01 13:54:59.49 +x4QGf5H.net
図を作ってる人は正しいと思ってなくて、自分で坐って直していってるから別に良いけど
これを正として分別してるメーテルは痛いだけ

674:神も仏も名無しさん
19/05/01 16:14:20.06 8rMJhiDv.net
すみません。初心者です。数息観をしていると気持ち悪くなってくるのですが、誰かちゃんとした方に教わったほうが良いのでしょうか?

675:神も仏も名無しさん
19/05/01 17:22:18.87 +x4QGf5H.net
自然な呼吸でやってますか?

676:神も仏も名無しさん
19/05/01 18:14:01.54 8rMJhiDv.net
>>663 はい、ゆっくりと呼吸をしながら1-10まで数えて10まで行ったらまた1に戻ります。

677:神も仏も名無しさん
19/05/01 19:20:28.17 +x4QGf5H.net
なるほど

678:神も仏も名無しさん
19/05/01 21:13:47.53 hsigf5NC.net
初禅入ると世界が変わるよね
禅定出ても別世界に居るみたいな感覚になる

679:神も仏も名無しさん
19/05/01 22:39:40.56 9rEyB4a4.net
ナワラタナ

680:神も仏も名無しさん
19/05/01 22:42:36.26 G2a6uWmL.net
ツイッターでプラユキさんにからんでたザゴがあまりにもかまってもらえなくて自滅してる

681:神も仏も名無しさん
19/05/01 22:56:57.63 hsigf5NC.net
ザゴ?誰?

682:神も仏も名無しさん
19/05/02 00:55:39.19 rL0ISSQg.net
仏=ほっとけ
悟り=さっと離
プラユキさんw

683:神も仏も名無しさん
19/05/02 21:33:12.03 9Y4gBOpO.net
仏=蝦蟇蚯蚓
悟り=身心脱落
道元禅師
合掌

684:神も仏も名無しさん
19/05/02 22:47:49.24 TDkS+2EB.net
ナワラタナ

685:神も仏も名無しさん
19/05/03 00:34:27.84 rX4dcazq.net
□■<11、ラーフラ>■□■
--------------------------------------------------------------------------------
335 [師(ブッダ)がいった]、ラーフラよ。しばしばともに住むのに慣れて、お前は賢者を軽蔑するのではないか? 諸人のために炬火をかざす人を、汝は尊敬しているか?」
336 (ラーフラは答えた)、「しばしばともに住むのに慣れて賢者を軽蔑するようなことを、わたくしは致しません。諸人のために炬火をかざす人を、わたくしは常に尊敬しています。」
以上、序の詩
337 「愛すべく喜ばしい五欲の対象をすてて、信仰心によって家から出て、苦しみを終滅せしめる者であれ。
338 善い友だちと交われ。人里はなれ奥まった騒音の少ないところに坐臥せよ。飲食に量を知る者であれ。
339 衣服と、施された食物と、(病人のための)物品と坐臥の所、─これらのものに対して欲を起こしてはならない。再び世にもどってくるな。
340 戒律の規定を奉じて、五つの五官を制し、そなたの身体を観ぜよ(身体について心を専注せよ)。切に世を厭い嫌う者となれ。
341 愛欲があれば(汚いものでも)清らかに見える。その(美麗な)外形を避けよ。(身は)不浄であると心に観じて、心をしずかに統一せよ。
342 無相ののおもいを修せよ。心にひそむ傲慢をすてよ。そうすれば汝は傲慢をほろぼして、心静まったものとして日を送るであろう。」
 実に尊き師(ブッダ)はこのようにラーフラさんにこれらの詩を以て繰返し教えられた。

686:神も仏も名無しさん
19/05/04 05:04:33.18 zpAeuhCK.net
□■<11、ラーフラ>■□■
--------------------------------------------------------------------------------
335 [師(ブッダ)がいった]、ラーフラ、めっちゃ一緒に暮らしてるのに慣れて、お前わしのことなめてない?
みんなのためにがんばってるわしのこと、お前尊敬してるか?」
336 (ラーフラは答えた)、「めっちゃ一緒に暮らしてるのに慣れて賢い人をなめるようなことなんてしてませんよ。みんなのためにがんばってる人を、僕はいつでも尊敬してますよ」
(マジか...ブッダでも尊敬してほしいんや...)

687:神も仏も名無しさん
19/05/04 10:34:06.40 tVuQyPuD.net
ワロタ
親子だからなぁ

688:神も仏も名無しさん
19/05/04 13:23:18.30 KW/p2mTn.net
ネタだと思うけどいちおう
賢者、灯火をかざす人 = サーリプッタ尊者
URLリンク(j-theravada.net)

689:神も仏も名無しさん
19/05/04 13:59:54.57 PfY7tLtG.net
最近分かったことですが、心の欲というものがあって、それに気をつけていると、
悪いことから離れやすくなるみたいですね。体の欲はなく�


690:ケないようだけれど、心の欲は滅せることができる。 両方合わさることによって、悪いことをしようという意思がおこる。心の欲を離れることによって、そういう行為から離れることができる。 基本的なことかもしれないんで、何を今更、と思われたら申し訳ないです。



691:神も仏も名無しさん
19/05/07 11:54:15.32 igTCpr8t.net
大切な事で
良いことじゃないですか

692:神も仏も名無しさん
19/05/07 19:11:43.45 sR+vyZfU.net
在家修行者でも両親への愛着を消すべきなのでしょうか?
また消せるのでしょうか

693:神も仏も名無しさん
19/05/08 01:32:50.08 gpDk0lvZ.net
そんなこと考えなくても良いよ
心のないことが善いのではなく
苦の生じない慈しみの心でご両親を抱きしめることが出来ることが善いのだ
と思います

694:神も仏も名無しさん
19/05/08 09:29:21.27 yCaLj+ju.net
貪瞋痴ではなく、智慧と慈悲に切り替えていけばいいのだろうと思っていますが
自分自身も同じ悩みを持っているので、アドバイスとかではないですねぃ。

695:神も仏も名無しさん
19/05/08 13:13:15.20 WAUZSY1j.net
それは同時なのではないかと考えているところなのですが
三毒を滅してもそこに空いた隙間に別の悪魔的、魔境的なものが入り込むのではダメなわけで
「捨てる」「滅する」と言った時、我々は本能的にそこに難しさを感じているのだと思うのです
三毒を捨てたらすぐに智慧や慈悲に置き換わるようでないとならない、なるべく隙間なく
実況中継でサティの練習をしてサティもどきからいつしか本物のサティに入れ替わるのと同じ様に
四諦八正道、慈悲の瞑想をスキなく心がけて、捨てたら滅したら置き換わるようでないとならない
と、野狐の私は思ってますが…
他に何かやらなきゃならないことってありますかね?

696:神も仏も名無しさん
19/05/08 14:41:12.90 Nnm+bWie.net
>>682
ちゃんと仕事をして貢献して(正業)、
きちんと地道に謙虚に暮らしてゆく(正命)

697:679
19/05/08 15:11:37.61 anoj4QIG.net
皆様ありがとうございます。
色々見た結果
URLリンク(j-theravada.net)
このページの場合は親子逆ですが
愛情を捨てて『慈しみ』で育てる。
愛情は執着になりますので、慈しみのお想いに変化するよう
意識していきたいと思います。

698:神も仏も名無しさん
19/05/09 01:03:22.28 UI8TVKeT.net
慈悲の瞑想してますが、無条件の愛を感じるようになりました。
宇宙にはそれが常に存在する。
それと一体となることが一番の悟りなのかなと思いました。

699:神も仏も名無しさん
19/05/09 01:06:56.92 UI8TVKeT.net
一番の悟りっておかしいですかね。無視してください。
誤解をあたえてしまうと思うので。。。

700:神も仏も名無しさん
19/05/09 17:06:02.75 t8g3MoRj.net
ナワタタナ

701:神も仏も名無しさん
19/05/12 08:31:16.31 35NzyZ89.net
ナワラタナ最澄空海栄西道元日蓮法然ギャーテーギャーテー

702:神も仏も名無しさん
19/05/14 01:25:20.61 Q2Xq7WV6.net
痛覚への対処方法が少しだけ分かった
問題は痛覚自体ではなく、過剰反応する自分の心の方だった
痛覚を感じている部分よりも、全身の感覚全体の方が大きく強いことに気づけばよかったんだな
痛覚が持続する間、集中を保っておかないといけないのがつらいけど

703:神も仏も名無しさん
19/05/14 09:17:52.65 ZPwSk/qa.net
痛みに限らずこの世は一切皆苦の迷いの生存の世であると明らからる智慧を持って観れば、この世を厭い離れることで苦しみから離れることができ、
生まれることは尽きて二度と迷いの世に生まれることはなくなると如来は教えて下さいました。

704:神も仏も名無しさん
19/05/14 16:21:22.31 f23YTVs8.net
ヴィパッサナ瞑想なんかしてたら
仕事できんわ。

705:神も仏も名無しさん
19/05/14 21:32:42.33 Qnl8D3Mm.net
だから、
悟りを目指す専門職として、出世間を歩く比丘(≒僧侶)なわけで・・。
勿論、日本仏教に於いては、全員在家で出家者ゼロなわけだけど。
というか、日本の社会が(社会システム、行政、世論、一般的価値観等等が)
出世間的生き方を排除しているという実情もあるけれど・・。

706:神も仏も名無しさん
19/05/15 00:07:53.37 RO/RHCgj.net
実は、日本が巨大なサンガなんだ!

ΩΩΩ…‼

707:神も仏も名無しさん
19/05/15 11:30:08.50 QmIMOPP+.net
ある意味鋭い指摘だと思う
実はそうなってるんだが

708:神も仏も名無しさん
19/05/15 15:11:47.33 ndNu0vzX.net
これだけ人いると中には出家したいと思う人もいそうだよね。
どこにもその場所がないのが悲しいことだけどw

709:神も仏も名無しさん
19/05/15 16:47:19.65 gGO2BMz7.net
「出家=逃避」と評価する向きもある。
随分前からの、すぐに転職や退職を考える若者批判と似た次元で。
忍耐が足りない、と。
その辛い中で辛抱努力、或いは工夫するのが大人(≒修行)じゃないか、と・・。
嫌だから苦しいから、といって、そこからの脱出を考えるのは短絡だ、と。

710:神も仏も名無しさん
19/05/16 13:53:06.53 GzvqC1sa.net
そんなことはないと思うね。
逃げでもいいから出家したいと思ったら出家したほうがいいよ。
動機が逃げでも、修行している中で本物になることもある。
肝腎なのは、自分の本心を誤魔化さないことだね。
逃げで出家しても、逃げたという自覚があれば大丈夫。

711:神も仏も名無しさん
19/05/16 16:39:15.15 qJDVe1UQ.net
英語圏だとヴィパッサナーとかの短期の瞑想会を
普通にリトリート(隠居、避難)って呼んでる
お洒落感すら漂っててわろた

712:神も仏も名無しさん
19/05/16 21:36:15.18 hAh7f02E.net
仏教は逃げというより遠離
アホな事からは離れるのが一番
それは逃げではなく賢い選択

713:神も仏も名無しさん
19/05/16 21:43:18.09 6Dj3vZ2z.net
けど、お釈迦さんは家族捨ててるしなぁ・・w
また、中後期には、出家に年齢制限設けたり、親の同意が要ったりとか。

価値観の共有ができなかったら、
「嫌なことを避ける(→遠離)だけの自己中」という批判は成立する。
だって、それが「『一般社会』の価値基準」だから。

714:神も仏も名無しさん
19/05/16 21:55:23.42 6Dj3vZ2z.net
オウムの出家騒動と釈尊在世時の出家騒動は、どこが違うか?
という指摘は、却下し得ない相似性を孕んでいるし、よしんば、
その違いが「目指すところ」の違いで、社会的に悪質な方向性と善なる方向性という違いや、
更には、個人の、ひいては人々の安楽という、至高の善なる目的があっとしても、
それを善と見做し、「他の何を差し置いても(たとえ家族の制止を振り切ってでも)求めるべきである!」
という価値観が共有できない限り、
その人は、いつまで経っても“自分達から逃げていった、自分たちを捨てていった”薄情者でしかなかろう・・。

「世間的価値観vs出世間的価値観」という相剋は、仏教永遠のテーマかもなw

715:神も仏も名無しさん
19/05/16 22:17:01.41 MPqGhF1a.net
何でも思ったらやってみれば良い
今の自分が今の環境で
自分なりに猿真似してみることで
今の自分がそれを経験する事ができる
それは頭で想像してこねくりまわした
理解ではなく自分が実感できる
現実を通した経験を味わえる
取り返しのつかない生き方

716:神も仏も名無しさん
19/05/16 23:15:40.53 6Dj3vZ2z.net
その狭間で落としどころを模索してきたのが明治以降の日本仏教であって、
昭和までは、(まるで年金制度がうまく機能していたが如くw)
理想的なモデルケースだったと回顧できないこともないけれど。

ただ、昭和の仏教も、(スポーツ界等の旧態批判同様)もはや批判の対象だからね・・。
というか、遺骨の宅急便送付が違和感ない時代という、
江戸から明治レベルを超えた、人類の価値観転換の時代でもあるか・・。

猿真似で済むのは、個人レベル趣味レベルの話でしょ。 >>702
「本職であるべき寺院業界の人間(僧侶)が、本職でになっていない猿真似だ」
と見抜かれてきたのが、平成の時代かな、と。

717:神も仏も名無しさん
19/05/16 23:49:18.34 1W7wWdyQ.net
出家するなら臨済宗に限る
先輩の雲水(禅の修行僧)からいわゆるかわいがりを受けるので精神が鍛えられる

718:神も仏も名無しさん
19/05/16 23:59:58.80 pYmVy6IY.net
基本世襲&儀式で金取りまくりって
ブッダの頃のバラモン教と同じ状況な気が

719:神も仏も名無しさん
19/05/17 12:31:58.67 BXAi8Odk.net
ブッダは家族を捨てたと批判する向きもあるが、最後は息子、親戚を出家させて救った。
輪廻の中に救いは無い、というのは仏教の真理であって、一つの価値観というレベルでは無い。
出世間の価値観、世間の価値観があるのではなく、世間は真理に暗く、出世間は真理に明るい。
世間は無知であり、出世間には智慧がある。

720:神も仏も名無しさん
19/05/17 12:42:44.02 DNzlif2q.net
ホームレスには智慧がある

721:神も仏も名無しさん
19/05/17 16:05:22.62 Dn0cMR9A.net
そりゃ、子供を産み育てるのは、愚かな生き方の極致だろうよ。
苦悩しか生まないんだからw
うんうん、君は実に正しい。 >>706

722:神も仏も名無しさん
19/05/17 19:26:39.68 nmNBPYLh.net
怒りが苦悩を生むということを頭での理解ではなく、体得することができました。
あるレベルの怒りはもう生まれなくなったことが分かりました。まだ、先はありますが、素晴らしい解放をえました。
ただ、慢ときょうがそのかわり感じられるようになりました。
まだまだ先はありますね。

723:神も仏も名無しさん
19/05/18 02:44:56.17 2IVlKQlM.net
眠れぬ夜用に安眠用お経BGM置いときますね
URLリンク(youtu.be)

724:神も仏も名無しさん
19/05/18 14:45:57.74 2pr/ncOf.net
>>701
オウムは出家者の全財産を布施させていたからな
そして洗脳奴隷にするために監禁していた
却下だよ

725:神も仏も名無しさん
19/05/18 15:18:58.20 2IVlKQlM.net
>>701
読点多すぎ

726:神も仏も名無しさん
19/05/18 15:56:44.46 FT9oxfbI.net
 
ウィキペディアに
インドのヒンドゥー教社会において
と書いてあるけど
本当に
その当時のインドで
一般的に認められていたものなのか
わからないけどとりあえず
林住期.森林に隠棲して修行する時期
遊行期.一定の住所をもたず乞食遊行する時期
 ↑
一般的に認められていない日本で
無理やり強制的にすれば
オウムのようなことになるような気もする
日本の場合は
(本人の意思ではなく家族の意思として)
ある程度の
年寄りでも働けるのなら世俗において働いて欲しい
とい感じが多数派かもしれない

727:神も仏も名無しさん
19/05/18 17:06:56.16 ye5c8J9n.net
インドなら今でも
川が火葬場だし
生焼けのまま川に流すし
坊さんの場合は焼かずに流したりもするし
墓なんてないし
外で生きる修行者が何万人といるしし
いつも真っ裸でいる宗派もあるし
日本ではって比べる事が無駄だと思うよ

728:神も仏も名無しさん
19/05/18 19:33:39.96 FT9oxfbI.net
 
> 真っ裸
自分も真っ裸で
何処か
あちらこちら
そこいら中
歩き廻ってみたいでつ
それでもやはり
日本の場合は
わいせつ物頒布等の罪とかで
捕まっちゃうかしらん

729:神も仏も名無しさん
19/05/18 21:46:28.99 QBilx+Vk.net
>>701
仏教サンガは世間に介入していかないが、オウムは(教祖が)世間に介入しまくりまくってたでしょう。
実際にやってることのベクトルは真逆だったと思うよ。

730:神も仏も名無しさん
19/05/18 22:03:37.18 lLzaZ/cO.net
>>716
でも、
アングリマーラは、(釈尊の意向に合わせた形で)
『世間的裁き』を受けていない。(私刑は別として。)
現代社会で、これが通用するかい?

そういう意味も含めて、
もし、オウムが、反社会的素養を持っていなかったら、
出家は問題視されなかっただろうか?ということ。
今現在、釈尊在世時のような正当な出家仏教に若者が進路を選んだとして、
周囲の者は、反対せず、日の丸婦って送り出すか? ということ。

731:神も仏も名無しさん
19/05/18 22:04:21.04 lLzaZ/cO.net
振って

732:神も仏も名無しさん
19/05/18 22:08:50.23 QBilx+Vk.net
アングリマーラは個人だけど、オウムは集団として俗世間に無差別殺人攻撃を仕掛けた。
釈尊のサンガと同列の比較対象とはならないと思うよ。

733:神も仏も名無しさん
19/05/18 22:12:38.44 QBilx+Vk.net
アングリマーラが殺人を行っていたのは、釈尊のもとで出家する前。
オウムの死刑囚が殺人を行ったのは、麻原のもとに弟子入りした後。
社会的な価値観で受け容れられなかったのは、釈尊の場合は出世間の教え、
オウムの場合は反社会的行為。
そういうわけで両者を判断する場合の尺度は異なっていると思う。

734:神も仏も名無しさん
19/05/18 22:17:02.73 lLzaZ/cO.net
関連して言えば、裁判員制度について、
新約姦通婦のエピはあるものの、
キリスト者は、人間世界の領域だから人間界のルールに関しては、
神に代わって、というより神の手を煩わすことなく、
人間こそが為すべきこととして無問題なのかもしれん―陪審員制度なぞ、それこそ神に代わってかもしれん―が、
「仏教者が、他者の刑罰の軽重を判断していいのか」
という問いは、真剣に考えるべきことじゃねーかと思うけどね・・。
また、人間界の出来事は人間が裁く、のだとしても、
姦通婦のエピが示すのは、それでも、「他者を裁く資格を有する者は存在するのか?」という問いでもあろうし。
その意味で、世間と出世間の価値基準は、宗教的真理に関するから比較は不可というのも
わからないでもないが、
それは、社会と関わることを拒否することと同じであり、
桃源郷で暮らす仙人や、山奥で虎と暮らす禅僧みたいなもんだ。
そういう仏法なら、『世間の人々』と仏法は、何の関係もない、ということになる。

735:神も仏も名無しさん
19/05/18 22:17:09.96 QBilx+Vk.net
出世間法を理解できるのは、どのみち四向四果の聖者のみでしょう。
一般社会を相手には、そもそも話したところで理解されるものではないと思う。
理解できる人は預流向とか、少なくとも信がある人に限られるのでは。
世間に布教したいなら、まずは黙って修行すすめて、自分が悟ってから考えれば
いいと思ってます。

736:神も仏も名無しさん
19/05/18 22:19:14.24 lLzaZ/cO.net
>>720
刑期を終えてからの出家だったっけ?

737:神も仏も名無しさん
19/05/18 22:21:30.21 lLzaZ/cO.net
>>722
布教したいかどうかでなくて、
存在自体が、日本社会で認められていない、という話。

なんか、噛み合ってねーな・・。

738:神も仏も名無しさん
19/05/18 22:22:01.04 QBilx+Vk.net
サンガの律は他者を裁くためのルールではなくて、
サンガの運営を円滑に継続していくために、そこの所属する人自身が
自主的に守るルールなので、裁きとは違うはずでしょうね。
しかし、ルールがないわけではありません。
サンガを破壊する行いをしながら、サンガに身を置くことはできないように
なっています。

739:神も仏も名無しさん
19/05/18 22:23:43.21 QBilx+Vk.net
日本社会は社会貢献に価値を置く社会なので、出家という生き方が評価されることは
まず期待できないでしょう。
だから大乗仏教しか根付かなかったのだろうと思う。
そうでなくとも、人間が悟りや解脱があると知ることは稀。

740:神も仏も名無しさん
19/05/18 22:24:22.99 lLzaZ/cO.net
>>720
>出家する前
だからこそ、問題なのでは?
出家さえすれば(阿羅漢果等を得られるとしても、それは行が進んでからの話だし)、
過去の罪は不問に付されるのが初期仏教だった、ということ。
実際、光輝に於いては、出家の条件は細かく厳しくなってたと思うが?

741:神も仏も名無しさん
19/05/18 22:25:20.62 ye5c8J9n.net
日本では坊さんも雲水もなにもかも
職業として扱われてるじゃん
日本の法律だと
外で生きる修行者なんて犯罪者でしょう
日本では職業として坊さんがあり
妻帯し住む場所として寺も家であり
定住し死ねば墓地も必要で
金がかかり商売にも利用できる
それが日本では多くの人に
認められた仏教としてなりたって
長年続いている

742:神も仏も名無しさん
19/05/18 22:26:29.27 QBilx+Vk.net
社会から抜け出したい(出家して悟りたい)が、そのことの価値を
社会から認められたいというのは、たぶん無理でしょう。

743:神も仏も名無しさん
19/05/18 22:26:37.17 lLzaZ/cO.net
>>725
だからw
サンガのルールを守ってれば、世俗のルールは無視してよいと?
そうじゃないでしょ?
世俗のルールに則った上で、更に僧伽のルールに遵う、ということではないの?

744:神も仏も名無しさん
19/05/18 22:41:53.21 QBilx+Vk.net
世俗の価値観は、此岸で幸福に生きることが目的。
出家の価値観は、此岸を離れて彼岸に向かうことが目的。
生活圏が重なるエリアにおいては、両方のルールを遵守していることが望ましく、
世俗を離れた出家生活エリアにおいては、出世間の価値観が優先されます。
でなければ俗世を捨てて出家した意味がありません。

745:神も仏も名無しさん
19/05/19 00:43:26.95 xHxWWO03.net
休日、瞑想もせずただダラダラ過ごしてました。
疲れてしまったのかもしれない。

746:神も仏も名無しさん
19/05/19 04:06:03.18 OFLqQQEs.net
 
たとえば今回は
仮の主体を前提とした
その人
個人の解脱
上座部的
 - これに対して -
世俗
周囲環境
(或いは仮の主体を前提としない?)
相互依存性
大乗
中観派という
スレの流れという感じもする
それでも
上座部にも
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
慈悲(慈悲の瞑想)
という大乗的なものもあるかもしれない

747:神も仏も名無しさん
19/05/19 04:12:50.96 5FgdMiqg.net
慈悲は特別大乗的なものではないでしょ
原始仏典に既に慈悲は説かれてる

748:神も仏も名無しさん
19/05/19 04:32:49.74 OFLqQQEs.net
 
間違ってる場合もあるらしいけど
それでもとりあえず
ウィキペディア参照
大乗の
三縁の慈悲
第一. 一般衆生の慈悲
第二. 聖人、つまり阿羅漢や菩薩の位にあるもの
第三. (阿羅漢も超えた?)仏の…
上座部と大乗は違うけど
それでも
慈悲については
似てるような気もする
> 原始仏典に既に慈悲は説かれてる
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

749:神も仏も名無しさん
19/05/19 07:43:03.50 gh+u27MO.net
出世間には価値観が無い。無価値。
出家には出家の価値観はある。出家即解脱、出家即出世間ではないから。

750:神も仏も名無しさん
19/05/19 09:27:53.53 IWKsCr0U.net
>>728
皇族は戸籍がないが、犯罪者か?

751:神も仏も名無しさん
19/05/19 09:44:12.62 OFLqQQEs.net
 
ウィキペディア参照
出家
世俗を離れ
たとえば仏教とかに入ること
出世間
煩悩などのけがれに汚染された
この世界のすべての存在を世間というのに対し
それを超越しているもの
たとえば仏教とかの対機説法としては
執着を断った超越的な智慧を出世間智という
> 出家即出世間ではない
出世間智とか
般若の大悲・大智とかが良い
ということかしらん?

752:神も仏も名無しさん
19/05/19 18:46:03.89 bpeCOdX2.net
>>731
だから、「日本に出家者は居ない(僧侶もまた在家者(ウバソク)である)」、
という日本仏教批判は200%の正当性を持ってしまうわけでねw

753:神も仏も名無しさん
19/05/19 19:17:24.30 A58GJMmT.net
菩薩行のために四無量心を育てるには、、、
そうだ、慈悲の瞑想をしよう!
ってならないのかね?大乗では
大乗にはそれ相当の他のなにかはあるのかな
慈悲の瞑想って自分の邪心がないかというチェックにもなるじゃない?
嫌いな人の幸せとかちゃんと願えない人が僧侶やったらいかんよね?

754:神も仏も名無しさん
19/05/19 20:14:00.21 OFLqQQEs.net

>大乗にはそれ相当の他のなにかはあるのかな
如来蔵とか
仏性からの真如縁起とか
仏性を衆生(人間)に限らず
山川草木や生類すべてに仏性があるとする.一切悉有仏性とか
真如縁起を前提とした
頼耶縁起とかの
対機説法とかがあるらしい
間違ってたら スマソ m(_ _)m

755:神も仏も名無しさん
19/05/19 21:20:37.47 OMdaRg9Z.net
菩薩行かくあるべしとか、
大乗仏教かくあるべしとか、
色々考える前に、まず悟るか智慧に達するかしないと
たぶん適切な判断はできないと思う。

756:神も仏も名無しさん
19/05/19 21:22:17.14 OMdaRg9Z.net
菩薩行の在り方について自説を押しつけることで、
俗世に身を置きつつ、苦しみながら仏道を歩もうともがいている人に
背中から追い打ちをかけるようなことをして、どういう四無量心なのか
意味が分からんし。

757:神も仏も名無しさん
19/05/19 21:32:23.51 A58GJMmT.net
質問すると押し付けたことになるのかな?ここでは

758:神も仏も名無しさん
19/05/19 21:36:29.54 A58GJMmT.net
追い打ちかけるというのも全く身に覚えのないこと
何を言ってるんだこの方は
>>741の方は推測なりに教えてくれてありがとう
いや、当然慈悲を養う何かがあって然るべきだろうと思うから、
衆生を救うのに何もないはずがないだろうと思うから、
質問してるんだがなぁ

759:神も仏も名無しさん
19/05/19 21:43:34.01 OMdaRg9Z.net
>嫌いな人の幸せとかちゃんと願えない人が僧侶やったらいかんよね?
文末がこれだったので、そのメンタリティから出てきた言葉として
>そうだ、慈悲の瞑想をしよう!
>ってならないのかね?大乗では
という言葉の意図を読み取りましたよ。
勘違いだったのならご免なさいね。

760:神も仏も名無しさん
19/05/19 22:26:29.25 SRtxwLsd.net
嫌いな人だから幸せ願えない、という人が坊さんやったらいかんでしょw
お金払ってやってるテーラワーダの修行者でもそれくらいはみんなやるわけで
プロのお坊さんならそりゃあ当たり前に出来てるよ

761:神も仏も名無しさん
19/05/19 23:40:07.46 OFLqQQEs.net
 
>>746
むしろ
大乗批判の方が良かったという感じもする
その批判とかによって
もっと
皆から信頼されるような大乗になれるとするのなら
あるいは
上座部も
もっと更に一般の人々にも
認められていくのなら
瞑想とかの実践もしやすくなるのなら

762:神も仏も名無しさん
19/05/21 18:17:34.24 n1EWqv2a.net
大乗は仏教ではない
上座部が仏教だよ。

763:神も仏も名無しさん
19/05/21 19:19:30.12 9uWOMCFo.net
色界、無色界のことが分からなかったのですが、
有上心と無上心という言葉を知って、その世界を感じることができました。そうだったのかという感じで。
心念処の瞑想です。

764:神も仏も名無しさん
19/05/22 11:58:34.40 4wW74dx0.net
大乗は瞑想をしないとわからないと思う。
なんであんなことを言っているのか

765:神も仏も名無しさん
19/05/22 12:39:22.19 rJYckMYE.net
>>749
どちらも仏教ではない
大勢のブッダを出した釈迦在世中の原始仏教だけが仏教

766:神も仏も名無しさん
19/05/22 15:28:01.06 VdzwzJkS.net
基本的で大事なことだけピックアップしていくべきかなとは思う。
余分な肉は必要ないんじゃないでしょうか。

767:神も仏も名無しさん
19/05/22 16:03:39.02 rJYckMYE.net
>>753
なら ジャータカもパリッタも要らなく無い?

768:神も仏も名無しさん
19/05/22 16:55:34.98 Aq16JZle.net
>>751
鎌倉仏教は瞑想不要がけっこうあります。

769:神も仏も名無しさん
19/05/22 18:30:03.33 Z/fCOhOE.net
どれが真の仏教かという話は不毛
ゴータマ・ブッダ本人から直接聞かない限り伝言ゲームなので
自分で実践するか否かだけ(これもプライベートな意味だけで他人は関係ない)

770:神も仏も名無しさん
19/05/22 20:36:19.13 ScWxD6EB.net
悟りの中身、解脱こそが真の仏教
誰でも悟れば釈尊の教えを学んだことになる

771:神も仏も名無しさん
19/05/22 21:27:22.95 Z/fCOhOE.net
こないだの「宗教の時間」の内容が結構よかった
URLリンク(www.nhk.or.jp)
アンコール「ブッダの瞑想(めいそう)」
っていうやつ

772:神も仏も名無しさん
19/05/23 00:36:48.94 aXHNBfjf.net
大乗だろうと上座部だろうと、三学を通して慧に達しない限り
自分の主観で概念的に理解された仏教が仏教だと思ってる
状態が続いていく。

773:神も仏も名無しさん
19/05/23 01:02:48.53 fkcZxR/d.net
経典にはさまざまな教えが説かれているが、詮ずるところ、戒・定・慧の三つの修行法に集約される。
小乗と大乗、顕教と密教、それぞれにこの三つの修行方法がある。
ところが私自身は、戒(不殺、不盗などの仏教の戒め)に関しては一つの戒すら守ることができない。
定(精神集中の修行)についても一つも体得できなかった。
ある高僧が言うには、「戒(インドの言葉でシーラ)が清らかに守られていないと、心の集中状態は現れてこない」とのことだ。
また私たち凡夫の心は、ものごとに引きずられて移ろいやすい。
それはまるで、猿が枝から枝へと動いているようなもの。
まことに散乱して落ち着きが無く、一処に静まりがたい。
このような状態で、煩悩に汚れぬ正しい智慧が、どうして起こり得るだろうか。
もし汚れなき智慧の剣がなければ、どうして悪業や煩悩の絆を断つことが叶おうか。
悪業煩悩の絆を断たずして、どうして迷い苦しみの輪廻世界から解脱することができようか。
ああ、まことに悲しき哉、一体どうしたらよいのだろうか。
「私のような者は、もう戒・定・慧の修行を全うできる器ではない。この三種の修行法のほかに、私の心に相応しい教えがあるのだろうか。
私の身体でも行なえる修行がはたしてあるのだろうか…」
かように思い直し、多くの賢者の教えを請い、様々な学者を訪ね歩いた。
だが、それを教えてくれる人はおらず、道を示してくれる仲間もいなかった。
そこで、歎き歎き経藏に入り、悲しみ悲しみ経典に向かい、みずから手に取って開き見た、
善導和尚(7世紀中国の高僧で、法然上人が師と仰いだ)が書かれた『観経疏』という本の中に見出したのが、次の一文である。
「一心に専ら阿弥陀仏のお名前を念じなさい。
行住坐臥、日常生活のどのような状態にあっても、時間の長短を問わず、片時もやめてはならない。
これを正定の業と名づけよう。
かの阿弥陀仏の本願にしたがう行であるゆえに。」
その後は、「私のような無智の身は、ひとえにこの一文を仰ぎ、ここに説かれる道理を頼みとしよう。
片時もやめない念仏行を修めて、必ずや極楽往生を得るための備えとしよう」と心を定めたのである。
(法然 徹選択集)
URLリンク(www.rinkaian.jp)

774:神も仏も名無しさん
19/05/23 11:39:05.47 aXHNBfjf.net
それも結局、三学修習の一形態。
(信→念→浄土→浄土で戒定慧→彼岸)

775:神も仏も名無しさん
19/05/23 13:52:00.35 1yMg42qr.net
戒が保てない人間が念仏を保てる訳がない

776:神も仏も名無しさん
19/05/23 14:12:33.77 +YVzag7i.net
この念仏のやり方は瞑想ですよ

777:神も仏も名無しさん
19/05/23 14:23:15.40 +YVzag7i.net
正念 正知 数学者モッガラーナの問いから 阿含 中部経典

778:神も仏も名無しさん
19/05/23 15:21:15.62 2/RgK17F.net
念仏じゃなくて身念処でいいじゃん。
大乗の弊害だろうな。気の毒に思う。

779:神も仏も名無しさん
19/05/23 17:04:17.54 +YVzag7i.net
周利槃特
釈迦仏は、彼に一枚の布を与え、「塵を除く、垢を除く」と唱えさせ、精舎を払浄せしめた。
とあります。
一心に唱えそして続けることで、精神の集中が出来るようになります
念仏はこれと同じに見えてしまうのです。

780:神も仏も名無しさん
19/05/23 17:42:17.74 fkcZxR/d.net
>>762
法然は比叡山の中でも持戒第一、智慧第一と言われていた人。
戒律といっても最澄が作った日本オリジナルの大乗戒ではあるけどね。
URLリンク(www.horakuji.com)
>>765
身念処は天台止観に含まれてるよ。
っていうか、身念処で良いじゃんといえるのは身念処で悪業煩悩の絆を断って輪廻(現象世界)から解脱することに成功した人だけです、本来は。

781:神も仏も名無しさん
19/05/23 19:20:21.17 hHXa/lzJ.net
>>766
たった四行の偈を覚えられなかったのに、仏陀に白い布を渡されて
午前中に阿羅漢果に悟った話だね

782:神も仏も名無しさん
19/05/23 19:21:15.34 1yMg42qr.net
>>766
周利槃特は実際に今の瞬間にやっている動作に気をつけているからヴィパッサナー瞑想
南無阿弥陀仏は今の瞬間に観察している訳ではないただのサマタ瞑想、マントラを使った瞑想

783:神も仏も名無しさん
19/05/23 21:56:31.84 Uhkim3rb.net
南無阿弥陀仏=慈悲の瞑想

784:神も仏も名無しさん
19/05/24 09:57:10.21 HJptPo09.net
ギャグかw

785:神も仏も名無しさん
19/05/24 10:33:06.39 Q9rfCEY3.net
阿弥陀如来=慈悲
他力が顕現し続ける=ヴィパッサナー、サティ

ΩΩΩ…!

786:神も仏も名無しさん
19/05/24 13:11:56.90 os556geU.net
業果は、信じようと信じまいと、避けようと好もうと、必ず果報をもたらすから
意業において仏を念ずれば、必ずその報いはあるはず。
念仏というのは、正法を知り、実践する時代と機会に恵まれなかった人にとって
有益な方便ではあった可能性はあると思うし、それがもし仏随念と同じものなら
初期仏教の頃からある。

787:神も仏も名無しさん
19/05/24 14:35:13.67 EuHyd+k0.net
雑な理解で悪いですが
念仏はサマタだから、自分の煩悩が見えてきてしまう、煩悩の人=悪人であると知る、その自分に絶望する、
ということが起きてくる
そこから離れる理屈を他力本願として与えられてる
その上で、歎異抄ではお念仏は自分が念仏するのではなく、口を突いて出てくるものである、
それは阿弥陀様が言わせているのである、といいます
もうダメだという時に思わず口から出たりするわけですね
阿弥陀様という存在を受け皿にして、有身見から離れるってことでしょう
別の言葉では手放し、帰依ということです
すると救われる、浄土を信じることが出来る
それが悪人正機、他力本願というわけです
ヴィパッサナーの観察の場、慈悲の瞑想の慈悲の場、サティの場は同じと感じる
そこは救いの場、苦が消える場ですね
これは浄土を信じており、なお続けて南無阿弥陀仏を唱えてるのと同じ状態と言えるでしょう
我々は自分が瞑想に入っていくのだけど、それは自分でないところに入っていくのと同じ事でもある
それを日本では他力と言ったのだと思います

788:神も仏も名無しさん
19/05/24 14:47:40.46 EuHyd+k0.net
一段落目書き直したのでつながりが少しおかしくなりましたがわかるでしょう
そんなに精密、厳密な話ではないです

789:神も仏も名無しさん
19/05/24 16:51:30.17 XrfEZDx9.net
この
お念仏は自分が念仏するのではなく
と言う部分 
念仏はしませんけど 全く同じ
なにか別のものが....
観ている者は誰?とでも

790:神も仏も名無しさん
19/05/24 16:58:38.52 XrfEZDx9.net
帰依するというのも、なにかに預けているとでもいうか
>観察の場、慈悲の瞑想の慈悲の場、サティの場は同じと感じる
そこは救いの場、苦が消える場ですね
この3つは同じ場です。
非常に静かな領域があります
その通りだと

791:神も仏も名無しさん
19/05/24 20:44:06.28 L3CQFVFp.net
戒律といえば自分らは比丘ではないので午後に食事をしてはならないという戒を守る必要はないけど、在家信者でも 夜に時ならぬ食事をしてはならぬ ということにはなっている。
みんなは夜食など食べてはないよね?

792:神も仏も名無しさん
19/05/24 20:50:28.94 c0/NFtzJ.net
夜の仕事や夜勤している人は、仏教徒になれないね。

793:神も仏も名無しさん
19/05/24 20:51:03.13 c0/NFtzJ.net
そういう形で、差別戒名に繋がったのにね。

794:神も仏も名無しさん
19/05/24 22:09:55.77 0kofEjzZ.net
夜勤してると夜中に食べるのは昼食の感覚

795:神も仏も名無しさん
19/05/25 11:07:45.50 7wnAxkUL.net


796:f="../test/read.cgi/psy/1551435418/778" rel="noopener noreferrer" target="_blank" class="reply_link">>>778 在家だけど八戒で過ごす日が増えて来ています。 だけど、他人に戒を押しつけることはしません。 究極的には自我を捨てていくわけですが、それは自主的に行うことであって 他人に強制されてやることではないと思います。



797:神も仏も名無しさん
19/05/25 11:10:51.94 7wnAxkUL.net
大乗仏教で言っている他力とは、自我を超えた何か(無我や慈悲)のこと
を指していているのであって、「他者の自我」のことではないのでしょうね。

798:神も仏も名無しさん
19/05/25 12:11:18.07 dmA7ihm2.net
念仏についてだけど、意識状態からいってサマタでもなんでもないって気がする
自己放下、バクティヨーガに近いのでは
カトリックの僧が一挙手一投足を神を念じながら無言のうちに行動するって、
禅宗の寺院での日常にそっくりだけど、念仏とも共通点があるように思えます
世界的に有名な禅者である仏教博士鈴木大拙師の「真宗入門」がとてもわかりやすいよ
英語の講義を日本語に訳してあるのですらすら読めるしページ数も少ない
アマゾンで1円から出品されてますので興味ある人はどうぞ
入門だけど眼からうろこって感じだった
他宗派や他宗教への理解も同時に進むって感じだ

799:神も仏も名無しさん
19/05/25 12:14:50.41 dmA7ihm2.net
あるカトリックの本を読んだら、尼僧の寺院で一定期間まったく声を出さず、なるべく音も
立てずに日常を過ごすというのがあった
大変な修行だと思うし禅宗の日常にも通じる
ゴエンカ師のリトリートも10日間沈黙を守るというのが決まっている
URLリンク(www.youtube.com)
カトリック修道院のドキュメンタリー映画だけど、まさにマインドフルネスの実行の場だと
見ている間ずっとマインドフルになった

800:神も仏も名無しさん
19/05/25 12:19:32.90 XKCuJMMy.net
>>778
そんな決まりがあったんですね。
夜食はたまに食べますが、なにか悪いことしている感じはしました。
ちゃんと理由はあったんですね。
いい機会だし今後はお腹が減っても控えるようにしようかな。
修業にもなるかも知れないし。

801:神も仏も名無しさん
19/05/25 16:58:05.46 7wnAxkUL.net
伝統に拘る人にも二種類あって、
本質を理解したうえでなお伝統的な形式を守る人と、
本質を知らないが故に表面的な形式に拘る(そして他宗を排撃する)人とがある。
仏縁を得た人でも、まだ智慧がないうちは自分に合った方便だけしか
理解できないから、伝統的な形式を堅持し続ける必要はある。
それが法門を守るということ。

802:神も仏も名無しさん
19/05/25 17:10:05.28 wTgayDpp.net
「世の人おもへらく、自力他力を分別してわが体をもたせて、われ他力にすがり往生すべしと、云々。この義しからず。自力他力は初門のことなり。自他の位を打ち捨てて唯一念仏になるを他力とはいふなり。」
(一遍上人語録)
大乗仏教の勝義諦においては一切空ですから自他の分別はありません。
これは浄土教(少なくとも時宗、というか一遍)においても同じであるというか、一遍はそれを強調していると。
唯一念仏となる、そこには自も他もなく念仏つまり阿弥陀仏との合一のみがあります。
と書くと梵我一如ではないかと思われるかもしれませんが、阿弥陀仏の本性も空であるところが有の哲学である梵我一如との違いではあります。
どちらが正しいとか優れているというわけではなく、人一人一人の機根に応じてそれぞれの道で悟りに至れるのだと思います。

803:神も仏も名無しさん
19/05/25 22:55:08.79 wTgayDpp.net
>>786
夕食後に何か食べたくなったら食べる代わりに瞑想するとかひたすら念仏するとか読経とか写経とかの行をすればいいかも

804:神も仏も名無しさん
19/05/26 12:30:29.43 094XW2HL.net
最近ようやく心というものが分かってきました。
正確に言えば心を感じとれるようになってきました。
これまでは感受と心がごっちゃになっていたのですが、分けて見れるようになってきました。
苦も減ってきたし、智恵も生まれてきたように感じます。
今後も頑張るぞ。

805:神も仏も名無しさん
19/05/26 16:53:51.66 Oat4h6Og.net
それはよかったですね

806:神も仏も名無しさん
19/05/27 12:05:50.41 UBVBZgH4.net
>最近ようやく心というものが分かってきました。
>正確に言えば心を感じとれるようになってきました。
まさにデカルトの「我思う、故に我在り」だね。
それは西洋の近代的自我論であり、仏教とは少し違うね。
この原理から言えば、「私」から一切が出発するのであり、「私」に先立つ、いかなる実体も神も存在しない
というのが、近代的自我論の前提だからね。
仏法の「縁起」という基本的概念とはまったく違うね。

807:神も仏も名無しさん
19/05/27 15:37:26.76 ztwulV1V.net
単に四念処ができるようになってきたという話だと思うんだけど。

808:神も仏も名無しさん
19/05/27 17:05:30.00 UBVBZgH4.net
>四念処ができるようになってきたという話
結局、自己申告的な悟りでしょ。
「悟った」と思えば悟った事になる。
自己催眠とさほど変わらない。
現実は何も変わっていない。
つまり、夢と同じで、醒めてみれば何も変わってないことに気付く。
そういう事なんです。

809:神も仏も名無しさん
19/05/27 17:07:31.83 UBVBZgH4.net
「悟りました。」
「それはよかったですね。」
で、終わり。
空しすぎる。

810:神も仏も名無しさん
19/05/27 17:19:56.08 1F+zO7jn.net
790は便宜上「心」などとしているだけのことであって
見えるならば観察すればいいだけのこと
概念としてどう捉え考えてるかとは関係がない
起きた通りのことを事実として捉えることになる
観察して起きる現象は仏教で説明されていることが起きる
だから仏教は真理だと言われる

811:神も仏も名無しさん
19/05/27 19:13:12.68 /yqUGtYx.net
>>794
卑怯というか姑息というか底意地が悪いというかいちゃもん付けてるだけというか。
彼は「悟った」なんて一言も言ってないと思うが?
もし、あなたがそう感じたのであるなら、その文章を正確に引用して指摘しな。
また、第三者が、目にし得る文章から類推するに、
彼は、「自身の心(の動き)を、より正確に、観察・把捉できるようになっってきた」
と、自身の瞑想(禅定)の進み具合を述懐しただけでしかなかろ?
で、どこにも、瑕疵も過誤も齟齬もない。
ただただ、自身の体験の現状をキーボードで打ち込んだだけだろ。
貴方に返す言葉は唯一つ、 「そういうお前はどうなんだ?」 と。

こういう上から目線の奴が一番胸糞悪い・・・  ( ゚⊿゚)、

812:神も仏も名無しさん
19/05/27 19:23:40.83 5AWxqRX4.net
うん、>>790はやっと瞑想になってきました、と言ってるだけだね
どのへんから「悟った」と読み取ったのか全く謎だ

813:神も仏も名無しさん
19/05/27 21:08:33.85 Urv53QIZ.net
>彼は「悟った」なんて一言も言ってないと思うが?
私も「彼が悟った」など一言も言ってはいないのだが?
例えを言っているんのであって、仮に「悟った」と言ったところで、証明も出来ないし、自己申告でしかない
と言う事を言いたかったのだよ。
それは自己催眠と何が違うのかという事もね。
しかし、なんだね。
あなたが何年仏道修行を積み重ねてきたのか知らないけど、たった一言で、かくも脆く、
冷静に物事を考えることが出来ず、瞬間的に「修羅界の相」を現じているという厳然たる事実!
いかに空しい教えを信じているのか、よくよく考えなさい。

814:神も仏も名無しさん
19/05/27 21:11:28.43 Urv53QIZ.net
そんな風な、へなちょこ修行では
阿羅漢の境涯など、100万年修行しても無理だと思うよ。
断言できる!

815:神も仏も名無しさん
19/05/27 21:55:52.46 NGWQ678f.net
どうやら会話できない系の人みたい、スルーで良いな

816:神も仏も名無しさん
19/05/27 21:55:57.56 /yqUGtYx.net
屑だな  >>800

817:神も仏も名無しさん
19/05/27 21:59:21.61 /yqUGtYx.net
>>799
>自己申告でしかない
それは、お釈迦さんにも当て嵌まるんだがね?

五比丘と会う前の、ウパカとのエピすら知らんのか?

818:神も仏も名無しさん
19/05/27 22:16:32.72 R88+radG.net
相手しなくていいと思うよ
主語がすり替わってたりして話がおかしい

819:神も仏も名無しさん
19/05/28 09:33:18.37 5GFQv7EM.net
まあここは体験や変化を書き込む場でもあるからね。
なかなかそういう進歩はないけれど、皆さんも何かあれば語っていきましょう。

820:神も仏も名無しさん
19/05/28 09:56:15.71 Opeby94L.net
慈経をソラで言えるようになりました。
仕事中変な妄想が出る場合念じております。

821:神も仏も名無しさん
19/05/28 10:57:18.76 H0fyjWLi.net
どうやら、痛いところを突かれて、何も釈明出来ないようだね。
所詮、テラワダなど、その程度と言う事を理解しなさい。
現実を変革できない仏教など真の仏教とは言えないし、仏教ごっこの範疇を出ない
いわば、趣味の世界でしかない。
これから起こるであろう、様々な人生の苦難に直面したとき
その教えの無力さに気付くであろう。

822:神も仏も名無しさん
19/05/28 15:07:46.79 5GFQv7EM.net
その認識、預流果ですらないでしょ?
悟れば人生の苦しみが減るということを体感できていない人の書き込みに見えるね。
預流果ですらない人がそのようなことを言うのは哀れなだけだよ。

823:神も仏も名無しさん
19/05/28 15:15:58.47 5GFQv7EM.net
少し言葉�


824:ェきつかったかも知れない。それについては謝る。 悟った人の説教とは思えなかったので少しヒートアップしてしまった。 怒らないでもらえるとありがたい。ケンカをしたいわけじゃないので。



825:神も仏も名無しさん
19/05/28 18:39:22.75 R8p0fiR9.net
初禅(相当)以上にならないと苦ということすらわからないから
文字だけ読んでも本当に何もわからないよ
それこそ虚しいことだ

826:神も仏も名無しさん
19/05/28 18:44:51.00 yXiSJwmK.net
単に人を貶すのが目的の人でしょ
スルー推奨

827:神も仏も名無しさん
19/05/28 19:21:43.50 H0fyjWLi.net
>悟れば人生の苦しみが減る
その考えが、最大の誤りだよ。
まさに実生活における苦悩からの逃避であり、娑婆世界からの逃避だ。結局、念仏と同じで厭世思想じゃないか。
それは社会の適合できない人間が、引き籠っているのと同じだ。
自分ですら救えない教えが、人を救えるわけがない。
釈尊の真の教えがそんなものとは到底思えないのだがね。

828:神も仏も名無しさん
19/05/28 19:27:35.38 JgYUl3fB.net
>>812
釈尊は、世俗の一般的生活と決別することで大安心を得る方法を説いたわけだが?
それへのアンチが、大乗仏教であり日本仏教なんじゃねーの?

お前さんは、何を見、読み、釈尊の方向性を判じているんだろうね・・・?  ┐(´ー‘)┌

829:神も仏も名無しさん
19/05/28 19:30:53.88 JgYUl3fB.net
>>812
お釈迦さんの方向性は、
 出家(→世俗の生活との決別)にしか悟りはない
としか、(少なくとも初期仏教(≒阿含)を見る限りでは)読めない筈なんだがなぁ・・・。

830:神も仏も名無しさん
19/05/28 20:18:14.81 5GFQv7EM.net
預流果に悟ってから出直してきて下さいとしか言えない。
少なくとも不退転に達するとはどういうことかを理解してほしい。
もう何も言わないけど、私が説得されたと思ってくれてかまいません。

831:神も仏も名無しさん
19/05/28 20:25:32.84 R8p0fiR9.net
世俗の価値観ですら百人が百人違った「現実」を生きているとも言えるのに
何が刺さったと思ってるのか不思議な事を言う人ではある
世俗の言葉での「現実」とは何かというと
事実、認識、評価の段階で評価に当たるものだ
大抵の人は評価を事実、認識と混同して生きている
それだけでなく自分の都合の良い「評価」を用いて自分の人生を良いもののように思い込もうとしているし
その評価が不動であると都合よく思い込んでいる
それに行き詰まると苦難だということになる
そうではなくて、評価をしてしまうこと自体が苦を生んでる
一皮剥けばいかなる「現実」(事実、認識ではなく評価としての)も苦を生んでいる
これが現実(事実、認識、智慧)のものとして見えてこないと仏教理解など全く出来ないよ
では、一体何が事実、認識なのか?
これはテーラワーダの人ならわかりきってること

832:神も仏も名無しさん
19/05/28 21:17:21.24 JgYUl3fB.net
瞑想の行が進んだ者が、
自分で「見た」その経過を(喜とともに)吐露しただけなのに、
「そんなの悟りじゃない!」と、横から石をぶつける行為に、
正当性が見出されるとは思えない。
千歩譲っても、それが口にできるのは、お釈迦さんか阿羅漢果までいけた者だけだ。

833:神も仏も名無しさん
19/05/28 23:13:29.87 9Hus4UY3.net
見解とか心情とか感情まで、それらは自己ならざるものなのにそれらに固執したり振り回されたりするから苦が生じる。
苦から解脱したければそれら一切を手放すこと、執着しないこと。

834:神も仏も名無しさん
19/05/29 12:12:06.13 2LKDReV+.net
>>812
お釈迦さまはご出家なさいました。

835:神も仏も名無しさん
19/05/29 12:16:39.91 2LKDReV+.net
社会参画と社会貢献にこそ価値があるという信条を持った人に
仏縁をもたらすには、大乗という方便が必要だったと理解しています。
悟っていない人がいう現実ってのは、自我にとって気持ちよい現実を
現実だと言ってるだけなのでね。

836:神も仏も名無しさん
19/05/29 12:18:41.07 /6i3dk2J.net
>>812
そもそも釈迦の教えは人を救うための教えではないから
自分が解脱するための教えだから

837:神も仏も名無しさん
19/05/29 12:28:30.09 2LKDReV+.net
方や、この世の生こそがすべて、この身こそが我っていう前提認識から出てくる考え方。
方や、考えてものを言っているわけではない。(自我の考えの延長に無我や悟りはでてこない)。
従って、基本的に話(言葉のやりとり)を通して理解を求めるのは無理。

838:桃太郎
19/05/29 15:31:11.84 9TFRWaeB.net
>そもそも釈迦の教えは人を救うための教えではないから
それでは、なぜ釈尊は膨大な仏の教えを説いてまわったの?
苦悩に沈む人々を救う為で無いのであるならば、誰のために説いたのですか?
何の目的で説いたのですか?
自身の解脱のみであれば、他者に向かって説く必要もなかったはず。
自利に徹して、仏法を説いたり、弟子を持ったりしなければ、提婆達多に嫉妬されり迫害を受ける事もなく、
ひいては九横の大難にも遭わずに済んだかもしれないのに、なぜ仏法を説いたのですか?
そもそも、あなた自身、仏法によって救われようとしているではないですか。
にも関わらず、「釈迦の教えは人を救うための教えではない」と、どうして断言できるのですか?
テラワダでは仏教をそのように人々に教えているのですか?
出来れば、その一文をここに載せてもらいたい。

839:桃太郎
19/05/29 15:35:18.65 9TFRWaeB.net
ここの皆さんは >>821 の意見に、なんの異論も無く賛同しているのだろうか?
だとすると、相当なもんだな。

840:桃太郎
19/05/29 15:51:51.04 9TFRWaeB.net
>釈尊は、世俗の一般的生活と決別することで大安心を得る方法を説いたわけだが?
誰のために説いたの?何のために?
>一般的生活と決別?
すると、君たちは全員、仕事もしていないニートさんなの?
君たちは、具体的にどうなふうに社会と決別し、一般生活と決別しているの?
お父さん、お母さんは悲しまないの?
「修行」と自分に言い訳して、現実社会から逃避しているんじゃないの?
もし、仕事もして、家庭をもって、一般的生活をしてるのであれば
「決別」した事にならないから、永遠に解脱など出来ないんじゃないの?

841:神も仏も名無しさん
19/05/29 15:54:12.67 k53wSrRs.net
どの地域の伝播ver.でも構わないから、
お釈迦さんの伝記を百万遍読んでから出直して来い。 >>824
君の疑問の答え、全部書かれてるからw

842:桃太郎
19/05/29 16:10:40.73 9TFRWaeB.net
だろうね。想定内だよ。(笑
痛いところを突かれて、答えに窮し、進退極まれりといったところですか。 ┐(´ー‘)┌

843:神も仏も名無しさん
19/05/29 16:12:17.51 9TFRWaeB.net
それに、「お釈迦さんの伝記」を百万遍読んでも
君がニートかどうか分らないと思うけど。(笑

844:神も仏も名無しさん
19/05/29 16:27:21.28 2LKDReV+.net
>>823 >>824
菩提樹の下で悟る前は布教してないよ。
達磨大師だってそう。世親も無著もそう。
自分が悟ってないのに、他人に教えられるわけないでしょ。
>>825
お釈迦さまが説いた解脱の境地は彼岸とも言われ、いまだ悟りに至らない
迷いの生は此岸と言われるが、君がいう「現実社会」も、出家者たちの出家
生活も、悟っていない限りは此岸。
逆に、離欲によって自我から離れれば、どこにいようと彼岸。

845:神も仏も名無しさん
19/05/29 16:28:48.72 2LKDReV+.net
感覚と思考が自我を形成しているので、自分が世界だとか現実だと思っているものは
いってみれば自分に過ぎない。
自分を手放せば、世界から抜け出したのと同じ。
(おそらくそういうこと)

846:神も仏も名無しさん
19/05/29 16:31:11.70 2LKDReV+.net
正義の怒りで暴れる自称大乗の人は、
他人を救いたいんじゃなくて、他人を救う自分でいたいという
自我執着の表れのパターンのひとつに過ぎない場合が多々ある。
特に、他人の信念信条を叩きながらやってるとしたら、そのケースだろう。

847:神も仏も名無しさん
19/05/29 17:54:14.22 9TFRWaeB.net
>>829
>そもそも釈迦の教えは人を救うための教えではないから
ここで言う、「釈迦の教えは」と言うのは、日本語からして当然「悟った釈迦の教え」だよね。
>自分が悟ってないのに、他人に教えられるわけないでしょ。
あなたの論理で言えば、悟ってない人が弟子に仏の教えなど説けるわけないからね。
弟子に教えを説くという事は当然悟っていなければならない。
ゆえに「悟りを開いた釈尊の教えは救うための教えではない」という事になる。
※ココ重要だからスルーしないでちゃんと答えてね。
その上で、「釈迦の教えは人を救うための教えではない」と言う事にあなたは賛同しているの?

848:桃太郎
19/05/29 18:06:00.15 9TFRWaeB.net
↑は桃太郎のレスでした。
>自分を手放せば、世界から抜け出したのと同じ。
(おそらくそういうこと)
恐らくそうじゃないよ。手放すのではなく、ありのままを観るが正解でしょう。
「縁起」という意味を理解してますか?
ものごとを縁起的に見るというのは、どんなものでも、ある因とある縁が結び合って成り立っている、
「すべては互いに依り合って存在している」と見ること。
常に変化変化の連続の中で現象として起こる。
そこにまた新たな因と縁が加われば、すぐに変化してしまう。
どんなものでも、因と縁が仮に和合して成り立っていると見る。いわゆる因縁仮和合です。
人間もそうです。自分といっても、仮に、こういう姿をとっているに過ぎない。
だれも変化を免れない。健康な人でもいつかは病み、死んでいく。うら若き乙女も、あっという間に、孫をあやすようになる(笑い)。
「自分とは何か」 —- そう考えても、十年前の自分と今の自分は違う。変わらぬ自分というものはないのです。
ゆえに、自分への執着(我執)を離れよ、と説いたのが仏教です。
いわゆる「無我説」です。
※ここで「世界から抜け出す」という考えは「自分」と「世界」を別物と考えているからそうなるのであって
それは、ちょうど「汚らわしき肉体から魂が抜け出す」みたいな考えとたいして変わらぬ、誤った考えですね。

849:神も仏も名無しさん
19/05/29 18:35:50.24 k53wSrRs.net
昔見かけた桃と同一人物かしらんが、
敵が居なくなった(卒業した)時機を見計らって出てくるところが、なんとも・・
あの頃の傷が癒えたと見えるw

850:神も仏も名無しさん
19/05/29 20:32:13.15 2LKDReV+.net
>>832-833
概念智で矛盾したり別物だと思っているものでも、体験智としてみたときは同じだったりするんですよ。
知識や思考で考えて概念的に理解された仏教が悪いとは言いませんが、結局、それは慧についての知識的理解であって、慧そのものではないんです。

851:神も仏も名無しさん
19/05/29 20:42:56.19 h9grF2Rc.net
>>835もまた慧そのものではないよ
言葉をお借りすれば概念智だね

852:神も仏も名無しさん
19/05/29 20:43:04.39 F/7c8Jvx.net
とても重要なことですね、それは

853:神も仏も名無しさん
19/05/29 20:43:09.47 v4NCgjuh.net
梵天勧請ってあるじゃん。
>>821は「そもそも」論を言ってるんだから別に何もおかしくないと思うがね。
あと中部の目連経だったかな?
道順はちゃんと教えるけどそれでたどり着けへんもんは知らんがな、みたいなやつ。
少なくとも初期のブッダは絶対救うマンではなかったように見えるのだが。

854:神も仏も名無しさん
19/05/29 20:55:05.09 2+L4lIKe.net
>そもそも釈迦の教えは人を救うための教えではないから
人を救うことと自己の解脱ってまったく同義なんだがな
ここら辺が違和感なくぴったりこないとまだまだ「概念智」とかで遊んでる状態

855:神も仏も名無しさん
19/05/29 21:01:22.42 k53wSrRs.net
>>839
それは、結果論。
お釈迦さんがアノーマー河を渡る時、
 「三界の衆生を残らず救おう!」
という決意で頭を剃ったのか?ということ。

856:神も仏も名無しさん
19/05/29 21:16:49.67 k53wSrRs.net
『梵天勧請という「フィクション」』が、
すべての仏伝に採り入れられている意味を、桃は未来永劫理解できないだろうし、
もし逆に、彼の言う通りなら、
「梵天勧請」というエピソードは、あってはならない伝承の筈なんだけどね・・・w

857:神も仏も名無しさん
19/05/29 21:24:36.65 k53wSrRs.net
余談:
>>839の考え方は、「本覚始覚如来蔵、仏性仏心等等」と同じくもろ刃の剣。
煩悩即菩提と言われたからと言って、
愚かさが悟りだというわけではないし、愚かなままでいいというわけでもない。
同じ構図として、
「自己の救済=衆生済度」という等式は、勿論成立し得るのだけど、
それは、数式のイコールのような等価ではないと思われるんだよね・・。

858:神も仏も名無しさん
19/05/29 23:09:01.50 2LKDReV+.net
>>836
言葉で伝達された時、言葉を解釈する受け手が言葉を解釈して
概念として受け取るのね。
お釈迦さまの言葉や、仏典の言葉を受け取る場合もそう。
言葉はあくまで概念を伝達するツール。
しかしお釈迦さまの言葉は、智慧から出てきている。
三学の修習を通して慧に達した人の言葉も、慧からでてきて
言葉として伝達される。
たとえば禅僧の言葉なんかもそれ。

859:神も仏も名無しさん
19/05/29 23:09:55.04 2LKDReV+.net
梵天勧請がフィクションだという判断は、三界がフィクションだという前提認識から出てくる判断だと思う。

860:神も仏も名無しさん
19/05/29 23:10:42.10 2LKDReV+.net
つまり、色界(の梵天)、無色界(の梵天)というものなどいない、存在しないという前提があって
梵天の話がフィクションという判断がでてきているはず。

861:神も仏も名無しさん
19/05/29 23:18:35.41 2LKDReV+.net
日光東照宮の「想像の象」を検索してみて欲しい。
象の実物を見たことがない人は、いくら誰かが象について正確に語った話を
聞いたとしても、「想像の象」を頭に思い描くことしかできない。
同様に、自ら仏道(道諦=三学)を実践して体験智としての慧に達しない限りは
「想像の仏教」を思い描くことしかできない。
各人の想像上の仏教は、たとえそれが(龍樹の語った空のように)正確に語ら
れた説明だとしても、想像の仏教に過ぎない。
想像の仏教について、やれこちらが正しい、あちらが間違いだとやってもあまり
意味がない。

862:神も仏も名無しさん
19/05/29 23:20:49.59 2LKDReV+.net
人間の思考や想像が、人智を超えたものを知るわけではないので、
人智を超えたもの(悟りの智慧)について、頭で考えても無駄。

863:桃太郎
19/05/30 12:29:43.34 vKGTk/nj.net
>>841
>『梵天勧請という「フィクション」』が、すべての仏伝に採り入れられている意味を...
ほう。じゃ君が詳しく説明してごらん。(笑 
※ヒント ここで梵天とは何を意味するのか考察してごらんなさい。
>煩悩即菩提と言われたからと言って、愚かさが悟りだというわけではないし、愚かなままでいいというわけでもない。
煩悩即菩提の意味が違うよ。(笑
>「自己の救済=衆生済度」
間違ってはいないが、順序が違うと思うよ。
「衆生済度=>自己の救済」これが正解だね。

自己の救済=>君たちの言う「解脱」なんでしょ。
それから、どうやって衆生を救うの?具体的に。
そもそも、出家もしていないあなた方が今世で「解脱」出来るかって所が最大のポイントなんだけどね。(笑
ほとんど、それは現実味が無いよね。すると、「自己の救済=衆生済度」と言っても所詮、名ばかりで実が無いのと同じでしょ。
空しいだけです。
どうしても、現実の苦悩から目を背けた厭世思想にしかみえないんだけどね。

864:神も仏も名無しさん
19/05/30 12:51:07.25 6fBMqwew.net
他人の心を制御するなんて不可能でしょう?自分の心の制御の仕方を学ぶのが
仏教だと思うんですけど?

865:桃太郎
19/05/30 12:57:47.20 vKGTk/nj.net
>他人の心を制御するなんて不可能でしょう?
平和運動というものは、何も人の心を縛ったりコントロールすることではないよ。
そんなことで人々を幸せにすることなど出来ない。
世間の一般例からみても理解できるでしょ。
仏法者としての立場から言うと、人々の「仏性(仏の生命)」を触発することなんだよ。
人間革命とも言う。

866:神も仏も名無しさん
19/05/30 12:59:48.12 6fBMqwew.net
それは、アートマンとの一体化を目指す梵我一如です。

867:神も仏も名無しさん
19/05/30 13:02:19.67 6fBMqwew.net
>>人々の「仏性(仏の生命)」を触発する 具体的にどうやって触発するんですか?

868:神も仏も名無しさん
19/05/30 14:42:29.04 6QCGIb6u.net
犯罪スレスレの折伏によって、相手の仏性を触発するんだよな

869:神も仏も名無しさん
19/05/30 14:49:25.34 6QCGIb6u.net
排他的な攻撃性と強引な折伏によって起きてくる障害を法難とし
法難を受けることをむしろ善しとするところに「人間革命」が起きるんだよ
池田大作という人は本当に頭の良い人だと思う
創価は宗教と言うよりも共同体としてしっかり組織づくりしたところに大勝利がある
彼が亡くなったらあの組織は維持していけるのだろうか?
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

870:神も仏も名無しさん
19/05/30 15:15:24.77 kZcordRS.net
桃太郎ってそうかなの?

871:桃太郎
19/05/30 15:18:17.76 vKGTk/nj.net
>>652
>人々の「仏性(仏の生命)」を触発する
それは、対話による「生命」と「生命」の触発以外にない。
仏法者でなくとも、歴史に名を残すような偉大な平和主義者というものは、大抵、対話と活字によって
人々の善性を触発するものだ。
なかんずく、「仏界の生命の涌現」は末法の御本仏日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」以外にない。
大聖人曰く
「如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」云々
「やすやすと成り候なり」だよ。

872:桃太郎
19/05/30 15:24:13.22 vKGTk/nj.net
>彼が亡くなったらあの組織は維持していけるのだろうか?
かつて、2代会長 戸田城聖が逝去したあと、新聞や雑誌に
「リーダを失った創価学会はいずれ空中分解するであろう」と騒がれたものだ。
しかし、戦後わずか3,000人で始まった創価学会は今や大発展を遂げました。
創価の仏法が正しい証拠だよ。

873:神も仏も名無しさん
19/05/30 15:38:57.58 6fBMqwew.net
>>「仏界の生命の涌現」は末法の御本仏日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」以外にない。
なぜ、断言できるのか?アッラーは唯一と何も変わらないでしょ。
梵我一如と仏教は似てるようで違う。悪い人じゃないと思うから、もうちょっと
テーラワーダ勉強して下さい。

874:神も仏も名無しさん
19/05/30 15:41:33.03 6QCGIb6u.net
>>857
わずか3000人の戸田の時代から発展したのは仏法というよりも
池田大作の能力と言って良いのではないかな?
池田亡き後、巨大な共同体を統帥して行ける人物が居るのだろうか
仏法の正しさを言えるとしたらそれからだな

875:神も仏も名無しさん
19/05/30 16:09:12.61 1tTQxyda.net
森の生活で解脱に至るのが最上。
街中で学識に励むのは次点。
解脱できない人のための次善の策。

876:神も仏も名無しさん
19/05/30 16:11:02.71 1tTQxyda.net
出世間が、世間の価値判断の尺度で無価値なのは当たり前。
価値があると思われるのなら、それは世俗的に価値があるということ。
解脱とは関係ない。

877:神も仏も名無しさん
19/05/30 16:11:37.93 1tTQxyda.net
世俗の仕事があるなら、それはそれでしっかりやればいいだけの話。

878:神も仏も名無しさん
19/05/30 16:18:44.59 1tTQxyda.net
現世利益を追い求める宗教(団体)が大きくなるのは俗世間の常。
釈尊はもともと天に至る道と、解脱の道の両方を提示しておられる。
それを知らんか、理解してないからそのたんびに新しい宗派ができる。
そんだけのことだと思う。

879:神も仏も名無しさん
19/05/30 16:36:46.58 +jknoulw.net
まあ創価学会が日本の仏教では布教に一番熱心なのは認める
テーラワーダもスマナサーラが日本での布教に熱心で色々本を書いたりしているけどね

880:神も仏も名無しさん
19/05/30 16:38:27.72 6QCGIb6u.net
禅宗の人たちなんかはテーラワーダを否定したりはしない訳で
それはやっぱ仏教は出世間のものであると言う感覚が強いからだよね
創価は思いっきし世俗の中で戦っていくための組織だし
牧口、戸田、池田、権力と闘ってきた人たちでもある
世俗の中で救われることに頑張ってきたわけだよね
創価はサンガと言えなくもないと思うがw
けどそれなら原始仏教も学べばもっと素晴らしいものになると思うんだ
創価はヴィパッサナーを取り入れたら本物の宗教になると思う
それが仏教とは違うものだとしても

881:桃太郎
19/05/30 17:20:55.22 vKGTk/nj.net
>>858
>なぜ、断言できるのか?アッラーは唯一と何も変わらないでしょ。
それが信仰というものでしょ。
最初から悟って信仰する人なんていませんから。
ただし、「信」には、「盲信」と「確信」の違いがある。
誰でも、人生を掛けた信仰を否定されたり、その教義を打ち破られたりする事は苦痛だろうね。
だから、皆こう言うんだよ。
「お釈迦様の教えは皆尊い、ゆえに、どの宗教を信じてもそれなりに価値があるものだ。
頂上に登る道は一つでは無い」と。
ちょうど、
「科学は素晴らしい、万有引力の法則はいくらあってもいいじゃないか。
1+1が2じゃなくても3でも4でもいいじゃないか。」と言うのと同じだよ。
しかし、その信仰が晩年何の価値もなかったとすれば、どんなに悔いても取り返しがつかない。
ゆえに、宗教の高低浅深を学ぶことは大切な事なんだよ。
日蓮大聖人は仰せだ。
「種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり」
大聖人ですら、我義を破るような智者に会う事があれば弟子になろうと言うのだから。
(※それに対し、当世坊主たちは法論ではなく、迫害をしてきたわけなんだが)
大乗仏教か興隆する以前(紀元前)にも、インドではナーガセーナとミリンダ王の法論があったし
天台も、伝教も法論によって、最上の法門とは何かを明確にし、真の仏法とは何かを証明してみせた。
この場合は、一宗の教えに固執した「盲信」では無く、比較検討の上での絶対的な「確信」となる。

882:神も仏も名無しさん
19/05/30 17:29:36.08 53CnpuLE.net
>>865
創価というか日蓮においてはヴィパッサナーは観心という天台の用語をそのまま用いて、しかも天台の「十境十乗観法」のような高度な瞑想では末法の世に衆生は救えないとして、
日蓮独自の観心の行を完成させてるよ。
URLリンク(k-dic.sokanet.jp)
こちらにごちゃごちゃと書いてあるが、要は
「一念三千を直ちに表現した曼荼羅を本尊として信じ受持することが末法の衆生にとって観心に相当し、これによって成仏できることを明かされた。この法門を受持即観心という」
この部分で日蓮の観行は説明できている。
これがその曼荼羅御本尊だね。
URLリンク(i.imgur.com)
日蓮宗においては御本尊は◯◯仏ではなく独特の髭文字で書かれた南無妙法蓮華経の題目が書かれた曼荼羅。

883:桃太郎
19/05/30 17:32:15.43 vKGTk/nj.net
>>860
じゃ、君は森に棲む「無職のニート」なんだ。
どうも、この手の質問をすると皆スルーするんだよね。
>>825
この質問にも答えようとしないし。
私は森の妖精になっても「解脱」は出来ないと思うよ。ホント。

884:神も仏も名無しさん
19/05/30 17:46:42.65 6QCGIb6u.net
>>867
そうなんだ、私が無知だったね
けどさ、創価はお題目だけでしょ?

885:神も仏も名無しさん
19/05/30 18:47:08.59 zIg6KMOx.net
だからw
お釈迦さんは ニートの極みなわけ。
社会的活動、生産的活動、世俗的人付き合い、
社会人としての義務責務、等等等、 一切果たしてない。
共同体の構成員としての義務を何一つ果たさずに、
自分の好きなことだけに邁進した人なの。

けれどもそこに、寸土も余さず灌がれる慈雨があるわけ。
桃には『解』らんのだろうな・・・。

886:神も仏も名無しさん
19/05/30 18:51:35.86 zIg6KMOx.net
もし、世俗的生き方を重視するなら、
(カーストという考え方の根絶へ向けて)
パセーナディ王の依頼を受けて、共に、より良い国造り社会造りに尽力したと思うよ。
でも、そうはしていない。
なぜ、その方法を選択しなかったのか。末世の愚弟は拈提すべきと思うよ。

887:神も仏も名無しさん
19/05/30 19:27:03.19 1tTQxyda.net
>>868
それだと、お釈迦さまや阿羅漢は解脱していなかったという意味かな?

888:神も仏も名無しさん
19/05/30 19:37:23.28 1tTQxyda.net
念仏もお題目も、末法の凡夫というのが前提なのでしょうか。
禅ができる人はそこには入らないと思うよ。
「末法の凡夫」じゃないし、概念化される前の仏法そのものをダイレクトに観られるわけだから。

889:神も仏も名無しさん
19/05/30 19:41:37.36 1tTQxyda.net
これがわからんってことは、方便が分からんってことだから
やっぱりそのレベルなのね、ってことにしかならない。

890:桃太郎
19/05/30 20:12:33.75 vKGTk/nj.net
>>870
>お釈迦さんは ニートの極みなわけ。
そんな事はどうでもいいんだよ。
ただ、君たちは教え通に、世俗を絶って(つまり無職のニートのような生活をしている)のかって聞いているの。
仏法には「教・機・時・国・教法流布の先後」という“宗教の五義”があるんだよ。
仏は、無暗に法を説くことはない。
仏は必ず、「時」と衆生の「機根」、その国の「国土世間」、それに応じた「教」を鑑みて法を説くのです。
2500年前の衆生の機根、そして国土世間は末法の今とは全然違うんだから、当然化導の仕方も異なってくる。
日蓮大聖人は仰せだ。
「仏教を弘むる人は必ず機根を知るべきである。
舎利弗尊者は金師に不浄観を教え、浣衣の者には数息観を教えたところ、
九十日を経て所化の弟子は仏法を少しも覚らないで、かえって邪見を起こし一闡提となてしまった。
仏(釈尊)は金師に数息観を教え、浣衣の者に不浄観を教えられたので、
たちまちのうちに彼等は覚ることができた。
智慧第一の舎利弗でさえなお衆生の機根を知らない。
ましてや末代の凡師においては機根を知りがたい。」
釈迦在世の弟子と君たちとでは、全然境涯が違うし、修行のレベルも違う。末法の衆生は本未有善の衆生
彼らは本已有善なんだから、現代では釈迦仏法では救われないんだよ。
この大切な事がなかなか理解できないんだよね。

891:神も仏も名無しさん
19/05/30 20:32:32.70 zIg6KMOx.net
>>875
まず「日本仏教史」を勉強してから書き込もうね。

892:神も仏も名無しさん
19/05/30 22:15:06.35 Id5Un0i4.net
>>875
余談だが不浄観はこの世を捨て去り解脱するためには大切な修行。
長老偈でも多くの長老が死体観察をして解脱したことを偈にしている。
例えば
5.1.1 ラージャダッタ長老の詩偈
315.比丘〔たるわたし〕は、墓所に行って、廃棄された女を見た。墓場に捨てられ、諸々の虫で充満し、喰われている〔女〕を〔見た〕。
316.まさに、或る者たちは、〔まさに〕その、死んだ者を、悪しきものと見て、忌避するが、
〔わたしのばあいは〕欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕が明らかと成った(死体に欲情した)。
流れ出る〔汚物〕のなかにいる盲者のように、〔わたしは〕成った。
317.飯が炊き上がるよりも早く、〔わたしは〕その状況から去って行った。
気づきと正知の者として、わたしは、一方に近坐した(瞑想した)。
318.そののち、わたしに、根源のままに意を為すこと(如理作意:固定概念なく思い考えること)が生起した。
〔世俗の〕危険は明らかと成り、世を厭う気持ちは確かなものとなった。
319.(319) そののち、わたしの心は解脱した。
見よ―法(事象)が見事に法(事象)たることを。
三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)は獲得され、覚者(ブッダ)の教えは為された。
ということで―

このように不浄観によって心身の無常を知り、世俗の虚しさを知ると、世を厭う気持ちが確立する。
世を厭ってこの世への執着を断ち切れば解脱できる、ということだね。

893:神も仏も名無しさん
19/05/30 22:25:01.30 1tTQxyda.net
>>875
だから、機根が違うんだよね。
しかもいまは平民でも三蔵が読めるうえ、接触できるサンガは国内に限定されない。
正法がないのは、そういう見通しを持った人にとってはそうだというだけで、世界の
見方が違う人にとっては別の世界が広がってると思いますよ。
日蓮宗に惹かれる人は、仏法に対して五蓋の「疑」が根っこにあるから、信から定に
至らせるための方便として、そいういう教えになってるだけやと思うし。
疑があったら悟れないからね。
世界観が「この世は末法だ」という見通しで、わたしは「末法の凡夫だ」というセルフ
イメージの人にも法門を開いたんだから、たいしたもんだと思うよ。
でも海外の仏教徒にはほぼ通用しないと思う。

894:神も仏も名無しさん
19/05/30 22:30:51.53 1tTQxyda.net
菩薩はいまも世界中にいるし、その人たちはポータブル正法やから
末法とかないし。

895:神も仏も名無しさん
19/05/30 22:36:50.41 53CnpuLE.net
創価学会って海外で広がっているの?世界宗教を目指しているの?
URLリンク(start-soka.com)
まあ海外の熱心な仏教徒が今の信仰をやめて創価学会に鞍替えするということはないと思うけど、
海外の無宗教者や既存の宗教への信仰心が薄い人が創価学会に入信するケースはありそうではある。

896:神も仏も名無しさん
19/05/30 22:41:37.53 sPtbNyHI.net
法華経、日蓮宗では四諦はどう説かれてるのかな

897:神も仏も名無しさん
19/05/31 00:08:48.01 /7ell1Cp.net
>>881
例えば三車火宅や正法誹謗の罪について書いてある「妙法蓮華経(法華経)譬諭品第三」では、
日蓮が最も読んでいたと思われる鳩摩羅什訳だと
爾の時に諸の天子、重ねて此の義(世尊の徳のこと)を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  昔波羅奈(バラナ)に於て 四諦の法輪を転じ
  分別して諸法 五衆(五蘊)の生滅を説き
  今復最妙 無上の大法輪(法華一乗の教え)を転じたもう
などという記述もあるけど、
日蓮はこういった世尊の教え、修行、修行の果は「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我らこの五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまう」として、
妙法蓮華経の五字を受持すれば釈尊の修行の功徳を全て譲り受けることができ釈尊と同体になれるとしているよ。
つまり、妙法蓮華経の五字を受持するために南無妙法蓮華経と題目を唱えれば即身成仏できるとした。
成仏しているのだからもう四諦などの修行の果などは全て具えているということになります。

898:神も仏も名無しさん
19/05/31 00:20:01.19 /7ell1Cp.net
法然、親鸞、道元、日蓮は6000巻にも及ぶ漢文一切経を生涯に渡って何度も読破したことがあるという大変な勉強家。
阿含経もスッタニパータとか一部を除いては読んでるからその修行法は心得てるし、
大乗仏教のバイブルの一つ龍樹の大智度論にもそういう所謂小乗の修行法は得々と説かれているから、三十七道品なども当然心得ていると思われる。
ちなみに空海も三十七道品の大切さを説いている。
ただ彼らはそこで終わらなかった。
それは中国仏教では大乗仏教の六波羅蜜が重要視されたとか、中観や唯識や天台などで阿含経を発展させた?修行法などから入ったからというのもあるけど、
単に中国仏教のコピーには終わらない独自の教えをそれぞれ開いた�


899:B だから宗祖となってるわけだね。



900:桃太郎
19/05/31 09:06:44.42 KKged6Qq.net
>「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我らこの五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまう」
うむうむ。その通り!すばらしい!
ゆえに、日蓮大聖人は「如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」と仰せになられたのだね。

901:神も仏も名無しさん
19/05/31 09:13:56.42 KKged6Qq.net
>>878
>でも海外の仏教徒にはほぼ通用しないと思う。
じゃ、 >森の生活で解脱に至るのが最上。
とかいう宗教が世界宗教になり得るとでも?
完全に世界市民に受け入れられない時代に逆行した教えだと思うよ。

902:神も仏も名無しさん
19/05/31 10:23:57.39 jjBEHQn+.net
仏教は真理であって流行り廃りじゃないからな

903:神も仏も名無しさん
19/05/31 10:42:44.43 ocOa+JL/.net
NEO仏教
URLリンク(www.youtube.com)

904:桃太郎
19/05/31 10:56:47.83 KKged6Qq.net
>仏教は真理であって流行り廃りじゃないからな
その真理とやらを勘違いしているのが原始仏教徒だと思う。
真理であるという証明が出来ないのに、どうして真理といえるのでしょうか?
大聖人は、文証、理証、現証の上から正法とは何かを証明されようとされました。
自己申告でも無く、「...だと思う」とかいう自説でもなく、仏の経文の上から、また一番重要な
現証の上からの証明であるから間違いない。
「法に依って人に依らざれ」だよ。

905:神も仏も名無しさん
19/05/31 12:47:37.01 jjBEHQn+.net
> その真理とやらを勘違いしているのが原始仏教徒だと思う。
そこ、詳しくおねがい

906:桃太郎
19/05/31 13:33:21.86 KKged6Qq.net
>>889
厳密に言うと、「仏教は真理」では無い。
「真理」は久遠元初以来元々あるもの。仏や神様が作り出した「法」ではない。
そして、真理そのものに価値があるわけでは無い。それをどう応用するかで、価値、反価値が決まる。
例えば、物理学に於ける宇宙の法則にしても、科学者が勝手に作り出したものでは無い。
どのように応用すれば人類の役に立つのか、研究し価値を創造したのだよ。
同じように、妙法を極めた仏はどのようにすれば、一切衆生を仏にし、所願満足の人生を得さしめることが出来るのか
布いては、人類の幸福、世界平和へと導いていけるのか、その修行法を膨大な経典の中に説いたのです。
原始仏教は衆生の機根や時と言ったものを度外視しているゆえに、いくら修行しても価値がないのです。

907:神も仏も名無しさん
19/05/31 14:20:00.67 Xz++FDJ/.net
仏陀が説いたことが真理でないなら何故日蓮は六千巻もの仏典を読み漁ったのかな
ご案内の通り仏陀自身、また弟子たちは出家して出世間の真理を悟りその言葉を残した
そこから読み取ったものが真理ではないとするなら何なのだろう
日蓮宗は仏教ではないということかな

908:神も仏も名無しさん
19/05/31 14:33:15.69 s73Ebo9M.net
桃太郎って頭おかしいの?

909:桃太郎
19/05/31 14:34:28.82 KKged6Qq.net
>>891
なんか、私が言う事が君には通じていないみたいだね。
もう少し冷静に読んで欲しい。

910:桃太郎
19/05/31 14:44:14.77 KKged6Qq.net
仏法は真理だが、仏教が真理というと誤解を生じるから、分かりやすく教えてあげたの。
>>885
で言いたかったことは、「仏教は時と衆生の機根によって、教えの内容や教導の仕方が違ってくるんだよ。」と言う事だ。
そして君は >>886 であたかも、「仏教」は真理であり、修行法は時代に関係なく固定化されていると思っている。
その間違いを指摘したまでだ。

911:神も仏も名無しさん
19/05/31 14:51:29.36 Qi42maL7.net
桃さんの言うことも説得力がありますな。
ただ疑問なのは、日蓮さんは阿羅漢ではなかったようなのだけれど、
それについてはどう思っているんだろう。

912:神も仏も名無しさん
19/05/31 14:55:55.38 jjBEHQn+.net
無知で悪いんだけど、日蓮は阿羅漢だったの?

913:神も仏も名無しさん
19/05/31 15:00:18.06 jjBEHQn+.net
>>895
被りました、違うんだ
だとするなら仏法の真理性をフルに伝えている教えとは言えないのではないかなぁ

914:桃太郎
19/05/31 16:47:43.89 KKged6Qq.net
>>895
少なくとも日蓮仏法は阿羅漢を目指してはいない。
だから、あまり阿羅漢という言葉は使わないんだよ。
阿羅漢果というのは、声聞・縁覚の極果でしょう?
(原始仏教でいう最終的な境地?)
大乗仏教では於いては、この二乗の衆生は木っ端微塵に弾呵されているから
阿羅漢というのは永久に成仏できないという事になっている。
日蓮大聖人は
「舎利弗は千二百の羅漢の中に智慧第一の上首、閻浮題第一の大智者である。肩を並べる人はいない。阿難尊者は多聞第一の極聖、釈尊一代の説法を空に誦した広学の智人である。
 このような極意の大阿羅漢ですら、なお往生成仏の望みをとげられなかった。」と仰せになられている。
声聞の阿羅漢果は無常を超えているとはいうものの、諸大乗教で釈尊自身、永不成仏の解脱の落とし穴であると弾呵している。
二乗が永久に成仏できないとされたのは、二乗は利己主義の穴に落ちるからであった。
では、なぜ利己主義の穴に落ちるかといえば、爾前経で明かされた成仏の修行は、
きわめてすぐれた素質を持つ人が、超人的ともいうべき忍耐と精進によってはじめて実行しうるもので、
一般大衆には到底、不可能であったから、二乗は人々にこうした修行を教え、導こうとする気持ちを失ってしまったからであると考えられる。
日蓮仏法は阿羅漢なんて目指してません。
私も世俗を離れ森に住む気もありません。
日蓮仏法の目指すところは「成仏」なんです。
それを可能にするのが「南無妙法蓮華経」の一仏乗なんだよ。

915:神も仏も名無しさん
19/05/31 17:12:49.86 jjBEHQn+.net
サーリブッダは阿羅漢なのに成仏できなかったとするのは何故?
それって日蓮に都合の良い解釈してるだけじゃないの?

916:神も仏も名無しさん
19/05/31 17:39:36.73 /LK1PBGI.net
日蓮ってブッダの言う事を疑う人だったの?それは成仏できるわけないわ

917:神も仏も名無しさん
19/05/31 17:58:54.85 34+hAoLN.net
阿羅漢=仏陀(なぜなら、初転法輪時、釈尊含めて6人の阿羅漢と言われるから)
が、お釈迦さんに遠慮して「仏陀」という呼称を使用しない、というだけ。
また(後代)『一つの時代には一人の仏陀』という約束事もあるので、
以降、釈尊以外の仏陀は存在し得なくなった。
大乗に於いては、それがもっと顕著。
一切智者たる仏陀になれるのは、上にあるように、一世界一時代に一人だけ。
それも、過去仏によって任命(w)されていたものだけ。(で、弥勒さんが次の仏陀予定)
逆に、世界の数だけ仏陀がいるともいえる。その一人が阿弥陀さんであり多宝仏であり燃燈仏であり・・・)
だから、例外なく誰もが仏となれる(仏陀となれる)という考え方の発生は画期的だった。

918:桃太郎
19/05/31 18:42:57.94 KKged6Qq.net
<二乗永不成仏>
声聞・縁覚の二乗は永久に成仏できないこと。
爾前の諸大乗教では、二乗は永久に成仏できないと弾呵されたことをいう。
二乗不作仏ともいう。
日蓮大聖人は「開目抄」に仰せだ。
「もろもろの声聞らは、前四味の爾前経においては、どれほどの呵嘖をこうむり、
人天大会の中で、恥辱がましきことを数知れず受けた。
そのゆえに迦葉尊者の泣き叫ぶ声は三千世界をひびかし、須菩提尊者はぼう然として手の一鉢を捨てた。
舎利弗は食べている飯を吐き出し、富楼那は宝器に糞を入れているような下劣な人間であると嫌われた。
世尊は初めて成道した時、鹿野苑において阿含経を讃歎し、二百五十戒を師として修業せよなどと、ねんごろに褒めさせ給うておきながら、
今また、いつの間に自分の所説を、このようにまで謗り、声聞の弟子を弾呵されるのであろうか。」と。
当然、二乗の修行の極果である、阿羅漢も成仏できない。
...と、爾前教(法華経以外の教え)では説かれている。
まぁ、在世の阿羅漢と言えば大抵外道出身のエリート僧が大半らしいけどね。
だから、エリート意識や、慢心、利己主義的な心が無意識の中にあったんだろうね。
ちなみに、爾前権教では、女人、五逆罪を犯した者、二乗の修行者は成仏できないと戒められている。
ところが、一転して法華経にきて、これら不成仏の衆が、ことごとく「成仏」を許される。
ゆえに、法華経は難信難解(信じ難く解し難し)なんだよ。
いわば、「不成仏」と弾呵する釈尊の心は一つの戒めだろうね。
仏は最初から、誰一人見捨てる事はしない。それが仏の慈悲というものだ。
不良の子どもがいて、見捨てる親がいないように。

919:神も仏も名無しさん
19/05/31 18:58:26.01 Xz++FDJ/.net
日蓮が言うから正しいとするのは日蓮宗、創価学会の中でのみ有効な論理だろうな

920:桃太郎
19/05/31 19:11:38.99 KKged6Qq.net
爾前教に於いては、十界の衆生を隔別に説いたが
随自意の法華経に於いては、その考え方を根本的に乗り越え、
十界のいかなる衆生も仏界を顕し、成仏する可能性をもっているとの変革の原理を説いたのが、法華経の十界互具である。
ゆえに、二乗永不成仏はそのまま、他の八界の不成仏となる。
端的に言えば、仏界とはどこにあるか。ほかでもない、二乗界にある。
逆に、二乗界とはどこにあるか。ほかでもない、菩薩界にある。また仏界にもある。
生命観の大転換です。
法華経提婆達多品において、最初に成仏したは「竜女の成仏」
畜身であり女人である竜女の成仏を説く事で、法華経による一切衆生の成仏を説き顕わしたのです。
物語の中では、「竜女の成仏」を舎利弗が非難して曰く
「なんで、おめー女人のくせしやがって、俺より早く成仏出来んだよ、オラー」
「成仏するには、すげー長い間何度も生まれ変わって修行して初めてなれんだぞ!」
「即身成仏なんてありえんだろうがぁー!」と言ったとか言わなかったとか。(笑
そこで、竜女曰く「「舎利弗よ、これを『竜女の成仏』と思うのが見当違いなのだ。『我(舎利弗自身)が成仏』なのだと観ていくのだ、
と(竜女が舎利弗を)責めたのである」」と経文には書かれてある。
法華経がそれほど偉大な経文あることを比喩を通して説かれてあるのです。

921:神も仏も名無しさん
19/05/31 19:23:40.29 Qi42maL7.net
桃さん回答ありがとう。
一つ疑問があるんですが、成仏するために、
その前段階である阿羅漢になってないといけないわけではないんですか?
私の理解では、阿羅漢に至った後、さらに修業を続けて仏を目指す、と思っていたんですが。

922:神も仏も名無しさん
19/05/31 19:35:18.81 PSKrV9Nr.net
>>885
全員が出家じゃないからね。

923:神も仏も名無しさん
19/05/31 19:38:09.03 PSKrV9Nr.net
世界宗教の聖書の宗教も、全員がラビや牧師、つまり聖職者ではない。

924:神も仏も名無しさん
19/05/31 19:50:46.84 Xz++FDJ/.net
道元は大乗も上座部も同じ一つの仏教だとしたよな
これが本物、単純な事実、格の違い

925:神も仏も名無しさん
19/05/31 19:51:10.91 PSKrV9Nr.net
禅宗に乗り込んで折伏しようとしても、返り討ちに遭うだけ。
テラワダも同じ。
成仏して下さい。

926:神も仏も名無しさん
19/05/31 20:24:06.56 PSKrV9Nr.net
処方箋が正しいかどうかは、患者による。
それはどの処方でも同じ。
日蓮が打った大芝居も処方箋のひとつ。

927:神も仏も名無しさん
19/05/31 20:54:14.06 34+hAoLN.net
上の方で機根云々の話も出ていたけれど、
同じ病状でも、個々人の体質や合併の症状や耐性体力アレルギー等で
薬の成分や処方を変えるのと同様、機根に合わせて説かれたから、八万四千と言われるわけで。
「機根」に合わせず、唯一種類の薬を処方し続けるのが、日蓮系の愚行でしょうに・・w

928:神も仏も名無しさん
19/05/31 22:59:55.54 Xz++FDJ/.net
そもそも末法の世という認識が正しかったのかどうか

929:神も仏も名無しさん
19/06/01 09:34:33.67 eCqLHxsG.net
日蓮とスマナサーラって自分ところが正しくて他は間違いとするところで似てるね

930:神も仏も名無しさん
19/06/01 10:20:50.79 FaXYwUmt.net
偏狭な大乗ってしかし妙ちくりんな宗派だな

931:神も仏も名無しさん
19/06/01 10:27:52.83 cmWDLL8C.net
そうかって冥想するの?

932:神も仏も名無しさん
19/06/01 11:33:57.45 OeWVQxTg.net
日蓮聖人は、
「妙法五字の光明に照らされて本有の尊形となる」(『日女御前御返事』) 「妙法蓮華経の五字に照らされて、私たちが本来持って生まれてきた尊い姿のとなる」
「心が統一され、安定した状態。一つのことに心を専心して無念になる」
という境地になる と述べられています。
この境地を「唱題三昧境」(唱題による深い瞑想の境地)といいます。
URLリンク(www.honsyoji.jp)

933:神も仏も名無しさん
19/06/01 15:20:48.26 1/rl0CYV.net
三昧に入るには精神統一が不可欠だから、(五蓋の)疑があったら入れない。
瞑想じゃないよ、といいながら瞑想させる。
ニンジンが食べられない子どもに、ニンジンケーキを作って食べさせる母親と同じ。
ニンジンが好きで、すすんで食べる子には別に必要ない。

934:神も仏も名無しさん
19/06/01 15:23:02.73 1/rl0CYV.net
今ひとつの理由は、
日蓮が活躍した当時の日本においては、宗派が乱立して、何が本当の仏教なのか
一般人には見分けがつかなくなっていたはず。
そこで、何でも良いから信じられる対象、一心不乱に熱中して精神を傾注できる
対象を与えるしかなかったのだと思う。
それが念仏であったり、お題目だったなら一応理屈は通るし、理解できる。
各人が各様に解釈した仏教概念は、いわば「想像の象」に過ぎないので、そうした
ものを一片に捨て去って、とにかく何かひとつの方便を信じさせ、精神統一させる
必要があったのだろう。

935:神も仏も名無しさん
19/06/01 15:24:41.75 1/rl0CYV.net
いまはもう第六結集を経たパーリ三蔵経典にも、経典を解釈できるサンガにも
世界中どこからでもアクセスできるので、日蓮の時代とはだいぶ状況が違う。

936:桃太郎
19/06/01 18:00:01.83 SzdrW9bF.net
>>916 
それは日蓮宗の教義であって、創価学会のとは違います。
瞑想など必要ありません。
ただ、唱題行と折伏のみ、そこにすべての修行が含まれているとします。
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我らこの五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまう」
「如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」
これに尽きる。

937:桃太郎
19/06/01 18:00:39.31 SzdrW9bF.net
>>911
>「機根」に合わせず、唯一種類の薬を処方し続けるのが、日蓮系の愚行でしょうに
法華経はそもそも、末法の衆生のために説かれたものと言ってよい。
在世の衆生は元々過去世に於いて釈迦如来と仏縁を結んだ衆生であるから、
衆生の機根次第では、原始仏教(小乗教)でも権大乗経でも得道することも出来た。
ところが、「五の五


938:百歳」すなわち仏滅後2000年後の末法に於ける衆生は釈尊とはまったく縁の無い。(本未有善) その時に、法華経の経典には「上首上行菩薩(地湧の菩薩)が出現して末法の法華経を説くであろう」と記されている。 法華経従地涌出品では、多くの阿羅漢や大菩薩達が、「末法に於いて命を賭けてこの尊い法華経を弘めます」と誓願するが、 釈迦は「止みね。善男子よ。汝等が此の経を護持せんことを須いじ」とこれを制止した。とあります。 すなわち釈尊は上首上行菩薩をはじめとする(地湧の菩薩)眷属にのみ末法の「法華経」を託したのです。 ここで予言されている「上首上行菩薩」とは言うまでもなく外用の立場で日蓮大聖人であり、その内証は「久遠元初自受用身如来」であられるのです。 結論から言うと末法の衆生への処方箋は「南無妙法蓮華経」ただひとつなのです。 法華初心成仏抄に曰く 「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」 素直に信じようが、信じまいが、とにかく尊い法華経を聞かせてあげなさい。 信じるものは速やかに仏になるし、謗ぜん者は毒鼓の縁となっていったんは地獄に墜ちるが仏縁を結んだことにより、必ず最後は成仏するという意味です。



939:神も仏も名無しさん
19/06/01 19:23:52.38 Vnvt7pRE.net
>>918-919に尽きてるだろう

940:神も仏も名無しさん
19/06/01 20:19:59.30 1/rl0CYV.net
仏教の教授期は、二度目の2500年周期に入ったらしいので
いまは正法に接することができる時代。
この2500年が終わると、もうこの世界では次の弥勒仏まで
解脱の教えに出会うことはできないらしい。
つまりいまがチャンス。

941:神も仏も名無しさん
19/06/01 23:15:46.39 7b+bFC8F.net
20世紀からが正法が蘇ってくる時期に当たるのかな?
だとするならば
桃太郎さんもひょっとしたらワンチャン日蓮さんを超えるかも知れないんだよね

942:神も仏も名無しさん
19/06/02 01:23:33.92 ibiK3L9x.net
なんか法華経信心する夢見たw
桃太郎のせいだと思うけどw
これで自分もいつか成仏するんだろうかw

943:神も仏も名無しさん
19/06/02 01:25:07.64 ibiK3L9x.net
ちなみに現実では信心するつもりはないw
これからもテーラワーダ信じていきますw

944:神も仏も名無しさん
19/06/02 11:56:39.58 8232q7hE.net
それ折伏されとるのでは…

945:神も仏も名無しさん
19/06/02 12:12:47.93 ibiK3L9x.net
www

946:神も仏も名無しさん
19/06/02 13:05:16.62 RhWV1mR7.net
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)

947:桃太郎
19/06/02 18:18:54.03 0czi4x3f.net
>>924
あっははは。www
正直な人だね。
>>925
それでいいんだよ。(笑
私が日蓮仏法を書き込む目的は「動執生疑」を促す事なんだから。
私が君たちの立場だったら、そんなに簡単に自分の信仰を変えるわけないよ。
そんなことは最初から分かっている。
君たちからも色々学ぶことはあるよ。
ただ、宗教的信念の上から安易に妥協することは無いんだけどね。

948:桃太郎
19/06/02 18:20:44.64 0czi4x3f.net
ごめん。
上のアンカーひとつずれている。
>>925-926 だね。

949:神も仏も名無しさん
19/06/03 00:05:46.66 9DmovS4l.net
透明あぼんに戻した。

950:神も仏も名無しさん
19/06/03 02:09:14.14 Lor0O6RC.net
あと少しで有身見から離れられそうなのだが、最後の一歩が果てしなく難しい・・・
思いの手放しだけでは駄目で、無常についての真の理解(体感)が必要なことは分かった
ただそのためにはある種の執着を断たねばならない

951:神も仏も名無しさん
19/06/03 09:12:45.48 lZhDGsPS.net
預流向というものですね。
智慧が生じて煩悩が生じなくなるのだから、頭で理解するのではだめなんでしょうね。
心が変化して、もう二度と戻らないようになる必要がある。
あと一歩とのことなので、達成できるのではないでしょうか。
いい結果が出ることを祈ります。


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