【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践16at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践16 - 暇つぶし2ch400:桃太郎
19/04/15 20:45:31.83 MdtEy9hM.net
>どうしても悟りの智慧を、悟っていない人が解釈することになるので限界があると思う。
あなた自身、悟ってもいないのにどうして分かるの?ったく。(笑
そもそも「悟る」って簡単に言ってるけど意味分かって言ってんのかな?
悟る、悟らないって言ったって、内面の話だから自己申告だよね。
「俺は悟った」と言えば悟った事になるのかな?
くれぐれも「ナンチャッテ覚者」に成らないことを祈ります。
貴重な人生を無駄に過ごさないで下さい。

401:桃太郎
19/04/15 20:52:22.03 MdtEy9hM.net
フランスの文豪ロマン・ロランは叫んでいる。
「自分の魂が救われるか救われないかということにばかりこだわっていれば、救われることからかえって遠ざかる。君が君自身を救いたいなら、人間を救え! 
もっと的確に言うなら、ほかの人々の中へ、君自身を忘れ去れ! そうすれば、それ以外のたいせつなことはみな君につけ加わって来るだろう」(『内面の旅路』片山敏彦訳 みすず書房)
さすが文豪だね。仏の考えと一致している。

402:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:07:21.46 tioFqYfW.net
>>394
神秘体験したことあるからそういう心の持ち方が天国を引き寄せるのは知ってるけど、
お釈迦様の教えはそれをさらに越える所にあると思うのよね

403:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:15:52.88 odVIm3ru.net
早く死にたい。全ての苦から脱することの出来る教えはありますか?

404:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:18:44.29 zP9Z6ECE.net
ナワタタナ

405:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:30:39.60 tioFqYfW.net
>>396
そういう絶望した人の為にこそ仏教があると思う、
ダンマパダとかスッタニパータとか読んでみてほしい。
お寺の接心会とかもいいと思う。
個人的に思うところでは、
惨めさとか哀しみとかこんなのは自分じゃないという思いを
受け入れたくないと頑張ってるから苦しいのかもしれない、
一度、たった一瞬だけでも自分を度外視して、
その全ての苦を心を開いて受け入れてみるということができれば、
発想の転換を起こせるかもしれない。

406:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:32:26.33 u6IFqTj3.net
スリランカ仏教は正当なのか。
大乗やキリスト教にかつて迫害された過去から全然執着を断ち切れてないみたいだけど

407:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:36:58.70 odVIm3ru.net
>>398 上座部の修行はとても出来るとは思いません。私は五戒も持てないと思います。
個人的にはイエスの教えが一番救いを感じますが、キリスト教の教義は正則したものがなく
結局行き詰まるだろうと思います。信仰には疲れました。上座部の修行は私には出来ません。
今は唯、早く死が来ることを願っています。どの宗教でも自死は良くないというのは知っていますが、
今は死が甘美なものに感じられます。

408:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:37:46.82 odVIm3ru.net
仏陀にお会いしたい。仏陀なら導いてくださる気がする。

409:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:45:01.28 sHoNgnq1.net
仏教の無我は、自分を忘れるとか、自分を受け入れるとかじゃないんだよね。
自分なんて最初から存在してなかったんだと気付くこと。そうなれば自分に執着することが無くなるのだから、苦しむ事が無くなる。
五蘊の中に自分なんてものは無いし、他人もない、世界もない。ただ五蘊が生滅しているだけ。
放っとけばいいだろう、五蘊なんて、ロクなもんじゃないし、勝手にすれば、というのが無我。
大地にはもともと国境は無く、人間が勝手に領土を主張しているように、もともと誰のものでもない五蘊を自分のものだと錯覚する事が全ての苦しみを産んでいる。

410:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:55:35.89 odVIm3ru.net
>>402 それが分かれば、もう生まれ変わることなく存在自体を消せますか?

411:神も仏も名無しさん
19/04/15 22:07:06.11 sHoNgnq1.net
>>403
存在を消すんじゃなくて、始めから存在なんてものは自分で作りあげた幻想。
それに気づけば執着が無くなる。執着が無くなれば生まれ変わる事が無くなる。
今ある体が最後の体になる。

412:神も仏も名無しさん
19/04/15 22:14:15.72 odVIm3ru.net
>>404 大乗では末法の衆生にはその修業は出来ないと教わりました。そういう観心の修行自体が謗法なので地獄へ落ちると。

413:神も仏も名無しさん
19/04/15 22:31:34.83 6kpDtZf+.net
>>405
できますよ。
いまは戦国の世ではありませんし、もし間違った仏教解釈が流布されていれば
世界の裏側からでも速攻で突っ込みが入ります。

414:神も仏も名無しさん
19/04/15 22:34:12.22 6kpDtZf+.net
身口意の三業において、仏法僧への帰依を宣言する。
できることでいいので、心からのお布施、喜捨をする。
それだけでも果報があるはずです。
なぜなら、業は信じようと信じまいと必ず業果をもたらすからです。
果実が実るのは時間の問題でしょう。

415:神も仏も名無しさん
19/04/15 22:47:51.83 wdfFbMx5.net
>>407 それは具体的にどこへ行けば教えてもらえますか?

416:神も仏も名無しさん
19/04/15 22:51:46.60 wdfFbMx5.net
それに存在が幻想、縁と縁とにより仮に成り立っていると言われても、現実にここに物質が存在している。今、ここにスマホがあり私は書き込みをしている。

417:神も仏も名無しさん
19/04/15 22:53:54.97 wdfFbMx5.net
ID変わってますが396です。

418:神も仏も名無しさん
19/04/15 23:08:20.35 6kpDtZf+.net
>>408
お返事になっていないかもしれませんが、
第一義的には、わたし自身はお釈迦さまに帰依しているつもりなので、どこか特定
の宗派や団体が最優先の選択肢という風には考えていません。
お釈迦さまに帰依している人の集いを探して、その中からどれが自分に合った
居場所なのか判断します。
具体的にひとつの場所に限定するのではなく、居場所をみつける羅針盤として
三宝と三宝への帰依を心の中に持っている感じです。

419:神も仏も名無しさん
19/04/15 23:18:20.56 wdfFbMx5.net
>>411 ありがとうございます。教団と言うのは一度話を聞いて良さそうだと思い何度か足を運び、余所へ行こうとすると地獄へ落ちると脅されます。

420:神も仏も名無しさん
19/04/15 23:19:11.28 wdfFbMx5.net
かと言って自分で修行は出来ません。信頼出来る所へ行きたいです。私も釈迦への帰依が大事だと思います。仏教を説いたのは釈迦お一人なのですから、それ以外を奉ずる所は避けています。

421:神も仏も名無しさん
19/04/15 23:33:46.98 6kpDtZf+.net
瞑想したら地獄に墜ちるんだったら、日本の仏教史上の禅宗の坊さん
たち、全員地獄行きですね。
寝入りばなの最初の5分だけ瞑想してみるとか、週に一回だけ五戒を
守ってみるとか、そんな身近なところから始めてみるのも良いのでは
ないでしょうかね。

422:神も仏も名無しさん
19/04/15 23:41:15.91 wdfFbMx5.net
>>414 少なくとも日蓮系はそう言ってます。瞑想修行は末法では出来ない、むしろ害であると。
五戒を一週間だけ守ると言う発想はありませんでした。ブッダはそれをお許しになるのですか?
また、瞑想は半跏趺坐の数息観でよいのでしょうか? 一度数息観をして体調を非常に崩してしまいました。

423:桃太郎
19/04/16 00:31:15.05 4a6EtvPH.net
>>396
>早く死にたい。全ての苦から脱することの出来る教えはありますか?
正直ありません。日本では毎年、2万人の自殺者が出ます。
あなたのように死が自身の苦悩から解放してくれるだろうと誤った考えに陥るからです。
仏法の本義は六道輪廻の娑婆世界からの離脱(解脱)ではなく、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」なのです。
生命は永遠であり、三世に渡り永遠にこの娑婆世界の中で生き続けるのです。
ゆえに、苦悩からの逃避ではなく、逆に苦悩を乗り越える教えを仏は説いたのです。
子どもの頃、夜も眠れない程の悩みでも、時が経てば大した事でもないと思えることがあります。
それは自分が大人になり、境涯が高まったからに他なりません。
人生には、それ以上の様々な苦悩や困難が付きまとうものです。
しかしそれから逃げていても何も解決できません。悠然と立ち向かうのです。
苦しいから死にたいと言って自殺しても、来世はまた今以上の苦悩に苛まされるのです。
生命はどのように輪廻を繰り返すのか。その原理はすでに初期仏教に於いても説かれてあります。
それを少しだけ説明しましょう。
ちなみに>>402の無我の説明はちょっと違いますね。

424:神も仏も名無しさん
19/04/16 00:36:19.43 2K+plDeX.net
みんな収入を何で得て生活しているの?

425:神も仏も名無しさん
19/04/16 00:37:10.61 nbwqA6S2.net
414じゃないけど
ミャンマーやタイの上座部でも短期間の出家があるし
一週間と区切ってやるのも大丈夫だと思うよ。
お釈迦様は自分で確かめろと言うくらいだから
出家前に少しずつ確認するのなんて全然ありでしょ。
しかし本当、お釈迦様が生きてたら
どんぴしゃな瞑想法教えて貰えたんだろうな。
当時生きてた人が羨ましい。

426:神も仏も名無しさん
19/04/16 01:00:52.50 bHvTZUUh.net
>>416 396です。ご解説お願いいたします。とはいえ生きる気力がありません。
何もしたいことが無く、まだ体力と気力が残っているうちに死ぬことが楽に思えるようになりました。
もちろん昔は死が怖く生きる張りもありました。今は消えたいです。

427:桃太郎
19/04/16 01:52:05.62 4a6EtvPH.net
ギリシャ王メナンドロスとインドの仏教僧ナーガセーナの間で行われた問答
いわゆる弥蘭陀王問経(ミリンダ王の問い)として知られる仏典がありますが、この問答のやり取りを読めば
仏教の基本的概念である「無我」「縁起」「五蘊」そして「輪廻」の大まかな意味を理解出来るかと思います。
"自我と無我との対論"として一般にも名高い『ミリンダ王の問い』の考察の延長上にある
九識論ならびに真我の確立というテーマが現代の文明・社会に対して大きな警鐘と示唆を与えるかと思われます。
まぁ、あまり小難しい仏法用語を並べても分かり辛いでしょうから、仏典の内容を見てみましょう。
ちなみにウィキペディアによれば、ナーガセーナは紀元前2世紀頃のインドの仏教の僧と言うことですから
まだ、大乗仏教が成立するかなり以前の初期の頃の部派仏教僧であると思われます。
しかも、その論理展開がアビダルマ的分析法に従っているのでゴリゴリの小乗教徒であった事は確かです。
さて本題に入ろうかと思いますが....。
うーん、もう遅し明日は仕事が早いので、続きは明日します。
「396」くん、まだ死ぬなよ。(笑
では、お休みなさい。寝るわ。

428:神も仏も名無しさん
19/04/16 07:58:06.28 THLMS4Zo.net
ナラワタナ

429:神も仏も名無しさん
19/04/16 08:26:10.53 dMDnsA+Y.net
>>409
どこに「スマホ」なんてものがあるのか。どこに「私」なんてものがあるのか。
目に飛び込んできた四角い形、ツルツルした肌触りに対して勝手に「スマホ」と名前をつけただけ。
現実にあるのは視覚と触覚の生滅の連続。それには最初から名前は付いてない。
私も同様に、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、思考の生滅の連続に過ぎないのに、それに勝手に自分と名付け、
「私は善い人間だ。価値がある。」「私は悪い人間だ。価値が無い。」などと妄想して苦しんでいるのが凡夫。
瞑想して無我を体得すれば、私というものを妄想しない、勝手に作り出さない、眼耳鼻舌身意をそのまま放っておくことができる。
私というものが無いので、私が生老病死する事もない。一切の苦しみから解放される。それが解脱と呼ばれる。

430:神も仏も名無しさん
19/04/16 10:26:33.38 wmBLDT3k.net
でも病気になったら痛いし苦しいよな?
これは私ではないから痛くないし苦しくない
ってなるか?
実際にがんになっても一切の苦しみから解放されるか?

431:神も仏も名無しさん
19/04/16 11:03:21.96 hVtN5f+u.net
瞑想者が脳波を競うマインドフルネス・バトル開催! 世界最静の「瞑想バトル」誰にもこの解脱は止められない!
URLリンク(tocana.jp)
どうぞ

432:神も仏も名無しさん
19/04/16 11:59:46.36 2G2RosR7.net
>>415
例えば、これまで全く五戒を守れなかった人がいたとして、
月に一度だけ、週末だけでもお酒を飲まずに五戒を守ってみる。
これは立派な戒学増上だと思います。
そのうち、週に一度にしてみる。
土日の二日間にしてみる。
いずれ、毎日守ってみる。
いつかお酒を飲んで五戒が破れてしまったら、それでも諦めずに
改めて五戒を守る。
これも立派な戒学増上だと思います。

433:神も仏も名無しさん
19/04/16 12:06:23.43 2G2RosR7.net
>>415
慈悲の瞑想から始めてみてはどうでしょう。
ところで、念仏や題目も瞑想の一種だと思いますけどね。
或いは、お経を読む行為も身口意の三業を形成しますから、
その業果は(長い輪廻のいつかどこかの段階で)いずれ返って
くるはずです。

434:神も仏も名無しさん
19/04/16 12:09:42.45 2G2RosR7.net
いますぐこの場で解決したければ、いますぐ八正道に全力投球すれば(できれば)
いますぐ苦から解放されると思いますよ。
数息観でもアナパナでも、マハシ式ヴィパッサナーでも同じです。
全身全霊で気づきを保ってみれば、絶対わかるはずです。

435:桃太郎
19/04/16 12:45:50.01 KLX37ReG.net
>>422
それは「無我」の解釈の仕方が仏法本来の本義とは違っているよ。
現実は>>423の言う通りであり、「心頭を滅却すれば火もまた涼し 」なんていう諺をリアル行うことなど
現実には出来ない事なんだよ。現実から乖離した観念論は、人を惑わし、何の価値も無い。
何より現実の苦悩から目を背けても何一つ解決はしないではないか。
仏法は事象を在りのままに見る「諸法実相」の立場を取るのです。
「諸法実相」とは
すべての存在・現象の真実、ありのままの姿のこと。
「諸法」とは、この現実世界において、さまざまな様相をとって現れている、すべての現象・物事のこと。
「実相」とは、真実の姿、究極の真理のこと。仏がその広く深い智慧で覚知した万物の真実の姿が、諸法実相である。
この真実を覚知すれば、諸法と実相とが別々のものではなく、諸法はそのまま実相の現れであり、実相もまた決して諸法から離れてあるものではないことがわかる。
従って、諸法の現われが実相であり、無我だからと言って、すべての現象・物事から逃れることは出来ない。
>>422の考えはただの唯識論とさほど変わらないし、現実逃避の浅い考えだと思う。
うっ、休憩時間終わり。

436:神も仏も名無しさん
19/04/16 12:47:37.67 hVtN5f+u.net
>>426
お念仏、お題目=慈悲の瞑想ではないでしょうか
マインドフルネススレだと同意してくれる人が少ないのですが
お念仏、慈悲の瞑想、観察の場は同じものだと感じます
それは自力ではなく他力なのです
一昨日、山下良道さんが同じようなことを言ってました
仏陀、阿弥陀如来、イエスなど他力に帰依しない限りマインドフルネスは不可能だと
全く同意です

437:神も仏も名無しさん
19/04/16 13:09:41.07 dMDnsA+Y.net
>>423
例えば、怪我で長い間練習できなかったボクサーが、怪我が治って練習を再開すると、殴られる痛み、息が上がる苦しみが嬉しくてしょうがなくなる。
普通の人は、痛み苦しみを嫌って怒り、悲しむ。
仏道修行においては痛み苦しみをありのままに観察し、それらに対して平静、冷静に気づき続ける。それをヴィパッサナー瞑想、実践という。
ヴィパッサナー瞑想では、痛み苦しみだけでなく、全ての感覚に執着しない。なぜならそれらは無常、苦、無我であるから。
無我に達した人の体にも、痛み、苦しみなどの感覚が発生するが、その人は感覚に対して何の感情も抱かない。
喜ぶのでもなく、悲しむのでもない。痛みがある。苦しみがある。それでおしまい。最後の体が無くなるのを待っている。

438:神も仏も名無しさん
19/04/16 13:22:55.02 dMDnsA+Y.net
>ヴィパッサナーは「今という瞬間に完全に注意を集中する」実践です。何をしていても、「今・ここの自分に気づいていく」こと。
>それが、ヴィパサナーです。自分を客観的に「よく観る」のです
>今ここの一つ一つの瞬間に意識を向ける。心地よいことでも不快なことでも、ありのままの体験を価値判断しないで、そのまま観るのです。
>葛藤をシャットアウトしたり、コントロールしようとして新たな問題を作るのではなく、ただ気づくだけ。それ


439:が観るということです。 >それが苦悩を超える道です。安らぎが訪れ、心と体を癒すことになるのです。 >波立っている水面が穏やかになってすべてを映し出すように、深い智慧と洞察力が生まれてくるのです。 初期仏教の世界 ー ヴィッパッサナー瞑想 https://j-theravada.net/world/vipassana/



440:神も仏も名無しさん
19/04/16 13:38:06.57 wmBLDT3k.net
>>430
感情があるかどうかじゃなくて
痛覚はあるだろう?ということ
精神的にじゃなくて身体的に痛くて苦しいだろうということ
あなたががんになって痛みでのたうち回ってる時に同じこと言えるのかってこと

441:神も仏も名無しさん
19/04/16 13:39:46.94 pBJuX4r/.net
>>423
実際はこうです。大般涅槃経より。
URLリンク(i.imgur.com)
老いて色々苦しくても、無念無想の心三昧に入って住するときは安らかである、とブッダはアーナンダに言われました。
瞑想でそのような境地に至れば苦しい中でも安らぎを得られるということです。

442:神も仏も名無しさん
19/04/16 13:43:50.92 dMDnsA+Y.net
>>432
だからボクサーの例をあげたでしょ?
悟ろうが何しようが、肉体的な痛み、苦しみは確かにあるが、それは問題じゃない。
人間はそれを喜ぶことだってできるんだから。
自分は死ぬ時になったら瞑想する。痛みがあろうが苦しかろうが、何の問題もない。
山岡鉄舟の最期がそうだったね。
「腹張って、苦しきなかに、明烏」と辞世の句を詠んで、結跏趺坐したまま絶命した。

443:神も仏も名無しさん
19/04/16 15:22:03.18 al8YfeVB.net
ID:dMDnsA+Yみたいな野狐を昔の禅師はしばき倒して目を覚まさせたんだろうな

444:神も仏も名無しさん
19/04/16 15:25:46.48 2G2RosR7.net
三昧入れれば肉体的苦痛は消えてしまうというか、感じないよ。
禅定入って悟ったような人にとって、肉体は自分じゃなくてアバターみたいなもんなんじゃないかな。

445:神も仏も名無しさん
19/04/16 15:27:28.21 2G2RosR7.net
悟った人が野狐禅をしばき飛ばすなら善いんだけどね。
瞑想を分かってない人が、瞑想できる人をしばき倒してた時代が長かったもんで、日本仏教は形骸化しちゃったんじゃないかな。

446:神も仏も名無しさん
19/04/16 16:13:35.73 qlWaZR6K.net
>>436
三昧に入れない人が言ってもね

447:神も仏も名無しさん
19/04/16 16:25:39.85 2G2RosR7.net
三昧体験がある人は結構いるはず。
再現性があるかどうか、正定に至っているかどうかは別。

448:神も仏も名無しさん
19/04/16 16:28:10.99 2G2RosR7.net
修行生活に切り替えれば入れるけど、
山を下りて日常生活に戻ると段々入れなくなってくるとか、人それぞれでは。

449:神も仏も名無しさん
19/04/16 16:42:41.36 JqcyHbsh.net
>>434
痛みを喜べない元世界チャンピオンもいるみたいだな
URLリンク(www.oricon.co.jp)
自分はボクサーでもがん患者でもないのに想像でものを言わないほうがいいな

450:神も仏も名無しさん
19/04/16 17:09:22.65 dyTcs2TF.net
大般涅槃経の記述をどう見るか。
激痛に見舞われた世尊は、
念を具え正知を具え、悩まされることなく、それを耐え忍ばれた。
入滅の際は、初禅に入り、それから順に想受滅定に入り、
また逆に、想受滅定から順に初禅に降りて来、再び第四禅まで入って、
第四禅を出て入滅された、と。

451:神も仏も名無しさん
19/04/16 1


452:7:10:53.77 ID:2K+plDeX.net



453:神も仏も名無しさん
19/04/16 17:21:33.42 2K+plDeX.net
>>442
>激痛に見舞われた世尊は、
>念を具え正知を具え、悩まされることなく、それを耐え忍ばれた。
この時は、だから自灯明と法灯明がこれからは大切になるとアーナンダに伝えて、自灯明法灯明とは四念処であるようなことを言われているので観行をするように説いています。
ただ、四念処によって苦しみに耐えれていたかどうかは不明ですし、
直接的には無念無想の心三昧によって苦しみの中でも安らぎを得られるとしているので、苦を制御したのは観行よりも止行の方がだと思いますね。
理論的には想受滅定で苦からは解放されると思いますが、どうなんでしょうね?
入滅の時は九次まで色々な止行をしてから入滅したとアーナンダと共に最後を見届けた阿那律が解説してましたね。

454:神も仏も名無しさん
19/04/16 19:05:18.46 dMDnsA+Y.net
>>441
自分はキックボクシングを齧ってたけど、あれは相当楽しいよ。
ボディに入ると息が止まって死にそうになるけど、それでも楽しい。
顔面にパンチもらうのも気持ちいい。
竹原さんはボクシングの痛み、苦しみは何てことないし、平気だろうけども、
ガンによって死ぬことの不安、恐怖に苦しんでるんだよ。ガンの痛み自体もおそらく耐えられるだろう。
要するに肉体的苦痛はたいした苦しみじゃない(普通に立派な大人なら)。精神的苦痛は自殺をも引き起こす大変な苦しみ。
三国志の関羽は麻酔無しで肘の手術をしたって話もあるね。

455:神も仏も名無しさん
19/04/16 20:29:03.42 mCZpjwdB.net
すごいなあ
肉体的苦痛は大したこと無いと
言えるのが普通に立派な大人
って感じなんですね
私には無理だな・・・
喘息発作や腹膜炎やったことあるけど
とてもじゃないけど私には無理だな
大したこと無いとは言えない苦しさだった

456:神も仏も名無しさん
19/04/16 20:49:47.65 tS/WYlRa.net
生老病死の苦を超えるのが仏教だということだから
悟った人がそうなるというのは理屈通りではある

457:神も仏も名無しさん
19/04/16 20:57:18.41 2K+plDeX.net
>>446
私も去年腹膜炎で入院しましたが、絶食の上抗生剤点滴で治療していた最初の一週間はとにかく痛くて一日に2~3時間しか眠れなかったですね。
一日2回だけ使用を許されたオピオイド系鎮痛剤のペンタジンが効いている、かつ静かな夜にしか練れなかったです。
スマホアプリで睡眠時間を測っていたので間違いはないですw
入院する前までは一日30~40分の瞑想を暫くしていたのと、大般涅槃経を既に読んでいたこともあり、
ブッダのように瞑想で少しでも痛みが取れないかと坐禅、伏禅?で試みましたが、それどころではなかったですw
結局、一日2回のペンタジンと一日3回のアセトアミノフェン点滴が効いてる間だけ、いくらかの安らぎを覚えることが出来ました。
これらの薬の効果はすぐに消えてしまうのが残念でしたが。
まあ私は独学で修行も全然進んでないので、本当の修行僧やヨガ行者なら話は違うんだとは思いますが。

458:神も仏も名無しさん
19/04/16 21:03:06.29 2K+plDeX.net
>>447
ブッダにしても全く苦しまなかったわけではもちろんなかったようですよ。
URLリンク(i.imgur.com)

459:神も仏も名無しさん
19/04/16 21:05:23.92 2K+plDeX.net
>>449の他にもう一つ
URLリンク(i.imgur.com)

460:神も仏も名無しさん
19/04/16 21:32:28.86 bHvTZUUh.net
396です
>>426  検索してみました。URLリンク(j-theravada.net)
今まで聞いた仏教らしからぬ、キリスト教の愛と許しと喜捨に近い内容ですね。
実乗の菩薩行と言っていることが同じで、テーラワーダの方がきちんと言語化している点は日本仏教より勝れているのではないでしょうか。
好感が持てます。
今まで私が接した方々は「キリスト教は仏教に劣後するものだから、愛は慈悲に劣る。仏教でなければ人格は完成しない。人権などはキリスト教由来の概念であるから認めない」とキリスト教を毛嫌いしながら、
平気で嘘をつく、騙す、差別をする人が多かったもので、少し希望が持てました。感謝いたします。
引用:「まず最初に、自分自身に対して慈悲の心を作ります。どんな生命にとっても、いちばん大事で最優先されるのは自分であるというのは、ごく当たり前のことですから」
これまでの仏教は自分を無くせとばかり言われていたので驚きました。

461:桃太郎
19/04/16 21:38:41.88 4a6EtvPH.net
法華経「法師品」から
「是の人は、自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於いて、衆生を愍むが故に、悪世に生まれて、広く此の経を演ぶるなり。
若し是の善男子、善女人、我が滅度の後、能く竊かに一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし。是の人は則ち如来の使なり。
如来の所遣として如来の事を行ずるなり」
----------
この人は、行いによって得た、清浄な仏国土に生まれるべき果報を自ら捨てて、私の滅後に、衆生をあわれみ、利益するために、悪世に生まれて、広くこの経を演説するのである。
もしも、この善男子、善女人が、私の滅後に、ひそかに一人のためであっても、たとえ一句であっても、法華経を説くならば、まさに知るべきである。
この人は、如来の使いであり、如来から遣わされたものとして、如来の仕事をなすのであると。
----------
昨日の続きです。
※たぶん前にもここのスレで書いたような覚えがある。ような気がする。(笑
※加筆修正して再投稿する。
参考文献:中村元、早島鏡正訳の『ミリンダ王の問い』全三巻(平凡社・東洋文庫)、仏法 西と東(東洋哲学研究所)より
-----------
「実体としての人格的個体の否認」
ミリンダ王は、まずナーガセーナに質問をします。
「尊者よ、あなたは何という名なのですか?」
これに対して、ナーガセーナは、
「大王よ、わたくしはナーガセーナとして知られています。大王よ、同朋である修行者たちはわたくしをナーガセーナと呼んでいます。
しかしながら、大王よ、この『ナーガセーナ』というのは、実は名称・呼称・仮名・通称・名前のみにすぎないのです。
そこに「人格的個体」は認められないのであります」と答えています。
-----------
※冒頭から、ナーガセーナというのは単に仮名にすぎなくて、そこに人格的個体は認められないと、はっきりと仏法の"無我的立場"を打ち出している。
彼らにしてみれば、たとえばナーガセーナと呼ばれる人物があれば、そこに人格的個体があると見るのは微塵の疑いも許さない自明の事柄であったろうと思う。
それを頭から否定されたわけだから、さぞかし驚いたであろうと思う。

462:桃太郎
19/04/16 21:40:11.70 4a6EtvPH.net
これを聞いたミリンダ王はナーガセーナの答えに大いに驚愕し、矢つぎ早に質問をします。
たとえば、もし人格的個体が認められないならば、修行にはげむのは誰か、殺生をなすのは誰か、
酒を飲むのは誰かなどと、行為の主体およびその行為の責任をとる者についての鋭い質問をぶつけています。
さらに、いったいナーガセーナと呼ばれる当のものは何ものなのか、と問い、
こんどは具体的に、ナーガセーナを構成している心身の各要素を一つ一つとらえて、それがナーガセーナなのかと細かく問うていく。
髪、身毛、爪、歯、肉、骨、心臓などを初めとして、仏法の五蘊である色(物質的なかたち)、受(感受作用)、想(表象作用)、行(形成作用)、
識(識別作用)の一つ一つがナーガセーナなのかと聞き、最後に五蘊の合したものがナーガセーナなめか、
また五蘊以外の何かがナーガセーナなのかと問い詰めていくけれども、結局、すべてそうではないと否定される。
ついに、ミリンダ王は業を煮やして、「ナーガセーナあなたは虚言を語った」といって立腹してしまいます。
ところがその後、ナーガセーナはただちにミリンダ王の用いた同じ論法でもって、ミリンダの車について反論していきます。
つまり、車を構成している各部分について、一つ一つ、それが車ですかと問うていきます。
轅、軸、輪、車体、車棒、軛などについて、それが車であるかと問い、さらに、その全部を合したもの、あるいはそれらの要素以外のなにかが車なのかと問い、
ミリンダをしてすべて車ではないと答えさせます。その結果、ナーガセーナもミリンダ王と同じように、あなたは嘘言を語った、といって非難するのです。
----------
※まさに見事な反論です。ナーガセーナに問いつめられたミリンダ王は、車というのが、軛に縁って、軸に縁って、
輪に縁って、車体に縁って、車棒に縁って、「車」という名称・仮名・通称が起こるのであることを理解し、
それをナーガセーナに語るのですね。そして、ナーガセーナは、王のその解答を用いて、巧みに、人格的個体が存在しないことを認めさせてしまう。
この結論を聞いたミリンダ王は、「すばらしい、尊者ナーガセーナよ。立派です。尊者ナーガセーナよ」といって感嘆したと記されています。

463:桃太郎
19/04/16 21:41:09.16 4a6EtvPH.net
ここまでの対論によってナーガセーナは西洋哲学にはない仏法の基本的概念である「縁起」による「無我」の概念をミリンダ王に理解させる事に成功しています。
「それぞれの生命体の個性は、それぞれの業エネルギーによって、五陰仮和合の在り方が異なるからである」
刻々と変化してやまない、その生命流以外に自分というものはないのです。しかも、その流れは常に他の生命流と「縁起」の関係によって、互いに互いを生じさせている。
だから「無我」です。固定的な実体というものではない。しかし、にもかかわらず厳然として、自分自身という生命流は存在するのです。
この事は、後に「輪廻の主体をめぐって」というミリンダ王とナーガセーナの対話の中で語られる事になります。
つづく。

464:神も仏も名無しさん
19/04/16 21:57:16.77 4a6EtvPH.net
>>433
涅槃経は大乗仏教だよね。
釈尊の教えは、自分が悟った「永遠の法(ダルマ)」を万人に悟らせることに目的があったのだね。釈尊の死後も、その「法」を師とせよと教えた。
師である釈尊に常随給仕していた阿難(アーナンダ)は「仏が亡くなられた後、私たちは何を頼りにして修行していけばいいのでしょうか」と、釈尊に尋ねています。
釈尊は、こう答えています。“アーナンダよ、自らを島とし、自らをたよりとせよ。他人をたよりとせず、法を島とし、法を依りどころとせよ”と。
いわゆる「自帰依・法帰依」とか「自灯明・法灯明」と言われる言葉です。
ここで大事なのは、法と仏の関係です。
「法」には「教え」という意味も含めて、さまざまな意味があるが、結論を言うと、釈尊が「法」と呼んでいるものは、実は「永遠の仏」の生命と別のものではない。
「永遠の仏」の法身(法を体とする仏身)のことと考えられる。少し飛躍した言い方になるが、釈尊が「永遠の法」を悟ったというのは、
イコール「永遠の仏」を自身の内に見た、ということと考えられる。
法華経から見るならば、「法を依りどころとせよ」という教えは、根本的には、「永遠の仏」を師とせよ、との遺言であったのです。
何より釈尊自身が、その「永遠の仏」を師として悟りを開いたのです。
ここで「自らをたよりとせよ」というのも、もちろん単なる「自分」ではありません。自分が頼りにならないことは自分が一番よく知っています。
「心の師」となれということです。私どもで言えば、正しき信心(仏の教え)に生き抜けということです。その自分は「依りどころ」になる。
日蓮大聖人は「一生成仏抄」で「己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」と仰せです。法といっても自分の心を離れてはありえないわけです。
法と人(仏)は本来、不可分なのです。「如来」というのも「如(真如・真実の世界)からやって来たもの」ということです。
すなわち「如来」とは、真実の「法」が現実の上に表れたのです。宇宙生命に“人”の側面と“法”の側面があり、それが一体なのです。

465:桃太郎
19/04/16 21:57:43.65 4a6EtvPH.net
釈尊の説法に「法を見る者は我を見る、我を見る者は法を見る」という言葉がある。
法を体得すれば釈尊に会うことができ、釈尊に会えば法を悟れるという意味です。
「我を見る」の「我」とは、根本的には「永遠の法」と一体となった「永遠の仏」です。
法華経寿量品では、永遠なる「常住此説法(常に此に住して法を説く)」の仏身を説く。
文上の法華経では、五百塵点劫以来の「久遠実成の釈尊」のことだが、その指向しているのは無始無終の「久遠元初の仏」です。
釈尊が悟った「永遠の法」即「永遠の仏」は、あらゆる仏が悟った「永遠の大生命」であった。
過去・現在・未来のあらゆる仏は、ことごとく釈尊と同じく「久遠元初の仏」を師として悟ったのです。
それが久遠元初の自受用身であり、南無妙法蓮華経如来です。
無始無終で慈悲の活動を続ける、その大生命体を「師」として、「人間・釈尊」は人間のまま仏となったのです。
そして、悟ったとたん、三世十方の諸仏は皆、この人法一箇の「永遠の仏」を師として仏になったのだとわかったのです。

466:神も仏も名無しさん
19/04/16 21:58:46.74 THLMS4Zo.net
ナラワタナ

467:神も仏も名無しさん
19/04/16 22:16:11.30 bHvTZUUh.net
>>456 さんは身延ですか、興門ですか?

468:神も仏も名無しさん
19/04/16 22:17:17.19 irdhHfUb.net
この桃太郎って人延々とスレ違いの長文連投して何がしたいの?
法華経が素晴らしいって話ならブログなりスレ立てて他でしてくれ
日蓮宗か創価か知らんが法華経至上主義の人って他人の迷惑考えない人多いよね
そんな独りよがりな鈍感な人が他人を救うことなんてできないと思うよマジで

469:神も仏も名無しさん
19/04/16 22:28:42.78 sLjSIyPx.net
>>449
他者から見たら「耐えた」になるんだろうさ
毒キノコかなんか盛られたんだろ

470:神も仏も名無しさん
19/04/16 22:29:59.70 sLjSIyPx.net
>>443
ティク・ナット・ハン師の師匠だね

471:神も仏も名無しさん
19/04/16 22:38:32.45 bHvTZUUh.net
>>432
>>445 私も空手をやっていたので、言わんとされるところは分かります。
しかしそれは一部の特殊な体験をしたことのある人たちだけでしょう。それでは万人に出来る修行ではないと思います。

472:神も仏も名無しさん
19/04/16 23:06:14.14 sLjSIyPx.net
格闘技は半分意図的にそういう状況に入っていってるからなぁ
不意な病気や怪我とはちょっと違うと思うんだ、一般的には
悟った人は「わたしのものではない」なのかもしれないが

473:神も仏も名無しさん
19/04/16 23:36:42.54 dyTcs2TF.net
今でも、
南伝の涅槃経を知らない人間がいるんだもんなぁ・・。
しかも上座部スレでw

どんなギャグだよw

474:神も仏も名無しさん
19/04/16 23:44:25.82 nbwqA6S2.net
大パリニッバーナ経って言った方が分かる人多そう

475:神も仏も名無しさん
19/04/16 23:49:17.16 dyTcs2TF.net
ちゃんと日本語(漢字)で「大般涅槃経」と書いてあったと思うけど、
カタカナでないと通じない日本国ってのも嫌だなw

476:神も仏も名無しさん
19/04/17 01:30:18.96 ZiiftULd.net
>>455
法をみるものはわたし(仏)をみる。
最初からそう言われているし、瞑想の段階が進んでいくと、それらは
知識としてではなく、体験として直接的に知ることになっていくと思い
ます。
思います、というのは、解脱まで達した人の智見をわたしは体験と
しては知らないので、自分が経験したところから先は推測するしか
ないので、そういう言い方になります。
仏教に大小優劣があるのではなく、各人の到達点に違いがあって、
かつ、その境地を言語化した時の表現にバリエーションがあるだけ
だと思いますよ。
他宗派だけでなく、他宗教の聖人の話のなかにも、名前が違うだけ
で仏教と同じことを言っていると思われる箇所は沢山あります。
知識だけだと、名前が違うだけで別概念として捉えられますから
別物だと思ってしまうだけ、というケースは多いと思います。

477:神も仏も名無しさん
19/04/17 04:02:01.02 sL7GhmK4.net
相応部経典36.6
二の矢を受けず

478:神も仏も名無しさん
19/04/17 07:05:29.38 h1hvChYY.net
>>459
ほんそれ
彼等は日本仏教の恥だよ

479:桃太郎
19/04/17 08:45:29.23 v9HPaq5K.net
>>458
ゴリゴリの創価学会員だよ。(笑
>>466
あー、そうなのか。よく見ないで恥かいちゃったナ。(笑
人生何でも勉強だな。
>>459
私は今にも死にそうな >>396 くんの為に「生命はどのように輪廻を繰り返すのか。」を教えてあげてんの。
あれー?ムガムガ(無我)していれば、回りは気にならないじゃなかったけ?
瞑想も大したこと無いな(笑 修行が足りんよ。
まーパソコンいじってる段階で、「無我」とは縁遠いんだけどね。(笑
つーか、無我の意味も勘違いしているし。

480:神も仏も名無しさん
19/04/17 08:56:47.11 v9HPaq5K.net
>>461
人々を抑圧する権力に身を挺して抗議したということだね。
無関心のテーラワーダの教えとは対極をなしてるね。
出来れば生きて戦うべきだったね。

481:神も仏も名無しさん
19/04/17 09:16:06.67 ZKC+UlT2.net
違う、アメリカが介入してきて仏教徒を共産主義の温床とみなして弾圧してきたからだ
べきだったとか何とか、池田先生ならともかく君の言うことじゃない

482:神も仏も名無しさん
19/04/17 09:17:33.10 ZKC+UlT2.net
つか、NGネームにしてるんだからコテ外すなよw

483:神も仏も名無しさん
19/04/17 12:15:42.67 Viv2p2l+.net
>感覚には苦も楽も不苦不楽もあるし、一つの感覚だけ続くことはあり得ない。感覚は、因縁によって現れたり、消えたりするのです。
>愚か者は、「感覚が我であり、我が魂であり、永遠である」と誤解して執着して、輪廻転生して苦しむが、理性のある人は、
>感覚に対する執着を一切捨てて、解脱に達するのです。これが釈尊の説かれた「無我」の話です。
魂は巨大妄想の産物である ー 仏教の無我は因縁論です
URLリンク(j-theravada.net)

484:神も仏も名無しさん
19/04/17 12:45:56.41 Viv2p2l+.net
仏教は瞑想して気分が良くなったねという癒し、ヒーリングでもないし、本を読んで理論で理解する学問でもない。
苦しみを乗り越えるための修行なんだから、実際に苦しみをどんどん経験しないといけない。
ブッダは苦行を捨てられた、というが、ブッダの後継者マハーカッサパ尊者は頭陀行をされた。
そもそも当時の出家は外で生活するのだから、暑さ、寒さ、飢え、痛みに耐えなければいけなかった。
アスリート、格闘家並の根性、忍耐が無ければ成就できるものではない。

485:神も仏も名無しさん
19/04/17 14:11:59.89 8afyA39w.net
やる気があって機会があったら
是非外で生きて歩いて
瞑想して地べたに寝て起きて
拾ったり貰ったもの食べて
とか一日でも一週間でも一生でも
やってみたらいいと思うよ
それが身に沁みて考えられると
全然何もかも違ってくると思うよ
無理にやること無いけどね

486:神も仏も名無しさん
19/04/17 14:26:36.99 ZKC+UlT2.net
頑張って苦しめば悟れるというロジックはエゴだと思うけどな
…かといって、サマタもやらない、念入りな実況中継もしないで
アリノママー、イマココーとか思ってても何もならないと思うけどw

487:神も仏も名無しさん
19/04/17 15:51:53.87 5M7VpFSb.net
何がきっかけで悟るかは結局人によるんじゃね
個人的にはお釈迦様の説いた方法が
一番合理的な悟り方なんじゃないかと思うけど、
只管打坐や公案で悟ったと思しき人もやっぱいるからね

488:神も仏も名無しさん
19/04/17 16:13:09.94 ZiiftULd.net
結局やってることは八正道(道諦)だから、本質は同じだと思うんですけどね。

489:神も仏も名無しさん
19/04/17 18:01:36.07 X6kQwIDO.net
慈悲の瞑想
慈悲の瞑想(フル)
慈経を電車などで見ているのですが
むやみに怒る事も抑えられとても役にたっています。
他にも日々役に立つような経などありますか?

490:神も仏も名無しさん
19/04/17 18:36:17.16 ZKC+UlT2.net
四弘請願とかどうかな

491:神も仏も名無しさん
19/04/17 20:26:15.59 Viv2p2l+.net
百尺竿頭進一歩
悟りは常に、自分の限界を超えたところにある。
自分の限界を超えるからこそ、自我が潰れて、無我が現れてくる。

492:神も仏も名無しさん
19/04/17 20:28:22.37 Viv2p2l+.net
>>480
吉祥経、宝経、勝利の経。

493:神も仏も名無しさん
19/04/17 21:04:05.08 D1rJIXLQ.net
>>482
それは、
スーパーサイヤ人3みたいに、 「その先」がある ということではないよ。
「出世間から世間へ戻ってこい」というのが原義。  >>百尺竿頭進一歩

勿論、様々な応用、読み解きを否定はしないけれども。

494:神も仏も名無しさん
19/04/17 21:08:46.93 D1rJIXLQ.net
少し付け加えるなら、
>>482で言われる >限界を超えたところ というのは、
 悟りの境地にあるだけでなく、≪「衆生済度」へと向かう「はたらき」を生じさせねばならない≫
という意味で、
 限界を超えた『その先』
と見做すことはできるけれど。

495:神も仏も名無しさん
19/04/17 21:47:19.51 Viv2p2l+.net
正法眼蔵随聞記にある、道元禅師の解釈はいちおうこうです。
>古人は、「百尺の竿頭にあってさらに一歩を進める。」と言っている。人間というものは、いかにも百尺の竿のさきにのぼると、
>ここで足をふみはずしたら死んでしまうと思って、いっそう強くしがみつく気持ちがあるものである。
>そこをかえって、「思い切って一歩を進める」と言っているのは、「教えにしたがうのであるから、まさか悪いことにはなるまい」と思い切って、
>すべてを投げ出すように、世渡りの仕事をはじめとして、自分の生活の手段に至るまでも、捨ててしまえばよいのであるが、
>それがどうしても捨てられないのである。しかし、その最後のところを捨てないうちは、どんなに、髪の毛についた火をはらうような気持で仏道を学んでいるようであっても、
>道を得ることはできないのである。思い切って、身も心もともに捨て去るべきである。
URLリンク(agashi.cocolog-nifty.com)

496:神も仏も名無しさん
19/04/17 22:21:45.48 ZKC+UlT2.net
オレがオレの限界を超す!
ということでは不可能だと思ってます
他の人はそれでもいけるのかもしれませんが
放下あるいは帰依をすることで他力に任せる
その結果として他人から見て限界を超すということはありえても
慈悲の瞑想は「わたしが幸せでありますように」から始まります
「わたしが限界を超えて悟りますように」ではないです
頑張ってるから、苦しんでるから報酬をくれ
自罰してるのだから、悟ったって恨まれないはずだ
というロジックが働くのがエゴなんですよね
「わたしが幸せでありますように」以下にはそれがない
自罰も自己犠牲もなく
ただ、全てを包み込む慈悲の世界に全てがあるだけ

497:神も仏も名無しさん
19/04/17 22:23:17.19 wAMQ8fQ2.net
ナラワタナ

498:神も仏も名無しさん
19/04/17 23:26:47.90 D1rJIXLQ.net
>>486
最古の出典は長沙の
示衆曰百尺竿頭坐底人雖然入得未爲眞百尺竿頭須進歩十方世界現全身
かと思われるけど、どう読むかに決まりはないからね。
ただ、近現代(及び江湖)の読み―少なくとも臨済系に於いて―は、
いずれも 「安悟りの安住を許さず、泥に塗れて初めて合格」 だから。

499:神も仏も名無しさん
19/04/18 06:22:09.64 uBLTDASt.net
瞑想続けるにつれヴィパッサナーは導入部であって、実はメインは慈悲の瞑想なのではないかという気がしている
生きとし生けるものの幸せを願うことが、結果として何よりも心に平和と安らぎをもたらし、全肯定的であり、世界に心を開かせ、
意識が目一杯拡大している状態だという肉体的事実ってなにげにすごいことなのではないか?

500:神も仏も名無しさん
19/04/18 06:57:07.30 Shj8Gg8Z.net
>>487
自罰、自己犠牲にはまだ自分というものが残っていて、「自分」の範囲を超えていない。
ブッダの時代に、限界まで修行したのに悟れず、諦めて自殺しようとした時に悟った比丘もいた。
しっかりと自分の限界まで挑戦していない人間は、悟りを掴むチャンスすら与えられていない。
>>490
サーリプッタ尊者がある人に慈悲の瞑想を教え、その人が死後梵天に生まれ変われるようにしてあげた。
それをご覧になったブッダは「サーリプッタはあの人を低い次元に導いた。」とおっしゃったとか。
仏教のゴールは解脱、無我、智慧の完成であって、慈悲はそこから一段落ちる。
なのでヴィパッサナーがメインであって、慈悲はサブ。
慈悲は即効性があって効果がすぐに感じられるが、修行が後戻りする事もあるし、輪廻から解脱するとは限らない。
ヴィパッサナーは効果が現れるのが遅く、あまり手応えが感じられないが、最後に悟りという劇的な結果がある。
悟りに到ればもう後戻りせず、解脱までストレートに行ける。

501:神も仏も名無しさん
19/04/18 07:15:58.94 uBLTDASt.net
>>491
ありがとう、そういう位置付けなのですね
ヴィパッサナーを1時間ほどやってから慈悲の瞑想をした時のほうが、慈悲の瞑想だけの時よりも染み込みが違うというか説得力が違うというか
そんな感じがしていたので、なんとなくそう思いました

502:神も仏も名無しさん
19/04/18 08:03:12.04 WmcK16FO.net
>>483
>>481
ありがとうございます。
調べてみます。

503:神も仏も名無しさん
19/04/18 08:15:54.09 +zbuIpvD.net
ナワラタナ

504:神も仏も名無しさん
19/04/18 09:16:11.84 NbWz+9gp.net
>>491
その話にヴィパッサナーを絡ませるのはどうかと
ダナンジャーニ経の最期の箇所
URLリンク(komyojikyozo.web.fc2.com)

505:神も仏も名無しさん
19/04/18 11:24:27.69 XFgKrQQf.net
> 慈悲は即効性があって効果がすぐに感じられるが、修行が後戻りする事もある
そうなの?どうして?

506:神も仏も名無しさん
19/04/18 11:38:15.48 XFgKrQQf.net
でも、観察続けていくと慈悲現れてきたわけで
スマナサーラ長老も慈悲の瞑想は煩悩を焼き尽くすとおっしゃってた記憶があるんだが
簡単に智慧というけれども、そんなもので本当に生きていけるのか
恐ろしさを感じているところがあるわけです
でも、瞑想をしていくと何度かジャンプするポイントがあった
雑念を捨てて一心不乱に集中した
何もない世界に来た、ニミッタが現れた、そして日常世界も変容した
などと、その都度自分を捨ててきたわけです
目に見えない、わからない世界をジャンプしながら
それは、もう十分に集中しきってそこから観えてくるものが全てだと思えたから
何故思えたか、それは禅定なり観察で慈悲らしきものが現れて
それが信用できると思ったからですね、わたしは
智慧だけで全てと思えるとはどういう事か?
それは観察によって観えてくる慈悲なのだとやはり思います
智慧と慈悲は一対のものではないでしょうか
人が限界を超えて自分を捨てきれないのは、そこにある慈悲の世界が確信しきれないからではないですかね
でも、今の境地で慈悲に浸って智慧を得ようとしないなら
それもまた駄目なのだとは思いますが

507:神も仏も名無しさん
19/04/18 11:46:07.32 eu8qf58U.net
自分、慈悲の心+死ぬ気でいたら梵天界らしきもの体験して、
あらゆる宗教で言ってる天国って同じ脳内現象を指してるんじゃないかと思ったけど、
確かにそういう慈悲の心で生きていけることは素晴らしいけど
仏教はそういった全ては現象にすぎないという科学的アプローチの立場だから
そこに執着するのを良しとしないのかなと思った

508:神も仏も名無しさん
19/04/18 11:57:27.52 +zbuIpvD.net
ナワラタナ

509:神も仏も名無しさん
19/04/18 11:57:54.04 XFgKrQQf.net
そうですね、わたしの言ってるのも所詮頭で想像したことが混じった推測でしかありませんから

510:神も仏も名無しさん
19/04/18 13:50:47.91 Shj8Gg8Z.net
以下、スマナサーラ長老の言葉です。
>慈悲の瞑想だけでも解脱の方向に行きます。しかし必ず解脱に達するという保証はない。ヴィパッサナー瞑想ではいきなり解脱を目指します。
>慈悲の瞑想は、生命がすべき究極の良い生き方なんです。でも、生き方なんです。その生き方から解脱(生きることの脱出)に行く人もいるし、
>行かない人もいる。
URLリンク(thierrybuddhist.hatenablog.com)

511:神も仏も名無しさん
19/04/18 13:55:24.78 Shj8Gg8Z.net
>>496
慈悲の瞑想をすれば梵天に生まれ変わることができるが、長い輪廻の中では、いつかまた悪趣にも生まれ変わる。悟らない限りは。
何億年も慈悲の気持ちを保ち続けたとしても、いつかはその気持ちも消え、欲、怒りが現れてくる。
智慧によって無常、苦、無我を理解した場合は、欲、怒りなどが二度と現れない。
一度タネを見てしまったマジックには二度と驚かないように。

512:神も仏も名無しさん
19/04/18 14:35:28.38 XFgKrQQf.net
ありがとう
それって仏陀が説いたことなの?
自分には智慧だけ、慈悲だけ、どっちかだけなんてことは想像できないな
悟りとは想像できないものでもあるでしょうけれども
慈悲は常、楽、無我でもあると思います
これって梵天と涅槃を混同してるってことなのかな
魔境落ちるかなw

513:神も仏も名無しさん
19/04/18 15:06:26.21 eu8qf58U.net
自分が体験した慈悲はそのまんま、悲しみからくる慈しみのようだった。
大慈悲とかマジで上手い訳だと思った。

514:神も仏も名無しさん
19/04/18 15:11:06.41 hIn8Te6J.net
>>497
>智慧と慈悲は一対
ダライラマ法王が、同じような事をおっしゃっていました。
智慧と慈悲はフィフティ、フィフティ(50対50)だよ
と弟子の方に言っておられた
その弟子の方は智慧だけの事を言われていたことに対しての
返答でした。

515:神も仏も名無しさん
19/04/18 17:50:25.21 9Bq25Iv4.net
ありがとうこざいます
わたしは類推で言ってるに過ぎませんけれど
ダライ・ラマのお言葉ならば受け取りたいと思います

516:桃太郎
19/04/18 20:22:08.33 SNgd2h0c.net
>智慧と慈悲はフィフティ、フィフティ(50対50)だよ
どの経典にそんな事を書いてあるの。仏説ではない自説でしょ。
慈悲=智慧になるんだよ。
「どうすれば、この人を救えるか」と真剣に考えるとき智慧が湧いてくるもんだ。
「自分が救われないのに、人が救えるか」とか言って
溺れる人を見て「泳げないのに救えますか?」とか平気で言う人が
「慈悲の瞑想」ってなんなんだよ。これじゃ人を救う智慧も慈悲も無いじゃないか。
人殺しが生命の尊厳を説き、泥棒が人の道を説くようなもんだ。矛盾して言いませんか?
いったい、どう言う詭弁でこれを人に納得させれるの?
あなた方の「無我」という間違った考えは、人間の苦しみを感じなくなると同時に
罪悪感も人間の良心も消し去る事なんですか?
ったく!おかしいでしょ。だれか説明できる人いるの?

517:神も仏も名無しさん
19/04/18 20:55:23.57 pO9b4vi2.net
>>507
馬鹿だな、お前。
フィフティフィフティと【表現される】ということは、
【両輪】ということであり、
【どちらが欠けても成立しない】ということであり、
【同時に「生じ」、同時に「はたらい」ている】ものであり、
どちらが先というものでも、どちらがより重要というのでもなく、
【同じく重要】であり、 

518:r> ≪「=」で結ばれていることを、様々な表現で描写した≫だけでしかない。



519:神も仏も名無しさん
19/04/18 20:58:41.61 pO9b4vi2.net
日蓮さんを汚した、後継僧侶や池田の罪は重い。
池田が力を握る前の、
出発点の創価は、(今の時代こそ)評価されるべきであろうに、
そうした可能性をすべてぶち壊したのが池田だという反省と総括を、学会はすべきではなかろうか?

520:神も仏も名無しさん
19/04/18 21:03:01.76 pO9b4vi2.net
つか、
桃が、昔も居た桃なら、議論スレ系が下火になったので、
昔コテンパンにされた恨みを、今晴らしてるのかもしれんなw

521:神も仏も名無しさん
19/04/18 21:41:31.90 bruW8Wc0.net
お題目唱えたら、日蓮上人や池田先生の教えを実践できるの?出来ないよね
けど、お題目を唱えることで出来るようになる
立派な人間に成長するんだろ?
慈悲の瞑想も同じことだよ
これは日蓮宗でも創価の本当に信心深い方なら多分わかるはず
そういう人は他宗を貶めるようなことは言わないもんだけどね

522:神も仏も名無しさん
19/04/18 21:48:02.98 bruW8Wc0.net
日本語おかしかった
お題目を唱えて精進していくうちに成長して、実践できるようになるのだろ

523:神も仏も名無しさん
19/04/18 22:45:01.53 25Nta+f/.net
テーラワーダスレで何の関係も無い日蓮教が出しゃばるのがそもそもの間違い
仏教の成り立ちを理解してない亜流は引っ込んでれば良いのに何処にでも口を出しては嫌われる

524:神も仏も名無しさん
19/04/19 09:09:25.52 m3WOhDoF.net
ナワラタナ

525:神も仏も名無しさん
19/04/19 15:49:44.42 m3WOhDoF.net
最澄空海栄西道元日蓮法然
ギャーテーギャーテー

526:神も仏も名無しさん
19/04/20 02:10:33.31 gEZC8PeW.net
脳に関する本を読んでて知ったんだが
痛覚を感じるのにそれを苦痛と思わなくなる(感情に影響を与えない)という状態があるらしい
脳障害の一種で痛覚失象徴というのだそうだ
解脱によって痛みから苦痛を得ることがなくなるというのも有り得そうな話だと思った

527:神も仏も名無しさん
19/04/20 03:27:49.95 F5v2vxfp.net
>>516
死ぬばかりの激しい苦痛が生じた>>450
よく苦痛に耐えたまい>>449

528:神も仏も名無しさん
19/04/20 09:20:50.00 QD67Zg9p.net
>>507
URLリンク(mindfulbonpu.web.fc2.com)
この図の矢印のように、ヴィパッサナーを実践することで智慧が現れ、
真理が分かることで自他への慈悲(抜苦与楽)が可能になるのではないでしょうか?

529:神も仏も名無しさん
19/04/20 09:55:47.68 iPcEB2nY.net
>>516
三昧で感覚がなくなるのは、五感の神経接続が途切れるからではなくて、
心が五感をみなくなるからだよ。
なので、三昧から出て心が身体に生じる五感や思考、感情をみるように
なると、感覚も


530:思考も感情も元通り。 神経と心は別もの。 (名色の名と色は別物。)



531:神も仏も名無しさん
19/04/20 09:59:32.76 iPcEB2nY.net
瞑想に専念している時、周囲の音も、足の痛みも感じていないというか
忘れているけど、瞑想が終わった途端にイテテてて、となった経験とか
あるでしょ。
それを五感全部+思考にやると、自我感覚は消えてしまうよ。
そして、そこは何もないわけじゃなくて、小さい自我から抜け出したような
状態だから、むしろ大きい。
大きいというか、自己という枠がないので巨大というか無辺。

532:神も仏も名無しさん
19/04/20 10:02:02.10 iPcEB2nY.net
マニュアル通り100%気づきに専注すれば、勝手に起こるべきことが起こるはずだから
教えられた通りにやるのが一番だと思いますけど。
ここに書いたことは、先入観になるといけないので、瞑想中は忘れて下さい。

533:神も仏も名無しさん
19/04/20 10:06:02.67 iPcEB2nY.net
脳みそが「実感」を生みだしているのではなくて、
脳みそを含む神経系に生じている現象に対して、
「心が実感を感じている」わけだから、たぶん別に
脳みそなんてなくても心の実感はあると思いますよ。
身体が自分なんじゃなくて、身体に実感を感じている
その実感が(便宜上)自分だから。
何言ってるかわからんわな。

534:神も仏も名無しさん
19/04/20 10:11:24.92 LsI2Fr4M.net
適当なことは言わないように。
瞑想の達人は瞑想中エンドルフィンが出まくるので痛みを感じないんですよ、ガッテンで実験して説明してたよ。

535:神も仏も名無しさん
19/04/20 10:34:12.86 pORXFHxq.net
主観的にはどういうことか、という説明だから適当ではないでしょ

536:神も仏も名無しさん
19/04/20 10:53:41.41 LsI2Fr4M.net
>>524
>>519-520など主観的じゃなく客観性的な事実であるかのように語ってるではないですか。

537:神も仏も名無しさん
19/04/20 11:21:47.13 LsI2Fr4M.net
>>525
客観性的な事実→客観的な事実

538:神も仏も名無しさん
19/04/20 11:25:55.02 ROxFpPFQ.net
→性的な事実

539:神も仏も名無しさん
19/04/20 12:02:54.99 sHHAZQ51.net
>>523
瞑想の達人中の達人が苦痛を感じてる>>450

540:神も仏も名無しさん
19/04/20 12:34:51.10 LsI2Fr4M.net
>>528
三昧に入ってエンドルフィンが出たから痛みに耐えることができた。

541:神も仏も名無しさん
19/04/20 12:48:52.41 sHHAZQ51.net
>>529
エンドルフィンが出たら「耐える」必要はない

542:神も仏も名無しさん
19/04/20 13:10:11.53 LsI2Fr4M.net
>>530
エンドルフィンは全身麻酔とは違うのですよ。

543:神も仏も名無しさん
19/04/20 13:14:47.93 sHHAZQ51.net
>>523
>瞑想の達人は瞑想中エンドルフィンが出まくるので痛みを感じない
痛みを感じないんじゃないんですか?

544:神も仏も名無しさん
19/04/20 13:23:47.42 LsI2Fr4M.net
>>532
痛みにも度合いがあるのです。
エンドルフィンが出る量にも度合いがあるのです。
なので、痛みを感じないとは言っても全く感じないとは言ってない。
酷い痛みの場合は、全身麻酔で大手術した後に強めのオピオイド鎮痛剤を投与されても痛みが完全には消えないのと同じことが起きると思います。

545:神も仏も名無しさん
19/04/20 13:27:49.76 sHHAZQ51.net
エンドルフィンが出まくるので痛みを感じない
んじゃなくて
エンドルフィンが出まくっても痛みを感じるんですね

546:神も仏も名無しさん
19/04/20 13:42:05.37 LsI2Fr4M.net
>>534
痛みにも度合いがあるのです。
エンドルフィンが出る量にも度合いがあるのです。
エンドルフィンの出る量と痛みの度合いでほぼ無痛か我慢できる程度の痛みかなんとか耐えれる程度の痛みかが変わってきます。

547:神も仏も名無しさん
19/04/20 14:03:52.47 sHHAZQ51.net
エンドルフィンが出まくるので痛みを感じない
んじゃなくて
エンドルフィンが出まくっても出る量に度合いがあるから
痛みを感じるんですね

548:神も仏も名無しさん
19/04/20 14:09:31.75 LsI2Fr4M.net
>>536
がん患者でもステージに応じてモルヒネで痛みがほぼ消える人と消えない人がいることくらいは当然知ってますよね?

549:神も仏も名無しさん
19/04/20 14:16:01.52 pORXFHxq.net
>>525
その主観はある程度以上の瞑想者には共有されているでしょう
ならば、事実として扱っても良いでしょうね
逆に、エンドルフィンが出ているとして、だから何?と言う話でもある
医学の力で自在にエンドルフィン出せるの?
それは副作用起こさないの?
いや、起こすよね確実に
何故なら、そこで観た世界観はかなりギャップあるのだし
自力でそこに行くことが出来ない
薬中の禁断症状のようなことが起きるだろうな

550:神も仏も名無しさん
19/04/20 14:17:58.93 pORXFHxq.net
ここで言う主観とは、一定以上の瞑想体験を踏んで得られた主観ということです
僕や君なんかが本で読んで妄想していることではなくてね

551:神も仏も名無しさん
19/04/20 14:23:10.01 LsI2Fr4M.net
>>538
>その主観はある程度以上の瞑想者には共有されているでしょう
それが思い込みでないならばソースを出してください。

552:神も仏も名無しさん
19/04/20 14:24:28.38 sHHAZQ51.net
>>537
つまり釈尊が苦痛を感じていたとしても
なんの不思議もないということですね?

553:神も仏も名無しさん
19/04/20 14:36:17.09 iPcEB2nY.net
>>523
「実感」は物質じゃないよ。
身体は物質。
神経も脳も物質。

554:神も仏も名無しさん
19/04/20 14:39:15.40 iPcEB2nY.net
有身見
自我を出発点とする思考概念。
自我を中心とした世界認識。
無我はその逆。

555:神も仏も名無しさん
19/04/20 14:46:28.30 LsI2Fr4M.net
>>541
大般涅槃経にそう書いてあるでしょう。
>>542
痛みは錯覚であるならば人の心身にどのような痛みを与えてもそれは錯覚なのだから構わないということになりません?

556:神も仏も名無しさん
19/04/20 14:55:47.81 sHHAZQ51.net
>>544
大般涅槃経にそう書いてあるということは
釈尊が苦痛を感じていたということには異議がないんですね

557:神も仏も名無しさん
19/04/20 15:12:04.25 LsI2Fr4M.net
>>545
はい。異議、異論はありませんよ。

558:神も仏も名無しさん
19/04/20 15:51:17.05 Ltrve02o.net
お釈迦さんも解脱しても
身体の苦しみから
逃れることはできなかった
結論ですか?

559:神も仏も名無しさん
19/04/20 16:03:51.05 LsI2Fr4M.net
>>547
 さて尊師が鍛冶工の子チュンダの食物を食べられたとき、激しい病が起り、赤い血が迸り出る。死に至らんとする激しい苦痛が生じた。尊師は実に正しく念い、よく気をおちつけて、悩まされることなく、その苦痛を耐え忍んでいた。
URLリンク(denshouuta.com)
はい、大般涅槃経にそう書いてありますね。
これからも同じ質問されたら上と同じ大般涅槃経のコピペを貼ることで返答とさせて頂きますね。

560:神も仏も名無しさん
19/04/20 16:11:36.68 iPcEB2nY.net
>>544
痛みが錯覚とは書いていませんね。
そうじゃなくて、物質は精神現象ではないということね。
感覚と、感覚をみて実感を感じているその実感とは別ものだということは
思考から抜け出せた時に観測事実として確認できます。
名色の区別がつくようになるのはそれから。
錯覚というのは、自我が自分の本体だという認識は錯覚です。

561:神も仏も名無しさん
19/04/20 16:16:13.44 iPcEB2nY.net
脳みそが自分の本体じゃあないですよ。
もしそうなら、死んで脳みそが消えたら断滅です。
極端な話、
例えば、子どもを失って嘆き悲しむ母親から、脳みそを取りだして薬品に
漬けておけば良いってことになります。
脳みそを幸福物質の○○ミンとか何とかに漬けておけばハッピーでしょう。
そういうことを言う唯物論の科学者も何人か見かけましたけども。

562:神も仏も名無しさん
19/04/20 16:59:36.08 35OUrX6D.net
>>540
思い込みじゃないから、それに従って修行した瞑想者が
エンドルフィンとやらを出すんだろ

563:神も仏も名無しさん
19/04/20 17:44:37.22 LsI2Fr4M.net
>>549
痛みは実感としてあるということですね。
そして痛みは、例えば歯痛においては歯の神経を抜けば基本なくなりますし、鎮痛剤で緩和する(場合によっては感覚としてほぼ完全になくなる)ということです。
そういった治療で痛みのコントロールは可能です。
>>551
私ではなく>>538の書き込みに対してそのレスは向けてください。

564:神も仏も名無しさん
19/04/20 19:02:20.69 l2v+42Eu.net
いや、君に言ってる

565:神も仏も名無しさん
19/04/20 20:16:20.82 LsI2Fr4M.net
>>553
そうですか、では>>538から更にアンカーを遡って誰が何を発言しているのが確認してください。

566:神も仏も名無しさん
19/04/20 20:59:56.82 caTrheH6.net
ヒクソンはどんな痛みでも耐えられる。
URLリンク(hikaru225.blog.jp)

567:神も仏も名無しさん
19/04/20 21:48:37.40 OXrEDohn.net
ヨガと瞑想で痛みをコントロール
URLリンク(www.dailymotion.com)

568:神も仏も名無しさん
19/04/20 22:12:23.44 JDtRoHRm.net
今日きずいたんですが、感受がつよいほうが私という実感を強くかんじますね。
惑わされやすくなるのかなと思いました。
感覚に翻弄されないように、修業のうえでは注意が必要かなと思いました。

569:神も仏も名無しさん
19/04/21 00:06:20.39 bRuxVDU5.net
今日きずいたんですが、感受がつよいほうが私という実感を強くかんじますね。
惑わされやすくなるのかなと思いました。
感覚に翻弄されないように、修業のうえでは注意が必要かなと思いました。

570:神も仏も名無しさん
19/04/21 00:17:40.17 zKgQEd8w.net
>>554
辿ってるよ?
何度も同じ事は言わない
君はもう少し言われたことをよく考えるようにしてみては

571:神も仏も名無しさん
19/04/21 00:17:57.28 zKgQEd8w.net
>>555
くそっ!不覚にも

572:神も仏も名無しさん
19/04/21 00:32:58.04 gya5DVLN.net
>>555
やるなあ
骨を削られてるのに平然と碁を打ってた関羽は
何を支えに堪えられたんだろうか

573:神も仏も名無しさん
19/04/21 00:40:42.16 zKgQEd8w.net
>>557
でも、そのせいで自分と思っている/いたものが観えてきてるわけですから
今度は観えるものを一つずつよくよく観られてみるといいと思います

574:神も仏も名無しさん
19/04/21 00:55:18.31 Wc9eO0Iw.net
>>559
それはこちらのセリフです。
>>519-520がエンドルフィンについて含みを持たせているようなレスに思えるのですか?
ではなく
>三昧で感覚がなくなるのは、五感の神経接続が途切れるからではなくて、
>心が五感をみなくなるからだよ。
と書いてあるだけでしょうに。
では訊きますが、心が五感を見なくなるとエンドルフィンが放出されるのですか?
よく考えてみてください。

575:神も仏も名無しさん
19/04/21 01:58:16.66 n2OnwMvp.net
心は○○ミンとか、□□フィンじゃないっす。
それらは物質っす。
心は物質じゃないっす。
地球は丸いっす、ぐらいシンプルな話。。

576:神も仏も名無しさん
19/04/21 07:39:13.71 DoKGiimK.net
痛みで苦しむのは、痛みに対する嫌悪、痛みに対する恐怖に苦しんでる。
恐れず、嫌わず、痛みをそのままにしておけば苦しまない。と同時に我が生まれない。
それを触だけでなく、六根の全てに対して実践できれば、解脱に達する。
というような事が感官修習経に説かれている。
URLリンク(www54.atwiki.jp)

577:神も仏も名無しさん
19/04/21 08:09:29.16 gGFTOuQR.net
ナワラタナ

578:神も仏も名無しさん
19/04/21 10:45:59.40 Wc9eO0Iw.net
スッタニパータ
第4 八つの詩句の章 14.迅速経 9.
○毎田周一先生訳
923.
刺すような苦痛に会っても
修行者は決して泣き悲しまず
どうしても生きたいなど命を貪らず
恐ろしいものに出会っても震えぬがよい

○中村元先生訳
923
苦痛を感じるときがあっても、
修行者は決して悲嘆してはならない。
生存を貪り求めてはならない。
恐ろしいものに出会っても、慄(フル)えてはならない。

○正田大観先生訳
930.(923)
すなわち、〔病いに〕罹り〔飢えに〕襲われた者として存するとき、
比丘は、どこにおいても、嘆き悲しみ〔の思い〕を為さないように。
しかして、〔迷いの〕生存を渇望しないように。
さらには、諸々の恐ろしいことに動揺しないように。(9)
URLリンク(s.webry.info)

579:神も仏も名無しさん
19/04/21 14:10:29.41 bRuxVDU5.net
>>562
はい。ありがとうございます。
出入息念をしていてこの理解になりました。自分というものがすこし見えてきた感じもします。
この調子でやっていこうと思います。

580:神も仏も名無しさん
19/04/21 15:11:24.44 N2IIAtwY.net
・無知に基づいて人々は頭痛などのために自分自身を「私は苦しんでいる」と考える。
見者(=アートマン)は苦しんでいる対象とは別ものである。この見者は認識主体であるから、苦しむことはない。
誤って「私は苦しんでいる」と考えるために、人は苦しむのであって、苦しんでいる心を見るために、苦しむのではない。
苦を対象として見ている者は苦しむことはない。
・身体・感覚器官から起きる一連の苦痛は、私のものでもなければ、私でもない。私は不変であるから。何故なら、この一連の苦痛は実在しないからである。これは実に、夢を見ている人が見る対象のように、実在しないのである。
・恒常なものは、無常なものと結合することはない。恒常なものも、無常なものも相互に結合することはない。それ故に、あるものが他のものになんらかの結果をもたらすということは不合理である。
真理そのものは言葉の語源解釈の領域にはない。
・アートマン以外のなにものも…認識も認識対象も認識主体も…存在しない。一切を知り、一切の力をもつ、この認識としてのアートマンに敬礼する。

シャンカラ
URLリンク(gamp.ameblo.jp)

581:神も仏も名無しさん
19/04/21 18:14:08.56 gGFTOuQR.net
ナワラタナ

582:神も仏も名無しさん
19/04/21 21:35:22.80 1aWTSsVa.net
智慧というものは生まれるものではないんだな
自分の心の中にすでにあって、あるということに気付くもののようだ
そして、自分には「執着しない」という選択肢があることに気付く
執着心を失うとか思わなくてもよくて、ただ選択肢が1つ増えてそれだけ心が自由になる

583:神も仏も名無しさん
19/04/21 21:39:14.72 Zn01/kzL.net
つーかね、滅を見ようとして観続けたら、執着なんかガンガン減ってくよ

584:神も仏も名無しさん
19/04/21 22:07:07.10 Wc9eO0Iw.net
ダンマパダ
282 実に心が統一されたならば、豊かな知慧が生じる。心が統一されないならば、豊かな知慧がほろびる。生じることとほろびることとのこの二種の道を知って、豊かな知慧が生ずるように自己をととのえよ。

585:神も仏も名無しさん
19/04/22 02:31:13.41 p/VvMbAW.net
定があるところに慧がある
止観双運
慧があるところに定もある

586:神も仏も名無しさん
19/04/22 04:05:33.83 M7QzwVsN.net
破戒僧のスマナサーラカルト信者必死だな

587:神も仏も名無しさん
19/04/22 07:32:40.47 zvZbDqM6.net
ナワラタナ

588:神も仏も名無しさん
19/04/22 13:10:54.27 GfEJmcmI.net
>・身体・感覚器官から起きる一連の苦痛は、私のものでもなければ、私でもない。私は不変であるから。
バカじゃねーの。(爆
そんな屁理屈が通用すると思うなら、スマナサーラの金玉蹴り上げてみればハッキリすることだよ。

589:神も仏も名無しさん
19/04/22 13:16:46.00 J62xrVt5.net
スリランカはテロが多いな

590:神も仏も名無しさん
19/04/22 13:40:45.59 /XJECw3O.net
>>571
>智慧というものは生まれるものではないんだな
>自分の心の中にすでにあって、あるということに気付くもののようだ
密教ではそのような生得的に具わっている仏智は如来蔵によるものとされています。
如来蔵というのは仏様の蔵に自分が包まれているという関係です。
自分が仏様の中に蔵されている、自分が大日如来の大宇宙(マクロコスモス)という真如の中にしまわれている如来蔵であるという考え方ですが、これだけではありません。
一方で自分の中に大日如来を包み込んでしまっている(ミクロコスモス)という、両方の関係があります。
大宇宙の真如の中に 自分が包まれていると同時に、大宇宙の真如を自分の中に持っているのです。
これが如来蔵ということです。
如来蔵があるから一切衆生が仏様大日如来になれるのです。
ただ普通ではそれに気付かないだけのことです。
気付いたら内外の如来蔵を一体化させると即身成仏できます(個は大日如来と一体化することで即身成仏できる)。
三密加持と呼ばれる修法で一体化できますが、それには修行が必要です。

591:神も仏も名無しさん
19/04/22 16:05:11.70 UjmUskyp.net
観ている者は誰?

592:神も仏も名無しさん
19/04/22 17:00:00.78 cLq9y9jj.net
南無阿弥陀仏を唱えるのは誰?ってのと同じだ

593:神も仏も名無しさん
19/04/22 17:30:12.69 z6khlMNV.net
>>579
それが阿羅漢の境地なんだと思ってます。
徹底的に無我だったら、如来と自己との間を隔てるものは何もない。
仏教は、そもそも初期仏教のはじまりの時から、密教の最高奥義と
されていることを教えていたのではないか、と思っています。

594:神も仏も名無しさん
19/04/22 20:03:32.47 zvZbDqM6.net
最澄空海栄西道元日蓮法然
ギャーテーギャーテー

595:神も仏も名無しさん
19/04/23 06:44:03.13 7pDUqNlI.net
大日如来だとか如来蔵だとかいう巨大な妄想を捨ててまっさらになるのがテーラワーダの修行

596:神も仏も名無しさん
19/04/23 09:00:14.02 1G+PAd/M.net
その修行は功徳を積むことで死後天界に転生できると信じる在家信者の布施に依存している

597:神も仏も名無しさん
19/04/23 09:03:02.69 zGJ/hMLi.net
非想非非想処

598:神も仏も名無しさん
19/04/23 09:15:07.73 j/g23dUU.net
ナワラタナ

599:神も仏も名無しさん
19/04/23 15:48:19.30 qo6FifkY.net
人間が妄想した智慧についての名称や概念は、人間現象のなかにある。
智慧は、人間現象のなかことではない。
それにどんな名前をつけて呼ぶかは、その名前が指し示す本質とは別のこと
ではないだろうか。

600:神も仏も名無しさん
19/04/23 15:50:18.65 qo6FifkY.net
言葉として他者に向けて話すからには、
その言葉は、話の受け手が受け取れるかたちに
なっている必要があるだろう。
そこに名称や語り口の違いがでてくる。
伝えるのは慈悲の故だとすると、それが方便ということなのでは。

601:神も仏も名無しさん
19/04/23 15:52:00.69 qo6FifkY.net
無学という言葉ではなく、それが指し示す意味と意図を読み取るべきだろう。
同様に、如来蔵という言葉ではなく、それが指し示す意味と意図を読み取るべきだろう。

602:神も仏も名無しさん
19/04/23 16:03:04.39 bcLPXNtu.net
なにかえたいの知れないものがある
そうとしかいえないが

603:神も仏も名無しさん
19/04/23 16:10:37.61 qo6FifkY.net
もしも海面の上ではじける泡沫が、わたしは大海のすべてを知りうる、
そして判断できると考えているとしたら、それはあまりに主観に囚われ
すぎている。
個々の人間知性は、世界で起きている諸現象の一部に過ぎないのに
その極一部が、自分の中だけで全世界をジャッジできると思っている。

604:神も仏も名無しさん
19/04/23 21:04:38.99 CABusLsc.net
トランプ「スリランカのテロで1億3800万人が死んだ…我々はいつでも支援する」
スレリンク(news板)
大変なことになってる

605:神も仏も名無しさん
19/04/24 14:56:23.78 0UnTIcRB.net
日本も負けてはいない。
「もはやギャグ」
桜田義孝五輪相、五輪の国家予算を「1500円」と発言
URLリンク(yuruneto.com)

606:神も仏も名無しさん
19/04/24 15:13:26.37 i/X/78Sc.net
画期的すぐる。
アセンション後の世界になったのかとおもた。

607:神も仏も名無しさん
19/04/24 19:41:16.74 TDpD3kz5.net
欲が出ている時瞑想すると
その欲に気づきしばらくしたら消えますが
瞑想を終えてしばらくするとまた欲が出てきてしまいます。
とても維持するのは難しいと感じます

608:神も仏も名無しさん
19/04/24 19:54:18.71 560lXtTQ.net
ナワラタナ

609:神も仏も名無しさん
19/04/24 21:02:25.85 SzUizSbU.net
定がないと消えていかなくね

610:神も仏も名無しさん
19/04/24 21:07:00.36 i/X/78Sc.net
歯磨き洗顔入浴と同じで、毎日やらないと汚れるの当たり前なんじゃない。

611:神も仏も名無しさん
19/04/24 21:29:34.47 z1qs+OTa.net
自分の経験だと、拙い表現になるけど
出来上がってた執着や分別はそのものが観えれば解凍するように消えてく
完全でなくても、再度出てくる場合は小さくなってる
けど、欲はチラチラと動いてて、それが見えたから止まるってものでもなく
でも欲が見えてればそこから新たな苦しみの雪だるまはこしらえない
いまんとこそんな風に感じてる

612:神も仏も名無しさん
19/04/24 21:55:03.75 wZSJp7br.net
>>600
雪だるまにならなければ、それでいいんじゃないでしょうか

613:神も仏も名無しさん
19/04/24 23:29:45.04 W1W5tdE3.net
大般涅槃経 >念を確立しなさい
他後期仏教(特に禅) >正念相続

614:神も仏も名無しさん
19/04/25 00:33:32.48 Lcp19lZF.net
>>600
生存の素因を超越し、諸々の煩悩の汚れを滅ぼせれば如来になれますぞ。

615:神も仏も名無しさん
19/04/25 04:42:17.76 w5YXwVOl.net
>>596
維持「する」必要はないと思います ただただ見つめる 観察している それが閾値を超えた瞬間に変革が起こります
アルコール中毒支援者の会 みたいな話し合いや説得や共感や納得 自己分析によって解決するのがメインではないんです それも補助輪にはなりますが 瞑想はそれとは違った方法だと思って下さい

616:神も仏も名無しさん
19/04/25 09:29:17.79 26/y687K.net
ナワラタナ

617:神も仏も名無しさん
19/04/26 10:09:59.23 TyklrsUd.net
続けていくとある点で変化する
出なくなる、出にくくなると思う
603で言われているとおりと思える。

618:神も仏も名無しさん
19/04/26 10:10:34.29 TyklrsUd.net
×603
○604

619:神も仏も名無しさん
19/04/26 13:42:52.01 HM01IKr+.net
生じて留まり消えていくまでがしつこく現れてくると
自動化されていくような気がしてるんだが

620:神も仏も名無しさん
19/04/27 00:31:52.82 xcZTtVd5.net
メンヘル板ですがスレ立ててみました
病人でない方もどうぞお使い下さい
慈悲の瞑想
スレリンク(utu板)

621:神も仏も名無しさん
19/04/27 09:20:17.38 wHsgkVx9.net
生じた瞬間に潰れて行くのがみえますよ
生じる前に消えていくのがみえますよ

622:神も仏も名無しさん
19/04/27 12:00:12.56 c7tiz42f.net
あと4日

623:神も仏も名無しさん
19/04/27 12:48:41.52 KT1dxVjP.net
滅していいんだよ
人間が一日に浮かび上がる思考の回数は6~7万回
しかもその8割がマイナス思考
滅せずに残ってたら脳(心)がマイナス思考でパンクしてしまうよ

624:メーテル
19/04/27 13:14:36.79 lW2TWiG7.net
心を憎むな

625:神も仏も名無しさん
19/04/27 13:30:02.76 sUL3uh/n.net
>>610
それ一度だけ見たよ
数多くの心が表面に現れる前にダーッと流れていく
しかし、一つだけ、あー何かそれっぽいのが流れてきたな、と思った刹那
そいつだけが表面的に生じた、通常のサティだね
あーこれか、って感じで観て、消えた
これ一回こっきりだったな

626:神も仏も名無しさん
19/04/27 13:48:49.09 sUL3uh/n.net
観察やサティというのは、滅するというより心の免疫を作るんだと感じる
あと、そもそも憎んでいたら観られないので

627:神も仏も名無しさん
19/04/27 22:05:23.45 0Fs5KxN3.net
示して云く、學道の人、世情を捨つべきについて、重々の用心あるべし。世をすて家をして身をすて心を捨つるなり。能々(ヨクヨク)思量すべきなり。

628:神も仏も名無しさん
19/04/28 00:36:28.79 kCDE1RD+.net
つまり正見、正思惟。
そのためには、やっぱり正念。

629:神も仏も名無しさん
19/04/28 08:26:34.38 48HRlOHb.net
ナワラタナ

630:神も仏も名無しさん
19/04/28 20:57:42.14 UztaHlqS.net
>>505
このダライラマ法王のおっしゃっていることは
とても重要な事をはなしています。

631:神も仏も名無しさん
19/04/28 21:21:30.29 UztaHlqS.net
ほとけが現れている

632:神も仏も名無しさん
19/04/28 21:49:16.73 ndrr8qkp.net
4つの瞑想法
身体についての瞑想法
①呼吸を観察しながら、身体の活動を静める。
②歩いているとき座っているときも状態を観察する。
③どんな動作をしているときも動作を観察している。
④身体の中が臓器など不浄物で満たされていると観察する。
⑤地、水、火、風の要素があると観察する。
⑥この身体も死体になり、カラスに啄ばまれ、骸骨に血や肉が付いて筋がつながって、白い骸骨になり積み重ねられ粉々になると観察する。
感覚についての瞑想法
①楽しみの感覚、苦しみの感覚、中性の感覚を観察する。ある、ない、生じている、滅ぼされている、生じることがなくなったと観察する。
心についての瞑想法
①貪りのある心、憎悪のある心、迷妄のある心を観察する。統一した心、散漫な心、広大な心、解脱した心であると観察する。
心の対象についての観察方法
①欲望がある、ない、生じている、滅ぼされている、もう生じることがないと観察する。
 怒りがある、ない、生じている、滅ぼされている、もう生じることがないと観察する。
 ものうさとぼんやりした鈍さがある、ない、生じている、滅ぼされている、もう生じることがないと観察する。
 うわつきと後悔がある、ない、生じている、滅ぼされている、もう生じることがないと観察する。
 疑惑がある、ない、生じている、滅ぼされている、もう生じることがないと観察する(五つの蓋)。
②身体、認識、知覚、感覚、思いの起動について観察する。
③眼耳鼻舌身意について観察する。その対象について観察する。
④気づき、選択、努力、喜び、安堵、精神の統一、平静さという悟りを得るための7つの要素について観察する。
⑤苦しみのすぐれた真理、求めても得られない苦しみ、苦しみの原因のすぐれた真理、苦しみの消滅というすぐれた真理、苦しみの消滅にいたる道のすぐれた真理について、もろもろの事象(五つの蓋)を観察する。
このようにして7日間瞑想すればすばらしい知恵が期待できる。

633:神も仏も名無しさん
19/04/29 09:14:13.58 bwMK0euP.net
一番最後、四諦について五蓋を観察するというのはおかしいと思うなぁ
五取蘊の間違いでは?
もしくはもろもろの事象 = 諸法を観察するということか、法随念だから

634:神も仏も名無しさん
19/04/29 12:08:26.53 npwt40+n.net
五蓋取れたら初禅になるんだっけ

635:神も仏も名無しさん
19/04/29 17:18:42.49 hMBKhOHu.net
ようやく正定(サンマーサマーディ)の入り口。
禅定は、五自在を指導して貰わないと、きちんと入ったことにはならないんじゃ?

636:神も仏も名無しさん
19/04/29 19:53:05.81 npwt40+n.net
五自在って後々のために出来たほうがいいって程度のことだと思うけどな
悟りではなく、ニミッタは無我のものではないと認識する儀式みたいなものでしょう

637:神も仏も名無しさん
19/04/29 20:36:11.31 uf0ikPEz.net
ナワラタナ

638:神も仏も名無しさん
19/04/29 23:30:02.34 npwt40+n.net
観察やってれば禅定はどんどん出来るようになると思うんだけどな
今はニミッタすぐ見れるし変形も心臓に収めるのも出来る
初禅から四禅もやりたい時に出来るし、続けられるし、出られる
観察ということを始めてから物凄く早くなったよ

639:神も仏も名無しさん
19/04/29 23:52:42.37 hMBKhOHu.net
他人様の瞑想状態のことは知らんけど、自宅でカンタン禅定五自在というのは
リアルでは見聞きしたことがない。

640:神も仏も名無しさん
19/04/29 23:54:42.54 hMBKhOHu.net
瞬間定(カニカ・サマーディ)はどうなのか知らんけど、禅定入ってるときは思考も五感の感覚もないはず。
四禅にいたっては呼吸も拍動も止まる。

641:神も仏も名無しさん
19/04/29 23:56:55.11 npwt40+n.net
>>629
色界四禅で?

642:神も仏も名無しさん
19/04/29 23:58:11.82 hMBKhOHu.net
スマ長老も、瞑想やらんでも預流果までは行けるが、一来果以上は瞑想できないと無理だと言ってる。
そして預流果まで行った人が、なおかたくなに禅定を拒む理由もないはず。

643:神も仏も名無しさん
19/04/30 00:00:51.59 PfLV95Yy.net
五感の感覚や思考が残ってるなら、ちゃんと入れてないってことだと思うんだけど。
五感残ってて禅定なんて言われても、えっ?、って感じ。

644:神も仏も名無しさん
19/04/30 00:03:33.33 xbVaDIoy.net
>>632
大きな衝撃音とかしても気づかない?

645:神も仏も名無しさん
19/04/30 00:07:41.65 xbVaDIoy.net
本当に思考残ってなかったらニミッタを心臓に収めるとか、尋、伺、喜悦、軽楽捨てられないじゃん
言語思考は止まってるよ
周囲が一定の音光臭気レベルなら何も感じない
けど、満員電車や目の前で上司が怒鳴っていたら
「なにか起きてるな」くらいは感じるよ?

646:神も仏も名無しさん
19/04/30 00:14:17.60 PfLV95Yy.net
そうですか。
終わりましょう。

647:神も仏も名無しさん
2019/


648:04/30(火) 00:21:47.76 ID:xbVaDIoy.net



649:神も仏も名無しさん
19/04/30 00:31:11.69 xbVaDIoy.net
ここを見ると
URLリンク(j-theravada.net)
> 第一禅の最中では思考はまだはたらいています。
ですから、禅定で思考が止まるわけではない
呼吸も拍動も止まる=世俗でいう仮死状態になるのは、非想非非想処になると
と書かれてますね

650:神も仏も名無しさん
19/04/30 01:39:23.65 vulO5dA6.net
瞑想する連中の集いは「中には嘘つきもいる」じゃなくて全員が嘘つきだからそこにいるみんなで騙し合っているという世にもおぞましい嘘地獄

651:神も仏も名無しさん
19/04/30 05:57:12.65 LbltouwB.net
>>627
こいつ山下良道スレでふるぼっこされて、こんなこと言っとる

652:神も仏も名無しさん
19/04/30 09:12:40.26 8YZex+Ez.net
むしろ出来ない人いるの?そのくらい

653:神も仏も名無しさん
19/04/30 10:26:32.71 eQ9XCPXJ.net
折角>>621がGWのプログラム考えてくれたのに
四禅ごときに釣られて取り乱すなよw

654:神も仏も名無しさん
19/04/30 10:33:03.70 PfLV95Yy.net
>>638
お釈迦さまは、色界四禅も無色等至もできたはずだし滅尽定も入れたはず。
阿羅漢もそう。
現代の出家比丘も、一緒に修行していれば目の前で禅定に入ってるところ
を目の当たりにする。

655:神も仏も名無しさん
19/04/30 10:38:53.31 eQ9XCPXJ.net
終わると宣言したのにまだやるの?
はずだ、はずだ、って止めなよ
>>635
> そうですか。
> 終わりましょう。

656:神も仏も名無しさん
19/04/30 10:39:22.39 PfLV95Yy.net
日光東照宮の「想像の象」をみて、象なんていないと言ってるのと同じ。
ないのは自分が妄想した妄想概念の象であって、象はいる。
瞑想ではじめてみえてくる、無我や輪廻もおなじ。
ないのは妄想概念の無我、妄想した輪廻の概念で、無我や輪廻には
かすりさえもしない。

657:神も仏も名無しさん
19/04/30 10:40:09.95 PfLV95Yy.net
「はずだ」は、控えめに表現しないと反発されるかなという懸念から付け足しているだけ。
もともと言葉で伝達できるものじゃないし。

658:神も仏も名無しさん
19/04/30 10:41:51.03 PfLV95Yy.net
言葉は分別思考。
知恵はその人間の思考ではない。
釈尊の言われたことが、人間の思考で捉えられないからといって、釈尊が嘘つきなわけじゃない。
妄想で妄想の外のことを測ろうとしても無駄。

659:神も仏も名無しさん
19/04/30 10:50:44.29 eQ9XCPXJ.net
事実として伝えられてる知識について「はずだ」というのはおかしいでしょう
> お釈迦さまは、色界四禅も無色等至もできたはずだし滅尽定も入れたはず。
またこの並列のしかたもおかしい
「阿羅漢のみか、第九禅にあたる滅尽定に入ることができるとされる」
と言えば済むこと
そこに色界四禅なんて話は入ってこない
控えめなのではなく、禅定に入ってない人が中途半端な知識で
マウンティングしようとしただけに見える

660:神も仏も名無しさん
19/04/30 10:53:58.35 eQ9XCPXJ.net
反発されても良いでしょう別に。
あなたは出家比丘の禅定を眺めていたからわかってるんでしょう?
禅定の何たるかを、はっきりと。

661:神も仏も名無しさん
19/04/30 17:50:42.35 pe5GsdBZ.net
ワロタ
マハシ式だと禅定やらないから過剰に反応してしまうんだろうな
預流果に入ってる人なら四禅行くんじゃないの?
七覚支完成してるんでしょ?
想像するに始めたらすぐに四禅までいくよ
アナパナ主体ならニミッタなんかじきに見る
やればわかるけどニミッタ見たら四禅なんかすぐだよ
それは悟りではない←ここ重要
そこからがマインドフルネス本番なのだから
そんな大した話であるわけがない

662:神も仏も名無しさん
19/04/30 22:29:01.99 PfLV95Yy.net
預流果ならすでに三結がないうえ戒を破れないので、五蓋を鎮伏するのは
そんなに難しいことじゃないはず。
しかも涅槃にいたる道からドロップアウトすることもないので、禅定を忌避する
理由が分からない。理解できない。

663:神も仏も名無しさん
19/04/30 22:31:33.34 PfLV95Yy.net
公に話して一般常識で判断された時に、(そんなものあるはずがない
というような判断をされて)問題が起きる可能性が高いから黙っている
というなら理解はできるが。

664:神も仏も名無しさん
19/04/30 23:19:30.80 AG46m/KV.net
最近、酒が受け付けなくなってきた
ちょっと飲むとなんだかとても自分が間違ったことをしてる感覚がある
元々酒を飲んで楽しいという感覚はないのだが…

665:神も仏も名無しさん
19/04/30 23:21:23.77 AG46m/KV.net
八正道に反するからという考えがあるわけでもないんだ
酒ぐらい嗜む程度なら良いだろうとすら思ってるのだが
これは瞑想が進んでいるせいなのか、それとも肝臓が弱っているのか?笑
でも弱るほど飲んではいないんだよな

666:神も仏も名無しさん
19/05/01 00:12:10.45 IHuKgFiH.net
修業が進んでるんじゃないでしょうか。
自分も似たような感じです。お酒ではないですが。

667:神も仏も名無しさん
19/05/01 06:32:05.21 T8gmtZqx.net
しっかり気づきを保つようにして酒を飲んでみたら、酒が本当に美味いのは最初の1杯だけ、それ以降は惰性で飲んでて
気分が良くなるのは最初の1時間だけ、それ以降は気持ち悪さが徐々に増していくことが分かる
何でわざわざ高い金出して苦しい思い(トータルでは)してるんだろう?俺はバカなのか?ってなる

668:神も仏も名無しさん
19/05/01 11:33:43.92 ySQi7+i6.net
この図の②や③で止まらず、④まで行くことが大切だと思います。
URLリンク(mindfulbonpu.web.fc2.com)

669:神も仏も名無しさん
19/05/01 12:27:49.81 tVHK/fNj.net
3に行かなきゃ1は見えないでしょ

670:神も仏も名無しさん
19/05/01 13:23:00.70 tVHK/fNj.net
ちゅーか、3に行っても1が滅してるわけではない
と言ったほうが良いのか
あと、慈悲の位置がおかしいと思う
慈悲は3の高さに現れてくるもの
現れてきても人が人に慈悲なんて実践できない
仏陀の慈悲の中で自他がなくなるのであって、自が施しを実践するものではない
と思うよ


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