【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践16at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践16 - 暇つぶし2ch250:神も仏も名無しさん
19/04/06 12:25:01.56 CQL+6DUU.net
痔がつらい

251:神も仏も名無しさん
19/04/06 19:39:45.15 g6Jh4SQN.net
>>245
真我と有身見って何か関係あるんですかね?

252:神も仏も名無しさん
19/04/06 21:05:49.01 9imti0nF.net
有身見が破れることは自我の錯覚を見破ることと同じだから、その瞬間に真我が立ち現れる。
というか、夢から覚めるかのようにもともと真我だったことを思い出す。
仏法ではそこで終わらず、さらにその先の涅槃を目指すので、そこで満足しちゃダメ。
ということだと思う。

253:神も仏も名無しさん
19/04/06 23:25:06.95 +WqAyTkG.net
仏法では真我については釈迦は沈黙を守り通してたよ
真我の先に涅槃があるともいってない

254:神も仏も名無しさん
19/04/06 23:32:51.60 9imti0nF.net
成道する前の釈尊が、アーラーラ・カーラーマ、ウッダカ・ラーマプッタ
仙人のもとで(即座に)到達した境地ですよね。

255:神も仏も名無しさん
19/04/06 23:42:00.30 9imti0nF.net
そういう状態(サマーディで真我に到達している状態)というのはあります。
しかし、それも三界ですから無常無我です。
ってことだと理解してますがね。

256:神も仏も名無しさん
19/04/07 00:08:41.21 5/NtSIbc.net
十牛図の、
七がヒンドゥ・ヴェーダ、八が上座部系、九が道教・仙道、十が禅。

257:神も仏も名無しさん
19/04/07 00:33:46.09 l9OUtTzl.net
>>250
それは真我とも梵我一如とも関係がない

258:神も仏も名無しさん
19/04/07 09:14:39.14 svjdz5T1.net
真我、梵我は妄想
現実は気づきと智慧だけ
気づきと智慧で観れば無一物、何も無い、諸法無我

259:神も仏も名無しさん
19/04/07 12:59:11.49 n/PjHZRL.net
サティにしても智慧にしても有為のものだから本質的には虚妄、無常、苦、無我

260:神も仏も名無しさん
19/04/07 20:29:32.07 svjdz5T1.net
智慧はサンカーラ、行によってどうこうするものではないから無為
智慧は頑張って考える事ではないし、思考でもない、現象でもない
サティは努力して、意志の力によって継続するものだから有為、無常、苦、無我

261:神も仏も名無しさん
19/04/07 22:51:29.52 n/PjHZRL.net
>>256
それはテーラワーダの教義ではない
テーラワーダでは無為は涅槃だけ
智慧は有為法のなかの心所に属するというのがテーラワーダのアビダルマ(慧根と訳される)
説一切有部の五位七十五法や唯識の五位百法でも智慧は心所に属する

262:神も仏も名無しさん
19/04/07 22:52:35.58 n/PjHZRL.net
智慧は因果によって完成させるものであり有為

263:神も仏も名無しさん
19/04/07 23:05:35.86 uMziklyM.net
>>252
如来(仏陀)はどに相当するのでしょうか。

264:神も仏も名無しさん
19/04/08 00:01:49.94 TNu/czsX.net
入滅したんだから無為じゃね

265:神も仏も名無しさん
19/04/08 00:11:37.48 nZqRRoq/.net
菩提樹のもとで成道して般涅槃するまでの仏陀は?

266:神も仏も名無しさん
19/04/08 07:34:15.94 izsSYgQE.net
>>257
慧根と智慧は違うでしょう
慧根はたぶん、智慧によって物事を観る働き、智慧が生まれる根本
智慧は無明が無い状態、無明から生まれる行が無い状態、因果に属するものではなく因果から離れる事を理解した状態
アビダンマでも無明は定義されてないでしょ?たぶん
無明、智慧は教義で捉えることはできず、それが何かを理解した人はもう悟ってます
思考、概念を超えたものですね、無明、智慧は

267:神も仏も名無しさん
19/04/08 07:49:56.42 izsSYgQE.net
そういう意味だと智慧は無為と言うのは正確ではないですね
智慧は有為、無為を超えたもので、智慧によって無明が破れることで無為が生まれると言った方が正確かもしれない
無明も有為、無為に属するものではないが、無明から有為が生まれる

268:神も仏も名無しさん
19/04/08 08:55:56.07 CZ3Rcxeh.net
二つ目は c e t a s i k a 。心所と漢訳していますが 、認識と一緒に生まれる感情のことです 。
これはそれほどいい意味ではありません 。
心 ・認識機能がはたらいてものごとを認識しますが 、それで終わりません 。
花を見るのも食べ物を見るのも 、見るはたらきは同じなのですが 、私たちは 「きれいな花 」 「おいしそうな食べ物 」などと決めて見ますので 、それなりに心の感情が変化しています 。
人を見るときも 、見る相手によって 、心には違う感情が生まれます 。
怒り 、苦しみ 、悩み 、嫉妬 、明るさ 、眠気 、いろいろなものが心に生まれます 。そのありとあらゆる感情が 、全部 c e t a s i k aです 。
仏教で言う悟りの智慧さえ 、ここ ・心所に入ります 。
悟ったときの智慧も 、感情と言うのも変ですが 、それも一つの 、心に生まれる状態です 。
世界的な画家が描いた絵を 、写真でも模写でもなく本物を目の前で見たら感動する 。
そのように 、真理を見ると心にある変化が起こる 。
その変化を智慧と言う 。それも心所の一つです 。
ですから善悪にかかわらず 、心に生まれる一切の感情は 、心所 。
(アルボムッレ・スマナサーラ「ブッダの実践心理学 第1巻」)

269:神も仏も名無しさん
19/04/08 10:25:35.24 izsSYgQE.net
「ブッダの教え一日一話 今を生きる366の智慧」という本では、
>智慧とは、特別に「何かがある」ことではありません。じつは、「何もない」ことなのです。
とおっしゃられているので矛盾すると思う
ブッダゴーサ長老はなぜ智慧と言わず慧根と言ったのか?などの疑問もあるが、スマナサーラ長老がそうおっしゃるのならそうでしょう
智慧は心所であり、無明から生まれる有為のものであり、無常、苦、無我であるという事でしょうね

270:神も仏も名無しさん
19/04/08 13:06:10.69 izsSYgQE.net
申し訳ない
自分が言ってた智慧はvijjāで、明知とか明というやつですね
普通の智慧はpaññaで、戒定慧の慧、物事をありのままに観る事ですね
スマナサーラ長老はどちらもひっくるめて智慧と呼んでいるようです

271:神も仏も名無しさん
19/04/08 15:03:36.81 jChXmu69.net
なんか今日ヴィパッサナー瞑想していたら、存在するのは精神だけだって感じになりましたw
唯識派が生まれたのが分かりましたw
まあ勘違いの可能性もありますから、私は唯識派にはなりませんけどw

272:神も仏も名無しさん
19/04/08 15:29:31.98 CZ3Rcxeh.net
>>267
阿頼耶識までもが空と悟って本当の唯識となる

273:神も仏も名無しさん
19/04/08 15:38:25.27 jChXmu69.net
>>268
レベル高っw
そこまでは無理かなぁ・・・w
横道にそれるのでやらないと思いますけどw
でも明らかに体もあるので精神だけってのはおかしいですよね。
と頭で理解してみるw

274:神も仏も名無しさん
19/04/08 17:15:04.29 CZ3Rcxeh.net
唯識を完成させたと思われる世親は元々は経量部の比丘だったから部派仏教の勝義諦の概念を導入して法(もの・存在)を分別した。
この辺は説一切有部やテーラワーダに似る。
でも世親は大乗仏教に鞍替えしたので大乗の空の観念も足し合わせてそれらの分別された法も空であるとした。
そこが何かしらの実在を認める部派仏教との違い。
でも玄奘など三蔵法師の文献によると彼らがインドに渡った時に一番隆盛を誇っていたのはまあヒンドゥー教なんだけど、
仏教では大乗仏教ではなく玄奘らが小乗と思っていた部派仏教で犢子部とその派生の部派でインド仏教の半数を占めていたらしい。
犢子部は補特伽羅という輪廻主体を認めていた部派で、犢子部が人気があったということはいかにインド人が魂の概念が好きだったかを物語っている。
もちろん説一切有部の比丘、僧侶(サンガ)もまだ健在ではあった。

275:神も仏も名無しさん
19/04/08 20:22:55.87 izsSYgQE.net
目を閉じてなるべく妄想しないように気をつけながらヴィパッサナーをやると、「明らかに体がある」ではなくて「体があるという認識が生まれ消えている」という事実が観えるはず

276:神も仏も名無しさん
19/04/08 20:29:26.96 izsSYgQE.net
認識は感覚と、手、足などの言葉、イメージから捏造される
その時認識したいという意志も働いているはず
それら全てが高速で生滅していること事に気づき続ければ、いずれそれらが無くなった状態、涅槃に達する

277:神も仏も名無しさん
19/04/08 22:55:36.20 qKxh+ly4.net
>>272
自分の体験談として行ってるの?

278:神も仏も名無しさん
19/04/08 22:56:07.39 qKxh+ly4.net
言ってるの?

279:神も仏も名無しさん
19/04/09 08:20:11.34 VrvORO4a.net
>>273



280:う 一度は涅槃に達してないと仏教徒とは言えない 苦しくても泣きながらでも瞑想してブッダについていかないと



281:神も仏も名無しさん
19/04/09 11:02:24.39 qu/BO/ZI.net
つかまえているという感じでしょ

282:神も仏も名無しさん
19/04/09 14:02:33.26 ejTyQt9E.net
それは涅槃ではなく禅定では

283:神も仏も名は有るさん(男性)
19/04/09 14:06:18.31 D4+sGLdJ.net
昔話だ。
所要があって長距離バスに一人乗った。
書籍も持参していたが読む気になれず、アーナパーナサティをすることにした。
窮屈な車内で中々集中出来ず、眠気とも戦いながら、それでも我慢してやり続けると、
正確には覚えていないが「呼吸してるだけ」とかの思いが生じた。
そこで思い出した。
『このように、自己の身において身を随観し続け、...そこで「身(呼吸)のみあり」
との念が彼に起こる。それこそは智慧の(増大の)ため、...』
大念住経の一節だ。
「ああ、経典で見たのはこの光景の事なのか」
常日頃、私は仏教修行を登山に譬えるなら、経典や書籍類は地図に過ぎない。
いくら地図を理解し、精通したからと言って、それで山に登った事にはならない。
山に登るとは戒律を守って瞑想することに他ならない、と思っていた。
バスの中で私は確かに低い山かも知れないが山に登っていたのではないかと思っている。
その後その様な体験が何度もあったと言う事もない。

284:神も仏も名は有るさん(男性)
19/04/09 14:07:55.90 D4+sGLdJ.net
>「存在するのは精神だけだ」
つまりは「心のみあり」との念が>>267に起こった訳か。
それならば心隨観であるな。
『このように自己の心において心を随観し続け、...そこで「心のみあり」との念が彼に起こる。
それこそは智慧の(増大の)ため、...』―「大念住経~心に関する随観」
>>269
>でも明らかに体もあるので精神だけってのはおかしいですよね。
これを余計な思量と云ふのでは御座いませんか。

285:神も仏も名無しさん
19/04/09 16:31:02.06 qu/BO/ZI.net
やっていくとわかるよ

286:神も仏も名無しさん
19/04/09 16:31:46.65 IZlOJq9z.net
>>279
一応、精神が認識するから事物が存在するという認識になりました。
心の外にモノは存在しない、という感じですね。
でも心のみが存在するという、心隨観の状態だったかもしれません。
すいませんよくわかりません。

287:神も仏も名無しさん
19/04/09 20:35:20.71 VrvORO4a.net
>>277
禅定の場合は一点集中の気づきから入る
涅槃はまんべんなく六根に対しての気づきから入る
禅定と時は出てきてからしばらくすると入る前と変わらない状態になるが
涅槃と場合は出てきてからしばらくして智慧が現れ、煩悩がいくらか遮断される

288:神も仏も名無しさん
19/04/09 22:37:55.62 +XS94E37.net
スレリンク(psy板:814番)
> >>812
> >>813
> やっぱ小乗の人って我さえよければいいっていうのは本当なんだね。
> 大乗の人もそうなのかな? ところであなた方はあなた方の信じるところに従って、必ず解脱できるの? 
> またそのように修行しているの?
スレリンク(psy板:815番)
> >>813 「解脱してから他者を救う」って言うのは
「カネを稼がないと、施しも出来ない」っていうほどの意味なら理解できるが、
解脱して仏陀になるまで誰も助けないでいいのかね?

289:神も仏も名無しさん
19/04/10 01:26:53.84 zV4ePXuR.net
なんか、預流果ってなるのは実は滅茶苦茶難しいんじゃないかって思ってきました。
自分の場合ですが、体と心を探しても自分はいないってことが今日分かったんですが、
まだ有身見は消えてないんですね。
探求していた間は、これを達成したら預流果になれる、
簡単だと思っていたのに、実はかなり難しいのでは?
悟れるかどうか不明になってきました。

290:神も仏も名無しさん
19/04/10 03:51:44.58 Sib+JTY0.net
一切皆苦ぅぅ

291:神も仏も名無しさん
19/04/10 17:32:16.03 +bT/7lvJ.net
>>283
カナヅチが溺れている人を助けることはできない。
まず、自分が泳げるようになる必要がある。
そういうことではありませんか。
ダンマパダにも、まず己を整えよ。それから他人を整えよとあります。

292:神も仏も名無しさん
19/04/10 19:52:01.22 zV4ePXuR.net
うーん自我は錯覚だと聞いていたけれどなるほどなぁ。
自分でないものをこしらえていたんですね。作ろうとしなければ自我はないと。

293:神も仏も名無しさん
19/04/10 20:03:38.09 r/98R04Z.net
>>286 カナヅチでも縄や浮き輪を投げてあげる、助けを呼ぶなどは出来る。
仏教徒というのは、他者を助ける、と言うのが二の次で、自己の修行さえ完成すれば良いように思える。

294:神も仏も名無しさん
19/04/10 20:52:28.34 GuGoeFFv.net
生きることは高層ビルで火事にあうようなものだね。
無明という煙に覆われていて出口は見つからない。どこに逃げても熱くて苦しい。
ブッダは解脱という非常階段を発見した。
非常階段を実際に見た預流果でないと人を導くような事をするのは危険。
火事現場を非常階段まで突っ走らないといけないのだから、仏道修行は苦しい。

295:神も仏も名無しさん
19/04/11 00:07:43.63 xhJUZEtf.net
救助のために非常階段を探して戻るのが菩薩
非常階段をそのまま降りて向こう側に行くのが小乗

296:神も仏も名無しさん
19/04/11 00:11:44.82 vDSeHDX9.net
しのごの言わずに仏道修行していればよろし

297:神も仏も名無しさん
19/04/11 00:18:23.48 l1NqdEZV.net
>>288
大乗仏教の祖といわれる達磨大師も、面壁何年だったのではありませんか。
唯識の祖の無著、世親も阿羅漢と言われています。
であるからには、阿羅漢果に至るまで修行に専念していたのではないでしょうか。

298:神も仏も名無しさん
19/04/11 00:27:23.82 l1NqdEZV.net
世間的な尺度で他者を助けたいなら、医者か弁護士か何かにでもなった方がいい。
仏教がもたらす利益とは、結局のところ解脱の一味に集約されると思う。

299:神も仏も名無しさん
19/04/11 01:00:53.72 MrkqPRjs.net
>>290
偽りの非常階段で安心させるのが大乗で
本当に非常階段があるのを示すのが小乗ぽい

300:神も仏も名無しさん
19/04/11 01:10:52.28 l1NqdEZV.net
智慧を前面に出しているか、慈悲を前面に出しているかの違いしかない気がする。
智慧は、ふつうの人間には理解できないでしょ。生まれつきの修行者とかじゃないと。
一方、慈悲はわかる、伝わる。
人情に似ているからかも知れない。
そういうことじゃなかろうか。

301:神も仏も名無しさん
19/04/11 21:40:28.30 0Gx128jl.net
お母さんが子供の為だと思って子供を甘やかしてたら子供の人生が潰れてしまったり、
お父さんが子供の為だと思って子供に厳しくしてたら子供の人生が潰れてしまったり、
慈悲と言っても簡単じゃないよね。
それこそ智慧が無いと慈悲も上手くいかない。やっぱり智慧と慈悲は車の両輪だね。
若干智慧の方が重要だけれども。

302:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:03:57.69 oGaacyRd.net
解脱、悟りを得たらその代償は何なんだろう
良いものは何も失うことなくただ得るだけ、というのはあまりに虫の良い話に思われる

303:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:16:58.71 LuiLUv0J.net
その「良い」は世俗の価値観ではないからね
世俗的には「良いも悪いも失った人」でしょ

304:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:30:29.34 v6now+nW.net
一般的価値観から言えば、
「悟りを求めようとする人」(仏道を歩もうとする人出家しようとする人、世俗の生き方と距離を置こうとする人)
は、
非難誹謗され、怒られ、或いは恨まれ、或いは侮蔑嘲笑され、或いは気狂いと思われ、
『人でなし』の烙印を押されるからね・・・。

305:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:37:44.49 P5gnuCdE.net
>>292 減縁減行三二相までやって阿羅漢果を得るのに何劫かかるの? 地球が出来て滅びてを何千何万回繰り返す間の不幸を見て見ぬふりするのも修行なの?

306:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:39:20.23 P5gnuCdE.net
>>291 その修業とはどんなもの? あなたはそれで仏果を得られるの?

307:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:40:59.17 P5gnuCdE.net
>>293 なるほど、仏者は医師弁護士に劣るのですね。では仏教は医師弁護士は救えないことになる。

308:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:45:44.80 v6now+nW.net
>>300
医師免許を取る前でも治療手術をすべき、と?
入隊、訓練もしていないのに、レスキュー作業に加わるべきと?
泳げない人間に海水浴場でライフセイバーの職に就け、と?
外国語のリスニングができていない人間に同時通訳をしろと?

お前、頭大丈夫か?

309:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:47:26.46 v6now+nW.net
釣りか・・・w  >>302
お前は、野球選手に外科手術を依頼するのか?とwwwwwwww


豆腐の角に頭ぶつけとけ。

310:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:51:43.96 oGaacyRd.net
>>298,>>299
レスありがとう
世俗的な苦しみを手放す代わりに、世俗的な幸せも手放す感じか
世俗的価値観から見れば、解脱は喪失でもあると考えればよいのか
よく考えて修行しなければならないな

311:神も仏も名無しさん
19/04/12 00:10:44.09 N8h8+9qv.net
>>303
>>304
どうもあなたがたは仏陀をそこいらの士業程度に考えていらっしゃるようですね。
小さい。小乗と言われる所以だ。あなた方が得ているであろう果が(たとえ阿羅漢果であろうと)非常に小さいものであることがよくわかった。
それでは人を救えないであろう事は明らかだし救おうとも思わないはずだ。

312:神も仏も名無しさん
19/04/12 00:20:25.12 N8h8+9qv.net
>>294 小乗の非常階段は袋小路ではないですか? 本当に灰身滅智出来ますか?したいですか?
大乗・・・ 大乗にもよりますね。

313:神も仏も名無しさん
19/04/12 00:23:54.63 Evbw+QsI.net
個人的には
医者は治療を施してくれるから有り難く、
悟った人は存在してくれてるだけで有り難い

314:神も仏も名無しさん
19/04/12 01:01:02.68 lU328n+U.net
深く考えずに仏法僧に帰依して修行に邁進すれば答えは出ると思うよ
何もなかったという答えも当然あり
暗示にかかりやすいそうではないとか個人差があるからね
呼吸法だってマスターできる人とそうでない人がいるだろうし
◯◯式に忠実にやっても何も変わりないという人もいるだろうし
人それぞれ

315:神も仏も名無しさん
19/04/12 01:47:08.74 N8h8+9qv.net
>>309 では、仏教は救われる人と救われない人の別があるのですね? つまり個々人の才能で仏になれるかなれないかが決まっている?

316:神も仏も名無しさん
19/04/12 06:26:01.25 lU328n+U.net
>>310
それは分からないけど、それが分かったところで修行をするしないに関係します?
だいたいテーラワーダでは仏ではなく阿羅漢になるのが目的ではないですか?
今生で阿羅漢になれなくても七回輪廻すると阿羅漢になれるんだとか
それを信じてそれ以上は考えずに修行する
それ以上考えるのはそれこそ妄想だと思います
莫妄想

317:神も仏も名無しさん
19/04/12 11:14:32.81 xqT/uX7Z.net
仏教は人を救う事を必ずしも必要としない。
ブッダも梵天に請われるまでは法を説こうとされなかった。
しかし自分を救う事、解脱する事は必須。
誓願を起こして三帰依し、戒を守り瞑想するだけ。
煩悩の残りが多い人は時間がかかり、少ない人は早く結果がでる。
精進がしっかりある人はすぐに結果がでて、そうでない人はゆっくり。
やるかやられるか、煩悩の魔軍に勝つか負けるか。
智慧の剣と慈悲の盾を持って突撃すればいい話であって、その場合、命も何も捨ててかかればいい。
それができないと言うのは根性がない負け犬だという事になる。

318:神も仏も名無しさん
19/04/12 11:53:59.08 JRyBY63w.net
>>312
靴箱の底で勝手にやってろ

319:神も仏も名無しさん
19/04/12 15:03:23.12 X528vZOz.net
>>300
思考判断の前提に、なにか強固な思い込み(見 ditthi)があるんじゃないかな。
それはわたしの問題ではなく、あなた自身の問題ではないでしょうか。

320:神も仏も名無しさん
19/04/12 15:04:11.33 X528vZOz.net
>>302
どんな判断も、価値判断の尺度によるのではありませんか。
その尺度で測るなら、そうなるというだけのことで。

321:神も仏も名無しさん
19/04/12 15:06:43.80 X528vZOz.net
釈迦牟尼の仏教を小乗と呼ぶ時点で、たぶんなにか勘違いしていると思います。

322:神も仏も名無しさん
19/04/12 15:11:42.09 X528vZOz.net
出家を見て偉いなと思うのは一部の仏教徒だけで、大抵の一般人は乞食だと思うでしょうし。
人間が考えた妄想概念のことだけを「宗教」と呼んでいる人は、どんな宗教者であれ、迷信
を信じる愚か者という意味で「信者」だと思うでしょう。
しかし、人間知性という枠の外側にある真実のことを「宗教」だと思っている人は、人間が
妄想した「宗教」とは区別しているはずです。
判断の尺度が違うし、前提認識も違うのです。

323:神も仏も名無しさん
19/04/12 15:15:48.45 X528vZOz.net
大乗仏教のはじまりは、智慧の道を理解できない一般大衆にも理解できるように
苦心した結果として編み出された方便、慈悲の現れだと個人的には理解しています。
釈迦仏教が小乗なのではなく、梵天勧請のエピソードが示してもいるように
大抵の人は釈尊の説く智慧の道が理解できないのです。
だから慈悲の道として説き直したのだと思いますよ。
それが大乗仏教のはじまりだと思ってます。

324:神も仏も名無しさん
19/04/12 15:19:04.31 X528vZOz.net
無我とか輪廻というのは人智を超えているので、人間が考えて理解しようとする
アプローチでは分からないはずです。
瞑想しない、できない層の人々は考えて判断することしかできないので、人智を
超えたことと迷信の区別はつけられないんです。

325:神も仏も名無しさん
19/04/12 15:21:09.40 X528vZOz.net
角が立つので面と向かってストレートに言うことはしませんが、
はっきり言ってしまうとそういうことです。

326:神も仏も名無しさん
19/04/12 19:45:48.09 e0RFda3v.net
439 ナムチよ、これは汝の軍勢である。黒き魔(Kanha)の攻撃軍である。勇者でなければ、かれにうち勝つことができない。(勇者は)うち勝って楽しみを得る。
440 このわたくしがムンジャ草を取り去るだろうか? (敵に降参してしまうだろうか?)この場合、命はどうでもよい。わたくしは、敗れて生きながらえるよりは、戦って死ぬほうがましだ。
441 或る修行者たち・バラモンどもは、この(汝の軍隊)のうちに埋没してしまって、姿が見えない。そうして徳行ある人々の行く道をも知っていない。
442 軍勢が四方を包囲し、悪魔が象に乗ったのを見たからには、わたくしは立ち迎えてかれらと戦おう。わたくしをこの場所から退けることなかれ。
443 神々も世間の人々も汝の軍勢を破り得ないが、わたくしは智慧の力で汝の軍勢をうち破る。─焼いてない生の土鉢を石で砕くように。
444 みずから思いを制し、よく念い(注意)を確立し、国から国へと遍歴しよう。─教えを聞く人々をひろく導きながら。
445 かれらは、無欲となったわたくしの教えを実行しつつ、怠ることなく、専心している。そこに行けば憂えることのない境地に、かれは赴くであろう。
ブッダは漢だ

327:神も仏も名無しさん
19/04/12 21:07:19.32 W/F3TBEl.net
衆生を直接救うためには、
医学を極め、教員免許も取得し、特殊車両の免許もとり、
化学薬学の知識も学び、建築設計の知識も供え、
幼児教育の機微も学び、婦人科医療の知識技術もマスターし、
経済学も税制も、ITも株式も視野に入れ、
法律及び凡例は全て完璧に記憶し、
夫婦も含め男女の関係・心理的駆け引きも理解し、
外交も軍事も力関係を見極め、
発達障害や身体障碍の家族のサポート法もマスターし、
そして、人生生活、あらゆる苦悩の解決策を助言できなきゃならんわけだ。

仏陀って、んと、スーパーマンだな。   嘲笑

328:神も仏も名無しさん
19/04/12 21:09:54.03 W/F3TBEl.net
ブッダは魔法使い・超能力者じゃない。

329:神も仏も名無しさん
19/04/12 21:23:37.90 4HNNTwjv.net
なんだか仏陀って奴隷なの?

330:神も仏も名無しさん
19/04/13 18:59:56.54 L9qYP8dx.net
>>314 そりゃ見惑思惑ありますよ。

331:神も仏も名無しさん
19/04/13 23:20:02.51 L9qYP8dx.net
>>316 大乗も小乗もすべて釈迦牟尼御一人が説かれた教えです。

332:桃太郎
19/04/14 00:38:42.48 zhDmIzIc.net
>>312
>仏教は人を救う事を必ずしも必要としない。
それは仏教ではなく、あなたの自説だと思います。
「人を救わずとも良い」なんて、どの経典に書いてあるの?
> >>813
> やっぱ小乗の人って我さえよければいいっていうのは本当なんだね。
本当です。自他共にそれを認めているから確定です。
だから「小乗経」というのです。
「救われない教え」それが「小乗経」なのです。
散々大乗経で叩かれてきた所以です。
なぜそうなのか?難しく考えなくても、普通に考えればわかることです。
自利に執着して他者を顧みる事を否定しいるわけですから、完全なる自己中です。
自身が悟りを得なければ、人を救えないって、出家もせず、世俗のまま、わずか数十年で仏の悟りを得られる訳がない。
じゃ、いつになったら人を救える境涯になるの?
彼らは「泳げないのに溺れた人を救えますか」と平気であきれた事を言います。
完全なる思考停止状態です。
例えば、その溺れた人間が「自分の子ども」だとしても、同じように言えるのでしょうか?
究極の無慈悲にしか思えません。
自身が不完全でも、いくらでも人を救う方法はある筈です。
人を救いながら、仏道修行は出来ないのでしょうか?
仮に彼らが「救う」となったところで何にが出来るのでしょうか?具体的な解決策を語れるのか?と言うと何も無いのが実情です。
せいぜい、「瞑想しろ」ぐらいでしょう。なんたって「人を救おうと思った事の無い人間」がいきなり人を救える筈がないのです。
だから、「ナンチャッテ覚者」は永遠に救われないのです。

333:桃太郎
19/04/14 00:39:18.18 zhDmIzIc.net
仏法は「縁起」を説きます。
刻々と変化してやまない、その生命流以外に自分というものはないのです。しかも、その流れは常に他の生命流と「縁起」の関係によって、互いに互いを生じさせている。だから「無我」です。固定的な実体というものではない。
しかし、にもかかわらず厳然として、自分自身という生命流は存在するのです。
この法理から言えることは、自分だけの安穏はなく、他者だけの不幸もない。と言う事です。
もし、この世の人々が自分の安穏のみに執着し、不幸な人を救おうという思いが無くなったなら、この世界は暗黒の世界です。
悪の巣窟です。地獄です。
それが、小乗経を学ぶ人には分から無いらしい。

334:神も仏も名無しさん
19/04/14 08:00:36.53 HMIBLO2O.net
●自分の幸福を無視して他の幸福は考えられません。
●汚れたこころには、自己に対しても他に対しても、何が正しいかを判断できないのです。
●無知な人の世直し行為は危険です。
他人の為は『他人の為』か ー 災難は『主義』が起こす ー
アルボムッレ・スマナサーラ長老
URLリンク(j-theravada.net)

335:神も仏も名無しさん
19/04/14 08:11:21.26 2MprxYOH.net
>>329
選民主義

336:神も仏も名無しさん
19/04/14 08:12:54.61 2MprxYOH.net
俺が教え判断してやる

337:桃太郎
19/04/14 08:16:05.21 zhDmIzIc.net
無関心な人びとを恐れよ
敵を恐れることはない……敵はせいぜいきみを殺すだけだ。
友を恐れることはない……友はせいぜいきみを裏切るだけだ。
無関心な人びとを恐れよ……かれらは殺しも裏切りもしない。
だが、無関心な人びとの沈黙の同意があればこそ、地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。
(ヤセンスキー『無関心な人たちの共謀』工藤幸雄 訳)

人を救うと言うことは、人を不幸にする因を取り除くことです。
人々に希望を与え、悪と戦う。それが真の菩薩の姿であり仏法者のあり方です。
人々の不幸を目の前にして、ひたすら自身の幸福を願う。
その結果が、自身の最大の不幸であることに気づかない。
両隣の家が火事になっていても私には関係ないと言っているようなものだ。
地球号に乗っているのに、世界でどのような不幸や惨事があろうとも
一切関知せず、ひたすら自身の幸福を願う。
仏法ではこのような人間は必ず地獄に墜ちると説かれてある。
南岳大師の云く「諸の悪人と倶に地獄に堕ちん」云云、
謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし

338:桃太郎
19/04/14 08:27:07.98 zhDmIzIc.net
>●無知な人の世直し行為は危険です。
世直しなんて大げさなことではなく、小さな事でいいから人を救えるよう勉強してください。
せめて、溺れる人に浮き輪を投げてあげるぐらいの智慧はあるでしょう。
それが出来ないのであれば、スマナサーラ長老ってどんだけ無智なのかと言うことになりますよ。

339:神も仏も名無しさん
19/04/14 08:38:19.60 HMIBLO2O.net
>>333
リンク先を読んでみて下さい。
貪瞋痴がある人間には正しい判断は難しい。
浮き輪を投げたつもりが包丁を投げてしまったという事もあるでしょう。
「あなたのためです」といってその人のためにならない事をする場合もあるでしょう。
だからまず自分の貪瞋痴をなくしなさい、とブッダは説かれた。

340:神も仏も名無しさん
19/04/14 08:46:21.02 Em/o98F2.net
「火が出てる、何故だ、誰かが火の不始末をしたか、それとも電気コードか、
いずれにせよ原因がわかったらただじゃおかない、ふざけるな
ちくしょう、俺は賢いんだこんな火はすぐに消してやる
俺が居なかったら大火事になっていたはずだ
みんな俺に感謝しやがれよ、まったく」
彼は水と間違えてガソリンを撒いてしまった
みたいなことか

341:桃太郎
19/04/14 09:50:33.04 XU86jIMD.net
>自分の貪瞋痴をなくしなさい、とブッダは説かれた。
だから、それが大きな勘違いというのです。
それは、「煩悩を断ぜよ」「無明を断ぜよ」といった事でしょ。
それは釈尊の「随他意」の教えであり、機根が成熟していないの衆生のために説かれた方便ですよ。
低い教えなのです。だから小乗教というのです。
煩悩を断ずる事は不可能です。
人間として生きていけません。普通に考えれば分かること。
釈尊はそんな不合理な教えを私たちに強要しているのではありません。

342:桃太郎
19/04/14 12:18:04.05 XU86jIMD.net
>貪瞋痴がある人間には正しい判断は難しい。
そんなことを言ってたら、誰一人「人を救ってはならない」という事になるじゃないですか。
あるいは、出家者は「人を救ってはならない」が在家の者ならかまわんよ?なんておかしな話でしょ。
>彼は水と間違えてガソリンを撒いてしまった
仏教を学ぶとそこまでバカになるのでしょうか?
よっぽど、在家の人がまともにみえるのですが。(笑
世の中には自分の危険をも顧みず人を救おうとする方々がいる。
仏法は知らないけれど、人々の救済のために人生を賭ける人もいる。
けれども、小乗教の信者はそうした尊い人々を上から見下し、「人を救うなど、君ら一般人が勝手にすればよい」と
傲慢な姿勢をとる。それは決して仏法者の姿ではない。

343:神も仏も名無しさん
19/04/14 12:38:30.37 y/F2NLB4.net
人類の発展の為だと思っていた科学の発達によって原爆、原発事故、公害問題、環境ホルモン、資源の枯渇、食料問題、ゴミ問題、水質汚染など、人類の存続の危機になってますが。
人間は賢いと思っている人こそ愚か。
だからこそブッダは解脱しなさいとおっしゃる。この世は暗黒に包まれているのだから。
解脱するためには貪瞋痴をなくさなければいけない。

344:神も仏も名無しさん
19/04/14 12:44:55.60 y/F2NLB4.net
174 、 この世の中は暗黒である。ここではっきりと(ことわりを)見分ける人は少ない。網から離れた鳥のように、天に至る人は少ない。

345:神も仏も名無しさん
19/04/14 13:27:58.54 27GMlATC.net
>>337
それはチェリーピッキングです
全体の文意がわかりませんか?

346:神も仏も名無しさん
19/04/14 13:44:31.07 M2GNQG7E.net
対立概念を生みだして、正義の戦いを繰り広げるのは
ぜんぶ執着による。
その人個人の頭のなかに対立がある。
巻き込まれないようにした方がよい。

347:神も仏も名無しさん
19/04/14 13:46:24.30 M2GNQG7E.net
善への執着は、悪を必要とする。
従って善のために戦い、他者を裁く者は常に悪を生みだす。
これは宗教的な対立に限らず、日常のすべてに共通して言えること。
だからこそ善悪(への執着)を捨てよと説かれたのだと思う。

348:神も仏も名無しさん
19/04/14 13:47:55.29 2MprxYOH.net
>>334
浮き輪と包丁の区別ぐらいつくわい
助けようと不器用に悪戦苦闘する人々を高邁に馬鹿にするな

349:神も仏も名無しさん
19/04/14 13:53:34.48 M2GNQG7E.net
問題は、問題がおきている次元にいたままでは解決できない。
巻き込まれる。
しかし自分の次元(視点、視座)があがれば、問題そのものが
なかったことに気づくのだと思う。
問題が問題でなくなる視点を教えてあげることもできる。
それが本当の根本的な問題解決ではなかろうか。
問題の起きている次元に留まって、問題と戦うというのは
輪廻の世界で輪廻し続けるだけ。

350:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:21:23.05 27GMlATC.net
物体の浮き輪と包丁を間違える人は居ない
だからそのままの意味として捉えることは出来ない
じゃあ何の話か
別の次元ではトンジンチのせいで盲目になりそれをやってしまう人が多い
という話にしか読めないんだけどな…
俺アスペかなw

351:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:24:19.14 27GMlATC.net
心の次元で間違いが起きれば、目に見える物質の世界でも
こんなはずじゃなかったのにということが起きてくる
ここにまたトンジンチが働いて目を塞いでしまう
同じ過ちを繰り返す

352:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:32:25.83 GBn9hqep.net
>>335 自分は何もしたくないから(めんどくさいから)あれこれ理由をつけて逃げてるだけにしか見えないよ。
それが仏教だと言うなら、誰も信じないよ、利己主義者以外は。

353:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:35:20.80 M2GNQG7E.net
小乗仏教なんてないよ。
それを判断する人の判断の尺度で大小、優劣、善悪、上下が生みだされてるだけじゃないかな。
そういうのは、その当人の中にしかない。

354:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:37:56.17 27GMlATC.net
>>347
はい、読めてない失格
俺自身は大乗的だし、不完全でも助け合うのが人間だと思ってるからね

355:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:38:40.61 M2GNQG7E.net
善(である自分)への執着を元に、悪を捏造して叩く。
その行為を通じて善なる自己への執着を充たしているんじゃないかな。
大乗を自称しながら、実際にやってることはそういうことっていう例はかなり多いと思う。
本当に大乗やりたいなら、智慧がないと無理と思う。

356:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:40:55.34 M2GNQG7E.net
上座部の出家比丘で、戒律と瞑想を教えて人々の苦しみを取り去っている場合。
大乗仏教を自認している在家仏教者で、上記の人々を小乗といって蔑む場合。
どっちが望ましいですかね。

357:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:41:43.95 27GMlATC.net
上座部の人はどう見るかわからないが
人はふと我に返るということがある
そして無我夢中で事をなす
そこにトンジンチがある場合もあるし、ない場合もある
勇気ある行動なんていってメディアが持ち上げるような場合
本人はキョトンとしていたり、そんな大層なことをしたつもりもなかったりする
持続しなくてもふと我が落ちることって人はあると思うんだよね

358:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:44:06.38 GBn9hqep.net
>>351 イエスへの信仰で世の中を良くしていっているキリスト者の方がいいんじゃない?

359:神も仏も名無しさん
19/04/14 17:24:21.32 17OvOmyL.net
仏陀の教えを正確に受け継いでる宗教(宗派)はありますか?

360:神も仏も名無しさん
19/04/14 17:27:38.53 27GMlATC.net
日本はナムアミダブツが多いし
日本人は人生一度きり
つまらん思いを輪廻させること自体、日本人としては「残念な人」でしょう
キリスト教だと賛美歌歌ったり信仰告白したり聖書購読したりするが
日本人は二礼二拍一礼だけで神と繫がるから
日本はそういう文化
「ふと我に返る」というようなことは案外高度なことなんじゃないのかと思ってるんだ
上座部を小乗とか蔑むことではないと思うし
悟りを目指すことは尊いと思う
けど背景の文化が違うから、小乗に見えてしまうことは思い出しても良いと思うし
上座部での悟りの貴重な経験を持った人たちから
日本文化の特質をより上手く働かせる智慧が生まれないものだろうか
と思うんだな

361:神も仏も名無しさん
19/04/14 17:39:41.39 GBn9hqep.net
>>355 日本の低俗な神信心とキリスト教のGodと仏教を混同している。
淫祠邪教と世界宗教を同列に置くな。

362:神も仏も名無しさん
19/04/14 17:59:09.00 M2GNQG7E.net
>>353
善行は此岸だけど、解脱は彼岸だから、そこの違いを分かってるか
どうかにもよるんじゃないかなぁ。

363:神も仏も名無しさん
19/04/14 18:03:49.59 M2GNQG7E.net
例えば政治問題は、人類の歴史を振り返ってみてもなくならないでしょう。
個別の問題をいくら解決しても、人間自身が政治を生みだしているのだから
人間の心(ものの見方・考え方)が変わらない限り、終わりはないはずです。
一方、個々の人間に智慧が備われば、問題自体が生まれなくなります。
理論上はそのはずです。
本質的に問題を解決するのは、後者の道だと思いますけどね。

364:神も仏も名無しさん
19/04/14 18:12:43.22 M2GNQG7E.net
善。
社会貢献や他者の役に立つことは、此岸の価値観においては素晴らしい
ことですけれども、それはあくまで六道における善悪のゲームのなかでの
話ですよね。
それは同時に自己正当化、自己保全、自我執着を正当化するための言い訳、
自我を覆い隠す隠れ蓑として、これほど強力なものも他にないんじゃないか
とも思います。
まず自我執着を手放して、それでもなお社会貢献のために尽力するのであ
れば、その時は本当に智慧と慈悲の表れとして大乗の道を歩めるのでは
ありませんかね。
多分ですけど。

365:神も仏も名無しさん
19/04/14 18:14:18.30 M2GNQG7E.net
特に善なる自分が悪である他者を裁く、というような


366:状態になっている場合、 それはエゴに囚われている時の反応でしょ。



367:神も仏も名無しさん
19/04/14 18:20:19.53 yd2GRANQ.net
まずは執着を捨てるために所有の概念を捨てなければならない。
スマホとかパソコンとかは所有してはならない。
悟りを得るためには無所有であれと釈尊は説いた。

368:神も仏も名無しさん
19/04/14 19:31:12.92 8Eio1j8I.net
金は天下のまわりもの


369:



370:神も仏も名無しさん
19/04/14 19:50:21.95 Q3MbxH1U.net
スッタニパータ ダニヤの章と、ダンマパダ 愛品
を読み直したら良いと思うよ。  >>ALL

371:神も仏も名無しさん
19/04/14 19:52:16.51 Q3MbxH1U.net
また、同時に、
裁判員制度で選ばれた際、
 『自分が他者の刑の軽重を決める』 ことになる、
ということも、頭の隅に容れてみるといい。

372:神も仏も名無しさん
19/04/14 19:54:35.65 Q3MbxH1U.net
世俗と悟り、
世間と出世間の区別を嫌う人種もいるけれども、
この分別無しに仏教は成立しない、と断言し得るんじゃねーかな、
と、個人的には思っている。

これを、混ぜて考えている人間こそ愚者じゃねーか? と。

373:神も仏も名無しさん
19/04/14 21:30:14.74 aqcVph0d.net
>>354
中国経由で大乗が先に来ちゃったからね
おかげでお釈迦様を否定して他の神仏を持ち上げて布教する宗派もある始末。
お釈迦様の教えに近いのは上座部だろうね。
ただ、仏教が悟りを目指すものだとすれば、手段は色々あってもいいと思う。
キリスト教で悟る人もいるみたいだし、人それぞれのルートがあるんだろう。
自分はお釈迦様の説いた方法に惹かれるけどね。

374:神も仏も名無しさん
19/04/15 00:34:21.87 7APFj24O.net
>>354
ありません

375:桃太郎
19/04/15 01:22:40.67 MdtEy9hM.net
>>340
>それはチェリーピッキングです
それは>>338 のような事を言う人を指すのです。
「泳げないのに溺れた人は助けられますか?」とかいう呆れた(人を救う事を放棄した)主張に対し
「泳げなくても、救う智慧や手立てはいくらでもある」と言うごく当たり前の主張を覆すために
大げさに「科学の発展」を「公害」に結びつけて、自己主張を正当化しようとしているのですから。
科学の発展が直接「公害」を生むのではない、
公害は人間の正しき生命観の欠如から起こるものです。
すなわち人間側の問題です。
科学や文化が発展するのは、歴史の流れです。当たり前の事です。これを否定する方がおかしい。
その出発点は人々の幸福の為です。ただそれらに携わる人々の中に、「他者を不幸を顧みず自分の利益、幸福に執着する」人間が悪を生み出す要因となっているのです。
「他者の不幸を顧みない」「自身の安穏(解脱)に執着し社会悪に無関心である」
その結果、どうなるか? >>332に書いた通りです。
この人間に内在する「根本悪」を克服するために仏法の智慧は存在するのです。
ゆえに仏法の生命尊厳の哲学を基調とした医療、科学、政治を展開していく事により公害は防いでいけるのです。

376:桃太郎
19/04/15 01:39:48.05 MdtEy9hM.net
>善行は此岸だけど、解脱は彼岸だから、
>あくまで六道における善悪のゲーム
>それは同時に自己正当化、自己保全、自我執着を正当化するための言い訳、
>世間と出世間の区別を嫌う人種もいるけれども、この分別無しに仏教は成立しない、
こういう意見を見ていると、つくづく上座部仏教って「小乗教」に相応しい教えだと思う。
「自我執着」というけれど、一番自我執着しているのは彼ら自身だとなぜ気付かないのか分からない。
世間と出世間の区別はバラモン教の流れを汲む選民意識であるし、「一切衆生皆平等」である釈尊の教えから
大きくズレている。
「苦しんでいる人を救いたい」という生命の尊く美しき心の発動を
「自我執着を正当化するための言い訳」と貶し、「六道における善悪のゲーム」と高見から見下す。
こうした考えが本当に釈尊の教えだろうか?
私はまったく正反対だと思う。

377:神も仏も名無しさん
19/04/15 02:01:05.32 6kpDtZf+.net
>>369
ここに何しに来たの?

378:神も仏も名無しさん
19/04/15 06:39:02.12 sHoNgnq1.net
出世間は解脱の境地そのものだから、仏教は出世間を目指す教えと言える。
そして解脱の境地は「なすべきことをなし終えた」状態であるから、他者、社会をどうにかしなきゃいけないという思いはもう無い。
慈悲のために真理を説く事はするが、それに執着する事もない。
慈経では、慈悲の心を育てなさい、そうすれば解脱に達すると説かれている。
慈悲の行動をしなさいとは説かれていない。他者を救済しなさいとも説かれていない。
他人に真理を説きなさいとは説かれている。その場合はまず自分が解脱し、他人を解脱に導きなさいという事。
ダンマパダでは「先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むひとが無いであろう。」と説かれている。
だから仏道修行をするような人は、社会活動、ボランティア活動、布教活動に時間を取られて、自分の実践がおろそかになってはいけない。
まず自分が解脱する事が第一。のちに他者に対して活動することはあるが、もうその時には世間の一切に対して執着は無くなっているはず。
世間がムチャクチャで暗黒であるのは当たり前で、そんなものは捨ててさっさと解脱しなさいよと思っているはず。

379:神も仏も名無しさん
19/04/15 06:53:32.53 VSLfEu2P.net
はずとかではなく
断言して生きるなら
私がそれを経験する

380:神も仏も名無しさん
19/04/15 08:22:14.00 sHoNgnq1.net
そうだね。
まず自分が実践し、解脱することが大切。

381:桃太郎
19/04/15 08:56:05.98 t5OpN6dn.net
>ここに何しに来たの?
君たちの仏教観に大いに疑問を持つゆえに議論をしている。
それが何か問題でも?
言論の自由でしょ。(笑
5chは自由な対話の場なんだし。

382:桃太郎
19/04/15 09:38:49.22 t5OpN6dn.net
>>371
清々しい程に究極の自己中だね。(笑
ここまで徹底していると、呆れるの次元を超えているというか..。
>解脱の境地は「なすべきことをなし終えた」状態であるから、他者、社会をどうにかしなきゃいけないという思いはもう無い。
でしょー。(笑
だったら、「泳げないのに溺れた人は助けられますか?」と言う主張は偽善じゃないですか。
「泳げるようになっても、助ける気はない」という訳ですから。
>だから仏道修行をするような人は、社会活動、ボランティア活動、布教活動に時間を取られて、自分の実践がおろそかになってはいけない。
うーん。どーして、それが大いなる間違いだと何故気付かないのかな。
本当に困ったちゃん達ばかりだね。(笑
実際問題、あなたは出家して仏道修行しているの?
やってないでしょ。それを単なる観念論というのです。
人は一人では生きられない。「縁起」を理解すれば分かることです。
私達は多くの人々に支えられて自分の存在がある事を忘れてはならない。
その恩を報じて行く事は仏法者としての使命です。この世の不幸に目をつぶり、無関心の姿勢でいることは仏法者の在り方ではありません。
仏教では不知恩は地獄の業因と説かれてある。
そもそも輪廻解脱の考えそのものが、小乗教の大いなる間違いなのです。
生命は永遠であり、必ず次の世に自身の業に因って生を結ぶのです。
そして、小乗教はこの世を穢れた世界として忌み嫌うのですが、
この世界を穢れた苦悩の世界にするか、常楽我浄の世界にするかはそこに住む人間の生命境涯によって変わってくるのです。
それを「依正不二」と言うのです。
こうした泥水のような苦悩の世界で仏道修行に励み、法を広め、人々の中に仏種をまき、
生命尊厳の仏法を基調とした社会をつくるという闘争のなかで、自身の生命に内在する仏の生命を輝かせて行くことが出来るのです。
そのことを法華経は説いているのです。「如蓮華在水」という意味はそういうことなんです。
だからこそ、この世の不幸や人々の苦しみから目を逸らしてはならないのです。
この娑婆世界以外に安穏の別世界が存在する訳ではないのです。
当然、極楽浄土なんて架空の世界も存在しません。

383:神も仏も名無しさん
19/04/15 09:48:13.91 6kpDtZf+.net
んー。
NGでいいかな。

384:神も仏も名無しさん
19/04/15 10:36:27.90 tioFqYfW.net
上座部は人助けをしないわけじゃなくて、
自ら修行しないと悟れない、救われないよってだけでしょ。
お釈迦様も周りの人に対して母が子を慈しむように愛せって言ってる。
周りを助けることを否定してはいないし、それはお釈迦様が
前世で自分の身を呈してでも他の生き物を生かしてきたことと矛盾する。
ただそれでも仏教は上の人が期待するような救世主育成プログラムじゃなく、
個人個人が解脱する方法を説いたものだと思う。
禅宗なんかは座禅の方法は違くても中身は初期仏教に近いものをかんじるけど、
他の大乗は仏教名乗るのやめた方が混乱がなくていいんじゃないかと思う。

385:神も仏も名無しさん
19/04/15 11:05:59.58 7APFj24O.net
スマナサーラ長老法話
悪い仲間に染まってはいけないと言われるが、自分にしっかり芯があれば周りも自分を尊重してくれる。
他人が自分にどんな態度をとっても、まず自分が相手に微笑みかけること。
その時は自分が楽しいんです。そうすれば周りが自分に微笑んでくれます。
自分自身がともしび(灯火)になっていれば、周りがいくら暗くたって構わないんです。
自分を直すとは、すべてを治すことです。
「自分を直せ、それで世界を治すことになる」ということです。
邪教の人々はまず他を救うべきと言いました。
しかし彼らは意味が分かっていなかったんです。
結局、救済のためと言って無数の人々を殺してまわった。
一切衆生を救うのではない、大きなお世話です。
自分が心の安らぎを得られれば、周りの人々も心の安らぎを得られるのです。
仏教は灯火(ともしび)のたとえを使っています。
自分自身が心の安らぎに住していれば、それで充分です。お父さんが落ち着いていれば、子供達も落ち着くんです。
学校などで道徳のお説教をするのは、失敗しているからです。
誰も実践していないのに、他人に道徳を押し付ける。
仏教では、良い事であるなら、まず自分が実践してから、他に勧めなさいと言っている。

386:神も仏も名無しさん
19/04/15 11:17:39.77 FAHPA8vR.net
>>375
そうかそうか

387:神も仏も名無しさん
19/04/15 12:10:31.00 6kpDtZf+.net
世俗的な善悪や幸不幸の尺度だけで考えていても、此岸から彼岸へ(輪廻から解脱へ)
という別の尺度を知らないわけだから、その状態で考えた仏教解釈は不完全なもの
にしかならないと思うよ。
だいいち、お釈迦さまは王国の承継を放棄して出家したでしょう。

388:神も仏も名無しさん
19/04/15 12:15:47.50 t5OpN6dn.net
>>378
スマナサーラ教ってつくづく低級思想だなと思う。
言ってる内容が小学生並みに低レベルだし、完全に役立たずの宗教だよ。
>邪教の人々はまず他を救うべきと言いました。
>救済のためと言って無数の人々を殺してまわった。
こういうのを論理の飛躍と言うんだよ。
こんなのは、キリスト教やイスラム教などの宗教戦争を指すのであって
古来大乗仏教で「救済を建前に人々を殺してまわった実例」があるんですか。
こうした一般的でない例を持ってきて「人を救う心や行い」を否定しているゆえに、
極めて低級思想と言えるし、もはや、仏教とも言えないと思う。

389:神も仏も名無しさん
19/04/15 12:16:55.86 6kpDtZf+.net
体験智や洞察智を経て解釈された仏教理解は、
知識や思考概念のみで解釈された仏教理解とは違ってくるし、
洞察の深さも瞑想の進み具合(三学の進捗具合)によって
段違いの差があるはずです。
ということは、自分がどの段階にいるかを考えれば、いまの自分の
仏教理解は、あくまでその段階における理解・解釈に過ぎない
という可能性も見えてくるのではないでしょうか。

390:神も仏も名無しさん
19/04/15 12:19:28.82 6kpDtZf+.net
考えて分かることなら、瞑想いらんのです。
言葉で伝えて伝わるんだったら、瞑想いらんのですよ。

391:神も仏も名無しさん
19/04/15 12:50:09.35 sHoNgnq1.net
戦争するのは悪い事だが、ブッダの言葉を誤解、捏造して「これが仏教だ」と信者を騙し、
衆生が解脱する道を邪魔した大乗仏教も罪深い。(禅宗を除く。)
あと原始仏教、初期仏教は小乗と言うよりは少数精鋭だね。それはダンマパダの、「28、賢者が精励修行によって怠惰を退けるときには、
智慧の高閣に登り、自らは憂い無くして(他の)憂いある愚人どもを見下ろす。山上にいる人が地上の人々を見下ろすように。」
にも表れている。
初期仏教はいわゆる自己中じゃなくて、自分にも、他人にも、富も権力も、全世界にも宇宙にも、善にも悪にも、
中心を見出さない、我を見出さない、価値を見出さない境地を目指してる。
我がまま、我の為に修行しているのではなくて、一切の我を無くす事、無我の境地を目指してる。
自分にも他人にも実体を見出さない、存在の根幹を突き崩すための修行。

392:神も仏も名無しさん
19/04/15 12:52:30.34 DgjtrbqX.net
>>368
言葉が足りなかった
> >彼は水と間違えてガソリンを撒いてしまった
チェリーピッキングと言ったのはここについてのこと
こちらは「こういうことか」と半分ボケ、半分マジレスで彼の反応を見ていたのであって
持論として結論づけてるわけではないのは前後を読めばわかるはずだ
よって二行目以下、わたしには関係ないし読まない

393:神も仏も名無しさん
19/04/15 13:40:33.29 heg/7eMl.net
大体今時初期仏教を小乗と侮蔑するのは中国仏教の亜流で時間が止まったカルト教団だけ
龍樹が小乗と呼んだ説一切有部が現存しないのに何で分別説部に言いがかり付けてるのか理解に苦しむよ
根本を否定して仏教が成り立つ訳が無い

394:神も仏も名無しさん
19/04/15 15:45:42.91 HXaIjyt2.net
分別節部は異端だから否定されていいんだけどね
根本じゃないよ、ウリナラ起源みたいなもの
自称起源でしかない
仏陀の教えの残骸は含まれていると考えて良いから
経典は参考にするが、あくまで参考程度

395:神も仏も名無しさん
19/04/15 17:06:39.19 heg/7eMl.net
>>387
するとアショーカ王は異端をわざわざ選んで保護したって事?
単にスリランカ仏教がおかしいとかじゃなくて?

396:神も仏も名無しさん
19/04/15 18:27:29.92 6kpDtZf+.net
現時点においては、仏法に関しては第六結集に準拠しておけば間違いないと思ってますが、
仏法を正しく解釈できるのは三学を修めて智慧に到達した僧団の助けが必要だと思います。
瞑想しない人が文献だけを頼りにしているようだと、どうしても悟りの智慧を、悟っていない人
が解釈することになるので限界があると思う。
申ひ訳ありませんだけど、本当にゴメンなさいね。

397:神も仏も名無しさん
19/04/15 18:55:13.15 HXaIjyt2.net
謝られる理由がわからないw
バシャールがどうとかアセンションがどうとか言ってる人に
同じように謝られてもピンと来ないのと同じかな

398:神も仏も名無しさん
19/04/15 19:23:00.20 tioFqYfW.net
まあ高慢さは感じるよね
そういう知識があるなら
導かんでどうすると

399:神も仏も名無しさん
19/04/15 20:44:56.32 6kpDtZf+.net
ここでしか話せないよ。
人間が人間に向かって、人間を超えた領域ってものがあんねんって話すわけだから。
マトリックスのなかの住人が、マトリックスの他の住人に向かって、ここマトリックスやねん
言うたら、は?、てなるに決まってる。

400:桃太郎
19/04/15 20:45:31.83 MdtEy9hM.net
>どうしても悟りの智慧を、悟っていない人が解釈することになるので限界があると思う。
あなた自身、悟ってもいないのにどうして分かるの?ったく。(笑
そもそも「悟る」って簡単に言ってるけど意味分かって言ってんのかな?
悟る、悟らないって言ったって、内面の話だから自己申告だよね。
「俺は悟った」と言えば悟った事になるのかな?
くれぐれも「ナンチャッテ覚者」に成らないことを祈ります。
貴重な人生を無駄に過ごさないで下さい。

401:桃太郎
19/04/15 20:52:22.03 MdtEy9hM.net
フランスの文豪ロマン・ロランは叫んでいる。
「自分の魂が救われるか救われないかということにばかりこだわっていれば、救われることからかえって遠ざかる。君が君自身を救いたいなら、人間を救え! 
もっと的確に言うなら、ほかの人々の中へ、君自身を忘れ去れ! そうすれば、それ以外のたいせつなことはみな君につけ加わって来るだろう」(『内面の旅路』片山敏彦訳 みすず書房)
さすが文豪だね。仏の考えと一致している。

402:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:07:21.46 tioFqYfW.net
>>394
神秘体験したことあるからそういう心の持ち方が天国を引き寄せるのは知ってるけど、
お釈迦様の教えはそれをさらに越える所にあると思うのよね

403:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:15:52.88 odVIm3ru.net
早く死にたい。全ての苦から脱することの出来る教えはありますか?

404:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:18:44.29 zP9Z6ECE.net
ナワタタナ

405:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:30:39.60 tioFqYfW.net
>>396
そういう絶望した人の為にこそ仏教があると思う、
ダンマパダとかスッタニパータとか読んでみてほしい。
お寺の接心会とかもいいと思う。
個人的に思うところでは、
惨めさとか哀しみとかこんなのは自分じゃないという思いを
受け入れたくないと頑張ってるから苦しいのかもしれない、
一度、たった一瞬だけでも自分を度外視して、
その全ての苦を心を開いて受け入れてみるということができれば、
発想の転換を起こせるかもしれない。

406:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:32:26.33 u6IFqTj3.net
スリランカ仏教は正当なのか。
大乗やキリスト教にかつて迫害された過去から全然執着を断ち切れてないみたいだけど

407:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:36:58.70 odVIm3ru.net
>>398 上座部の修行はとても出来るとは思いません。私は五戒も持てないと思います。
個人的にはイエスの教えが一番救いを感じますが、キリスト教の教義は正則したものがなく
結局行き詰まるだろうと思います。信仰には疲れました。上座部の修行は私には出来ません。
今は唯、早く死が来ることを願っています。どの宗教でも自死は良くないというのは知っていますが、
今は死が甘美なものに感じられます。

408:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:37:46.82 odVIm3ru.net
仏陀にお会いしたい。仏陀なら導いてくださる気がする。

409:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:45:01.28 sHoNgnq1.net
仏教の無我は、自分を忘れるとか、自分を受け入れるとかじゃないんだよね。
自分なんて最初から存在してなかったんだと気付くこと。そうなれば自分に執着することが無くなるのだから、苦しむ事が無くなる。
五蘊の中に自分なんてものは無いし、他人もない、世界もない。ただ五蘊が生滅しているだけ。
放っとけばいいだろう、五蘊なんて、ロクなもんじゃないし、勝手にすれば、というのが無我。
大地にはもともと国境は無く、人間が勝手に領土を主張しているように、もともと誰のものでもない五蘊を自分のものだと錯覚する事が全ての苦しみを産んでいる。

410:神も仏も名無しさん
19/04/15 21:55:35.89 odVIm3ru.net
>>402 それが分かれば、もう生まれ変わることなく存在自体を消せますか?

411:神も仏も名無しさん
19/04/15 22:07:06.11 sHoNgnq1.net
>>403
存在を消すんじゃなくて、始めから存在なんてものは自分で作りあげた幻想。
それに気づけば執着が無くなる。執着が無くなれば生まれ変わる事が無くなる。
今ある体が最後の体になる。

412:神も仏も名無しさん
19/04/15 22:14:15.72 odVIm3ru.net
>>404 大乗では末法の衆生にはその修業は出来ないと教わりました。そういう観心の修行自体が謗法なので地獄へ落ちると。

413:神も仏も名無しさん
19/04/15 22:31:34.83 6kpDtZf+.net
>>405
できますよ。
いまは戦国の世ではありませんし、もし間違った仏教解釈が流布されていれば
世界の裏側からでも速攻で突っ込みが入ります。

414:神も仏も名無しさん
19/04/15 22:34:12.22 6kpDtZf+.net
身口意の三業において、仏法僧への帰依を宣言する。
できることでいいので、心からのお布施、喜捨をする。
それだけでも果報があるはずです。
なぜなら、業は信じようと信じまいと必ず業果をもたらすからです。
果実が実るのは時間の問題でしょう。

415:神も仏も名無しさん
19/04/15 22:47:51.83 wdfFbMx5.net
>>407 それは具体的にどこへ行けば教えてもらえますか?

416:神も仏も名無しさん
19/04/15 22:51:46.60 wdfFbMx5.net
それに存在が幻想、縁と縁とにより仮に成り立っていると言われても、現実にここに物質が存在している。今、ここにスマホがあり私は書き込みをしている。

417:神も仏も名無しさん
19/04/15 22:53:54.97 wdfFbMx5.net
ID変わってますが396です。

418:神も仏も名無しさん
19/04/15 23:08:20.35 6kpDtZf+.net
>>408
お返事になっていないかもしれませんが、
第一義的には、わたし自身はお釈迦さまに帰依しているつもりなので、どこか特定
の宗派や団体が最優先の選択肢という風には考えていません。
お釈迦さまに帰依している人の集いを探して、その中からどれが自分に合った
居場所なのか判断します。
具体的にひとつの場所に限定するのではなく、居場所をみつける羅針盤として
三宝と三宝への帰依を心の中に持っている感じです。

419:神も仏も名無しさん
19/04/15 23:18:20.56 wdfFbMx5.net
>>411 ありがとうございます。教団と言うのは一度話を聞いて良さそうだと思い何度か足を運び、余所へ行こうとすると地獄へ落ちると脅されます。

420:神も仏も名無しさん
19/04/15 23:19:11.28 wdfFbMx5.net
かと言って自分で修行は出来ません。信頼出来る所へ行きたいです。私も釈迦への帰依が大事だと思います。仏教を説いたのは釈迦お一人なのですから、それ以外を奉ずる所は避けています。

421:神も仏も名無しさん
19/04/15 23:33:46.98 6kpDtZf+.net
瞑想したら地獄に墜ちるんだったら、日本の仏教史上の禅宗の坊さん
たち、全員地獄行きですね。
寝入りばなの最初の5分だけ瞑想してみるとか、週に一回だけ五戒を
守ってみるとか、そんな身近なところから始めてみるのも良いのでは
ないでしょうかね。

422:神も仏も名無しさん
19/04/15 23:41:15.91 wdfFbMx5.net
>>414 少なくとも日蓮系はそう言ってます。瞑想修行は末法では出来ない、むしろ害であると。
五戒を一週間だけ守ると言う発想はありませんでした。ブッダはそれをお許しになるのですか?
また、瞑想は半跏趺坐の数息観でよいのでしょうか? 一度数息観をして体調を非常に崩してしまいました。

423:桃太郎
19/04/16 00:31:15.05 4a6EtvPH.net
>>396
>早く死にたい。全ての苦から脱することの出来る教えはありますか?
正直ありません。日本では毎年、2万人の自殺者が出ます。
あなたのように死が自身の苦悩から解放してくれるだろうと誤った考えに陥るからです。
仏法の本義は六道輪廻の娑婆世界からの離脱(解脱)ではなく、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」なのです。
生命は永遠であり、三世に渡り永遠にこの娑婆世界の中で生き続けるのです。
ゆえに、苦悩からの逃避ではなく、逆に苦悩を乗り越える教えを仏は説いたのです。
子どもの頃、夜も眠れない程の悩みでも、時が経てば大した事でもないと思えることがあります。
それは自分が大人になり、境涯が高まったからに他なりません。
人生には、それ以上の様々な苦悩や困難が付きまとうものです。
しかしそれから逃げていても何も解決できません。悠然と立ち向かうのです。
苦しいから死にたいと言って自殺しても、来世はまた今以上の苦悩に苛まされるのです。
生命はどのように輪廻を繰り返すのか。その原理はすでに初期仏教に於いても説かれてあります。
それを少しだけ説明しましょう。
ちなみに>>402の無我の説明はちょっと違いますね。

424:神も仏も名無しさん
19/04/16 00:36:19.43 2K+plDeX.net
みんな収入を何で得て生活しているの?

425:神も仏も名無しさん
19/04/16 00:37:10.61 nbwqA6S2.net
414じゃないけど
ミャンマーやタイの上座部でも短期間の出家があるし
一週間と区切ってやるのも大丈夫だと思うよ。
お釈迦様は自分で確かめろと言うくらいだから
出家前に少しずつ確認するのなんて全然ありでしょ。
しかし本当、お釈迦様が生きてたら
どんぴしゃな瞑想法教えて貰えたんだろうな。
当時生きてた人が羨ましい。

426:神も仏も名無しさん
19/04/16 01:00:52.50 bHvTZUUh.net
>>416 396です。ご解説お願いいたします。とはいえ生きる気力がありません。
何もしたいことが無く、まだ体力と気力が残っているうちに死ぬことが楽に思えるようになりました。
もちろん昔は死が怖く生きる張りもありました。今は消えたいです。

427:桃太郎
19/04/16 01:52:05.62 4a6EtvPH.net
ギリシャ王メナンドロスとインドの仏教僧ナーガセーナの間で行われた問答
いわゆる弥蘭陀王問経(ミリンダ王の問い)として知られる仏典がありますが、この問答のやり取りを読めば
仏教の基本的概念である「無我」「縁起」「五蘊」そして「輪廻」の大まかな意味を理解出来るかと思います。
"自我と無我との対論"として一般にも名高い『ミリンダ王の問い』の考察の延長上にある
九識論ならびに真我の確立というテーマが現代の文明・社会に対して大きな警鐘と示唆を与えるかと思われます。
まぁ、あまり小難しい仏法用語を並べても分かり辛いでしょうから、仏典の内容を見てみましょう。
ちなみにウィキペディアによれば、ナーガセーナは紀元前2世紀頃のインドの仏教の僧と言うことですから
まだ、大乗仏教が成立するかなり以前の初期の頃の部派仏教僧であると思われます。
しかも、その論理展開がアビダルマ的分析法に従っているのでゴリゴリの小乗教徒であった事は確かです。
さて本題に入ろうかと思いますが....。
うーん、もう遅し明日は仕事が早いので、続きは明日します。
「396」くん、まだ死ぬなよ。(笑
では、お休みなさい。寝るわ。

428:神も仏も名無しさん
19/04/16 07:58:06.28 THLMS4Zo.net
ナラワタナ

429:神も仏も名無しさん
19/04/16 08:26:10.53 dMDnsA+Y.net
>>409
どこに「スマホ」なんてものがあるのか。どこに「私」なんてものがあるのか。
目に飛び込んできた四角い形、ツルツルした肌触りに対して勝手に「スマホ」と名前をつけただけ。
現実にあるのは視覚と触覚の生滅の連続。それには最初から名前は付いてない。
私も同様に、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、思考の生滅の連続に過ぎないのに、それに勝手に自分と名付け、
「私は善い人間だ。価値がある。」「私は悪い人間だ。価値が無い。」などと妄想して苦しんでいるのが凡夫。
瞑想して無我を体得すれば、私というものを妄想しない、勝手に作り出さない、眼耳鼻舌身意をそのまま放っておくことができる。
私というものが無いので、私が生老病死する事もない。一切の苦しみから解放される。それが解脱と呼ばれる。

430:神も仏も名無しさん
19/04/16 10:26:33.38 wmBLDT3k.net
でも病気になったら痛いし苦しいよな?
これは私ではないから痛くないし苦しくない
ってなるか?
実際にがんになっても一切の苦しみから解放されるか?

431:神も仏も名無しさん
19/04/16 11:03:21.96 hVtN5f+u.net
瞑想者が脳波を競うマインドフルネス・バトル開催! 世界最静の「瞑想バトル」誰にもこの解脱は止められない!
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どうぞ

432:神も仏も名無しさん
19/04/16 11:59:46.36 2G2RosR7.net
>>415
例えば、これまで全く五戒を守れなかった人がいたとして、
月に一度だけ、週末だけでもお酒を飲まずに五戒を守ってみる。
これは立派な戒学増上だと思います。
そのうち、週に一度にしてみる。
土日の二日間にしてみる。
いずれ、毎日守ってみる。
いつかお酒を飲んで五戒が破れてしまったら、それでも諦めずに
改めて五戒を守る。
これも立派な戒学増上だと思います。

433:神も仏も名無しさん
19/04/16 12:06:23.43 2G2RosR7.net
>>415
慈悲の瞑想から始めてみてはどうでしょう。
ところで、念仏や題目も瞑想の一種だと思いますけどね。
或いは、お経を読む行為も身口意の三業を形成しますから、
その業果は(長い輪廻のいつかどこかの段階で)いずれ返って
くるはずです。

434:神も仏も名無しさん
19/04/16 12:09:42.45 2G2RosR7.net
いますぐこの場で解決したければ、いますぐ八正道に全力投球すれば(できれば)
いますぐ苦から解放されると思いますよ。
数息観でもアナパナでも、マハシ式ヴィパッサナーでも同じです。
全身全霊で気づきを保ってみれば、絶対わかるはずです。

435:桃太郎
19/04/16 12:45:50.01 KLX37ReG.net
>>422
それは「無我」の解釈の仕方が仏法本来の本義とは違っているよ。
現実は>>423の言う通りであり、「心頭を滅却すれば火もまた涼し 」なんていう諺をリアル行うことなど
現実には出来ない事なんだよ。現実から乖離した観念論は、人を惑わし、何の価値も無い。
何より現実の苦悩から目を背けても何一つ解決はしないではないか。
仏法は事象を在りのままに見る「諸法実相」の立場を取るのです。
「諸法実相」とは
すべての存在・現象の真実、ありのままの姿のこと。
「諸法」とは、この現実世界において、さまざまな様相をとって現れている、すべての現象・物事のこと。
「実相」とは、真実の姿、究極の真理のこと。仏がその広く深い智慧で覚知した万物の真実の姿が、諸法実相である。
この真実を覚知すれば、諸法と実相とが別々のものではなく、諸法はそのまま実相の現れであり、実相もまた決して諸法から離れてあるものではないことがわかる。
従って、諸法の現われが実相であり、無我だからと言って、すべての現象・物事から逃れることは出来ない。
>>422の考えはただの唯識論とさほど変わらないし、現実逃避の浅い考えだと思う。
うっ、休憩時間終わり。

436:神も仏も名無しさん
19/04/16 12:47:37.67 hVtN5f+u.net
>>426
お念仏、お題目=慈悲の瞑想ではないでしょうか
マインドフルネススレだと同意してくれる人が少ないのですが
お念仏、慈悲の瞑想、観察の場は同じものだと感じます
それは自力ではなく他力なのです
一昨日、山下良道さんが同じようなことを言ってました
仏陀、阿弥陀如来、イエスなど他力に帰依しない限りマインドフルネスは不可能だと
全く同意です

437:神も仏も名無しさん
19/04/16 13:09:41.07 dMDnsA+Y.net
>>423
例えば、怪我で長い間練習できなかったボクサーが、怪我が治って練習を再開すると、殴られる痛み、息が上がる苦しみが嬉しくてしょうがなくなる。
普通の人は、痛み苦しみを嫌って怒り、悲しむ。
仏道修行においては痛み苦しみをありのままに観察し、それらに対して平静、冷静に気づき続ける。それをヴィパッサナー瞑想、実践という。
ヴィパッサナー瞑想では、痛み苦しみだけでなく、全ての感覚に執着しない。なぜならそれらは無常、苦、無我であるから。
無我に達した人の体にも、痛み、苦しみなどの感覚が発生するが、その人は感覚に対して何の感情も抱かない。
喜ぶのでもなく、悲しむのでもない。痛みがある。苦しみがある。それでおしまい。最後の体が無くなるのを待っている。

438:神も仏も名無しさん
19/04/16 13:22:55.02 dMDnsA+Y.net
>ヴィパッサナーは「今という瞬間に完全に注意を集中する」実践です。何をしていても、「今・ここの自分に気づいていく」こと。
>それが、ヴィパサナーです。自分を客観的に「よく観る」のです
>今ここの一つ一つの瞬間に意識を向ける。心地よいことでも不快なことでも、ありのままの体験を価値判断しないで、そのまま観るのです。
>葛藤をシャットアウトしたり、コントロールしようとして新たな問題を作るのではなく、ただ気づくだけ。それ


439:が観るということです。 >それが苦悩を超える道です。安らぎが訪れ、心と体を癒すことになるのです。 >波立っている水面が穏やかになってすべてを映し出すように、深い智慧と洞察力が生まれてくるのです。 初期仏教の世界 ー ヴィッパッサナー瞑想 https://j-theravada.net/world/vipassana/



440:神も仏も名無しさん
19/04/16 13:38:06.57 wmBLDT3k.net
>>430
感情があるかどうかじゃなくて
痛覚はあるだろう?ということ
精神的にじゃなくて身体的に痛くて苦しいだろうということ
あなたががんになって痛みでのたうち回ってる時に同じこと言えるのかってこと

441:神も仏も名無しさん
19/04/16 13:39:46.94 pBJuX4r/.net
>>423
実際はこうです。大般涅槃経より。
URLリンク(i.imgur.com)
老いて色々苦しくても、無念無想の心三昧に入って住するときは安らかである、とブッダはアーナンダに言われました。
瞑想でそのような境地に至れば苦しい中でも安らぎを得られるということです。

442:神も仏も名無しさん
19/04/16 13:43:50.92 dMDnsA+Y.net
>>432
だからボクサーの例をあげたでしょ?
悟ろうが何しようが、肉体的な痛み、苦しみは確かにあるが、それは問題じゃない。
人間はそれを喜ぶことだってできるんだから。
自分は死ぬ時になったら瞑想する。痛みがあろうが苦しかろうが、何の問題もない。
山岡鉄舟の最期がそうだったね。
「腹張って、苦しきなかに、明烏」と辞世の句を詠んで、結跏趺坐したまま絶命した。

443:神も仏も名無しさん
19/04/16 15:22:03.18 al8YfeVB.net
ID:dMDnsA+Yみたいな野狐を昔の禅師はしばき倒して目を覚まさせたんだろうな

444:神も仏も名無しさん
19/04/16 15:25:46.48 2G2RosR7.net
三昧入れれば肉体的苦痛は消えてしまうというか、感じないよ。
禅定入って悟ったような人にとって、肉体は自分じゃなくてアバターみたいなもんなんじゃないかな。

445:神も仏も名無しさん
19/04/16 15:27:28.21 2G2RosR7.net
悟った人が野狐禅をしばき飛ばすなら善いんだけどね。
瞑想を分かってない人が、瞑想できる人をしばき倒してた時代が長かったもんで、日本仏教は形骸化しちゃったんじゃないかな。

446:神も仏も名無しさん
19/04/16 16:13:35.73 qlWaZR6K.net
>>436
三昧に入れない人が言ってもね

447:神も仏も名無しさん
19/04/16 16:25:39.85 2G2RosR7.net
三昧体験がある人は結構いるはず。
再現性があるかどうか、正定に至っているかどうかは別。

448:神も仏も名無しさん
19/04/16 16:28:10.99 2G2RosR7.net
修行生活に切り替えれば入れるけど、
山を下りて日常生活に戻ると段々入れなくなってくるとか、人それぞれでは。

449:神も仏も名無しさん
19/04/16 16:42:41.36 JqcyHbsh.net
>>434
痛みを喜べない元世界チャンピオンもいるみたいだな
URLリンク(www.oricon.co.jp)
自分はボクサーでもがん患者でもないのに想像でものを言わないほうがいいな

450:神も仏も名無しさん
19/04/16 17:09:22.65 dyTcs2TF.net
大般涅槃経の記述をどう見るか。
激痛に見舞われた世尊は、
念を具え正知を具え、悩まされることなく、それを耐え忍ばれた。
入滅の際は、初禅に入り、それから順に想受滅定に入り、
また逆に、想受滅定から順に初禅に降りて来、再び第四禅まで入って、
第四禅を出て入滅された、と。

451:神も仏も名無しさん
19/04/16 1


452:7:10:53.77 ID:2K+plDeX.net



453:神も仏も名無しさん
19/04/16 17:21:33.42 2K+plDeX.net
>>442
>激痛に見舞われた世尊は、
>念を具え正知を具え、悩まされることなく、それを耐え忍ばれた。
この時は、だから自灯明と法灯明がこれからは大切になるとアーナンダに伝えて、自灯明法灯明とは四念処であるようなことを言われているので観行をするように説いています。
ただ、四念処によって苦しみに耐えれていたかどうかは不明ですし、
直接的には無念無想の心三昧によって苦しみの中でも安らぎを得られるとしているので、苦を制御したのは観行よりも止行の方がだと思いますね。
理論的には想受滅定で苦からは解放されると思いますが、どうなんでしょうね?
入滅の時は九次まで色々な止行をしてから入滅したとアーナンダと共に最後を見届けた阿那律が解説してましたね。

454:神も仏も名無しさん
19/04/16 19:05:18.46 dMDnsA+Y.net
>>441
自分はキックボクシングを齧ってたけど、あれは相当楽しいよ。
ボディに入ると息が止まって死にそうになるけど、それでも楽しい。
顔面にパンチもらうのも気持ちいい。
竹原さんはボクシングの痛み、苦しみは何てことないし、平気だろうけども、
ガンによって死ぬことの不安、恐怖に苦しんでるんだよ。ガンの痛み自体もおそらく耐えられるだろう。
要するに肉体的苦痛はたいした苦しみじゃない(普通に立派な大人なら)。精神的苦痛は自殺をも引き起こす大変な苦しみ。
三国志の関羽は麻酔無しで肘の手術をしたって話もあるね。

455:神も仏も名無しさん
19/04/16 20:29:03.42 mCZpjwdB.net
すごいなあ
肉体的苦痛は大したこと無いと
言えるのが普通に立派な大人
って感じなんですね
私には無理だな・・・
喘息発作や腹膜炎やったことあるけど
とてもじゃないけど私には無理だな
大したこと無いとは言えない苦しさだった

456:神も仏も名無しさん
19/04/16 20:49:47.65 tS/WYlRa.net
生老病死の苦を超えるのが仏教だということだから
悟った人がそうなるというのは理屈通りではある

457:神も仏も名無しさん
19/04/16 20:57:18.41 2K+plDeX.net
>>446
私も去年腹膜炎で入院しましたが、絶食の上抗生剤点滴で治療していた最初の一週間はとにかく痛くて一日に2~3時間しか眠れなかったですね。
一日2回だけ使用を許されたオピオイド系鎮痛剤のペンタジンが効いている、かつ静かな夜にしか練れなかったです。
スマホアプリで睡眠時間を測っていたので間違いはないですw
入院する前までは一日30~40分の瞑想を暫くしていたのと、大般涅槃経を既に読んでいたこともあり、
ブッダのように瞑想で少しでも痛みが取れないかと坐禅、伏禅?で試みましたが、それどころではなかったですw
結局、一日2回のペンタジンと一日3回のアセトアミノフェン点滴が効いてる間だけ、いくらかの安らぎを覚えることが出来ました。
これらの薬の効果はすぐに消えてしまうのが残念でしたが。
まあ私は独学で修行も全然進んでないので、本当の修行僧やヨガ行者なら話は違うんだとは思いますが。

458:神も仏も名無しさん
19/04/16 21:03:06.29 2K+plDeX.net
>>447
ブッダにしても全く苦しまなかったわけではもちろんなかったようですよ。
URLリンク(i.imgur.com)

459:神も仏も名無しさん
19/04/16 21:05:23.92 2K+plDeX.net
>>449の他にもう一つ
URLリンク(i.imgur.com)

460:神も仏も名無しさん
19/04/16 21:32:28.86 bHvTZUUh.net
396です
>>426  検索してみました。URLリンク(j-theravada.net)
今まで聞いた仏教らしからぬ、キリスト教の愛と許しと喜捨に近い内容ですね。
実乗の菩薩行と言っていることが同じで、テーラワーダの方がきちんと言語化している点は日本仏教より勝れているのではないでしょうか。
好感が持てます。
今まで私が接した方々は「キリスト教は仏教に劣後するものだから、愛は慈悲に劣る。仏教でなければ人格は完成しない。人権などはキリスト教由来の概念であるから認めない」とキリスト教を毛嫌いしながら、
平気で嘘をつく、騙す、差別をする人が多かったもので、少し希望が持てました。感謝いたします。
引用:「まず最初に、自分自身に対して慈悲の心を作ります。どんな生命にとっても、いちばん大事で最優先されるのは自分であるというのは、ごく当たり前のことですから」
これまでの仏教は自分を無くせとばかり言われていたので驚きました。

461:桃太郎
19/04/16 21:38:41.88 4a6EtvPH.net
法華経「法師品」から
「是の人は、自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於いて、衆生を愍むが故に、悪世に生まれて、広く此の経を演ぶるなり。
若し是の善男子、善女人、我が滅度の後、能く竊かに一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし。是の人は則ち如来の使なり。
如来の所遣として如来の事を行ずるなり」
----------
この人は、行いによって得た、清浄な仏国土に生まれるべき果報を自ら捨てて、私の滅後に、衆生をあわれみ、利益するために、悪世に生まれて、広くこの経を演説するのである。
もしも、この善男子、善女人が、私の滅後に、ひそかに一人のためであっても、たとえ一句であっても、法華経を説くならば、まさに知るべきである。
この人は、如来の使いであり、如来から遣わされたものとして、如来の仕事をなすのであると。
----------
昨日の続きです。
※たぶん前にもここのスレで書いたような覚えがある。ような気がする。(笑
※加筆修正して再投稿する。
参考文献:中村元、早島鏡正訳の『ミリンダ王の問い』全三巻(平凡社・東洋文庫)、仏法 西と東(東洋哲学研究所)より
-----------
「実体としての人格的個体の否認」
ミリンダ王は、まずナーガセーナに質問をします。
「尊者よ、あなたは何という名なのですか?」
これに対して、ナーガセーナは、
「大王よ、わたくしはナーガセーナとして知られています。大王よ、同朋である修行者たちはわたくしをナーガセーナと呼んでいます。
しかしながら、大王よ、この『ナーガセーナ』というのは、実は名称・呼称・仮名・通称・名前のみにすぎないのです。
そこに「人格的個体」は認められないのであります」と答えています。
-----------
※冒頭から、ナーガセーナというのは単に仮名にすぎなくて、そこに人格的個体は認められないと、はっきりと仏法の"無我的立場"を打ち出している。
彼らにしてみれば、たとえばナーガセーナと呼ばれる人物があれば、そこに人格的個体があると見るのは微塵の疑いも許さない自明の事柄であったろうと思う。
それを頭から否定されたわけだから、さぞかし驚いたであろうと思う。

462:桃太郎
19/04/16 21:40:11.70 4a6EtvPH.net
これを聞いたミリンダ王はナーガセーナの答えに大いに驚愕し、矢つぎ早に質問をします。
たとえば、もし人格的個体が認められないならば、修行にはげむのは誰か、殺生をなすのは誰か、
酒を飲むのは誰かなどと、行為の主体およびその行為の責任をとる者についての鋭い質問をぶつけています。
さらに、いったいナーガセーナと呼ばれる当のものは何ものなのか、と問い、
こんどは具体的に、ナーガセーナを構成している心身の各要素を一つ一つとらえて、それがナーガセーナなのかと細かく問うていく。
髪、身毛、爪、歯、肉、骨、心臓などを初めとして、仏法の五蘊である色(物質的なかたち)、受(感受作用)、想(表象作用)、行(形成作用)、
識(識別作用)の一つ一つがナーガセーナなのかと聞き、最後に五蘊の合したものがナーガセーナなめか、
また五蘊以外の何かがナーガセーナなのかと問い詰めていくけれども、結局、すべてそうではないと否定される。
ついに、ミリンダ王は業を煮やして、「ナーガセーナあなたは虚言を語った」といって立腹してしまいます。
ところがその後、ナーガセーナはただちにミリンダ王の用いた同じ論法でもって、ミリンダの車について反論していきます。
つまり、車を構成している各部分について、一つ一つ、それが車ですかと問うていきます。
轅、軸、輪、車体、車棒、軛などについて、それが車であるかと問い、さらに、その全部を合したもの、あるいはそれらの要素以外のなにかが車なのかと問い、
ミリンダをしてすべて車ではないと答えさせます。その結果、ナーガセーナもミリンダ王と同じように、あなたは嘘言を語った、といって非難するのです。
----------
※まさに見事な反論です。ナーガセーナに問いつめられたミリンダ王は、車というのが、軛に縁って、軸に縁って、
輪に縁って、車体に縁って、車棒に縁って、「車」という名称・仮名・通称が起こるのであることを理解し、
それをナーガセーナに語るのですね。そして、ナーガセーナは、王のその解答を用いて、巧みに、人格的個体が存在しないことを認めさせてしまう。
この結論を聞いたミリンダ王は、「すばらしい、尊者ナーガセーナよ。立派です。尊者ナーガセーナよ」といって感嘆したと記されています。

463:桃太郎
19/04/16 21:41:09.16 4a6EtvPH.net
ここまでの対論によってナーガセーナは西洋哲学にはない仏法の基本的概念である「縁起」による「無我」の概念をミリンダ王に理解させる事に成功しています。
「それぞれの生命体の個性は、それぞれの業エネルギーによって、五陰仮和合の在り方が異なるからである」
刻々と変化してやまない、その生命流以外に自分というものはないのです。しかも、その流れは常に他の生命流と「縁起」の関係によって、互いに互いを生じさせている。
だから「無我」です。固定的な実体というものではない。しかし、にもかかわらず厳然として、自分自身という生命流は存在するのです。
この事は、後に「輪廻の主体をめぐって」というミリンダ王とナーガセーナの対話の中で語られる事になります。
つづく。

464:神も仏も名無しさん
19/04/16 21:57:16.77 4a6EtvPH.net
>>433
涅槃経は大乗仏教だよね。
釈尊の教えは、自分が悟った「永遠の法(ダルマ)」を万人に悟らせることに目的があったのだね。釈尊の死後も、その「法」を師とせよと教えた。
師である釈尊に常随給仕していた阿難(アーナンダ)は「仏が亡くなられた後、私たちは何を頼りにして修行していけばいいのでしょうか」と、釈尊に尋ねています。
釈尊は、こう答えています。“アーナンダよ、自らを島とし、自らをたよりとせよ。他人をたよりとせず、法を島とし、法を依りどころとせよ”と。
いわゆる「自帰依・法帰依」とか「自灯明・法灯明」と言われる言葉です。
ここで大事なのは、法と仏の関係です。
「法」には「教え」という意味も含めて、さまざまな意味があるが、結論を言うと、釈尊が「法」と呼んでいるものは、実は「永遠の仏」の生命と別のものではない。
「永遠の仏」の法身(法を体とする仏身)のことと考えられる。少し飛躍した言い方になるが、釈尊が「永遠の法」を悟ったというのは、
イコール「永遠の仏」を自身の内に見た、ということと考えられる。
法華経から見るならば、「法を依りどころとせよ」という教えは、根本的には、「永遠の仏」を師とせよ、との遺言であったのです。
何より釈尊自身が、その「永遠の仏」を師として悟りを開いたのです。
ここで「自らをたよりとせよ」というのも、もちろん単なる「自分」ではありません。自分が頼りにならないことは自分が一番よく知っています。
「心の師」となれということです。私どもで言えば、正しき信心(仏の教え)に生き抜けということです。その自分は「依りどころ」になる。
日蓮大聖人は「一生成仏抄」で「己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」と仰せです。法といっても自分の心を離れてはありえないわけです。
法と人(仏)は本来、不可分なのです。「如来」というのも「如(真如・真実の世界)からやって来たもの」ということです。
すなわち「如来」とは、真実の「法」が現実の上に表れたのです。宇宙生命に“人”の側面と“法”の側面があり、それが一体なのです。

465:桃太郎
19/04/16 21:57:43.65 4a6EtvPH.net
釈尊の説法に「法を見る者は我を見る、我を見る者は法を見る」という言葉がある。
法を体得すれば釈尊に会うことができ、釈尊に会えば法を悟れるという意味です。
「我を見る」の「我」とは、根本的には「永遠の法」と一体となった「永遠の仏」です。
法華経寿量品では、永遠なる「常住此説法(常に此に住して法を説く)」の仏身を説く。
文上の法華経では、五百塵点劫以来の「久遠実成の釈尊」のことだが、その指向しているのは無始無終の「久遠元初の仏」です。
釈尊が悟った「永遠の法」即「永遠の仏」は、あらゆる仏が悟った「永遠の大生命」であった。
過去・現在・未来のあらゆる仏は、ことごとく釈尊と同じく「久遠元初の仏」を師として悟ったのです。
それが久遠元初の自受用身であり、南無妙法蓮華経如来です。
無始無終で慈悲の活動を続ける、その大生命体を「師」として、「人間・釈尊」は人間のまま仏となったのです。
そして、悟ったとたん、三世十方の諸仏は皆、この人法一箇の「永遠の仏」を師として仏になったのだとわかったのです。

466:神も仏も名無しさん
19/04/16 21:58:46.74 THLMS4Zo.net
ナラワタナ

467:神も仏も名無しさん
19/04/16 22:16:11.30 bHvTZUUh.net
>>456 さんは身延ですか、興門ですか?

468:神も仏も名無しさん
19/04/16 22:17:17.19 irdhHfUb.net
この桃太郎って人延々とスレ違いの長文連投して何がしたいの?
法華経が素晴らしいって話ならブログなりスレ立てて他でしてくれ
日蓮宗か創価か知らんが法華経至上主義の人って他人の迷惑考えない人多いよね
そんな独りよがりな鈍感な人が他人を救うことなんてできないと思うよマジで

469:神も仏も名無しさん
19/04/16 22:28:42.78 sLjSIyPx.net
>>449
他者から見たら「耐えた」になるんだろうさ
毒キノコかなんか盛られたんだろ

470:神も仏も名無しさん
19/04/16 22:29:59.70 sLjSIyPx.net
>>443
ティク・ナット・ハン師の師匠だね

471:神も仏も名無しさん
19/04/16 22:38:32.45 bHvTZUUh.net
>>432
>>445 私も空手をやっていたので、言わんとされるところは分かります。
しかしそれは一部の特殊な体験をしたことのある人たちだけでしょう。それでは万人に出来る修行ではないと思います。

472:神も仏も名無しさん
19/04/16 23:06:14.14 sLjSIyPx.net
格闘技は半分意図的にそういう状況に入っていってるからなぁ
不意な病気や怪我とはちょっと違うと思うんだ、一般的には
悟った人は「わたしのものではない」なのかもしれないが

473:神も仏も名無しさん
19/04/16 23:36:42.54 dyTcs2TF.net
今でも、
南伝の涅槃経を知らない人間がいるんだもんなぁ・・。
しかも上座部スレでw

どんなギャグだよw

474:神も仏も名無しさん
19/04/16 23:44:25.82 nbwqA6S2.net
大パリニッバーナ経って言った方が分かる人多そう

475:神も仏も名無しさん
19/04/16 23:49:17.16 dyTcs2TF.net
ちゃんと日本語(漢字)で「大般涅槃経」と書いてあったと思うけど、
カタカナでないと通じない日本国ってのも嫌だなw

476:神も仏も名無しさん
19/04/17 01:30:18.96 ZiiftULd.net
>>455
法をみるものはわたし(仏)をみる。
最初からそう言われているし、瞑想の段階が進んでいくと、それらは
知識としてではなく、体験として直接的に知ることになっていくと思い
ます。
思います、というのは、解脱まで達した人の智見をわたしは体験と
しては知らないので、自分が経験したところから先は推測するしか
ないので、そういう言い方になります。
仏教に大小優劣があるのではなく、各人の到達点に違いがあって、
かつ、その境地を言語化した時の表現にバリエーションがあるだけ
だと思いますよ。
他宗派だけでなく、他宗教の聖人の話のなかにも、名前が違うだけ
で仏教と同じことを言っていると思われる箇所は沢山あります。
知識だけだと、名前が違うだけで別概念として捉えられますから
別物だと思ってしまうだけ、というケースは多いと思います。

477:神も仏も名無しさん
19/04/17 04:02:01.02 sL7GhmK4.net
相応部経典36.6
二の矢を受けず

478:神も仏も名無しさん
19/04/17 07:05:29.38 h1hvChYY.net
>>459
ほんそれ
彼等は日本仏教の恥だよ

479:桃太郎
19/04/17 08:45:29.23 v9HPaq5K.net
>>458
ゴリゴリの創価学会員だよ。(笑
>>466
あー、そうなのか。よく見ないで恥かいちゃったナ。(笑
人生何でも勉強だな。
>>459
私は今にも死にそうな >>396 くんの為に「生命はどのように輪廻を繰り返すのか。」を教えてあげてんの。
あれー?ムガムガ(無我)していれば、回りは気にならないじゃなかったけ?
瞑想も大したこと無いな(笑 修行が足りんよ。
まーパソコンいじってる段階で、「無我」とは縁遠いんだけどね。(笑
つーか、無我の意味も勘違いしているし。

480:神も仏も名無しさん
19/04/17 08:56:47.11 v9HPaq5K.net
>>461
人々を抑圧する権力に身を挺して抗議したということだね。
無関心のテーラワーダの教えとは対極をなしてるね。
出来れば生きて戦うべきだったね。

481:神も仏も名無しさん
19/04/17 09:16:06.67 ZKC+UlT2.net
違う、アメリカが介入してきて仏教徒を共産主義の温床とみなして弾圧してきたからだ
べきだったとか何とか、池田先生ならともかく君の言うことじゃない

482:神も仏も名無しさん
19/04/17 09:17:33.10 ZKC+UlT2.net
つか、NGネームにしてるんだからコテ外すなよw

483:神も仏も名無しさん
19/04/17 12:15:42.67 Viv2p2l+.net
>感覚には苦も楽も不苦不楽もあるし、一つの感覚だけ続くことはあり得ない。感覚は、因縁によって現れたり、消えたりするのです。
>愚か者は、「感覚が我であり、我が魂であり、永遠である」と誤解して執着して、輪廻転生して苦しむが、理性のある人は、
>感覚に対する執着を一切捨てて、解脱に達するのです。これが釈尊の説かれた「無我」の話です。
魂は巨大妄想の産物である ー 仏教の無我は因縁論です
URLリンク(j-theravada.net)


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