【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践16at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践16 - 暇つぶし2ch100:神も仏も名無しさん
19/03/13 20:46:07.94 ZrOsIHaS.net
社会が信じたら真理で、社会が信じなかったら真理じゃない
そんなのは真理じゃない
原因があるとき結果がある、それだけが真理

101:神も仏も名無しさん
19/03/13 20:59:27.58 ZrOsIHaS.net
目を瞑って坐ったまま、黙って死ねと言われたら普通は無理
テレビが見たい、ご飯が食べたい、死にたくない、瞑想なんかしたくない、という心のエネルギーがある
このエネルギー、渇愛が原因になって、生存という結果が生まれる
逆に言えば今生きているのは昔からの渇愛の結果
渇愛が無くなれば生存も無くなる、輪廻から解脱する

102:神も仏も名無しさん
19/03/13 21:00:44.17 TXyk/gf+.net
産まれないことができるようになる
ということなのかな・・・

103:神も仏も名無しさん
19/03/13 21:14:07.27 ZrOsIHaS.net
生まれ変わりだけじゃないんだ
例えば今歩いている、右足を前に出してる
この前に出た右足も、少し前の瞬間の、足を出したいという衝動、渇愛が原因になってる
衝動が無いのに足が前に出ることは無いし、衝動があるの�


104:ノ足が前に出ないということもない(病気や事故など、他の原因が絡むと出ない場合もあるが、その場合は別の衝動と結果が生まれるだろう) 今この瞬間にも輪廻していて、死ぬ瞬間に渇愛、衝動があれば、当然生存は続く 渇愛、衝動の種類によって次の肉体が形作られる



105:神も仏も名無しさん
19/03/13 21:28:43.81 TGvAqs33.net
>>99
それはおかしいな、スマナサーラ師の言ってることと違う
師は悟って一切が停止したら生存欲求だけが残るとおっしゃってる

106:神も仏も名無しさん
19/03/13 21:30:42.07 q6EkHoEr.net
お釈迦さまが仰ったことを、そのまま素直に受け止められれば、
最初っからそこに正解が示されてる。

107:神も仏も名無しさん
19/03/13 21:31:26.70 TGvAqs33.net
靴箱さんは多分悟ってるんだけど、普段はまだ
シンキングマインドが働いちゃうんだよな
山下師だって肉体持って生きてるからシンキングマインドが働くことはある
それは死ぬまで止めっぱなしにすることは出来ないだろう

108:神も仏も名無しさん
19/03/13 21:42:46.19 TGvAqs33.net
あら、違うスレのつもりで書いてしまった
いかんいかんw

109:神も仏も名無しさん
19/03/13 21:45:18.87 TGvAqs33.net
>>98
もちろんそう思ってるのは知ってる
本来真理とはそういうものだ
けれど、あえて真理と言ったんだ
ここが抜けてるから杓子定規の狂信者"みたいな"議論になる

110:神も仏も名無しさん
19/03/13 21:48:19.71 TGvAqs33.net
せっかく悟っても大乗の国であえて小乗と揶揄されるような論じ方をするのは
賢くはないよね
愚かだとは言わないまでも

111:神も仏も名無しさん
19/03/13 21:52:42.25 ERcQ2f39.net
私がスマナサーラ氏を初めて見たのが
1993年頃のNHK教育テレビ「心の時代」であった。
最初は何人だか分からなかった。
そして私自身としては一番具合の悪かった1995年8月下旬
同番組で「ヴィパッサナー瞑想法」が大ヒットした。
そして今日に至る。

112:神も仏も名無しさん
19/03/13 22:00:17.85 q6EkHoEr.net
大乗しか理解できない機根の人に、上座部が阿ったら
上座部を理解できる機根の人間が路頭に迷わない?
伝統はしっかり伝統のまま残すことには、重要な意味があると思う。

113:神も仏も名無しさん
19/03/13 22:01:32.85 q6EkHoEr.net
お釈迦さまが小乗なら、如来を目指して修行する菩薩はいったい何なんだろうかね。

114:神も仏も名無しさん
19/03/13 22:06:55.15 ZrOsIHaS.net
>>102
たぶんそれは肉体の欲求のことだと思う
肉体は食べ物を要求するし、疲れると睡眠を要求する
心は別に食べ物は要らないし寝たくない
肉体が欲しがるからしょうがなく世話するだけで、死ぬまでは面倒みなきゃいけない

115:神も仏も名無しさん
19/03/15 17:09:34.89 lcSDZZQR.net
有身見と自我の違いってなんなんでしょうか?
有身見は預流果でなくなり、自我は阿羅漢果でなくなるといいますが。

116:神も仏も名無しさん
19/03/15 20:20:54.62 82GJe9+O.net
「私がいる」という見方と、「私」という意識かな。
「私はこうしたい。私はこう思う」っていうのが
脳の蜃気楼だって見抜くのが有身見が消えることで、
まだ私という意識は残ってる。
「私はこうしたい。私はこう思う」っていう蜃気楼が
発生しなくなるのが自我がなくなること、かな。

117:神も仏も名無しさん
19/03/15 21:19:42.70 GFLclDo5.net
預流果(よるか)と有身見(うしんけん) - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory
URLリンク(thierrybuddhist.hatenablog.com)

118:神も仏も名無しさん
19/03/15 22:12:35.95 lcSDZZQR.net
>>113
ありがとうございます。
自分でのことで恐縮なのですが、有身見があるかどうか判断がつかないんですよね。
精神活動が起こる発生源みたいなものがあるような気がするんです。
それが自分であるような感じがするんですよね。

119:神も仏も名無しさん
19/03/16 10:20:03.44 jJiijX/4.net

有身見が消えたことがあるかどうかじゃなくて、有身見があるかどうかなの?
逆から考えると、有身見が消える時には、消えた直後に
「今自分がいなかった」っていう圧倒的な衝撃を受けるみたいだから、
そういう体験がなければまだ有身見があるってことだと思う。

120:神も仏も名無しさん
19/03/16 14:03:34.07 egDG8qO4.net
すいません、言葉の使い方がおかしかったですね。
あるかどうかじゃなくて、消えたかどうかですね。
衝撃みたいなものはないので、まだ消えていないんだと思います。
引き続きやっていきます。

121:神も仏も名無しさん
19/03/16 14:11:28.96 egDG8qO4.net
うーん、すいません、衝撃みたいなものはずっと昔に経験したかもしれません。
忘れちゃいました。
自分というのはないという感じもするので、預流果かもしれません。
でもそうじゃないかもしれません。
判断がつかないです。
どちらにせよ、自分は預流果ではないという前提で修行を続けていこうと思います。
預流果だったら問題はないし、そうでないなら、修行を続けていくというのは確実なことですしね。

122:神も仏も名無しさん
19/03/16 16:37:51.87 nr+cL9Qs.net
七清浄
  戒清浄、心清浄、見清浄、渡疑清浄、道非道智見清浄、行道智見清浄、智見清浄
一、戒清浄
 五戒、八戒、十戒
 上座部比丘戒律
二、心清浄
 近行定
 安止定
三、見清浄
 1. 名色識別智
四、渡疑清浄
 2. 縁摂受智
五、道非道智見清浄
 3. 思惟智
 4. 生滅随観智
六、行道智見清浄
 5. 壊滅随観智
 6. 畏怖現起観智
 7. 過患随観智
 8. 厭離随観智
 9. 欲解脱智
 10. 審察随観智
 11. 行捨智
 12. 随順智
 13. 種姓智
七、智見清浄
 14. 道智
 15. 果智   ←コレ
 16. 省察智

123:神も仏も名無しさん
19/03/16 23:50:23.36 lVBvCgmb.net
スマナサーラでも
ユダヤには勝てません。

124:神も仏も名無しさん
19/03/17 08:03:17.53 MdAnpVuz.net
預流果に悟るということは、真理を悟るということだから、
「一切の現象は一瞬で生まれ、一瞬で消えている。」
「一切の現象に執着すれば苦しむ、執着しなければ苦しまない。」
「一切の存在に実体はない、幻である、刹那生滅する現象に仮につけた名前、イメージである。」
このことに完全に納得し、これら真理を発見したブッダに対する信頼、尊敬が生まれる。
そして自然と五戒を守れるようになる。
生き物を殺そうという気が起きない、自分のものでないものを盗もうとは思わない、嘘をついて自分を守ることの意味が分からない、
酒でも飲んで麻痺したいとは思わない、他人の奥さんに手をだそうとは思わない。

125:神も仏も名無しさん
19/03/17 10:44:07.67 3b0ebZHe.net
預流果でも貪瞋痴は残るということだから、欲と戒律の板挟みになった場合、
戒律を破るということはないのかな。
たとえば何か欲しいものを手に入れるために嘘をついたりとか。

126:神も仏も名無しさん
19/03/17 11:02:57.35 SdtsP2pP.net
×預流果に悟る
〇預流果に乗る または 預流果に乗ったと識る

127:神も仏も名無しさん
19/03/17 11:35:54.39 MdAnpVuz.net
欲があっても盗むほどじゃない、怒りがあっても殺すほどじゃない、愚かさがあっても理性を失なうほどじゃない、
だからもう餓鬼道にも堕ちないし、地獄にも堕ちない、畜生にも生まれない。

128:神も仏も名無しさん
19/03/17 16:29:08.65 3b0ebZHe.net
破滅に至る罪は犯さないということだから、軽い罪ならおかすんじゃないだろうか。
人間か天に生まれ変われるぐらいの罪。
戒律を100%守るという結論にはならない。渇愛は残っているわけだから、間違いはおかすと思う。

129:神も仏も名無しさん
19/03/17 17:54:55.10 fXUJfCX7.net
>>111
URLリンク(i.imgur.com)

130:神も仏も名無しさん
19/03/17 19:43:42.48 MdAnpVuz.net
>>125
人間か天に生まれる = 五戒を守るだからね
やるとしたらちょっと食べ物を貪ったとか、腹を立てて怒鳴ってしまったとか、その程度

131:神も仏も名無しさん
19/03/17 19:44:39.00 MdAnpVuz.net
預流果に悟らなくても五戒を守れば善趣に生まれるからね

132:神も仏も名無しさん
19/03/17 20:15:25.81 Y0POHlYl.net
人間に生まれるのは100万回連続で宝くじに当たるより難しいのです
byスマナサーラ長老
原訳「法句経(ダンマパダ)」 一日一悟 P.170~173

133:神も仏も名無しさん
19/03/17 20:34:55.77 K0088eBf.net
>>129
あほ

134:神も仏も名無しさん
19/03/17 20:37:33.93 MdAnpVuz.net
逆に言えば五戒を完全に守るのはかなり難しいという事だよね
預流果はさらに難しいんだろう

135:神も仏も名無しさん
19/03/17 23:20:17.53 yKbfneML.net
三学(戒定慧)
1、戒 ←戒
2、定
3、慧
  悟り・解脱 ←コレ

136:神も仏も名無しさん
19/03/18 17:50:36.45 uZDERRFn.net
チャクラってやはりなにか特別な部位なんですか?

137:神も仏も名無しさん
19/03/19 15:49:25.75 5QqfJ0mS.net
なんか自分の分身みたいなの作るんでしょ?
大乗では

138:神も仏も名無しさん
19/03/19 23:09:36.04 cnvFlRi4.net
不意に心に非常な静寂が訪れるようになった
瞑想してたわけでもないのに
不思議な感覚だ

139:神も仏も名無しさん
19/03/20 15:33:15.86 nzjKr+Hs.net
普段と変わらない生活をしていたのに、急に世界が変わることってありますよね。
それはそうと、ちょっと仏教に否定的なことを言いますが、
我があるかどうかっていうのは、人類には答えが出せていないと思います。
仏教では我はないということだけれど、それをそのまま確かめもせずに信じるのは危険なんじゃないかと思います。
確かめられることではないかもしれませんが。
じゃないと、2500年もインドの伝統宗教は残ってないですよね。

140:神も仏も名無しさん
19/03/20 15:44:16.67 PHEjEcXn.net
考えるのは我だから、瞑想以外のアプローチで分かるのは不可能なんじゃないかな。

141:神も仏も名無しさん
19/03/20 15:55:36.44 nzjKr+Hs.net
>>137
瞑想でわかるんですかね?
私はそれを目的に瞑想しているんですが、わからないです。まだ不十分なのかもしれませんが。
誰かにとっては我はないと感じられるし、誰かにとっては我があるように感じるんじゃないでしょうか。
私も我はないと言われているので、そう感じようと思えばそう感じるのですが、
頭をまっしろにして瞑想したら、どっちなのか分からない、というようになります。

142:神も仏も名無しさん
19/03/20 16:05:24.76 WtBhaxc+.net
わからないことを結論づけようとしているあなたのその思考が危険でしょう

143:神も仏も名無しさん
19/03/20 17:00:05.07 nzjKr+Hs.net
>>139
あるかないかわからないと書いたんですが。
我について何を結論付けたんですかね。
あるかないかどうか分からないという見解ですかね?つまり語るなと

144:神も仏も名無しさん
19/03/20 17:07:13.80 R7nuhrjj.net
考えて議論すること自体が結論出そうとしてるということなんだが
仏教の悟りがヨガの悟りを上回る以上
真我はないと考える方がより真理に近いということは言える
それも込みで修行法が正しいと言える
それを否定するに足る根拠はどこにもない

145:神も仏も名無しさん
19/03/20 17:12:02.31 nzjKr+Hs.net
>>141
秀逸なレスありがとうございます。
ちなみに私は瞑想してあるのかないのかどうか分からないと思ってるんですけどね。
ある部分からすると我はあるように感じて、また違う部分からすると我はないように感じますね。
物理学で例えると、ニュートン力学と相対性理論みたいなものかと。
どちらも正しいんですよね。どちらの方がより真理に近い、ということはありますが。

146:神も仏も名無しさん
19/03/20 18:26:39.82 43tpW9Q7.net
横から小学生並みの感想だけど、
真我が爆発して自我より大きくなるのがヨガの悟りで、
自我の解体が小悟、真我の解体が大悟かなと思う。
確かにあると思えるだろうけど、これは無くすことができるものだよ、と。

147:神も仏も名無しさん
19/03/20 19:06:49.90 Hw4cmeMg.net
悟りって本当に存在するの?
「悟りの光が現れますように」って時点で、どんなに頑張っても光しか現れないこと前提なような
私自身は万が一悟りなどというものに到達してしまったらホームレスになりそうな気がするので、そこは「聡明であれ」とかそういう文言に変えて慈悲ってます
ああ、だからこそ敢えて「悟りの光」っていう抽象的な表現だったりするのかな?
俗世で体があって悟りに達したら生きていけなくなる、だから敢えて悟りの光?

148:神も仏も名無しさん
19/03/20 19:24:44.03 R7nuhrjj.net
穏当な比喩表現を選ぶと光ということになるんだと思う

149:神も仏も名無しさん
19/03/20 19:29:24.31 Hw4cmeMg.net
そんなこと言ったら「幸せ」だって抽象的か
つまり慈悲の瞑想は雰囲気なのだね
でも、生きとし生けるものの幸せを願っている時が、一番安らかで平和で敵がいなくて安定していてこの肉体の居心地がよいということを知ってしまったから、
私はきっと慈悲の瞑想は一生続けていくのだと思う

150:神も仏も名無しさん
19/03/20 19:43:24.69 Hw4cmeMg.net
あと、他者の幸せを願っている時が、一番「自分」がないと思う

151:神も仏も名無しさん
19/03/20 19:50:40.27 Hw4cmeMg.net
思うというか、肉体の感覚的なものですが
でもそう感じているのは自分だろと言われたならそれまでだけど

152:神も仏も名無しさん
19/03/20 20:10:38.32 R7nuhrjj.net
いや、それでいいと思うよ
とりあえず慈悲の瞑想はそういうもの

153:神も仏も名無しさん
19/03/20 21:09:48.97 R7nuhrjj.net
あーでも、「自分が幸せでありますように」は抜かさないほうが良いよ
抜かしててもじきわかることになると思うけど

154:神も仏も名無しさん
19/03/21 00:30:47.91 MCTWgXB1.net
>>142
自分が存在しないというのはそういう意味だったのかと 矛盾無く明確で衝撃的な体験が起こります
私と同じ時期に教えを受けた方が6人ぐらいいましたが 2年かからず4人は無我に達しました お話を聞くとやっぱり実生活が崩壊一歩手前まで瞑想していた方が多かったです 1日8時間以上を4日連続とか
私も同じような感じだったのでやっぱり瞑想は再現性あるなーとその当時は驚いたのを覚えてます

155:神も仏も名無しさん
19/03/21 01:52:44.27 W+SrjMel.net
マハシ式で自分の神経の限界ギリギリまで追い詰めて
幻覚見たり自失状態になるのは悟りとは関係ないと思ってるけどね
ただの辻褄合わせ
たから自殺者が出るし、悟ったとされる人も目が逝っちゃってる人ばかりだろ
100年後には残ってないだろうな

156:神も仏も名無しさん
19/03/21 06:01:04.92 WMXLZQ66.net
ブッダが棄てたことの内に入っているものでしょう?

157:神も仏も名無しさん
19/03/21 07:14:54.58 kvhsMrDR.net
>>152
幻覚や自失の向こうに悟りはあるんだよ。
白隠禅師は二十のころ、禅なんか簡単だと思って修行に身が入らなかった。
ある日瞑想中に眠くなるとキリで足を刺す禅師の話を読んで発奮し、自分はこれではいかんと修行に励んだ。
24の頃、鐘の音を聞いた時に悟ったと思った。しかし正受老人には認められず、殴る蹴る罵倒する激しい指導を受けた。
そして托鉢中に茫然自失している時に老婆に箒で叩かれた時に悟った。
昔の偉いお坊さんも若いころにすったもんだしてる。何年もかけて。

158:神も仏も名無しさん
19/03/21 07:21:36.64 kvhsMrDR.net
激しく瞑想してたら奇妙な体験するのは日常茶飯事。
死ぬ程苦しい時もあるし、悟ったんじゃないかと調子に乗る時もある。
そういう波に飲まれずに、瞑想を淡々と続けていけば捨覚支が完成して悟りに達する。

159:神も仏も名無しさん
19/03/21 08:43:27.14 BOHCTOXp.net
と調子に乗る凡夫

160:神も仏も名無しさん
19/03/21 11:21:37.08 TiI60FQh.net
捨覚支ウペッカは第四禅のことだろう
釈迦は禅定は悟りとは関係がないとされたのでは

161:神も仏も名無しさん
19/03/21 11:53:54.71 TiI60FQh.net
激しく瞑想ってどんなことだろう
修行するぞ修行するぞ修行するぞ
A師に帰依するぞA師に帰依するぞ帰依するぞ
みたいなことかな

162:神も仏も名無しさん
19/03/21 12:17:15.47 u3EZU0J+.net
疲労困憊しても続けるということじゃないかな

163:神も仏も名無しさん
19/03/21 15:09:54.52 u3EZU0J+.net
>>142
自分はそんなに長時間瞑想したことがないので、何もいえません。
体験を教えていただきありがとうございます。
ちなみに個人的にですが、インド伝統宗教の聖者たちが真我実現とか言及しているのを見ると、
むげにしてはいけないと、びっくりするような気持になります。

164:神も仏も名無しさん
19/03/21 16:07:34.94 kvhsMrDR.net
ブッダは「血が涸れても、肉が無くなっても、悪魔の誘惑に負けない、負けるぐらいなら死んだほうがましだ。」という気持ちで瞑想された。
悟りを開くまでは立ち上がらないという決意で菩提樹の下で最後の瞑想をされた。そしてそこから49日間ぶっ通しで瞑想された。
ブッダほどの強い気持ちは持てなくても、我々も相当な覚悟で瞑想する必要がある。
道元禅師も、世を捨て、家を捨て、身を捨て、心を捨てよと言われる。
よっぽど激しい決意と勇気が無ければそれらは捨てられない。
それらを捨てた上で瞑想に専念すれば、誰でも悟れないということは無い。
ちなみに七覚支と第四禅は関係ない。

165:神も仏も名無しさん
19/03/21 16:14:11.58 u3EZU0J+.net
自分も求道のために年収1000万の仕事捨てましたね。
親の会社経営の仕事ですが。スピリチュアルに生きていくには相当邪魔なんですね。
たまに後悔することはありますが、これでよかったと思っています。
仏道に殉じることの方がトータルでは幸せだと思っています。

166:神も仏も名無しさん
19/03/21 16:43:28.91 14ujslqF.net
皆さんすごいんですね
私は20代の頃もう人間社会では
生きないつもりで
そのまま死ぬまで続ける気持ちで
乞食行脚始めたんですが
数ヵ月で身体も心も軟弱なのに
気づいただけでしたよ
今は少々仕事して稼いで暮らしてますが
乞食行脚していたときの
経験を思い出すだけで
とても幸せな気分になります
その程度の人なのだなあと
味わっています

167:神も仏も名無しさん
19/03/22 17:05:54.68 si7Sj8lJ.net
>>152
悟りに向かわず欲界に縛り付けられた状態が正常だと思っていて、その前提から判断しているとしたら
欲界からの解脱に向かっている人の状態は「異常」としか見えないだろうね。
理解されることを期待すること自体、無理なことだろうと思ってる。

168:神も仏も名無しさん
19/03/22 17:08:15.57 si7Sj8lJ.net
>>157
禅定は悟りじゃないけど、悟りを支える「正定」、八正道の一支ですよね。
「それは悟りじゃない」と、「それは必要ない」とは、全然意味が違うと思います。

169:神も仏も名無しさん
19/03/22 17:09:49.34 si7Sj8lJ.net
>>158
禅寺の生活も、テーラワーダの修行寺も、食事、家事、睡眠の時間以外は
全部瞑想という生活です。
というか、食事と家事の間も瞑想です。
それでも順調に瞑想修行が進んでいくのは、一部の人だけというのが現実です。

170:神も仏も名無しさん
19/03/22 17:12:21.04 si7Sj8lJ.net
第四禅は、釈尊在世時の出家比丘なら必要条件。
いまでも禅寺の出家は第四禅までやって、それから本格的な瞑想修行がスタート。
在家にはそこまで求めていないだけ。

171:神も仏も名無しさん
19/03/22 21:53:35.84 drXPGJWV.net
>>151
人によっては寝ている間も も追加で

172:神も仏も名無しさん
19/03/22 21:55:29.41 drXPGJWV.net
>>166
訂正
人によっては寝ている間も も追加で

173:神も仏も名無しさん
19/03/22 23:42:12.81 NAiHeVY2.net
瞑想が深まると出離・離欲を達成できるけれど、瞑想から出るとまた元に戻るんですよね。
でも出離・離欲の状態で生きていこうとしても、それは困難なんですよね。
何もしようと思わなくなるから、家事もしようとしなくなっちゃうし。生活がなりたたなくなる。

174:神も仏も名無しさん
19/03/22 23:45:38.37 NAiHeVY2.net
結局、突き詰めると自分を捨てることになっちゃうんじゃないかと。
でも、自分に対する執着があるから、自分を捨てられない。
そこが今の自分の限界と感じています。

175:神も仏も名無しさん
19/03/23 06:21:42.58 S0sdSqTk.net

律 ←コレ

176:神も仏も名無しさん
19/03/23 10:44:58.75 dOqZi68C.net
> 何もしようと思わなくなるから、家事もしようとしなくなっちゃうし。
これ間違っていると思う。

177:神も仏も名無しさん
19/03/23 12:20:14.82 S0sdSqTk.net
正見
正思惟
正語
正業
正命
正精進 ←コレ
正念
正定

178:神も仏も名無しさん
19/03/23 13:05:56.43 KC2p+9jd.net
>>173
うーん、そうですね。趣味とかはどうでしょう?
好きなことや嫌いなことは自分を構成する大事な要素ですが、それがなくなっちゃいますよね。

179:神も仏も名無しさん
19/03/23 17:40:10.85 C13z2cdE.net
>>171
仰る通りなんですよ 自分で強く握りしめている このまま先に進んでしまうのが恐ろしい 不安だ という思いがある限りなかなか進めません 瞑想できめ細かく観ていったとしてもどこかでストップを自分でかけていると思います
1つはこれ以上望みは無い と心底思えるぐらい欲望 希望丸出しで生きてみる方法です あいつだけは許せないという人がいたら文句を言って整理をつけるとか 趣味なら飽きて興味が薄れるぐらいやってみるとか
それで新たに生き生きと生きる道が見つかれば素晴らしいことですし 人生に正常な飽きが訪れたなら瞑想はもっと深くなると思います
加えて衣食住の心配を無くす具体的な環境を整えるのも効果ありです

180:神も仏も名無しさん
19/03/23 18:13:58.64 KC2p+9jd.net
>>176
>>このまま先に進んでしまうのが恐ろしい 不安だ、どこかでストップを自分でかけていると
この言葉に同意します。自分が大事にしているものを手ばなしてしまえば、
自分が自分ではなくなってしまうので怖がっているんだと思います。
瞑想をすると、執着しているものが、苦に他ならない、
捨てるべきものだと分かるのですが、実際に捨てるのは怖いんですね。
また、もし捨てたら、生活がまるっきり変わってしまうとも思います。それも恐れているんです。
これが迷いの生存というものなのかな、と思います。
情けない気持ちになりますね。

181:神も仏も名無しさん
19/03/23 19:49:40.62 mSkw/zW6.net
百尺竿頭進一歩
大死一番、絶後再び蘇る

182:神も仏も名無しさん
19/03/23 20:30:52.98 C13z2cdE.net
>>177
できる事をコツコツとやるしかないと思います いつでも自分を感じて何が嫌なのか 何を恐れているのか 期待しているのか 何が問題なのか
悟りなんかは気にしないで今の自分の問題を解決するのを目的に瞑想を続けていけば 理解の瞬間に解決するような体験がいくつも訪れると思います それだけでも普通の人生でも嬉しい大事件です
瞑想によって自分のことが明らかになるというのは素晴らしいことですよ それだけでも充分だと思います

183:神も仏も名無しさん
19/03/23 21:02:40.89 mSkw/zW6.net
学道の人、衣食を貪ることなかれ
衣食の事兼ねてより思ひあてがふ事なかれ

184:神も仏も名無しさん
19/03/23 21:05:06.26 mSkw/zW6.net
仏道をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せられるなり。
万法に証せられるといふは、自己の身心
および他己の身心をして脱落せしむるなり。

185:神も仏も名無しさん
19/03/23 23:03:25.57 jAHlr285.net
全部に気づいていなさいっていうけど、ぼけーっとした時間、無意識はNGってことだよね?
全部の自分の行動を意識下に置くのがある意味目標、というか、推奨される生き方なのだよね?
睡眠時間も減っていって、最終的には寝ている間もそれに気づいている状態になると
緊張感を自分でコントロールできるようになるってことなのだろうか
責任重大な立場に置かれている時とか自然とそんなモードになるよね
でも緊張感を常に程よく保つのってかなりむずかしいことだと思うわ

186:神も仏も名無しさん
19/03/24 10:29:31.16 4Z4d3E8p.net
もちろん明晰に気付いてないと駄目�


187:セよ そんなのは始めから意識して出来ることじゃないから意識しても無駄 緊張かリラックスかそのバランスか、ということでもない 気づきを邪魔するものに気付いてよく観察していき 気づきが滞りなくなっていくと自然と気づきが鋭くなる それもまた反射的思考を引き起こしたりする 他にも色々あって、全てありのままに評価なく見えるところまでくるとマインドフルネス でもそこでは未だ悟りではないみたいだね



188:神も仏も名無しさん
19/03/25 11:15:43.53 pZhwntGt.net
>>182
気づきを保っていない時って、貪瞋痴がオートパイロットの制御権を全権掌握している状態じゃない?
それがもし車の運転だとしたら、とっても危ないよね。

189:神も仏も名無しさん
19/03/25 13:08:12.25 UbbQDVFH.net
逆に言ったら三毒が全権状態なんていうことはそんなに起こらないということではないかなw

190:神も仏も名無しさん
19/03/25 15:13:01.85 pZhwntGt.net
ここを読んでるような人たちは、そういう人が多いのかもしれませんよね。
いや、でも5ちゃんねるやってる時点で無自覚のうちに三毒に引っ張られてるかな。

191:神も仏も名無しさん
19/03/25 15:50:40.49 2G2PGOWU.net
そうかもね。まあでも、たとえ悟った人でも間違いをおかすものだから。

192:神も仏も名無しさん
19/03/25 21:39:44.55 uc/9/+oN.net
なにかアイディアを出さなきゃならない仕事に就いてる人なんかの場合、やはりあまり向いてないのかね
ロジカルに出てきたアイディアもアイディアだけど、いつもそれだけだと大きな飛躍はなさそうな

193:神も仏も名無しさん
19/03/25 22:06:35.95 uc/9/+oN.net
でもアイディアを出すような仕事に限らずとも、今どんな仕事も意識化できる工程はコンピュータに置き換わっていってる中で、
人間も意識化できることだけやっていて果たして生き残れるのだろうかって疑問もある
草原に寝そべり大空を仰いでいるときにも、それに気づいてなきゃいけないの?

194:神も仏も名は有るさん(男性)
19/03/26 15:33:44.76 T1jG2Gb4.net
出世間法なるものに世間的な実用性を求めてもなあ。
それを無いものねだりと人は言ふ。
この上の話の流れとしてはヴィパッサナーに偏った感じだが
188-189なんかは識無辺処(意識の無限性を観ずる禅定の境地)とか
空無辺処(空間の無限性を観ずる禅定の境地)とかをやらない訳。

195:神も仏も名は有るさん(男性)
19/03/26 15:34:57.69 T1jG2Gb4.net
一般的に言って日本人は空間認識が狭く、よって意識も狭いと言う事が
出来るが世間的な実用性はともかく、空無辺処は非暴力とも関係する訳だし、
タバコは吸うべきではく、特に女性は吸うべきではない、と言ふ様に
何人でも空無辺処、識無辺処をやらないよりはやった方が良いと思ふが
特に日本人はやった方が良いと思っています。

196:神も仏も名無しさん
19/03/26 20:25:26.27 nUJ3fv7l.net
>>191
島国な上に狭い住まいで鎖国体質、閉鎖的、内向的、とかそんな感じなのかしら
スマ長老の本の帯に推奨文書いた人らは皆瞑想なんてしてなさそうなんだよな、一体どういうことだ
養老孟司は「私は瞑想なんてものはしませんけどね。だったら猫でも見てます」と言ってるし、
茂木健一郎はADHDで瞑想なんてそもそもできなさそうだし、DAIGOはしてるぽいが自己アレンジがすごそう

197:神も仏も名無しさん
19/03/26 23:00:17.16 PJTTZXgE.net
経典にのっとって出息念やってみてるんですがすさまじい効果です。
欲がどんどん落ちていきます。
これまで自己流で呼吸瞑想していたんですが、
いままで自分がやっていたのは何だったんだ?という感じです。
↓を見ながらやりました。
URLリンク(komyojikyozo.web.fc2.com)
やったことない方いましたら、試してみて下さい。
とてもいいです。

198:神も仏も名無しさん
19/03/26 23:03:15.39 PJTTZXgE.net
URLのリンクですが、なんか別のところから始まることもあるみたいです。
別のところから始まったら、「次へ→」ボタンを押して、「出入息念経」というところまで行って下さい。

199:神も仏も名無しさん
19/03/27 02:16:52.05 GoAeiu95.net
いちいち用語の解説が煩わしいんで、読むのが面倒くさい

200:神も仏も名無しさん
19/03/27 09:07:48.76 ij8ke749.net
出入息念経でぐぐったら見やすいHPがでました

201:神も仏も名無しさん
19/03/27 15:58:30.38 jDzSxude.net
>>195
私も最初は抵抗がありました。頑張りましょう?
用語の解説は読む必要はないと思いますよ。
訳だけで十分です。私も見ていませんw
余裕があったら解説も見てみましょう。

202:神も仏も名無しさん
19/03/27 18:23:41.68 wphMTDrj.net
>>104
自分で悟っているなんていってうれしい?
破戒僧スマナサーラ信者の靴箱が。

203:神も仏も名無しさん
19/03/28 01:23:14.24 iEwiFQj0.net
スマナサーラ長老はラーマクリシュナは色界第一禅定レベルと言ってたけど
そういう本人は無色界禅定レベルには達しているんでしょ当然?

204:神も仏も名無しさん
19/03/28 02:43:24.60 mfHoJ0zS.net
スマナサーラ長老はラーマクリシュナを誤解されている可能性がありますね

205:神も仏も名無しさん
19/03/28 11:04:40.53 5GeundUY.net
>>198
お前いろんなスレで自爆してるよね

206:神も仏も名無しさん
19/03/28 15:41:32.60 xBE+ecXl.net
もっと欲を捨てて生きていきたいなぁ。
何かをずっと求め続けて生きていくのはしんどい。
手放せれば幸せに生きていけるのに。

207:神も仏も名無しさん
19/03/28 15:59:28.68 fALawcHj.net
欲を手放していながら、なおかつ放縦・放逸ではない。
それって結局、彼岸に突き抜けるまで八正道を邁進するしかないんですよね?
「悟りを求めるな」っていう主旨のセリフをたまにく聞く(見かける)けれども、何か
釈然としない。
「悟りを求めるな」っていうのが何を意味しているのか、悟った人に解説して欲しい。
「悟りなんてないさ」と思ってるような、貪瞋痴にまみれた人から言われても何も響かない。

208:神も仏も名無しさん
19/03/28 19:14:42.09 i+mrg70s.net
>>202
解脱なんて大げさなものが欲しいんじゃなくて、心の静けさと冷静さを保てればそれでいいんだよね
方向性としてはプラユキ・ナラテボーさんの言っているような感じなのか

209:神も仏も名無しさん
19/03/28 19:25:08.80 xBE+ecXl.net
>>204
まあ解脱なんて上るべき階段が多すぎてまだ考えられないですね。
とりあえず五欲を求める心をなくしたいですね。
欲望を求めてもキリがないから、求めても求めても苦しいだけですし。
それなら最初からない方が幸せです。なくても生きていけますしね。

210:神も仏も名無しさん
19/03/28 19:27:20.47 xBE+ecXl.net
五欲を無くすというのも、またスケールが大きな話ですかね。
不幸に陥るレベルではなくしたい、と言い直します。

211:神も仏も名無しさん
19/03/28 20:03:11.48 i+mrg70s.net
>>206
無くしてしまう、というのは方向性が違うかもしれない
欲は生まれるけど、それに振り回されないというのを求めるべきでは?
「欲が発生している自分」を客観視できれば、対処のしようがありそうな気が
仏教者からすると「自分なんて幻想だ」となるのかも知れないけど、そういうのに付いて行けるレベルではないので・・・

212:神も仏も名無しさん
19/03/28 20:30:44.22 TwoegcE6.net
>>203
悟りを求めるなと言うのは、悟りを求め過ぎてる人に言うセリフ。
悟りを求め過ぎると心が緊張してしまって悟れなくなる。
例えば格闘技の試合で、勝ちを求め過ぎると動きが固くなって勝てない。
かと言って勝たなくてもいいやと諦めても勝てない。
勝ち負けに拘らず、相手の動きを見逃がさない集中力と、瞬時の判断力があれば勝てる。
瞑想に当てはめると、禅定力と智慧。
その禅定と智慧はやっぱり結局、悟りを求める心、修行から生まれる。
遠慮せずにどんどん悟りを求めて修行すればいい。
修行していくうちに、いつか心に緊張もなく、緩みもない状態が分かるようになる。
「平常心是道」の公案について考えてみるといいかも知れない。
悟りを求めると同時に悟りを求めない心がどういう心か分かった時、悟れる。

213:神も仏も名無しさん
19/03/28 20:47:30.36 xBE+ecXl.net
>>207
うーん、そうですね。そうかもしれません。
でも思うのですが、欲が生まれないという状態は、達成できると思うのです。
悟ったらその段階に生じる煩悩はもう現れないというじゃないですか。
私も観察してそうだと観えました。瞑想していてそう感じたのです。
たとえば私は時計が好きで、今度機会があったら高級時計を買おうかななどと思うのですが、
無常という真理をある段階まで体得したら、欲しいとも思わなくなるはずなのです。
私はまだ不十分だから、まだ求めてしまうのですけどね。
今思うところはこんな感じです。
長文失礼しました。

214:神も仏も名無しさん
19/03/28 21:17:17.27 i+mrg70s.net
>>209
ただ、悟れるのがいつになるのか、死ぬまでに悟れるのかという問題が
それまでの「今」にどう対処すべきかは大切だと思う
あなたが悟りを得られることを願っています

215:神も仏も名無しさん
19/03/28 23:14:41.29 fALawcHj.net
>>208
どうもありがとう。

216:神も仏も名無しさん
19/03/29 00:02:12.51 p3cSNViQ.net
御両親は、『普通に』社会人となって、孫の顔を見せてほしいと思っているでしょうw
恋人や奥さんが既に居るなら、
今、欲(→生活の向上・稼ぎの安定及び上乗せ)を放棄するのは許せないでしょうw
「悟りと世俗の生活が両立するかどうか?」
の答えを出した人物は、仏教2500年の歴史上、未だ出現していない。
少なくとも、世に知られる形で顕現されてはいない。

217:神も仏も名無しさん
19/03/29 00:05:35.68 p3cSNViQ.net
梵天勧請が律蔵大品に収められている意味は、意外と重い・・・。

218:神も仏も名無しさん
19/03/29 01:33:09.25 Ovc0tifN.net
在家預流果の大富豪おったやん。

219:神も仏も名無しさん
19/03/29 08:17:15.02 84i53Gw3.net
てか欲をどうとらえるかですね。

220:神も仏も名無しさん
19/03/29 08:31:54.51 SWtjV7fN.net
維摩さんはあれでいて財産への執着は無かったんだろうな

221:神も仏も名無しさん
19/03/29 11:06:43.75 fzv5tm0L.net
欲を無くすんじゃなくて、欲が無くなるんだよ、仏道修行していれば。
世の中の素晴らしいものに対して欲を出さないではなく、世の中はすべて苦、クソだと知ってしまえば、欲という発想すら無くなる。
財産もクソ、時計も車もクソ、仕事も家族もクソ、そもそも自分という存在、五蘊がクソなんだから。
ただしクソだらけの世の中で、慈悲の心を持って家族、両親、仕事、友人と関わる事は大事。

222:神も仏も名無しさん
19/03/29 11:10:35.59 f0RjcFPI.net
>>217
スカトロ

223:神も仏も名無しさん
19/03/29 14:46:20.63 /63edunW.net
>>217
悟りからは遠そうな乱暴な書き込み

224:神も仏も名無しさん
19/03/29 15:26:50.75 I4Dd7DZK.net
>>216
およそ、仏法が中国に来てからというもの、出家人として仏の道を得たものは多かったのだが、在家人として得道したものは未だ1人もいない。
すでに、仏法の有り様を聞いたのであれば、急いでみな出家したものだ。
量り知るべきである。在家は仏法がある場所ではない。
〈中略〉維摩が未だ仏の光明によって照らされる功徳を得ていないのは、出家していないからである。
維摩がもし出家すれば、これらの功徳は維摩のものとなるであろう。
昔の唐・宋といった時代の中国禅者は、維摩未出家なるが故に仏の道理を知らないことを知らずに、みだりに維摩が仏の道を知っているなどと褒めるのだが、全く仏法を分かっていない連中だ。
仏の教えと維摩の教えを一緒だと考える者が多いが、全く仏法を分かっていない。
維摩が黙って諸々の菩薩に道理を示した、これは如来が黙って人となった姿に斉しいなどと言うが、これは大いに仏法を知らない者である。
   道元著 『正法眼蔵』「三十七品菩提分法」より

225:神も仏も名無しさん
19/03/29 17:34:58.71 cT3h5mJO.net
禅は阿羅漢の悟りを悟りとしてんのかな
チッタさんとか、在家の不還果だったって説明されてるのを聞くし
禅とはわけて考えたほうが良い部分がある気する

226:神も仏も名無しさん
19/03/29 17:38:21.84 Ovc0tifN.net
お釈迦さまは阿羅漢でもあるよね。

227:神も仏も名無しさん
19/03/29 17:51:35.24 SWtjV7fN.net
>>220
維摩さんは個人的には天部の神様のイメージ
あのお釈迦様のよくわからん協力者な感じが

228:神も仏も名無しさん
19/03/29 18:21:41.07 Ovc0tifN.net
大乗仏教(唯識派)の祖といわれる無著と世親も阿羅漢じゃなかったっけ?

229:神も仏も名無しさん
19/03/29 18:55:23.88 p3cSNViQ.net
「不退転」という言葉があるが、
一般的には、これを ≪『自らの意志で』、退かずにいようとする≫
ことだと解されているかもしれないが、実はそうじゃない。
もはや、≪「退転しようという(…世俗の生活に戻りたい)気」が起きない・生じない≫という意味であり、
自分からどれだけ世俗の生活に戻ろうと足掻いても、
≪心身の全てが、それを拒絶する状態≫のことを言うものなのよね・・・。

230:神も仏も名無しさん
19/03/29 22:29:58.85 cT3h5mJO.net
圧倒的な禅定の体験を通し、欲界への執着が消えるのは不還果みたいですが
在家の生活はできることになっているみたいです

231:神も仏も名無しさん
19/03/30 14:37:17.15 TVD2MkBq.net
色は置いておいて、心が自分であるように感じるんですよね。
心所っていうのかな、心から派生する感情は自分ではないと感じるんですが。
心も無常なんでしょうか?諸派によって解釈が変わるんですかね。

232:神も仏も名無しさん
19/03/30 16:42:06.57 TVD2MkBq.net
すいません。思い出しましたが、心も無常と考えられていたのでしたっけ。
難しいなぁ。

233:神も仏も名無しさん
19/03/30 17:08:10.76 kPfAcouu.net
受想行識亦復如是

234:神も仏も名無しさん
19/04/01 14:16:40.46 xXNAhCoM.net
あの、「菩提樹文庫」消えてません?

235:神も仏も名無しさん
19/04/01 19:26:44.60 8Py/g+Jy.net
瞑想したら「なんちゃって無我」みたいなものは味わえるけど
怒りとかの感情の方が根源的で底が深いように感じられる
瞑想を続けたら違う気付きがあるんかな

236:神も仏も名無しさん
19/04/01 20:54:26.30 YEsWIAjv.net
なんとなく仏教的だね令和

237:神も仏も名無しさん
19/04/02 00:36:26.16 agwDhEuZ.net
>>230
そだよー3月いっぱいで消えるから移転した
URLリンク(bodaijubunko.sakur) a.ne.jp/index.html

238:神も仏も名無しさん
19/04/02 07:02:47.03 IG1RXCjD.net
>>233
教えていただきありがとうございます。

239:神も仏も名無しさん
19/04/02 13:55:56.71 zqE8/Qbf.net
座り方なのですが
スマサナーラ長老が言うように骨を順に乗せていくような感覚でやると
顎が若干上がってしまう様になるのですが良いのでしょうか?
今まで習っていたのがちょっと顎を引いて2メートル先ぐらいの床を見る
という感じだったので

240:神も仏も名無しさん
19/04/02 15:06:02.84 AhuDJ9pm.net
自分は何も考えずただ快適に座るようにしているだけなので、
答えになってませんが、それでいいんじゃないでしょうか?
顎がちょっと上がる程度は問題ないのでは?

241:神も仏も名無しさん
19/04/02 15:21:40.52 tnKKkQz/.net
>>235
順に乗せていって乗せ終わったら最後に少し肩を引いて
肩の力をフッと抜いて背骨に乗せたら顎を引けるとおもいます

242:神も仏も名無しさん
19/04/02 15:38:42.24 tnKKkQz/.net
と書いたけど、筋肉のつき方脂肪のつき方とか
人によって違うから、自分がそれでできても人がそれでできるとは限らないですね
できなかったらスルーして下さい

243:神も仏も名無しさん
19/04/02 18:07:45.03 zy/u4wiX.net
(身体を)放っておいても真っ直ぐ座っているように、
(身体を)立てて置いておくイメージ。
あるいは、全身全霊をかけて気づきに傾注することで
自然とかたちができる感じ。

244:神も仏も名無しさん
19/04/02 18:35:32.70 zqE8/Qbf.net
皆様ありがとうございます
あまり気にせずに自然な感じで行きたいと思います

245:神も仏も名無しさん
19/04/02 20:36:03.19 w4wXCkCQ.net
恐竜はオーバーにしても、
骨格標本を作ろうとしたときに、
最も自然に、重力に抗して上方へ伸び上がる骨格、腰骨から頭骨への並びが
積木のように積まれて、頭蓋骨が、そっと乗っかる、
ような感じでは?
頭蓋骨が(顔が)、上を向いても下を向いても、
気道が(咽喉が)狭くなるはず。
だから、正面を向け(≒顎を引け)と言われるのじゃないかな。

246:神も仏も名無しさん
19/04/05 17:03:26.11 cKXArplY.net
自我は錯覚だけど、生きている実感はあってそれはなくならない、ということらしいですね。
スマナサーラ長老曰く。
有身見とは違うのかなと思いました。ちょっと違いが分かりにくいのでは?と思いました。

247:神も仏も名無しさん
19/04/05 19:47:26.58 TCUCqoYp.net
阿羅漢になれば生きている実感(慢)も無くなるらしいです。
阿羅漢は場合によって怒る?
URLリンク(j-theravada.net)

248:神も仏も名無しさん
19/04/05 20:30:24.67 cKXArplY.net
どんぴしゃな記事をありがとうございます。てかよく見つけてこられましたねw
瞑想や観察によって、固定された自我は存在しないと、発見したいですね。
科学的な知識からはそう推察できますが、そういった知識なしに発見しないとダメなんでしょうね。

249:神も仏も名無しさん
19/04/05 20:58:24.22 bpUK+vDi.net
自我というのはエゴ(顕在意識)とマインド(潜在意識)のことをいうんだけどその自我というのは実はマーヤ(幻影)。
マーヤである自我を真実で不変とみなすことを無明という。
ヨーガによって無明から解脱すれば自我は消えていき真我が実現する。

250:神も仏も名無しさん
19/04/06 12:25:01.56 CQL+6DUU.net
痔がつらい

251:神も仏も名無しさん
19/04/06 19:39:45.15 g6Jh4SQN.net
>>245
真我と有身見って何か関係あるんですかね?

252:神も仏も名無しさん
19/04/06 21:05:49.01 9imti0nF.net
有身見が破れることは自我の錯覚を見破ることと同じだから、その瞬間に真我が立ち現れる。
というか、夢から覚めるかのようにもともと真我だったことを思い出す。
仏法ではそこで終わらず、さらにその先の涅槃を目指すので、そこで満足しちゃダメ。
ということだと思う。

253:神も仏も名無しさん
19/04/06 23:25:06.95 +WqAyTkG.net
仏法では真我については釈迦は沈黙を守り通してたよ
真我の先に涅槃があるともいってない

254:神も仏も名無しさん
19/04/06 23:32:51.60 9imti0nF.net
成道する前の釈尊が、アーラーラ・カーラーマ、ウッダカ・ラーマプッタ
仙人のもとで(即座に)到達した境地ですよね。

255:神も仏も名無しさん
19/04/06 23:42:00.30 9imti0nF.net
そういう状態(サマーディで真我に到達している状態)というのはあります。
しかし、それも三界ですから無常無我です。
ってことだと理解してますがね。

256:神も仏も名無しさん
19/04/07 00:08:41.21 5/NtSIbc.net
十牛図の、
七がヒンドゥ・ヴェーダ、八が上座部系、九が道教・仙道、十が禅。

257:神も仏も名無しさん
19/04/07 00:33:46.09 l9OUtTzl.net
>>250
それは真我とも梵我一如とも関係がない

258:神も仏も名無しさん
19/04/07 09:14:39.14 svjdz5T1.net
真我、梵我は妄想
現実は気づきと智慧だけ
気づきと智慧で観れば無一物、何も無い、諸法無我

259:神も仏も名無しさん
19/04/07 12:59:11.49 n/PjHZRL.net
サティにしても智慧にしても有為のものだから本質的には虚妄、無常、苦、無我

260:神も仏も名無しさん
19/04/07 20:29:32.07 svjdz5T1.net
智慧はサンカーラ、行によってどうこうするものではないから無為
智慧は頑張って考える事ではないし、思考でもない、現象でもない
サティは努力して、意志の力によって継続するものだから有為、無常、苦、無我

261:神も仏も名無しさん
19/04/07 22:51:29.52 n/PjHZRL.net
>>256
それはテーラワーダの教義ではない
テーラワーダでは無為は涅槃だけ
智慧は有為法のなかの心所に属するというのがテーラワーダのアビダルマ(慧根と訳される)
説一切有部の五位七十五法や唯識の五位百法でも智慧は心所に属する

262:神も仏も名無しさん
19/04/07 22:52:35.58 n/PjHZRL.net
智慧は因果によって完成させるものであり有為

263:神も仏も名無しさん
19/04/07 23:05:35.86 uMziklyM.net
>>252
如来(仏陀)はどに相当するのでしょうか。

264:神も仏も名無しさん
19/04/08 00:01:49.94 TNu/czsX.net
入滅したんだから無為じゃね

265:神も仏も名無しさん
19/04/08 00:11:37.48 nZqRRoq/.net
菩提樹のもとで成道して般涅槃するまでの仏陀は?

266:神も仏も名無しさん
19/04/08 07:34:15.94 izsSYgQE.net
>>257
慧根と智慧は違うでしょう
慧根はたぶん、智慧によって物事を観る働き、智慧が生まれる根本
智慧は無明が無い状態、無明から生まれる行が無い状態、因果に属するものではなく因果から離れる事を理解した状態
アビダンマでも無明は定義されてないでしょ?たぶん
無明、智慧は教義で捉えることはできず、それが何かを理解した人はもう悟ってます
思考、概念を超えたものですね、無明、智慧は

267:神も仏も名無しさん
19/04/08 07:49:56.42 izsSYgQE.net
そういう意味だと智慧は無為と言うのは正確ではないですね
智慧は有為、無為を超えたもので、智慧によって無明が破れることで無為が生まれると言った方が正確かもしれない
無明も有為、無為に属するものではないが、無明から有為が生まれる

268:神も仏も名無しさん
19/04/08 08:55:56.07 CZ3Rcxeh.net
二つ目は c e t a s i k a 。心所と漢訳していますが 、認識と一緒に生まれる感情のことです 。
これはそれほどいい意味ではありません 。
心 ・認識機能がはたらいてものごとを認識しますが 、それで終わりません 。
花を見るのも食べ物を見るのも 、見るはたらきは同じなのですが 、私たちは 「きれいな花 」 「おいしそうな食べ物 」などと決めて見ますので 、それなりに心の感情が変化しています 。
人を見るときも 、見る相手によって 、心には違う感情が生まれます 。
怒り 、苦しみ 、悩み 、嫉妬 、明るさ 、眠気 、いろいろなものが心に生まれます 。そのありとあらゆる感情が 、全部 c e t a s i k aです 。
仏教で言う悟りの智慧さえ 、ここ ・心所に入ります 。
悟ったときの智慧も 、感情と言うのも変ですが 、それも一つの 、心に生まれる状態です 。
世界的な画家が描いた絵を 、写真でも模写でもなく本物を目の前で見たら感動する 。
そのように 、真理を見ると心にある変化が起こる 。
その変化を智慧と言う 。それも心所の一つです 。
ですから善悪にかかわらず 、心に生まれる一切の感情は 、心所 。
(アルボムッレ・スマナサーラ「ブッダの実践心理学 第1巻」)

269:神も仏も名無しさん
19/04/08 10:25:35.24 izsSYgQE.net
「ブッダの教え一日一話 今を生きる366の智慧」という本では、
>智慧とは、特別に「何かがある」ことではありません。じつは、「何もない」ことなのです。
とおっしゃられているので矛盾すると思う
ブッダゴーサ長老はなぜ智慧と言わず慧根と言ったのか?などの疑問もあるが、スマナサーラ長老がそうおっしゃるのならそうでしょう
智慧は心所であり、無明から生まれる有為のものであり、無常、苦、無我であるという事でしょうね

270:神も仏も名無しさん
19/04/08 13:06:10.69 izsSYgQE.net
申し訳ない
自分が言ってた智慧はvijjāで、明知とか明というやつですね
普通の智慧はpaññaで、戒定慧の慧、物事をありのままに観る事ですね
スマナサーラ長老はどちらもひっくるめて智慧と呼んでいるようです

271:神も仏も名無しさん
19/04/08 15:03:36.81 jChXmu69.net
なんか今日ヴィパッサナー瞑想していたら、存在するのは精神だけだって感じになりましたw
唯識派が生まれたのが分かりましたw
まあ勘違いの可能性もありますから、私は唯識派にはなりませんけどw

272:神も仏も名無しさん
19/04/08 15:29:31.98 CZ3Rcxeh.net
>>267
阿頼耶識までもが空と悟って本当の唯識となる

273:神も仏も名無しさん
19/04/08 15:38:25.27 jChXmu69.net
>>268
レベル高っw
そこまでは無理かなぁ・・・w
横道にそれるのでやらないと思いますけどw
でも明らかに体もあるので精神だけってのはおかしいですよね。
と頭で理解してみるw

274:神も仏も名無しさん
19/04/08 17:15:04.29 CZ3Rcxeh.net
唯識を完成させたと思われる世親は元々は経量部の比丘だったから部派仏教の勝義諦の概念を導入して法(もの・存在)を分別した。
この辺は説一切有部やテーラワーダに似る。
でも世親は大乗仏教に鞍替えしたので大乗の空の観念も足し合わせてそれらの分別された法も空であるとした。
そこが何かしらの実在を認める部派仏教との違い。
でも玄奘など三蔵法師の文献によると彼らがインドに渡った時に一番隆盛を誇っていたのはまあヒンドゥー教なんだけど、
仏教では大乗仏教ではなく玄奘らが小乗と思っていた部派仏教で犢子部とその派生の部派でインド仏教の半数を占めていたらしい。
犢子部は補特伽羅という輪廻主体を認めていた部派で、犢子部が人気があったということはいかにインド人が魂の概念が好きだったかを物語っている。
もちろん説一切有部の比丘、僧侶(サンガ)もまだ健在ではあった。

275:神も仏も名無しさん
19/04/08 20:22:55.87 izsSYgQE.net
目を閉じてなるべく妄想しないように気をつけながらヴィパッサナーをやると、「明らかに体がある」ではなくて「体があるという認識が生まれ消えている」という事実が観えるはず

276:神も仏も名無しさん
19/04/08 20:29:26.96 izsSYgQE.net
認識は感覚と、手、足などの言葉、イメージから捏造される
その時認識したいという意志も働いているはず
それら全てが高速で生滅していること事に気づき続ければ、いずれそれらが無くなった状態、涅槃に達する

277:神も仏も名無しさん
19/04/08 22:55:36.20 qKxh+ly4.net
>>272
自分の体験談として行ってるの?

278:神も仏も名無しさん
19/04/08 22:56:07.39 qKxh+ly4.net
言ってるの?

279:神も仏も名無しさん
19/04/09 08:20:11.34 VrvORO4a.net
>>273



280:う 一度は涅槃に達してないと仏教徒とは言えない 苦しくても泣きながらでも瞑想してブッダについていかないと



281:神も仏も名無しさん
19/04/09 11:02:24.39 qu/BO/ZI.net
つかまえているという感じでしょ

282:神も仏も名無しさん
19/04/09 14:02:33.26 ejTyQt9E.net
それは涅槃ではなく禅定では

283:神も仏も名は有るさん(男性)
19/04/09 14:06:18.31 D4+sGLdJ.net
昔話だ。
所要があって長距離バスに一人乗った。
書籍も持参していたが読む気になれず、アーナパーナサティをすることにした。
窮屈な車内で中々集中出来ず、眠気とも戦いながら、それでも我慢してやり続けると、
正確には覚えていないが「呼吸してるだけ」とかの思いが生じた。
そこで思い出した。
『このように、自己の身において身を随観し続け、...そこで「身(呼吸)のみあり」
との念が彼に起こる。それこそは智慧の(増大の)ため、...』
大念住経の一節だ。
「ああ、経典で見たのはこの光景の事なのか」
常日頃、私は仏教修行を登山に譬えるなら、経典や書籍類は地図に過ぎない。
いくら地図を理解し、精通したからと言って、それで山に登った事にはならない。
山に登るとは戒律を守って瞑想することに他ならない、と思っていた。
バスの中で私は確かに低い山かも知れないが山に登っていたのではないかと思っている。
その後その様な体験が何度もあったと言う事もない。

284:神も仏も名は有るさん(男性)
19/04/09 14:07:55.90 D4+sGLdJ.net
>「存在するのは精神だけだ」
つまりは「心のみあり」との念が>>267に起こった訳か。
それならば心隨観であるな。
『このように自己の心において心を随観し続け、...そこで「心のみあり」との念が彼に起こる。
それこそは智慧の(増大の)ため、...』―「大念住経~心に関する随観」
>>269
>でも明らかに体もあるので精神だけってのはおかしいですよね。
これを余計な思量と云ふのでは御座いませんか。

285:神も仏も名無しさん
19/04/09 16:31:02.06 qu/BO/ZI.net
やっていくとわかるよ

286:神も仏も名無しさん
19/04/09 16:31:46.65 IZlOJq9z.net
>>279
一応、精神が認識するから事物が存在するという認識になりました。
心の外にモノは存在しない、という感じですね。
でも心のみが存在するという、心隨観の状態だったかもしれません。
すいませんよくわかりません。

287:神も仏も名無しさん
19/04/09 20:35:20.71 VrvORO4a.net
>>277
禅定の場合は一点集中の気づきから入る
涅槃はまんべんなく六根に対しての気づきから入る
禅定と時は出てきてからしばらくすると入る前と変わらない状態になるが
涅槃と場合は出てきてからしばらくして智慧が現れ、煩悩がいくらか遮断される

288:神も仏も名無しさん
19/04/09 22:37:55.62 +XS94E37.net
スレリンク(psy板:814番)
> >>812
> >>813
> やっぱ小乗の人って我さえよければいいっていうのは本当なんだね。
> 大乗の人もそうなのかな? ところであなた方はあなた方の信じるところに従って、必ず解脱できるの? 
> またそのように修行しているの?
スレリンク(psy板:815番)
> >>813 「解脱してから他者を救う」って言うのは
「カネを稼がないと、施しも出来ない」っていうほどの意味なら理解できるが、
解脱して仏陀になるまで誰も助けないでいいのかね?

289:神も仏も名無しさん
19/04/10 01:26:53.84 zV4ePXuR.net
なんか、預流果ってなるのは実は滅茶苦茶難しいんじゃないかって思ってきました。
自分の場合ですが、体と心を探しても自分はいないってことが今日分かったんですが、
まだ有身見は消えてないんですね。
探求していた間は、これを達成したら預流果になれる、
簡単だと思っていたのに、実はかなり難しいのでは?
悟れるかどうか不明になってきました。

290:神も仏も名無しさん
19/04/10 03:51:44.58 Sib+JTY0.net
一切皆苦ぅぅ

291:神も仏も名無しさん
19/04/10 17:32:16.03 +bT/7lvJ.net
>>283
カナヅチが溺れている人を助けることはできない。
まず、自分が泳げるようになる必要がある。
そういうことではありませんか。
ダンマパダにも、まず己を整えよ。それから他人を整えよとあります。

292:神も仏も名無しさん
19/04/10 19:52:01.22 zV4ePXuR.net
うーん自我は錯覚だと聞いていたけれどなるほどなぁ。
自分でないものをこしらえていたんですね。作ろうとしなければ自我はないと。

293:神も仏も名無しさん
19/04/10 20:03:38.09 r/98R04Z.net
>>286 カナヅチでも縄や浮き輪を投げてあげる、助けを呼ぶなどは出来る。
仏教徒というのは、他者を助ける、と言うのが二の次で、自己の修行さえ完成すれば良いように思える。

294:神も仏も名無しさん
19/04/10 20:52:28.34 GuGoeFFv.net
生きることは高層ビルで火事にあうようなものだね。
無明という煙に覆われていて出口は見つからない。どこに逃げても熱くて苦しい。
ブッダは解脱という非常階段を発見した。
非常階段を実際に見た預流果でないと人を導くような事をするのは危険。
火事現場を非常階段まで突っ走らないといけないのだから、仏道修行は苦しい。

295:神も仏も名無しさん
19/04/11 00:07:43.63 xhJUZEtf.net
救助のために非常階段を探して戻るのが菩薩
非常階段をそのまま降りて向こう側に行くのが小乗

296:神も仏も名無しさん
19/04/11 00:11:44.82 vDSeHDX9.net
しのごの言わずに仏道修行していればよろし

297:神も仏も名無しさん
19/04/11 00:18:23.48 l1NqdEZV.net
>>288
大乗仏教の祖といわれる達磨大師も、面壁何年だったのではありませんか。
唯識の祖の無著、世親も阿羅漢と言われています。
であるからには、阿羅漢果に至るまで修行に専念していたのではないでしょうか。

298:神も仏も名無しさん
19/04/11 00:27:23.82 l1NqdEZV.net
世間的な尺度で他者を助けたいなら、医者か弁護士か何かにでもなった方がいい。
仏教がもたらす利益とは、結局のところ解脱の一味に集約されると思う。

299:神も仏も名無しさん
19/04/11 01:00:53.72 MrkqPRjs.net
>>290
偽りの非常階段で安心させるのが大乗で
本当に非常階段があるのを示すのが小乗ぽい

300:神も仏も名無しさん
19/04/11 01:10:52.28 l1NqdEZV.net
智慧を前面に出しているか、慈悲を前面に出しているかの違いしかない気がする。
智慧は、ふつうの人間には理解できないでしょ。生まれつきの修行者とかじゃないと。
一方、慈悲はわかる、伝わる。
人情に似ているからかも知れない。
そういうことじゃなかろうか。

301:神も仏も名無しさん
19/04/11 21:40:28.30 0Gx128jl.net
お母さんが子供の為だと思って子供を甘やかしてたら子供の人生が潰れてしまったり、
お父さんが子供の為だと思って子供に厳しくしてたら子供の人生が潰れてしまったり、
慈悲と言っても簡単じゃないよね。
それこそ智慧が無いと慈悲も上手くいかない。やっぱり智慧と慈悲は車の両輪だね。
若干智慧の方が重要だけれども。

302:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:03:57.69 oGaacyRd.net
解脱、悟りを得たらその代償は何なんだろう
良いものは何も失うことなくただ得るだけ、というのはあまりに虫の良い話に思われる

303:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:16:58.71 LuiLUv0J.net
その「良い」は世俗の価値観ではないからね
世俗的には「良いも悪いも失った人」でしょ

304:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:30:29.34 v6now+nW.net
一般的価値観から言えば、
「悟りを求めようとする人」(仏道を歩もうとする人出家しようとする人、世俗の生き方と距離を置こうとする人)
は、
非難誹謗され、怒られ、或いは恨まれ、或いは侮蔑嘲笑され、或いは気狂いと思われ、
『人でなし』の烙印を押されるからね・・・。

305:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:37:44.49 P5gnuCdE.net
>>292 減縁減行三二相までやって阿羅漢果を得るのに何劫かかるの? 地球が出来て滅びてを何千何万回繰り返す間の不幸を見て見ぬふりするのも修行なの?

306:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:39:20.23 P5gnuCdE.net
>>291 その修業とはどんなもの? あなたはそれで仏果を得られるの?

307:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:40:59.17 P5gnuCdE.net
>>293 なるほど、仏者は医師弁護士に劣るのですね。では仏教は医師弁護士は救えないことになる。

308:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:45:44.80 v6now+nW.net
>>300
医師免許を取る前でも治療手術をすべき、と?
入隊、訓練もしていないのに、レスキュー作業に加わるべきと?
泳げない人間に海水浴場でライフセイバーの職に就け、と?
外国語のリスニングができていない人間に同時通訳をしろと?

お前、頭大丈夫か?

309:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:47:26.46 v6now+nW.net
釣りか・・・w  >>302
お前は、野球選手に外科手術を依頼するのか?とwwwwwwww


豆腐の角に頭ぶつけとけ。

310:神も仏も名無しさん
19/04/11 23:51:43.96 oGaacyRd.net
>>298,>>299
レスありがとう
世俗的な苦しみを手放す代わりに、世俗的な幸せも手放す感じか
世俗的価値観から見れば、解脱は喪失でもあると考えればよいのか
よく考えて修行しなければならないな

311:神も仏も名無しさん
19/04/12 00:10:44.09 N8h8+9qv.net
>>303
>>304
どうもあなたがたは仏陀をそこいらの士業程度に考えていらっしゃるようですね。
小さい。小乗と言われる所以だ。あなた方が得ているであろう果が(たとえ阿羅漢果であろうと)非常に小さいものであることがよくわかった。
それでは人を救えないであろう事は明らかだし救おうとも思わないはずだ。

312:神も仏も名無しさん
19/04/12 00:20:25.12 N8h8+9qv.net
>>294 小乗の非常階段は袋小路ではないですか? 本当に灰身滅智出来ますか?したいですか?
大乗・・・ 大乗にもよりますね。

313:神も仏も名無しさん
19/04/12 00:23:54.63 Evbw+QsI.net
個人的には
医者は治療を施してくれるから有り難く、
悟った人は存在してくれてるだけで有り難い

314:神も仏も名無しさん
19/04/12 01:01:02.68 lU328n+U.net
深く考えずに仏法僧に帰依して修行に邁進すれば答えは出ると思うよ
何もなかったという答えも当然あり
暗示にかかりやすいそうではないとか個人差があるからね
呼吸法だってマスターできる人とそうでない人がいるだろうし
◯◯式に忠実にやっても何も変わりないという人もいるだろうし
人それぞれ

315:神も仏も名無しさん
19/04/12 01:47:08.74 N8h8+9qv.net
>>309 では、仏教は救われる人と救われない人の別があるのですね? つまり個々人の才能で仏になれるかなれないかが決まっている?

316:神も仏も名無しさん
19/04/12 06:26:01.25 lU328n+U.net
>>310
それは分からないけど、それが分かったところで修行をするしないに関係します?
だいたいテーラワーダでは仏ではなく阿羅漢になるのが目的ではないですか?
今生で阿羅漢になれなくても七回輪廻すると阿羅漢になれるんだとか
それを信じてそれ以上は考えずに修行する
それ以上考えるのはそれこそ妄想だと思います
莫妄想

317:神も仏も名無しさん
19/04/12 11:14:32.81 xqT/uX7Z.net
仏教は人を救う事を必ずしも必要としない。
ブッダも梵天に請われるまでは法を説こうとされなかった。
しかし自分を救う事、解脱する事は必須。
誓願を起こして三帰依し、戒を守り瞑想するだけ。
煩悩の残りが多い人は時間がかかり、少ない人は早く結果がでる。
精進がしっかりある人はすぐに結果がでて、そうでない人はゆっくり。
やるかやられるか、煩悩の魔軍に勝つか負けるか。
智慧の剣と慈悲の盾を持って突撃すればいい話であって、その場合、命も何も捨ててかかればいい。
それができないと言うのは根性がない負け犬だという事になる。

318:神も仏も名無しさん
19/04/12 11:53:59.08 JRyBY63w.net
>>312
靴箱の底で勝手にやってろ

319:神も仏も名無しさん
19/04/12 15:03:23.12 X528vZOz.net
>>300
思考判断の前提に、なにか強固な思い込み(見 ditthi)があるんじゃないかな。
それはわたしの問題ではなく、あなた自身の問題ではないでしょうか。

320:神も仏も名無しさん
19/04/12 15:04:11.33 X528vZOz.net
>>302
どんな判断も、価値判断の尺度によるのではありませんか。
その尺度で測るなら、そうなるというだけのことで。

321:神も仏も名無しさん
19/04/12 15:06:43.80 X528vZOz.net
釈迦牟尼の仏教を小乗と呼ぶ時点で、たぶんなにか勘違いしていると思います。

322:神も仏も名無しさん
19/04/12 15:11:42.09 X528vZOz.net
出家を見て偉いなと思うのは一部の仏教徒だけで、大抵の一般人は乞食だと思うでしょうし。
人間が考えた妄想概念のことだけを「宗教」と呼んでいる人は、どんな宗教者であれ、迷信
を信じる愚か者という意味で「信者」だと思うでしょう。
しかし、人間知性という枠の外側にある真実のことを「宗教」だと思っている人は、人間が
妄想した「宗教」とは区別しているはずです。
判断の尺度が違うし、前提認識も違うのです。

323:神も仏も名無しさん
19/04/12 15:15:48.45 X528vZOz.net
大乗仏教のはじまりは、智慧の道を理解できない一般大衆にも理解できるように
苦心した結果として編み出された方便、慈悲の現れだと個人的には理解しています。
釈迦仏教が小乗なのではなく、梵天勧請のエピソードが示してもいるように
大抵の人は釈尊の説く智慧の道が理解できないのです。
だから慈悲の道として説き直したのだと思いますよ。
それが大乗仏教のはじまりだと思ってます。

324:神も仏も名無しさん
19/04/12 15:19:04.31 X528vZOz.net
無我とか輪廻というのは人智を超えているので、人間が考えて理解しようとする
アプローチでは分からないはずです。
瞑想しない、できない層の人々は考えて判断することしかできないので、人智を
超えたことと迷信の区別はつけられないんです。

325:神も仏も名無しさん
19/04/12 15:21:09.40 X528vZOz.net
角が立つので面と向かってストレートに言うことはしませんが、
はっきり言ってしまうとそういうことです。

326:神も仏も名無しさん
19/04/12 19:45:48.09 e0RFda3v.net
439 ナムチよ、これは汝の軍勢である。黒き魔(Kanha)の攻撃軍である。勇者でなければ、かれにうち勝つことができない。(勇者は)うち勝って楽しみを得る。
440 このわたくしがムンジャ草を取り去るだろうか? (敵に降参してしまうだろうか?)この場合、命はどうでもよい。わたくしは、敗れて生きながらえるよりは、戦って死ぬほうがましだ。
441 或る修行者たち・バラモンどもは、この(汝の軍隊)のうちに埋没してしまって、姿が見えない。そうして徳行ある人々の行く道をも知っていない。
442 軍勢が四方を包囲し、悪魔が象に乗ったのを見たからには、わたくしは立ち迎えてかれらと戦おう。わたくしをこの場所から退けることなかれ。
443 神々も世間の人々も汝の軍勢を破り得ないが、わたくしは智慧の力で汝の軍勢をうち破る。─焼いてない生の土鉢を石で砕くように。
444 みずから思いを制し、よく念い(注意)を確立し、国から国へと遍歴しよう。─教えを聞く人々をひろく導きながら。
445 かれらは、無欲となったわたくしの教えを実行しつつ、怠ることなく、専心している。そこに行けば憂えることのない境地に、かれは赴くであろう。
ブッダは漢だ

327:神も仏も名無しさん
19/04/12 21:07:19.32 W/F3TBEl.net
衆生を直接救うためには、
医学を極め、教員免許も取得し、特殊車両の免許もとり、
化学薬学の知識も学び、建築設計の知識も供え、
幼児教育の機微も学び、婦人科医療の知識技術もマスターし、
経済学も税制も、ITも株式も視野に入れ、
法律及び凡例は全て完璧に記憶し、
夫婦も含め男女の関係・心理的駆け引きも理解し、
外交も軍事も力関係を見極め、
発達障害や身体障碍の家族のサポート法もマスターし、
そして、人生生活、あらゆる苦悩の解決策を助言できなきゃならんわけだ。

仏陀って、んと、スーパーマンだな。   嘲笑

328:神も仏も名無しさん
19/04/12 21:09:54.03 W/F3TBEl.net
ブッダは魔法使い・超能力者じゃない。

329:神も仏も名無しさん
19/04/12 21:23:37.90 4HNNTwjv.net
なんだか仏陀って奴隷なの?

330:神も仏も名無しさん
19/04/13 18:59:56.54 L9qYP8dx.net
>>314 そりゃ見惑思惑ありますよ。

331:神も仏も名無しさん
19/04/13 23:20:02.51 L9qYP8dx.net
>>316 大乗も小乗もすべて釈迦牟尼御一人が説かれた教えです。

332:桃太郎
19/04/14 00:38:42.48 zhDmIzIc.net
>>312
>仏教は人を救う事を必ずしも必要としない。
それは仏教ではなく、あなたの自説だと思います。
「人を救わずとも良い」なんて、どの経典に書いてあるの?
> >>813
> やっぱ小乗の人って我さえよければいいっていうのは本当なんだね。
本当です。自他共にそれを認めているから確定です。
だから「小乗経」というのです。
「救われない教え」それが「小乗経」なのです。
散々大乗経で叩かれてきた所以です。
なぜそうなのか?難しく考えなくても、普通に考えればわかることです。
自利に執着して他者を顧みる事を否定しいるわけですから、完全なる自己中です。
自身が悟りを得なければ、人を救えないって、出家もせず、世俗のまま、わずか数十年で仏の悟りを得られる訳がない。
じゃ、いつになったら人を救える境涯になるの?
彼らは「泳げないのに溺れた人を救えますか」と平気であきれた事を言います。
完全なる思考停止状態です。
例えば、その溺れた人間が「自分の子ども」だとしても、同じように言えるのでしょうか?
究極の無慈悲にしか思えません。
自身が不完全でも、いくらでも人を救う方法はある筈です。
人を救いながら、仏道修行は出来ないのでしょうか?
仮に彼らが「救う」となったところで何にが出来るのでしょうか?具体的な解決策を語れるのか?と言うと何も無いのが実情です。
せいぜい、「瞑想しろ」ぐらいでしょう。なんたって「人を救おうと思った事の無い人間」がいきなり人を救える筈がないのです。
だから、「ナンチャッテ覚者」は永遠に救われないのです。

333:桃太郎
19/04/14 00:39:18.18 zhDmIzIc.net
仏法は「縁起」を説きます。
刻々と変化してやまない、その生命流以外に自分というものはないのです。しかも、その流れは常に他の生命流と「縁起」の関係によって、互いに互いを生じさせている。だから「無我」です。固定的な実体というものではない。
しかし、にもかかわらず厳然として、自分自身という生命流は存在するのです。
この法理から言えることは、自分だけの安穏はなく、他者だけの不幸もない。と言う事です。
もし、この世の人々が自分の安穏のみに執着し、不幸な人を救おうという思いが無くなったなら、この世界は暗黒の世界です。
悪の巣窟です。地獄です。
それが、小乗経を学ぶ人には分から無いらしい。

334:神も仏も名無しさん
19/04/14 08:00:36.53 HMIBLO2O.net
●自分の幸福を無視して他の幸福は考えられません。
●汚れたこころには、自己に対しても他に対しても、何が正しいかを判断できないのです。
●無知な人の世直し行為は危険です。
他人の為は『他人の為』か ー 災難は『主義』が起こす ー
アルボムッレ・スマナサーラ長老
URLリンク(j-theravada.net)

335:神も仏も名無しさん
19/04/14 08:11:21.26 2MprxYOH.net
>>329
選民主義

336:神も仏も名無しさん
19/04/14 08:12:54.61 2MprxYOH.net
俺が教え判断してやる

337:桃太郎
19/04/14 08:16:05.21 zhDmIzIc.net
無関心な人びとを恐れよ
敵を恐れることはない……敵はせいぜいきみを殺すだけだ。
友を恐れることはない……友はせいぜいきみを裏切るだけだ。
無関心な人びとを恐れよ……かれらは殺しも裏切りもしない。
だが、無関心な人びとの沈黙の同意があればこそ、地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。
(ヤセンスキー『無関心な人たちの共謀』工藤幸雄 訳)

人を救うと言うことは、人を不幸にする因を取り除くことです。
人々に希望を与え、悪と戦う。それが真の菩薩の姿であり仏法者のあり方です。
人々の不幸を目の前にして、ひたすら自身の幸福を願う。
その結果が、自身の最大の不幸であることに気づかない。
両隣の家が火事になっていても私には関係ないと言っているようなものだ。
地球号に乗っているのに、世界でどのような不幸や惨事があろうとも
一切関知せず、ひたすら自身の幸福を願う。
仏法ではこのような人間は必ず地獄に墜ちると説かれてある。
南岳大師の云く「諸の悪人と倶に地獄に堕ちん」云云、
謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし

338:桃太郎
19/04/14 08:27:07.98 zhDmIzIc.net
>●無知な人の世直し行為は危険です。
世直しなんて大げさなことではなく、小さな事でいいから人を救えるよう勉強してください。
せめて、溺れる人に浮き輪を投げてあげるぐらいの智慧はあるでしょう。
それが出来ないのであれば、スマナサーラ長老ってどんだけ無智なのかと言うことになりますよ。

339:神も仏も名無しさん
19/04/14 08:38:19.60 HMIBLO2O.net
>>333
リンク先を読んでみて下さい。
貪瞋痴がある人間には正しい判断は難しい。
浮き輪を投げたつもりが包丁を投げてしまったという事もあるでしょう。
「あなたのためです」といってその人のためにならない事をする場合もあるでしょう。
だからまず自分の貪瞋痴をなくしなさい、とブッダは説かれた。

340:神も仏も名無しさん
19/04/14 08:46:21.02 Em/o98F2.net
「火が出てる、何故だ、誰かが火の不始末をしたか、それとも電気コードか、
いずれにせよ原因がわかったらただじゃおかない、ふざけるな
ちくしょう、俺は賢いんだこんな火はすぐに消してやる
俺が居なかったら大火事になっていたはずだ
みんな俺に感謝しやがれよ、まったく」
彼は水と間違えてガソリンを撒いてしまった
みたいなことか

341:桃太郎
19/04/14 09:50:33.04 XU86jIMD.net
>自分の貪瞋痴をなくしなさい、とブッダは説かれた。
だから、それが大きな勘違いというのです。
それは、「煩悩を断ぜよ」「無明を断ぜよ」といった事でしょ。
それは釈尊の「随他意」の教えであり、機根が成熟していないの衆生のために説かれた方便ですよ。
低い教えなのです。だから小乗教というのです。
煩悩を断ずる事は不可能です。
人間として生きていけません。普通に考えれば分かること。
釈尊はそんな不合理な教えを私たちに強要しているのではありません。

342:桃太郎
19/04/14 12:18:04.05 XU86jIMD.net
>貪瞋痴がある人間には正しい判断は難しい。
そんなことを言ってたら、誰一人「人を救ってはならない」という事になるじゃないですか。
あるいは、出家者は「人を救ってはならない」が在家の者ならかまわんよ?なんておかしな話でしょ。
>彼は水と間違えてガソリンを撒いてしまった
仏教を学ぶとそこまでバカになるのでしょうか?
よっぽど、在家の人がまともにみえるのですが。(笑
世の中には自分の危険をも顧みず人を救おうとする方々がいる。
仏法は知らないけれど、人々の救済のために人生を賭ける人もいる。
けれども、小乗教の信者はそうした尊い人々を上から見下し、「人を救うなど、君ら一般人が勝手にすればよい」と
傲慢な姿勢をとる。それは決して仏法者の姿ではない。

343:神も仏も名無しさん
19/04/14 12:38:30.37 y/F2NLB4.net
人類の発展の為だと思っていた科学の発達によって原爆、原発事故、公害問題、環境ホルモン、資源の枯渇、食料問題、ゴミ問題、水質汚染など、人類の存続の危機になってますが。
人間は賢いと思っている人こそ愚か。
だからこそブッダは解脱しなさいとおっしゃる。この世は暗黒に包まれているのだから。
解脱するためには貪瞋痴をなくさなければいけない。

344:神も仏も名無しさん
19/04/14 12:44:55.60 y/F2NLB4.net
174 、 この世の中は暗黒である。ここではっきりと(ことわりを)見分ける人は少ない。網から離れた鳥のように、天に至る人は少ない。

345:神も仏も名無しさん
19/04/14 13:27:58.54 27GMlATC.net
>>337
それはチェリーピッキングです
全体の文意がわかりませんか?

346:神も仏も名無しさん
19/04/14 13:44:31.07 M2GNQG7E.net
対立概念を生みだして、正義の戦いを繰り広げるのは
ぜんぶ執着による。
その人個人の頭のなかに対立がある。
巻き込まれないようにした方がよい。

347:神も仏も名無しさん
19/04/14 13:46:24.30 M2GNQG7E.net
善への執着は、悪を必要とする。
従って善のために戦い、他者を裁く者は常に悪を生みだす。
これは宗教的な対立に限らず、日常のすべてに共通して言えること。
だからこそ善悪(への執着)を捨てよと説かれたのだと思う。

348:神も仏も名無しさん
19/04/14 13:47:55.29 2MprxYOH.net
>>334
浮き輪と包丁の区別ぐらいつくわい
助けようと不器用に悪戦苦闘する人々を高邁に馬鹿にするな

349:神も仏も名無しさん
19/04/14 13:53:34.48 M2GNQG7E.net
問題は、問題がおきている次元にいたままでは解決できない。
巻き込まれる。
しかし自分の次元(視点、視座)があがれば、問題そのものが
なかったことに気づくのだと思う。
問題が問題でなくなる視点を教えてあげることもできる。
それが本当の根本的な問題解決ではなかろうか。
問題の起きている次元に留まって、問題と戦うというのは
輪廻の世界で輪廻し続けるだけ。

350:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:21:23.05 27GMlATC.net
物体の浮き輪と包丁を間違える人は居ない
だからそのままの意味として捉えることは出来ない
じゃあ何の話か
別の次元ではトンジンチのせいで盲目になりそれをやってしまう人が多い
という話にしか読めないんだけどな…
俺アスペかなw

351:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:24:19.14 27GMlATC.net
心の次元で間違いが起きれば、目に見える物質の世界でも
こんなはずじゃなかったのにということが起きてくる
ここにまたトンジンチが働いて目を塞いでしまう
同じ過ちを繰り返す

352:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:32:25.83 GBn9hqep.net
>>335 自分は何もしたくないから(めんどくさいから)あれこれ理由をつけて逃げてるだけにしか見えないよ。
それが仏教だと言うなら、誰も信じないよ、利己主義者以外は。

353:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:35:20.80 M2GNQG7E.net
小乗仏教なんてないよ。
それを判断する人の判断の尺度で大小、優劣、善悪、上下が生みだされてるだけじゃないかな。
そういうのは、その当人の中にしかない。

354:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:37:56.17 27GMlATC.net
>>347
はい、読めてない失格
俺自身は大乗的だし、不完全でも助け合うのが人間だと思ってるからね

355:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:38:40.61 M2GNQG7E.net
善(である自分)への執着を元に、悪を捏造して叩く。
その行為を通じて善なる自己への執着を充たしているんじゃないかな。
大乗を自称しながら、実際にやってることはそういうことっていう例はかなり多いと思う。
本当に大乗やりたいなら、智慧がないと無理と思う。

356:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:40:55.34 M2GNQG7E.net
上座部の出家比丘で、戒律と瞑想を教えて人々の苦しみを取り去っている場合。
大乗仏教を自認している在家仏教者で、上記の人々を小乗といって蔑む場合。
どっちが望ましいですかね。

357:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:41:43.95 27GMlATC.net
上座部の人はどう見るかわからないが
人はふと我に返るということがある
そして無我夢中で事をなす
そこにトンジンチがある場合もあるし、ない場合もある
勇気ある行動なんていってメディアが持ち上げるような場合
本人はキョトンとしていたり、そんな大層なことをしたつもりもなかったりする
持続しなくてもふと我が落ちることって人はあると思うんだよね

358:神も仏も名無しさん
19/04/14 16:44:06.38 GBn9hqep.net
>>351 イエスへの信仰で世の中を良くしていっているキリスト者の方がいいんじゃない?

359:神も仏も名無しさん
19/04/14 17:24:21.32 17OvOmyL.net
仏陀の教えを正確に受け継いでる宗教(宗派)はありますか?

360:神も仏も名無しさん
19/04/14 17:27:38.53 27GMlATC.net
日本はナムアミダブツが多いし
日本人は人生一度きり
つまらん思いを輪廻させること自体、日本人としては「残念な人」でしょう
キリスト教だと賛美歌歌ったり信仰告白したり聖書購読したりするが
日本人は二礼二拍一礼だけで神と繫がるから
日本はそういう文化
「ふと我に返る」というようなことは案外高度なことなんじゃないのかと思ってるんだ
上座部を小乗とか蔑むことではないと思うし
悟りを目指すことは尊いと思う
けど背景の文化が違うから、小乗に見えてしまうことは思い出しても良いと思うし
上座部での悟りの貴重な経験を持った人たちから
日本文化の特質をより上手く働かせる智慧が生まれないものだろうか
と思うんだな

361:神も仏も名無しさん
19/04/14 17:39:41.39 GBn9hqep.net
>>355 日本の低俗な神信心とキリスト教のGodと仏教を混同している。
淫祠邪教と世界宗教を同列に置くな。

362:神も仏も名無しさん
19/04/14 17:59:09.00 M2GNQG7E.net
>>353
善行は此岸だけど、解脱は彼岸だから、そこの違いを分かってるか
どうかにもよるんじゃないかなぁ。

363:神も仏も名無しさん
19/04/14 18:03:49.59 M2GNQG7E.net
例えば政治問題は、人類の歴史を振り返ってみてもなくならないでしょう。
個別の問題をいくら解決しても、人間自身が政治を生みだしているのだから
人間の心(ものの見方・考え方)が変わらない限り、終わりはないはずです。
一方、個々の人間に智慧が備われば、問題自体が生まれなくなります。
理論上はそのはずです。
本質的に問題を解決するのは、後者の道だと思いますけどね。

364:神も仏も名無しさん
19/04/14 18:12:43.22 M2GNQG7E.net
善。
社会貢献や他者の役に立つことは、此岸の価値観においては素晴らしい
ことですけれども、それはあくまで六道における善悪のゲームのなかでの
話ですよね。
それは同時に自己正当化、自己保全、自我執着を正当化するための言い訳、
自我を覆い隠す隠れ蓑として、これほど強力なものも他にないんじゃないか
とも思います。
まず自我執着を手放して、それでもなお社会貢献のために尽力するのであ
れば、その時は本当に智慧と慈悲の表れとして大乗の道を歩めるのでは
ありませんかね。
多分ですけど。

365:神も仏も名無しさん
19/04/14 18:14:18.30 M2GNQG7E.net
特に善なる自分が悪である他者を裁く、というような


366:状態になっている場合、 それはエゴに囚われている時の反応でしょ。



367:神も仏も名無しさん
19/04/14 18:20:19.53 yd2GRANQ.net
まずは執着を捨てるために所有の概念を捨てなければならない。
スマホとかパソコンとかは所有してはならない。
悟りを得るためには無所有であれと釈尊は説いた。

368:神も仏も名無しさん
19/04/14 19:31:12.92 8Eio1j8I.net
金は天下のまわりもの


369:



370:神も仏も名無しさん
19/04/14 19:50:21.95 Q3MbxH1U.net
スッタニパータ ダニヤの章と、ダンマパダ 愛品
を読み直したら良いと思うよ。  >>ALL

371:神も仏も名無しさん
19/04/14 19:52:16.51 Q3MbxH1U.net
また、同時に、
裁判員制度で選ばれた際、
 『自分が他者の刑の軽重を決める』 ことになる、
ということも、頭の隅に容れてみるといい。

372:神も仏も名無しさん
19/04/14 19:54:35.65 Q3MbxH1U.net
世俗と悟り、
世間と出世間の区別を嫌う人種もいるけれども、
この分別無しに仏教は成立しない、と断言し得るんじゃねーかな、
と、個人的には思っている。

これを、混ぜて考えている人間こそ愚者じゃねーか? と。

373:神も仏も名無しさん
19/04/14 21:30:14.74 aqcVph0d.net
>>354
中国経由で大乗が先に来ちゃったからね
おかげでお釈迦様を否定して他の神仏を持ち上げて布教する宗派もある始末。
お釈迦様の教えに近いのは上座部だろうね。
ただ、仏教が悟りを目指すものだとすれば、手段は色々あってもいいと思う。
キリスト教で悟る人もいるみたいだし、人それぞれのルートがあるんだろう。
自分はお釈迦様の説いた方法に惹かれるけどね。

374:神も仏も名無しさん
19/04/15 00:34:21.87 7APFj24O.net
>>354
ありません

375:桃太郎
19/04/15 01:22:40.67 MdtEy9hM.net
>>340
>それはチェリーピッキングです
それは>>338 のような事を言う人を指すのです。
「泳げないのに溺れた人は助けられますか?」とかいう呆れた(人を救う事を放棄した)主張に対し
「泳げなくても、救う智慧や手立てはいくらでもある」と言うごく当たり前の主張を覆すために
大げさに「科学の発展」を「公害」に結びつけて、自己主張を正当化しようとしているのですから。
科学の発展が直接「公害」を生むのではない、
公害は人間の正しき生命観の欠如から起こるものです。
すなわち人間側の問題です。
科学や文化が発展するのは、歴史の流れです。当たり前の事です。これを否定する方がおかしい。
その出発点は人々の幸福の為です。ただそれらに携わる人々の中に、「他者を不幸を顧みず自分の利益、幸福に執着する」人間が悪を生み出す要因となっているのです。
「他者の不幸を顧みない」「自身の安穏(解脱)に執着し社会悪に無関心である」
その結果、どうなるか? >>332に書いた通りです。
この人間に内在する「根本悪」を克服するために仏法の智慧は存在するのです。
ゆえに仏法の生命尊厳の哲学を基調とした医療、科学、政治を展開していく事により公害は防いでいけるのです。

376:桃太郎
19/04/15 01:39:48.05 MdtEy9hM.net
>善行は此岸だけど、解脱は彼岸だから、
>あくまで六道における善悪のゲーム
>それは同時に自己正当化、自己保全、自我執着を正当化するための言い訳、
>世間と出世間の区別を嫌う人種もいるけれども、この分別無しに仏教は成立しない、
こういう意見を見ていると、つくづく上座部仏教って「小乗教」に相応しい教えだと思う。
「自我執着」というけれど、一番自我執着しているのは彼ら自身だとなぜ気付かないのか分からない。
世間と出世間の区別はバラモン教の流れを汲む選民意識であるし、「一切衆生皆平等」である釈尊の教えから
大きくズレている。
「苦しんでいる人を救いたい」という生命の尊く美しき心の発動を
「自我執着を正当化するための言い訳」と貶し、「六道における善悪のゲーム」と高見から見下す。
こうした考えが本当に釈尊の教えだろうか?
私はまったく正反対だと思う。

377:神も仏も名無しさん
19/04/15 02:01:05.32 6kpDtZf+.net
>>369
ここに何しに来たの?

378:神も仏も名無しさん
19/04/15 06:39:02.12 sHoNgnq1.net
出世間は解脱の境地そのものだから、仏教は出世間を目指す教えと言える。
そして解脱の境地は「なすべきことをなし終えた」状態であるから、他者、社会をどうにかしなきゃいけないという思いはもう無い。
慈悲のために真理を説く事はするが、それに執着する事もない。
慈経では、慈悲の心を育てなさい、そうすれば解脱に達すると説かれている。
慈悲の行動をしなさいとは説かれていない。他者を救済しなさいとも説かれていない。
他人に真理を説きなさいとは説かれている。その場合はまず自分が解脱し、他人を解脱に導きなさいという事。
ダンマパダでは「先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むひとが無いであろう。」と説かれている。
だから仏道修行をするような人は、社会活動、ボランティア活動、布教活動に時間を取られて、自分の実践がおろそかになってはいけない。
まず自分が解脱する事が第一。のちに他者に対して活動することはあるが、もうその時には世間の一切に対して執着は無くなっているはず。
世間がムチャクチャで暗黒であるのは当たり前で、そんなものは捨ててさっさと解脱しなさいよと思っているはず。

379:神も仏も名無しさん
19/04/15 06:53:32.53 VSLfEu2P.net
はずとかではなく
断言して生きるなら
私がそれを経験する

380:神も仏も名無しさん
19/04/15 08:22:14.00 sHoNgnq1.net
そうだね。
まず自分が実践し、解脱することが大切。

381:桃太郎
19/04/15 08:56:05.98 t5OpN6dn.net
>ここに何しに来たの?
君たちの仏教観に大いに疑問を持つゆえに議論をしている。
それが何か問題でも?
言論の自由でしょ。(笑
5chは自由な対話の場なんだし。

382:桃太郎
19/04/15 09:38:49.22 t5OpN6dn.net
>>371
清々しい程に究極の自己中だね。(笑
ここまで徹底していると、呆れるの次元を超えているというか..。
>解脱の境地は「なすべきことをなし終えた」状態であるから、他者、社会をどうにかしなきゃいけないという思いはもう無い。
でしょー。(笑
だったら、「泳げないのに溺れた人は助けられますか?」と言う主張は偽善じゃないですか。
「泳げるようになっても、助ける気はない」という訳ですから。
>だから仏道修行をするような人は、社会活動、ボランティア活動、布教活動に時間を取られて、自分の実践がおろそかになってはいけない。
うーん。どーして、それが大いなる間違いだと何故気付かないのかな。
本当に困ったちゃん達ばかりだね。(笑
実際問題、あなたは出家して仏道修行しているの?
やってないでしょ。それを単なる観念論というのです。
人は一人では生きられない。「縁起」を理解すれば分かることです。
私達は多くの人々に支えられて自分の存在がある事を忘れてはならない。
その恩を報じて行く事は仏法者としての使命です。この世の不幸に目をつぶり、無関心の姿勢でいることは仏法者の在り方ではありません。
仏教では不知恩は地獄の業因と説かれてある。
そもそも輪廻解脱の考えそのものが、小乗教の大いなる間違いなのです。
生命は永遠であり、必ず次の世に自身の業に因って生を結ぶのです。
そして、小乗教はこの世を穢れた世界として忌み嫌うのですが、
この世界を穢れた苦悩の世界にするか、常楽我浄の世界にするかはそこに住む人間の生命境涯によって変わってくるのです。
それを「依正不二」と言うのです。
こうした泥水のような苦悩の世界で仏道修行に励み、法を広め、人々の中に仏種をまき、
生命尊厳の仏法を基調とした社会をつくるという闘争のなかで、自身の生命に内在する仏の生命を輝かせて行くことが出来るのです。
そのことを法華経は説いているのです。「如蓮華在水」という意味はそういうことなんです。
だからこそ、この世の不幸や人々の苦しみから目を逸らしてはならないのです。
この娑婆世界以外に安穏の別世界が存在する訳ではないのです。
当然、極楽浄土なんて架空の世界も存在しません。

383:神も仏も名無しさん
19/04/15 09:48:13.91 6kpDtZf+.net
んー。
NGでいいかな。

384:神も仏も名無しさん
19/04/15 10:36:27.90 tioFqYfW.net
上座部は人助けをしないわけじゃなくて、
自ら修行しないと悟れない、救われないよってだけでしょ。
お釈迦様も周りの人に対して母が子を慈しむように愛せって言ってる。
周りを助けることを否定してはいないし、それはお釈迦様が
前世で自分の身を呈してでも他の生き物を生かしてきたことと矛盾する。
ただそれでも仏教は上の人が期待するような救世主育成プログラムじゃなく、
個人個人が解脱する方法を説いたものだと思う。
禅宗なんかは座禅の方法は違くても中身は初期仏教に近いものをかんじるけど、
他の大乗は仏教名乗るのやめた方が混乱がなくていいんじゃないかと思う。

385:神も仏も名無しさん
19/04/15 11:05:59.58 7APFj24O.net
スマナサーラ長老法話
悪い仲間に染まってはいけないと言われるが、自分にしっかり芯があれば周りも自分を尊重してくれる。
他人が自分にどんな態度をとっても、まず自分が相手に微笑みかけること。
その時は自分が楽しいんです。そうすれば周りが自分に微笑んでくれます。
自分自身がともしび(灯火)になっていれば、周りがいくら暗くたって構わないんです。
自分を直すとは、すべてを治すことです。
「自分を直せ、それで世界を治すことになる」ということです。
邪教の人々はまず他を救うべきと言いました。
しかし彼らは意味が分かっていなかったんです。
結局、救済のためと言って無数の人々を殺してまわった。
一切衆生を救うのではない、大きなお世話です。
自分が心の安らぎを得られれば、周りの人々も心の安らぎを得られるのです。
仏教は灯火(ともしび)のたとえを使っています。
自分自身が心の安らぎに住していれば、それで充分です。お父さんが落ち着いていれば、子供達も落ち着くんです。
学校などで道徳のお説教をするのは、失敗しているからです。
誰も実践していないのに、他人に道徳を押し付ける。
仏教では、良い事であるなら、まず自分が実践してから、他に勧めなさいと言っている。

386:神も仏も名無しさん
19/04/15 11:17:39.77 FAHPA8vR.net
>>375
そうかそうか


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