--佛教論議の伽藍スレ-- 第四巻at PSY
--佛教論議の伽藍スレ-- 第四巻 - 暇つぶし2ch861:神も仏も名無しさん
19/04/17 22:05:41.60 riwc1YcV.net
>>860
>実践的にやっている人のレスは、どんなものでも参考になるね
↓のスレの方があなたには向いていると思う。
マインドフルネス瞑想 ・
スレリンク(body板)
【悟り】マインドフルネス瞑想法 【霊覚】<No.2> ・
スレリンク(spiritual板)

862:854
19/04/18 18:58:16.00 1vRJEOnU.net
>>860
これは自分ではない、というのは、自分がいる、という感覚を手放す目的のために
使っていた感じですね。自分の場合。
クセで観照者などを意識して、自分がいる、という感覚が出たときにやったりしていました
> ありがとう
こちらこそ、ありがとうございました
お話ができたことで、良い刺激になりました

863:宝珠真範@迦楼羅
19/04/23 11:14:53.01 dSqMqTez.net
投稿がかなり遅れました...。
度々、こういうことがあるので、何卒ご了承を願います。
>>848-857
「無我」についての議論は最近もしたばかりであり、そして、すでに論決しています。
どうかこれまでの投稿を遡って読まれますようお勧め致します。
読めば、頑なに“伝統という迷信”に固執を続けて仏典の記述に従わない伝統仏教と
その信奉者たちの姿がよりハッキリと浮き彫りになっていることが分かるかと思います。
『バガバッドギターのアートマン
 ここでいうアートマンは、彼らにとって本当の自我という意味であり、生まれず、死なず、
変化も何もしない状態のもので、私たちが無為、あるいは涅槃と呼ぶものと同じ状態です。』
 URLリンク(buddhadasa.hahaue.com)
さすがはプッタタート比丘、なかなかイイことをいう!
この方は、「涅槃をアートマンと呼んでも良いのだが、仏教では人格化を避けてこの表現を使わないのだ」
と語ったともされているので、やはり、同じテーラワーダ長老でもその理解度はケタ違いのようです。
>この人の涅槃の定義は、少し特殊かもしれませんが
その辺については、
つまり、間違った伝統(迷信)を信じ続ける大多数の伝統教団と、
真実に気付いている極少数派との違いだろうと思います。

864:宝珠真範@迦楼羅
19/04/23 11:25:38.30 dSqMqTez.net
>>844
いやいや..
そんな勝手に勝利宣言のような投稿しないでもらえます?
実際、一体どちらが“愚劣”かをこの私が明確にしますから!
>>845
もちろん、空想世界でのSFアニメのような存在ではないけれども、
しかし、あなたが方が考えているような“ただ頭のイイだけの哲人にして性格の優れた道徳人”
といったものがブッダなどではないですから!
あなたのような理解じゃ~伝統教団からだって笑われてしまいますよ!!
(まっ、何割かの禅僧レベルの支持は得られても、テーラワーダ及びその他の大乗からは総スカンでしょう!)
>>843
>衆生を直接救うためには、
>医学を極め、教員免許も取得し、特殊車両の免許もとり、
>化学薬学の知識も学び、建築設計の知識も供え、--略--
しかし、ホントに...
性格の悪いイヤミだよなぁ~コレは禅僧特有のか?(苦笑)
別に、誰もそんなことは言ってないから。
困っている人に自分の出来る範囲で手援けするという“善意(善行)”のことをいってる。
それを否定する仏教などは何処にもないから!

865:宝珠真範@迦楼羅
19/04/23 11:27:53.52 dSqMqTez.net
>>842
素晴らしい投稿をありがとうございました。
空海のそれは苦しむ貧しい大衆の中へと自ら入っていき、人々と一緒に汗を流したからこその名声であり、
それが広く宗派を超え約千二百年の時を経ても「お大師さま」と親しまれている所以だと思います。
ただひたすら密教寺院に立て篭もって、大衆にはとても理解のできない密教の最奥秘教の構築を云々...
なんてだけだったならば、決してそれはなかったでしょう。
確かに、
空海の場合には希に見る超天才だったのでしょうけれど、
しかし、だからといって、>>843のようなイヤミをいう何ものもないから!
我々にはそれと同じことができないによせ、>>842の姿は大師が示した見習うべきお手本であり、
そして、称賛すべき理想の姿だということ。

866:宝珠真範@迦楼羅
19/04/23 11:28:58.09 dSqMqTez.net
>>832
彼らキリスト教徒の意識レベルの高さの理由とは、
この日本でクリスチャンとして生きるには、
周囲からの嘲笑とキワモノ扱いを生涯において受け続ける自覚とその信仰を貫く強い覚悟が必要となるからです。
だから、生半可な想いではとてもできないことです。
彼らは常に、自分のことを「イエス様が見ている」、「こういう時にはイエス様ならば何て言うだろうか?」と、
自問自答しながら暮らしているのです。そして、聖書を片時も離さずに読んでいる。
その言葉を守ろうと努めている。だから、とても彼の心は清められているのです。
ところが日本の平均的仏教徒らというのは、
経典を読まないし読んでない。読んでもその教えなどは守らない。
その一つの理由としては、クリスチャンが教えに魅かれて入信するのに対して、
日本の平均的仏教徒というのは、その多くが遺骨をお祀りすることを目的にしているだけで、
仏教の教えに魅かれたから寺院に関わっているわけではないといった檀信徒がその大半を占めているからです。
そして、僧侶においても世襲が多いこともあってか、経典(教え)を読まない教えを守らない者がとても多いし、
教理の誤解からか唯物主義者も多い。また、単なる会社勤め的な職業感覚で寺院の収益を見ているだけといった僧侶も多い。
仏教の派によっては、ブッダ釈尊を見下し、単なる宗祖レベルの弟子に過ぎない人物をブッダよりも上位としたり、
ブッダが唯物論を教えたものと大真面目に考える僧侶が寺院にいたりするという、
こんな愚かしい宗教は世界広しといえども仏教界の他にはありません。

867:宝珠真範@迦楼羅
19/04/23 11:30:24.00 dSqMqTez.net
>>840
ご説明の全体的な内容は私も周知しています。
しかし、それでも「放置しておけ!」という教えは仏教にはない。
また、常連の七などは僧侶でありながら六道輪廻の転生を信じずに語っている...。
立ち去った承狂も元僧侶でありながら同じく信じてない。
そういう意味においては六道輪廻からの解脱を理由として果て嵌らない僧侶も多い。
>現代人は輪廻転生なんてないと信じているので、
もう少し、このことについて正確に述べると、
「日本人の国民性調査」や朝日新聞による世論調査などではかなり明確なデータは出ており、
神仏の存在について肯定的に解答したのは全体の約81%、死後の世界については70%でした。
そして、死後の世界をあるとハッキリ解答する人は44%おり、
更には、人間は死後に生まれ変わると信じる人は(調査により)29.8%~35%いるということ。
この転生を信じる30%前後の人というのも、実際には、これしかいないことを示すものではなくて、
転生についての正しい理解と情報を知るならば、死後の世界を信じる人からのもっと多くの支持があると見ていいでしょう。
 URLリンク(www.ism.ac.jp)
 URLリンク(blog.livedoor.jp)
 URLリンク(www.circam.jp)

868:宝珠真範@迦楼羅
19/04/23 11:34:17.48 dSqMqTez.net
~正直いって、
一部の有名寺院では巨大伽藍の中で数百万もの煌びやかな衣を纏って暮らし、
高額な設定料金(これも布施の扱いだが...)にて巨額の布施を集めては私腹を肥やし続け、
信者から頂いた大切な浄財を資金運用と称してPCで株式ゲーム。挙句の果てには何億もすられて裁判沙汰...。
そして、高僧たちは互いに派閥をつくっては権力闘争を...。
中でも「真言宗」は、密教法具一式と内陣の豪華さで際立ってる印象を受けるし、
成田山などは特に“金権イメージ”は強い...。
ここで、二つほど“祝福”のメッセージが届ているのでご紹介します。
神智学系グループが提供するすでに降臨されているMaitreyaからのものと、
もう一つは、神智学グループからも本物のアヴァター(覚者である5段階以上のイニシエート)の一人として認定されている
ラーマ・クリシュナの一番弟子、スワミ・ヴィヴェーカーナンダからの言葉です。

869:宝珠真範@迦楼羅
19/04/23 11:35:36.42 dSqMqTez.net
 『政治家は戸惑う、なぜならイデオロギーを持つ人々をコントロールすることができないからである。しかし最も権力にしがみつく
者たちは、「天国への道はただ一つしかない」と信じている宗教的権威者である。しかもこれら宗教指導者たちはどんな生活の仕方を
しているか。彼らの生活様式はどんなものか。おそらく王様のようであろう ― 宮殿やジェット機や防弾ガラスを備えた車など。
 クリシュナは掘立て小屋に住まわれた。これが本当の神聖である。今日も同様に、サイ・ババ(インドにおける比類のない霊的教師)
は小さな部屋の簡素なベッドに寝る。真のメッセンジャー(使者)とは、地上で人々と共に働き、人々と共に食べ、人々を癒し、助け
る者である。その他の者たちはイエスの模範から外れてしまった。
 宗教の指導者たちは「これまで彼らがやりたくなかったことを、今度はしなければならなくなるだろう」とMaitreyaは言われる。
彼らはやがて自分たちの城を出て、より簡素な環境の中に住むようになるだろう。なぜなら簡素ということは「心の裡にある主と共に
いる」ための重要な要素であるから。』
 (ベンジャミン・クレーム監修『いのちの法則』1988年4月~“Maitreyaの言葉”/シェア・ジャパン出版)

870:宝珠真範@迦楼羅
19/04/23 11:41:49.64 dSqMqTez.net
 『世俗の仕事というものはない。すべての仕事は宗教であり礼拝である。
 もし君が君自身の救済を求めるなら、君は地獄へ行くだろう。君が求めなければならないのは他者の救済だ。そして、もし君が他者
のために働いて地獄に行かなければならないとしても、それは自分の救済を願って天国に行くよりも価値がある。
 幾百万が飢えと無知の中で死んでいる間は、それらの人びとに代償を払わせて教育を受けていながら、そのような境遇を強いられた
人びとに一顧も与えぬ連中のひとり、ひとりを、私は裏切り者とみなす。わが国にたとえ一匹の犬でもが食べものが無くている間は、
私の宗教はそれを食べさせることだ。
 神を求めて君はどこに行くのか。貧しい人々、不幸な人々、弱い人々は神ではないのか。まず彼らを拝めばよいではないか。なぜ、
ガンガーの岸で井戸を掘ろうなどとするのか。この人々を君の神としたまえ---彼らのことを思い、彼らのために働き、彼らのために絶
えず祈れ---主が道をお示しになるだろう。』
 (スワミ・ヴィヴェーカーナンダ語録『霊性の師たちの生涯』日本ヴェーダーンタ協会)

871:宝珠真範@迦楼羅
19/04/23 11:44:18.41 dSqMqTez.net
>>813
>もし、本気で、『他者を救える』と思っているとしたら、
>宝珠や在家並みのお花畑と言わざるを得ない。
ほほ~う!!
もしも、これを“お花畑”だといってるんだったら豆腐の角に頭でもぶつけてこい!!
この地上で餓死する人々が大勢いるのは、単に自称先進国が貪欲によって資源と食料を独占している結果に過ぎないということ。
だから、正しく分配されるならばただの一人も餓死する者は出ない。
従って、これは人類が達成しなければならない当然のものです。
それは実に簡単なことであって、
世界の先進国の各国政府が動くだけのこと。
しかし、そのためには当然、世界国の全国民の理解と支持が必要です。
この情報を伝えるのはその理由によります。

872:宝珠真範@迦楼羅
19/04/23 11:45:21.31 dSqMqTez.net
人間としてしなければならない当然のことに対して、
これを不可能なお花畑の話だと嘲笑したり、無視と無関心を示すのが仏教などという話は何処にもない!
>世界人類は今、大変な危機の中にいる。
>世界の工業先進国が天然資源の3/4を消費し、世界貿易の80%を支配し、工業技術と科学的研究成果の殆ど100%を独占している。
>それにもかかわらず、先進工業国に生活している人々は全世界の人工の1/4にも満たない。
>他の3/4の人々はその残りもので、何とかやっていかなければならない。
>こうして、数千万の人間が貧困の中で飢え死にしている傍らで、
>金持ちは金銀紙幣を見せびらかし、先進国の庶民らはポケモンGoで遊んでいる。
>この人間としての尊厳、その霊性を踏みにじるような冷淡な行為によって第三諸国との間には埋められない不均衡が生じた。
>そして、それが紛争とテロの原因にも繋がっている...。
>無実の子供たちが戦場で銃を持たされ、少女たちは身カラダを男たちへと売られている。
 ---中略--
>なのでこれは、
>地球人類からすべての戦争を止め、国家や人種や宗教間の違いを超えて全人類が互いに兄弟姉妹として認め合い、
>貪欲にもとづいた資本主義競争の狂気から目覚めて、互いに分かち合って飢餓貧困を終焉させること。
>地球人類すべてが同じ兄弟姉妹として、互いに愛し合うこと。そして、共に幸せに暮らすべきであるという訴えです。
>その「(Maitreyaからの)呼掛けにみんなで応えよう!」ということをこのグループは伝えている。
>もちろん、それは個人の我欲というものが破滅的なものであることを教えるものですよ。>>346-347

873:宝珠真範@迦楼羅
19/04/23 11:51:16.35 dSqMqTez.net
それから今回、調べてもなかなか分からなかったのですが、
現在の仏教学においては、仏教における社会的な善行(奉仕活動)というのは
“仏教福祉”という名称にて論じられているということが分かりました。
これはもちろん、“仏教が関わるべきことではない”という意味などではなくて、
仏教思想から見ても当然、“社会的な奉仕としての福祉にも取り組まれて然るべきもの”
として見られているということをいっています。
まず、この私が真っ先に思い浮かべるブッダの教えとしての他者に対する善行のエピソードとしては、
元殺人鬼アングリマーラが難産に苦しむ婦人に出逢ったとブッダに報告したところ、
ブッダはアングリマーラに対して、婦人のところへと戻って真実語を唱えて安産を祈るよう指示されたということ。
ブッダは、「おまえのすべき修業は他にある。そんな余計なことでおまえの気がそがれてはいけない」などとは言わなかった。
そうではなくて、婦人を救うべく再度、行ってくるようにと命令したのです。このことを理解するのはとても重要なことです。
もしも、ここでアングリマーラがそんなことをしても無駄であるとか、
自分には関係のないことであるし、ブッダにも煩わしい想いをさせてしまってはならないものと考えこのことを黙っていて、
それが後々バレたとしたならば、まず確実にブッダから大目玉を喰らってガッチリ叱られていたことでしょう。
(「真実語」には体内の毒を除いたり、山火事を鎮めたり、等々の不思議な力があるものと見なされています。
学者は単なる古代の俗信だとしますけれども、しかし、ブッダがいうのだから、間違いなく何かしらの効力があるものとこの私は信じます。
そもそも読経に不思議な効力があると信じられるに至ったのも、“経の言葉それ自体が真実語そのものに他ならない”からです。)

874:宝珠真範@迦楼羅
19/04/23 11:59:36.46 dSqMqTez.net
 『それからというもの、尊者アングリマーラは戒めを守り、清貧に甘んじ、熱心に修行を重ねていきました。そんな折のことです。
尊者がいつものように朝の托鉢のためサーヴァッティーの町に赴くと、一人の女性が難産で苦しんでいるのを見つけました。心痛めた彼はブッダ
のもとに帰ると、あいさつをして片隅に座り、町で見たことをブッダにお話しました。
 「ああ、なんと人々は苦しんでいることでしょう」
それに応えてブッダはこう言われました。
 「アングリマーラ、おん身はもう一度サーヴァッテイにおもむくがよい。おもむいて、その婦人にこのように告げるがよい---婦人よ、わたしは生
まれてこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんことを、と」
 「師よ、それはわたしにとって、知りながら嘘をつくことになりませんでしょうか。師よ、なぜならわたしは故意に多くの人の命を奪いましたから」
 「アングリマーラ、それではおん身はもう一度サーヴァッティにおもむくがよい。おもむいて、その婦人にこのように告げるがよい ---婦人よ、わ
たしは尊い道に志す者として生まれ変わってからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらん
ことを、胎児に安らかさあらんことを、と」
 「師よ、かしこまりました」
尊者はもう一度町に赴くと、師の教えに従って、その婦人にいった。
 「婦人よ、わたしは尊い道に志す者として生まれ変わってからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安
らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんことを」と。
するとその女性の苦しみはおさまり、胎児は安らかに生まれた。
それ以後、尊者アングリマーラはさらに修行を深め、遂にまがうことなき悟りの境地へと達っせられた。』
(『マッジマ・ニカーヤ』第86経/アングリマーラ経)

875:宝珠真範@迦楼羅
19/04/23 12:02:39.22 dSqMqTez.net
仏教の根本教理においては、
“善行による功徳によって転生毎における自己の境地が上がる”ということなのであって、
これ無しで、ただ単に瞑想その他の専門的な修業によって解脱して成仏できるなどということはあり得よう筈がなく、
当然、そのように説いている仏教なるものも存在しないということ。
そのことを示そうとして編纂されたものが、ブッダの過去世(の善行)物語としての『ジャータカ』です。
『ジャータカ』(本生話)は、ブッダの前世における数々の功徳を示した547 話からなり、
ブッダが過去世において、どの様な善行をし、どの様な功徳を積んだから、
この世で仏陀になることができたという因果が語られているのです。
仏陀といえどもこの世で悟りを得るには、この世に生まれてからだけの修行だけでは十分でなく、
前世において、何十回、何百回と生まれ変わる度に様々な善行を積んだ結果であるということ。

876:宝珠真範@迦楼羅
19/04/23 12:05:00.18 dSqMqTez.net
七セブンの主張のようなもの、
つまり、善行を無視して座禅などの専門修業のみで涅槃に至るということ決してあり得ない。
ましてや、(彼は前世を信じないから)今生のみで涅槃に達せられるなどということは不可能です。
当然、そんな教えは仏教には存在しない。
『Dhp.223 怒らないことによって怒りにうち勝て。善いことによって悪いことにうち勝て。わかち合うことによって物惜しみに
うち勝て。真実によって虚言の人にうち勝て。
224 真実を語れ。怒るな。請われたならば、乏しいなかから与えよ。これらの三つの事によって(死後には天の)神々のもと
に至り得るであろう。(中村元訳[1978]p.41)
223. akkodhena jīne kodhaṃ asādhuṃ sādhunā jine, jine kadariyaṃ dānena saccenālikavādinaṃ. /
224. saccam bhaṇe na kujjheyya dajjā appasmi yācito etehi tīhi ṭhānehi gacche devāna santike.(Dhammapada, p.63)
Dhp.376 その行ないが親切であれ。(何ものでも)わかち合え。善いことを実行せよ。そうすれば、喜びにみち、苦悩を滅する
であろう。(中村元訳[1978]p.63)
376. paṭisanthāravutt' assa ācārakusalo siyā, tato pāmojjabahulo dukkhass' antaṃ karissati.(Dhammapada, p.106)
Sn.第三章第五節
青年よ。実にあなたがそのように与え、そのようにささげるならば、多くの福徳を生ずる。誰であろうとも、実に、与える人、
施主であり、寛仁にして、施しの求めに応じ、正しい法によって財を集め、そのあとで、法によって獲得して儲けた財物を、一人
にも与え、さらにつづいては百人にも与え、さらに多くの人にも与える人は、多くの福徳を生ずるのである。
(中村元訳[1984]p.101)

877:宝珠真範@迦楼羅
19/04/23 12:35:49.67 dSqMqTez.net
SN.第一集第一編第四章第二節
「曠野の旅の道づれのごとく、乏しき中よりわかち与える人々は、死せる者どものうちにあって滅びず。これは、永遠の法である。
或る人々は、乏しき中からわかち与え、或る人々は、豊かであっても与えない。乏しき中からわかち与えたならば、〔その施与は〕
千倍にも等しいと量られる。」(中村元訳[1986a]p.49)
SN.第一集第三篇第三章第四節
17 尊師はこのことを説かれた。……師はそのとき次の詩をとなえてくれた。―
「弓術巧みに、体力・勇気のある青年を、国王は、戦のために傭えよ。生れが良いからとて臆病者を傭ってはならぬ。また聡明な
人は、たとい生れは賤しくても、行いが立派で、堪え忍び柔和である性質をしっかりと具えている人を、尊敬してもてなすべきで
ある。楽しい庵を作って、学識多き人を住まわせよ。水のない林には泉をつくり、嶮しいところには通路をつくり、信じ喜ぶ心を
以て、心の真っ直ぐな人々に、食物・飲料・硬い食物・衣服・臥床を与えよ。譬えば、雨雲が電光の花輪をかざし百の尖塔を示し
て雷鳴を轟かし、大地に雨降らし、高いところも低いところも満たすようにし、信仰心あり、学び修めた賢明な人は、食物を用意
して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ。心に喜んで、撒き散らし、『与えよ』『与えよ』と語る。かれは、天が雨降らす
ごとくに、その轟きを発するのである。その豊かな功徳の流れは、施しを与える人に、降り注ぐ。」(中村元訳[1986a]p.212)』
 (『仏教福祉思想の研究』立正大学大学院社会福祉学研究科/吉村 彰著)
 URLリンク(repository.ris.ac.jp)

 以上.

878:神も仏も名無しさん
19/04/23 16:45:29.82 cDmVf9KR.net
宝珠は本当に馬鹿だな。
しかも、
自分は、「云ってもいないことを指摘するな」というくせに、
他人に対してはそれをする。
善行、助けが要らないと、どこの誰が言ったのか?
単に、「餅は餅屋」という話をしているだけなのに。
上の方で、餅屋に大工仕事を頼もうとしている馬鹿が居たから、
それはちょっとおかしいんじゃねーの?と疑義を挟んだだけなのに。 ┐(´ー`)┌
いや、昭和のお父さんの日曜大工じゃないがw、
得意な人好きな人いるだろうし、実際必要に迫られて、皆何かしらやってるだろう。
日曜大工をするなと言っているのではない。
それは、本来は大工の仕事だ、と言っているだけ。
何がおかしいんだろうか?

879:神も仏も名無しさん
19/04/26 23:51:28.10 4b94dj+9.net
>>863
> 「涅槃をアートマンと呼んでも良いのだが、仏教では人格化を避けてこの表現を使わないのだ」
> と語ったともされている
>>857のページでも「あるいはアートマンを苦の終わりと解釈しても構いません」と書かれていますが
「しかしもしそうなら、仙人が説明したものはまだアートマンではありません。
なぜならアートマンがあると捉えることは、まだ苦が残っている証拠だからです」とも続けていますから、
徹底的な無我論のほうが、自分がいなくなって楽になる部分と相性がいいと(プッタタートさんの)
「論客の自我」のところでは判断されているのかと感じました

880:神も仏も名無しさん
19/04/29 04:27:14.78 7nsqMvVT.net
あと2日

881:宝珠真範@迦楼羅
19/04/30 02:06:52.10 AbE9Xmgc.net
偶然、28日朝のNHK-Eテレ『日曜美術館』で「京都の大宇宙-東寺」というのが放送されたのを見ました。
その中で、真言宗十八本山トップら高僧にて東寺灌頂院で厳修される真言宗最高儀式ともいわれる秘儀、
“後七日御修法”の様子を史上初でTVカメラが初めてとらえていました。しかし、よくも撮影を許可したものだと驚かされました...。
それと今更なんですが、東寺内部の立体曼荼羅を構成する各仏像には、どうして、何一つ供物が捧げられていないのか?
燈明一つとて設置されてないのは何故なのか? それから伽藍も仏像も何一つ、修復や色塗りされていなくて、
すべてがただの放置状態に見えることが非常に残念に思います。今は、その一部が東京へと持出されて展示会の最中らしい。
尚、番組の再放送予定は以下の通りです。
【放送局】 NHK総合
【放送日】 5月2日(木)13:05~13:58
【放送局】 Eテレ
【放送日】 5月 5日(日)20:00~20:45 再放送
【放送局】 BS8K
【放送日】 5月 5日(日)19:30~ 再放送
  ※Eテレ放送「日曜美術館」の内容は東京国立博物館「東寺展」の紹介です。
     
東寺 – 世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺
(空海がどうしても伝えたかった、密教。)
 URLリンク(toji.or.jp)
特別展「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」
 URLリンク(toji2019.jp)
東寺/立体曼荼羅の仏像
 URLリンク(i.pinimg.com)


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch