【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15 - 暇つぶし2ch789:神も仏も名無しさん
19/01/27 13:33:25.20 873Y3gbb.net
----以下、>>773の引用続きです----
 つまり、世間諦の三つが形成する現象を、私たちは如実に知見することができずに概念(pannatti)や分別の相(papanca,本書の用語で言えば「物語」)を作り出すのだが、そのうち、人々が「正しい」と慣習的に合意しているものが、「世俗諦」と称されるということである。
例えば「カラスは昆虫だ」と言えば、これは人々からの承認が得られないので、世俗的な意味でも真理(諦)ではないから、単なる「間違い」ということになるわけだ。
 さて、するとテーラワーダの教理では、認知のレベルに実質的には三つの層を認めていることになる。
即ち、凡夫にとっての「現実」である「物語の世界」という、世俗諦の通用する層。
そして、如実知見する者にとっての「現実」である生成消滅する世間諦の層。
最後に、そのような世間の範囲を完全に乗り越えた、不生であり無為である出世間(諦)の層である(10)。
 ならば、このうち「本来性」と呼び得るのはどの層だろう。
もちろん、テーラワーダの教理に即して言えば、心・心所・色・涅槃を勝義であるとするのだから、世間諦と出世間諦の二層が「本来性」に当たることになり、世俗諦の通用する「物語の世界」の層は、それに対する「現実性」であるということになるだろう。
(魚川祐司.仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か―)


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