【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15 - 暇つぶし2ch700:神も仏も名無しさん
19/01/13 14:44:19.94 unHEraI0.net
だいたい一切が虚妄って当たり前だよね
人間死ぬ時には全部捨てなきゃいけない
思い出なんかは幻だしね
自分の人生は何だったのか
夢みたいなもんですよ、はいさようならw

701:神も仏も名無しさん
19/01/13 14:47:23.22 9RQWKMHe.net
解脱していなければ、死んでも業はなくならない。
逃げられない。

702:神も仏も名無しさん
19/01/13 14:48:15.84 9RQWKMHe.net
>>684
少なくとも、自分の想が頭で考える「正しい仏教」なんてものは
ぜんぜん正しくないことは分かってる。

703:神も仏も名無しさん
19/01/13 14:53:31.18 oGqstCrt.net
先入観や思い込みなく今を見るという感じかなあ
四苦八苦など今の状態が苦だと捉えてることが事が妄想だと言ってんじゃないのか
さて、今とはなんだろうか

704:神も仏も名無しさん
19/01/13 14:54:09.66 9RQWKMHe.net
正見は智慧の開発度合いに応じて変わっていくものだろうし
完全に正見が具現化されるのは無学位に悟った時のはず。
それまで自分は悟っていないのだから、厳密な意味での正見
は備わっていない。
その自覚があるかどうか。

705:ポッタン師
19/01/13 15:02:02.09 N66TY5/a.net
690.バカが言う、ことである。大爆笑である。

706:神も仏も名無しさん
19/01/13 15:07:07.49 LA0YahY3.net
私も神の存在を感じてみたいんですが、どんな瞑想やったらいいんでしょうか
神随念やってれば実感わくんでしょうか

707:神も仏も名無しさん
19/01/13 15:07:58.23 LA0YahY3.net
感じるのは証拠にならないと思う。主観だから
客観的な実感が必要だと思う

708:神も仏も名無しさん
19/01/13 15:12:00.13 unHEraI0.net
一切が虚妄だと納得する = 解脱
虚妄じゃないものがあるんじゃないの? = 輪廻
だろうな
虚妄じゃないものを求めて心が彷徨うんだろう、輪廻の中を

709:神も仏も名無しさん
19/01/13 16:26:02.37 9RQWKMHe.net
>>694
やっぱり、それはなんか違うところに入っちゃってるんじゃないか。
仏教は虚無主義じゃないと思う。

710:学術
19/01/13 16:27:03.78 G4qm9l/e.net
神がいるから現れるのは必定。同じ次元にいることはほぼないでしょう。はげめ。

711:学術
19/01/13 16:30:30.78 G4qm9l/e.net
十牛図よんで花見に焼き肉食いに行くんだ。

712:神も仏も名無しさん
19/01/13 16:52:28.92 9RQWKMHe.net
次元が違うんだけど、次元という単語を使うと先入観のフィルターにある
スピ系の印象でもって、反射的に判断されるだろうから、何と言っていいかわからん。
ひたすら面倒くさい。

713:神も仏も名無しさん
19/01/13 17:46:34.66 DIiGtiTE.net
面倒くさかったら黙してたらいいのに
エゴで勝手に書き込んでるだけでしょ

714:神も仏も名無しさん
19/01/14 09:51:11.51 EN51tF3Y.net
走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。─蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

715:神も仏も名無しさん
19/01/14 10:23:25.12 MkPqadoR.net
解脱してないのに、虚妄だと頭で思っているだけで
輪廻がなくなるわけじゃあないのでね。

716:神も仏も名無しさん
19/01/14 10:24:38.35 MkPqadoR.net
本当に預流果だったら、他人にそういう誤解を与えるような物言いをするだろうかね。

717:神も仏も名無しさん
19/01/14 10:51:26.76 EN51tF3Y.net
●夢を見ていながら、これは夢だとはなかなかわからぬ。頬っぺたをつまんでみたら痛い。その痛いのも夢なんじゃ。夢と夢のつきあいだから、夢が夢ともわからぬ。
●現実、現実と言うが、これみな夢である。夢の中での現実でしかない。革命とか戦争とか言うと、ドエライことのように思うておるが、やはり夢の中のモガキである。死んでみれば「夢だったな」とようわかる。それを生きているうちにカタヅカナイのが凡夫というものである。
●一切の差別の世界はみな夢幻空華である。しかしその夢を夢とも知らずに、その夢のなかで大騒ぎをやっておるのがこの現世である。
●凡夫の方からいえば実相は何もない。いや諸法実相の真っ只中において妄想ばかり見て おる。
●なあに世の中に幸福もなければ不幸もない。夢のなかで別嬪に惚れられておるか、振られておるかというだけの違いである。覚めてみると何もない。ああウソだった。
澤木興道

718:神も仏も名無しさん
19/01/14 13:26:22.86 OdcCsAag.net
コピー&ペースト禅

719:神も仏も名無しさん
19/01/14 13:49:42.55 EN51tF3Y.net
坐れば坐るほど澤木老師の言葉は心に響いてくる
坐らないでただ読んでも、これは何でもない言葉だと勘違いする

720:神も仏も名無しさん
19/01/14 15:41:03.98 yqmUn5b4.net
全ての宗教は自分で考えないバカをカモにした詐欺だがその中でも特に仏教は賢ぶった虚言癖バカをターゲットにしている
彼らは息をするように嘘をつく
常に小難しいホラを吹聴しては何かとてつもない秘儀を理解してるかのようにふるまいたがる
その内容が難解であればあるほど仲間内で高レベルであるとみなされるらしく次から次へと際限なく新たなホラが生みだされる
今日も仏教徒という嘘つきホラ吹き達は己のホラのすごさを競い合い「俺は悟った」「私の方が高い境地に到達した」とマウントを取り合う

721:神も仏も名無しさん
19/01/14 15:56:58.33 h1BzVgCh.net
初心者で修行中のものですが、名色分離智が現れているか現れていないかわかりません。
これ現れたらハッキリと分かるものなんでしょうか。
できている気もするし、できていない気もする。

722:神も仏も名無しさん
19/01/14 19:28:09.26 EN51tF3Y.net
自分は名色分離智も何も知らないで瞑想した、後で「あぁ確かにそういう段階もあったな」と確認したけど。
たとえば「自分の右手がある」と漠然と思うのではなくて、
「右手の感覚がある、右手を見る視覚がある、それらから右手があるという認識が生まれている。
物質としての右手、右手自体には触れられない。触れられないがいちおうあるはずだ。
物質としての肉体が違うだけで、生命の心はみんな同じだ。」
という理解があればいちおう名色分離智があることになる。

723:神も仏も名無しさん
19/01/14 20:45:08.58 EN51tF3Y.net
というか十六観智よりも七覚支、八正道を気にした方がいい。
そっちはブッダがオリジナルだから。
喜覚支があるかどうか、精進覚支があるかどうか、正命に気をつけているか、など。

724:神も仏も名無しさん
19/01/14 21:18:48.58 h1BzVgCh.net
サンクスです。
そもそも名色分離智の定義さえ、いまいちハッキリと分かっていないんですよね。
右手の例でいえば、右手の感覚と、その感覚に気づいている意識、という風なことでしょうか。

725:神も仏も名無しさん
19/01/14 21:25:47.72 h1BzVgCh.net
ちょっと違いますかね。右手という物質(色)、右手の感覚(名)、ということなのかな。

726:神も仏も名無しさん
19/01/14 21:37:06.14 hA/gCefa.net
十六観智って心身の状態に無関心、無感覚になるって感じなのかな。
七覚支はフロー体験みたいな感じなんだろうけど。

727:神も仏も名無しさん
19/01/14 21:47:43.77 EN51tF3Y.net
五蘊と六根についても勉強されると良いと思います。
その上で瞑想し、「これは受、これは想、これは識」または「これは眼、これは鼻、これは意」などと確認していきます。
そうすれば、「色」「物質」というのは直接確認できない事が分かります。
人間が感じ取れるのは心しかない。六根しかない。受しかないことが理解されます。
そうなれば、感じ取れる心と、感じ取れない身体とを分離して理解したことになります。

728:神も仏も名無しさん
19/01/14 22:43:39.79 h1BzVgCh.net
サンクスです。分かりました。やってみます。

729:神も仏も名無しさん
19/01/18 19:12:30.35 /rJ11J3c.net
預流の前段階で、隋信行・随法行っていうものがあるそうですね。
この段階で悪趣には落ちないそうです。悟りに向かっている状態だそうです。
ここにきている方で、預流でない方も、みんなその状態にはありそうです。

730:神も仏も名無しさん
19/01/18 21:45:22.39 7FUGcWEd.net
>>715
まだ安心しないほうがいい
来世に人間に生まれたとしても、仏教に出会えるか、修行できる環境に生まれるかどうかは分からない
そこで悪業を為せば悪趣にも落ちるだろう

731:神も仏も名無しさん
19/01/19 13:19:36.41 UZyQBZNH.net
>>716
なるほど。はい、そうですね。

732:神も仏も名無しさん
19/01/19 13:31:27.66 IuuVKRoy.net
「悟りとは無我である」というような、真実に関する命題というものは明快な美しさがありますから、下手をすると修行者はそこに観念的にとらわれてしまいがちです。
「世界は一切空で真実の姿は平等である」という、いわば自己完結した心地よい優等生の回答から抜け出ることができず、その結果、現実に働き出る救済的な力を持たないままの“宗教的お坊ちゃま”で終わってしまうことになりかねません。
禅ではこのような状態に陥った者を「死漢」つまり、「現実に全く影響を及ぼさない死人」と呼んでいるぐらいです。

そんなわけで雲門和尚は、真っ白な美しい悟りに捕われるな、その悟りを抜け出ていけ、泥まみれの世界へ行け、という意味の代語をしたわけですね。

733:神も仏も名無しさん
19/01/19 16:50:51.88 JWd5AYtX.net
仙桂和尚は 真の道者    
貌(ぼう)は古にして 言は朴なるの客
三十年 国仙の会に在りて      
禅に参ぜず 経を読まず
宗文の一句すら 道(い)わず    
園疏を作って 大衆に供養す
当時 我之を見れども見えず    
之に遇い 之に遇えども遇わず
呼嗟 今之に放(なら)わんとするも得得可からず
仙桂和尚は 真の道者
古風な顔つきの仙桂和尚こそ真の修業僧だ.彼は寡黙で,言葉も少ない.
三十年もの間,国仙和尚の下にありながら,日々の参禅も行わず,経も読まない.
宗文のことについても,一言も話すことが無かった.
ひたすら畑を耕しては,修業僧の皆に食事を作っていた.
その当時の自分は,仙桂和尚と毎日出あっていたが,本当の姿を見ていなかった.
本当の仙桂和尚の姿を理解すべきであったのに,理解できないでいた.
ああ,今では仙桂和尚の前で教えを乞うとしてもそれは出来ない.
仙桂和尚こそ真の修行者であった.
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

734:神も仏も名無しさん
19/01/22 00:23:32.89 Pi1EVOCl.net
>>719
>三十年もの間,国仙和尚の下にありながら,日々の参禅も行わず,経も読まない.
昔、常不軽という菩薩比丘がいた。
この菩薩は経典を読まず、人を見ては深く敬い礼拝することを自らの行とした。
『みなさん、わたしはあなたがたを敬います。 軽んじません。なぜなら、あなたがたは菩薩の道を行じて、仏となるからです』
この行いは、人々をして多くの誤解を生じ、無知の人々から罵倒(ばとう)を生んで行ったのである。
それでもこの菩薩は耐え忍んで礼拝を行としていったのである。
かくして常不軽菩薩が寿命を終わらんとする時、以前に威音王仏(いおんおうぶつ)が説かれていた法華経の教えを聞いて、寿命を増し以後長い間、法華経をもって多くの人々を教化した。
この常不軽菩薩とは、釈尊の前身であり、罵倒した人々は、長い間地獄の苦を受けることになったが、この罪を終えて常不軽菩薩の導きにより、仏の道に入った。
それが、今ここ(霊鷲山)にいる菩薩達なのである、

735:神も仏も名無しさん
19/01/22 10:41:50.92 5Aw1Bufy.net
十波羅蜜
 布施
 持戒
 離欲
 精進
 忍辱
 慈しみ
 真理
 決意
 捨
 智慧

736:神も仏も名無しさん
19/01/22 11:55:15.89 5Aw1Bufy.net
ここでご自分は預流果だと言っておられる方。
預流果は阿羅漢ではないので、まだ輪廻はあるはずだと思うのですが
その段階で、もはや仏法僧への信すら必要としないと言っているのですか?
「わたしは、そもそも輪廻など存在していなかったと悟った。
 だから、つまるところわたしは輪廻から解脱したのだ。
 そもそも輪廻は概念であり虚妄であるのだから)。」
と、こういうことでしょうか。

737:神も仏も名無しさん
19/01/22 14:25:11.41 +Aq71+an.net
まず仏法僧に対する信について勘違いしている人が多い。
仏法僧は素晴しい、ありがたいと持ち上げることが仏法僧に対する信ではない。
それはブッダが「信仰を捨てよ」とおっしゃた類の信仰であって、キリスト教徒が聖書と神を持ち上げるようなもの。
本当の仏法僧に対する信は、一切は無常、苦、無我であると確信すること。
仏法僧であっても、輪廻における全て、見るもの、聞くもの、感じるもの、考えること全


738:てが無常、苦、無我であり、虚妄であると納得すること。 道元禅師も、もし師匠に「仏とはミミズ、ヒキガエルである」と説かれたならば、弟子は素直に信じなくてはいけない。「いくらなんでもそれは…」などと考えてはいけないとおっしゃられた。 ブッダによって、「一切は虚妄である。無価値、苦、ドゥッカである」と説かれているのだから、ブッダも含め、一切の存在をそのように見ることが、本当の仏法僧に対する信。 預流果に悟った時には、いちおう頭の中ではこのことについて納得している。 仏法僧を含め、一切の現象、概念について無常、苦、無我であると確信している。 しかし分かっているけど止められないのが人間で、まだ価値のあるもの、真実であるものの存在を心が求めてしまう。すなわち煩悩が残る。 預流果以降はこの頭の中だけでなく、心にも無常、苦、無我を納得させるために瞑想する。 そして瞑想により涅槃を経験すれば、心が無常、苦、無我を納得して、五下分結が無くなる。 しかしまだ、瞑想自体に、涅槃自体に、慈悲に智慧に禅定に対して執着が残っていれば不還果に、 それすらも無くなれば阿羅漢果に悟る。



739:神も仏も名無しさん
19/01/22 14:57:44.35 5Aw1Bufy.net
なるほど。
しかし、仏法僧はピカチュウじゃない(伊達じゃない)、ということは
事実として言えることであって、ブッダが捨てろと仰ったものではない
という認識は変わりませんけどね。

740:神も仏も名無しさん
19/01/22 15:27:57.49 vPva1rqG.net
預流果以降の段階の仏法僧に対する信というのは難しい話題っぽいですよね。
信とは、信仰ではない、ということは確かなのでしょうか。ブッダは信仰を捨てろとおっしゃいましたが。
信頼、ということなのでしょうか。真理の観点からの信、ということなのでしょうかね。

741:神も仏も名無しさん
19/01/22 15:47:28.74 1a0onpUB.net
中村元氏は“Pamuncantu saddham”を「信仰を捨て去れ」と訳したが、
村上真完氏のように「信を起こせ」と解する人もいるからな。
「信」は奥深い。

742:神も仏も名無しさん
19/01/22 16:26:26.87 +Aq71+an.net
仏法僧を行と法に分解して考えると分かりやすい。
ブッダ、経典、サンガについて見たり聞いたり考えたりする、視覚、聴覚、思考、これらの現象、行は無常であり苦であり無我。
またブッダという概念、経典に含まれるあらゆる概念、サンガという概念は法であるから無我、実体は無い。
無常、苦、無我がどういうことかが分からないと意味が無いが、それを理解するには瞑想するのが一番確実。
そして「捨てる」というのはこの行、法に対する「執着」を捨てる。
執着を捨てるというのは、それらがどうなろうと知ったことではない、だから何なんだ、という態度を作ること。
その辺に落ちている石ころや木切れのように思わなくてはいけない。
無理矢理そう思い込もうとしなくても、瞑想すれば自然とそうなるけれど。
名前は忘れたけど、ブッダが亡くなる直前、多くの比丘がブッダに挨拶に行くが、ある比丘は行かず、瞑想していた。
何故ブッダに挨拶に行かないかと聞かれると「ブッダが入滅される前に修行を完成させたいから」と答えた。
ブッダはその比丘を、真の仏弟子であると称えられた。
そのように、瞑想し無常、苦、無我に関する智慧を完成させる事が仏法僧に対する恩返しでもあるし、信でもある。

743:神も仏も名無しさん
19/01/22 16:37:53.93 1a0onpUB.net
>>726
誤:「信を起こせ」 正:「信を発こせ」
文脈によって「信」の意味も様々に取れるからな。読んでないけど、
「信を発こせ」再考--Pamuncantu saddham
村上 真完(著) 仏教研究 (22), p115-150, 1993-03
URLリンク(ci.nii.ac.jp)
仏のことば註(四) パラマッタ・ジョーティカー 〈新装版〉
村上真完 / 及川真介訳註 春秋社 2009.9
URLリンク(www.shunjusha.co.jp)

こちらはざっと目を通したはずだけど、宮坂氏も「信を発こせ」と解されていたような。
ブッダの教え スッタニパータ
宮坂 宥勝(著) 法蔵館 2002.10
URLリンク(www.hozokanshop.com)

744:神も仏も名無しさん
19/01/22 20:04:05.28 vPva1rqG.net
個人的な実感ですが。
無常、苦、無我をある程度分かった程度では、いろいろな愛着がなくなるとかというと、そうではないんですね。
自分の場合ですが、分かってはいるんですが、色々なものの愛着を無くすことはできないで苦しんでいます。
でも、愛着があっても、その感情そのものがなくなった方がいいと分かっているので、以前と比べ、いくぶん楽にはなりました。
欲しいものを手に入れる満足より、手に入れようという執着を無くした方が幸せだと分かっています。
自分の力の及ばない範囲に勝利があるのではなく、自分の手の中に勝利はあるので、安心はしています。
簡単に言うと、執着を無くすことが、一番幸せなことなのですね。

745:神も仏も名無しさん
19/01/22 21:09:32.86 5Aw1Bufy.net
>>727
概念的には理解できるという意味で、分からないではないです。
一方で、阿羅漢であるカッサパ尊者が結集を決意した経緯なども
無視できない要素だと思うのです。

746:神も仏も名無しさん
19/01/22 21:13:40.55 4K6INRRK.net
五 業と煩悩とが滅びてなくなるから、解脱がある。業と煩悩とは分別思考から起こる。ところでそれらの分別思考は形而上学的論議(戯論)から起こる。しかし戯論は空においては滅びる。
六 "もろもろの"ブッダは「我(アートマン)が有る」と仮説し、「無我(アナートマン)である」とも説き、また「アートマンなるものは無く、無我なるものも無い」とも説いた。
七 心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである。
八 「一切はそのように【真実で】ある」、また「一切はそのように【真実で】ない」。「一切はそのように【真実で】あり、またそのように【真実】ではない」。「一切はそのように【真実で】あるのではないし、またそのように【真実】ではないのではない」
――これがもろもろのブッダの教えである。
九 他のものによって知られるのではなく、寂静で戯論によって戯論されることなく、分別を離れ、異なったものではない――これが真理の特質(実相)である。
一〇 Aに縁って【Aを原因として】Bが成り立つのであるならば、実にBはAではない【AとBとは同一ではない】。またBはAと異なるのでもない。それ故に【原因は】断絶するのでもなく、また常恒に存在するのでもない。
一一 【もろもろの事物の真の本性は】同一のものでもなく、異なった別のものでもなく(不一・不異)、断絶するのでもなく・、常恒に存在するのでもない(不断・不常)――。
これが世の人々の主であるもろもろのブッダの甘露の教えである。

747:神も仏も名無しさん
19/01/22 21:29:57.17 +Aq71+an.net
仏法は下剤のようなもので、人間の腹に溜まった煩悩という糞を巻き込んで捨てる作用がある。
この下剤をありがたいものだ、栄養のあるものだとガバガバ飲んで、それを糞といっしょに捨てずに貯め込んでいれば、
腹はおかしくなって壊れてしまう。
仏法も本来は毒であり、余計なものであるから、用法用量に気をつけなければいけない。
正しく仏法を理解し、実践し、煩悩といっしょに捨てることができれば、悟りに達することができる。
それは結局のところ、八正道を実践し、戒定慧を学び、止観の瞑想をすることであるが。

748:神も仏も名無しさん
19/01/22 22:32:21.89 tDequkBJ.net
仏法が余計なものであるはずがない
自灯明法灯明
釈尊自身が法を拠り所にしなさいと言ってるのに
余計なものであるはずがない

749:神も仏も名無しさん
19/01/22 22:49:31.70 +Aq71+an.net
自も法も無くなったところが涅槃、悟り。
アーナンダ尊者、香厳智閑禅師、サッパダーサ尊者など、悟りを諦めた瞬間に悟る人が多い。
悟る瞬間には心が完全に空っぽになっている必要がある。
仏法に執着がある人は悟れずに、ただの仏教に詳しいおじさんで終わるだろう。

750:神も仏も名無しさん
19/01/22 23:27:23.74 tDequkBJ.net
愚か者にとっては仏法ですら毒となり
賢者にとっては愚か者の言葉ですら反面教師となり薬となる

751:神も仏も名無しさん
19/01/23 12:52:34.45 9r6A1TD9.net
要するに、喋ってないで三学の修習=瞑想実践しろってことでFA?

752:神も仏も名無しさん
19/01/23 15:17:32.22 C8bWV58N.net
しゃべってないで修行してた方がいいけど、
それだとこのスレの存在を否定することになる。
だからみんな、修行の邪魔にならない程度に適度に語っていこう。

753:神も仏も名無しさん
19/01/23 15:21:29.57 C8bWV58N.net
なんの障害も感じずに黙って修行していけるのは阿羅漢果だけだと思う。
阿羅漢果が修行するってのも変な話だけど。
阿羅漢果ではない人が、このスレで楽しく語り合うことは当然のことだと思う。

754:ポッタン師
19/01/23 15:37:38.58 IB24DwX9.net
731.バカ丸出し、である。大爆笑である。悟ってから言え。

755:神も仏も名無しさん
19/01/23 16:11:09.20 uid+8rR5.net
ポッタン便所

756:神も仏も名無しさん
19/01/23 20:39:57.32 C8bWV58N.net
今日気づいたことですが、苦と渇愛は定と念によって滅することができると感じました。
ここでの苦は、気持ちの落ち込みで、生理反応のように思うのですが、これも無明に分類できるのですかね。
苦、は常にあると思いました。これを瞑想以外で緩和する方法は、五根に刺激を与えることだと思いました。

757:神も仏も名無しさん
19/01/23 20:43:20.57 C8bWV58N.net
何もしていないと、生きることは苦だとはっきりと感じます。
何かすると気がまぎれて、それによって苦を忘れることができます。
これが普通の人の生きている生活なのかなと思いました。
だからこれだけ娯楽あふれているのかもですね。

758:神も仏も名無しさん
19/01/23 20:47:30.55 C8bWV58N.net
気持ちの落ち込み、と言うのはちょっと範囲がせますぎますね。それもありますが。
ある種の不満足感、不完全感、不安定感、虚しさ、と言った方が適切ですかね。
すみません。

759:神も仏も名無しさん
19/01/24 11:39:01.11 rA25lTcQ.net
>>741
(定と念)集中した身体への気づきにより消えますよね
というか、出にくくなる、激減する

760:神も仏も名無しさん
19/01/24 11:58:01.36 3tu1xygw.net
「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか? 『およそ苦しみが生ずるのは、すべて素因に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。
『しかしながら素因が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。
このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちいずれか一つの果報が期待される。
─すなわち現世における<さとり>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」─
 師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師(ブッダ)は、さらにまた次のように説かれた。
728 世間には種々なる苦しみがあるが、それらは生存の素因にもとずいて生起する。実に愚者は知らないで生存の素因をつくり、くり返し苦しみを受ける。それ故に、知り明らめて、苦しみの生ずる原因を観察し、再生の素因をつくるな。

761:神も仏も名無しさん
19/01/24 12:01:08.82 3tu1xygw.net
33 悪魔パーピマンが言った。
「子のある者は、子らによって喜ぶ。
同じように、牛のある者は、牛によって喜ぶ。
(生存の)もととなるもの(素因)は、人にとって喜びである。
(生存の)もとになるものがない人は、実に、喜ぶことはない」。
34 尊師は言った。
「子のある者は、子によって憂う。
同じように、牛のある者は、牛によって憂う。
(生存の)もとになるもの(素因)は、人にとって憂いである。
(生存の)もとになるものがない人は、実に、憂うことはない」。

762:神も仏も名無しさん
19/01/24 15:17:15.95 xMd2iiBw.net
>>744
はい。ただ難点なのは、気を付けていないと、苦を感じるということですね。
自動的にはできないんですよね。修行が進んだ人は違うのでしょうか。

763:神も仏も名無しさん
19/01/24 15:18:30.68 x5IDincP.net
退屈する、刺激を求めるのも苦だけど、苦の定義はやっぱり四苦八苦で、生老病死、求不得苦、愛別離苦、怨憎会苦、五蘊盛苦でしょうね。
これらは念と定で無くなることはない。念と定により生まれる悟りの智慧で無くなる。
念と定があるだけでは苦は弱くなるだけ、休眠状態になるだけですね。
渇愛の定義も、五欲、有愛、無有愛で、これも弱まるだけですね。
五感の感覚も苦であること、生きることの中に価値のあるもの、素晴らしいもの、執着すべきものが何一つ無い、
存在すること、存在を無くそうとすること、どちらも苦しみでしかない事を、悟りの智慧によって発見するまで無くならないでしょうね、渇愛は。

764:神も仏も名無しさん
19/01/24 15:26:53.83 Yv1QTYVa.net
存在を無くそうとすることと再生を終わらせようとすることは
どう違うんだろう?

765:神も仏も名無しさん
19/01/24 15:30:09.51 fiIaBxuG.net
理屈としては、
有愛、無有愛は渇愛に依るが、
再生の終わりは渇愛の滅に依る、ということでしょうか。
実感としては全然分からないけれども。

766:神も仏も名無しさん
19/01/24 15:37:56.50 fiIaBxuG.net
悟りたい、解脱したいという思いが無有愛によるものである場合、
それは渇愛からくる衝動だから、その延長線上に悟りはない、
ということなのでしょうかね。

767:神も仏も名無しさん
19/01/24 15:48:21.49 xMd2iiBw.net
>>748
なるほど。最近考えていたことですが、智慧とは何なんでしょうか?知識ではないですよね?
仰られるように、確かに智慧で、苦は滅することができると思います。
念と定では弱まるだけというのは、実感として納得します。
私にも多少の智慧があるようなのですが、どうも知識ではないと感じるんですよね。
ある種の状態であると感じています。何か間違えがあれば教えていただきたいです。

768:神も仏も名無しさん
19/01/24 15:53:29.48 3tu1xygw.net
>>748
❖煩悩をなくすとは 、滅尽すること
煩悩をなくすとは一時的に抑えることではありません 。
智慧で完全に二度と生まれないように滅尽( n i r o d h a ニローダ)することです 。
これも、初めて聞いたと思って覚えておいてください 。
日本の仏教が混乱しているのは、こうしたところです 。
定義を気にしない 、勝手に定義する、これは大乗仏教の特色です。
本を書く人は自分のわがままで、好き勝手に定義しています 。
経典を引用しなくてはいけないといった、責任感もあまりありません。
ただ周りにいる他のお坊さんをライバルに仕立てて、その人々と違うことを言えばいいという程度のものです。
ですから定義から外れると相当混乱します。
アルボムッレ・スマナサーラ
智慧は人生の羅針盤 (お釈迦さまが教えたこと)
より引用

769:神も仏も名無しさん
19/01/24 15:53:50.47 xMd2iiBw.net
真理を体得した状態が、智慧がある、ということなのでしょうかね。

770:神も仏も名無しさん
19/01/24 19:49:45.33 x5IDincP.net
薄暗い場所でトグロを巻いたヘビを発見すると、恐怖心という煩悩が起きてくる。
深呼吸して精神統一したり、棒でも探してきたり、仲間を呼んだりすると恐怖心が多少減る。
懐中電灯でも持ってきて、よく見てみるとヘビじゃなくてゴムホースだった。
そうなると恐怖心は完全に無くなり、もう怖がろうと思っても怖がれない。
智慧によって真理を発見する、存在の本質を明らかにすると煩悩は生まれなくなる。
執着しようと思っても執着できない。
生きることはどうゆうことか、五蘊とは何か、六根はどうなっているかを自分の目で確認すると、
無常、苦、無我を発見するはず。
それを見てしまうと解脱の方に心が向かう。

771:神も仏も名無しさん
19/01/24 20:52:07.92 E6iDOn9Y.net
>>744
大パリニッバーナ経より

修行僧たちよ、修行僧はみずから念じて、よく気をつけておれ。
これが、お前たちに説くわたしたちの教えである

772:神も仏も名無しさん
19/01/24 21:03:23.54 E6iDOn9Y.net
(法鏡)
気づきはただそこにある。
何かに気づこうとするわけではなく……、ただそこにあるのです。
まるで大きな鏡のように、その前を通るものは全て、
鏡の中に映し出される。
鏡が対象を捉えようとするわけではないのです。

気づきはただそこにある。あなたは何もしていないのです。この段階において、瞑想とはあなたが行うものではありません。瞑想とは、自然に生じているものなのです。しかし、ここに至るまでにはしばらく時間がかかるでしょう
ウジョーティカの言葉から

773:神も仏も名無しさん
19/01/25 09:18:41.77 wZUlTZBr.net
>>757
そこまでいったら阿羅漢じゃないか?

774:神も仏も名無しさん
19/01/25 10:58:42.11 +jU3WyeA.net
ゴエンカ式やってる人いる?体調よくなれば数年以内に合宿に参加しようと思うんだけど
ゴエンカの合宿が廃止されることってあるかな?

775:神も仏も名無しさん
19/01/25 11:40:24.14 xnYVGpYq.net
>>744
憶念(念=sati)龍樹
王よ
身体に関する憶念が歩むべき第一の道である。と善逝(仏)は示しています。
憶念に務め、守らねばなりません。
憶念が欠けると全ての法は壊れます。
(ナーガルジュナ、勧誠王頌 54偈 友への手紙より)

776:神も仏も名無しさん
19/01/25 11:57:43.84 xnYVGpYq.net
>>744
スッタニパータ 1035から
??師(お釈迦様)は答えた
アジタよ 世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止める物は

気をつけることである。

??
(気をつけることが)煩悩の流れを防ぎまもることである、とわたしは説く
その流れは智慧によって塞がれるであろう

777:神も仏も名無しさん
19/01/25 13:13:03.09 EGZlpk3r.net
>>752
智慧とは勝義諦の中の有為法の中の心所の中の浄心所に位置する慧根という勝義の法が育まれて智慧になります

778:神も仏も名無しさん
19/01/25 15:02:10.20 +sy6K+E/.net
>>758
横レスですが、阿羅漢ではないと思います。
自我が弱まったら自然とそうなるんではないかと思います。

779:神も仏も名無しさん
19/01/25 23:53:14.75 zlYdoEtg.net
>>759
世界的に有名だしキャンセル待ちしてるくらいだから今更廃止ってことはないんじゃないかな
僕は一年ちょっと前に行ったけど良かったよ

780:神も仏も名無しさん
19/01/26 19:59:51.08 0PaLVWzS.net
独習で瞑想して結果出してる猛者いる?
いたらオススメの瞑想書でも教えてほしい

781:神も仏も名無しさん
19/01/26 20:07:20.98 bU7SIEs5.net
法華経

782:神も仏も名無しさん
19/01/26 20:08:46.44 H97Ufrlf.net
>>762
言葉で表すとそうなるんですね。哲学っぽい。
ちょっと調べてみましたら、物事をありのままに見ることを言うようです。

783:神も仏も名無しさん
19/01/26 20:12:01.76 bU7SIEs5.net
これ冗談じゃないんですよ

784:神も仏も名無しさん
19/01/27 07:39:12.17 873Y3gbb.net
>>741
苦、渇愛、定、念、無明の関係は下記の図で見ると分かりやすいかも。
URLリンク(twitter.com)
(deleted an unsolicited ad)

785:神も仏も名無しさん
19/01/27 10:30:57.68 D02Za8ER.net
>>769
返って分かりにくいです。
その図では勝義諦を無分別としながらも勝義諦も出世間諦(無為法)と世間諦(有為法)に分別しています。
テーラワーダでは無分別は出世間諦の無為法(涅槃)だけです。
勝義諦はまず勝義諦として心、心所、色、涅槃の四つに分別され、涅槃以外の三つは更に細やかな法に分別されます。
詳しくは↓の類似概念という欄をご覧ください。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)

786:神も仏も名無しさん
19/01/27 12:07:42.19 KPozq+sW.net
>>766
>>768
なんで?

787:神も仏も名無しさん
19/01/27 12:31:50.84 YOvE6ni8.net
>>765
結果出せてるかは不明ですが
ミャンマーの瞑想(ヴィパッサナー観法)
マハーシ長老 著
と言う本がヴィパッサナーのやり方をそのまま書いてあります。
ただ同じ事をユーチューブなどでスマサーラ長老がやっていますのでそれを見ればお金がかかりません。

788:神も仏も名無しさん
19/01/27 13:32:18.12 873Y3gbb.net
>>770
下記記述では分別のない、「如実知見する者にとっての「現実」である生成消滅する世間諦の層」を「心と心所と色」としています。
すなわち、テーラワーダにおける勝義諦(無分別)は、「出世間諦(無為法)」に加え、「世間諦(有為法)」の一部を含むと考えられます。
> テーラワーダでは無分別は出世間諦の無為法(涅槃)だけです。
上記について述べられている文献がありましたら、ご教示いたけますと幸いです。
----以下、引用です----
 テーラワーダ仏教の教理では、勝義(paramattha)の物事、つまり真実(truth)・現実(reality)として、四つのカテゴリーを認めている。
即ち、心(citta)、心所(cetasika)、色(rupa)、そして涅槃(nibb?na)である(9)。
 心と心所と色は世間諦(loka-sacca)と呼ばれ、涅槃は出世間諦(lokuttara-sacca)と呼ばれる。
前者は有為のものとして生成消滅する世間(loka,世界)を形成し、後者はそれを超越した不生であり無為である出世間の領域を指示するからである。
 また、仏教では一般に世俗諦(sammuti-sacca)と勝義諦(paramattha-sacca)の区別を認めるが、テーラワーダにももちろんそれは存在する。
世俗諦とは、英語ではconventionaltruthなどと訳されるが、これは要するに「人々の合意によって認められた慣習的な真理」というほどの意味である。
例えば、「カラスは鳥類だ」などというのは世俗諦だ。
勝義である如実(ありのままの現実)の風光からすれば、「カラス」も「鳥類」も、存在しないからである。

789:神も仏も名無しさん
19/01/27 13:33:25.20 873Y3gbb.net
----以下、>>773の引用続きです----
 つまり、世間諦の三つが形成する現象を、私たちは如実に知見することができずに概念(pannatti)や分別の相(papanca,本書の用語で言えば「物語」)を作り出すのだが、そのうち、人々が「正しい」と慣習的に合意しているものが、「世俗諦」と称されるということである。
例えば「カラスは昆虫だ」と言えば、これは人々からの承認が得られないので、世俗的な意味でも真理(諦)ではないから、単なる「間違い」ということになるわけだ。
 さて、するとテーラワーダの教理では、認知のレベルに実質的には三つの層を認めていることになる。
即ち、凡夫にとっての「現実」である「物語の世界」という、世俗諦の通用する層。
そして、如実知見する者にとっての「現実」である生成消滅する世間諦の層。
最後に、そのような世間の範囲を完全に乗り越えた、不生であり無為である出世間(諦)の層である(10)。
 ならば、このうち「本来性」と呼び得るのはどの層だろう。
もちろん、テーラワーダの教理に即して言えば、心・心所・色・涅槃を勝義であるとするのだから、世間諦と出世間諦の二層が「本来性」に当たることになり、世俗諦の通用する「物語の世界」の層は、それに対する「現実性」であるということになるだろう。
(魚川祐司.仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か―)

790:神も仏も名無しさん
19/01/27 15:29:43.14 X+SpEcj1.net
【カルト】スマナサーラの瞑想で発狂した奴 2鼻毛
スレリンク(psy板)
スマナサーラ 批判
スレリンク(psy板)
ラーマクリシュナvsアルボムッレスマナサーラ
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テーラワーダ仏教協会を批判スレ [無断転載禁止]・2ch.net
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日本の僧侶には破戒僧しか残ってないの?
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カルト【破和合僧】佐藤哲朗【誹謗正法】
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791:神も仏も名無しさん
19/01/27 18:40:18.83 D02Za8ER.net
>>773
> テーラワーダ仏教の教理では、勝義(paramattha)の物事、つまり真実(truth)・現実(reality)として、四つのカテゴリーを認めている。
>即ち、心(citta)、心所(cetasika)、色(rupa)、そして涅槃(nibb?na)である(9)。
これでまず勝義諦を四つに「分別」しているでしょう。
それで下図
URLリンク(i.imgur.com)
の勝義諦は無分別というのは否定されます。
また心、心所、色はそれぞれ勝義としての法(これ以上分別できない法=存在)があります。
下のPDFのまず3ページをご覧ください。
URLリンク(liberi.jp)
これはテーラワーダのアビダルマのテキストですが、3ページには
第一義法(勝義法)Paramattha dhamma 自性が変わることが無い法
1. 心 89 2. 心所 52 3. 色 28 4. 涅槃
と涅槃以外は横に数が書いてありこれが心、心所、色の勝義法の数になります。
4ページに進むと
URLリンク(i.imgur.com)
上段にあるように心は四つに分けられる(分別される)とあり、その四つが紹介されていますが、その横にある数54と15と12と8を合計すると89となり3ページの心の横に記載されていた数と同じになります。
これが心の法の数です。
それぞれの法の自性についてはテキストを参照したりググって調べれば分かります。
心所、色もこのような感じで更に分別されます。
それもテキストをご覧ください。
勝義諦をそのまま無分別とするのは龍樹を祖とする中観派など大乗仏教の論です。

792:神も仏も名無しさん
19/01/27 21:41:48.84 D02Za8ER.net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
以上、藤本晃『アビダンマッタサンガハ』を読む
より

793:神も仏も名無しさん
19/01/27 23:27:16.10 873Y3gbb.net
>>776 レスありがとうございます。
> 心、心所、色はそれぞれ勝義としての法(これ以上分別できない法=存在)があります。
> 涅槃以外は横に数が書いてありこれが心、心所、色の勝義法の数になります。
上記について、文献のご紹介ありがとうございます。
特に58ページの「一切の摂」に関する表は勉強になりました。
> これでまず勝義諦を四つに「分別」しているでしょう。
> それで下図
> URLリンク(i.imgur.com)
> の勝義諦は無分別というのは否定されます。
上記にですが、「分別」の意味の取り方に、>>776さんと>>769の図で違いがあるように思われますが、いかがでしょうか。
>>776さん:「分類」の意味での「分別」
>>769の図:papanca(戯論)、いわゆる「物語」の意味での「分別」
>>769の図における「如実知見」の風光においては、「物語」を立ち上げる「分別の相」、すなわち戯論が寂滅しています。>>769の図においては、このことを「無分別」としています。
この「分別の相(戯論)が寂滅している」という意味において、勝義諦の中の「心、心所、色」は「無分別」といえると思われますが、いかがでしょうか。

794:神も仏も名無しさん
19/01/28 00:40:55.90 C0RMr3el.net
>>778
戯論寂滅はテーラワーダというよりも龍樹の教えで中論冒頭の帰敬序に出てくる言葉です。
無分別も空の教えです。
帰敬序
(何ものも)滅することなく(不滅),(何ものも)生ずることなく(不生),
(何ものも) 断滅ではなく(不断),(何ものも)常住ではなく (不常),
(何ものも)同一であることな く(不一義),(何ものも)異なっていることなく(不異義),
(何ものも)來ることなく(不來),(何ものも)去ることのない(不去)〔ような〕,
〔また〕戲論(想定された論議)が寂滅しており,吉祥である (めでたい),
そのような縁起を說示された,正しく覚っ者(ブッダ)に,もろもろの說法者のなかで最もすぐれた人として,私は敬礼する。
(原典:三枝充悳編《中論偈頌総覽》)
無分別については龍樹の空が無自性空と言われてああるように法には自性(特有の性質)はなく空である(法空)であると説かれていることから、
空とは無分別のことであるとも言えます。
無分別であるが故に本来は言葉にはできません。
龍樹において勝義諦とは空のことなので勝義を言葉で説くことはできないのですが、世俗諦の言葉によって勝義諦を(なんとか)表現するのである、としています。
二つの真理(二諦)にもとづいて,もろもろのブッダの法(教え)の說示〔がなされている〕。
〔すなわち〕,世間の理解としての真理(世俗諦)と,また最高の意義としての真理(勝義諦)とである。
およそ,これら二つの真理(二諦)の区別を知らない人々は,何びとも,ブッダの教えにおける深遠な真実義を,知ることがない。
〔世間の〕言語習慣に依拠しなくては,最高の意義は,說き示されない。最高の意義に到達しなくては,ニルヴァーナ(涅槃)は,証得されない。
(中論24章)

テーラワーダは分別説部と自称しているように法をきっちり分別するのを教理としておりそれは勝義においても変わりません。
無分別・戯論寂滅どころか心、心所、色についてこれ以上分別できないところまで分別しています。

795:神も仏も名無しさん
19/01/28 01:40:02.13 lRCvUL0P.net
>>779 レスありがとうございます。
大乗仏教における「戲論」、「勝義諦」の関係について承知しました。
> 戯論寂滅はテーラワーダというよりも龍樹の教えで中論冒頭の帰敬序に出てくる言葉です。
「戯論寂滅」については、下記引用にもある通りテーラワーダにおいても言及され、「papanca」という物語形成の作用、すなわち「分別」を止めて現象のありのままを如実知見することが、実践面で重視されています。
上記を踏まえ繰り返しになりますが、テーラワーダの教理において「分別の相(戯論)が寂滅している」という意味において、勝義諦は「無分別」といえると思われます。
----下記、引用です----
 ゴータマ・ブッダや、その弟子の阿羅漢たちは、「現法涅槃」に達しており、六根六境を滅尽して「世界」を終わらせていただろうが、だからといって、彼らは「知ることもなく見ることもない」ような、石と変わらない存在になってしまったわけではない。
そうではなくて、六根六境が「滅尽」した時に存在しなくなったのは、認知そのものというよりも、そこにおいて「ある」とか「ない」とかいった判断を成立させる根底にある「分別の相」、即ち、拡散・分化・幻想化の作用であるpapancaであろう。
「世界の終わり」で起こることは、認知の消失なのではなくて、「戯論寂滅(papancavupasamo)」であるということだ。
(中略)
 ミャンマーの瞑想センターでウィパッサナーの実践を行っていた時に、指導する僧侶からしつこく言われたのは、「一つ一つの現象のありのままを見よ、イメージを作るな」ということであった。
(中略)
 なぜ私たちは、そのような「ありのまま(如実)」でないイメージを形成し、物語の「世界」を立ち上げてしまうのか。
それは、本章で引用した経典に繰り返し語られていたように、私たちが、五蘊・十二処・十八界といった認知を形成する諸要素に欲望を抱き、それに執著して実体視する(「我」だとみなす)からである。
(中略)
 私がしつこく言われたのも、このpapancaという物語形成の作用を止めて、苦なる「世界」に繋縛され続けることを終了させるための、親切な指導だったわけだ。
(魚川祐司.仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か―)

796:神も仏も名無しさん
19/01/28 16:45:04.59 6CNY2u0R.net
>&g


797:t;780 その引用はテーラワーダの勝義諦の四つの中の最後に出てくる涅槃についての説明ですね。 テーラワーダのテキストには確かに涅槃は自性としては寂滅の相としては一種(※一種類)と書いてあります。 https://i.imgur.com/3kBWbZp.jpg ですから勝義諦の中で涅槃だけ法数が書かれていません。 https://i.imgur.com/9shJVAy.jpg http://liberi.jp/abhidharma/ad-text_1.pdf 上の図では、議論寂滅と無分別は勝義諦の下ではなく右上の出世間諦の所に書くべきですね。 ついでに無為の下の不生不滅は龍樹や般若心経などの大乗仏教と混同されるので外した方が良いと思います。



798:神も仏も名無しさん
19/01/28 16:46:36.67 6CNY2u0R.net
>>781
URLリンク(liberi.jp)
>上の図では、議論寂滅と無分別は勝義諦の下ではなく右上の出世間諦の所に書くべきですね。

URLリンク(i.imgur.com)
上の図では、議論寂滅と無分別は勝義諦の下ではなく右上の出世間諦の所に書くべきですね。

799:神も仏も名無しさん
19/01/30 15:18:35.02 iY8UMCiA.net
本当はそんなに節然と分かれるものではないよね
重なるからこそ2500年もの間その価値が認められ、無知な凡夫に生き方を説ける訳であって

800:神も仏も名無しさん
19/01/30 15:19:15.52 iY8UMCiA.net
無知な我々凡夫ね

801:神も仏も名無しさん
19/01/30 17:34:22.98 jYDNO6rJ.net
>>780
> ゴータマ・ブッダや、その弟子の阿羅漢たちは、「現法涅槃」に達しており、六根六境を滅尽して「世界」を終わらせていただろうが、だからといって、彼らは「知ることもなく見ることもない」ような、石と変わらない存在になってしまったわけではない。
>そうではなくて、六根六境が「滅尽」した時に存在しなくなったのは、認知そのものというよりも、そこにおいて「ある」とか「ない」とかいった判断を成立させる根底にある「分別の相」、即ち、拡散・分化・幻想化の作用であるpapancaであろう。
一九 輪廻はニルヴァーナに対していかなる区別もなく、ニルヴァーナは輪廻に対していかなる区別もない。
二〇 ニルヴァーナの究極なるものはすなわち輪廻の究極である。両者のあいだには最も微細なる区別もない。
二一 如来(ブッダ)は死後に存在するかどうか。世界は有限なものであるかどうか、など、世界は常恒なるものであるかどうか、などというもろもろの見解は、ニルヴァーナと【死後の】のちの世界と、【生まれる前の】未来の世界とに依存して述べられている。
二二 一切のものは空なのであるから、何ものが無限なのであろうか。何ものが有限なのであろうか。何ものが無限にして有限なのであろうか。何ものが無限でもなく有限でもないのであろうか。
二三 何が同一なのであるか。何ものが別異なのであろうか。何が常恒であるのか。何ものが無常なのであるか。また何ものが無常にしてしかも常恒なのであるか。また何がその両者(無常と常恒)ではないのか。
二四 【ニルヴァーナとは】一切を認め知ること(有所得)が滅し、戯論が滅して、めでたい【境地】である。いかなる教えも、どこおいてでも、誰のためにも、ブッダは説かなかったのである。
URLリンク(mixi.jp)

802:神も仏も名無しさん
19/01/30 17:34:50.97 jYDNO6rJ.net
>>785
この中論25章の19偈20偈は早い話が現法涅槃を説いているというのが通説です。
24偈は、「ニルヴァーナではいかなる教えも、どこおいてでも、誰のためにも、ブッダは説かなかったのである。 」とすると分かりやすいと思います。
ニルヴァーナの考察ではこの部分ではテーラワーダも龍樹も大差はないとは思います。
とは言っても龍樹の勝義は一切皆空であり、ニルヴァーナもその例にもれず空にしているのは、テーラワーダの人達は認めないとは思いますが。

803:神も仏も名無しさん
19/01/30 19:28:51.23 u6m3uWKq.net
勝義諦がよくわからん。
涅槃の事なのか、法の事なのか。
ウィキペディアはスッカスカだし。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

804:神も仏も名無しさん
19/01/31 00:21:31.31 uf7YVrph.net
よくある誤解
※勝義諦とは涅槃のことである→×
テーラワーダの勝義諦を見れば涅槃の他に心、心所、色があります。
説一切有部では五位75法と呼ばれるものが勝義諦でその中の無為法にある択滅というのが涅槃となります。
中観派では勝義諦は空になります。一切皆空であり涅槃も輪廻も空となります。
※勝義諦は修行僧に説いた真理で世俗諦は在家信者に説いた真理である→×
修行僧に説いた教えは出世間道
在家信者に説いた教えは世間道
であり勝義諦や世俗諦そのものではありません。
またブッダの時代には勝義諦という言葉はありません。
wikipediaではこちらの方が勝義諦の理解が進むかもしれません。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)

805:神も仏も名無しさん
19/01/31 22:57:44.55 lbPHGj4d.net
この書き込み、よく覚えといて下さい。

まもなく日本列島に過去最大の超巨大地震が発生します。
気をつけて下さい。

806:神も仏も名無しさん
19/02/01 01:25:05.88 e1O882Rn.net
あと100日

807:神も仏も名無しさん
19/02/01 03:01:30.66 P3D/xysz.net
あと何日って地震までのカウントなの?

808:神も仏も名無しさん
19/02/01 11:55:55.09 CfvkvHYvL
瞑想の場を離れない方に質問です。

座っているとき、歩いているとき、横になっているとき
に気づきを保ち手放すことを繰り返すことはやればやるだけ
上達して簡単になってくると思うのですが


本を読んでいるとき(勉強しているとき)、人と会話をしている最中も
気づきをずっと保てますか?


あと

夢の中でも気付きが生じることになりますが

睡眠中に気づきが発生して目を覚ますことはありませんか?

809:神も仏も名無しさん
19/02/01 13:18:54.19 8BZo9C+O.net
>>789
人工地震なの?

810:神も仏も名無しさん
19/02/01 15:32:46.04 op1Oj6UC.net
慈経っていいですね

811:神も仏も名無しさん
19/02/01 15:38:13.87 kO2mfN26.net
>>794
スマナサーラ作慈悲の瞑想に比べて

812:神も仏も名無しさん
19/02/01 16:44:02.48 op1Oj6UC.net
>>795
長老も好きですがw
慈経を見ると、長老の悟りのレベルがどの程度か分かる気がします。
不還果ではないと思います。アホとか馬鹿とか言われますから。

813:神も仏も名無しさん
19/02/01 16:59:48.94 2k9WbZ8H.net
スマナサーラ長老は阿羅漢ですかね? #知恵袋_ URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)

814:神も仏も名無しさん
19/02/01 20:29:14.16 Z15TEWzA.net
ゴエンカって日常生活でどういう瞑想を1日2時間って指導されるの
ボディスキャンだけ?アナパナも?

815:神も仏も名無しさん
19/02/01 22:32:06.35 x+dHmmwj.net
悟りなんか開くより死んだ方が早いだろ
どうせ死後の世界なんかないんだから

816:神も仏も名無しさん
19/02/01 23:51:10.46 s+vUg6O5.net
>>799
そうおもうのならなんでこのスレ見てんの?
ブッダの教えは死後の世界ありきの話なんだけど

817:神も仏も名無しさん
19/02/02 12:13:42.14 i4Kb/tHj.net
>>796
預流果以上は戒律を守ると破戒僧スマナサーラは言っている。スマナサーラは預流果ですらない。
ダンマパダでは破戒僧は地獄に行くから死ねだとさ。
URLリンク(s.webry.info)

818:神も仏も名無しさん
19/02/02 12:39:58.32 i4Kb/tHj.net
消されたyahoo!知恵袋の回答
0491 神も仏も名無しさん 2018/06/06 19:55:50
URLリンク(m.chiebukuro...)
Qアルボムッレ・スマナサーラさんは解脱しているのでしょうか?
悟りを開いた人しか教えてはならないと言われてたような気がします
A解脱していません。
私は、過去に本を読んで興味を持ち、瞑想指導を受けに行きましたが、そこでの法話で、スマナサーラ長老が「TVショッピングで衝動買いした」と話していて仰天しました。
また、気を取り直して別の法話会に行った時、終了後に女性ファン数人と握手するのを見ました。
上座部では、女性に触れるのも、お金に触れるのも戒律違反です。
真面目な出家は、戒律を守るように努力するので、人前で恥ずかしげもなく破戒行為などしません。
また、解脱者はさらに進んで心の煩悩が無くなっているので、破戒行為そのものをしません。破戒行為=解脱者でないという目安です。
破戒しながら「自分は解脱した」というのは、オウムの麻原みたいなタイプです。
以上のことから、私は、彼は解脱していないし、真面目な出家でもないと思っています。
また、調べるとわかりますが、過去には、彼の瞑想指導を受けて自殺した若者もいます。
もし、これから瞑想を習おうとしている人がいたら、その点は注意したほうがいいと思います。

819:神も仏も名無しさん
19/02/02 16:25:09.09 R7zSAFG4.net
世には色々な覚者がいて、アートマンがあるという人もいますが、何が真実なんでしょうかね。
たとえばラマナ・マハルシとか、私はとても尊敬しているのですが、真我があるとか言われてます。
でも仏教では真我なんて言いませんよね。あるともないとも言われてません。

820:神も仏も名無しさん
19/02/02 19:54:44.43 rLlzxV00.net
超逆境クイズバトル!!99人の壁 古舘伊知郎が生涯クイズ初挑戦!2時間SP★1
仏教古舘

821:神も仏も名無しさん
19/02/03 07:39:03.98 xlJE9zpc.net
へー、上座部の戒律ってのは絶対的で完璧なんだね。
もともとの戒律を変えてしまった根本分裂以降の、他の仏教宗派は解脱できないんだろうね。
解脱した人は完全、完璧で、どんなささいなミスも犯すことがなく、社会がどう変化しても上座部の戒律を厳格に守るんだね。
一切は苦、ドゥッカ、不完全であると悟った人は、不完全な戒律を、不完全な人間が、完全に守る事を期待する訳ね。
この世とあの世の一切に執着しなくなった人が、上座部の戒律だけは厳格に守ることに執着する訳ね。

822:神も仏も名無しさん
19/02/03 10:51:42.85 WToDUmTjK
他人のことは放っておくのです。自他共に良し悪しを判断しないこと。
ときとして判断は猛毒になる。その繰り返しがあなたの苦しみの輪廻
を引き起こし、修行の進歩の妨げる。

他人に理想のブッダを求めてはいけません。
ブッダは自分の中に求めるのです。

823:神も仏も名無しさん
19/02/03 15:13:25.83 Mr80TOjs.net
>>805
こんなとこ見ていないスマナサーラ長老にシャドーボクシングして底辺は仕方ないな。

あと87日

824:神も仏も名無しさん
19/02/03 15:17:34.31 Mr80TOjs.net
あと87日

>>805
お前、スマナサーラ長老が預流果以上は戒律を守るって執着するって意味じゃないぜ。
スマナサーラ長老は地獄に落ちる悪業を積み我々にスリランカ仏教を布教してくれた。
長老がいなければスリランカ仏教が日本に根付かなかった。感謝しろ。

825:神も仏も名無しさん
19/02/03 15:22:05.27 Mr80TOjs.net
あと87日
俺はあえてスリランカ仏教と言ったが日本にテーラワーダが根付いたのはスマナサーラ長老のおかげ。
破戒がデフォの仏教が流行ったのだから一緒に地獄に落ちる覚悟で信じていくしかなかろう。
経典を裏切りながら。

826:神も仏も名無しさん
19/02/03 15:29:10.97 Mr80TOjs.net
>>801
それとお前。
大半のスマナサーラ長老の信者はあの世なんか信じていない。
勘違いすんな。

827:神も仏も名無しさん
19/02/03 15:37:33.64 Mr80TOjs.net
あと87日

828:神も仏も名無しさん
19/02/03 16:27:21.80 D8xLdb2r.net
もう87なん?
飛びすぎちゃう?

829:神も仏も名無しさん
19/02/03 16:30:45.57 Mr80TOjs.net
>>812
あと87日

830:神も仏も名無しさん
19/02/03 16:46:04.71 D8xLdb2r.net
何が?

831:神も仏も名無しさん
19/02/03 19:52:38.62 xlJE9zpc.net
預流果に悟ると戒律を守るのは何故?
在家の場合は五戒?

832:神も仏も名無しさん
19/02/03 21:09:30.50 Mr80TOjs.net
あと87日

833:神も仏も名無しさん
19/02/04 07:09:21.76 vS5HJT3X/
罵るものに罵りを怒るものに怒りを
言い争いに言い争いを返したならば
その人は相手からの食事を食べたことになる。

わたしはあながが差し出すものを受け取らない。

あなたの言葉はあなただけのものになる。

そのまま持って帰るが良い。

834:神も仏も名無しさん
19/02/04 07:12:04.63 vS5HJT3X/
これこそが正しいと主張することを、わたしはしない。
見解への執着もただの執着であると理解して
他者が陥るあやまちをあやまちとして理解しつつ
囚われることはない。
わたしは自らの心の状態を見つめて心の平安と澄明さを保つ。

835:神も仏も名無しさん
19/02/04 10:27:38.76 20olD7Vd.net
その後マハーカルナーはどうしてる

836:神も仏も名無しさん
19/02/04 15:08:22.01 0hM0TI1/.net
>>815
戒律を守る結果が悟りではないでしょうか。

837:神も仏も名無しさん
19/02/04 16:13:25.21 r4v/U7Wl.net
人は見かけが100%
今回の芸能人不祥事で再認識

838:神も仏も名無しさん
19/02/04 20:02:14.14 eR3NGAJO.net
>>820
それは五戒?八斎戒?比丘戒?

839:神も仏も名無しさん
19/02/04 20:40:00.86 y+5ZTS54.net
あと100日

840:神も仏も名無しさん
19/02/05 08:44:19.13 XzbuP19V.net
>>815
預流果に悟ると自我の錯覚が破れるから、他人を害して自分だけ得しようという気にならない。
自我が無いから、他人と自分を区別しない。もちろん自分と他人は別の人間だという事は分かっているが、
自分は大切で他人はどうでもいいという考えが無いので虫であっても殺せない。
殺したいけど我慢して殺さないのではなく、自分と同じ命であると実感しているので殺せない。
同様に盗めない、不倫できない、嘘をつけない。
他人のものを盗んで自分だけ得しようとは思わない。他人の奥さんと仲良くなれば、その旦那がイヤな思いをするだろうから不倫できない。
嘘をついて他人を騙し、自分を守ろうとは思わない。
出家でも在家でも、預流果に悟った場合に守るのは自我に関する戒律だろう。具体的には十善戒。
非時食戒など、自我に関係しない戒は守らない可能性はある。

841:神も仏も名無しさん
19/02/05 09:12:26.28 sPqlGhmL.net
>>822
そう考えたらおかしいですね。在家と出家で守る戒律が違ってくるというのは。
たぶん、共通する基本的な戒律だと思います。

842:ポッタン師
19/02/05 09:16:41.85 rZoMb1V+.net
戒律は生活の問題である。
それは悟り、とは関係がない。
バカには理解できない。大爆笑である。

843:神も仏も名無しさん
19/02/05 09:35:25.10 ef1AvR/y.net
悟り(による心の変性)が生活へフィードバックすんだよ。
パーピスレでもそうだが、お前、ほんと浅いな・・。  >>826

844:神も仏も名無しさん
19/02/05 19:29:54.54 MNAh5o95.net
>>826
お懐かしい。大王さんですね。
今ここで語られてるのはテーラワーダのドグマの話です。
戒律と悟りを結びつけるスマナサーラ師が戒律を一切、守っていないというネタですね。

845:神も仏も名無しさん
19/02/05 19:40:34.73 ef1AvR/y.net
宗教系の板で私が知ってる大王は精霊大王と閻魔大王の二人しかいないが、
それとは違う味わい。
何大王? (´・ω・`)

846:神も仏も名無しさん
19/02/05 21:28:52.16 XzbuP19V.net
仏教には本来戒律は無かったが、出家比丘が多くなると真面目に修行しないものがでてきたので、戒律を定める必要があった。
これを随犯随制というらしい。
しかも最終的には戒律を捨て、善悪を捨て、浄不浄も捨てなければいけないらしい。
●本来、仏教には厳しい戒律などなかった
URLリンク(ameblo.jp)

847:神も仏も名無しさん
19/02/05 21:45:52.72 ef1AvR/y.net
でも、「戒」の無い仏教もあり得ないでしょ?
仏の十号、僧伽の九德、法の六德、
いずれも、「戒」に直結してると思うけど?

848:ポッタン師
19/02/05 21:51:40.69 RqsrY3I8.net
827.戒がない、が仏教である。なんでか。
戒は生活の問題である。
仏教は生活の問題ではない、からである。

849:神も仏も名無しさん
19/02/05 21:58:17.40 ef1AvR/y.net

ほんと浅いなw  >>832  そんなに悔しかったか?
生活の問題でないなら、 仏道修行者は、
どこで暮らしてるんだ?何を身に著けてるんだ?
何を食べてるんだ?
誰と会話してるんだ? 法を説くことはないのか?(説くならば誰に対して話しかけてるんだ?)
パラレルワールドのように別世界で生きてるならまだしも、
同じ大地を踏みしめて、同じ空気を吸って、
その上、食事まで施してもらって、
(一般人は勿論)出家修行者自身の生活と乖離した仏教なんぞ、図書館の蔵書以下だろw  ┐(´ー‘)┌

850:ポッタン師
19/02/05 22:11:48.44 RqsrY3I8.net
829.バカ丸出し、である。
それならば、金儲け、をやっていろ。大爆笑である。

851:神も仏も名無しさん
19/02/05 22:16:11.93 ef1AvR/y.net
>>834
仏陀の49年を、おさらいしとけ ( ´,_ゝ`)

852:神も仏も名無しさん
19/02/05 22:17:00.28 ef1AvR/y.net
あ、南は45か

853:神も仏も名無しさん
19/02/05 22:39:40.15 ef1AvR/y.net
つか、スーパーマンみたいな仏陀を描かない限り、
必ず
食事をして、排泄をして、休んで(軽く睡眠とって)、
会う人・関係のできた人と会話して、何がしかを語って、
貶されたり批判されたり感謝されたり、
そういう「在り方」(→生活→生き方)無しに仏教は無い、
ってのは、(桃源郷の仙人じゃないんだからw)
シッダッタ以来変わらない筈なんだがね・・・。

神智学の方でどうなのかは知らんけどw

854:神も仏も名無しさん
19/02/06 15:38:54.70 /F5Lh4EL.net
ちょっとお聞きしたいんですが、
執着が苦しみになるというのは、それが心の浮き沈みになるから、と説明している経典ありますかね?
掉挙でしょうか?無常なものに執着するから苦しみになる、と書かれているのは知っているのですが。

855:神も仏も名無しさん
19/02/06 15:41:03.36 /F5Lh4EL.net
何かに強く執着したり、貪ったりするほど、心がざわつくと感じているので、浮かんだ疑問です。
経典では何か言われてるんでしょうか。

856:神も仏も名無しさん
19/02/06 19:20:00.74 n+/DlqKr.net
解脱できないからだろ

857:神も仏も名無しさん
19/02/06 21:06:02.39 UTIxPiPP.net
破戒僧スマナサーラ長老を信じる。
あと84日

858:神も仏も名無しさん
19/02/07 02:21:37.06 JZk+qPch.net
>>837
ゴータマ王子は“アヴァター”でした。
ヒンドゥーにおける「アヴァターラ」というのは、
“神の化身”という程度の意味合いでしかありませんが、
しかし、神智学の説く「アヴァター」には、更にもっと多くの具体的な説明があります。
アヴァターというのは、この惑星ハイアラキー
(覚者方によって構成されたグループ集団『白色聖同胞団』における地球組織)が
他の天体から招集した覚者存在であり、その主な役割は大きく二つあります。
その一つは、人間のあるべき本来の正しい姿や生き方とか、または弟子としての正しい修行の在り方、等々について、
自らが実演して、実際にその模範を持って示して見せることです。
ある意味では、人間としてのごく当たり前の生涯を送って、最後には他の人間と同様にして病気などによって普通に肉体死に至ります。
ただし、その最後の病気というのも不慮の事故や病気ではないのであって、実際には自らがその死に方を意識的に選択して、
その病気なりを引き起こしているのです。彼らには悪業カルマはないので、いわゆる“不慮の死”というものはないのです。
そして、もう一つはこの惑星ロゴス(主神)の反映として、宇宙的なレベルでのエネルギーの伝導(エネルギーの流出入)を担当し、
この惑星の進化の促進に貢献することです。これは常時、複数人のアヴァターたちの協力関係でなされています
(彼らは主にインドのヒンドゥー圏において出現しており、『南インドロッジ』に所属します)。
対して、
惑星ハイアラキーのメンバーというのは基本的には肉体を持たないか、
或いは、肉体を所持する場合には自らの意志力によって物質創造した(母胎には宿らない)
不老不死の完全なる肉体を使用します。彼らは、数百年~数千年間その肉体を使用して、
そして、また再び新しい肉体を創ります。
また、
アヴァターたちは歴史上の知られる存在(知られていない者も含め)ですが、
しかし、ハイアラキーの覚者方については、歴史的にその存在が認知されてはいません。
この謎の覚者方の存在について、世界に初めて紹介したのがブラヴァツキーでした。
以上、ご参考まで

859:神も仏も名無しさん
19/02/07 13:00:16.03 d+XcVFyH3
人は執着によって苦しむ

求めるものを得たいという執着
手にしたものがいつまでも続くようにという執着
苦痛となっている物事をなくしたいという執着
・・・

苦しみが止むとは
「苦しい現実そのものではなく
苦しみの原因である執着が完全に止んだ状態」なのだ。


さまざまな執着・煩悩が消滅した境地こそよろこびである。

860:神も仏も名無しさん
19/02/07 13:03:12.35 d+XcVFyH3
いかなるときも気付きを保つように心がけ
無執着でいるように。

861:神も仏も名無しさん
19/02/07 15:16:39.47 d+XcVFyH3
他人が「苦しんでいるだろうな・・・」と思われる状況でも
賢者は、なにごとにも執着せず気付きを保ち穏やかでいられる。

862:神も仏も名無しさん
19/02/07 16:05:42.33 bZILvdS/.net
>>838
なぜ執着すると苦しいのか。
それを探求、確認するのが瞑想でしょうに。
経典を読んでも分からない。
なぜ殴られると痛いのか。
他人に聞くもんじゃないでしょう。
実際に殴られれば分かる。

863:神も仏も名無しさん
19/02/07 18:39:59.92 CwJzm9+v.net
戒は、三学(戒定慧)の土台だから不可欠だと思いますが
律は本来、僧伽の運営規則ですから、サンガと分けて考える
ことはできないのではないでしょうかね。
律そのものが、三学を護り助ける働きがあるとも思いますけど、
社会文化との整合性も必要なせいか、インド文化圏以外には
根付かなかったようですね。

864:神も仏も名無しさん
19/02/07 18:48:15.22 CwJzm9+v.net
>>830
仏陀 「善と不善とを捨て去りなさい」
麻原 「戒律など捨てなさい」
まぁ、実際のところ、大分ニュアンスが違うと思いますだけどねぇ・・・。

865:神も仏も名無しさん
19/02/07 18:54:21.96 bzBUUm35.net
>>846
はい。かしこまりっ。

866:神も仏も名無しさん
19/02/07 19:19:24.61 0OJiuNcG.net
麻原は解脱者なんかではないし今生でやったことはメチャクチャだけど、もしかしたら
輪廻していくうちに過酷な経験を経て、やがて本物の宗教家(というか解脱者)になる
可能性もあると思う。 そもそもこれは仮想現実で、本当は個人は行為者ではないのだから。
ハーレム状態作ったりおかしな教義で殺人を正当化したり、
世俗の最も醜い部分を体現したような部分がほとんどだけど、
世俗のものさしでは測れないような部分が、たしかに麻原の中にはあった。
そもそも何のメリットがあって、あんなことをやるのか? 
国家転覆とかハルマゲドンとか、頭おかしいといえばそのとおりだけど…

867:神も仏も名無しさん
19/02/07 20:51:00.06 CwJzm9+v.net
外国の諜報機関がオウムを利用してた。

868:神も仏も名無しさん
19/02/07 20:54:47.37 CwJzm9+v.net
オウム麻原のタントラヴァジラヤーナ思想のルーツは、
おそらくマルキシズム、共産主義。
本来、相容れないはずの唯物論の共産主義に乗っ取ら
れてる時点で、麻原の宗教家としての側面における底の
浅さは露呈してると思うけどね。

869:神も仏も名無しさん
19/02/07 21:10:16.55 0OJiuNcG.net
いや、オウムの教義も麻原自身も、底は浅いと思うよ。
古来からのいろんな宗教の断片の寄せ集めだし。
麻原自身、修行なんかマトモにやってないみたいだし。
ただ自分の経験から、個人が行為者であることは認めがたいので、
麻原はその運命で生まれてきた、と考えると、
その方向で輪廻していっていつかは大成するのかな、と。根拠はないけど。

870:神も仏も名無しさん
19/02/07 21:16:49.95 0OJiuNcG.net
URLリンク(www.youtube.com)
4:30~ 「資本主義と社会主義をつぶして宗教的な国を作る」
って言ってるけど、共産主義の思想がルーツなんだ・・
そのへん詳しくないので、初めて知った。

871:神も仏も名無しさん
19/02/07 22:08:10.97 SR5SC0JH.net
>>803
覚者とかいうのは全員漏れなくペテン師
預言者だの悟っただの霊能者だの霊媒師だの宗教関連じゃ全員そう
だから宗教によって宗派によって時代によって人によってそれぞれ言ってる内容が全く違う
死後、悟り、神、霊魂、この手の話は真偽の確認のしようがないから好き放題言えて昔からこの界隈は嘘つきにとっての天国になってる
言いっ放しで証拠を提示しないやつは片っ端から嘘つきとみなすべき
すると本物なんてどこにも存在しないということがわかる

872:神も仏も名無しさん
19/02/07 22:31:37.82 CwJzm9+v.net
>>854
麻原自身のルーツではないと思う。
麻原と接触していた外国の諜報機関の思想。
麻原のタントラヴァジラヤーナ思想における、目的のためには
殺人を含めたあらゆる手段が正当化されるという思想(?)は
おそらくスピノザやマルクスから来ている。

873:神も仏も名無しさん
19/02/07 22:38:42.23 CwJzm9+v.net
>>855
物証がないから、ペテン師の温床になってる。
そういう側面も確かにある。
しかし、三学の修習を通して体験智としての智慧に達すると、釈尊の言っている
ことが観測事実として確認できる。
科学的根拠は観測による確認に基づくのであるから、観測によって確かめるのが
本当に理性的であるということ。

874:神も仏も名無しさん
19/02/07 22:40:35.06 CwJzm9+v.net
観測によって確かめるのであれば、名と色は異なることがわかる。
名は、色ではないので色として提示することはできない。
(精神現象は物理現象ではないので、物質として提出することはできない。)
このことは、詐欺師が悪用するところでもあるし、
精神についての真実を示してもいる。

875:神も仏も名無しさん
19/02/07 22:47:38.38 CwJzm9+v.net
>>855 の理解に基づけば、本物なんてどこにもないのだから
世界中にある伝統宗教の寺院も、神社も、すべて麻原や幸福
のなんとかと同じものでしかないという話になる。
良くても無害なピカチュウ信仰ということ。
玄奘三蔵の命がけの旅も、愚かのひと言で終わり。
そんなにバカだと思ってるのだとしたら、それはその人の内面
の投影に過ぎない。
高校生以下。

876:神も仏も名無しさん
19/02/07 22:53:21.93 0OJiuNcG.net
釈迦が五蘊無我の他に真我(アートマン)という言葉を使わないのは、
修行者がそれをイメージして求めてしまうのを嫌がったからかと。
~ウダーナヴァルガ(感興のことば)より~
比丘たちよ、生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、
形成されたのではないもの、生起したのではないものがある。
〔さらに一方〕 生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、
縁起したものがある。 比丘たちよ、もし生じたのではないもの、現れたのではないもの、
作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがないならば、
『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、
縁起したものを離れることがある』と私は説かないであろう。
ところが比丘たちよ、生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、
形成されたのではないもの、生起したのではないものがあるから、
だから『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、
縁起したものを離れることがある』と私は説く。

877:神も仏も名無しさん
19/02/07 22:54:16.38 0OJiuNcG.net
>>856
なるほど。勉強になります。

878:神も仏も名無しさん
19/02/08 08:28:44.21 ffh5MJ8A.net
問題はペテン師の方にある訳ではなくて、我々に、本物とペテン師を見抜く目が無いことが問題。
ペテン師はいつの時代でも、どの社会にでもいるし、いなくなることは無い。
じゃあ本物は誰か?覚者は誰か?を見抜くためには自分自身が本物、覚者にならなければいけない。
そこに修行の必要性が生まれる。

879:神も仏も名無しさん
19/02/08 08:33:11.97 ffh5MJ8A.net
>瑞巌和尚、毎日自ら主人公と喚び、復自ら応諾す。及ち云く「惺惺着や、喏。他時異日、人の瞞まんを受くること莫れ、喏喏」(『無門関』第十二則)

>瑞巌和尚という方は、毎日自分自身に向かって「主人公」と呼びかけ、また自分で「ハイ」と返事をしていました。
>「はっきりと目を醒ましているか」「ハイ」「これから先も人に騙されなさんなや」「ハイ、ハイ」といって、毎日ひとり言をいっておられたというのです。
URLリンク(www.rinnou.net)

880:神も仏も名無しさん
19/02/08 09:25:46.23 q+hra/qn.net
一二 火は薪に依存してあるのではない。火は薪に依存しないであるのではない。薪は火に依存しないであるのではない。
一三 火は他のものからくるのではない。火は薪の中には存在しない。この薪に関して、その他のことは【第二章において】
いま現に去りつつあるもの・すでに去ったもの・未だ去りらないもの【についての考察】によって説明されおわった。
一四 さらに火は薪ではない。また火は薪以外の他のもののうちにあるのではない。火は薪を有するものではない。また火のうちに薪があるのでもない。また薪のうちにも火があるのでもない。
一五 アートマンと執着(すなわち5取蘊)とのすべての関係が、火と薪とによって、残りなく説明された。瓶と衣などとともに【すべてについて】説明されたのである。
一六 アートマンは実体を有するものであると考え、もろもろの事物はそれぞれ別異のものであると説く人々は、教えの異議に熟達している人々である、とわたくしは考えない。
URLリンク(mixi.jp)

881:神も仏も名無しさん
19/02/08 14:54:22.65 u0p/uUwt.net
名色分離智について書いたものです。本日、手がかりを得ました。
世滅智を得れば、天界でも修行ができるということなので、ここを目標に頑張りたいと思います。

882:ポッタン師
19/02/08 14:59:43.98 ErL4URIG.net
858.バカ丸出し、である。大爆笑である。

883:神も仏も名無しさん
19/02/08 15:21:56.86 u0p/uUwt.net
カルマを増やす行動をすることの方をこそ恐れるべきでしょうね。
親切心で言っていますよ。

884:神も仏も名無しさん
19/02/09 07:40:25.47 ULXR18AY.net
いやほんとよく言えたもんだね

885:神も仏も名無しさん
19/02/09 12:29:56.90 FzSLGrgF.net
智慧は人智を超えているので、人間が先入観に基づいて頭で考えても
絶対に分かりはしない。
舐めすぎ。

886:神も仏も名無しさん
19/02/09 12:34:04.38 FzSLGrgF.net
考えても分からないし、修行して智慧に達することができる人も稀。
だからこそ信が強調される。
修行できないほとんどの人にとって、信だけが命綱。
瞑想できる人は稀。
慧に達する人は更に稀。
四諦を悟る人は更に稀。

887:神も仏も名無しさん
19/02/09 13:08:42.34 EoQq1rGU.net
信が強調されると断言する根拠は何
そもそも 信 をどんな意味で使っているのだろうか

888:神も仏も名無しさん
19/02/09 14:06:03.63 uuI4cINk.net
こころを信に置くと言う事なんじゃないですか?

889:神も仏も名無しさん
19/02/09 16:41:37.27 x9L4QRDn.net
テーラワーダ仏教国の在家信者は、修行して悟ることよりお布施をしたりして功徳を積むことを重視してるらしいね
そういう人達はブッダを信仰してると言えるだろうね

890:神も仏も名無しさん
19/02/09 18


891::06:46.11 ID:qWba0o0s.net



892:神も仏も名無しさん
19/02/09 18:12:34.31 qWba0o0s.net
もう一言
麻原は捨てられた可哀相な子でもある
親にしてみれば金がかからずに済むには盲学校に入れるのが良いと思っただけ
兄貴も同じ学校に居たし大丈夫と思ったんだな
片目は1.0見えたから、同級生の中では超越者だったんだよ
カツアゲしたり虐めたりやりたい放題に捨てられた悲しみを発散した
それが彼の人格を作り上げてしまった
彼は中学の作文で将来の夢としてロボット帝国を作って王に君臨することを書いたという
それは彼の中では半分現実だったということだ
オウムでも同じ事をやったんだよ

893:神も仏も名無しさん
19/02/09 18:29:59.00 qWba0o0s.net
自らを超越者の座におきながら、ろくに親の愛情にも恵まれず育ち
盲目であるということが既成事実(本当は半盲)としてあり
最終解脱者を名乗り、オウム以前から日本の王になる野望を隠し持った詐欺師だったw
最終解脱はともかく、それ以外のことはほとんど誰も疑わなかっただろう
あまりに規格外だった
なかなか頭の良い生命力のある男だった、ということも忘れちゃいけない
そして、ダライ・ラマの推薦もあり宗教法人の認可が降りた
最終解脱宣言をし、信者の全財産を寄贈させ、ボロ儲けした
そして国家転覆を図った
ソ連と接触しなくとも、その意志は彼にはあった
おりしも超能力ブームのあった時代
特に親に不満がある人が吸い寄せられたと、上祐は分析していた

894:神も仏も名無しさん
19/02/09 19:38:56.93 FzSLGrgF.net
>>871
戒と定がなければ、慧はないから。
戒と定がなければ、慧はないので、瞑想できない、戒律も守れない
という人が慧の恩恵に浴するには慧を持つ人か、慧から出た言葉を
信頼する以外に方法がない。
特に大乗仏教の在家信者向け方便はそうだと思うが、それらが主眼
をおいているのは、
信を持たせることの一点に尽きると思う。
瞑想できる人は、信仰ではなくて、観測によって観測事実として智慧
そのものを確かめるので、信仰ではなく、確信になる。
地球が丸いことを観測した人は、地球が丸いことを知っているので、
もはや地球が丸いと信じたりはしない。
知らない人は、コペルニクスやガリレオその他の天文学者の言うことを
信じるしかない。

895:神も仏も名無しさん
19/02/09 19:40:57.86 FzSLGrgF.net
「無我」ひとつとっても、概念的に知っているのではなく、実感として知っている人は
あまり居ないはず。

896:神も仏も名無しさん
19/02/09 19:42:11.20 Ne8aYUDZ.net
【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】
オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。
創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。
創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。
創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。
池田大作を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです _
その他の入ってはいけない宗教
アレフ、統一教会、顕正会、エボバの証人、法の華
創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ)

897:神も仏も名無しさん
19/02/09 20:08:48.29 +++Ha2ss.net
>>876
オウムの宗教法人認可は石原慎太郎の圧力が決め手だと思う
石原の四男の画家、石原延啓はオウム幹部

898:神も仏も名無しさん
19/02/10 13:26:33.80 bNFFvON7.net
成仏すればみんな同じ。

899:神も仏も名無しさん
19/02/10 15:20:48.18 oxDyjzUq.net
死んでから仏になるはいらぬもの 生きたるうちに善き人となれ
死んでから仏と言うは何故ぞ 小言も言わず邪魔にならねば

900:神も仏も名無しさん
19/02/10 15:27:09.83 psKPRO2I.net
即身成仏 かしこまりっ♪

901:神も仏も名無しさん
19/02/10 17:42:09.71 CPuU3f4j.net
仏とは何なんだろうか?

902:神も仏も名無しさん
19/02/10 17:53:36.26 psKPRO2I.net
真のリアリティ、至高の神、=仏
偽りのリアリティ、ジョークの神、=現象世界(宇宙)
真に実在するのは仏のみだが、そこからジョークの神が出てきてふざけてるだけ
この宇宙全体が一つのオバケのようなもん
人間の体や心や意識もそのオバケの一部で
すべてはこのオバケが1㍉の狂いもなく、運命に定められたとおりに動かしてる
ただ自我の催眠作用があるがぎり、自分が人間で自分の意思で動かしてると感じる

903:神も仏も名無しさん
19/02/10 19:37:51.59 TLicaAq1.net
破戒僧スマナサーラ師と共に地獄へ
日本テーラワーダ仏教協会会員
あと1095日

904:神も仏も名無しさん
19/02/11 07:07:08.04 Kkw7bBxg.net
パーリ梵網経には、有情が持ちうる宗教的な見解が網羅的に示されている。
語られた言葉は、それを語った人の精神の足跡とも考えられるが、梵網経
ひとつをとってみても、そこには釈尊の非凡な足跡がありありと見て取れる。
人ならざる者(佛)の足跡が、確かにそこにある。

905:神も仏も名無しさん
19/02/11 16:14:07.87 +tww+jDd.net
仏教を勉強して今日で1年になりますが、仏教の核心部分は、
人生は苦しみであり、渇愛が苦しみの原因にあり、
それを克服する道は八正道である、ということが分かりました。
多分、日本の仏教を勉強していたら、この理解にはつながらなかったと思います。

906:神も仏も名無しさん
19/02/11 16:18:51.80 +tww+jDd.net
より多くの学びか、長い時間がかかったと思います。

907:神も仏も名無しさん
19/02/11 16:24:14.40 klwoEGT8.net
まあ、果物の種みたいなもんか。>>四諦
世代継承・種の継続収穫継続の爲に最も必要なのが種としても、
その周りの果肉にフォーカスし、味わい、評価するのが(特に後期)大乗、と。
(園芸家庭菜園趣味は別としても)
種だけだと、八百屋じゃなかなか売れないでしょw
で、種を取った果肉だけが販売されるようにもなる、と。

908:神も仏も名無しさん
19/02/11 20:57:24.85 iz2ySZKv.net
瞑想が進んでくると、段々と心が清浄で無垢になってくる
すると、世間の人の世俗的な心、攻撃心とか嫉妬心とか騙す心とかから
うまく身を守らないとならないとかなり切実に感じる
サンガの修行者も悟ってない間は、お互い世俗の心が残ってるわけで
これを守ってるからいいんだ、とするガイドラインが必要だってことね
けどそれは建前ではなく、本当に正しい道でなきゃならない
それが八正道としてまとめられている様に感じるんだけどな
守るべきと言うよりも、守るようにしていると自分が守られるよ
という教えだと理解してる

909:神も仏も名無しさん
19/02/12 07:49:01.71 DZsNr80q.net
清浄で無垢になってくるというより、
すっきりする。 元気になる。 軽くなる。凪のように静かになってくる。しなやかになる。
そんな感じだなあ、自分の場合

910:神も仏も名無しさん
19/02/12 07:52:28.48 YLJIa1s7.net
守らなきゃいけない自分があるうちはまだまだだね
殴られようが、蹴られようが、全財産盗まれようが、馬鹿にされようが、けなされようが、平気でいなきゃいけない

911:神も仏も名無しさん
19/02/12 14:56:26.59 zxlPYZ6z.net
それは道ではなく到達点のこと

912:神も仏も名無しさん
19/02/12 18:18:33.46 x957UzKo.net
気分の変化だけではなく、瞑想による落ち着きさえも憑依の場合がある。
これから広めなければならない話題は、悪魔は神仏の振りをするという事。
切なくなる音楽、悲しくなる音楽教えて下さい スレリンク(healmusic板)

913:神も仏も名無しさん
19/02/12 19:27:46.24 iggdecgc.net
>>893
全財産盗まれるのはきついな
まあ一か月もあれば忘れるだろうけど
それ以外は平気

914:神も仏も名無しさん
19/02/12 19:57:47.60 PKnoc0XA.net
会社の社長、
或は、親の介護をしてる人等が、
自分はどうでもいいと思ったとしても、
自分の立ち位置(…収入、世間からの評価・対応・処遇)が仏道を選ぶことによって変わるとしたら、
自分が出家した後、両親は、社員は、配偶者は、仲間は、恋人は、どうなるのか?
という危惧が生じない筈はなかろうに・・・。
また、「兄弟が居れば」という発言があるならば、
一人っ子は仏道を歩めない、ということになるわなw

915:神も仏も名無しさん
19/02/12 20:53:01.04 YLJIa1s7.net
黄檗禅師は老いた母を捨てて修行したけどね
ブッダは子供、跡継ぎができてから出家したね
まぁ人それぞれだろうね

916:神も仏も名無しさん
19/02/12 21:15:21.46 BJL993vO.net
そして臨済に横っ面を張り倒されることになる

917:神も仏も名無しさん
19/02/13 08:50:17.33 /XilrZLT.net
他人様に、その人の人生をどうしろ、こうしろと指図できるだけの了見があるなら言えばいいんじゃない。
どうせ責任とれないでしょ。

918:神も仏も名無しさん
19/02/13 08:58:48.68 /XilrZLT.net
出家だったら、毎日が人生最後の日みないな気分がデフォだから
全財産盗まれてもへっちゃらだろうけどね。
まだ悟りにまで至ってなくとも。

919:神も仏も名無しさん
19/02/13 21:59:44.59 KeFS7utM.net
みんなそんなに財産持ってんの?
俺なんか葬式代も無いし、物はゴミみたいなギターしか無い。
お気に入りの包丁とか鍋はあるけど、それもクソ安いし実用品だしなぁ。
特にこれと言って惜しい財産は無いな。

920:神も仏も名無しさん
19/02/13 22:03:38.23 +Vm2oUM1.net
>>901には、ちゃんと
  『出家だったら』
という但書があるよ (´∀`)b

921:神も仏も名無しさん
19/02/13 22:33:33.19 eP5Sfis0.net
出家でちゃんと屋根の下に
住まないで歩いて外で生きていたら
なにかを盗まれると言う感覚が
人間社会に普通に暮らしてる人とは
全く違うものになっているだろうね

922:神も仏も名無しさん
19/02/13 23:41:18.21 +Vm2oUM1.net
その代わり、日本では、出家するまでが高難度。
つか、不可能かw

923:神も仏も名無しさん
19/02/14 01:52:18.46 1aia5do2.net
ある時、良寛が住んでいた五合庵に泥棒が入った。
泥棒は粗末な庵の中を見渡してみたものの、盗むものが何もないので、良寛の寝ている布団を盗ろうとした。
良寛は知らないふりをして寝返りをうち、泥棒が取りやすいようにしてやった。
その晩は十五夜でお月様がきれい。
盗人に取り残されし 窓の月
(気の毒な泥棒もこの月の美しさは盗めなかったなあ)

924:神も仏も名無しさん
19/02/14 07:23:06.78 TjNwZBiI.net
道元「学道の人は先ず須く貧なるべし。財おほければ必ず其の志を失ふ。」
中国の唐時代に、龐居士という在家の仏教信者がいました。仏道の修行をしようと志し、家の財産を全部持ち出して海に投げ捨てようとしました。
それを見ていた人が言いました。
「海に捨てるくらいなら、人に与えればいいだろう。あるいは、仏道の役に立つように使えばいいだろう。」
龐居士は答えました。
「財産は、自分に邪魔なものだと思って捨てるのだ。邪魔になると分かっているものを、どうして人に与えられようか。」
と言って、ついに海に全部投げ込んでしまいました。そうして仏道修行をしながら竹細工をし、それを売って生活しました。
後世に名が残るような人は、財宝を捨ててまでして志をたもつのです。

925:神も仏も名無しさん
19/02/15 20:33:55.59 m1DBdUZn.net
瞑想が進歩すると嬉しいものですね。
これでいいんだという喜びがあります。

926:神も仏も名無しさん
19/02/16 11:51:03.28 zm+kGlnk.net
よかったですね
もっと善くなりますように

927:神も仏も名無しさん
19/02/16 14:28:12.21 xIXzhOHJ.net
ありがとうございます。
ちなみに昨日は調子よかったんですが今日は全然ダメです(笑)
こんなのを繰り返してますね。

928:神も仏も名無しさん
19/02/16 14:30:24.13 xIXzhOHJ.net
よちよち歩きでも毎日成長していきたいですね。
ありがたいことに仏法に出会ってからそういう毎日を送っています。
仏法僧に感謝です。

929:神も仏も名無しさん
19/02/18 09:50:41.43 n/pR3rge.net
皆様仕事はどれくらいなさってますか?
私は9時間労働でちょっと自分の時間が少なく感じます。

930:神も仏も名無しさん
19/02/19 16:27:54.85 1zD5pN//.net
かなりしている仕事を選ぶのかもね
創作要素の強い仕事をしている若くしてそれなりに成功した知人が、仕事を失うまでの流れを見ていてそう思った

931:神も仏も名無しさん
19/02/19 16:30:19.62 1zD5pN//.net
まさに適材って感じだったのだが、仕事を失うというか、興味がなくなってしまったらしい

932:神も仏も名無しさん
19/02/19 16:35:42.92 1zD5pN//.net
そのことをきっかけに初期仏教(仏教)についてざっくりと調べてみたのだけど、真面目に取り組めば取り組むほど、ホームレス、もしくはホームレスの一歩手前に陥る危険性を孕んでいるのではないかなぁと。
で、その真面目な人達を救う仕組みみたいなものが出家制度なのかなと思った。

933:神も仏も名無しさん
19/02/19 16:54:23.18 1zD5pN//.net
だから、もし今している仕事が初期仏教(仏教)的に適しない要素のあるものであったなら、後にその仕事を失う可能性があることは覚悟しておいたほうがよいのではないかと思った。
そういうのって取り組む前の段階では教えてもらえないものなんでしょうか。前段階で本人は気づきようがないものなんでしょうか。

934:神も仏も名無しさん
19/02/19 17:01:52.97 1zD5pN//.net
まあ本人が不幸だと感じていないのであればそれでいいのだけど、周りからすればなんだかもやもやとしたものが残ったまま

935:神も仏も名無しさん
19/02/21 13:58:18.79 GRwX+7Mc.net
道路工事の警備員でもやればいい

936:神も仏も名無しさん
19/02/21 15:43:18.36 c2yGeHXC.net
仕事と悟りの話は実際のところ本音を凄く言いにくいんです 今まで何とか自分を誤魔化して励まして人工的にやり甲斐を見出して頑張ってきた人を致命的に変化させてしまいます
段階の差はあれどもう渡ってしまった人は続けられなくなるのは自然なこと 一瞬不安がよぎってもすぐに消えていってしまって悩むことができない
でもまだ渡ってない人にはこの事実は相当の恐怖を与えてしまう 修行の妨げになりかねない でも渡ってしまった人は渡る方が良いと思っているんで恐怖を与えたくない
仕事は工場などの単純作業や上に上がっている警備員 介護関係に転職された人もいらっしゃいますね 私は無職になってしまって今は投資でずっと家にいます

937:神も仏も名無しさん
19/02/21 16:56:03.57 YIo0wmGy.net
ご意見ありがとうございます。
仕事をしていてネットやTVにずっと時間を費やさなくなった部分は良かったと思いますが
連日の疲れによって瞑想できない。
かと言って仕事を辞めれば無駄に過ごす時間も増えそう
4~5時間労働ぐらいで試してみたいですね。
それも他人の芝なのかもしれませんが、

938:神も仏も名無しさん
19/02/21 22:04:01.21 MZcrhODK.net
幸か不幸か天災多過ぎで嫌でも刹那に気づかせてくれる国だね

939:神も仏も名無しさん
19/02/21 22:11:55.10 VPxg6+9Q.net
そうだろうか?
むしろ、震災以降、
「絆」という言葉を幟として、涅槃へ向かう際に最も障害となるであろう
「愛着、血のつながり、仲間意識、思い出、世代継承、世継ぎ、等々といった方面へのこだわり」
が、株価を上げてる気がするけど。

940:神も仏も名無しさん
19/02/21 22:15:27.81 VPxg6+9Q.net
すぐ上でも何人かが述懐してるが、
そりゃ、自分自身は、無職でもホームレスでも構わんだろうけど、
嫁さんや子供は、どうやって食べてくんだ?
一緒に物乞いさせるのか?

まあ、インド辺りでは、子供の腕切り落として街角に立たせるくらいだから、
それもアリだろうけどさ。

941:神も仏も名無しさん
19/02/21 22:26:33.60 7yPhcYrX.net
311以降少なくとも物質的なものに対しての執着は激減したな
どうせ死んだら全部ごみだし、あの世には何一つ持って行けんわって意識が強くなった
無駄なものをなるたけ持ちたくない
ただ私の場合は独り身だしね、家族がある人からすれば綺麗事なのかもしれない

942:神も仏も名無しさん
19/02/21 23


943::27:33.42 ID:VPxg6+9Q.net



944:神も仏も名無しさん
19/02/21 23:57:43.25 +h4XC5wc.net
メッタ(慈悲)持ってる在家の人なら、子供とかの面倒は見るんじゃないかね

945:神も仏も名無しさん
19/02/21 23:59:18.41 VPxg6+9Q.net
つまり、
子供のいる者は、来世の悟りを目指して、今生の悟りはあきらめろ(ギブアップ)ってことね。

946:神も仏も名無しさん
19/02/21 23:59:47.69 c2yGeHXC.net
あんまり深刻に考えないで欲しいんですが捨てるからといって嫌いになるわけでは無いんです それに捨てるといっても精神的に強い拘りが無くなるだけのことです
私なんかは親族が亡くなっても涙や悲しい気持ちは一滴も一瞬も もうよぎらないかもしれませんが親が介護が必要になったら同居して面倒見ようとも考えてます
一番身近な存在なので亡くなるまでに少しでも苦しい思い込み 思い出を解決してあげられたらと思って今でも色々話もします そう簡単ではないですけどねw

947:神も仏も名無しさん
19/02/22 00:11:42.89 MVVryl6i.net
勿論、『出家』という状態の定義によって変わるのだけど、
妻をめとり子をもうけ、親の世話をし、世俗的つき合いも「世俗的なレベルに合わせて」こなしつつ
精神的には孤高に生きる(―「心理的出家」という造語が適切かはともかく―)
という在り方(生活の仕方)で良いならば、現代日本仏教は種々批判されるけれども、
もし、そのような形でよいならば、(→「出家」である必要がないならば)、
日本仏教は、最も進んだ、最も理想的な、21世紀に合った仏教だと言い得るか・・。
だとしたら、上座部が入ってくる余地は無いなw

948:神も仏も名無しさん
19/02/22 07:03:51.04 JT8ioVyz.net
インドでもいつの時代でも
まともな宗教だろうと
異常な宗教であろうと
家族を捨てて
修行者になった人にとって
後の家族問題は綺麗事ではすまない
出家した人が悟ろうが悟るまいが
残された家族は苦労続きのうちに
先に死んでたりもする
どうにもなりはしないし
言い訳することもできない
そんな風に理解するけどな

949:神も仏も名無しさん
19/02/22 07:54:38.73 k/qS/+GP.net
インドの聖者と言われているラマナ・マハルシの母は弟子になりましたね
ラマナと母親とのエピソードが好きです。

950:神も仏も名無しさん
19/02/22 08:05:06.70 ip8SsZQK.net
>>928
一休さんは飼っていた雀が死んだとき周りが引くぐらい声を上げて泣いた。
感情が無くなるのが悟りでは無いぞ、という弟子へのアピールだろう。
婆子焼庵という公案もありますね。

951:神も仏も名無しさん
19/02/22 09:20:24.06 xVeQaEoy.net
独り言ですが、仏教としての答えはお釈迦さまやその弟子たちが示してくれていますが、
それを自分で、確かめるということは並大抵のことではないんだなと思いました。
ちょっとした簡単なことでさえ、難しく、自分で確かめられたら大きな発見となりますしね。

952:神も仏も名無しさん
19/02/22 13:16:18.03 LfekWH10.net
>>932 http://j-theravada.net/dhamma/oriori/仏教から見る死(下) ジャータカ物語になるけど、↑の一番下にある蛇前生物語の「ある農夫(ボーディサッタの前生)の例」とか見ると テーラワーダの見方だと、悲しみを克服しているのは理想っぽいのかなとは思ったよ



954:神も仏も名無しさん
19/02/22 14:41:53.87 ip8SsZQK.net
ブッダも、コンダンニャが悟った時にちょっと、はしゃいじゃったし、サーリプッタ、モッガラーナ両尊者が亡くなられた時は少し落ち込んだ。
完全に人間離れするのが阿羅漢じゃないみたい。
某スマナサーラ長老も人間臭いところがあるしね。人間なんだからあたりまえなんだけども。

955:神も仏も名無しさん
19/02/22 16:42:55.64 jFs8XJ1J.net
まあ1つ言えることは 渡ってしまえば今の心配は消えてしまうか 残っていてもかなり小さくなります そして内心的出家によっての凄惨なニュースはあまり聞いたことがないということw
それこそ離婚や離散や孤独死なんかは宗教なんて関係なくてもゴロゴロあります どんな状況であろうと誰であろうと未来のことは誰もわかり得ない
問題は精神的にガッツリ両手で握っているその拘りを精神的に離せるか 実際は大金持ちでもステキな奥さん 旦那さんが居ても 会社の社長でも良いわけです 精神的に手放すだけで良いんですから

956:神も仏も名無しさん
19/02/22 19:08:48.02 ip8SsZQK.net
テーラワーダでは全ての執着を手放した人、阿羅漢はもう在家生活は出来ないと言われてますけどね。


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