【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15 - 暇つぶし2ch450:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:15:20.75 cIW0sfnr.net
>>435
それはテーラワーダ仏教とは言わないでしょう。
テーラワーダの伝統でそんなことをしたら、まず理解されないし、有益な影響も及ぼさないだろう。
奈良時代以降の日本における状況と、瞑想修行を積んだサンガが護持するパーリ三蔵経典が
伝わっている現代とでは、状況が違う。

451:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:17:33.49 cIW0sfnr.net
正法が伝わっていたい時代と場所において、人々がそれぞれに考える
想像上の仏法しかない状況であったからこそ、禅宗のスタイルがベター
であっただけのことで、もし釈尊在世時のインドに生きていたら、状況は
一変していたはず。

452:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:19:51.55 cIW0sfnr.net
いまは、京都学派のような「輪廻はない。釈迦は輪廻を否定した。」などという
仏教学が幅を利かせている時代でもない。
一応、それなりに正法が伝わる状況になってる。

453:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:22:33.48 cIW0sfnr.net
如来の十力を舐めすぎだし、如来の十力に価値を置かない預流果
なんてものが居るはずがないと思う。
阿羅漢でもないのに乗り物を捨てるという発想もナンセンス。

454:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:48:11.03 cIW0sfnr.net
>>435
あなたの悟りの内容とは、おそらく次のようなものだろう。
「輪廻は空であり、実在しない。
 同様に、過去世も実在しない。
 そもそもわたし自身が実在しない。
 そのことを悟ったわたしに、もはや来世の生存、輪廻はない。」
これは有身見から出てくる発想、つまり概念だと思いますよ。
これを考えているあなただけが、その虚無思想だけがあなたにとっての
リアルなわけですからね。
その原因は、中論にもとづく哲学的思弁の延長線上に、悟りを位置
づけたことにあるのではないですか。

455:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:48:34.63 cIW0sfnr.net
それは断滅論です。

456:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:20:53.43 s5aW2b51.net
不断・不常の中論がなんで断滅論なんだよw

457:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:22:28.95 Yoo/3ltG.net
中論を読んで、虚無解脱する人は多いでしょ。

458:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:27:36.06 Yoo/3ltG.net
>>435の自称悟りが断滅論という話なので、
中論が断滅論かどうか、という風に論点をずらすのは適切ではないね。
中論の正統性を問題にしているわけではないので。
論点すり替え。

459:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:34:53.46 rjm0cWeR.net
意味不明 >>438
全部揃った原文は、シャム王室版、セイロン版、ビルマ版、そしてPTS版くらいじゃないか?
で、オウム独自の翻訳も、一度は書店に並んでいる。
当然、今や絶版だろうし、扱う書店も無いだろうけど。
いずれにしても、「外に出てる」とか関係なく、
訳し方の違いなだけで、それは、
正田訳とか中村訳とか水野訳とか前田訳とか片山訳とか、
或は、干潟訳とか高楠訳とか大御所含めたその他若手の南伝大蔵経版とか、
数え上げたらキリがないが、そうした各種訳出のバージョンの中の一つとしてオウム訳がある、
と思えばいい。

460:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:35:39.63 s5aW2b51.net
>>447
>>443
>その原因は、中論にもとづく哲学的思弁の延長線上に、悟りを位置
>づけたことにあるのではないですか。
と自分から言っておいて今更それはないな
論点すり替えてるのは君の方だわ

461:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:38:00.92 s5aW2b51.net
比丘たちよ、このように説き、このように論ずる私を、一部の沙門婆羅門たちは、不実ゆえ、虚偽ゆえ、虚妄に、偽って、誹謗します。
『沙門ゴータマは虚無論者であり、存在する有情の断滅、消失、非有を説く』と。
(中部 蛇喩経)
虚無論者と言われていたのは生前の仏陀だよ

462:神も仏も名無しさん
18/12/25 01:42:38.69 8FEsC7ZC.net
>>448
オウムのってチベットじゃあないの?

463:神も仏も名無しさん
18/12/25 06:06:26.75 Yoo/3ltG.net
>>449
そっちじゃない。
思弁哲学によって悟るのではない、ということ。
仏陀が教えたのは瞑想による悟りであって、哲学で悟るなら
菩提樹のもとで座る必要はなく、哲学すればいい。
そういう意味。

464:神も仏も名無しさん
18/12/25 06:09:35.33 Yoo/3ltG.net
>>450
悟る以前、過去世はありましたか、との問いに知らないと答えたでしょう。
あなたの本当の答えは、「過去世などない」のはずです。
それは断見ですよ。

465:神も仏も名無しさん
18/12/25 06:10:56.44 Yoo/3ltG.net
ずいぶんと巧妙なエゴをお持ちのようだけど、どうしてそんなんなっちゃったのか。
論点ずらしと屁理屈が巧妙すぎる。

466:神も仏も名無しさん
18/12/25 06:11:37.43 Yoo/3ltG.net
中論を読んで考え続けることを、ヴィパッサナー瞑想とは呼ばないですよ。

467:神も仏も名無しさん
18/12/25 06:19:33.84 Yoo/3ltG.net
龍樹を読んで虚妄解脱する人は後を絶たないけど、
仏陀の説法を聞いて断見に陥る人はいないんですよ。
龍樹や大乗仏教が仏陀の説いたものより上だなんて、幻想なんです。

468:神も仏も名無しさん
18/12/25 07:29:36.72 s5aW2b51.net
>>453
そんなことは自分は言ってないし
君がレスした>>435の人のIDを追ったら禅(臨済禅か)は何度か出してるが龍樹なんて一言も出してないし
君は興奮して憶測でものを語り事実確認を怠ってるのだよ
それで中論を読んで断滅論に陥った人っているのか答えて欲しい
中論では26章で無明に覆われたものは輪廻するとちゃんと説かれているのに
中論26章
URLリンク(mixi.jp)

469:神も仏も名無しさん
18/12/25 08:18:00.72 Q3C/Fuuq.net
中論は読んだこと無いですねぇ。龍樹の悟りは信頼してますが。
過去生は知らないですよ。神通力がある訳でもないので。
過去生があったはずだとは思いますが。いずれにせよ終わったことですからどうでもいいことです。
自分はガチガチのスマナサーラファンです。あと禅も好きです。

470:神も仏も名無しさん
18/12/25 08:55:47.09 Q3C/Fuuq.net
いずれにせよ七覚支の最後は捨覚支ですからね。
預流果に悟る瞬間でも、眼耳鼻舌身意、色声香味触法に対する執着を捨てないといけない。
当然「法」に対する執着も捨てないといけない。
まぁ死ぬ気で瞑想してたら、捨てようと思わなくても捨てる事になるとは思いますが。

471:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:03:10.26 s5aW2b51.net
>>458
君が>>435の人かね?
スマは一切が虚妄などということを言ってたのかね?
>>459
日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老によると、「捨」は「感情の波が立たない」平静な心であるが、
それは「鈍感で、何も興味がない、気にしない、無関心、閉鎖的で自分の世界にだけ閉じこもっている」ということではなく、
「人々・生命のことを、(直情的に反応するのではなく)どうすれば問題解決できる(できた)かを智慧を以て見守る気持ちで観る」ことだという[4]。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)(%E4%BB%8F%E6%95%99)
だそうだ。

472:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:06:17.58 Q3C/Fuuq.net
あと「空」を「無い」と勘違いしてるみたいですね。
実在が無いという事は、何にもない虚無ではない。
一切が虚妄という事は、一切が何も無いということでもない。
因縁により生滅していることを空と呼び、有るでもなく無いでもない、人間には認識できない、という意味です。
だから常見でも断見でもない。
あらゆる見解、偏見が成り立たないというのが正見です。

473:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:09:14.82 Q3C/Fuuq.net
涅槃を経験したい者は、哲学的・宗教的教義を含め、世界へ縛るすべてのものから自分自身を解放しなければならない[4]。
Paul Fullerは、八正道の最初の一つに挙げらていれる正見は、究極的には正しい見解というよりも、
認知の型からの解放を目指していると解釈している[3]。
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E4%BB%8F%E6%95%99)
正見は不戯論と言ってもいいかもしれないですね。

474:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:09:19.56 s5aW2b51.net
>>461
それはスマではなく龍樹の言説の方に近いでしょうに

475:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:13:04.06 Q3C/Fuuq.net
>>460
スマナサーラ長老は御自身の意見を持たれない。
全てブッダの意見を紹介するだけ。
一切が虚妄とはブッダの言葉。
URLリンク(76263383.at.webry.info)
そしてその引用は慈悲喜捨の捨ですね。
七覚支の捨とは別物です。

476:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:16:49.69 Q3C/Fuuq.net
>>463
スマナサーラ長老は空を使わずに、苦を使いますが、
苦、ドゥッカには空しい、虚しいという意味もあります。
無常であるから苦、と、無常であるから空は同じ意味だと思っています。
苦だと「苦しみ」という意味が全面に出てしまいますから、
空しいという意味では空の方がいいんじゃないかと個人的には思っています。

477:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:18:26.45 s5aW2b51.net
>>464
いや、こんなことは修行の役に立�


478:スないといいながら私見ですがといって自分の意見をいいまくってるぞ毎回 それに仏陀は一神教やバラモン教はもちろん当時のバラモン教のことでさえバラモンの宗教的儀式などは批判していたけどヴェーダ聖典などは批判していない スマは批判するけどなw



479:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:20:22.42 Q3C/Fuuq.net
>>466
最近はいろいろおっしゃいますね。
昔の説法はキレッキレで、完全に無我って感じでしたが。

480:神も仏も名無しさん
18/12/25 11:51:07.06 Yoo/3ltG.net
自称悟った名無しが何人もいて持論を展開とか、魔窟に見えて仕方が無い(苦笑
苦でいいんだよ。
空を混ぜるな、ややこしくなるから。

481:神も仏も名無しさん
18/12/25 11:51:59.02 Yoo/3ltG.net
苦は苦しいじゃなくて、苦だから。

482:神も仏も名無しさん
18/12/25 11:53:56.27 Yoo/3ltG.net
苦しいは dosa
苦は dukkha

483:神も仏も名無しさん
18/12/25 13:08:10.31 Q3C/Fuuq.net
苦、ドゥッカはいろんな意味がある。苦しみ、無常、無価値、空しい、虚しい、不満など。
仏教の全てが含まれている。
27.(新連載)なぜ苦は偉大なる真理なのか (1)私たちの知らない巨大な真理
URLリンク(www.j-theravada.net)

484:神も仏も名無しさん
18/12/25 14:54:04.33 Yoo/3ltG.net
個人的な意見としてはっきり言っておきたいことは、
禅語で如来の十力を否定するのは、テーラワーダの文脈にはそぐわないと思う。
禅語を語った坊さんたちは、自分個人は悟れるかもしれないが、如来のように
他の有情を覚らせる力を持っているわけではない。
禅語を聞いて覚るような人は、もともとそういう機根がある人。

485:神も仏も名無しさん
18/12/25 16:00:16.69 XuxrhxfH.net
英文法書をよく読んで理解することと、英語が読み書きできることは違う
言語化出来る世界ですらそうなんだ
仏典を解釈することと、瞑想が悟りに向かうこととはなおさら違うだろう

486:神も仏も名無しさん
18/12/25 16:07:49.01 Q3C/Fuuq.net
禅僧の人達も、一日中禅語を言い合っている訳ではなくて坐禅ばっかりやってる訳で。
目一杯坐禅した上で、どうにも悟りが開けない、修行が進まない、何かに引っ掛かっている。
その何かは概念上の、思想上の、頭の中にあるもので、それを師匠が外してあげるための言葉が禅語だと思いますね。
その言葉は荒々しいものだったり、常識外れだったり、仏教否定だったり、自由自在な訳です。
その言葉は結局、悟らせるため、修行を完成させるため、仏道を成就するためなんですね。

487:神も仏も名無しさん
18/12/25 17:21:31.52 XuxrhxfH.net
弟子に気づきをもたらせるもの、かな

488:神も仏も名無しさん
18/12/25 17:53:18.03 tjYvj72h.net
四念処を7年から7日間やれば悟れるとういことで、やっているのですが、なかなか難しいようですね。
7日間で悟れる人は相当選ばれた人なのでは?
皆さんも四念処やっておられるのでしょうか。

489:神も仏も名無しさん
18/12/25 17:54:47.04 tjYvj72h.net
相当ではなく、極めてといった方がいいでしょうか。
毎日途切れることなく7年間もやるのは大変ですな。
忘れる日もあります。

490:神も仏も名無しさん
18/12/25 18:19:03.76 Yoo/3ltG.net
片山一良先生の「パーリ仏典入門」の序章に、法(dhamma)の語義4つなど、
ここでいま提起されている議題に関して、まとまった記述があるのを見つけました。

491:神も仏も名無しさん
18/12/25 19:18:09.86 Q3C/Fuuq.net
>>477
まず慈悲の瞑想、アーナパーナ、数息観など、自分に合うサマタ瞑想を十分やり、
気分が良くなってから四念処をやると良いですよ。
四念処だけやるとなると精神的にキツいと思います。
四念処、ヴィパッサナーは楽しい時期、つまらない時期、苦しい時期などありますが、解脱の為には必要なものなので最後までやらなければいけない。
サマタは真剣にやれば、いつでも気分が良くなる瞑想ですから、サマタとヴィパッサナーをセットでやるのがいいと思います。
瞑想が趣味になると、やめろと言われても毎日やるようになります。

492:神も仏も名無しさん
18/12/25 19:22:30.83 rjm0cWeR.net
そう。  >>474-475
その意味で、禅語は全て、
当該人物只一人の爲にだけ有って、
彼以外の人物には、チンプンカンプン、無効な言葉なわけ。
けど、それでも、
 「参考にはなるから」、
教材として(≒公案として)提示される。
フレーズに拘れば本末転倒、
かと言って無視しても本末転倒。
たかが言語されど言語。
珍重し過ぎてもよくないが、だからと言って、くだらない戯論だと切り捨てるのも、これまた愚行、とw

493:神も仏も名無しさん
18/12/25 19:40:59.63 tjYvj72h.net
>>479
なるほど。ありがとうございます。

494:神も仏も名無しさん
18/12/25 20:08:24.13 s5aW2b51.net
インドで瞑想していた僧侶がヒョウに襲われ死亡 数週間で5人目
URLリンク(www.cnn.co.jp)
これは悲劇なんだけど仏陀の教えにはある意味忠実だったとも言えるんだよなあ
合掌

963 師(ブッダ)は答えた、
「サーリプッタよ。世を厭い、人なき所に坐臥し、さとりを欲する人が楽しむ境地および法にしたがって実践する次第を、わたくしの知り究めたところによって、そなたに説き示そう。
964 しっかりと気をつけ分限を守る聡明な修行者は、五種の恐怖におじけてはならない。すなわち襲いかかる虻と蚊と爬虫類と四足獣(獅子や虎やヒョウなど)と人間(盗賊など)に触れることである。
965 異った他の教えを奉ずる輩を恐れてはならない。─たといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。─また善を追求して、他の諸々の危難にうち勝て。
966 病いにかかり、餓えに襲われても、また寒冷や酷暑をも耐え忍ぶべきである。かの<家なま人>は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固に努力をなすべきである。

495:神も仏も名無しさん
18/12/25 20:52:49.70 Q3C/Fuuq.net
出家はいつでも死ねる覚悟が無いとダメなんだよね。
在家は安全かというとそうでもなく、誰でもいつでも病気や事故で、簡単に死ぬ可能性はある訳で。
生きること自体、苦しみと危険に満ちてるって事だろうなぁ。

496:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:00:24.81 8iWH+9Rn.net
覚悟なんて無くても
外でものごいして
行脚して生きてたら
怪我や病気で簡単に死ぬから
並外れて丈夫な身体も重要だよ

497:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:01:47.54 5OdDomqQ.net
鳥にはみんな怯えないってことか

498:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:11:25.27 rjm0cWeR.net
>>484
そうじゃなくて、
 たとえ一秒後に死んでも、 「後悔がない」「し残したことがない」 境地でいなさい
ってことだろ。(その中本質で言えば、出家も在家も変わらない)

499:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:12:35.66 rjm0cWeR.net
× >ってことだろ。(その中本質で言えば、出家も在家も変わらない)
○ >ってことだろ。(その本質で言えば、出家も在家も変わらない)

500:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:18:53.74 5OdDomqQ.net
「死んでも死なない生命を生きなさい」
という内山老師の声が聞こえた気がする

501:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:36:04.83 Yoo/3ltG.net
>>457-458
断見の虚妄解脱は言い過ぎました。
ごめんなさい。
あと、人違いした方の方も失礼しました。

502:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:44:47.90 5OdDomqQ.net
不二いのち〈純粋自己の畢竟帰〉
平成九年三月二十九日 内山 興正
 
老い最後
生死一つのいのち知る
生と死でなく
生死一つの
 
光暗
一つの蒼空深き如
生死一つの
いのちの深き
 
いま出会う
深きいのちを拝みつつ
拝む深さで
いのち深さ行く
 
分け別ける
思い手放しただ拝む
不二のいのちの
いのちのままに
URLリンク(youtu.be)
すごいよね

503:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:47:37.35 Q3C/Fuuq.net
>>489
気にしなくてもいいですよ。たかが匿名掲示板での話ですから。
むしろ、いろいろ勉強になったので良かったと思ってます。

504:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:52:45.06 Q3C/Fuuq.net
>>490
どうかね。
まだ命があるの?
まだ生死があるの?
って思っちゃうけどね。

505:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:55:31.45 s5aW2b51.net
>>489
興奮していたのは俺のほうだった
こちらこそごめんなさい

506:神も仏も名無しさん
18/12/25 22:16:06.93 5OdDomqQ.net
怖れないということと、殺されろということは違うんじゃないかなぁ
続く言葉が「諸々の危機に打ち勝て」なのだし
ムツゴロウさんはライオンに頭をまるっと噛まれた時に
頭をライオンの中にぐっと突っ込んだという
ライオンもオエッってなるよねw
それは怖ればかりの中では出来ない
>>492
「死からみた生」は生死一つなんだ、と言ってるんよ
言えないって

507:神も仏も名無しさん
18/12/25 23:22:09.49 HZG28ZMB.net
490.バカ丸出し、である。大爆笑である。

508:神も仏も名無しさん
18/12/26 00:05:26.15 e827gaoF.net
>>495
名前にポッタン師忘れてるぞ

509:神も仏も名無しさん
18/12/26 10:26:25.07 pz+TS4oF.net
一回瞑想会行こうと思うのですが
ドネーションはいくらぐらいが適正でしょうか?

510:神も仏も名無しさん
18/12/26 11:25:37.82 9Bw2GIPz.net
「生死もみないつわりの世の中に 誠というもなにあらばこそ」 一休
生死もみな虚妄である世の中で、真実というものがあるはずがない。
無明が無くなれば生死は無くなる。生死は本来空。幻想。

511:神も仏も名無しさん
18/12/27 20:20:45.50 yoBj8VkD.net
禅宗もいいですね。

512:神も仏も名無しさん
18/12/27 21:34:09.27 +cXn5CgX.net
>>497
適性かどうかは時と場合によるのでしょうけど、
自分の場合、毎回1000円~任意ぐらいです。

513:神も仏も名無しさん
18/12/28 02:22:05.47 3Z84GhyC.net
>>500
有難うございます

514:神も仏も名無しさん
18/12/28 15:30:10.50 Hrisfrq9.net
山頭火の酔度「ほとへ」
 URLリンク(onyanko.mkosugi.com)

515:神も仏も名無しさん
18/12/28 17:44:59.48 ntWAHvSE.net
涅槃と無心になることとは違うのでしょうか?
何も思考しない、何もしようとしない、というのとは違うのかな。

516:神も仏も名無しさん
18/12/29 08:28:18.26 92hxkl81.net
涅槃に達するためには渇愛を無くせ
URLリンク(ja.wikipedia.org)

517:神も仏も名無しさん
18/12/29 11:09:33.01 sNlySlnI.net
涅槃は「無我」だけど、
何もしない「我」なら、涅槃とは違うのかな。
無我についても、四諦の悟りレベルの無我と、五蓋が鎮伏された時に
欲界レベルの自我(肉体次元の我、普段の自我意識)が一時的に消え
てしまうのとでは、おそらく全然違うのだろうとも思う。

518:神も仏も名無しさん
18/12/29 11:10:23.14 sNlySlnI.net
欲界の我が活動停止してても、それを見ている意識はあるからね。

519:神も仏も名無しさん
18/12/29 11:15:04.58 mfgFyHBY.net
涅槃を知覚するのは五蘊なのかどうかだな

520:神も仏も名無しさん
18/12/29 11:22:26.57 q5UALzDH.net
僕の場合ですが、思考を止めても、生きている、という実感は残ります。
涅槃に至ると、その実感さえなくなるのでしょうか?
その実感は、心臓が動いている、体の細胞が新陳代謝している、と言ってもいいと思います。

521:ポッタン師
18/12/29 13:17:17.18 JS2DF5FH.net
508.バカ丸出し、である。大爆笑である。

522:神も仏も名無しさん
18/12/29 14:05:54.68 q5UALzDH.net
>>509
なぜカルマを増やすようなことをするのですか?
怖くないのですか?
死ぬとき後悔しますよ。

523:神も仏も名無しさん
18/12/29 14:47:32.22 5Pu3Qfdz.net
>>503
この図の「涅槃」と「如実知見」の違いにあたると思います。
URLリンク(mindfulbonpu.web.fc2.com)

524:神も仏も名無しさん
18/12/29 15:01:00.08 P1rlM1bg.net
>>511
勝義諦と世俗諦が大乗仏教のそれになってますね

525:神も仏も名無しさん
18/12/29 15:56:14.66 5Pu3Qfdz.net
>>512
テーラワーダではどう違うのですか?

526:神も仏も名無しさん
18/12/29 16:04:01.23 P1rlM1bg.net
>>513
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
こちらを参照

527:神も仏も名無しさん
18/12/29 16:41:56.08 92hxkl81.net
如実知見はテーラワーダだとヴィパッサナー?ニッパパンチャ?

528:神も仏も名無しさん
18/12/29 17:16:44.47 q5UALzDH.net
>>511
涅槃の説明で、名・色の停止、とありますが、全部ではないですよね?
全部停止する時は死んだ時だと思います。
活動が極度に弱まったと見るべきでしょうか?

529:神も仏も名無しさん
18/12/29 20:33:03.88 5Pu3Qfdz.net
>>514
スマナサーラ長老の本に下記記述があるので、テーラワーダの勝義諦と>>511の図は合っているのではないでしょうか?
URLリンク(www.hanmoto.com)
四つの勝義諦(心、心所、色、涅槃)

530:神も仏も名無しさん
18/12/29 21:04:34.88 P1rlM1bg.net
>>517
>四つの勝義諦(心、心所、色、涅槃)
>>511の図では勝義諦は無分別とあり四つに分別されるものではありません
無分別は大乗仏教の空の教えです
URLリンク(www.otani.ac.jp)

531:神も仏も名無しさん
18/12/29 21:19:02.21 5Pu3Qfdz.net
>>516
ウ・ジョーティカ師の本(について藤田一照師が解説した文章)の中に「精神的・物質的プロセスの停止、つまり涅槃」とあるので、図の内容と一致しているのではないでしょうか?

532:神も仏も名無しさん
18/12/29 22:33:50.27 5Pu3Qfdz.net
>>518
魚川祐司氏の「仏教思想のゼロポイント」に下記の記述があり、「涅槃」と分別の無い「世間諦」が「勝義」とされています。
間接的ですが、>>511の「無分別」が勝義となるのでは?
---以下引用---
 例えば、テーラワーダ仏教の教理では、勝義(paramattha)の物事、つまり真実(truth)・現実(reality)として、四つのカテゴリーを認めている。
即ち、心(citta)、心所(cetasika)、色(rupa)、そして涅槃(nibb?na)である(9)。
 このうち、心と心所と色は世間諦(loka-sacca)と呼ばれ、涅槃は出世間諦(lokuttara-sacca)と呼ばれる。
(略)
世間諦の三つが形成する現象を、私たちは如実に知見することができずに概念(pannatti)や分別の相(papanca,本書の用語で言えば「物語」)を作り出すのだが、そのうち、人々が「正しい」と慣習的に合意しているものが、「世俗諦」と称されるということである。
(略)
テーラワーダの教理に即して言えば、心・心所・色・涅槃を勝義であるとするのだから、世間諦と出世間諦の二層が「本来性」に当たることになり、世俗諦の通用する「物語の世界」の層は、それに対する「現実性」であるということになるだろう。
---以上引用---

533:神も仏も名無しさん
18/12/29 23:12:06.66 P1rlM1bg.net
>>520
引用されたゼロポイントの文章を読ませて頂きましたが
「涅槃」と分別の無い「世間諦」が「勝義」とされています。
とは書いてないですよ
勝義諦のうち世間諦の三つ(心、心所、色)によって【形成される現象】を概念化して分別した結果、世俗において正しいと認められているものを世俗諦とする、ということが書いてあります。
【形成される現象】のことを施設と言います
勝義諦の心、心所、色も言葉であり、心所にある52の法も言葉で示されていますが、世俗諦との違いは施設ではなく自性(本性)があり、それ以上は分別できないところまで分別されているところです
ですから勝義なわけです

大乗仏教ではそれらの法にも自性はなく空であるので(一切皆空)最初から分別できない、でもそれでは
一〇 世俗の表現に依存しないでは、究極の真理を説くことはできない。究極の真理に到達しないならば、ニルヴァーナを体得することはできない。 (中論24章)
ということで、空即是色(空即是受、空即是想、空即是行、空即是識)として概念を分別させて世俗諦とします
テーラワーダでは法には自性があるので我空法有
大乗仏教では法は無自性なので我空法空
この違いがあります
自性がある法は分別されたものです
ですから>>511の勝義のところに無分別とあるのはテーラワーダの教えではなく大乗仏教の教えというわけです

534:神も仏も名無しさん
18/12/29 23:20:04.98 P1rlM1bg.net
>>521
補足として
「般若心経は間違い?」という本を読んで、スマナサーラという御方は大変頭が良いと思いました。この本以外に般若心経が間違ってるという本・論文が御座いましたら教えて頂きたいのですが。
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
このベストアンサーの方の回答は理解するのの手助けになるかもしれません
特に
2.「色即是空」は正しいが、「空即是色」は正しいとは言えない。
の回答が
ちなみに
3.釈尊の教法の五蘊・十二処・十八界、十二因縁・四聖諦などを否定する。
これは回答者は「智慧の完成の段階に来た時は、それらからも離れなさいと説かれています」という説明をされていますが、阿含経でも筏の例えとして有名な説話となっています

535:神も仏も名無しさん
18/12/30 00:04:28.99 +ACrhCcT.net
 
>>522
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
スッタニパータ 21
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが
激流を克服して
すでに渡りおわり、彼岸に到着している
もはや筏の必要はない
  _  _  _
仮設としての
無明を手放し滅し終わっているのなら
苦集滅道の必要はない
それゆえに
無苦集滅道なので
バラモンの神々よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ
たとえ雨の中に飲み込まれたとしても
もう妄想の渦の中に巻き込まれることはない

536:神も仏も名無しさん
18/12/30 00:07:57.16 satqZRHL.net
>>516
>>519の参照URLを付け忘れました。
こちらです。
URLリンク(www.shincho-live.jp)

537:神も仏も名無しさん
18/12/30 07:20:41.57 emzwY8u2.net
空即是色は完全に間違いだろ
色は物質だからね、名前が付いてないとかそういう話じゃなくて
空である、空性があること、それすなわち物質である、は意味がメチャクチャだろ

538:神も仏も名無しさん
18/12/30 07:30:09.63 emzwY8u2.net
智慧を完成した修行者は、五蘊、十二因縁、四聖諦という概念が空、無我であることを知っているのであって、
それらを無と否定した時点でそれらに捉われていることになる
正しく言うなら、五蘊は空、無明が無ければ十二処は無い、四聖諦は無我だね
空と無と法と行と無我と無常と、般若心経はいろいろ勘違いしてる
全部一緒くたにして無だ空だと言えばいいってもんではない

539:神も仏も名無しさん
18/12/30 08:27:44.96 satqZRHL.net
>>505
>>511の図でいうと、下記対応になると思います。
> 何もしない「我」
→「止(サマタ)」「禅定(サマーディ)」に対応
> 四諦の悟りレベルの無我
→「如実知見」に対応
> 五蓋が鎮伏された時に欲界レベルの自我(肉体次元の我、普段の自我意識)が一時的に消える状態
→「止(サマタ)」「禅定(サマーディ)」に対応

540:神も仏も名無しさん
18/12/30 08:55:56.66 ezlS1BdA.net
>>525
一八 どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く。それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である。
一九 なんであろうと縁起して起こったものではないものは存在しないから、いかなる不空なるものも存在しない。
二〇 もしもこの一切のものが空でないならば、【何ものかの】生起することも無いし、消滅することも無いであろう。【そうして】汝にとっては四つの真理(四聖諦)が存在しないということになるであろう。
中論24章
URLリンク(mixi.jp)
これが理解できれば空即是色はすんなり理解できると思うよ
>>526
>智慧を完成した修行者は、五蘊、十二因縁、四聖諦という概念が空、無我であることを知っているのであって、
般若波羅蜜とは智慧を完成させる修行、般若波羅蜜多とは智慧の完成のことです

541:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:05:42.47 emzwY8u2.net
龍樹は縁起により生滅する色は空だと言っている
空、空なるものは縁起により生滅する色だとは言ってない
どうやら般若心経の著者は般若波羅蜜を行じても智慧が完成してないみたいで

542:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:21:09.75 emzwY8u2.net
色は空
受は空
空は色
空は受
なら色は受か
物質は感覚である、意味不明です
ブッダの五蘊説の否定になります
正しくは五蘊は無常である、無常であるものは空である、でしょうね
パーリ経典でもそうなってるでしょう、五蘊は無常である、苦である、無我である、このように観る人に智慧が生まれると

543:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:29:10.29 PscY8ihh.net
空即是色の「即是」は、中国語の文法規則で「イコール」を表しているわけ
ではなく、そのことを知っていれば間違いではない、という話も聞きました。
色即是空
空即是色
色受想行識亦復如是
つまり、
五蘊は空である。
空であるものとは五蘊である。
五蘊・十二処・十八界、十二因縁・四聖諦を、空というひと言に要約
したということでしょうかね。
まぁ、純テラワダ的にやっていく分には余計な知識かも知れませんが。

544:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:32:20.27 PscY8ihh.net
テーラワーダを説一切有部と混同して、龍樹を援用して叩くのも適当ではないが
漢訳大乗経典をよく研究しないうちに、全部間違いと切り捨てるのも適当ではない
のではないかなぁ。
専門外なら専門外で分からない。ノータッチと割り切る方が賢いかも知れん。

545:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:33:46.73 PscY8ihh.net
>>530
般若心経を書いた人も、信奉している人々も、さすがにそこまでアホじゃないですよ。
われわれテラワダが、大乗仏教徒が考えているほどアホじゃないのと同じぐらいには
そこそこの知能はあります。

546:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:36:26.26 PscY8ihh.net
無明がなければ十二処がない、ってどういうことなんでしょうか。
釈迦牟尼の十二処はどうなっているのですか。

547:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:37:37.14 ZtDlhR/G.net
空即是色という逆の視点
あらゆるものは空であり自性がない。それが色即是空。
しかしこれを逆に考えると、自性がないからこそ世界にはあらゆる姿をした物体が存在できているとみることができる。
もし固定的なものが存在していたら、それは変化をしないものとなってしまうからだ。
しかし世の中にそのようなものはない。
すべてのものが「変化する」という理のなかにある。
だからこそ、あらゆるものが生まれることができる。
固定的なものがないからこそ、あらゆる存在は流動的に変化をして、その結果万物として存在することができる。
つまり、存在には自性のような固定性はないが、固定性がないからこそ万物に姿を変えて生まれ変わることができる柔軟性を持っているのである。
これが空即是色の視点。
空だからこそ、物体が存在することができるのである。
とあるHPから抜粋してみました。私は未熟なのでよくわかりません。

548:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:41:10.92 emzwY8u2.net
最後に謎の呪文で締めくくるんだからやっぱりアホでしょう

549:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:45:28.42 emzwY8u2.net
無明が無くなれば行が無くなる
行が無くなれば識が無くなる
識が無くなれば六処が無くなる
要するに眼耳鼻舌身意を通して対象を認識する事、認識しようとする意志、衝動が無くなる

550:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:46:30.56 PscY8ihh.net
ギャーテーギャーテーは、サンスクリット語で意味があるらしいよ。
(彼岸に)到達しよう、到達しよう、みたいな意味らしい。
もともとは呪文じゃなくて、言語の原意を音写しただけとか、そんなところなのでは。

551:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:47:40.97 PscY8ihh.net
>>537
お釈迦さまは、目も見えていたはずだし、耳も聞こえていたはずだと思うのですが
六処がなくなるということとの整合性は、どうにか説明がつくのですか?

552:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:50:14.29 PscY8ihh.net
お釈迦さまが(今回のサーサナで)人間に向けて説いた仏教が、まあ最強の如是だとは思うのだけど
菩薩方が天人(天神)や菩薩志願者、あるいは生天を希望する凡夫衆などに説いた方便ってのも
やはりあるし、それも一応仏教ってことでしょう。

553:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:51:58.36 emzwY8u2.net
>>539
完全に無明が無くなるのは涅槃の話
阿羅漢の六処は無始なる過去からの無明の結果
いわば時間差、惰性、業の残りカス

554:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:52:29.18 PscY8ihh.net
右翼と左翼もそうだけど、いがみ合うのはだいたい下っ端同士なんよ。

555:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:55:15.93 PscY8ihh.net
>>541
涅槃は概念だと言っていた方ですか?
涅槃という概念は概念、ではなくて、涅槃が概念で間違いありませんね?

556:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:00:19.67 emzwY8u2.net
>>543
「涅槃」は概念
無明を滅ぼすのが実際の涅槃
概念と実物は違う
概念には実体がない
実物には名前がない
「涅槃」という概念に実体がある訳ではない
実際の涅槃には「涅槃」という名前はついてない

557:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:05:28.31 emzwY8u2.net
人間の思考は全て概念を使う
ありがたい概念を法と言い、つまらない概念を妄想と言う
どっちにしろ実践、実行が無いならただの概念

558:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:08:48.75 ezlS1BdA.net
>>520
>>530を読めば無分別がテーラワーダの勝義ではないことがよく分かるでしょう
>>530は実に良い例を出してくれました
>>530
色は受
ではありません
色も受も勝義では空であり分別できない、そういうことです
>>529
大智度論巻第十九で言ってます
URLリンク(www.geocities.jp)
あと>>528を理解できるまで読みましょう
色即是空空即是色と同じことを言ってますので

559:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:09:07.39 ezlS1BdA.net
>>531
煩悩即菩提も
煩悩=悟り
とは読まないですよね
(参考)
迷いがあるからさとりというのであって、迷いがなくなればさとりもなくなる。迷いを離れてさとりはなく、さとりを離れて迷いは ない。
(パーリ、中部 2―18、蜜丸経)
>>536
般若心経とは?専門用語を使わない和訳と、その意味
URLリンク(www.e-sogi.com)

「真言」の修行法
を読みましょう

560:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:27:56.57 satqZRHL.net
>>539
無明がなくなったからと言って、六処がなくなるわけではないと思います。
>>511の図でいうと、「無明」は真理や現象のありのままを覆い隠す雲のようなものです。
「無明」ゆえに現象のありのままを見ることができず、渇愛や執著が起こります。
仏道の実践により現象のありのままを「如実知見」することで、「無明」の雲が消え、真理(法)が見えてくる、ということだと思います。

561:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:37:38.15 PscY8ihh.net
漢訳般若心経を判断するには、漢文(中国語)の知識が必要であるのに
漢文をあたかも論理哲学の論理記号のように扱って批評するのは、
方法論として適切ではない。
スマナサーラ長老が言ったからといって、全部が正しいわけじゃない。
長老が語っていることは大筋で合っているけれども、個別に見ていくと
人間的なエラーもある。
そしてそれを非難するつもりもない。

562:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:41:29.03 PscY8ihh.net
大乗仏教教学って、糞の役にも立たない屁理屈が多くてどうも好かんのだけど
大乗仏教がそうなってしまう以前に、おそらく説一切有部が糞みたいな屁理屈で
仏教から逸脱しながら自己正当化していた時期があったんじゃなかろうか。
(推測)

563:ポッタン師
18/12/30 10:46:02.88 g3q+zRH/.net
548.バカ丸出し、である。大爆笑である。

564:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:54:24.27 n7Ppoayx.net
説一切有部では、我々が経験する常識的な存在、個別の人や事物・事象は仮のものであって実在しない、
我いわゆる霊魂のような「不滅の私」・「永遠なる個我」(ātman)なるものなども存在しない、
故に無我(anātman)である、と無我を理解。
しかしながら、部派仏教といわれる諸部派がその他なんらかの実在を認めていたように、大きくは二つ、あるいは五つの範疇に分類されるモノが真に実在する、
という見解を立て、そのような理解に従った教学を構築しています。
巷間には開口一番「すべては虚妄である。所詮それ�


565:ヘ、名(ナーマ)と色(ルーパ)にすぎないのであるから」だとか 「すべては無自性空である。あれも空だ、これも空だ」などと宣う愚か者があります。 が、説一切有部では、世間で認められる常識的な存在を無碍に否定などしておらず、これを世俗諦(世間的レベルでの真実)とし、 対して究極的に認められる存在を勝義諦[しょうぎたい](真に存在するモノ)としています。 吾人の知覚し、経験する諸々の事象を、端から否定するような態度は取らないのです。 真実(諦/satya)について、その見方によって二つの階層を設定し、そのそれぞれの価値を認めているのです。 そして、そのような真実についての理解の仕方は、その内容とするものこそ相違があるものの、大乗にも引き継がれています。 個我は実在しない。けれども、生命・事物など仮の現象を構成する、真に実在するモノがあるという見解を、大乗では「人空法有[にんくうほうう]」などと云います。 そして、そのような見解自体、またそのような見解を至高として奉持する人々は、同じ仏教であっても、大乗の立場から小乗(Hīnayāna)すなわち「不完全な教え」・「劣った教え」と見なされてきました。 特に説一切有部は、インドで最大勢力を誇る部派の一つであったこともあり、その見解・学説は、大乗の主要な批判対象となっています。 真言宗泉湧寺派大本山 法楽寺 http://www.horakuji.com/treasures/sarvasthivadin_cetasika.htm



566:神も仏も名無しさん
18/12/30 11:06:40.90 x8l/Ubu8.net
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)

567:神も仏も名無しさん
18/12/30 11:42:50.47 ezlS1BdA.net
>>550
説一切有部は糞ではないですよ
紀元一世紀半ばの時点でもなお、有部においては、三明六通・三蔵・三学等に通じた阿羅漢=ブッダが少なくとも500人以上いたとされています
糞でしたらそんなに阿羅漢を輩出できないでしょう

568:神も仏も名無しさん
18/12/30 12:06:35.24 PscY8ihh.net
阿羅漢は如実知見しているため「見解」はないはずだと思うので、
「大乗仏教」から「小乗仏教」という概念を立てて何を批判しているのか
やっぱり意味が分からない。

569:神も仏も名無しさん
18/12/30 12:07:58.90 PscY8ihh.net
縁起している一切を空と言おうが
名色が縁に依って生じ、滅していると言おうが
全く同じことでしかない、という理解なので。

570:神も仏も名無しさん
18/12/30 12:12:44.77 PscY8ihh.net
富士山に4合目、5合目はあると言おうが
富士山に4合目、5合目などという境界線はないと言おうが、
富士山は富士山ですし。
それと同様に、
触には触としての働きがある、という意味において触には触の自性がある。
受には受としての働きがある、という意味において受には受の自性がある。
と言ったとしても、
触も受も縁に依っているので無自性空である。
と言ったとしても、
それは言葉の上だけの話じゃないか、と思うのですが。

571:神も仏も名無しさん
18/12/30 12:14:17.49 PscY8ihh.net
それこそ、(観察智などの)智慧によらず、言葉と思考概念だけで仏教をしていた場合にしか
起こり得ない論争、対立じゃありませんか。

572:神も仏も名無しさん
18/12/30 12:22:26.45 PscY8ihh.net
ぜんぶ空のひと言で話を終わらせてしまう大乗の人たちって、
例えば四念処の実践について人に質問された時に説明できる
のだろうか、とかなり疑問。
大乗仏教の始祖たちが、というより、現代の大乗仏教徒たち
自身について、かなりダウト感を感じてる。

573:神も仏も名無しさん
18/12/30 12:59:24.94 emzwY8u2.net
般若心経では、色不異空、空不異色と言っている
色即是空、空即是色と同じ意味でしょう
空があるからこそ色が成り立つという意味には取れない
全く同じものだと言っている
であるから般若心経の理論では色も受も想も全部同じになる

574:神も仏も名無しさん
18/12/30 13:08:04.19 emzwY8u2.net
大智度論は龍樹の作では無いという説がある
龍樹は空が色であるという間違いはしないと思う
まぁいずれにせよ問題なのは般若心経
仏教のエッセンスをコンパクトにまとめたという意味はあるが
細かく観ると突っ込みどころしかない
当然ありがたがるようなものでもない

575:神も仏も名無しさん
18/12/30 13:37:51.37 emzwY8u2.net
苦集滅道は無い、はおかしい
苦集滅道が無いってことは因果は無いってことになる
阿羅漢に苦は無いにしても、因果は有る
他者の心に因果を、苦集滅道を観ることはありえる
正しくは、阿羅漢は苦集滅道に執着しない、という事じゃないだろうか

576:神も仏も名無しさん
18/12/30 14:26:08.32 PscY8ihh.net
>>560
>般若心経の理論では色も受も想も全部同じになる
それって、論理構造的に小学生でもやらない間違いだよね。
例えば玄奘三蔵とかが、そんなにバカだとは到底思えない。
一方、漢文が読めないのに漢文を批評する行為の方が間違
っている可能性の方が高い。
どっちにしろ、今のところわたしは大乗仏教とそりが合わない。

577:神も仏も名無しさん
18/12/30 14:32:34.89 PscY8ihh.net
>色即是空だけど、空即是色じゃない
これはテラワダ側の無学がバカにされるだけだから、止めといた方が無難。
大乗仏教のことは、内心、大衆部と思ってるけど、上座部が滅亡しかけていた
時期に、大衆部が仏教を温存していたから今がある。
大衆部と上座部は、相互に補い合う関係が望ましい。

578:神も仏も名無しさん
18/12/30 14:34:58.35 PscY8ihh.net
いま、大衆部は形骸化して滅亡の危機に瀕しているので、上座部から仏教を輸入し直すべき。

579:神も仏も名無しさん
18/12/30 14:47:31.74 PscY8ihh.net
思うに、大乗仏教による仏法理論の高度化というのは、
観察智による実相から離れて概念化するということであって、
それ自体が三学においては退化のプロセスじゃありませんかね。
瞑想で観察智に達することができないから、言葉を尽くして
説明する必要があるわけで、直接見られるなら、見ましたか?と
確認すれば済む話ではないのかと。

580:神も仏も名無しさん
18/12/30 14:50:38.64 PscY8ihh.net
ところが、どうも今の日本の大乗仏教側の仏教徒というのは
高度化された理論が、高度な仏教だと勘違いしている人が多いように見受けられる。
三学の修習が進んでいる人の方が、ずっと高度なことをしているんですけどね。

581:神も仏も名無しさん
18/12/30 16:10:15.71 emzwY8u2.net
>>563
いや実際バカでしょう
龍樹が警告した「不完全に見られた空」に見事にハマってしまった
不完全な空の理論が現実から離れて概念化し
意味不明な空論に陥ってしまった
以下は瞑想により空に達した人の歌
「悟り得てなに楽しまん無一物 本来喰う(空)て寝たり起きたり」 一休

582:神も仏も名無しさん
18/12/30 17:09:51.67 bqerQKaA.net
ちょとレベルを下げさせてもらいますが、空かつ色ならば空に至れば物資化も可能ということになりますか?

583:神も仏も名無しさん
18/12/30 17:42:21.33 x8l/Ubu8.net
別に、村上さんに同調するつもりはないが、
  ルーパ=物(物質)
という理解が顛倒だという発想はないのかね?  >>ALL

584:神も仏も名無しさん
18/12/30 18:47:13.27 JuNnrfKR.net
ある言葉が何を意味しているのか瞑想で確かめることが本質的なことであって
確かめもせず妄想から考えたり断定したり評価したりすることは仏教ではない
仏教でなくてもNGだが

585:神も仏も名無しさん
18/12/30 19:26:24.13 ppaYeJSK.net
>>553
リンク先の論文の題名と著者名をあげておかないと
色(rupa)は物質ではない ―仏典における原意と訳語の考察―
村上 真完(著) 印度學佛教學研究 59(2), 858-851, 2011
ついでにこんなのもあげておくか
Dharma(dhamma,法)・artha(attha,義)・もの・こと:―仏典和訳の語彙体系の構築試論―
村上 真完(著) 印度學佛教學研究 62(2), 841-833, 2014
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
法(dharma)と存在(bhava)と存在しているもの(sat)
村上 真完(著) 印度學佛教學研究 60(2), 892-885, 2012
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)

586:神も仏も名無しさん
18/12/30 19:35:37.51 x8l/Ubu8.net
>>572
確認もせず却下してるとしたら、論客として底辺だろw

587:神も仏も名無しさん
18/12/30 20:15:44.88 emzwY8u2.net
やっぱり学者はアホだね
瞑想すれば比較的すぐに名色分離智が現れる
色自体、物質自体、肉体自体は触れられない、感覚を通して色自体を予想するしかない
感覚と色、肉体と心をはっきり区別する智慧は瞑想で言えば初歩中の初歩
わざわざ論文書くような事でもない

588:神も仏も名無しさん
18/12/30 20:48:33.90 x8l/Ubu8.net
なんて解り易い負け惜しみwww

589:神も仏も名無しさん
18/12/30 21:37:55.44 emzwY8u2.net
ここのスレッドタイトルもブッダの教えと瞑想の実践だからね
ブッダも瞑想せよと口を酸っぱくしてるし
言うは易し、行うは難し
博識の非実践者より非博学の実践者が上だわな

590:神も仏も名無しさん
18/12/30 22:16:07.81 PscY8ihh.net
教行証。
戒定慧。

591:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:04:01.25 ezlS1BdA.net
>>555
もし空でない何ものかが存在するならば、空である何ものかが存在しよう。しかし、空でない何ものも存在しないから、どうして空であるものが存在しようか。
空性はすべての見解を越えていると、諸々の勝者(仏)によって説かれている。しかるに、空性という見解をいだくかれらは、癒しがたい人びとであると〔勝者たちは〕説いている。
(中論13章7、8)
これら偈に見られるように龍樹(中観派)は見解を説かないことで知られています
またこれらの偈から空とは存在(有)ではないことがわかります
>>557
URLリンク(mixi.jp)
問題点が何かがこの中論15章でわかるのではないかと
>>558
テーラワーダが説一切有部を批判した理由をスマナサーラは何と語ってますか?
>>560
色不異空→根本智(勝義諦)
空不異色→後得智(世俗諦)
色即是空空即是色の関係も同じ
なお空は存在ではないので空を介して空不異受とはなりません
一切(=五蘊)皆空であるが故に色も空だし受も想も行も識も空であるということです
また空は存在するものではありませんので不生不滅、不垢不浄、不増不減と否定でしか語れません
否定でしか語れないので無分別であるし無戯論です
>>561
空即是色は龍樹以前から摩訶般若波羅蜜経に書かれていた言葉
大智度論はその摩訶般若波羅蜜経の注釈書
それと…笑
URLリンク(manikana.la.coocan.jp)

592:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:05:47.57 ezlS1BdA.net
>>576>>578
それで貴方達は瞑想もせずに朝から思索をこらしたレスを連投などして何してるのですか?
そんな暇があるのなら瞑想してその体験をここに書くべきでしょう
貴方達の立場なら

593:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:07:18.14 ezlS1BdA.net
上はアンカーミスったので改めて
>>576>>577
それで貴方達は瞑想もせずに朝から思索をこらしたレスを連投などして何してるのですか?
そんな暇があるのなら瞑想してその体験をここに書くべきでしょう
貴方達の立場なら

594:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:16:50.89 PscY8ihh.net
善哉

595:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:22:45.28 emzwY8u2.net
>>578
それじゃあやっぱりおかしい
存在ではない空と、存在である色が全く同じ、異らないとはどういう事か
普通に考えれば色即是空だけ正しい
それ以外は概念の世界での言葉遊びにしか思えない

596:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:24:56.53 ppaYeJSK.net
『般若心経』も時代、地域、人によって捉え方は様々。それこそ日本の伝統的仏教教団での
受け止め方も様々。それら宗派の解釈に捕らわれない入門書ならば
『NHK「100分de名著」ブックス 般若心経』 佐々木閑(著)
が手に取りやすいのかな。
願わくは、この書を機縁として巻末に紹介されている米澤嘉康氏、原田和宗氏、渡辺章悟氏
などの優れた研究が一般人にも広く知られるようになったら良いな。

597:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:26:59.32 JuNnrfKR.net
実践者は非実践者の博学より上と言ったのに
悟らなくても経典が理解できることなはずだ
と考えるのはおかしいでしょうな
自分の至った境地までしか理解出来ない、語れない
とすべき

598:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:30:26.07 emzwY8u2.net
>>580
全部瞑想実践に基づいた思索ですけどね
瞑想体験自体は全然重要じゃなくて、瞑想によって生まれる智慧が重要
まぁもっと上を目指せと言われればそれまでですが

599:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:31:50.60 x8l/Ubu8.net
実践してても見えてなきゃ一緒だろうに・・ ┐(´ー‘)┌

600:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:37:31.64 emzwY8u2.net
このスレ的に、経典と言えばパーリ仏典
それ以外の経典は怪しい

601:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:37:47.37 ppaYeJSK.net
原田氏の和訳もリンクしておこう。
梵文『小本・般若心経』和訳
原田 和宗(著) 密教文化 2002(209), L17-L62, 2002
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
実践なくして仏教の理解は無いと俺は思うが、
他者に対する知識なくして他者を批判することは出来ないとも思う。
瞑想にもいろいろなやり方、捉え方があって面白いとも思う。

602:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:44:33.55 emzwY8u2.net
まずブッダやサーリプッタ尊者を創作した経典に登場させるのは
モラル的にどうかと思う

603:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:55:30.30 ezlS1BdA.net
>>582
空も色も有でもないし無でもない
(参考)
カッチャーヤナよ 、実に 、この世間の多くは 、「有ること」と 「無いこと」の二つに依存している 。
この世間の多くは 、カッチャーヤナよ 、近づき 、執って 、とらわれ 、縛られるのである 。
この世間の多くは、カッチャーナよ、近づき、執って、とらわれ、縛られるのである。
だが、かの者(仏弟子)は、近づくこと、執ること、
心に確立すること、とらわれること、潜在させることに、近づかず、執らず、確定しない。
すなわち、「わたしにとって自己がない(自己がある)」と。
( 『サンユッタ ・ニカ ーヤ 』一二 ・一五 )
龍樹も仏陀も断定や見解を持ちませんでした

604:神も仏も名無しさん
18/12/31 00:21:16.70 m0NWFRS8.net
>>590
同じ性質を持つから同じもの、異ならないとはならないでしょう
それなら色も受も想も異ならないことになる
ブッダの説いた五蘊説と矛盾する

605:神も仏も名無しさん
18/12/31 00:34:32.44 m0NWFRS8.net
しかし今日は頑張りすぎた
しばらく5chは見ないようにする
見るとつい書き込んでしまうから
勉強になることもあるけど、基本不毛だからね、キリが無いし

606:神も仏も名無しさん
18/12/31 00:36:46.26 m0NWFRS8.net
5chは脳も疲れるし目も疲れる
やっぱり瞑想してる方がいい
さようなら

607:神も仏も名無しさん
18/12/31 00:51:21.51 xcQmKR4S.net
>>591
いろかたち(色)は泡粒のごとくである。
感受(受)は水泡のごとくである。
表象(想)は陽炎のごとくである。
意欲・行為(行)は芭蕉のごとくである。
識別作用(識)は幻のごとくである。
と日の御子(ブッダ)は説かれた。
瞑想するにしたがって、それ(心身)を正しく考察するならば、〔それは〕実体なく(リッタカ)、空虚(トゥッチャカ)である。」
(『サンユッタ・二カーヤ』ⅩⅩⅠⅠ』)
五蘊皆空が正見、正念、正思惟と仏は説きました。

608:神も仏も名無しさん
18/12/31 00:57:45.35 xcQmKR4S.net
>>592
頑張ったというよりも嬉々として連投していたでしょう?
貴方にとっては自説を語るのは楽しい、だから連投をする。
この楽しさ、快楽がもたらすドーパミン体験はくせになるので貴方はまた5ちゃんねるに戻ってきますよ。
しかも近いうちにね。

609:神も仏も名無しさん
18/12/31 01:37:57.11 8uS9Wba3.net
貪りですな

610:神も仏も名無しさん
18/12/31 19:49:23.04 nWq86pVm.net
名色分離智について疑問があるのですが、精神と肉体を別々に分ける状態とのことです。
でも精神は体(脳)から発生していますよね?
分けられないと思うのですが、どう理解すればよいでしょうか?

611:神も仏も名無しさん
18/12/31 21:24:31.72 qzVbfPKT.net
精神のどの部分のことでしょうか。
思考や五感の感覚、感覚に対する好悪の感情については、身体と相互依存的に生じていますが
行、識は身体(脳)から発生しているわけではありません。
思考から抜け出した時、想より深い部分の精神活動が見えますので、その時を堺に、何がどう
錯覚だったのか実感として分かるようになると思います。

612:神も仏も名無しさん
18/12/31 21:43:19.72 qzVbfPKT.net
実践上は、感覚は感覚において感覚として気づき(色)、
感情は、感情において感情として気づく(名)、ということで良いのでは。
大念処経・四念処経では、どういう順序でどこに気づいていくか(学処)が
事細かに述べられていますね。

613:神も仏も名無しさん
18/12/31 21:45:16.94 qzVbfPKT.net
サマタで思考を止めるのは、たぶんほとんどの人ができないでしょうし
もし、たまたままぐれで出来ても、再現性がない場合がほとんどだと思う。

614:神も仏も名無しさん
18/12/31 22:00:37.20 OkfMIgn7.net
だから、
「専門家(→僧侶、比丘→出家行者)」と「一般人(→凡夫、善男子善女人→在家信者)」との別が
設けられていたわけで。
「仕事しながら」は無理、ってのが初期のスタンスでしょう。
その意味で日本仏教が、
世俗の仕事(→法事・葬儀・子育て・おしどり夫婦・教諭・教育事業・医療・文筆・地域行事・消防団・カフェ・バンド・相談窓口etc.etc.)
等等を主たる業務としながら仏法の顕現が可能だと考えている(寧ろそれこそが布教だと考えている)としたら、
少々歪かな、と。

615:神も仏も名無しさん
18/12/31 22:09:29.35 nWq86pVm.net
>>598
コメントありがとうございます。
なんとなく分かったような気がします。厳密にしすぎるのはよくないのかも知れません。
もっと納得がいくように、書き込まれた内容を吟味してみます。

ちなみに
>>行、識は身体(脳)から発生しているわけではありません。
↑が分かりません。体(脳)から発生していると思うのです。
ちなみに、受・想・行・識、は、脳(一部は体も)生源だと思うのです。
そのように感じます。

616:神も仏も名無しさん
18/12/31 22:16:35.30 nWq86pVm.net
追加させて下さい。
>>思考から抜け出した時、想より深い部分の精神活動が見えますので
↑は涅槃に至った時、なくなるのでしょうか?

617:神も仏も名無しさん
19/01/01 08:18:20.24 jtmTjcIM.net
 
実践したことがないので本当なのか?わからないけど、とりあえず
URLリンク(www.ne.jp)
想受滅
非想非非想の実践を経て
そして、それから
非想非非想も手放し超えて
そして、それから
想受滅の直後に「解脱」するとされているらしい
想受滅においては
いのち、あたたかさがあり、諸根(眼耳など)の働きはあるが
心作用のうち受、想、行が滅しているらしい
想がなければ、識も働かないので、想受滅のただ中では
五蘊のうち、心作用と言われる「受想行識」のすべてが滅していることになる
そうすると、物質のみ残り、心作用がない
心作用がないとは言っても、「諸根は浄静である」というから
眼耳鼻舌身などの働きは、破壊されていない
心作用は主観といってよいから、浄静な諸根と客観がある、という状態であるらしい
  _  _  _
たとえば
般若の智慧とか?
平等性智などのような状態?なのかもしれない

618:神も仏も名無しさん
19/01/01 20:10:16.34 bL4QJFsT.net
>>602
わたしも普段はそのように感じています。
気づきが強く連続していくと、意識が瞑想対象から離れなくなって、
思考しようと思っても思考できない状態になってくることがあります。
気づきが、瞑想対象に気づくことに忙しくて、もはや思考を追いかける
ことができない状態です。
その時、思考から抜け出せました。
その状態に五蓋はなく、そこではじめて心所としての信や慈(無瞋)を
経験しました。
その時、五感の感覚も全くないので、その状態を経験してからは
身体と相互依存的に生じている精神現象を相対化できるように
なりました。

619:神も仏も名無しさん
19/01/01 20:12:15.62 bL4QJFsT.net
五感の感覚の有無については、瞑想の種類や深さにもよるだろうと思います。
涅槃ではありません。
ようやく瞑想の入り口ということだと理解しています

620:ポッタン師
19/01/01 20:22:55.13 V3/WlV/A.net
604.バカ丸出し、である。大爆笑である。バカおじゃる、の言う、ことである。

621:神も仏も名無しさん
19/01/02 01:15:09.47 J7VrCjET.net
 
>>603
>>思考から抜け出した時、想より深い部分の精神活動が見えますので
>↑は涅槃に至った時、なくなるのでしょうか?
実践したことがないので本当なのか?わからないけど、とりあえず
URLリンク(junsoyo.on.coocan.jp)
曹洞宗の内山興正
…坐禅の姿を骨組と筋肉でねらい
そうして「思いを手放しにしている」という言葉が一番あたるかもしれません
…ところが今
その何かをつかもうとする「思いの手をひろげっぱなし」にしてしまって
何ものをもつかまないでいることです。すなわち思いの手放しです
実際には何ものかの思いが浮かぶかもしれません
しかし
思いがそれをつかみさえしなければ「何もの」としても構成されることはないでしょう
  _  _  _
そして更に
非想非非想 → 想受滅 → 解脱智見 → 有余涅槃 → 無余涅槃
無余涅槃
このときは
(思考から抜け出した時の)
想より深い部分の精神活動も滅している(かもしれない?)

622:神も仏も名無しさん
19/01/02 13:54:32.33 DC+ULUYs.net
>>605,606
>>身体と相互依存的に生じている精神現象
この言葉にハッとしました。つまり縁摂受智ということでしょうか?
そう考えると、精神(名)は体(色)から発するという理解も間違いではないのかもしれないと思いました。
つまり相互依存ということですね。それを分けることはできると。
>>604,608
書き込みありがとうございます。
とても参考になりました。

623:神も仏も名無しさん
19/01/02 14:50:36.64 J7VrCjET.net
 
この説明だけだと意味が、わかりにくいけど、とりあえず
URLリンク(yamaneko.hatenablog.jp)
パオ・セヤドー

(仮設としての。仮和合としての)
五蘊は生起するや否や、即刻壊滅します。これは刹那生滅です

無明・渇愛・取・行及び業というこの五種類の因が
阿羅漢道智によって余す所なく滅尽する時
五蘊もまた般涅槃の時に、余すところなく滅尽します
因縁滅を了知する智慧を、【 因縁滅智 】 と言います

因縁生滅智
刹那生滅智
  _  _  _
たとえば
般若の智慧によって
(刹那生滅智と)
因縁滅を了知する智慧をもって
因縁滅し尽くして
刹那生滅し終わる場合もある(かもしれない?)

624:神も仏も名無しさん
19/01/02 15:25:52.02 J7VrCjET.net
 
ウパニシャッドの
かの神(=有)は
[現象界の]名称と形態をはっきりと展開した
 - これに対して -
スッタニパータ
872
名称と形態に依って感官による接触が起る
…形態が消滅したときには〈感官による接触〉ははたらかない
874
…けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起る
  _  _  _
実践したことがないので、わからないけど
(想いにもとづいて、現れ、変化して、滅している)
(仮設としての)
名称と形態が依存している『想い』を手放して
掴もうとしている『想い』を手放して
という感じなのかもしれない
間違ってたら スマソ m(_ _)m

625:神も仏も名無しさん
19/01/03 22:58:42.43 lqTm6oaa.net
身体の不浄を観ずる(不浄観)のお勧め
『スッタニパータ 第一章 勝利の経』
193 或いは歩み、或いは立ち、或いは坐り、或いは臥し、身を屈め、或いは伸ばす、─これは身体の動作である。
194 身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、ありのまま見られることがない。
195 身体は腸に充ち、胃に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり、
196 鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。
197 またその九つの孔んらはねつねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、
198 鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。
199 またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。
200 また身体が死んで臥するときには、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない。
201 犬や野狐や狼やは虫類がこれをくらい、鳥や鷲やその他の生きものがこれを啄む。
202 この世において知慧ある修行者は、覚った人(ブッダ)の言葉を聞いて、このことを完全に了解する。なんとなれば、かれはあるがままに見るからである。
203 (かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう)と内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきである。
204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。
205 人間のこの身は、不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以て)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出る。
206 このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また軽蔑するならば、かれは(見る視力が無い)という以外の何だろう。

626:神も仏も名無しさん
19/01/05 12:09:11.93 N/C9rtul.net
瞑想会って途中参加OKですか?
仕事上フルで出るのは難しいです

627:神も仏も名無しさん
19/01/05 15:10:04.85 uGqIuu+6.net
>>613
主催者さんにお聞きになるのがベターだとは思いますが、
一日瞑想会の場合、大抵は静かに出入りすればOKだと思いますよ。
プログラム進行がみっちり決まっていて、高名なお坊様が指導するような
イベント型の瞑想会の場合は、問い合わせるか主催者側の発表情報を
確認した方が良いと思います。

628:神も仏も名無しさん
19/01/05 19:48:42.39 N/C9rtul.net
>>614
そうですね
そのような時は電話で確認してみます
ありがとうございました

629:神も仏も名無しさん
19/01/05 20:15:18.78 HcP0ceAc.net
十六観智
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
智慧を16段階にまで分別分析するのってなんかアホらしいといえばアホらしい

630:神も仏も名無しさん
19/01/06 08:59:03.40 7RtEGcBI.net
ある日示していわく、聞いてみよそして見てみよ。又云う、経験してないなら見てみよ、見てないなら聞いてみよ。
つまり、聞いて知るよりは見るのがよい。見るよりも経験してみるのがもっとよい。
まだ経験してないのなら見て学ぶということがあり、見ることがかなわなければ聞いて学ぶということがある。
学道の用心とは自己を投げ捨てることである。自分に執着する態度を改めて、自己を捨てた修行の中に身を投げれば、
心も随って転じていくものである。宋の国には俗人の慣習に、父母の供養のために墓に集まって泣くまねをするというのがある。
すると終いには本当に泣いてしまう。学道の人も、始めは道心などなくても道を好み仏道を学ぶ環境に身を置けば、
自然と本当に道心が起きてくるものだ。初心の学道の人は只みんなに随って修行すればよい。
修行の心得だとか昔からのやり方などを勉強しようなどと思わなくてよい。そのようなことは一人で山に入ったり、
市井にあって行じていこうとするときに役に立つというくらいのものだ。みんなに随って修行すれば道が得られる。
舟に乗ったら船頭にまかせていけばよい。どうやって漕ぐか知らなくてもちゃんと彼岸に着く。
よく心得た船頭にまかせてみんなと一緒に修行して自分というものを捨ててゆけばもはや道人である。
もし悟りを得て、もう悟ったからこれで良い師もいらないと思っても参禅をやめてはいけない。仏道に終わりはない。
悟ったらなお修行である。良遂座主が麻谷禅師に参禅した因縁を思い出すとよい。
正法眼蔵随聞記
URLリンク(kohgetsuji.justhpbs.jp)

631:神も仏も名無しさん
19/01/06 11:47:27.79 TmMnnbcq.net
好意、好きと言う作用は感覚でしょうか思考でしょうか感情と言うものでしょうか
またその現象が起こった場合どのようにラベリングしたら良いでしょうか?
胸がむず痒くなるような、
締め付けられるようななんとも言い難い感覚です。

632:神も仏も名無しさん
19/01/06 11:55:44.07 RrCkGCgp.net
《タイ上座部の「異端」 ブッダダーサ比丘》
URLリンク(www.dia.janis.or.jp)

633:神も仏も名無しさん
19/01/07 21:17:31.40 8iivTs+E.net
仏教学んだら
絶対に勝ってやるとか、必ず一位になってやる
という気持ちが無くなっていくのはなぜ?
スポーツ選手なら、絶対金メダル獲る!という執念もなくなりそうに感じる

634:神も仏も名無しさん
19/01/07 21:25:19.12 2jITwcsz.net
メダルを取ることより、仏法を学んで結果を出すことの方が意義があることだからね
預流果になることは全地上の王様になることより価値があることらしいから
希少価値は逆転しているけれど

635:神も仏も名無しさん
19/01/07 21:40:28.86 aosCKaCY.net
>>621
金メダルを取ってから引退して仏法はできるけど
悟りに一生ささげて、金メダルどころか家庭や恋愛もリタイヤですね。

636:神も仏も名無しさん
19/01/07 21:57:01.63 JVr5auvC.net
前提認識として、死んだら終わりと思ってるか、
死んでも輪廻が続くと思っているかで、見方、考え方が全然違ってきますので。
輪廻が続くと、なんとなく信じているのと、
輪廻が続く(続いてきた)のを知っているのとでも、また全然違います。

637:神も仏も名無しさん
19/01/07 21:59:17.25 JVr5auvC.net
映画マトリックスでいうと、
マトリックスの住人で居続けるのか、マトリックスから抜け出すのか。
マトリックス内の価値観の尺度で、マトリックスから抜け出すことの価値を測ることはできないんですね。

638:神も仏も名無しさん
19/01/07 22:03:11.60 JVr5auvC.net
仏道修行をしない場合、寿命が来たら確実に死にますし、
死んだら欲六界のどこかに転生して、また四苦八苦です。
瞑想がある程度のところまで行っていれば、死ぬのは身体だけですし
(おそらく)脱皮する程度のことでしかありません。
三宝への帰依と布施、戒律が確立していれば、たとえ欲界転生でも
悪趣に行くことはありません。
死んだ後の準備をしないで死に突入するのは、パラシュートなしで
飛行機から飛び降りるようなもんです。
業と業果はありますし、死んだぐらいじゃ解放されませんです。
受験や就職の準備をしないで歳を取ると大変なことになります。
死もそうです。

639:神も仏も名無しさん
19/01/07 22:07:06.91 zWLnHQDW.net
生き返って苦悩するのを繰り返しても
物事はいつかは終わるから、
最終的にどうなるの?
なぜそんな事を繰り返すの?

640:神も仏も名無しさん
19/01/07 22:09:36.56 2jITwcsz.net
>>JVr5auvC
仏道に対する確信が強いようで、うらやましいです

641:神も仏も名無しさん
19/01/07 22:11:29.96 JVr5auvC.net
我々は夢を見ている時、現実の自分を忘れてしまい、夢の中のリアリティに埋没していますが
夢から覚めると現実感と自己認識を取り戻しますし、リアリティも夢のなかよりずっと高い実感
があるはずです。
深さにもよるでしょうが、瞑想にもそういう目覚めの状態があります。


642:> 瞑想状態に入っている時の方が、我々が普段現実だと思っているリアルよりも、ずっとリアルです。 そこで初めて、なるほど「目覚め」と言うわけだと思うはずです。 リアリティはそれぐらい違います。 (自己が想像するような自己ではありませんが、)生まれる前の自己を思い出しもします。 まぁ、いくら言っても実感は湧かないでしょうし、信じられないでしょうから、思考から抜け出す まで、突破するまで瞑想してみて下さい。



643:神も仏も名無しさん
19/01/07 22:12:38.64 JVr5auvC.net
>>626
分かりません。
分かろうとしています。
>>627
生意気言ってすみません。
すべて仏法僧とのご縁のお陰です。

644:神も仏も名無しさん
19/01/07 22:16:56.85 2jITwcsz.net
>>629
いえいえ、とんでもありません。お考えを書いてくださってありがとうございます。
まだ悟ってはおられないのでしょうか?
現段階からさらに、悟りの光が現れますようにと、念じさせていただきました。

645:神も仏も名無しさん
19/01/07 22:17:25.08 JVr5auvC.net
(毎回同じことを書きますが、)
夢や妄想、幻覚じゃないのかとの疑いについては、こうお答えできます。
夢は、眠っていないと見ません。
幻覚は、五感の感覚がないとろには生じません。
妄想は、思考から抜け出した状態にはありません(できません)。
ある種の瞑想状態は、眠っていません。
五感の感覚もすべて消えてしまいます。意識が意識しないので、認識しません。
集中対象に意識を縛り付けているので、思考を追いかけることができないので、思考もできません。

646:神も仏も名無しさん
19/01/07 22:19:56.19 JVr5auvC.net
間違いや不適切があれば、速やかに訂正されますように。
いまだ仏道にご縁のない方が、死を乗り越える機会が得られますように。
三宝と仏道を護る皆様に礼拝いたします。

647:神も仏も名無しさん
19/01/08 00:57:20.80 201ZQJ/H.net
>>631
>集中対象に意識を縛り付けているので、思考を追いかけることができないので、思考もできません。
例えば読経やマントラも読むことや(心の中で)唱えることによって思考を消すのが目的
とは言ってもよほどの精神統一がないと読経中やマントラ唱え中でも思考は湧いてくる
湧いてきた思考は追いかけずにただこういう思考が湧いてきたのを確認したら棄ててまた行の方に集中力を傾ける
棄てようとしても棄てきれずにどんどんその思考に追われることになって読むこと唱えることに集中できないならそれはそれで今自分が抱えている悩みが何かをはっきりと知ることはできる
その悩みは無常苦無我の三相であるとして観察するかそれとも具体的対処法を考えるかはその人の資質で向いてる方を選べばいいと思う
基本的には三相を選んでおけば過度な期待はしなくならので裏切られることはない
ただ時として問題の先送りになるかもしれない
とらわれてるのも三相だとして妄想を巡らすことなくマイナス思考に陥ることなく具体的な対処法を行の後に一考するのがいいのかもね

648:神も仏も名無しさん
19/01/08 08:02:03.93 Av3Uvqek.net
私は難しいことは向いてない思った
悟ったと言われているお釈迦さんの
したことで私でも今すぐに出来ること
を探してみたら食を乞うて歩くこと
これは難しい理屈の理解とかいらず
考えずに簡単に出来るなと思った
結果的には
私の弱い精神と軟弱な身体なのが
身に染みた
今では屋根の下で病弱な状態で
何とか生きてる感じだ
私でも短い期間はできたので
一生食を乞うて生きて死ぬ人がいると
確信している
もう全く出来そうもないので
そんなやり方に
とっても憧れているわ

649:神も仏も名無しさん
19/01/08 09:47:57.56 U453Fxpx.net
>>631
それはただのサマーディ

650:神も仏も名無しさん
19/01/08 10:18:52.83 cBQq2xQ3.net
そうだよ。
それでも五蓋が鎮伏されれば、そのレベルの体験と洞察があります。
四諦を悟るレベルの目覚めは、いったいどんなかと思うと想像を絶しますね。
想像は想(サンニャー)だから、想像したって分かりっこないわけでしょうが。

651:神も仏も名無しさん
19/01/09 11:25:13.77 pnuM+URO.net
 啓蒙啓発動画リスト
URLリンク(www.youtube.com)

652:神も仏も名無しさん
19/01/09 13:37:25.57 q9SrhyLA.net
>618
>胸がむず痒くなるような、
>締め付けられるようななんとも言い難い感覚です。
これが好意を起こしているでは無いですか?
身体が先で想いが後
色(身体)>痛み>想い

653:神も仏も名無しさん
19/01/09 15:05:45.77 oHgbeoNu.net
欲望を満足させることよりも、欲望が生じないようにした方が幸せなんですね。
瞑想して気づきました。欲望が発生しない方が安全、幸せだと。
このことはネット上で見て、そうなのだと頭では理解していましたが、瞑想で実感することが重要だったようです。

654:神も仏も名無しさん
19/01/09 16:26:31.79 c6StQANV.net
お釈迦様が成道したときに悟ったと気づいた主体のようなものってあったんでしょうかね

655:神も仏も名無しさん
19/01/09 16:27:44.14 oHgbeoNu.net
まだ欲望を克服したわけではありませんが・・・。
欲望を満たすことより、幸せになる道があるということは分かりました。
そのように生きれるようになりたいと思います。

656:神も仏も名無しさん
19/01/10 09:19:26.16 ouTEUdMg.net
一方の隅に立ったかの神は、尊師のそばでこの詩を唱えました。
 「過ぎていくのは、時である。渡りゆくのは夜々である。
 青春の美徳は、しだいに失われていく。
 この、死へのおそれを観るならば、
 諸々の福徳をなして、安楽をねがうがよい。」
(尊師が語りました。)
 「過ぎていくのは、時である。渡りゆくのは夜々である。
 青春の美徳は、しだいに失われていく。
 この、死へのおそれを観るならば、
 世間の財を捨て、寂静をねがうがよい。」
(サンユッタニカーヤ 神相応)

657:神も仏も名無しさん
19/01/10 15:40:55.67 cEmthx0D.net
キリスト教にも興味がある者ですが、
仏教を実践する人、キリスト教を実践する人の最高到達地点て、どちらがより上なんでしょうか。
到達地点はそれぞれ別のもので、比べられるものではないんでしょうか。

658:神も仏も名無しさん
19/01/10 16:28:41.59 snTZYgfJ.net
仏教における仏性とキリスト教の内なる精霊は似た概念なのかもしれんけど、どちらが上というのはよくわからないな

659:神も仏も名無しさん
19/01/10 16:39:04.31 yPgxgIO4.net
自力か他力かじゃない?到達地点は違うと思う。イエス以外の全ては罪人で許して
もらうというのがキリスト教じゃない?ホントに許してもらえるのか謎。
仏教だと、外に求めるものはすべて苦だと説明するよ。

660:神も仏も名無しさん
19/01/10 19:44:04.37 cEmthx0D.net
下手したら荒れる話だから注意が必要ですね。
絶対神の存在を認めるか認めないかで立場が違ってきますよね。
差はここから生まれているのでしょうか。どちらも幸福なのは変わらないと思います。

661:神も仏も名無しさん
19/01/10 21:54:41.19 hjHjYLht.net
キリスト教にもいろいろある
自力の「悔い改め」に重心を置く宗派もある
カルバン派あたりは浄土真宗と大して変わりない気がするな

662:神も仏も名無しさん
19/01/10 21:59:57.01 hjHjYLht.net
浄土真宗の他力本願というのは、「悟るんだ悟るんだ」という自力努力を
手放したところに救い、悟りなどがあるという話だろう
テーラワーダでもなんでも、一定程度のところまでいったら
他力みたいなものを感じないわけがないんで
それを阿弥陀様と呼んだり、イエス・キリストによる救いと呼んだりする
そう考えておけばいいよ
厳密な話をしたってあまり意味がない

663:神も仏も名無しさん
19/01/10 22:24:07.52 XbjIN62H.net
自力でがんばり抜いて自我を手放したら、その状態では
もはや自力は成り立たないだろうから、実は他力はかなり
レベルの高いことを言っている可能性がある。

664:神も仏も名無しさん
19/01/10 22:25:32.53 XbjIN62H.net
自力と他力は同じこと、と言っている禅僧もいた。

665:神も仏も名無しさん
19/01/10 23:37:15.25 5Kproz+z.net
祈る行為って好きなんだよなぁ
教会、神社、寺院それぞれムードが違って、でも大きなものに祈るのが好きだわ
どれも同じものが違う形で現れてくれたものだろうしね
無相の真理もね
こんどモスクにもいってみよう

666:神も仏も名無しさん
19/01/10 23:38:34.53 5Kproz+z.net
まあある意味テーラワーダほど明確に神々の存在に言及しているところも珍しい
「高次な生き物」って解釈なんだろうけどね

667:神も仏も名無しさん
19/01/11 12:34:40.38 vCNqQ9pi.net
自力、他力はブッダは説いてないんじゃない?
五力は説かれたけど

668:神も仏も名無しさん
19/01/11 13:29:21.43 gRA7Mx4y.net
ブッダの他力は在家信者に対して
五戒や八斎戒を守ることによって死後は天界に生まれることを説いたが他にもサンガに物惜みせずに托鉢することによっても天界に生まれるとした
サンガは仏像、托鉢は仏像の前の賽銭箱と置き換えるとサンガに充分に施しをして死後の天界への転生を願うのは他力と言える

669:神も仏も名無しさん
19/01/11 13:37:15.87 QVQ6rzOa.net
ダンマの六徳と言う日常で唱える文句の中に、賢者たちによって各自で悟られるべき教えで
あると言うセクションがある。”自らこの教えを実践して体験すべき。他力救済を説かない”
とテーラワーダ仏教協会のパンフにある。

670:神も仏も名無しさん
19/01/11 16:17:03.18 xCVoGiq3.net
完全な神様がいたら、そらそれに帰依しますわ。
いないんなら、自分で何とかするしかない。
それが仏教なのでは。

671:神も仏も名無しさん
19/01/11 18:05:24.93 5vRztH4a.net
言葉はすべて、どの観点から、どこまで見通しているかによる。
本当に当てにならない。と思う。

672:神も仏も名無しさん
19/01/12 11:10:20.83 YBkvg5OU.net
天界とか神々とかみんな信じてんの?

673:神も仏も名無しさん
19/01/12 12:26:21.83 YBkvg5OU.net
初期仏教は宗教じゃない
心の科学
後の大乗が宗教にしてしまった
それが間違い
これが正式な見解

674:神も仏も名無しさん
19/01/12 12:44:04.80 MsQvq89F.net
仏道は中道だから、決めつけずに自分で確かめていけばいいのだと思う。
科学的態度というのは、理論の整合性(帰納と演繹)に加えて、観察または
実験観測による確認を含む。
教学は理論。
サマタは望遠鏡の設置。
ヴィパッサナーは天体観測。
地球が平らだと思ってる人に、丸いよと話しても下手すると殺される。
望遠鏡の使い方を教えて、観測してもらえば、自分で納得する。

675:神も仏も名無しさん
19/01/12 12:45:29.72 MsQvq89F.net
「自分の考え」というのは、まず錯覚だから。
自分がそもそも錯覚だから。

676:神も仏も名無しさん
19/01/12 12:48:17.83 MsQvq89F.net
>>659
初期仏教がどんなことを言っているのか、パーリ仏典を
日本語訳でいいから読んでみるといいよ。
仏教は心の科学で間違いない。
しかし、悟りの智慧を、悟っていない人の考えで捉えられると思っているなら
それはおそらく違う。

677:神も仏も名無しさん
19/01/12 13:07:25.30 MsQvq89F.net
言い方は悪いが、犬猫が頭でいくら考えても、人間が捉えているような
高度な知見や認識を理解することは無理なのと一緒で、人間が頭で
考えることは、ほんとうに大したことないです。

678:神も仏も名無しさん
19/01/12 20:01:25.98 KJ6cPCe7.net
人間の思考は大したことないというより、むしろ有害
悟りの智慧も高度な見解というわけではなく、いかに人間が愚かか、騙されやすいか、勘違いをしているか、顛倒しているかを知るだけのこと

679:神も仏も名無しさん
19/01/12 20:04:51.97 zRb6pzJo.net
>>664もまた思考ですので

680:神も仏も名無しさん
19/01/12 21:55:43.22 KJ6cPCe7.net
あ、もちろん正しい思考、正思惟もある
比丘たちよ、私は正思惟を二つに説きます。
比丘たちよ、有漏の、福分の、生存の素因という異熟ある正思惟があります。
比丘たちよ、聖なる、無漏の、出世間の、道支たる正思惟があります。
では比丘たちよ、いかなるものが有漏の、福分の、生存の素因という異熟ある正思惟なのでしょうか。
離欲の思惟、無瞋の思惟、不害の思惟です。
比丘たちよ、これが有漏の、福分の、生存の素因という異熟ある正思惟です。
では比丘たちよ、いかなるものが聖なる、無漏の、出世間の、道支たる正思惟なのでしょうか。
比丘たちよ、およそ聖なる心の者、無漏の心の者、聖道を具備した者、聖道を修習する者には、思索、尋、思念、専注、統覚、心の志念、語行がおこります。
比丘たちよ、これが聖なる、無漏の、出世間の、道支たる正思惟です。
URLリンク(komyojikyozo.web.fc2.com)

681:神も仏も名無しさん
19/01/12 23:43:43.32 zRb6pzJo.net
[正しい思考]
「比丘たちよ、このなかで正しい見方が最初にくる。
では、比丘たちよ、どうして正しい見方が最初にくるのか。
誤った思考を誤った思考と知り、正しい思考を正しい思考と知っているとき、その人は正しい見方をしている。
[73]では、比丘たちよ、誤った思考とはなにか。欲をともなった思考、敵意をともなった思考、害意をともなった思考―比丘たちよ、これが誤った思考である。
では、比丘たちよ、正しい思考とはなにか。比丘たちよ、正しい思考もわたしは二つ説く。
比丘たちよ、『徳行のひとつではあるが、結局は[迷いの生存の]下地をつくる、煩悩をともなった正しい思考』があり、比丘たちよ、『神聖で、煩悩を離れ、世俗を超越した、聖道に属する正しい思考』がある。
 比丘たちよ、『徳行のひとつではあるが、結局は[迷いの生存の]下地をつくる、煩悩をともなった正しい思考』とはなにか。
欲を離れた思考、敵意のない思考、害意のない思考―日これが『徳行のひとつではあるが、結局は[迷いの生存の]下地をつくる、煩悩をともなった正しい思考』である。
では、比丘たちよ、『神聖で、煩悩を離れ、世俗を超越した、聖道に属する正しい思考』とはなにか。
比丘たちよ、心が神聖で、心に煩悩がなく、聖道に達し、聖道を修めている人の思索、熟考、思案、思いを向け、思いを致し、思いを凝らすこと、言語活動
―比丘たちよ、これが『神聖で、煩悩を離れ、世俗を超越した、聖道に属する正しい思考』である。
 誤った思考を捨てよう、正しい思考を備えようと努力するとき、その人は正しい努力をしている。
注意して誤った思考を捨て、注意して正しい思考を備えているとき、その人は正しい注意をしている。
こうしてこの三つのもの、すなわち、正しい見方、正しい努力、正しい注意が正しい思考につきしたがい、ついてまわる。
URLリンク(mixi.jp)

682:神も仏も名無しさん
19/01/12 23:46:58.23 zRb6pzJo.net
説一切有部では、我々が経験する常識的な存在、個別の人や事物・事象は仮のものであって実在しない、
我いわゆる霊魂のような「不滅の私」・「永遠なる個我」(ātman)なるものなども存在しない、
故に無我(anātman)である、と無我を理解。
しかしながら、部派仏教といわれる諸部派がその他なんらかの実在を認めていたように、
大きくは二つ、あるいは五つの範疇に分類されるモノが真に実在する、という見解を立て、そのような理解に従った教学を構築しています。
巷間には開口一番「すべては虚妄である。所詮それは、名(ナーマ)と色(ルーパ)にすぎないのであるから」だとか
「すべては無自性空である。あれも空だ、これも空だ」などと宣う愚か者があります。
が、説一切有部では、世間で認められる常識的な存在を無碍に否定などしておらず、これを世俗諦(世間的レベルでの真実)とし、
対して究極的に認められる存在を勝義諦[しょうぎたい](真に存在するモノ)としています。
吾人の知覚し、経験する諸々の事象を、端から否定するような態度は取らないのです。
真実(諦/satya)について、その見方によって二つの階層を設定し、そのそれぞれの価値を認めているのです。
そして、そのような真実についての理解の仕方は、その内容とするものこそ相違があるものの、大乗にも引き継がれています。
URLリンク(www.horakuji.com)

683:神も仏も名無しさん
19/01/13 09:40:54.52 CWdN815c.net
>巷間には開口一番「すべては虚妄である。所詮それは、名(ナーマ)と色(ルーパ)にすぎないのであるから」だとか
>「すべては無自性空である。あれも空だ、これも空だ」などと宣う愚か者があります。
と言っている人も虚妄、ナーマルーパにすぎない
その人の意見も虚妄、空

684:神も仏も名無しさん
19/01/13 09:50:11.46 LAyH/HQL.net
>>669
巷間には開口一番「すべては虚妄である。所詮それは、名(ナーマ)と色(ルーパ)にすぎないのであるから」だとか
「すべては無自性空である。あれも空だ、これも空だ」などと宣う愚か者があります。
の好例

685:神も仏も名無しさん
19/01/13 11:42:53.10 9RQWKMHe.net
>>658-569
>天界とか神々とかみんな信じてんの?
天界があるのか、神々はいるのかという話の流れだから
ここでは >>668 の話は直接的には関係ないのでは。

686:神も仏も名無しさん
19/01/13 11:44:52.07 9RQWKMHe.net
訂正
>>658-659
初期仏教(パーリ三蔵経典にのこる仏説)において、天界のことも天神のことも述べられています。
なんなら、瞑想で確かめることもできます。

687:神も仏も名無しさん
19/01/13 11:54:08.44 9RQWKMHe.net
欲六界にせよ、三界世間にせよ、
自分の生きている世界だけが有情世間のすべてだと思ってるのって
「自分」を始点とした「想(サンニャー)」、
「自分」を中心とする「想(サンニャー)」でしかなくて、
想像上の神を居ると考えようと、いないと考えようと
同じ「想」のなかで妄想をもてあそんでるだけであることに
なんの変わりもない。
想像上の神を居ると信じているのは、ピカチュウを信じてるのと何も変わらない。
居ないと信じているのも、実は同じ。

688:神も仏も名無しさん
19/01/13 11:54:51.08 9RQWKMHe.net
途中でボタンおしてしまった。すまん。
もう面倒だから修正はしない。

689:神も仏も名無しさん
19/01/13 11:58:23.96 DIiGtiTE.net
>>672
自分で瞑想で確かめたの?

690:神も仏も名無しさん
19/01/13 12:10:12.28 9RQWKMHe.net
一部だけですが確かめました。
これまでにも色んな宗教の、いろんな人が、いろんな語り口で語っています。
それらを言葉と思考で捉えるから、それぞれみんな別モノに感じられるだけ
だったのだと分かりました。
証言なら、すでに世界中に、歴史上に沢山溢れています。
いまもそうです。
ネットの発達で届きやすくなっている状況でしょう。

691:神も仏も名無しさん
19/01/13 12:13:34.16 9RQWKMHe.net
世界は、誰かの「自分」を中心に回っているわけじゃありません。
自分を中心に回っているのは、自分だけです。
それを手放さなければ、虚妄から抜け出すことなどできません。

692:神も仏も名無しさん
19/01/13 12:27:42.06 DIiGtiTE.net
「自分」を中心に回っているなんておもってないけど
瞑想をするのも自分だし
途中で送信してしまうのも自分だよね

693:神も仏も名無しさん
19/01/13 12:28:33.69 9RQWKMHe.net
自分を作ってるのは思考だから、思考が止まってる時は
その自分はいないっす。

694:神も仏も名無しさん
19/01/13 12:29:16.64 LA0YahY3.net
>>676
神がいると思ったということでしょうか?
何かを見たわけですか?


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