【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15 - 暇つぶし2ch400:神も仏も名無しさん
18/12/23 19:42:19.15 F/q1Mdd1.net
「生まれつくわが悪念を直さずに 学問すれば身を害すもの」 一休
生まれついた自分の悪いところを直さずに、学問をすれば余計に自分をダメにする。

401:神も仏も名無しさん
18/12/23 19:57:37.35 F/q1Mdd1.net
涅槃は貪瞋痴が無くなった状態とも言える。
自分が持っている欲、怒り、愚かさを無くすことが涅槃なのに、
涅槃の為に欲、怒り、愚かさを出したら本末転倒。

402:神も仏も名無しさん
18/12/23 20:44:52.55 F/q1Mdd1.net
本を読めば読むほど、思考すればするほど戯論は増えるのだから、
仏教でいう無智、無明、愚痴は増えていく。

403:神も仏も名無しさん
18/12/23 20:49:47.25 nlXsEUZ4.net
読めば読むほど遠のくということ?

404:神も仏も名無しさん
18/12/23 20:58:41.54 F/q1Mdd1.net
例えば洗濯する時、洗濯物に洗剤という汚れを付けて、一生懸命かきまわし、最後にすすぐと洗濯物はきれいになる。
洗剤は汚れを落とすものだからと、ダバダバ入れて、かきまわすこともせず、すすぐこともしなければ、洗濯物は汚れていく一方。
仏教の本も、適量だけ読むことは必要だが、その知識を利用して、自分の心の汚れを実際に落とすことが重要。

405:神も仏も名無しさん
18/12/23 21:04:21.43 F/q1Mdd1.net
特にアビダンマなどの超強力洗剤に漬けっぱなしにしたら、衣類はもう着られなくなる。

406:神も仏も名無しさん
18/12/23 22:05:05.48 AkgaMVue.net
ほう、スマはブッダの実践心理学~アビダンマ講義シリーズ~なんで分厚い本を8巻も書いてる
あれテキストはアビダルマの入門用テキストのアビダンマッタ・サンガハだから薄いもんなんだよな
それをわざわざ張り切って解説つけて8巻まで分厚い本として出版させてる
自分が体験してない滅尽定のこともさも体験したような口ぶりで書いている(おそらく無色界禅定も体験してないだろう)
机上の理論を書くのに張り切ってるお坊さんがスマだってことか
あーでも本の中ではテーラワーダ以外の仏教や他宗教をdisったりしてそういうところにもエネルギーを費やしての8巻だったなw

407:神も仏も名無しさん
18/12/23 22:25:26.30 F/q1Mdd1.net
アビダンマが悪いって訳じゃない。
瞑想していてその都度疑問に思ったことを、少し調べてまた瞑想に戻る。
頑固な部分汚れに、少し使う分には役に立つ。
無色界禅定も、滅尽定も、解脱には必要無い。第一禅定で十分だと言われている。
そこは重要じゃないから、机上の空論でも何でもかまわない。読み飛ばせばいい。

408:神も仏も名無しさん
18/12/23 22:48:19.03 AkgaMVue.net
>>396
>無色界禅定も、滅尽定も、解脱には必要無い。第一禅定で十分だと言われている。
言われてないでしょ
仏陀がそれを否定している

修行僧たちよ、このように(わたしに非想非非想定を授けた)ウッダカ・ラーマプッタはわたしの修行仲間であるけれども、わたしを師の地位に置いた。
そして、わたしを最上の敬意をもって礼拝した。
修行僧たちよ、そのとき、わたしはこう思った。
 『この教えは厭い離れることに導かず、貪りを離れることに導かず、[煩悩を]滅することに導かず、
寂静に導かず、証知に導かず、正しい目覚めに導かず、ニッバーナに導かない。
<想いが有るのでもなく、ないのでもないという境地>に達するのみである』と。
そこで、修行僧たちよ、わたしはその教えに満足せず、厭って、その教えから去った」
(中部 聖求経)
このように無色界禅定の最高の非想非非想でも解脱できなかったとはっきり言ってますが
第一禅定で充分だなんて誰が言ってたの?

409:神も仏も名無しさん
18/12/23 23:11:27.47 k3yCj0BC.net
涅槃は概念であり、実在しないってのもたいがいじゃないの。

410:神も仏も名無しさん
18/12/23 23:38:43.95 AkgaMVue.net
>>398
龍樹は涅槃を四句分別することを否定しただけだよ

411:神も仏も名無しさん
18/12/24 00:27:09.88 xjciOyny.net
外界実在論---②説一切有部の主張 その1
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
外界実在論---「実在」の定義(有部・経量部などの主張)
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
テーラヴァーダ仏教(南方上座部)のS師の一言に疑義
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

412:神も仏も名無しさん
18/12/24 07:58:39.05 cIW0sfnr.net
言葉のすれ違いが無限に続いていく。
馬鹿馬鹿しい。

413:神も仏も名無しさん
18/12/24 09:03:50.49 sjnFb1a1.net
>>397
禅定はサマタ瞑想。ひたすら集中力を高める瞑想。
その方向には解脱は無い。
解脱に達するための瞑想はヴィパッサナー瞑想。
ヴィパッサナー瞑想では禅定を重視しない。観察を重視する。
以下、Wikipediaの引用
「伝統的に上座部仏教においては、サマタ瞑想を先に修行して、それからヴィパッサナー瞑想へと進むという階梯がとられてきた。
ヴィパッサナー瞑想を行なうためには少なくとも第一禅定(最高で第四禅定)に入っている必要があるとされ、
そのためにはサマタ瞑想を行なわねばならないのである。
これに対し、最初からヴィパッサナー瞑想のみを中心に修行するという道も、少数派ながら古くから存在した。
これは、ヴィパッサナー瞑想を行うことによって、自然に第一禅定がもたらされるという事実に基づいている。またより重要な問題点として、
サマタ瞑想にあまり重点を置きすぎると、それによってもたらされる三昧の快楽に耽ってしまいがちであり、
なかなか悟りが開けないという点も指摘される。
ブッダの悟りあくまでもヴィパッサナー瞑想によって開かれたとする観点による。」
URLリンク(ja.wikipedia.org)

414:神も仏も名無しさん
18/12/24 09:13:28.49 sjnFb1a1.net
涅槃だろうがブッダだろうが悪魔だろうが神だろうが、自分だろうがキャベツだろうが、一切の概念は実在しない。
それを諸法無我という。これは預流果に悟らないと分からない。逆に言えば、理解できれば預流果に悟れる。
一切の概念で一番大事にされているのが「私」。私という概念に実在が無いことが分かれば有身見が無くなる。

415:神も仏も名無しさん
18/12/24 09:28:40.51 sjnFb1a1.net
霊雲禅師は三十年修行したが悟りが開けなかった。ある時散歩していて桃の花を見た瞬間悟った。
何を悟ったか。
「花」は概念であって実在しない。目の前にあるのはただの光のチラつき、色でしかない。
そして「我」も概念であって実在しない。私と呼ばれるそれは、色声香味触法と眼耳鼻舌身意のチラつきでしかない。
花も無我、我も無我。ただあるのは六根、六境のチラつき。無常。

416:神も仏も名無しさん
18/12/24 09:45:04.34 sjnFb1a1.net
では無常たる六根、六境は実在か。
涅槃を体験すれば分かる。それらは空であると。
六根は無明により、因縁により生滅しているに過ぎない。
無明が無くなれば六根は無くなる。
無明とは何か。
無常、苦、無我を理解しないこと。
世間には何か実在があると勘違いし、それに捉われること。
その実在に対し、貪瞋痴の心を持ってしまうこと。

417:神も仏も名無しさん
18/12/24 09:57:50.68 cIW0sfnr.net
お釈迦さま、六根なかったんやな。

418:神も仏も名無しさん
18/12/24 12:22:59.11 4RG8WLU6.net
結局仏教っていうのは無常、苦、無我をどれだけ悟れるかということなんですね。
簡単なことのようでとても難しいと思うけれど。
シンプル。

419:神も仏も名無しさん
18/12/24 12:57:54.59 sjnFb1a1.net
阿羅漢にある肉体、五蘊、六根は、悟る前の業の結果。
六根に、五蘊に実体が無いことを知っているので、業の結果を受け取らず、新たな業は作らない。
最後の身体が無くなるのを待っている。

420:神も仏も名無しさん
18/12/24 13:10:14.33 Y0rwIfte.net
>>407
いろいろ勘違いしていると思う
>>408
受ける業と受けない業がある

421:神も仏も名無しさん
18/12/24 13:20:12.29 4RG8WLU6.net
>>409
詳しく。
何を大事にしたらいいでしょうか?

422:神も仏も名無しさん
18/12/24 14:12:41.21 sjnFb1a1.net
無常、苦、無我を理解しようと経典、その他を読むのは当然間違い。
じゃあ瞑想してやろうと、無常、苦、無我を求めて、悟りを求めて瞑想するのも間違い。
現在の瞬間にはっきり目覚めていて、妄想せず、気づきを確立し、(不痴)喜ばず、(不貪)嫌わず、(不瞋)いられれば、
悟りは向こうからやってくる。
要するにヴィパッサナー瞑想に専念する事。死んでも不貪、不瞋、不痴を守ること。
この事が仏教を真に理解するということ。

423:神も仏も名無しさん
18/12/24 14:59:01.38 cIW0sfnr.net
「群名無し象を評す。三蔵結集ありがたし。」 三休

424:神も仏も名無しさん
18/12/24 17:04:06.65 pdJLitA/.net
>>404
花は施設であり世俗諦ですが、花を構成する色などの方は現在という刹那には実在するというのがテーラワーダの教義です。
ではその刹那とはどのくらいかというと
どのように 〔心が生起するの 〕でしょうか ?
生 、住 、滅という 3刹那が 1心刹那です 。
その心刹那 1 7回が 、物質というもの (色法 )の寿命 ( 1刹那 )です 。
とアビダルマッタサンガハにあり、その刹那の長さは現在では現在の基準に即した単位で出ています。
物質の変化生滅は、本当は原子のレベル 、光のスピ ードで起きている。
ということは 、心は 、普通の心でも光より 1 7倍も速い速度で生滅している。
と現代テーラワーダの僧侶は言います。

425:神も仏も名無しさん
18/12/24 18:16:38.78 sjnFb1a1.net
>>413
それは理論、法、概念であって、実体は無い、現実では無い、無我。
現実はどうか。
現在の瞬間は捉えられない。無常、苦、空。
テーラワーダの教義としては、瞑想せよ、現実を観よ、という事のほうが重要。

426:神も仏も名無しさん
18/12/24 18:20:52.80 sjnFb1a1.net
理論を勉強するなら、まず預流果に悟らなければいけない。
諸法無我という真理を悟らなければいけない。
全て、人間の考える概念、理論、思考には実体は無い、現実では無い、本物では無いという事を。
そうでなければ、法に執着してしまう、法に振り回されてしまう。
そして諸法無我という真理から遠ざかってしまう。
真理から遠ざかりなさいというのがテーラワーダの教義なわけないでしょう。

427:神も仏も名無しさん
18/12/24 18:26:14.62 sjnFb1a1.net
例えば、野球のバッティング理論で、「ボールを切る」とか「バットを投げる」とか言ったとして、
現実にボールは切れる訳では無いし、バットを投げたら怒られる。
理論は物事を分かりやすく説明して、現実に上手く対応できるようにするためのもの。

428:神も仏も名無しさん
18/12/24 18:29:53.15 4RG8WLU6.net
話変わるけれど、預流果になっても7回も転生しないといけないのだから、結構大変だよね。
その生で苦しいことはたくさんあると思う。人生は何が起こるか未知数だから、危険なこともあるだろう。
一来果以上を目指したい。

429:神も仏も名無しさん
18/12/24 18:46:43.47 sjnFb1a1.net
例えば曹洞宗の教義は正法現蔵じゃない。しっかり坐れというのが教義。
ブッダの教義もパーリ仏典じゃない。ブッダの教義は菩提樹の下での悟りそのもの。
パーリ仏典は、ブッダの瞑想体験記。
経典の中に真理は無い。瞑想の中に真理はある。体験記を読んでもそれは分からない。
清浄道論はテーラワーダのお坊さんの一人、ブッダゴーサの瞑想体験記。個人的な手記。

430:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:17:49.22 cIW0sfnr.net
この無駄なおしゃべりが一番無駄。
経典やお坊さんのお話を聞くならまだしも、自称預流果の5ちゃんの名無しが
経典や仏陀の言葉を否定するのを見ているより、ずっと役に立つ。
言葉や概念が瞑想の体験智でないことは当然の前提認識であって、言葉で
会話のやり取りをすることしかできない場所で、言葉のやり取りを否定する
ことに、どれ程の意味や妥当性があるのか。

431:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:18:57.30 cIW0sfnr.net
瞑想実践が大事なら、ぐだぐだ屁理屈を言うより
「黙って坐れ」のひと言で終わりでしょうに。

432:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:22:28.53 zeHCQFd9.net
>>414
ではAbhidhamma思想家が物質よりこころは17倍早いと計って分かったのですが。
これは冥想の達人達が得た超越した知恵に基づいて言っていることで、一般的には理解できないものだとAbhidhammaがサンザン言っています。
それはそれで、Abhidhammも一つの学問だと思って考えてみましょう。
そのとき私に見えたことは「物質の明確な認識の最小の単位を起こすために17種類の心が働くということです。
こころは一つのながれなので、多数の心は一緒に働くのではなく一つ一つのこころは自分の機能を起こして消えるのです。
こころに触れた物質は消えるまで反応を起こします。その間心が17回生まれて消えます。
それで物質よりこころは17倍早いということになったのです。
URLリンク(www.j-theravada.net)
瞑想が達人的な域に達すると心の速さは物質の速さの17倍であることがわかるんだとさw
君もそこまで目指して頑張りたまえ!

433:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:23:52.92 cIW0sfnr.net
名無しの自称預流果が、仏法僧を否定とか無責任なことすんなや。
危なすぎるだろが。まず誰かに師事しろよ。
自宅でひとりで瞑想して悟りましたとか、通信講座で空手の黒帯になったので
道場破りします、みたいな話だろ。

434:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:24:18.74 sjnFb1a1.net
じゃあブッダも黙ってた方が良かったのか。
毒をもって毒を制す。
概念を持って概念を制す。
達磨大師は黙って9年坐られたけど、「教外別伝、不立文字、直指人心、見性成仏」とは唱えられた。

435:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:25:42.63 sjnFb1a1.net
>>421
仏教では解脱が大事。
それ以外に価値は無い。

436:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:27:14.39 cIW0sfnr.net
>>423-424
おまえ、涅槃を概念だと言ってるだろ。
概念は涅槃じゃねえええええええっ
ばかかあああああああああ

437:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:27:56.60 4RG8WLU6.net
まあ、ここは会話するための場だから、議論はいいことだよ。
黙ってすわってろ、で済ませるのなら、このスレには誰も書き込まなくなるし。
見ている分には楽しいよ。ただ、節度を保ちましょうね、ということなのかな。

438:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:31:54.85 sjnFb1a1.net
>>425
概念としての涅槃と実際の涅槃は違う。
法としての涅槃、行としての涅槃。
実際には行を停止するのが涅槃だけども。
実際の涅槃はどうとも言えない。有るとか無いとかも言えない。
「涅槃」とも言えない。

439:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:33:37.24 cIW0sfnr.net
仏陀が涅槃と言ってるものを、涅槃と言わない預流果が居るわけないだろ。

440:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:34:42.09 cIW0sfnr.net
悪いこと言わんから、まず正師につけ。

441:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:36:59.50 sjnFb1a1.net
当たり前の話だと思うんだが。
「ご飯」について語っても満腹にはならない。
実際にご飯を食べて満腹になる。
「ご飯」は概念、無我、実体が無い。

442:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:37:26.27 /XK3FvWS.net
釈迦は指を指しただけ
「凡夫よあれが太陽だ」
「わかりました、太陽とは白くて流れて消えていくものですね」
「凡夫よ、それは雲だ、、」

443:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:58:35.99 sjnFb1a1.net
やっぱり預流果に悟ってないと話が通じないかもね。
何が概念、法か、何が実際の現象、サンカーラか。
実体が無いとはどうゆうことか。
実際の現象には名前が付いてないのだが、それ名前を付け、概念として捉えて戯論を作る。
実際の涅槃という体験にも「涅槃」という名前は付いてない。概念化した瞬間、戯論にした瞬間に「涅槃」になる。
戯論、概念はもう実際の現象とは違う、別物になっている。

444:神も仏も名無しさん
18/12/24 20:07:38.29 sjnFb1a1.net
まずは法、概念、思考に対する執着を捨てないといけない。
平気な顔をしてパーリ仏典を投げ捨てられるようにならないといけない。
瞑想するのに邪魔なんだと。余計なんだと。
読むと気分が良くなるし、どうしても読みたいのだけれど。

445:神も仏も名無しさん
18/12/24 21:13:07.45 sjnFb1a1.net
もしくは禅を勉強するのもいい。
概念、思考、論理に対する執着をことごとく、ぶち壊してくれる。

446:神も仏も名無しさん
18/12/24 21:44:20.91 sjnFb1a1.net
まともな印刷技術がおそらく無かったであろう大昔の中国でさえ、
経典に対する捉われ、文字、概念に対する捉われが問題になったのに、
本やインターネットで大量の文字、概念に囲まれている現代人は、よほど気をつけないといけない。
仏法であれ、経典であれ、一切の概念、思考、理論、理屈はクソだと思ったほうがよい。
仏とは何かと問われ、乾いたクソだと答えた禅僧がいた。

447:神も仏も名無しさん
18/12/24 21:50:19.01 BnVGl5bd.net
ヒント集、あるいは悟ったら解けるクイズ集なんだよね

448:神も仏も名無しさん
18/12/24 22:01:59.99 5hSU2EXM.net
大昔なら大事な書物は
誰もが読めるものじゃないし
それ相応の縁がないと
書物に出会うことさえ稀な機会
今はなんの準備も無しに
誰でも読めるからね

449:神も仏も名無しさん
18/12/24 22:04:14.19 BnVGl5bd.net
ところで、オウムの持ってるパーリ語経典って
外に出てないの?

450:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:15:20.75 cIW0sfnr.net
>>435
それはテーラワーダ仏教とは言わないでしょう。
テーラワーダの伝統でそんなことをしたら、まず理解されないし、有益な影響も及ぼさないだろう。
奈良時代以降の日本における状況と、瞑想修行を積んだサンガが護持するパーリ三蔵経典が
伝わっている現代とでは、状況が違う。

451:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:17:33.49 cIW0sfnr.net
正法が伝わっていたい時代と場所において、人々がそれぞれに考える
想像上の仏法しかない状況であったからこそ、禅宗のスタイルがベター
であっただけのことで、もし釈尊在世時のインドに生きていたら、状況は
一変していたはず。

452:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:19:51.55 cIW0sfnr.net
いまは、京都学派のような「輪廻はない。釈迦は輪廻を否定した。」などという
仏教学が幅を利かせている時代でもない。
一応、それなりに正法が伝わる状況になってる。

453:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:22:33.48 cIW0sfnr.net
如来の十力を舐めすぎだし、如来の十力に価値を置かない預流果
なんてものが居るはずがないと思う。
阿羅漢でもないのに乗り物を捨てるという発想もナンセンス。

454:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:48:11.03 cIW0sfnr.net
>>435
あなたの悟りの内容とは、おそらく次のようなものだろう。
「輪廻は空であり、実在しない。
 同様に、過去世も実在しない。
 そもそもわたし自身が実在しない。
 そのことを悟ったわたしに、もはや来世の生存、輪廻はない。」
これは有身見から出てくる発想、つまり概念だと思いますよ。
これを考えているあなただけが、その虚無思想だけがあなたにとっての
リアルなわけですからね。
その原因は、中論にもとづく哲学的思弁の延長線上に、悟りを位置
づけたことにあるのではないですか。

455:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:48:34.63 cIW0sfnr.net
それは断滅論です。

456:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:20:53.43 s5aW2b51.net
不断・不常の中論がなんで断滅論なんだよw

457:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:22:28.95 Yoo/3ltG.net
中論を読んで、虚無解脱する人は多いでしょ。

458:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:27:36.06 Yoo/3ltG.net
>>435の自称悟りが断滅論という話なので、
中論が断滅論かどうか、という風に論点をずらすのは適切ではないね。
中論の正統性を問題にしているわけではないので。
論点すり替え。

459:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:34:53.46 rjm0cWeR.net
意味不明 >>438
全部揃った原文は、シャム王室版、セイロン版、ビルマ版、そしてPTS版くらいじゃないか?
で、オウム独自の翻訳も、一度は書店に並んでいる。
当然、今や絶版だろうし、扱う書店も無いだろうけど。
いずれにしても、「外に出てる」とか関係なく、
訳し方の違いなだけで、それは、
正田訳とか中村訳とか水野訳とか前田訳とか片山訳とか、
或は、干潟訳とか高楠訳とか大御所含めたその他若手の南伝大蔵経版とか、
数え上げたらキリがないが、そうした各種訳出のバージョンの中の一つとしてオウム訳がある、
と思えばいい。

460:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:35:39.63 s5aW2b51.net
>>447
>>443
>その原因は、中論にもとづく哲学的思弁の延長線上に、悟りを位置
>づけたことにあるのではないですか。
と自分から言っておいて今更それはないな
論点すり替えてるのは君の方だわ

461:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:38:00.92 s5aW2b51.net
比丘たちよ、このように説き、このように論ずる私を、一部の沙門婆羅門たちは、不実ゆえ、虚偽ゆえ、虚妄に、偽って、誹謗します。
『沙門ゴータマは虚無論者であり、存在する有情の断滅、消失、非有を説く』と。
(中部 蛇喩経)
虚無論者と言われていたのは生前の仏陀だよ

462:神も仏も名無しさん
18/12/25 01:42:38.69 8FEsC7ZC.net
>>448
オウムのってチベットじゃあないの?

463:神も仏も名無しさん
18/12/25 06:06:26.75 Yoo/3ltG.net
>>449
そっちじゃない。
思弁哲学によって悟るのではない、ということ。
仏陀が教えたのは瞑想による悟りであって、哲学で悟るなら
菩提樹のもとで座る必要はなく、哲学すればいい。
そういう意味。

464:神も仏も名無しさん
18/12/25 06:09:35.33 Yoo/3ltG.net
>>450
悟る以前、過去世はありましたか、との問いに知らないと答えたでしょう。
あなたの本当の答えは、「過去世などない」のはずです。
それは断見ですよ。

465:神も仏も名無しさん
18/12/25 06:10:56.44 Yoo/3ltG.net
ずいぶんと巧妙なエゴをお持ちのようだけど、どうしてそんなんなっちゃったのか。
論点ずらしと屁理屈が巧妙すぎる。

466:神も仏も名無しさん
18/12/25 06:11:37.43 Yoo/3ltG.net
中論を読んで考え続けることを、ヴィパッサナー瞑想とは呼ばないですよ。

467:神も仏も名無しさん
18/12/25 06:19:33.84 Yoo/3ltG.net
龍樹を読んで虚妄解脱する人は後を絶たないけど、
仏陀の説法を聞いて断見に陥る人はいないんですよ。
龍樹や大乗仏教が仏陀の説いたものより上だなんて、幻想なんです。

468:神も仏も名無しさん
18/12/25 07:29:36.72 s5aW2b51.net
>>453
そんなことは自分は言ってないし
君がレスした>>435の人のIDを追ったら禅(臨済禅か)は何度か出してるが龍樹なんて一言も出してないし
君は興奮して憶測でものを語り事実確認を怠ってるのだよ
それで中論を読んで断滅論に陥った人っているのか答えて欲しい
中論では26章で無明に覆われたものは輪廻するとちゃんと説かれているのに
中論26章
URLリンク(mixi.jp)

469:神も仏も名無しさん
18/12/25 08:18:00.72 Q3C/Fuuq.net
中論は読んだこと無いですねぇ。龍樹の悟りは信頼してますが。
過去生は知らないですよ。神通力がある訳でもないので。
過去生があったはずだとは思いますが。いずれにせよ終わったことですからどうでもいいことです。
自分はガチガチのスマナサーラファンです。あと禅も好きです。

470:神も仏も名無しさん
18/12/25 08:55:47.09 Q3C/Fuuq.net
いずれにせよ七覚支の最後は捨覚支ですからね。
預流果に悟る瞬間でも、眼耳鼻舌身意、色声香味触法に対する執着を捨てないといけない。
当然「法」に対する執着も捨てないといけない。
まぁ死ぬ気で瞑想してたら、捨てようと思わなくても捨てる事になるとは思いますが。

471:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:03:10.26 s5aW2b51.net
>>458
君が>>435の人かね?
スマは一切が虚妄などということを言ってたのかね?
>>459
日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老によると、「捨」は「感情の波が立たない」平静な心であるが、
それは「鈍感で、何も興味がない、気にしない、無関心、閉鎖的で自分の世界にだけ閉じこもっている」ということではなく、
「人々・生命のことを、(直情的に反応するのではなく)どうすれば問題解決できる(できた)かを智慧を以て見守る気持ちで観る」ことだという[4]。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)(%E4%BB%8F%E6%95%99)
だそうだ。

472:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:06:17.58 Q3C/Fuuq.net
あと「空」を「無い」と勘違いしてるみたいですね。
実在が無いという事は、何にもない虚無ではない。
一切が虚妄という事は、一切が何も無いということでもない。
因縁により生滅していることを空と呼び、有るでもなく無いでもない、人間には認識できない、という意味です。
だから常見でも断見でもない。
あらゆる見解、偏見が成り立たないというのが正見です。

473:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:09:14.82 Q3C/Fuuq.net
涅槃を経験したい者は、哲学的・宗教的教義を含め、世界へ縛るすべてのものから自分自身を解放しなければならない[4]。
Paul Fullerは、八正道の最初の一つに挙げらていれる正見は、究極的には正しい見解というよりも、
認知の型からの解放を目指していると解釈している[3]。
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E4%BB%8F%E6%95%99)
正見は不戯論と言ってもいいかもしれないですね。

474:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:09:19.56 s5aW2b51.net
>>461
それはスマではなく龍樹の言説の方に近いでしょうに

475:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:13:04.06 Q3C/Fuuq.net
>>460
スマナサーラ長老は御自身の意見を持たれない。
全てブッダの意見を紹介するだけ。
一切が虚妄とはブッダの言葉。
URLリンク(76263383.at.webry.info)
そしてその引用は慈悲喜捨の捨ですね。
七覚支の捨とは別物です。

476:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:16:49.69 Q3C/Fuuq.net
>>463
スマナサーラ長老は空を使わずに、苦を使いますが、
苦、ドゥッカには空しい、虚しいという意味もあります。
無常であるから苦、と、無常であるから空は同じ意味だと思っています。
苦だと「苦しみ」という意味が全面に出てしまいますから、
空しいという意味では空の方がいいんじゃないかと個人的には思っています。

477:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:18:26.45 s5aW2b51.net
>>464
いや、こんなことは修行の役に立�


478:スないといいながら私見ですがといって自分の意見をいいまくってるぞ毎回 それに仏陀は一神教やバラモン教はもちろん当時のバラモン教のことでさえバラモンの宗教的儀式などは批判していたけどヴェーダ聖典などは批判していない スマは批判するけどなw



479:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:20:22.42 Q3C/Fuuq.net
>>466
最近はいろいろおっしゃいますね。
昔の説法はキレッキレで、完全に無我って感じでしたが。

480:神も仏も名無しさん
18/12/25 11:51:07.06 Yoo/3ltG.net
自称悟った名無しが何人もいて持論を展開とか、魔窟に見えて仕方が無い(苦笑
苦でいいんだよ。
空を混ぜるな、ややこしくなるから。

481:神も仏も名無しさん
18/12/25 11:51:59.02 Yoo/3ltG.net
苦は苦しいじゃなくて、苦だから。

482:神も仏も名無しさん
18/12/25 11:53:56.27 Yoo/3ltG.net
苦しいは dosa
苦は dukkha

483:神も仏も名無しさん
18/12/25 13:08:10.31 Q3C/Fuuq.net
苦、ドゥッカはいろんな意味がある。苦しみ、無常、無価値、空しい、虚しい、不満など。
仏教の全てが含まれている。
27.(新連載)なぜ苦は偉大なる真理なのか (1)私たちの知らない巨大な真理
URLリンク(www.j-theravada.net)

484:神も仏も名無しさん
18/12/25 14:54:04.33 Yoo/3ltG.net
個人的な意見としてはっきり言っておきたいことは、
禅語で如来の十力を否定するのは、テーラワーダの文脈にはそぐわないと思う。
禅語を語った坊さんたちは、自分個人は悟れるかもしれないが、如来のように
他の有情を覚らせる力を持っているわけではない。
禅語を聞いて覚るような人は、もともとそういう機根がある人。

485:神も仏も名無しさん
18/12/25 16:00:16.69 XuxrhxfH.net
英文法書をよく読んで理解することと、英語が読み書きできることは違う
言語化出来る世界ですらそうなんだ
仏典を解釈することと、瞑想が悟りに向かうこととはなおさら違うだろう

486:神も仏も名無しさん
18/12/25 16:07:49.01 Q3C/Fuuq.net
禅僧の人達も、一日中禅語を言い合っている訳ではなくて坐禅ばっかりやってる訳で。
目一杯坐禅した上で、どうにも悟りが開けない、修行が進まない、何かに引っ掛かっている。
その何かは概念上の、思想上の、頭の中にあるもので、それを師匠が外してあげるための言葉が禅語だと思いますね。
その言葉は荒々しいものだったり、常識外れだったり、仏教否定だったり、自由自在な訳です。
その言葉は結局、悟らせるため、修行を完成させるため、仏道を成就するためなんですね。

487:神も仏も名無しさん
18/12/25 17:21:31.52 XuxrhxfH.net
弟子に気づきをもたらせるもの、かな

488:神も仏も名無しさん
18/12/25 17:53:18.03 tjYvj72h.net
四念処を7年から7日間やれば悟れるとういことで、やっているのですが、なかなか難しいようですね。
7日間で悟れる人は相当選ばれた人なのでは?
皆さんも四念処やっておられるのでしょうか。

489:神も仏も名無しさん
18/12/25 17:54:47.04 tjYvj72h.net
相当ではなく、極めてといった方がいいでしょうか。
毎日途切れることなく7年間もやるのは大変ですな。
忘れる日もあります。

490:神も仏も名無しさん
18/12/25 18:19:03.76 Yoo/3ltG.net
片山一良先生の「パーリ仏典入門」の序章に、法(dhamma)の語義4つなど、
ここでいま提起されている議題に関して、まとまった記述があるのを見つけました。

491:神も仏も名無しさん
18/12/25 19:18:09.86 Q3C/Fuuq.net
>>477
まず慈悲の瞑想、アーナパーナ、数息観など、自分に合うサマタ瞑想を十分やり、
気分が良くなってから四念処をやると良いですよ。
四念処だけやるとなると精神的にキツいと思います。
四念処、ヴィパッサナーは楽しい時期、つまらない時期、苦しい時期などありますが、解脱の為には必要なものなので最後までやらなければいけない。
サマタは真剣にやれば、いつでも気分が良くなる瞑想ですから、サマタとヴィパッサナーをセットでやるのがいいと思います。
瞑想が趣味になると、やめろと言われても毎日やるようになります。

492:神も仏も名無しさん
18/12/25 19:22:30.83 rjm0cWeR.net
そう。  >>474-475
その意味で、禅語は全て、
当該人物只一人の爲にだけ有って、
彼以外の人物には、チンプンカンプン、無効な言葉なわけ。
けど、それでも、
 「参考にはなるから」、
教材として(≒公案として)提示される。
フレーズに拘れば本末転倒、
かと言って無視しても本末転倒。
たかが言語されど言語。
珍重し過ぎてもよくないが、だからと言って、くだらない戯論だと切り捨てるのも、これまた愚行、とw

493:神も仏も名無しさん
18/12/25 19:40:59.63 tjYvj72h.net
>>479
なるほど。ありがとうございます。

494:神も仏も名無しさん
18/12/25 20:08:24.13 s5aW2b51.net
インドで瞑想していた僧侶がヒョウに襲われ死亡 数週間で5人目
URLリンク(www.cnn.co.jp)
これは悲劇なんだけど仏陀の教えにはある意味忠実だったとも言えるんだよなあ
合掌

963 師(ブッダ)は答えた、
「サーリプッタよ。世を厭い、人なき所に坐臥し、さとりを欲する人が楽しむ境地および法にしたがって実践する次第を、わたくしの知り究めたところによって、そなたに説き示そう。
964 しっかりと気をつけ分限を守る聡明な修行者は、五種の恐怖におじけてはならない。すなわち襲いかかる虻と蚊と爬虫類と四足獣(獅子や虎やヒョウなど)と人間(盗賊など)に触れることである。
965 異った他の教えを奉ずる輩を恐れてはならない。─たといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。─また善を追求して、他の諸々の危難にうち勝て。
966 病いにかかり、餓えに襲われても、また寒冷や酷暑をも耐え忍ぶべきである。かの<家なま人>は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固に努力をなすべきである。

495:神も仏も名無しさん
18/12/25 20:52:49.70 Q3C/Fuuq.net
出家はいつでも死ねる覚悟が無いとダメなんだよね。
在家は安全かというとそうでもなく、誰でもいつでも病気や事故で、簡単に死ぬ可能性はある訳で。
生きること自体、苦しみと危険に満ちてるって事だろうなぁ。

496:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:00:24.81 8iWH+9Rn.net
覚悟なんて無くても
外でものごいして
行脚して生きてたら
怪我や病気で簡単に死ぬから
並外れて丈夫な身体も重要だよ

497:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:01:47.54 5OdDomqQ.net
鳥にはみんな怯えないってことか

498:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:11:25.27 rjm0cWeR.net
>>484
そうじゃなくて、
 たとえ一秒後に死んでも、 「後悔がない」「し残したことがない」 境地でいなさい
ってことだろ。(その中本質で言えば、出家も在家も変わらない)

499:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:12:35.66 rjm0cWeR.net
× >ってことだろ。(その中本質で言えば、出家も在家も変わらない)
○ >ってことだろ。(その本質で言えば、出家も在家も変わらない)

500:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:18:53.74 5OdDomqQ.net
「死んでも死なない生命を生きなさい」
という内山老師の声が聞こえた気がする

501:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:36:04.83 Yoo/3ltG.net
>>457-458
断見の虚妄解脱は言い過ぎました。
ごめんなさい。
あと、人違いした方の方も失礼しました。

502:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:44:47.90 5OdDomqQ.net
不二いのち〈純粋自己の畢竟帰〉
平成九年三月二十九日 内山 興正
 
老い最後
生死一つのいのち知る
生と死でなく
生死一つの
 
光暗
一つの蒼空深き如
生死一つの
いのちの深き
 
いま出会う
深きいのちを拝みつつ
拝む深さで
いのち深さ行く
 
分け別ける
思い手放しただ拝む
不二のいのちの
いのちのままに
URLリンク(youtu.be)
すごいよね

503:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:47:37.35 Q3C/Fuuq.net
>>489
気にしなくてもいいですよ。たかが匿名掲示板での話ですから。
むしろ、いろいろ勉強になったので良かったと思ってます。

504:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:52:45.06 Q3C/Fuuq.net
>>490
どうかね。
まだ命があるの?
まだ生死があるの?
って思っちゃうけどね。

505:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:55:31.45 s5aW2b51.net
>>489
興奮していたのは俺のほうだった
こちらこそごめんなさい

506:神も仏も名無しさん
18/12/25 22:16:06.93 5OdDomqQ.net
怖れないということと、殺されろということは違うんじゃないかなぁ
続く言葉が「諸々の危機に打ち勝て」なのだし
ムツゴロウさんはライオンに頭をまるっと噛まれた時に
頭をライオンの中にぐっと突っ込んだという
ライオンもオエッってなるよねw
それは怖ればかりの中では出来ない
>>492
「死からみた生」は生死一つなんだ、と言ってるんよ
言えないって

507:神も仏も名無しさん
18/12/25 23:22:09.49 HZG28ZMB.net
490.バカ丸出し、である。大爆笑である。

508:神も仏も名無しさん
18/12/26 00:05:26.15 e827gaoF.net
>>495
名前にポッタン師忘れてるぞ

509:神も仏も名無しさん
18/12/26 10:26:25.07 pz+TS4oF.net
一回瞑想会行こうと思うのですが
ドネーションはいくらぐらいが適正でしょうか?

510:神も仏も名無しさん
18/12/26 11:25:37.82 9Bw2GIPz.net
「生死もみないつわりの世の中に 誠というもなにあらばこそ」 一休
生死もみな虚妄である世の中で、真実というものがあるはずがない。
無明が無くなれば生死は無くなる。生死は本来空。幻想。

511:神も仏も名無しさん
18/12/27 20:20:45.50 yoBj8VkD.net
禅宗もいいですね。

512:神も仏も名無しさん
18/12/27 21:34:09.27 +cXn5CgX.net
>>497
適性かどうかは時と場合によるのでしょうけど、
自分の場合、毎回1000円~任意ぐらいです。

513:神も仏も名無しさん
18/12/28 02:22:05.47 3Z84GhyC.net
>>500
有難うございます

514:神も仏も名無しさん
18/12/28 15:30:10.50 Hrisfrq9.net
山頭火の酔度「ほとへ」
 URLリンク(onyanko.mkosugi.com)

515:神も仏も名無しさん
18/12/28 17:44:59.48 ntWAHvSE.net
涅槃と無心になることとは違うのでしょうか?
何も思考しない、何もしようとしない、というのとは違うのかな。

516:神も仏も名無しさん
18/12/29 08:28:18.26 92hxkl81.net
涅槃に達するためには渇愛を無くせ
URLリンク(ja.wikipedia.org)

517:神も仏も名無しさん
18/12/29 11:09:33.01 sNlySlnI.net
涅槃は「無我」だけど、
何もしない「我」なら、涅槃とは違うのかな。
無我についても、四諦の悟りレベルの無我と、五蓋が鎮伏された時に
欲界レベルの自我(肉体次元の我、普段の自我意識)が一時的に消え
てしまうのとでは、おそらく全然違うのだろうとも思う。

518:神も仏も名無しさん
18/12/29 11:10:23.14 sNlySlnI.net
欲界の我が活動停止してても、それを見ている意識はあるからね。

519:神も仏も名無しさん
18/12/29 11:15:04.58 mfgFyHBY.net
涅槃を知覚するのは五蘊なのかどうかだな

520:神も仏も名無しさん
18/12/29 11:22:26.57 q5UALzDH.net
僕の場合ですが、思考を止めても、生きている、という実感は残ります。
涅槃に至ると、その実感さえなくなるのでしょうか?
その実感は、心臓が動いている、体の細胞が新陳代謝している、と言ってもいいと思います。

521:ポッタン師
18/12/29 13:17:17.18 JS2DF5FH.net
508.バカ丸出し、である。大爆笑である。

522:神も仏も名無しさん
18/12/29 14:05:54.68 q5UALzDH.net
>>509
なぜカルマを増やすようなことをするのですか?
怖くないのですか?
死ぬとき後悔しますよ。

523:神も仏も名無しさん
18/12/29 14:47:32.22 5Pu3Qfdz.net
>>503
この図の「涅槃」と「如実知見」の違いにあたると思います。
URLリンク(mindfulbonpu.web.fc2.com)

524:神も仏も名無しさん
18/12/29 15:01:00.08 P1rlM1bg.net
>>511
勝義諦と世俗諦が大乗仏教のそれになってますね

525:神も仏も名無しさん
18/12/29 15:56:14.66 5Pu3Qfdz.net
>>512
テーラワーダではどう違うのですか?

526:神も仏も名無しさん
18/12/29 16:04:01.23 P1rlM1bg.net
>>513
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
こちらを参照

527:神も仏も名無しさん
18/12/29 16:41:56.08 92hxkl81.net
如実知見はテーラワーダだとヴィパッサナー?ニッパパンチャ?

528:神も仏も名無しさん
18/12/29 17:16:44.47 q5UALzDH.net
>>511
涅槃の説明で、名・色の停止、とありますが、全部ではないですよね?
全部停止する時は死んだ時だと思います。
活動が極度に弱まったと見るべきでしょうか?

529:神も仏も名無しさん
18/12/29 20:33:03.88 5Pu3Qfdz.net
>>514
スマナサーラ長老の本に下記記述があるので、テーラワーダの勝義諦と>>511の図は合っているのではないでしょうか?
URLリンク(www.hanmoto.com)
四つの勝義諦(心、心所、色、涅槃)

530:神も仏も名無しさん
18/12/29 21:04:34.88 P1rlM1bg.net
>>517
>四つの勝義諦(心、心所、色、涅槃)
>>511の図では勝義諦は無分別とあり四つに分別されるものではありません
無分別は大乗仏教の空の教えです
URLリンク(www.otani.ac.jp)

531:神も仏も名無しさん
18/12/29 21:19:02.21 5Pu3Qfdz.net
>>516
ウ・ジョーティカ師の本(について藤田一照師が解説した文章)の中に「精神的・物質的プロセスの停止、つまり涅槃」とあるので、図の内容と一致しているのではないでしょうか?

532:神も仏も名無しさん
18/12/29 22:33:50.27 5Pu3Qfdz.net
>>518
魚川祐司氏の「仏教思想のゼロポイント」に下記の記述があり、「涅槃」と分別の無い「世間諦」が「勝義」とされています。
間接的ですが、>>511の「無分別」が勝義となるのでは?
---以下引用---
 例えば、テーラワーダ仏教の教理では、勝義(paramattha)の物事、つまり真実(truth)・現実(reality)として、四つのカテゴリーを認めている。
即ち、心(citta)、心所(cetasika)、色(rupa)、そして涅槃(nibb?na)である(9)。
 このうち、心と心所と色は世間諦(loka-sacca)と呼ばれ、涅槃は出世間諦(lokuttara-sacca)と呼ばれる。
(略)
世間諦の三つが形成する現象を、私たちは如実に知見することができずに概念(pannatti)や分別の相(papanca,本書の用語で言えば「物語」)を作り出すのだが、そのうち、人々が「正しい」と慣習的に合意しているものが、「世俗諦」と称されるということである。
(略)
テーラワーダの教理に即して言えば、心・心所・色・涅槃を勝義であるとするのだから、世間諦と出世間諦の二層が「本来性」に当たることになり、世俗諦の通用する「物語の世界」の層は、それに対する「現実性」であるということになるだろう。
---以上引用---

533:神も仏も名無しさん
18/12/29 23:12:06.66 P1rlM1bg.net
>>520
引用されたゼロポイントの文章を読ませて頂きましたが
「涅槃」と分別の無い「世間諦」が「勝義」とされています。
とは書いてないですよ
勝義諦のうち世間諦の三つ(心、心所、色)によって【形成される現象】を概念化して分別した結果、世俗において正しいと認められているものを世俗諦とする、ということが書いてあります。
【形成される現象】のことを施設と言います
勝義諦の心、心所、色も言葉であり、心所にある52の法も言葉で示されていますが、世俗諦との違いは施設ではなく自性(本性)があり、それ以上は分別できないところまで分別されているところです
ですから勝義なわけです

大乗仏教ではそれらの法にも自性はなく空であるので(一切皆空)最初から分別できない、でもそれでは
一〇 世俗の表現に依存しないでは、究極の真理を説くことはできない。究極の真理に到達しないならば、ニルヴァーナを体得することはできない。 (中論24章)
ということで、空即是色(空即是受、空即是想、空即是行、空即是識)として概念を分別させて世俗諦とします
テーラワーダでは法には自性があるので我空法有
大乗仏教では法は無自性なので我空法空
この違いがあります
自性がある法は分別されたものです
ですから>>511の勝義のところに無分別とあるのはテーラワーダの教えではなく大乗仏教の教えというわけです

534:神も仏も名無しさん
18/12/29 23:20:04.98 P1rlM1bg.net
>>521
補足として
「般若心経は間違い?」という本を読んで、スマナサーラという御方は大変頭が良いと思いました。この本以外に般若心経が間違ってるという本・論文が御座いましたら教えて頂きたいのですが。
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
このベストアンサーの方の回答は理解するのの手助けになるかもしれません
特に
2.「色即是空」は正しいが、「空即是色」は正しいとは言えない。
の回答が
ちなみに
3.釈尊の教法の五蘊・十二処・十八界、十二因縁・四聖諦などを否定する。
これは回答者は「智慧の完成の段階に来た時は、それらからも離れなさいと説かれています」という説明をされていますが、阿含経でも筏の例えとして有名な説話となっています

535:神も仏も名無しさん
18/12/30 00:04:28.99 +ACrhCcT.net
 
>>522
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
スッタニパータ 21
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが
激流を克服して
すでに渡りおわり、彼岸に到着している
もはや筏の必要はない
  _  _  _
仮設としての
無明を手放し滅し終わっているのなら
苦集滅道の必要はない
それゆえに
無苦集滅道なので
バラモンの神々よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ
たとえ雨の中に飲み込まれたとしても
もう妄想の渦の中に巻き込まれることはない

536:神も仏も名無しさん
18/12/30 00:07:57.16 satqZRHL.net
>>516
>>519の参照URLを付け忘れました。
こちらです。
URLリンク(www.shincho-live.jp)

537:神も仏も名無しさん
18/12/30 07:20:41.57 emzwY8u2.net
空即是色は完全に間違いだろ
色は物質だからね、名前が付いてないとかそういう話じゃなくて
空である、空性があること、それすなわち物質である、は意味がメチャクチャだろ

538:神も仏も名無しさん
18/12/30 07:30:09.63 emzwY8u2.net
智慧を完成した修行者は、五蘊、十二因縁、四聖諦という概念が空、無我であることを知っているのであって、
それらを無と否定した時点でそれらに捉われていることになる
正しく言うなら、五蘊は空、無明が無ければ十二処は無い、四聖諦は無我だね
空と無と法と行と無我と無常と、般若心経はいろいろ勘違いしてる
全部一緒くたにして無だ空だと言えばいいってもんではない

539:神も仏も名無しさん
18/12/30 08:27:44.96 satqZRHL.net
>>505
>>511の図でいうと、下記対応になると思います。
> 何もしない「我」
→「止(サマタ)」「禅定(サマーディ)」に対応
> 四諦の悟りレベルの無我
→「如実知見」に対応
> 五蓋が鎮伏された時に欲界レベルの自我(肉体次元の我、普段の自我意識)が一時的に消える状態
→「止(サマタ)」「禅定(サマーディ)」に対応

540:神も仏も名無しさん
18/12/30 08:55:56.66 ezlS1BdA.net
>>525
一八 どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く。それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である。
一九 なんであろうと縁起して起こったものではないものは存在しないから、いかなる不空なるものも存在しない。
二〇 もしもこの一切のものが空でないならば、【何ものかの】生起することも無いし、消滅することも無いであろう。【そうして】汝にとっては四つの真理(四聖諦)が存在しないということになるであろう。
中論24章
URLリンク(mixi.jp)
これが理解できれば空即是色はすんなり理解できると思うよ
>>526
>智慧を完成した修行者は、五蘊、十二因縁、四聖諦という概念が空、無我であることを知っているのであって、
般若波羅蜜とは智慧を完成させる修行、般若波羅蜜多とは智慧の完成のことです

541:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:05:42.47 emzwY8u2.net
龍樹は縁起により生滅する色は空だと言っている
空、空なるものは縁起により生滅する色だとは言ってない
どうやら般若心経の著者は般若波羅蜜を行じても智慧が完成してないみたいで

542:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:21:09.75 emzwY8u2.net
色は空
受は空
空は色
空は受
なら色は受か
物質は感覚である、意味不明です
ブッダの五蘊説の否定になります
正しくは五蘊は無常である、無常であるものは空である、でしょうね
パーリ経典でもそうなってるでしょう、五蘊は無常である、苦である、無我である、このように観る人に智慧が生まれると

543:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:29:10.29 PscY8ihh.net
空即是色の「即是」は、中国語の文法規則で「イコール」を表しているわけ
ではなく、そのことを知っていれば間違いではない、という話も聞きました。
色即是空
空即是色
色受想行識亦復如是
つまり、
五蘊は空である。
空であるものとは五蘊である。
五蘊・十二処・十八界、十二因縁・四聖諦を、空というひと言に要約
したということでしょうかね。
まぁ、純テラワダ的にやっていく分には余計な知識かも知れませんが。

544:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:32:20.27 PscY8ihh.net
テーラワーダを説一切有部と混同して、龍樹を援用して叩くのも適当ではないが
漢訳大乗経典をよく研究しないうちに、全部間違いと切り捨てるのも適当ではない
のではないかなぁ。
専門外なら専門外で分からない。ノータッチと割り切る方が賢いかも知れん。

545:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:33:46.73 PscY8ihh.net
>>530
般若心経を書いた人も、信奉している人々も、さすがにそこまでアホじゃないですよ。
われわれテラワダが、大乗仏教徒が考えているほどアホじゃないのと同じぐらいには
そこそこの知能はあります。

546:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:36:26.26 PscY8ihh.net
無明がなければ十二処がない、ってどういうことなんでしょうか。
釈迦牟尼の十二処はどうなっているのですか。

547:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:37:37.14 ZtDlhR/G.net
空即是色という逆の視点
あらゆるものは空であり自性がない。それが色即是空。
しかしこれを逆に考えると、自性がないからこそ世界にはあらゆる姿をした物体が存在できているとみることができる。
もし固定的なものが存在していたら、それは変化をしないものとなってしまうからだ。
しかし世の中にそのようなものはない。
すべてのものが「変化する」という理のなかにある。
だからこそ、あらゆるものが生まれることができる。
固定的なものがないからこそ、あらゆる存在は流動的に変化をして、その結果万物として存在することができる。
つまり、存在には自性のような固定性はないが、固定性がないからこそ万物に姿を変えて生まれ変わることができる柔軟性を持っているのである。
これが空即是色の視点。
空だからこそ、物体が存在することができるのである。
とあるHPから抜粋してみました。私は未熟なのでよくわかりません。

548:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:41:10.92 emzwY8u2.net
最後に謎の呪文で締めくくるんだからやっぱりアホでしょう

549:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:45:28.42 emzwY8u2.net
無明が無くなれば行が無くなる
行が無くなれば識が無くなる
識が無くなれば六処が無くなる
要するに眼耳鼻舌身意を通して対象を認識する事、認識しようとする意志、衝動が無くなる

550:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:46:30.56 PscY8ihh.net
ギャーテーギャーテーは、サンスクリット語で意味があるらしいよ。
(彼岸に)到達しよう、到達しよう、みたいな意味らしい。
もともとは呪文じゃなくて、言語の原意を音写しただけとか、そんなところなのでは。

551:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:47:40.97 PscY8ihh.net
>>537
お釈迦さまは、目も見えていたはずだし、耳も聞こえていたはずだと思うのですが
六処がなくなるということとの整合性は、どうにか説明がつくのですか?

552:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:50:14.29 PscY8ihh.net
お釈迦さまが(今回のサーサナで)人間に向けて説いた仏教が、まあ最強の如是だとは思うのだけど
菩薩方が天人(天神)や菩薩志願者、あるいは生天を希望する凡夫衆などに説いた方便ってのも
やはりあるし、それも一応仏教ってことでしょう。

553:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:51:58.36 emzwY8u2.net
>>539
完全に無明が無くなるのは涅槃の話
阿羅漢の六処は無始なる過去からの無明の結果
いわば時間差、惰性、業の残りカス

554:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:52:29.18 PscY8ihh.net
右翼と左翼もそうだけど、いがみ合うのはだいたい下っ端同士なんよ。

555:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:55:15.93 PscY8ihh.net
>>541
涅槃は概念だと言っていた方ですか?
涅槃という概念は概念、ではなくて、涅槃が概念で間違いありませんね?

556:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:00:19.67 emzwY8u2.net
>>543
「涅槃」は概念
無明を滅ぼすのが実際の涅槃
概念と実物は違う
概念には実体がない
実物には名前がない
「涅槃」という概念に実体がある訳ではない
実際の涅槃には「涅槃」という名前はついてない

557:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:05:28.31 emzwY8u2.net
人間の思考は全て概念を使う
ありがたい概念を法と言い、つまらない概念を妄想と言う
どっちにしろ実践、実行が無いならただの概念

558:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:08:48.75 ezlS1BdA.net
>>520
>>530を読めば無分別がテーラワーダの勝義ではないことがよく分かるでしょう
>>530は実に良い例を出してくれました
>>530
色は受
ではありません
色も受も勝義では空であり分別できない、そういうことです
>>529
大智度論巻第十九で言ってます
URLリンク(www.geocities.jp)
あと>>528を理解できるまで読みましょう
色即是空空即是色と同じことを言ってますので

559:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:09:07.39 ezlS1BdA.net
>>531
煩悩即菩提も
煩悩=悟り
とは読まないですよね
(参考)
迷いがあるからさとりというのであって、迷いがなくなればさとりもなくなる。迷いを離れてさとりはなく、さとりを離れて迷いは ない。
(パーリ、中部 2―18、蜜丸経)
>>536
般若心経とは?専門用語を使わない和訳と、その意味
URLリンク(www.e-sogi.com)

「真言」の修行法
を読みましょう

560:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:27:56.57 satqZRHL.net
>>539
無明がなくなったからと言って、六処がなくなるわけではないと思います。
>>511の図でいうと、「無明」は真理や現象のありのままを覆い隠す雲のようなものです。
「無明」ゆえに現象のありのままを見ることができず、渇愛や執著が起こります。
仏道の実践により現象のありのままを「如実知見」することで、「無明」の雲が消え、真理(法)が見えてくる、ということだと思います。

561:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:37:38.15 PscY8ihh.net
漢訳般若心経を判断するには、漢文(中国語)の知識が必要であるのに
漢文をあたかも論理哲学の論理記号のように扱って批評するのは、
方法論として適切ではない。
スマナサーラ長老が言ったからといって、全部が正しいわけじゃない。
長老が語っていることは大筋で合っているけれども、個別に見ていくと
人間的なエラーもある。
そしてそれを非難するつもりもない。

562:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:41:29.03 PscY8ihh.net
大乗仏教教学って、糞の役にも立たない屁理屈が多くてどうも好かんのだけど
大乗仏教がそうなってしまう以前に、おそらく説一切有部が糞みたいな屁理屈で
仏教から逸脱しながら自己正当化していた時期があったんじゃなかろうか。
(推測)

563:ポッタン師
18/12/30 10:46:02.88 g3q+zRH/.net
548.バカ丸出し、である。大爆笑である。

564:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:54:24.27 n7Ppoayx.net
説一切有部では、我々が経験する常識的な存在、個別の人や事物・事象は仮のものであって実在しない、
我いわゆる霊魂のような「不滅の私」・「永遠なる個我」(ātman)なるものなども存在しない、
故に無我(anātman)である、と無我を理解。
しかしながら、部派仏教といわれる諸部派がその他なんらかの実在を認めていたように、大きくは二つ、あるいは五つの範疇に分類されるモノが真に実在する、
という見解を立て、そのような理解に従った教学を構築しています。
巷間には開口一番「すべては虚妄である。所詮それ�


565:ヘ、名(ナーマ)と色(ルーパ)にすぎないのであるから」だとか 「すべては無自性空である。あれも空だ、これも空だ」などと宣う愚か者があります。 が、説一切有部では、世間で認められる常識的な存在を無碍に否定などしておらず、これを世俗諦(世間的レベルでの真実)とし、 対して究極的に認められる存在を勝義諦[しょうぎたい](真に存在するモノ)としています。 吾人の知覚し、経験する諸々の事象を、端から否定するような態度は取らないのです。 真実(諦/satya)について、その見方によって二つの階層を設定し、そのそれぞれの価値を認めているのです。 そして、そのような真実についての理解の仕方は、その内容とするものこそ相違があるものの、大乗にも引き継がれています。 個我は実在しない。けれども、生命・事物など仮の現象を構成する、真に実在するモノがあるという見解を、大乗では「人空法有[にんくうほうう]」などと云います。 そして、そのような見解自体、またそのような見解を至高として奉持する人々は、同じ仏教であっても、大乗の立場から小乗(Hīnayāna)すなわち「不完全な教え」・「劣った教え」と見なされてきました。 特に説一切有部は、インドで最大勢力を誇る部派の一つであったこともあり、その見解・学説は、大乗の主要な批判対象となっています。 真言宗泉湧寺派大本山 法楽寺 http://www.horakuji.com/treasures/sarvasthivadin_cetasika.htm



566:神も仏も名無しさん
18/12/30 11:06:40.90 x8l/Ubu8.net
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)

567:神も仏も名無しさん
18/12/30 11:42:50.47 ezlS1BdA.net
>>550
説一切有部は糞ではないですよ
紀元一世紀半ばの時点でもなお、有部においては、三明六通・三蔵・三学等に通じた阿羅漢=ブッダが少なくとも500人以上いたとされています
糞でしたらそんなに阿羅漢を輩出できないでしょう

568:神も仏も名無しさん
18/12/30 12:06:35.24 PscY8ihh.net
阿羅漢は如実知見しているため「見解」はないはずだと思うので、
「大乗仏教」から「小乗仏教」という概念を立てて何を批判しているのか
やっぱり意味が分からない。

569:神も仏も名無しさん
18/12/30 12:07:58.90 PscY8ihh.net
縁起している一切を空と言おうが
名色が縁に依って生じ、滅していると言おうが
全く同じことでしかない、という理解なので。

570:神も仏も名無しさん
18/12/30 12:12:44.77 PscY8ihh.net
富士山に4合目、5合目はあると言おうが
富士山に4合目、5合目などという境界線はないと言おうが、
富士山は富士山ですし。
それと同様に、
触には触としての働きがある、という意味において触には触の自性がある。
受には受としての働きがある、という意味において受には受の自性がある。
と言ったとしても、
触も受も縁に依っているので無自性空である。
と言ったとしても、
それは言葉の上だけの話じゃないか、と思うのですが。

571:神も仏も名無しさん
18/12/30 12:14:17.49 PscY8ihh.net
それこそ、(観察智などの)智慧によらず、言葉と思考概念だけで仏教をしていた場合にしか
起こり得ない論争、対立じゃありませんか。

572:神も仏も名無しさん
18/12/30 12:22:26.45 PscY8ihh.net
ぜんぶ空のひと言で話を終わらせてしまう大乗の人たちって、
例えば四念処の実践について人に質問された時に説明できる
のだろうか、とかなり疑問。
大乗仏教の始祖たちが、というより、現代の大乗仏教徒たち
自身について、かなりダウト感を感じてる。

573:神も仏も名無しさん
18/12/30 12:59:24.94 emzwY8u2.net
般若心経では、色不異空、空不異色と言っている
色即是空、空即是色と同じ意味でしょう
空があるからこそ色が成り立つという意味には取れない
全く同じものだと言っている
であるから般若心経の理論では色も受も想も全部同じになる

574:神も仏も名無しさん
18/12/30 13:08:04.19 emzwY8u2.net
大智度論は龍樹の作では無いという説がある
龍樹は空が色であるという間違いはしないと思う
まぁいずれにせよ問題なのは般若心経
仏教のエッセンスをコンパクトにまとめたという意味はあるが
細かく観ると突っ込みどころしかない
当然ありがたがるようなものでもない

575:神も仏も名無しさん
18/12/30 13:37:51.37 emzwY8u2.net
苦集滅道は無い、はおかしい
苦集滅道が無いってことは因果は無いってことになる
阿羅漢に苦は無いにしても、因果は有る
他者の心に因果を、苦集滅道を観ることはありえる
正しくは、阿羅漢は苦集滅道に執着しない、という事じゃないだろうか

576:神も仏も名無しさん
18/12/30 14:26:08.32 PscY8ihh.net
>>560
>般若心経の理論では色も受も想も全部同じになる
それって、論理構造的に小学生でもやらない間違いだよね。
例えば玄奘三蔵とかが、そんなにバカだとは到底思えない。
一方、漢文が読めないのに漢文を批評する行為の方が間違
っている可能性の方が高い。
どっちにしろ、今のところわたしは大乗仏教とそりが合わない。

577:神も仏も名無しさん
18/12/30 14:32:34.89 PscY8ihh.net
>色即是空だけど、空即是色じゃない
これはテラワダ側の無学がバカにされるだけだから、止めといた方が無難。
大乗仏教のことは、内心、大衆部と思ってるけど、上座部が滅亡しかけていた
時期に、大衆部が仏教を温存していたから今がある。
大衆部と上座部は、相互に補い合う関係が望ましい。

578:神も仏も名無しさん
18/12/30 14:34:58.35 PscY8ihh.net
いま、大衆部は形骸化して滅亡の危機に瀕しているので、上座部から仏教を輸入し直すべき。

579:神も仏も名無しさん
18/12/30 14:47:31.74 PscY8ihh.net
思うに、大乗仏教による仏法理論の高度化というのは、
観察智による実相から離れて概念化するということであって、
それ自体が三学においては退化のプロセスじゃありませんかね。
瞑想で観察智に達することができないから、言葉を尽くして
説明する必要があるわけで、直接見られるなら、見ましたか?と
確認すれば済む話ではないのかと。

580:神も仏も名無しさん
18/12/30 14:50:38.64 PscY8ihh.net
ところが、どうも今の日本の大乗仏教側の仏教徒というのは
高度化された理論が、高度な仏教だと勘違いしている人が多いように見受けられる。
三学の修習が進んでいる人の方が、ずっと高度なことをしているんですけどね。

581:神も仏も名無しさん
18/12/30 16:10:15.71 emzwY8u2.net
>>563
いや実際バカでしょう
龍樹が警告した「不完全に見られた空」に見事にハマってしまった
不完全な空の理論が現実から離れて概念化し
意味不明な空論に陥ってしまった
以下は瞑想により空に達した人の歌
「悟り得てなに楽しまん無一物 本来喰う(空)て寝たり起きたり」 一休

582:神も仏も名無しさん
18/12/30 17:09:51.67 bqerQKaA.net
ちょとレベルを下げさせてもらいますが、空かつ色ならば空に至れば物資化も可能ということになりますか?

583:神も仏も名無しさん
18/12/30 17:42:21.33 x8l/Ubu8.net
別に、村上さんに同調するつもりはないが、
  ルーパ=物(物質)
という理解が顛倒だという発想はないのかね?  >>ALL

584:神も仏も名無しさん
18/12/30 18:47:13.27 JuNnrfKR.net
ある言葉が何を意味しているのか瞑想で確かめることが本質的なことであって
確かめもせず妄想から考えたり断定したり評価したりすることは仏教ではない
仏教でなくてもNGだが

585:神も仏も名無しさん
18/12/30 19:26:24.13 ppaYeJSK.net
>>553
リンク先の論文の題名と著者名をあげておかないと
色(rupa)は物質ではない ―仏典における原意と訳語の考察―
村上 真完(著) 印度學佛教學研究 59(2), 858-851, 2011
ついでにこんなのもあげておくか
Dharma(dhamma,法)・artha(attha,義)・もの・こと:―仏典和訳の語彙体系の構築試論―
村上 真完(著) 印度學佛教學研究 62(2), 841-833, 2014
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
法(dharma)と存在(bhava)と存在しているもの(sat)
村上 真完(著) 印度學佛教學研究 60(2), 892-885, 2012
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)

586:神も仏も名無しさん
18/12/30 19:35:37.51 x8l/Ubu8.net
>>572
確認もせず却下してるとしたら、論客として底辺だろw

587:神も仏も名無しさん
18/12/30 20:15:44.88 emzwY8u2.net
やっぱり学者はアホだね
瞑想すれば比較的すぐに名色分離智が現れる
色自体、物質自体、肉体自体は触れられない、感覚を通して色自体を予想するしかない
感覚と色、肉体と心をはっきり区別する智慧は瞑想で言えば初歩中の初歩
わざわざ論文書くような事でもない

588:神も仏も名無しさん
18/12/30 20:48:33.90 x8l/Ubu8.net
なんて解り易い負け惜しみwww

589:神も仏も名無しさん
18/12/30 21:37:55.44 emzwY8u2.net
ここのスレッドタイトルもブッダの教えと瞑想の実践だからね
ブッダも瞑想せよと口を酸っぱくしてるし
言うは易し、行うは難し
博識の非実践者より非博学の実践者が上だわな

590:神も仏も名無しさん
18/12/30 22:16:07.81 PscY8ihh.net
教行証。
戒定慧。

591:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:04:01.25 ezlS1BdA.net
>>555
もし空でない何ものかが存在するならば、空である何ものかが存在しよう。しかし、空でない何ものも存在しないから、どうして空であるものが存在しようか。
空性はすべての見解を越えていると、諸々の勝者(仏)によって説かれている。しかるに、空性という見解をいだくかれらは、癒しがたい人びとであると〔勝者たちは〕説いている。
(中論13章7、8)
これら偈に見られるように龍樹(中観派)は見解を説かないことで知られています
またこれらの偈から空とは存在(有)ではないことがわかります
>>557
URLリンク(mixi.jp)
問題点が何かがこの中論15章でわかるのではないかと
>>558
テーラワーダが説一切有部を批判した理由をスマナサーラは何と語ってますか?
>>560
色不異空→根本智(勝義諦)
空不異色→後得智(世俗諦)
色即是空空即是色の関係も同じ
なお空は存在ではないので空を介して空不異受とはなりません
一切(=五蘊)皆空であるが故に色も空だし受も想も行も識も空であるということです
また空は存在するものではありませんので不生不滅、不垢不浄、不増不減と否定でしか語れません
否定でしか語れないので無分別であるし無戯論です
>>561
空即是色は龍樹以前から摩訶般若波羅蜜経に書かれていた言葉
大智度論はその摩訶般若波羅蜜経の注釈書
それと…笑
URLリンク(manikana.la.coocan.jp)

592:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:05:47.57 ezlS1BdA.net
>>576>>578
それで貴方達は瞑想もせずに朝から思索をこらしたレスを連投などして何してるのですか?
そんな暇があるのなら瞑想してその体験をここに書くべきでしょう
貴方達の立場なら

593:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:07:18.14 ezlS1BdA.net
上はアンカーミスったので改めて
>>576>>577
それで貴方達は瞑想もせずに朝から思索をこらしたレスを連投などして何してるのですか?
そんな暇があるのなら瞑想してその体験をここに書くべきでしょう
貴方達の立場なら

594:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:16:50.89 PscY8ihh.net
善哉

595:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:22:45.28 emzwY8u2.net
>>578
それじゃあやっぱりおかしい
存在ではない空と、存在である色が全く同じ、異らないとはどういう事か
普通に考えれば色即是空だけ正しい
それ以外は概念の世界での言葉遊びにしか思えない

596:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:24:56.53 ppaYeJSK.net
『般若心経』も時代、地域、人によって捉え方は様々。それこそ日本の伝統的仏教教団での
受け止め方も様々。それら宗派の解釈に捕らわれない入門書ならば
『NHK「100分de名著」ブックス 般若心経』 佐々木閑(著)
が手に取りやすいのかな。
願わくは、この書を機縁として巻末に紹介されている米澤嘉康氏、原田和宗氏、渡辺章悟氏
などの優れた研究が一般人にも広く知られるようになったら良いな。

597:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:26:59.32 JuNnrfKR.net
実践者は非実践者の博学より上と言ったのに
悟らなくても経典が理解できることなはずだ
と考えるのはおかしいでしょうな
自分の至った境地までしか理解出来ない、語れない
とすべき

598:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:30:26.07 emzwY8u2.net
>>580
全部瞑想実践に基づいた思索ですけどね
瞑想体験自体は全然重要じゃなくて、瞑想によって生まれる智慧が重要
まぁもっと上を目指せと言われればそれまでですが

599:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:31:50.60 x8l/Ubu8.net
実践してても見えてなきゃ一緒だろうに・・ ┐(´ー‘)┌

600:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:37:31.64 emzwY8u2.net
このスレ的に、経典と言えばパーリ仏典
それ以外の経典は怪しい

601:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:37:47.37 ppaYeJSK.net
原田氏の和訳もリンクしておこう。
梵文『小本・般若心経』和訳
原田 和宗(著) 密教文化 2002(209), L17-L62, 2002
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
実践なくして仏教の理解は無いと俺は思うが、
他者に対する知識なくして他者を批判することは出来ないとも思う。
瞑想にもいろいろなやり方、捉え方があって面白いとも思う。

602:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:44:33.55 emzwY8u2.net
まずブッダやサーリプッタ尊者を創作した経典に登場させるのは
モラル的にどうかと思う

603:神も仏も名無しさん
18/12/30 23:55:30.30 ezlS1BdA.net
>>582
空も色も有でもないし無でもない
(参考)
カッチャーヤナよ 、実に 、この世間の多くは 、「有ること」と 「無いこと」の二つに依存している 。
この世間の多くは 、カッチャーヤナよ 、近づき 、執って 、とらわれ 、縛られるのである 。
この世間の多くは、カッチャーナよ、近づき、執って、とらわれ、縛られるのである。
だが、かの者(仏弟子)は、近づくこと、執ること、
心に確立すること、とらわれること、潜在させることに、近づかず、執らず、確定しない。
すなわち、「わたしにとって自己がない(自己がある)」と。
( 『サンユッタ ・ニカ ーヤ 』一二 ・一五 )
龍樹も仏陀も断定や見解を持ちませんでした

604:神も仏も名無しさん
18/12/31 00:21:16.70 m0NWFRS8.net
>>590
同じ性質を持つから同じもの、異ならないとはならないでしょう
それなら色も受も想も異ならないことになる
ブッダの説いた五蘊説と矛盾する

605:神も仏も名無しさん
18/12/31 00:34:32.44 m0NWFRS8.net
しかし今日は頑張りすぎた
しばらく5chは見ないようにする
見るとつい書き込んでしまうから
勉強になることもあるけど、基本不毛だからね、キリが無いし

606:神も仏も名無しさん
18/12/31 00:36:46.26 m0NWFRS8.net
5chは脳も疲れるし目も疲れる
やっぱり瞑想してる方がいい
さようなら

607:神も仏も名無しさん
18/12/31 00:51:21.51 xcQmKR4S.net
>>591
いろかたち(色)は泡粒のごとくである。
感受(受)は水泡のごとくである。
表象(想)は陽炎のごとくである。
意欲・行為(行)は芭蕉のごとくである。
識別作用(識)は幻のごとくである。
と日の御子(ブッダ)は説かれた。
瞑想するにしたがって、それ(心身)を正しく考察するならば、〔それは〕実体なく(リッタカ)、空虚(トゥッチャカ)である。」
(『サンユッタ・二カーヤ』ⅩⅩⅠⅠ』)
五蘊皆空が正見、正念、正思惟と仏は説きました。

608:神も仏も名無しさん
18/12/31 00:57:45.35 xcQmKR4S.net
>>592
頑張ったというよりも嬉々として連投していたでしょう?
貴方にとっては自説を語るのは楽しい、だから連投をする。
この楽しさ、快楽がもたらすドーパミン体験はくせになるので貴方はまた5ちゃんねるに戻ってきますよ。
しかも近いうちにね。

609:神も仏も名無しさん
18/12/31 01:37:57.11 8uS9Wba3.net
貪りですな

610:神も仏も名無しさん
18/12/31 19:49:23.04 nWq86pVm.net
名色分離智について疑問があるのですが、精神と肉体を別々に分ける状態とのことです。
でも精神は体(脳)から発生していますよね?
分けられないと思うのですが、どう理解すればよいでしょうか?

611:神も仏も名無しさん
18/12/31 21:24:31.72 qzVbfPKT.net
精神のどの部分のことでしょうか。
思考や五感の感覚、感覚に対する好悪の感情については、身体と相互依存的に生じていますが
行、識は身体(脳)から発生しているわけではありません。
思考から抜け出した時、想より深い部分の精神活動が見えますので、その時を堺に、何がどう
錯覚だったのか実感として分かるようになると思います。

612:神も仏も名無しさん
18/12/31 21:43:19.72 qzVbfPKT.net
実践上は、感覚は感覚において感覚として気づき(色)、
感情は、感情において感情として気づく(名)、ということで良いのでは。
大念処経・四念処経では、どういう順序でどこに気づいていくか(学処)が
事細かに述べられていますね。

613:神も仏も名無しさん
18/12/31 21:45:16.94 qzVbfPKT.net
サマタで思考を止めるのは、たぶんほとんどの人ができないでしょうし
もし、たまたままぐれで出来ても、再現性がない場合がほとんどだと思う。

614:神も仏も名無しさん
18/12/31 22:00:37.20 OkfMIgn7.net
だから、
「専門家(→僧侶、比丘→出家行者)」と「一般人(→凡夫、善男子善女人→在家信者)」との別が
設けられていたわけで。
「仕事しながら」は無理、ってのが初期のスタンスでしょう。
その意味で日本仏教が、
世俗の仕事(→法事・葬儀・子育て・おしどり夫婦・教諭・教育事業・医療・文筆・地域行事・消防団・カフェ・バンド・相談窓口etc.etc.)
等等を主たる業務としながら仏法の顕現が可能だと考えている(寧ろそれこそが布教だと考えている)としたら、
少々歪かな、と。

615:神も仏も名無しさん
18/12/31 22:09:29.35 nWq86pVm.net
>>598
コメントありがとうございます。
なんとなく分かったような気がします。厳密にしすぎるのはよくないのかも知れません。
もっと納得がいくように、書き込まれた内容を吟味してみます。

ちなみに
>>行、識は身体(脳)から発生しているわけではありません。
↑が分かりません。体(脳)から発生していると思うのです。
ちなみに、受・想・行・識、は、脳(一部は体も)生源だと思うのです。
そのように感じます。

616:神も仏も名無しさん
18/12/31 22:16:35.30 nWq86pVm.net
追加させて下さい。
>>思考から抜け出した時、想より深い部分の精神活動が見えますので
↑は涅槃に至った時、なくなるのでしょうか?

617:神も仏も名無しさん
19/01/01 08:18:20.24 jtmTjcIM.net
 
実践したことがないので本当なのか?わからないけど、とりあえず
URLリンク(www.ne.jp)
想受滅
非想非非想の実践を経て
そして、それから
非想非非想も手放し超えて
そして、それから
想受滅の直後に「解脱」するとされているらしい
想受滅においては
いのち、あたたかさがあり、諸根(眼耳など)の働きはあるが
心作用のうち受、想、行が滅しているらしい
想がなければ、識も働かないので、想受滅のただ中では
五蘊のうち、心作用と言われる「受想行識」のすべてが滅していることになる
そうすると、物質のみ残り、心作用がない
心作用がないとは言っても、「諸根は浄静である」というから
眼耳鼻舌身などの働きは、破壊されていない
心作用は主観といってよいから、浄静な諸根と客観がある、という状態であるらしい
  _  _  _
たとえば
般若の智慧とか?
平等性智などのような状態?なのかもしれない

618:神も仏も名無しさん
19/01/01 20:10:16.34 bL4QJFsT.net
>>602
わたしも普段はそのように感じています。
気づきが強く連続していくと、意識が瞑想対象から離れなくなって、
思考しようと思っても思考できない状態になってくることがあります。
気づきが、瞑想対象に気づくことに忙しくて、もはや思考を追いかける
ことができない状態です。
その時、思考から抜け出せました。
その状態に五蓋はなく、そこではじめて心所としての信や慈(無瞋)を
経験しました。
その時、五感の感覚も全くないので、その状態を経験してからは
身体と相互依存的に生じている精神現象を相対化できるように
なりました。

619:神も仏も名無しさん
19/01/01 20:12:15.62 bL4QJFsT.net
五感の感覚の有無については、瞑想の種類や深さにもよるだろうと思います。
涅槃ではありません。
ようやく瞑想の入り口ということだと理解しています

620:ポッタン師
19/01/01 20:22:55.13 V3/WlV/A.net
604.バカ丸出し、である。大爆笑である。バカおじゃる、の言う、ことである。

621:神も仏も名無しさん
19/01/02 01:15:09.47 J7VrCjET.net
 
>>603
>>思考から抜け出した時、想より深い部分の精神活動が見えますので
>↑は涅槃に至った時、なくなるのでしょうか?
実践したことがないので本当なのか?わからないけど、とりあえず
URLリンク(junsoyo.on.coocan.jp)
曹洞宗の内山興正
…坐禅の姿を骨組と筋肉でねらい
そうして「思いを手放しにしている」という言葉が一番あたるかもしれません
…ところが今
その何かをつかもうとする「思いの手をひろげっぱなし」にしてしまって
何ものをもつかまないでいることです。すなわち思いの手放しです
実際には何ものかの思いが浮かぶかもしれません
しかし
思いがそれをつかみさえしなければ「何もの」としても構成されることはないでしょう
  _  _  _
そして更に
非想非非想 → 想受滅 → 解脱智見 → 有余涅槃 → 無余涅槃
無余涅槃
このときは
(思考から抜け出した時の)
想より深い部分の精神活動も滅している(かもしれない?)

622:神も仏も名無しさん
19/01/02 13:54:32.33 DC+ULUYs.net
>>605,606
>>身体と相互依存的に生じている精神現象
この言葉にハッとしました。つまり縁摂受智ということでしょうか?
そう考えると、精神(名)は体(色)から発するという理解も間違いではないのかもしれないと思いました。
つまり相互依存ということですね。それを分けることはできると。
>>604,608
書き込みありがとうございます。
とても参考になりました。

623:神も仏も名無しさん
19/01/02 14:50:36.64 J7VrCjET.net
 
この説明だけだと意味が、わかりにくいけど、とりあえず
URLリンク(yamaneko.hatenablog.jp)
パオ・セヤドー

(仮設としての。仮和合としての)
五蘊は生起するや否や、即刻壊滅します。これは刹那生滅です

無明・渇愛・取・行及び業というこの五種類の因が
阿羅漢道智によって余す所なく滅尽する時
五蘊もまた般涅槃の時に、余すところなく滅尽します
因縁滅を了知する智慧を、【 因縁滅智 】 と言います

因縁生滅智
刹那生滅智
  _  _  _
たとえば
般若の智慧によって
(刹那生滅智と)
因縁滅を了知する智慧をもって
因縁滅し尽くして
刹那生滅し終わる場合もある(かもしれない?)

624:神も仏も名無しさん
19/01/02 15:25:52.02 J7VrCjET.net
 
ウパニシャッドの
かの神(=有)は
[現象界の]名称と形態をはっきりと展開した
 - これに対して -
スッタニパータ
872
名称と形態に依って感官による接触が起る
…形態が消滅したときには〈感官による接触〉ははたらかない
874
…けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起る
  _  _  _
実践したことがないので、わからないけど
(想いにもとづいて、現れ、変化して、滅している)
(仮設としての)
名称と形態が依存している『想い』を手放して
掴もうとしている『想い』を手放して
という感じなのかもしれない
間違ってたら スマソ m(_ _)m

625:神も仏も名無しさん
19/01/03 22:58:42.43 lqTm6oaa.net
身体の不浄を観ずる(不浄観)のお勧め
『スッタニパータ 第一章 勝利の経』
193 或いは歩み、或いは立ち、或いは坐り、或いは臥し、身を屈め、或いは伸ばす、─これは身体の動作である。
194 身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、ありのまま見られることがない。
195 身体は腸に充ち、胃に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり、
196 鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。
197 またその九つの孔んらはねつねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、
198 鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。
199 またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。
200 また身体が死んで臥するときには、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない。
201 犬や野狐や狼やは虫類がこれをくらい、鳥や鷲やその他の生きものがこれを啄む。
202 この世において知慧ある修行者は、覚った人(ブッダ)の言葉を聞いて、このことを完全に了解する。なんとなれば、かれはあるがままに見るからである。
203 (かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう)と内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきである。
204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。
205 人間のこの身は、不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以て)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出る。
206 このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また軽蔑するならば、かれは(見る視力が無い)という以外の何だろう。

626:神も仏も名無しさん
19/01/05 12:09:11.93 N/C9rtul.net
瞑想会って途中参加OKですか?
仕事上フルで出るのは難しいです

627:神も仏も名無しさん
19/01/05 15:10:04.85 uGqIuu+6.net
>>613
主催者さんにお聞きになるのがベターだとは思いますが、
一日瞑想会の場合、大抵は静かに出入りすればOKだと思いますよ。
プログラム進行がみっちり決まっていて、高名なお坊様が指導するような
イベント型の瞑想会の場合は、問い合わせるか主催者側の発表情報を
確認した方が良いと思います。

628:神も仏も名無しさん
19/01/05 19:48:42.39 N/C9rtul.net
>>614
そうですね
そのような時は電話で確認してみます
ありがとうございました

629:神も仏も名無しさん
19/01/05 20:15:18.78 HcP0ceAc.net
十六観智
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
智慧を16段階にまで分別分析するのってなんかアホらしいといえばアホらしい

630:神も仏も名無しさん
19/01/06 08:59:03.40 7RtEGcBI.net
ある日示していわく、聞いてみよそして見てみよ。又云う、経験してないなら見てみよ、見てないなら聞いてみよ。
つまり、聞いて知るよりは見るのがよい。見るよりも経験してみるのがもっとよい。
まだ経験してないのなら見て学ぶということがあり、見ることがかなわなければ聞いて学ぶということがある。
学道の用心とは自己を投げ捨てることである。自分に執着する態度を改めて、自己を捨てた修行の中に身を投げれば、
心も随って転じていくものである。宋の国には俗人の慣習に、父母の供養のために墓に集まって泣くまねをするというのがある。
すると終いには本当に泣いてしまう。学道の人も、始めは道心などなくても道を好み仏道を学ぶ環境に身を置けば、
自然と本当に道心が起きてくるものだ。初心の学道の人は只みんなに随って修行すればよい。
修行の心得だとか昔からのやり方などを勉強しようなどと思わなくてよい。そのようなことは一人で山に入ったり、
市井にあって行じていこうとするときに役に立つというくらいのものだ。みんなに随って修行すれば道が得られる。
舟に乗ったら船頭にまかせていけばよい。どうやって漕ぐか知らなくてもちゃんと彼岸に着く。
よく心得た船頭にまかせてみんなと一緒に修行して自分というものを捨ててゆけばもはや道人である。
もし悟りを得て、もう悟ったからこれで良い師もいらないと思っても参禅をやめてはいけない。仏道に終わりはない。
悟ったらなお修行である。良遂座主が麻谷禅師に参禅した因縁を思い出すとよい。
正法眼蔵随聞記
URLリンク(kohgetsuji.justhpbs.jp)

631:神も仏も名無しさん
19/01/06 11:47:27.79 TmMnnbcq.net
好意、好きと言う作用は感覚でしょうか思考でしょうか感情と言うものでしょうか
またその現象が起こった場合どのようにラベリングしたら良いでしょうか?
胸がむず痒くなるような、
締め付けられるようななんとも言い難い感覚です。

632:神も仏も名無しさん
19/01/06 11:55:44.07 RrCkGCgp.net
《タイ上座部の「異端」 ブッダダーサ比丘》
URLリンク(www.dia.janis.or.jp)

633:神も仏も名無しさん
19/01/07 21:17:31.40 8iivTs+E.net
仏教学んだら
絶対に勝ってやるとか、必ず一位になってやる
という気持ちが無くなっていくのはなぜ?
スポーツ選手なら、絶対金メダル獲る!という執念もなくなりそうに感じる

634:神も仏も名無しさん
19/01/07 21:25:19.12 2jITwcsz.net
メダルを取ることより、仏法を学んで結果を出すことの方が意義があることだからね
預流果になることは全地上の王様になることより価値があることらしいから
希少価値は逆転しているけれど

635:神も仏も名無しさん
19/01/07 21:40:28.86 aosCKaCY.net
>>621
金メダルを取ってから引退して仏法はできるけど
悟りに一生ささげて、金メダルどころか家庭や恋愛もリタイヤですね。

636:神も仏も名無しさん
19/01/07 21:57:01.63 JVr5auvC.net
前提認識として、死んだら終わりと思ってるか、
死んでも輪廻が続くと思っているかで、見方、考え方が全然違ってきますので。
輪廻が続くと、なんとなく信じているのと、
輪廻が続く(続いてきた)のを知っているのとでも、また全然違います。

637:神も仏も名無しさん
19/01/07 21:59:17.25 JVr5auvC.net
映画マトリックスでいうと、
マトリックスの住人で居続けるのか、マトリックスから抜け出すのか。
マトリックス内の価値観の尺度で、マトリックスから抜け出すことの価値を測ることはできないんですね。

638:神も仏も名無しさん
19/01/07 22:03:11.60 JVr5auvC.net
仏道修行をしない場合、寿命が来たら確実に死にますし、
死んだら欲六界のどこかに転生して、また四苦八苦です。
瞑想がある程度のところまで行っていれば、死ぬのは身体だけですし
(おそらく)脱皮する程度のことでしかありません。
三宝への帰依と布施、戒律が確立していれば、たとえ欲界転生でも
悪趣に行くことはありません。
死んだ後の準備をしないで死に突入するのは、パラシュートなしで
飛行機から飛び降りるようなもんです。
業と業果はありますし、死んだぐらいじゃ解放されませんです。
受験や就職の準備をしないで歳を取ると大変なことになります。
死もそうです。

639:神も仏も名無しさん
19/01/07 22:07:06.91 zWLnHQDW.net
生き返って苦悩するのを繰り返しても
物事はいつかは終わるから、
最終的にどうなるの?
なぜそんな事を繰り返すの?

640:神も仏も名無しさん
19/01/07 22:09:36.56 2jITwcsz.net
>>JVr5auvC
仏道に対する確信が強いようで、うらやましいです

641:神も仏も名無しさん
19/01/07 22:11:29.96 JVr5auvC.net
我々は夢を見ている時、現実の自分を忘れてしまい、夢の中のリアリティに埋没していますが
夢から覚めると現実感と自己認識を取り戻しますし、リアリティも夢のなかよりずっと高い実感
があるはずです。
深さにもよるでしょうが、瞑想にもそういう目覚めの状態があります。


642:> 瞑想状態に入っている時の方が、我々が普段現実だと思っているリアルよりも、ずっとリアルです。 そこで初めて、なるほど「目覚め」と言うわけだと思うはずです。 リアリティはそれぐらい違います。 (自己が想像するような自己ではありませんが、)生まれる前の自己を思い出しもします。 まぁ、いくら言っても実感は湧かないでしょうし、信じられないでしょうから、思考から抜け出す まで、突破するまで瞑想してみて下さい。



643:神も仏も名無しさん
19/01/07 22:12:38.64 JVr5auvC.net
>>626
分かりません。
分かろうとしています。
>>627
生意気言ってすみません。
すべて仏法僧とのご縁のお陰です。

644:神も仏も名無しさん
19/01/07 22:16:56.85 2jITwcsz.net
>>629
いえいえ、とんでもありません。お考えを書いてくださってありがとうございます。
まだ悟ってはおられないのでしょうか?
現段階からさらに、悟りの光が現れますようにと、念じさせていただきました。

645:神も仏も名無しさん
19/01/07 22:17:25.08 JVr5auvC.net
(毎回同じことを書きますが、)
夢や妄想、幻覚じゃないのかとの疑いについては、こうお答えできます。
夢は、眠っていないと見ません。
幻覚は、五感の感覚がないとろには生じません。
妄想は、思考から抜け出した状態にはありません(できません)。
ある種の瞑想状態は、眠っていません。
五感の感覚もすべて消えてしまいます。意識が意識しないので、認識しません。
集中対象に意識を縛り付けているので、思考を追いかけることができないので、思考もできません。


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