【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15 - 暇つぶし2ch300:神も仏も名無しさん
18/12/22 15:36:07.12 HuytOlJX.net
>>288
何かひとつの対象で禅定を習得できたら、それ以降は
任意の一点を対象にして禅に入れるそうです。
呼吸でなくとも、つま先でも心臓でも、何でもいいらしい。
サマタ40種類、ヴィパッサナーの対象の名色も多種多様。

301:神も仏も名無しさん
18/12/22 15:46:04.82 0NK8W7NI.net
>>291
何も考えずただ黙って座るのは、禅、瞑想ではないのでしょうか?
初心者です。

302:神も仏も名無しさん
18/12/22 15:53:06.00 HuytOlJX.net
>>292
禅、瞑想とは何かという本質的な問いのような気がします。
迂闊なことも言えませんので、何ともお答えしようがありません。
仏陀またはお師匠からのご指導を仰いだ方がよろしいのでは。

303:神も仏も名無しさん
18/12/22 15:56:11.90 HuytOlJX.net
本当に何も考えないでいられたら、それは凄いかも知れませんね。
わたしはどうしても無駄なことを考えてしまうので、どこか一点に注意を縛り付けておかねばなりません。

304:神も仏も名無しさん
18/12/22 15:59:56.23 0NK8W7NI.net
>>293
分かりました。
身体の一部に集中して瞑想してみたのですが、なかなか良い感じです。
よく集中できます。

305:神も仏も名無しさん
18/12/22 16:12:15.63 HuytOlJX.net
わたしも、一瞬でつま先に集中して禅定に入れるぐらいになりたいものです。

306:神も仏も名無しさん
18/12/22 16:25:44.31 L/5edhP6.net
>>287
スッタニパータ
756
見よ、神々並びに世人は、
非我なるものを我と思いなし、
<名称と形態>(個体)に執著している。
「これこそ真実である」と考えている。
757
或ものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、
そのものはそれとは異なったものとなる。
何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。
過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。
758
安らぎは(nibbanam)虚妄ならざるものである。
諸々の聖者はそれを真理であると知る。
かれらは実に真理をさとるが故に、
快をむさぼることなく平安に帰しているのである。
URLリンク(s.webry.info)
世尊いわく涅槃は虚妄ならざるもの

307:神も仏も名無しさん
18/12/22 16:49:23.83 r20U8CiM.net
>>297
涅槃には諸行が無い、識別作用が無い。
一切が無い。だから虚妄も無い。
そこには何も無いからこそ言葉で説き得ないと言われる。

308:神も仏も名無しさん
18/12/22 17:34:48.28 HuytOlJX.net
>>283
>涅槃は無我
>>298
>涅槃には一切がない。
>そこには何もない
無常なる一切の中に涅槃を含めてしまうのですか?
それとも、一切の中に涅槃を含めないのですか?
>>284 が既に指摘していますが、改めて確認してみて下さい。

309:神も仏も名無しさん
18/12/22 19:21:56.94 r20U8CiM.net
これが涅槃だ、ここに涅槃がある、涅槃を見た、涅槃を聞いたという事は無いでしょ?
涅槃は概念、法。諸法無我だから涅槃は無我。
涅槃は無明が無くなった状態だから、行も無い、名色も無い、六根も無い。
生命にとっては六根が全て、一切であり、涅槃には一切が、六根が無いという。
一切が、諸行が無いから無常も無く、苦も無く、空も無い。
法と行、ダンマとサンカーラは仏教のキモ。瞑想して「あぁこれが法か」「あぁこれが行か」というのを体験として理解しないと、なかなか難しい。

310:神も仏も名無しさん
18/12/22 19:23:17.21 HuytOlJX.net
>>300
根本的に勘違いしてると思う。

311:神も仏も名無しさん
18/12/22 19:25:13.95 r20U8CiM.net
一切は十二処。六根と六境であると説かれている。
一切経
URLリンク(komyojikyozo.web.fc2.com)

312:神も仏も名無しさん
18/12/22 19:26:05.21 HuytOlJX.net
>>300
>涅槃は概念
この一言にすべてが集約されてる。

313:神も仏も名無しさん
18/12/22 19:26:51.29 HuytOlJX.net
一切って、有為法のことでしょ。

314:神も仏も名無しさん
18/12/22 19:36:05.87 r20U8CiM.net
有為法というか有為ですね、一切は。
有為という単語はブッダの単語じゃないと思います。
行、サンカーラ、形成作用とか言ったりします。原始仏教では。

315:神も仏も名無しさん
18/12/22 19:37:41.84 AzdZ3r9m.net
よく涅槃が一切に含まれるかどうかが議論されますが、テーラワーダの教義、教義というのに差し支えがあるならテーラワーダのテキストのアビダルマッタサンガハ、では涅槃は一切に含まれます。

所縁 (対象)でまとめると 、所縁とは 、色所縁 、声所縁 、香所縁 、味所縁 、触所縁 、法所縁という 6種類です 。
その (六所縁の)中 、色が色所縁です 。同様に 、声などが声所縁などです 。
法所縁とは 、浄色 、細色 、心 、心所 、涅槃 、施設という 6種類にまとめられます 。
(アビダンマッタサンガハ)
(藤本晃の解説)
意門に入るもの 、つまり心の対象となるものは 、ただ 「法 」とだけ言われることが多いです 。
この場合の 「法 」は 「ものごと 」という意味ですので 、何でもかんでも 、ということです 。
過去のこと 、現在のこと 、将来のこと 、あるもの 、ないもの 、何でも 、心で受け取ることができるものが 、対象です 。
とりあえずここで分類しているのは 、まず物質です 。
第六章 「物質の分析 」で詳しく分析されますが 、物質についても 、意門で感受するという視点から 2つのものが挙げてあります 。
1つは浄色です 。これは 、眼耳鼻舌身根のことです 。
根とは 、機能です 。特に 、物質 ・身体にある方の 、見る聞く嗅ぐ味わう触れて感じるための機能です 。
眼球には見る機能があります 。聞く機能はたぶんないと思います 。その場合の眼球が 、見るための浄色です 。
このような感覚器官を 、意は対象として感じています 。
細色とは 、物質そのものより 、物質から受け取れる感受の方です 。目では色を受け取ります 。その色が 、細色と呼ばれます 。
同様にして 、声 、香 、味 、そして 「触れられるもの 」は地 (固さ )と火 (熱 )の 2種類に分けられますので 、 6種類が 、意によって受け取れる物質です 。それが細色です 。
心と心所は 、心ですから 、当然 、意の対象です 。
涅槃も 、変な話ですが 、意の対象です 。
最後の施設とは 、 「仮に設定したもの 」ということで 、本当は存在しない 、空想 、妄想の産物ということです 。
「亀の毛 」などという意味だけでなく 、 「家 」とか 「人 」 、 「車 」などというものも 、仏教から見れば組み合わせただけの 、実在しない施設です 。

316:神も仏も名無しさん
18/12/22 19:51:49.42 r20U8CiM.net
法は意門の対象としての法と


317:、概念としての法の二種類ある。 意門の対象としての法は、行により、因縁により生滅している無常の現象。 概念としての法は、法が意味する概念。 例えば涅槃について思考する。その思考は因縁により生滅している。 涅槃という単語が示す、概念としての涅槃は実体を持たない、無我。 ちょっと怪しいけど、Wikipediaにも二種類の法について説明されている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95_(%E4%BB%8F%E6%95%99)



318:神も仏も名無しさん
18/12/22 20:00:28.48 r20U8CiM.net
《法句経》の中で、仏陀は言いました:「諸行無常;無行是苦ママ、諸法無我」(Sabbe saṅkhārā anicca;sabbe saṅkhārā dukkha;sabbe dhammā anatta )
諸行とは一切の色法、心及び心所を含みます。そして、諸法は、諸行を含む以外に、涅槃と概念法を含みます。
あなたは以下の事に、特に注意しなければなりません。仏陀は諸行無我と言ったのではなくて、諸法無我と言ったのです。
諸行は無常・苦・無我ですが、涅槃は常、楽、無我なのです。
URLリンク(yamaneko.hatenablog.jp)

319:神も仏も名無しさん
18/12/22 20:11:17.67 HuytOlJX.net
確認ですが、
涅槃は諸行には含まないが、諸法には含むという包摂関係ですか?

320:神も仏も名無しさん
18/12/22 20:41:17.10 r20U8CiM.net
そうですね。
ただややこしいのは、涅槃についての思考は諸行に含まれますね、確かに。
でもそれは涅槃というより思考ですからね。どうでもいいものです。

321:神も仏も名無しさん
18/12/22 21:02:34.64 L/5edhP6.net
>>308のパオ・セヤドーの問答も別にどうでもいいものだということ?

322:神も仏も名無しさん
18/12/22 21:13:45.01 r20U8CiM.net
パオセヤドーは瞑想により涅槃に入ってから、涅槃についての考察をした訳です。
考えて、思考して、涅槃を入った訳じゃない。誰でもそうですが。
基本的に涅槃についての考察は、涅槃に入ってからじゃないと意味がない。
涅槃は瞑想しないと入れない。
まず最初の難関は預流果に悟ることで、預流果に悟れば後は瞑想するだけ。
預流果に悟るために勉強すべきなのは、六根、五蘊、無常、苦、無我、四諦八正道、七覚支、四念処ぐらいじゃないですかね。
あとは瞑想して悟ったお坊さん達のエピソードとか。

323:神も仏も名無しさん
18/12/22 21:17:59.93 r20U8CiM.net
スマナサーラ長老もアビダンマの解説、イヤイヤやってるみたいですからね。勉強しても無理なんだ、悟れないんだと。
でもお坊さんとしては説法を断わることはできない。質問されれば答えないといけない。
URLリンク(www.youtube.com)

324:神も仏も名無しさん
18/12/22 22:18:21.47 L/5edhP6.net
>>312
>あなたは以下の事に、特に注意しなければなりません。仏陀は諸行無我と言ったのではなくて、諸法無我と言ったのです。
なぜ自分の涅槃の経験から答えずに仏陀の言説をもってくるかね?

325:神も仏も名無しさん
18/12/23 01:35:41.11 AkgaMVue.net
勝義諦と実在
URLリンク(gamp.ameblo.jp)

326:神も仏も名無しさん
18/12/23 09:53:52.00 F/q1Mdd1.net
>>314
諸行無常、諸法無我は、普通の阿羅漢の智慧ではなくて、ブッダの究極の智慧から生まれた言葉。
涅槃を経験した阿羅漢でも、「それ」を完璧に説くことはできない。能力次第。
何故、智慧第一と言われたサーリプッタ尊者が存在したか。
智慧が無い阿羅漢もいたから。涅槃を経験し、執着は無くなったけども、
それを上手く言葉で表現する能力が無い阿羅漢もいる。

327:神も仏も名無しさん
18/12/23 10:05:38.60 F/q1Mdd1.net
ブッダによれば、現在の法、即涅槃だから、
現在の刹那生滅、実在、勝義諦、法有などと議論することは、
涅槃について議論しているようなもので、説き得ないものを説こうとしている。

328:神も仏も名無しさん
18/12/23 10:09:03.43 a/r9clvz.net
ここで弁が立つ人たくさんいるけど、彼らよりも語れない阿羅漢もいるんだよな。
そう考えると不思議だ。
でも出家者だったら勉強も沢山してるのかな。

329:神も仏も名無しさん
18/12/23 10:22:23.28 Q3hYl3WY.net
>>313
断れるよ。
スマナサーラのスケジューリングはテーラワーダ仏教教会事務局が
事務的に行っているし。
生身の人間が、オファー全部受けるとか無理なのわかんないか?
スマナサーラは、実際会って話してみると気まぐれで 話したくないときは
相手を無視しきってソッポを向く。餓鬼みたいな老人だ。

330:神も仏も名無しさん
18/12/23 10:24:25.60 k3yCj0BC.net
素直な感覚として、一切のなかに涅槃を含める教学的な意図が分からない。
だって一切行苦でしょう。
そして、輪廻は概念であって実在しないんだ、ってわけか。
おれは悟った。だから正しいぞ、と。
うーん

331:神も仏も名無しさん
18/12/23 10:26:58.77 k3yCj0BC.net
仏典や比丘の言葉を引きながら、如何に涅槃が虚妄かと力説するわけだが、
そもそも当の仏陀が、涅槃は虚妄であるなんて言いますかね。

332:神も仏も名無しさん
18/12/23 10:27:52.49 k3yCj0BC.net
涅槃の概念が虚妄に過ぎないとか、涅槃に関する議論は戯論に過ぎないと言うなら分かるのだけど。

333:神も仏も名無しさん
18/12/23 10:52:00.84 k3yCj0BC.net
悟ったという老師が、悟ると仏教のすべてを無効化するような
人を煙に巻くようなことを言って、人を当惑させる。
中論を読んで、読んで哲学的な思弁を重ねた結果、一切虚妄主義
に陥り、仏教教理に限らず、人生で直面すべき現実のすべてを無い
と言い切って、机上の空論に陥る。
そういうのが嫌でテーラワーダに来ているのに、そのテーラワーダの
集団に向かって、虚妄主義の禅語を浴びせる意図も、よく分からない。
素朴な感想として、迷惑。

334:神も仏も名無しさん
18/12/23 10:54:10.62 k3yCj0BC.net
パーリ三蔵経典を仏陀の新説と信じて教学や行学に取り組んでいるのだから、
そういう人に向かって仏陀を殺せだの、涅槃は虚妄だの、わざわざここまで
出張して主張したいんですか?

335:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:06:26.46 k3yCj0BC.net
禅語を語った老師は悟っているのかも知れないが
禅語を引用して自説を主張する人が、その老師のように悟っているとは限りませんしね。

336:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:11:16.07 AkgaMVue.net
パオ・セヤドー問答集~#353~#366問答(16)問16-73-16-86<証悟涅槃編>14編。
問16-81 涅槃とは、常、楽、我であると言いますが、これは正しいですか?
答16-81 正しくありません。涅槃は恒常で、かつ寂楽ですが、しかし、無我です。
《法句経》の中で、仏陀は言いました:「諸行無常;無行是苦ママ、諸法無我」(Sabbe saṅkhārā anicca;sabbe saṅkhārā dukkha;sabbe dhammā anatta )
諸行とは一切の色法、心及び心所を含みます。
そして、諸法は、諸行を含む以外に、涅槃と概念法を含みます。
あなたは以下の事に、特に注意しなければなりません。
仏陀は諸行無我と言ったのではなくて、諸法無我と言ったのです。
諸行は無常・苦・無我ですが、涅槃は常、楽、無我なのです。
URLリンク(yamaneko.hatenablog.jp)

337:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:12:03.68 AkgaMVue.net
よく涅槃が一切に含まれるかどうかが議論されますが、テーラワーダの教義、教義というのに差し支えがあるならテーラワーダのテキストのアビダルマッタサンガハ、では涅槃は一切に含まれます。

所縁 (対象)でまとめると 、所縁とは 、色所縁 、声所縁 、香所縁 、味所縁 、触所縁 、法所縁という 6種類です 。
その (六所縁の)中 、色が色所縁です 。同様に 、声などが声所縁などです 。
法所縁とは 、浄色 、細色 、心 、心所 、涅槃 、施設という 6種類にまとめられます 。
(アビダンマッタサンガハ)

(藤本晃の解説)
意門に入るもの 、つまり心の対象となるものは 、ただ 「法 」とだけ言われることが多いです 。
この場合の 「法 」は 「ものごと 」という意味ですので 、何でもかんでも 、ということです 。
過去のこと 、現在のこと 、将来のこと 、あるもの 、ないもの 、何でも 、心で受け取ることができるものが 、対象です 。
とりあえずここで分類しているのは 、まず物質です 。
第六章 「物質の分析 」で詳しく分析されますが 、物質についても 、意門で感受するという視点から 2つのものが挙げてあります 。
1つは浄色です 。これは 、眼耳鼻舌身根のことです 。
根とは 、機能です 。特に 、物質 ・身体にある方の 、見る聞く嗅ぐ味わう触れて感じるための機能です 。
眼球には見る機能があります 。聞く機能はたぶんないと思います 。その場合の眼球が 、見るための浄色です 。
このような感覚器官を 、意は対象として感じています 。
細色とは 、物質そのものより 、物質から受け取れる感受の方です 。目では色を受け取ります 。その色が 、細色と呼ばれます 。
同様にして 、声 、香 、味 、そして 「触れられるもの 」は地 (固さ )と火 (熱 )の 2種類に分けられますので 、 6種類が 、意によって受け取れる物質です 。それが細色です 。
心と心所は 、心ですから 、当然 、意の対象です 。
涅槃も 、変な話ですが 、意の対象です 。
最後の施設とは 、 「仮に設定したもの 」ということで 、本当は存在しない 、空想 、妄想の産物ということです 。
「亀の毛 」などという意味だけでなく 、 「家 」とか 「人 」 、 「車 」などというものも 、仏教から見れば組み合わせただけの 、実在しない施設です 。

338:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:12:22.47 k3yCj0BC.net
涅槃が我だなんて、その質問者以外に誰が言ってるの。
要するに、恒常不変の真我ってことでしょう。

339:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:13:18.56 k3yCj0BC.net
テーラワーダを攻撃するために、テーラワーダのテキストから引用してない?

340:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:14:08.47 AkgaMVue.net
涅槃は恒常で、かつ寂楽ですが、しかし、無我です。

341:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:15:37.32 k3yCj0BC.net
概念は生滅するものであるのに、生滅しない涅槃が同じカテゴリーに分類できるのは何故。

342:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:16:16.58 k3yCj0BC.net
>>330
繰り返しになるが、涅槃が我という主張はしていない。

343:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:17:57.43 k3yCj0BC.net
>>326
文脈から類推するに、涅槃についての概念を、概念法としているだけのことではないの。
その文章の原文と翻訳者の確認をとらずに、5ちゃんの名無しの恣意的な引用を真に受ける気にはなれない。

344:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:21:59.16 k3yCj0BC.net
本当に仏陀の親説なら、三蔵のなかに典拠を求められるはず。

345:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:25:46.65 k3yCj0BC.net
経典の中で、仏陀が一切について述べた経文を読んだ記憶によれば
五蘊、十二処、十八界のことを一切と言っていたのであって、そこに
涅槃を含めるような意味にとれる文言を見かけた記憶はない。

346:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:26:13.98 AkgaMVue.net
>>323
>中論を読んで、読んで哲学的な思弁を重ねた結果、一切虚妄主義
>に陥り、仏教教理に限らず、人生で直面すべき現実のすべてを無い
>と言い切って、机上の空論に陥る。
戯論 けろん papañca(または、prapañca)。
国語辞典的には以下の通りである。
仏教用語。無意味で無益な 言論のこと。
愛着心から行う言論であるところの愛論と,偏見より行う言論であるところ の見論とがある。
仏教では形而上学的な議論は戯論に属する。
したがって、たとえば、『中論』の第18章5偈を中村元の訳で読むと以下のようになる。
業と煩悩とが滅びてなくなるから、解脱がある。
業と煩悩とは分別思考から起る。
ところでそれらの分別思考は形而上学的論議(戯論)から起る。
しかし戯論は空において滅びる。
ところが斉藤明の論文を読んでいて仰天した。彼の訳で読むと以下のようになる。
行為(業)と煩悩が尽きることによって解脱がある。
行為と煩悩は分析的思考(分別)による。
それら(の分別的思考)は概念化にもとづく。
しかしながら概念化は空において抑止される。

つまり、papañcaは形而上学的論議(戯論)というよりも、概念化のほうが今日的で理解しやすいのである。
煩悩の根源は、分析的思考であるが、その分析的思考はことばによる対象の概念化にもとづくということなのである。
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
中論は仏教の哲学化、形而上学的論議(戯論)は意義がないことを主張している
哲学化したのはアビダルマ哲学を構築した小乗仏教の各部派。

347:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:29:33.73 AkgaMVue.net
>>335
一切は六根六境
テーラワーダでは涅槃は法所縁であるから一切に含まれる
パオセヤドーも諸法の中に涅槃を数えている

348:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:30:37.02 k3yCj0BC.net
中論が戦った相手は、ここには居ない。
居ない相手の象を投影されて、非常に迷惑している。

349:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:31:05.41 AkgaMVue.net
テーラワーダは部派仏教の唯一の生き残りを自称する
部派仏教のアビダルマ哲学は外界実在論である

350:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:32:30.47 k3yCj0BC.net
触は触という働きがあるし、受には受の働きがある。
働きには働きがある。
働きは働きなのだから、ほかに言いようがないのでは。
仏陀も触や受で説明しているわけで、これらの用語を使わずにどうやって
仏教について話せというの。
もはや言いがかり以外の何物でもないと思うのだが。

351:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:33:54.39 AkgaMVue.net
>>338
君が中論と戦ってるw

352:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:34:02.62 k3yCj0BC.net
触や受に、恒常不変・永遠不滅の実体があるなどという主張はしていない。
ところが、空論を振りかざしてパーリ三蔵仏教を攻撃する者は、
恒常不変・永遠不滅の実体について「自性」と名付け、「自性」を攻撃している。
その「自性」を主張する者は、ここにはいない。

353:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:35:10.71 k3yCj0BC.net
>>341
「中論」は龍樹のもの。
その他人が語った「中論」に執着して、ありもしない敵を妄想して戦いを挑んでいるのが、いまのあなたでは?

354:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:35:55.60 wrzdlK65.net
【カルト】スマナサーラの瞑想で発狂した奴 2鼻毛
スレリンク(psy板)
スマナサーラ 批判
スレリンク(psy板)
ラーマクリシュナvsアルボムッレスマナサーラ
スレリンク(psy板)
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日本の僧侶には破戒僧しか残ってないの?
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カルト【破和合僧】佐藤哲朗【誹謗正法】
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過去スレ
仏教界の勝ち組・佐藤哲朗先生について語ろう!
スレリンク(psy板)

355:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:36:06.01 AkgaMVue.net
>>340
(8) 二つの真理(二諦)に依存して、もろもろのブッダは法(教え)を説いた。
〔その二つの真理とは〕世俗の覆われた立場での真理と、究極の立場から見た真理とである。
(9) この二つの真理の区別を知らない人々は、ブッダの教えにおける深遠な真理を理解していないのである。
(10) 世俗の表現に依存しないでは究極の真理を説くことはできない。
究極の真理に到達しないならば、ニルヴァーナを体得することはできない。
(11) 不完全に見られた空は知慧の鈍いものを害する。
あたかも不完全に捕らえられた蛇あるいは未完成の咒術のごとくである。
(12) それ故にその法が鈍いものどもによってよく領解されえないことを考えて、聖者(ブッダ)が教えを説示しようとする心はやんだ。
― 『中論』24:8-12[8]

356:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:38:23.18 k3yCj0BC.net
>>341
中身もみずに名前だけで判断するのが戯論じゃないの。
龍樹が中論で行ったことは、本来の仏教から逸脱したセクトに対する反論を通して
本来の釈尊の仏教を護ろうとしたという側面もあるでしょう。
本来の釈尊の仏教から逸れていないグループに対して、そんなもん振りかざして
こられても当惑するしかないのよ。

357:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:38:36.24 AkgaMVue.net
>>343
>>323
>中論を読んで、読んで哲学的な思弁を重ねた結果、一切虚妄主義
>に陥り、仏教教理に限らず、人生で直面すべき現実のすべてを無い
>と言い切って、机上の空論に陥る。

358:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:39:56.27 k3yCj0BC.net
>>345
勝義諦は、言語表現にバリエーションがあるだけで
勝義諦そのものに、あの勝義とか、この勝義なんてものはあり得ないでしょう。
居ない敵と戦っているんだよ。

359:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:40:14.19 AkgaMVue.net
>中論を読んで、読んで哲学的な思弁を重ねた結果、一切虚妄主義
>に陥り、仏教教理に限らず、人生で直面すべき現実のすべてを無い
>と言い切って、机上の空論に陥る。
こんな人現実的にいるのかね?

360:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:41:23.93 k3yCj0BC.net
>>349
>こんな人現実的にいるのかね?

>>349

361:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:41:35.77 AkgaMVue.net
320 名前:神も仏も名無しさん :2018/12/23(日) 10:24:25.60 ID:k3yCj0BC
素直な感覚として、一切のなかに涅槃を含める教学的な意図が分からない。
だって一切行苦でしょう。
そして、輪廻は概念であって実在しないんだ、ってわけか。
おれは悟った。だから正しいぞ、と。
うーん

362:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:42:19.96 AkgaMVue.net
>>350
いない敵と戦ってるのは君の方だな

363:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:42:35.23 k3yCj0BC.net
>>351

>>351

364:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:43:38.63 k3yCj0BC.net
>>352
違うね。
パーリ三蔵に自性の主張などない。
その無いものに批判の矛先を向けてきたのは、そちら。

365:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:44:40.91 AkgaMVue.net
>>351
>素直な感覚として、一切のなかに涅槃を含める教学的な意図が分からない。
>だって一切行苦でしょう。
テーラワーダのきょうがくてきかな意図が分からないと言ってるわけだね

366:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:45:19.53 k3yCj0BC.net
中論の自性とは、恒常不変・永遠不滅の実体のことを指している。
アビダンマの自性とは、働きは働きだと言っているに過ぎず、そこに
恒常不変・永遠不滅の実体があるなどとは言っていない。

367:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:46:48.21 AkgaMVue.net
>>354
テーラワーダのテキストには自性の主張はやまほどある

368:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:47:35.53 k3yCj0BC.net
>>355
悪意ある解釈に同意・賛同を示すつもりはない。

369:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:49:14.90 AkgaMVue.net
>>356
どちらも性質が変わることがないという意味で同じ

370:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:49:44.48 k3yCj0BC.net
>>357
まともな仏教徒で自性を主張したり、信仰したりする仏教徒などいないでしょ。
やはり、予めテーラワーダを攻撃する意図があっての言論だったわけだ。
どうも臭うと思った。

371:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:50:27.70 AkgaMVue.net
>>358
解釈ではなくテキストにそう書いてあるしパオセヤドーもそう言ってるのだが
都合のいいことばかり言ってはあかんよ
子供じゃないんだから

372:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:51:43.99 AkgaMVue.net
>>360
テーラワーダはまともな仏教徒ではないということをいってるの?

373:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:52:25.79 k3yCj0BC.net
>>359
では、仏陀が説いた十二縁起の触や受はどうなりますか。
これも自性の主張だというつもりですか。
無理がありますね。
縁起によって生滅するのが前提の話なのだから。

374:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:56:03.57 k3yCj0BC.net
>>362
あなたのテーラワーダに対する態度がまともじゃないとは思いますけど。

375:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:58:29.19 AkgaMVue.net
>>363
テーラワーダ=仏陀が説いたこと
ではない

376:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:59:05.60 k3yCj0BC.net
>>362
まず、自性という単語が指し示す意が違う。
その違いを無視して自性を攻撃することを通して、テーラワーダを排撃しようという強い意志がありますよね。

377:神も仏も名無しさん
18/12/23 11:59:29.80 AkgaMVue.net
>>364
論理的に反論できないと人格攻撃?

378:神も仏も名無しさん
18/12/23 12:01:00.65 k3yCj0BC.net
>>365
テーラワーダが信奉しているのは、パーリ三蔵経典であるから、
テーラワーダという名前にはさして意味はない。
そもそも龍樹の時代は、現代の第六結集を経たテーラワーダと違うのではないか。

379:神も仏も名無しさん
18/12/23 12:01:43.15 AkgaMVue.net
>>366
>まず、自性という単語が指し示す意が違う。
>>359

380:神も仏も名無しさん
18/12/23 12:02:34.63 k3yCj0BC.net
>>367
論理的には既にあなたのオカシイ部分の心臓部を指摘した。
すなわち、中論とテーラワーダのアビダンマでは自性の意味が違う。
本当はこのひと言で、とっくの昔に決着はついてる。

381:神も仏も名無しさん
18/12/23 12:07:08.46 AkgaMVue.net
>>368
パーリ三蔵の論蔵のアビダンマ・ピタカに目を通した上でそのレスを書いているのかい?

382:神も仏も名無しさん
18/12/23 12:15:55.39 IMitFdyT.net
自性とか難しいから
己とか、わたし、とかオレとかでたのみますw

383:神も仏も名無しさん
18/12/23 12:17:00.63 IMitFdyT.net
オレは縁によってあるけども、オレというものが、独立して存在してないってことでしょ

384:神も仏も名無しさん
18/12/23 12:18:28.96 IMitFdyT.net
中論はとか、アビダルマはとかいうけど
元は釈迦の話なんでw

385:神も仏も名無しさん
18/12/23 13:00:22.15 k3yCj0BC.net
>>371
論点ずらしか。
嘘つきの本性が出てきたな。
まず龍樹中論側の「自性」という言葉の定義、
アビダンマの「自性」という言葉の定義、
これを確認すれば、そもそもこんな議論は起きない。
龍樹の文脈でいう「自性」を主張しているとしたら、それは邪見外道と言っているに等しい。
それは完全に間違い。
テーラワーダ仏教徒を装って、テーラワーダ仏教を破壊しようとする試みは仏陀の仏法僧に対する攻撃に等しい。
こういう姑息な真似もやめた方がいい。

386:神も仏も名無しさん
18/12/23 13:07:58.31 k3yCj0BC.net
龍樹は、自性を主張すれば四諦は成り立たないと言っている。
要するにアートマンのような実体を認めれば、四諦は成り立たないということだが、
そんな主張をしている箇所が、経典のどこにあるというのか。
そして、アビダンマというのは、当然の前提として経を踏まえているわけだから
四諦を説く文脈で、龍樹がいうような自性の主張が成り立つはずもないし、出てくる
はずもない。

387:神も仏も名無しさん
18/12/23 13:52:41.51 F/q1Mdd1.net
初めに説一切有部が自性という言葉を使っておかしな事を言い始めたんでしょう。
それに対して龍樹や大乗やらが反論した。その自性という言葉を使って。それはおかしいよと。
その説一切有部がもう存在しないし、邪見ということで共通理解がある。
だからもう自性という言葉は要らないでしょう。邪見が前提の言葉なんだから。

388:学術
18/12/23 14:05:38.09 KhNV8Sgw.net
宗教を血統にすると欺瞞や不正が流行って良くないだろう。まだその時きたらずやならいいかも。

389:神も仏も名無しさん
18/12/23 15:54:26.04 k3yCj0BC.net
仏法の知識を悪用して、仏法僧を破壊しようとする試みは全て打ち砕く。
どこに隠れていようと、必ず見つけ出して仕留める。

390:神も仏も名無しさん
18/12/23 16:22:15.81 AkgaMVue.net
>>379
で、一切法の中に涅槃を入れるのか入れないのか?
パーリ三蔵の論蔵に目を通した上でパーリ三蔵は全て仏陀の説いたことと言ってるのかそうでないのか?
テーラワーダでは真に存在する勝義諦として心、心所、色、涅槃を挙げているがそれを外界実在論として認めるか否か?
逃げずに返答よろ

391:神も仏も名無しさん
18/12/23 16:44:38.64 gXPlUTzP.net
中論1-3
復た次ぎに、
如(も)し諸法の自性、縁中に在らずんば、
自性無きを以っての故に、他性も亦復た無し。
もろもろの事物をそれらの事物たらしめるそれ自�


392:フは、もろもろの縁のうちに存在しない。それ自体が存在しないならば、他のものは存在しない。 (中村元訳) ここでは龍樹は法の属性という意味で自性を使っています。



393:神も仏も名無しさん
18/12/23 16:44:47.67 a/r9clvz.net
横レスだけど
>>勝義諦として心、心所、色、涅槃
は世俗諦だと思う。宇宙初期のことを考えれば。初期宇宙では生命は存在できない。

394:神も仏も名無しさん
18/12/23 16:46:33.41 a/r9clvz.net
現在の宇宙には4つの力があって、強い力、弱い力、電磁気力、重力がある。
これらは宇宙の初期では統一されていた。
当然世界も違ってくる上に、生命は存在できない。

395:神も仏も名無しさん
18/12/23 16:58:47.01 a/r9clvz.net
訂正。色を素粒子ということで見れば、勝義諦かも。
涅槃も勝義諦かもしれませんね。
涅槃を体験する生命はいないけれど。

396:神も仏も名無しさん
18/12/23 17:16:06.34 k3yCj0BC.net
>>380
あんたのやってることは机上の空論でしかない。

397:神も仏も名無しさん
18/12/23 17:18:06.11 k3yCj0BC.net
5ちゃん自体もそうだが、何の役にも立たない。
この手の議論なら書籍や論文でとっくに取り上げられて答えも出てるのではないか。

398:神も仏も名無しさん
18/12/23 17:34:41.18 F/q1Mdd1.net
確かに全部、5ちゃんねる自体、机上の空論だね。
一切の法、概念は机上の空論、実体が無いので無我であり虚妄。
実際の現象、一切の行、見たり聞いたり感じたり考えたりすることを停止するのが実際の涅槃。

399:神も仏も名無しさん
18/12/23 18:04:10.20 0lAKVqsw.net
個人的には他人に説明出来ることさえ
なんの役にもたたないと思ってるな

400:神も仏も名無しさん
18/12/23 19:42:19.15 F/q1Mdd1.net
「生まれつくわが悪念を直さずに 学問すれば身を害すもの」 一休
生まれついた自分の悪いところを直さずに、学問をすれば余計に自分をダメにする。

401:神も仏も名無しさん
18/12/23 19:57:37.35 F/q1Mdd1.net
涅槃は貪瞋痴が無くなった状態とも言える。
自分が持っている欲、怒り、愚かさを無くすことが涅槃なのに、
涅槃の為に欲、怒り、愚かさを出したら本末転倒。

402:神も仏も名無しさん
18/12/23 20:44:52.55 F/q1Mdd1.net
本を読めば読むほど、思考すればするほど戯論は増えるのだから、
仏教でいう無智、無明、愚痴は増えていく。

403:神も仏も名無しさん
18/12/23 20:49:47.25 nlXsEUZ4.net
読めば読むほど遠のくということ?

404:神も仏も名無しさん
18/12/23 20:58:41.54 F/q1Mdd1.net
例えば洗濯する時、洗濯物に洗剤という汚れを付けて、一生懸命かきまわし、最後にすすぐと洗濯物はきれいになる。
洗剤は汚れを落とすものだからと、ダバダバ入れて、かきまわすこともせず、すすぐこともしなければ、洗濯物は汚れていく一方。
仏教の本も、適量だけ読むことは必要だが、その知識を利用して、自分の心の汚れを実際に落とすことが重要。

405:神も仏も名無しさん
18/12/23 21:04:21.43 F/q1Mdd1.net
特にアビダンマなどの超強力洗剤に漬けっぱなしにしたら、衣類はもう着られなくなる。

406:神も仏も名無しさん
18/12/23 22:05:05.48 AkgaMVue.net
ほう、スマはブッダの実践心理学~アビダンマ講義シリーズ~なんで分厚い本を8巻も書いてる
あれテキストはアビダルマの入門用テキストのアビダンマッタ・サンガハだから薄いもんなんだよな
それをわざわざ張り切って解説つけて8巻まで分厚い本として出版させてる
自分が体験してない滅尽定のこともさも体験したような口ぶりで書いている(おそらく無色界禅定も体験してないだろう)
机上の理論を書くのに張り切ってるお坊さんがスマだってことか
あーでも本の中ではテーラワーダ以外の仏教や他宗教をdisったりしてそういうところにもエネルギーを費やしての8巻だったなw

407:神も仏も名無しさん
18/12/23 22:25:26.30 F/q1Mdd1.net
アビダンマが悪いって訳じゃない。
瞑想していてその都度疑問に思ったことを、少し調べてまた瞑想に戻る。
頑固な部分汚れに、少し使う分には役に立つ。
無色界禅定も、滅尽定も、解脱には必要無い。第一禅定で十分だと言われている。
そこは重要じゃないから、机上の空論でも何でもかまわない。読み飛ばせばいい。

408:神も仏も名無しさん
18/12/23 22:48:19.03 AkgaMVue.net
>>396
>無色界禅定も、滅尽定も、解脱には必要無い。第一禅定で十分だと言われている。
言われてないでしょ
仏陀がそれを否定している

修行僧たちよ、このように(わたしに非想非非想定を授けた)ウッダカ・ラーマプッタはわたしの修行仲間であるけれども、わたしを師の地位に置いた。
そして、わたしを最上の敬意をもって礼拝した。
修行僧たちよ、そのとき、わたしはこう思った。
 『この教えは厭い離れることに導かず、貪りを離れることに導かず、[煩悩を]滅することに導かず、
寂静に導かず、証知に導かず、正しい目覚めに導かず、ニッバーナに導かない。
<想いが有るのでもなく、ないのでもないという境地>に達するのみである』と。
そこで、修行僧たちよ、わたしはその教えに満足せず、厭って、その教えから去った」
(中部 聖求経)
このように無色界禅定の最高の非想非非想でも解脱できなかったとはっきり言ってますが
第一禅定で充分だなんて誰が言ってたの?

409:神も仏も名無しさん
18/12/23 23:11:27.47 k3yCj0BC.net
涅槃は概念であり、実在しないってのもたいがいじゃないの。

410:神も仏も名無しさん
18/12/23 23:38:43.95 AkgaMVue.net
>>398
龍樹は涅槃を四句分別することを否定しただけだよ

411:神も仏も名無しさん
18/12/24 00:27:09.88 xjciOyny.net
外界実在論---②説一切有部の主張 その1
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
外界実在論---「実在」の定義(有部・経量部などの主張)
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
テーラヴァーダ仏教(南方上座部)のS師の一言に疑義
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

412:神も仏も名無しさん
18/12/24 07:58:39.05 cIW0sfnr.net
言葉のすれ違いが無限に続いていく。
馬鹿馬鹿しい。

413:神も仏も名無しさん
18/12/24 09:03:50.49 sjnFb1a1.net
>>397
禅定はサマタ瞑想。ひたすら集中力を高める瞑想。
その方向には解脱は無い。
解脱に達するための瞑想はヴィパッサナー瞑想。
ヴィパッサナー瞑想では禅定を重視しない。観察を重視する。
以下、Wikipediaの引用
「伝統的に上座部仏教においては、サマタ瞑想を先に修行して、それからヴィパッサナー瞑想へと進むという階梯がとられてきた。
ヴィパッサナー瞑想を行なうためには少なくとも第一禅定(最高で第四禅定)に入っている必要があるとされ、
そのためにはサマタ瞑想を行なわねばならないのである。
これに対し、最初からヴィパッサナー瞑想のみを中心に修行するという道も、少数派ながら古くから存在した。
これは、ヴィパッサナー瞑想を行うことによって、自然に第一禅定がもたらされるという事実に基づいている。またより重要な問題点として、
サマタ瞑想にあまり重点を置きすぎると、それによってもたらされる三昧の快楽に耽ってしまいがちであり、
なかなか悟りが開けないという点も指摘される。
ブッダの悟りあくまでもヴィパッサナー瞑想によって開かれたとする観点による。」
URLリンク(ja.wikipedia.org)

414:神も仏も名無しさん
18/12/24 09:13:28.49 sjnFb1a1.net
涅槃だろうがブッダだろうが悪魔だろうが神だろうが、自分だろうがキャベツだろうが、一切の概念は実在しない。
それを諸法無我という。これは預流果に悟らないと分からない。逆に言えば、理解できれば預流果に悟れる。
一切の概念で一番大事にされているのが「私」。私という概念に実在が無いことが分かれば有身見が無くなる。

415:神も仏も名無しさん
18/12/24 09:28:40.51 sjnFb1a1.net
霊雲禅師は三十年修行したが悟りが開けなかった。ある時散歩していて桃の花を見た瞬間悟った。
何を悟ったか。
「花」は概念であって実在しない。目の前にあるのはただの光のチラつき、色でしかない。
そして「我」も概念であって実在しない。私と呼ばれるそれは、色声香味触法と眼耳鼻舌身意のチラつきでしかない。
花も無我、我も無我。ただあるのは六根、六境のチラつき。無常。

416:神も仏も名無しさん
18/12/24 09:45:04.34 sjnFb1a1.net
では無常たる六根、六境は実在か。
涅槃を体験すれば分かる。それらは空であると。
六根は無明により、因縁により生滅しているに過ぎない。
無明が無くなれば六根は無くなる。
無明とは何か。
無常、苦、無我を理解しないこと。
世間には何か実在があると勘違いし、それに捉われること。
その実在に対し、貪瞋痴の心を持ってしまうこと。

417:神も仏も名無しさん
18/12/24 09:57:50.68 cIW0sfnr.net
お釈迦さま、六根なかったんやな。

418:神も仏も名無しさん
18/12/24 12:22:59.11 4RG8WLU6.net
結局仏教っていうのは無常、苦、無我をどれだけ悟れるかということなんですね。
簡単なことのようでとても難しいと思うけれど。
シンプル。

419:神も仏も名無しさん
18/12/24 12:57:54.59 sjnFb1a1.net
阿羅漢にある肉体、五蘊、六根は、悟る前の業の結果。
六根に、五蘊に実体が無いことを知っているので、業の結果を受け取らず、新たな業は作らない。
最後の身体が無くなるのを待っている。

420:神も仏も名無しさん
18/12/24 13:10:14.33 Y0rwIfte.net
>>407
いろいろ勘違いしていると思う
>>408
受ける業と受けない業がある

421:神も仏も名無しさん
18/12/24 13:20:12.29 4RG8WLU6.net
>>409
詳しく。
何を大事にしたらいいでしょうか?

422:神も仏も名無しさん
18/12/24 14:12:41.21 sjnFb1a1.net
無常、苦、無我を理解しようと経典、その他を読むのは当然間違い。
じゃあ瞑想してやろうと、無常、苦、無我を求めて、悟りを求めて瞑想するのも間違い。
現在の瞬間にはっきり目覚めていて、妄想せず、気づきを確立し、(不痴)喜ばず、(不貪)嫌わず、(不瞋)いられれば、
悟りは向こうからやってくる。
要するにヴィパッサナー瞑想に専念する事。死んでも不貪、不瞋、不痴を守ること。
この事が仏教を真に理解するということ。

423:神も仏も名無しさん
18/12/24 14:59:01.38 cIW0sfnr.net
「群名無し象を評す。三蔵結集ありがたし。」 三休

424:神も仏も名無しさん
18/12/24 17:04:06.65 pdJLitA/.net
>>404
花は施設であり世俗諦ですが、花を構成する色などの方は現在という刹那には実在するというのがテーラワーダの教義です。
ではその刹那とはどのくらいかというと
どのように 〔心が生起するの 〕でしょうか ?
生 、住 、滅という 3刹那が 1心刹那です 。
その心刹那 1 7回が 、物質というもの (色法 )の寿命 ( 1刹那 )です 。
とアビダルマッタサンガハにあり、その刹那の長さは現在では現在の基準に即した単位で出ています。
物質の変化生滅は、本当は原子のレベル 、光のスピ ードで起きている。
ということは 、心は 、普通の心でも光より 1 7倍も速い速度で生滅している。
と現代テーラワーダの僧侶は言います。

425:神も仏も名無しさん
18/12/24 18:16:38.78 sjnFb1a1.net
>>413
それは理論、法、概念であって、実体は無い、現実では無い、無我。
現実はどうか。
現在の瞬間は捉えられない。無常、苦、空。
テーラワーダの教義としては、瞑想せよ、現実を観よ、という事のほうが重要。

426:神も仏も名無しさん
18/12/24 18:20:52.80 sjnFb1a1.net
理論を勉強するなら、まず預流果に悟らなければいけない。
諸法無我という真理を悟らなければいけない。
全て、人間の考える概念、理論、思考には実体は無い、現実では無い、本物では無いという事を。
そうでなければ、法に執着してしまう、法に振り回されてしまう。
そして諸法無我という真理から遠ざかってしまう。
真理から遠ざかりなさいというのがテーラワーダの教義なわけないでしょう。

427:神も仏も名無しさん
18/12/24 18:26:14.62 sjnFb1a1.net
例えば、野球のバッティング理論で、「ボールを切る」とか「バットを投げる」とか言ったとして、
現実にボールは切れる訳では無いし、バットを投げたら怒られる。
理論は物事を分かりやすく説明して、現実に上手く対応できるようにするためのもの。

428:神も仏も名無しさん
18/12/24 18:29:53.15 4RG8WLU6.net
話変わるけれど、預流果になっても7回も転生しないといけないのだから、結構大変だよね。
その生で苦しいことはたくさんあると思う。人生は何が起こるか未知数だから、危険なこともあるだろう。
一来果以上を目指したい。

429:神も仏も名無しさん
18/12/24 18:46:43.47 sjnFb1a1.net
例えば曹洞宗の教義は正法現蔵じゃない。しっかり坐れというのが教義。
ブッダの教義もパーリ仏典じゃない。ブッダの教義は菩提樹の下での悟りそのもの。
パーリ仏典は、ブッダの瞑想体験記。
経典の中に真理は無い。瞑想の中に真理はある。体験記を読んでもそれは分からない。
清浄道論はテーラワーダのお坊さんの一人、ブッダゴーサの瞑想体験記。個人的な手記。

430:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:17:49.22 cIW0sfnr.net
この無駄なおしゃべりが一番無駄。
経典やお坊さんのお話を聞くならまだしも、自称預流果の5ちゃんの名無しが
経典や仏陀の言葉を否定するのを見ているより、ずっと役に立つ。
言葉や概念が瞑想の体験智でないことは当然の前提認識であって、言葉で
会話のやり取りをすることしかできない場所で、言葉のやり取りを否定する
ことに、どれ程の意味や妥当性があるのか。

431:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:18:57.30 cIW0sfnr.net
瞑想実践が大事なら、ぐだぐだ屁理屈を言うより
「黙って坐れ」のひと言で終わりでしょうに。

432:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:22:28.53 zeHCQFd9.net
>>414
ではAbhidhamma思想家が物質よりこころは17倍早いと計って分かったのですが。
これは冥想の達人達が得た超越した知恵に基づいて言っていることで、一般的には理解できないものだとAbhidhammaがサンザン言っています。
それはそれで、Abhidhammも一つの学問だと思って考えてみましょう。
そのとき私に見えたことは「物質の明確な認識の最小の単位を起こすために17種類の心が働くということです。
こころは一つのながれなので、多数の心は一緒に働くのではなく一つ一つのこころは自分の機能を起こして消えるのです。
こころに触れた物質は消えるまで反応を起こします。その間心が17回生まれて消えます。
それで物質よりこころは17倍早いということになったのです。
URLリンク(www.j-theravada.net)
瞑想が達人的な域に達すると心の速さは物質の速さの17倍であることがわかるんだとさw
君もそこまで目指して頑張りたまえ!

433:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:23:52.92 cIW0sfnr.net
名無しの自称預流果が、仏法僧を否定とか無責任なことすんなや。
危なすぎるだろが。まず誰かに師事しろよ。
自宅でひとりで瞑想して悟りましたとか、通信講座で空手の黒帯になったので
道場破りします、みたいな話だろ。

434:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:24:18.74 sjnFb1a1.net
じゃあブッダも黙ってた方が良かったのか。
毒をもって毒を制す。
概念を持って概念を制す。
達磨大師は黙って9年坐られたけど、「教外別伝、不立文字、直指人心、見性成仏」とは唱えられた。

435:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:25:42.63 sjnFb1a1.net
>>421
仏教では解脱が大事。
それ以外に価値は無い。

436:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:27:14.39 cIW0sfnr.net
>>423-424
おまえ、涅槃を概念だと言ってるだろ。
概念は涅槃じゃねえええええええっ
ばかかあああああああああ

437:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:27:56.60 4RG8WLU6.net
まあ、ここは会話するための場だから、議論はいいことだよ。
黙ってすわってろ、で済ませるのなら、このスレには誰も書き込まなくなるし。
見ている分には楽しいよ。ただ、節度を保ちましょうね、ということなのかな。

438:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:31:54.85 sjnFb1a1.net
>>425
概念としての涅槃と実際の涅槃は違う。
法としての涅槃、行としての涅槃。
実際には行を停止するのが涅槃だけども。
実際の涅槃はどうとも言えない。有るとか無いとかも言えない。
「涅槃」とも言えない。

439:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:33:37.24 cIW0sfnr.net
仏陀が涅槃と言ってるものを、涅槃と言わない預流果が居るわけないだろ。

440:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:34:42.09 cIW0sfnr.net
悪いこと言わんから、まず正師につけ。

441:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:36:59.50 sjnFb1a1.net
当たり前の話だと思うんだが。
「ご飯」について語っても満腹にはならない。
実際にご飯を食べて満腹になる。
「ご飯」は概念、無我、実体が無い。

442:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:37:26.27 /XK3FvWS.net
釈迦は指を指しただけ
「凡夫よあれが太陽だ」
「わかりました、太陽とは白くて流れて消えていくものですね」
「凡夫よ、それは雲だ、、」

443:神も仏も名無しさん
18/12/24 19:58:35.99 sjnFb1a1.net
やっぱり預流果に悟ってないと話が通じないかもね。
何が概念、法か、何が実際の現象、サンカーラか。
実体が無いとはどうゆうことか。
実際の現象には名前が付いてないのだが、それ名前を付け、概念として捉えて戯論を作る。
実際の涅槃という体験にも「涅槃」という名前は付いてない。概念化した瞬間、戯論にした瞬間に「涅槃」になる。
戯論、概念はもう実際の現象とは違う、別物になっている。

444:神も仏も名無しさん
18/12/24 20:07:38.29 sjnFb1a1.net
まずは法、概念、思考に対する執着を捨てないといけない。
平気な顔をしてパーリ仏典を投げ捨てられるようにならないといけない。
瞑想するのに邪魔なんだと。余計なんだと。
読むと気分が良くなるし、どうしても読みたいのだけれど。

445:神も仏も名無しさん
18/12/24 21:13:07.45 sjnFb1a1.net
もしくは禅を勉強するのもいい。
概念、思考、論理に対する執着をことごとく、ぶち壊してくれる。

446:神も仏も名無しさん
18/12/24 21:44:20.91 sjnFb1a1.net
まともな印刷技術がおそらく無かったであろう大昔の中国でさえ、
経典に対する捉われ、文字、概念に対する捉われが問題になったのに、
本やインターネットで大量の文字、概念に囲まれている現代人は、よほど気をつけないといけない。
仏法であれ、経典であれ、一切の概念、思考、理論、理屈はクソだと思ったほうがよい。
仏とは何かと問われ、乾いたクソだと答えた禅僧がいた。

447:神も仏も名無しさん
18/12/24 21:50:19.01 BnVGl5bd.net
ヒント集、あるいは悟ったら解けるクイズ集なんだよね

448:神も仏も名無しさん
18/12/24 22:01:59.99 5hSU2EXM.net
大昔なら大事な書物は
誰もが読めるものじゃないし
それ相応の縁がないと
書物に出会うことさえ稀な機会
今はなんの準備も無しに
誰でも読めるからね

449:神も仏も名無しさん
18/12/24 22:04:14.19 BnVGl5bd.net
ところで、オウムの持ってるパーリ語経典って
外に出てないの?

450:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:15:20.75 cIW0sfnr.net
>>435
それはテーラワーダ仏教とは言わないでしょう。
テーラワーダの伝統でそんなことをしたら、まず理解されないし、有益な影響も及ぼさないだろう。
奈良時代以降の日本における状況と、瞑想修行を積んだサンガが護持するパーリ三蔵経典が
伝わっている現代とでは、状況が違う。

451:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:17:33.49 cIW0sfnr.net
正法が伝わっていたい時代と場所において、人々がそれぞれに考える
想像上の仏法しかない状況であったからこそ、禅宗のスタイルがベター
であっただけのことで、もし釈尊在世時のインドに生きていたら、状況は
一変していたはず。

452:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:19:51.55 cIW0sfnr.net
いまは、京都学派のような「輪廻はない。釈迦は輪廻を否定した。」などという
仏教学が幅を利かせている時代でもない。
一応、それなりに正法が伝わる状況になってる。

453:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:22:33.48 cIW0sfnr.net
如来の十力を舐めすぎだし、如来の十力に価値を置かない預流果
なんてものが居るはずがないと思う。
阿羅漢でもないのに乗り物を捨てるという発想もナンセンス。

454:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:48:11.03 cIW0sfnr.net
>>435
あなたの悟りの内容とは、おそらく次のようなものだろう。
「輪廻は空であり、実在しない。
 同様に、過去世も実在しない。
 そもそもわたし自身が実在しない。
 そのことを悟ったわたしに、もはや来世の生存、輪廻はない。」
これは有身見から出てくる発想、つまり概念だと思いますよ。
これを考えているあなただけが、その虚無思想だけがあなたにとっての
リアルなわけですからね。
その原因は、中論にもとづく哲学的思弁の延長線上に、悟りを位置
づけたことにあるのではないですか。

455:神も仏も名無しさん
18/12/24 23:48:34.63 cIW0sfnr.net
それは断滅論です。

456:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:20:53.43 s5aW2b51.net
不断・不常の中論がなんで断滅論なんだよw

457:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:22:28.95 Yoo/3ltG.net
中論を読んで、虚無解脱する人は多いでしょ。

458:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:27:36.06 Yoo/3ltG.net
>>435の自称悟りが断滅論という話なので、
中論が断滅論かどうか、という風に論点をずらすのは適切ではないね。
中論の正統性を問題にしているわけではないので。
論点すり替え。

459:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:34:53.46 rjm0cWeR.net
意味不明 >>438
全部揃った原文は、シャム王室版、セイロン版、ビルマ版、そしてPTS版くらいじゃないか?
で、オウム独自の翻訳も、一度は書店に並んでいる。
当然、今や絶版だろうし、扱う書店も無いだろうけど。
いずれにしても、「外に出てる」とか関係なく、
訳し方の違いなだけで、それは、
正田訳とか中村訳とか水野訳とか前田訳とか片山訳とか、
或は、干潟訳とか高楠訳とか大御所含めたその他若手の南伝大蔵経版とか、
数え上げたらキリがないが、そうした各種訳出のバージョンの中の一つとしてオウム訳がある、
と思えばいい。

460:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:35:39.63 s5aW2b51.net
>>447
>>443
>その原因は、中論にもとづく哲学的思弁の延長線上に、悟りを位置
>づけたことにあるのではないですか。
と自分から言っておいて今更それはないな
論点すり替えてるのは君の方だわ

461:神も仏も名無しさん
18/12/25 00:38:00.92 s5aW2b51.net
比丘たちよ、このように説き、このように論ずる私を、一部の沙門婆羅門たちは、不実ゆえ、虚偽ゆえ、虚妄に、偽って、誹謗します。
『沙門ゴータマは虚無論者であり、存在する有情の断滅、消失、非有を説く』と。
(中部 蛇喩経)
虚無論者と言われていたのは生前の仏陀だよ

462:神も仏も名無しさん
18/12/25 01:42:38.69 8FEsC7ZC.net
>>448
オウムのってチベットじゃあないの?

463:神も仏も名無しさん
18/12/25 06:06:26.75 Yoo/3ltG.net
>>449
そっちじゃない。
思弁哲学によって悟るのではない、ということ。
仏陀が教えたのは瞑想による悟りであって、哲学で悟るなら
菩提樹のもとで座る必要はなく、哲学すればいい。
そういう意味。

464:神も仏も名無しさん
18/12/25 06:09:35.33 Yoo/3ltG.net
>>450
悟る以前、過去世はありましたか、との問いに知らないと答えたでしょう。
あなたの本当の答えは、「過去世などない」のはずです。
それは断見ですよ。

465:神も仏も名無しさん
18/12/25 06:10:56.44 Yoo/3ltG.net
ずいぶんと巧妙なエゴをお持ちのようだけど、どうしてそんなんなっちゃったのか。
論点ずらしと屁理屈が巧妙すぎる。

466:神も仏も名無しさん
18/12/25 06:11:37.43 Yoo/3ltG.net
中論を読んで考え続けることを、ヴィパッサナー瞑想とは呼ばないですよ。

467:神も仏も名無しさん
18/12/25 06:19:33.84 Yoo/3ltG.net
龍樹を読んで虚妄解脱する人は後を絶たないけど、
仏陀の説法を聞いて断見に陥る人はいないんですよ。
龍樹や大乗仏教が仏陀の説いたものより上だなんて、幻想なんです。

468:神も仏も名無しさん
18/12/25 07:29:36.72 s5aW2b51.net
>>453
そんなことは自分は言ってないし
君がレスした>>435の人のIDを追ったら禅(臨済禅か)は何度か出してるが龍樹なんて一言も出してないし
君は興奮して憶測でものを語り事実確認を怠ってるのだよ
それで中論を読んで断滅論に陥った人っているのか答えて欲しい
中論では26章で無明に覆われたものは輪廻するとちゃんと説かれているのに
中論26章
URLリンク(mixi.jp)

469:神も仏も名無しさん
18/12/25 08:18:00.72 Q3C/Fuuq.net
中論は読んだこと無いですねぇ。龍樹の悟りは信頼してますが。
過去生は知らないですよ。神通力がある訳でもないので。
過去生があったはずだとは思いますが。いずれにせよ終わったことですからどうでもいいことです。
自分はガチガチのスマナサーラファンです。あと禅も好きです。

470:神も仏も名無しさん
18/12/25 08:55:47.09 Q3C/Fuuq.net
いずれにせよ七覚支の最後は捨覚支ですからね。
預流果に悟る瞬間でも、眼耳鼻舌身意、色声香味触法に対する執着を捨てないといけない。
当然「法」に対する執着も捨てないといけない。
まぁ死ぬ気で瞑想してたら、捨てようと思わなくても捨てる事になるとは思いますが。

471:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:03:10.26 s5aW2b51.net
>>458
君が>>435の人かね?
スマは一切が虚妄などということを言ってたのかね?
>>459
日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老によると、「捨」は「感情の波が立たない」平静な心であるが、
それは「鈍感で、何も興味がない、気にしない、無関心、閉鎖的で自分の世界にだけ閉じこもっている」ということではなく、
「人々・生命のことを、(直情的に反応するのではなく)どうすれば問題解決できる(できた)かを智慧を以て見守る気持ちで観る」ことだという[4]。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)(%E4%BB%8F%E6%95%99)
だそうだ。

472:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:06:17.58 Q3C/Fuuq.net
あと「空」を「無い」と勘違いしてるみたいですね。
実在が無いという事は、何にもない虚無ではない。
一切が虚妄という事は、一切が何も無いということでもない。
因縁により生滅していることを空と呼び、有るでもなく無いでもない、人間には認識できない、という意味です。
だから常見でも断見でもない。
あらゆる見解、偏見が成り立たないというのが正見です。

473:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:09:14.82 Q3C/Fuuq.net
涅槃を経験したい者は、哲学的・宗教的教義を含め、世界へ縛るすべてのものから自分自身を解放しなければならない[4]。
Paul Fullerは、八正道の最初の一つに挙げらていれる正見は、究極的には正しい見解というよりも、
認知の型からの解放を目指していると解釈している[3]。
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E4%BB%8F%E6%95%99)
正見は不戯論と言ってもいいかもしれないですね。

474:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:09:19.56 s5aW2b51.net
>>461
それはスマではなく龍樹の言説の方に近いでしょうに

475:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:13:04.06 Q3C/Fuuq.net
>>460
スマナサーラ長老は御自身の意見を持たれない。
全てブッダの意見を紹介するだけ。
一切が虚妄とはブッダの言葉。
URLリンク(76263383.at.webry.info)
そしてその引用は慈悲喜捨の捨ですね。
七覚支の捨とは別物です。

476:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:16:49.69 Q3C/Fuuq.net
>>463
スマナサーラ長老は空を使わずに、苦を使いますが、
苦、ドゥッカには空しい、虚しいという意味もあります。
無常であるから苦、と、無常であるから空は同じ意味だと思っています。
苦だと「苦しみ」という意味が全面に出てしまいますから、
空しいという意味では空の方がいいんじゃないかと個人的には思っています。

477:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:18:26.45 s5aW2b51.net
>>464
いや、こんなことは修行の役に立�


478:スないといいながら私見ですがといって自分の意見をいいまくってるぞ毎回 それに仏陀は一神教やバラモン教はもちろん当時のバラモン教のことでさえバラモンの宗教的儀式などは批判していたけどヴェーダ聖典などは批判していない スマは批判するけどなw



479:神も仏も名無しさん
18/12/25 09:20:22.42 Q3C/Fuuq.net
>>466
最近はいろいろおっしゃいますね。
昔の説法はキレッキレで、完全に無我って感じでしたが。

480:神も仏も名無しさん
18/12/25 11:51:07.06 Yoo/3ltG.net
自称悟った名無しが何人もいて持論を展開とか、魔窟に見えて仕方が無い(苦笑
苦でいいんだよ。
空を混ぜるな、ややこしくなるから。

481:神も仏も名無しさん
18/12/25 11:51:59.02 Yoo/3ltG.net
苦は苦しいじゃなくて、苦だから。

482:神も仏も名無しさん
18/12/25 11:53:56.27 Yoo/3ltG.net
苦しいは dosa
苦は dukkha

483:神も仏も名無しさん
18/12/25 13:08:10.31 Q3C/Fuuq.net
苦、ドゥッカはいろんな意味がある。苦しみ、無常、無価値、空しい、虚しい、不満など。
仏教の全てが含まれている。
27.(新連載)なぜ苦は偉大なる真理なのか (1)私たちの知らない巨大な真理
URLリンク(www.j-theravada.net)

484:神も仏も名無しさん
18/12/25 14:54:04.33 Yoo/3ltG.net
個人的な意見としてはっきり言っておきたいことは、
禅語で如来の十力を否定するのは、テーラワーダの文脈にはそぐわないと思う。
禅語を語った坊さんたちは、自分個人は悟れるかもしれないが、如来のように
他の有情を覚らせる力を持っているわけではない。
禅語を聞いて覚るような人は、もともとそういう機根がある人。

485:神も仏も名無しさん
18/12/25 16:00:16.69 XuxrhxfH.net
英文法書をよく読んで理解することと、英語が読み書きできることは違う
言語化出来る世界ですらそうなんだ
仏典を解釈することと、瞑想が悟りに向かうこととはなおさら違うだろう

486:神も仏も名無しさん
18/12/25 16:07:49.01 Q3C/Fuuq.net
禅僧の人達も、一日中禅語を言い合っている訳ではなくて坐禅ばっかりやってる訳で。
目一杯坐禅した上で、どうにも悟りが開けない、修行が進まない、何かに引っ掛かっている。
その何かは概念上の、思想上の、頭の中にあるもので、それを師匠が外してあげるための言葉が禅語だと思いますね。
その言葉は荒々しいものだったり、常識外れだったり、仏教否定だったり、自由自在な訳です。
その言葉は結局、悟らせるため、修行を完成させるため、仏道を成就するためなんですね。

487:神も仏も名無しさん
18/12/25 17:21:31.52 XuxrhxfH.net
弟子に気づきをもたらせるもの、かな

488:神も仏も名無しさん
18/12/25 17:53:18.03 tjYvj72h.net
四念処を7年から7日間やれば悟れるとういことで、やっているのですが、なかなか難しいようですね。
7日間で悟れる人は相当選ばれた人なのでは?
皆さんも四念処やっておられるのでしょうか。

489:神も仏も名無しさん
18/12/25 17:54:47.04 tjYvj72h.net
相当ではなく、極めてといった方がいいでしょうか。
毎日途切れることなく7年間もやるのは大変ですな。
忘れる日もあります。

490:神も仏も名無しさん
18/12/25 18:19:03.76 Yoo/3ltG.net
片山一良先生の「パーリ仏典入門」の序章に、法(dhamma)の語義4つなど、
ここでいま提起されている議題に関して、まとまった記述があるのを見つけました。

491:神も仏も名無しさん
18/12/25 19:18:09.86 Q3C/Fuuq.net
>>477
まず慈悲の瞑想、アーナパーナ、数息観など、自分に合うサマタ瞑想を十分やり、
気分が良くなってから四念処をやると良いですよ。
四念処だけやるとなると精神的にキツいと思います。
四念処、ヴィパッサナーは楽しい時期、つまらない時期、苦しい時期などありますが、解脱の為には必要なものなので最後までやらなければいけない。
サマタは真剣にやれば、いつでも気分が良くなる瞑想ですから、サマタとヴィパッサナーをセットでやるのがいいと思います。
瞑想が趣味になると、やめろと言われても毎日やるようになります。

492:神も仏も名無しさん
18/12/25 19:22:30.83 rjm0cWeR.net
そう。  >>474-475
その意味で、禅語は全て、
当該人物只一人の爲にだけ有って、
彼以外の人物には、チンプンカンプン、無効な言葉なわけ。
けど、それでも、
 「参考にはなるから」、
教材として(≒公案として)提示される。
フレーズに拘れば本末転倒、
かと言って無視しても本末転倒。
たかが言語されど言語。
珍重し過ぎてもよくないが、だからと言って、くだらない戯論だと切り捨てるのも、これまた愚行、とw

493:神も仏も名無しさん
18/12/25 19:40:59.63 tjYvj72h.net
>>479
なるほど。ありがとうございます。

494:神も仏も名無しさん
18/12/25 20:08:24.13 s5aW2b51.net
インドで瞑想していた僧侶がヒョウに襲われ死亡 数週間で5人目
URLリンク(www.cnn.co.jp)
これは悲劇なんだけど仏陀の教えにはある意味忠実だったとも言えるんだよなあ
合掌

963 師(ブッダ)は答えた、
「サーリプッタよ。世を厭い、人なき所に坐臥し、さとりを欲する人が楽しむ境地および法にしたがって実践する次第を、わたくしの知り究めたところによって、そなたに説き示そう。
964 しっかりと気をつけ分限を守る聡明な修行者は、五種の恐怖におじけてはならない。すなわち襲いかかる虻と蚊と爬虫類と四足獣(獅子や虎やヒョウなど)と人間(盗賊など)に触れることである。
965 異った他の教えを奉ずる輩を恐れてはならない。─たといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。─また善を追求して、他の諸々の危難にうち勝て。
966 病いにかかり、餓えに襲われても、また寒冷や酷暑をも耐え忍ぶべきである。かの<家なま人>は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固に努力をなすべきである。

495:神も仏も名無しさん
18/12/25 20:52:49.70 Q3C/Fuuq.net
出家はいつでも死ねる覚悟が無いとダメなんだよね。
在家は安全かというとそうでもなく、誰でもいつでも病気や事故で、簡単に死ぬ可能性はある訳で。
生きること自体、苦しみと危険に満ちてるって事だろうなぁ。

496:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:00:24.81 8iWH+9Rn.net
覚悟なんて無くても
外でものごいして
行脚して生きてたら
怪我や病気で簡単に死ぬから
並外れて丈夫な身体も重要だよ

497:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:01:47.54 5OdDomqQ.net
鳥にはみんな怯えないってことか

498:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:11:25.27 rjm0cWeR.net
>>484
そうじゃなくて、
 たとえ一秒後に死んでも、 「後悔がない」「し残したことがない」 境地でいなさい
ってことだろ。(その中本質で言えば、出家も在家も変わらない)

499:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:12:35.66 rjm0cWeR.net
× >ってことだろ。(その中本質で言えば、出家も在家も変わらない)
○ >ってことだろ。(その本質で言えば、出家も在家も変わらない)

500:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:18:53.74 5OdDomqQ.net
「死んでも死なない生命を生きなさい」
という内山老師の声が聞こえた気がする

501:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:36:04.83 Yoo/3ltG.net
>>457-458
断見の虚妄解脱は言い過ぎました。
ごめんなさい。
あと、人違いした方の方も失礼しました。

502:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:44:47.90 5OdDomqQ.net
不二いのち〈純粋自己の畢竟帰〉
平成九年三月二十九日 内山 興正
 
老い最後
生死一つのいのち知る
生と死でなく
生死一つの
 
光暗
一つの蒼空深き如
生死一つの
いのちの深き
 
いま出会う
深きいのちを拝みつつ
拝む深さで
いのち深さ行く
 
分け別ける
思い手放しただ拝む
不二のいのちの
いのちのままに
URLリンク(youtu.be)
すごいよね

503:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:47:37.35 Q3C/Fuuq.net
>>489
気にしなくてもいいですよ。たかが匿名掲示板での話ですから。
むしろ、いろいろ勉強になったので良かったと思ってます。

504:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:52:45.06 Q3C/Fuuq.net
>>490
どうかね。
まだ命があるの?
まだ生死があるの?
って思っちゃうけどね。

505:神も仏も名無しさん
18/12/25 21:55:31.45 s5aW2b51.net
>>489
興奮していたのは俺のほうだった
こちらこそごめんなさい

506:神も仏も名無しさん
18/12/25 22:16:06.93 5OdDomqQ.net
怖れないということと、殺されろということは違うんじゃないかなぁ
続く言葉が「諸々の危機に打ち勝て」なのだし
ムツゴロウさんはライオンに頭をまるっと噛まれた時に
頭をライオンの中にぐっと突っ込んだという
ライオンもオエッってなるよねw
それは怖ればかりの中では出来ない
>>492
「死からみた生」は生死一つなんだ、と言ってるんよ
言えないって

507:神も仏も名無しさん
18/12/25 23:22:09.49 HZG28ZMB.net
490.バカ丸出し、である。大爆笑である。

508:神も仏も名無しさん
18/12/26 00:05:26.15 e827gaoF.net
>>495
名前にポッタン師忘れてるぞ

509:神も仏も名無しさん
18/12/26 10:26:25.07 pz+TS4oF.net
一回瞑想会行こうと思うのですが
ドネーションはいくらぐらいが適正でしょうか?

510:神も仏も名無しさん
18/12/26 11:25:37.82 9Bw2GIPz.net
「生死もみないつわりの世の中に 誠というもなにあらばこそ」 一休
生死もみな虚妄である世の中で、真実というものがあるはずがない。
無明が無くなれば生死は無くなる。生死は本来空。幻想。

511:神も仏も名無しさん
18/12/27 20:20:45.50 yoBj8VkD.net
禅宗もいいですね。

512:神も仏も名無しさん
18/12/27 21:34:09.27 +cXn5CgX.net
>>497
適性かどうかは時と場合によるのでしょうけど、
自分の場合、毎回1000円~任意ぐらいです。

513:神も仏も名無しさん
18/12/28 02:22:05.47 3Z84GhyC.net
>>500
有難うございます

514:神も仏も名無しさん
18/12/28 15:30:10.50 Hrisfrq9.net
山頭火の酔度「ほとへ」
 URLリンク(onyanko.mkosugi.com)

515:神も仏も名無しさん
18/12/28 17:44:59.48 ntWAHvSE.net
涅槃と無心になることとは違うのでしょうか?
何も思考しない、何もしようとしない、というのとは違うのかな。

516:神も仏も名無しさん
18/12/29 08:28:18.26 92hxkl81.net
涅槃に達するためには渇愛を無くせ
URLリンク(ja.wikipedia.org)

517:神も仏も名無しさん
18/12/29 11:09:33.01 sNlySlnI.net
涅槃は「無我」だけど、
何もしない「我」なら、涅槃とは違うのかな。
無我についても、四諦の悟りレベルの無我と、五蓋が鎮伏された時に
欲界レベルの自我(肉体次元の我、普段の自我意識)が一時的に消え
てしまうのとでは、おそらく全然違うのだろうとも思う。

518:神も仏も名無しさん
18/12/29 11:10:23.14 sNlySlnI.net
欲界の我が活動停止してても、それを見ている意識はあるからね。

519:神も仏も名無しさん
18/12/29 11:15:04.58 mfgFyHBY.net
涅槃を知覚するのは五蘊なのかどうかだな

520:神も仏も名無しさん
18/12/29 11:22:26.57 q5UALzDH.net
僕の場合ですが、思考を止めても、生きている、という実感は残ります。
涅槃に至ると、その実感さえなくなるのでしょうか?
その実感は、心臓が動いている、体の細胞が新陳代謝している、と言ってもいいと思います。

521:ポッタン師
18/12/29 13:17:17.18 JS2DF5FH.net
508.バカ丸出し、である。大爆笑である。

522:神も仏も名無しさん
18/12/29 14:05:54.68 q5UALzDH.net
>>509
なぜカルマを増やすようなことをするのですか?
怖くないのですか?
死ぬとき後悔しますよ。

523:神も仏も名無しさん
18/12/29 14:47:32.22 5Pu3Qfdz.net
>>503
この図の「涅槃」と「如実知見」の違いにあたると思います。
URLリンク(mindfulbonpu.web.fc2.com)

524:神も仏も名無しさん
18/12/29 15:01:00.08 P1rlM1bg.net
>>511
勝義諦と世俗諦が大乗仏教のそれになってますね

525:神も仏も名無しさん
18/12/29 15:56:14.66 5Pu3Qfdz.net
>>512
テーラワーダではどう違うのですか?

526:神も仏も名無しさん
18/12/29 16:04:01.23 P1rlM1bg.net
>>513
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
こちらを参照

527:神も仏も名無しさん
18/12/29 16:41:56.08 92hxkl81.net
如実知見はテーラワーダだとヴィパッサナー?ニッパパンチャ?

528:神も仏も名無しさん
18/12/29 17:16:44.47 q5UALzDH.net
>>511
涅槃の説明で、名・色の停止、とありますが、全部ではないですよね?
全部停止する時は死んだ時だと思います。
活動が極度に弱まったと見るべきでしょうか?

529:神も仏も名無しさん
18/12/29 20:33:03.88 5Pu3Qfdz.net
>>514
スマナサーラ長老の本に下記記述があるので、テーラワーダの勝義諦と>>511の図は合っているのではないでしょうか?
URLリンク(www.hanmoto.com)
四つの勝義諦(心、心所、色、涅槃)

530:神も仏も名無しさん
18/12/29 21:04:34.88 P1rlM1bg.net
>>517
>四つの勝義諦(心、心所、色、涅槃)
>>511の図では勝義諦は無分別とあり四つに分別されるものではありません
無分別は大乗仏教の空の教えです
URLリンク(www.otani.ac.jp)

531:神も仏も名無しさん
18/12/29 21:19:02.21 5Pu3Qfdz.net
>>516
ウ・ジョーティカ師の本(について藤田一照師が解説した文章)の中に「精神的・物質的プロセスの停止、つまり涅槃」とあるので、図の内容と一致しているのではないでしょうか?

532:神も仏も名無しさん
18/12/29 22:33:50.27 5Pu3Qfdz.net
>>518
魚川祐司氏の「仏教思想のゼロポイント」に下記の記述があり、「涅槃」と分別の無い「世間諦」が「勝義」とされています。
間接的ですが、>>511の「無分別」が勝義となるのでは?
---以下引用---
 例えば、テーラワーダ仏教の教理では、勝義(paramattha)の物事、つまり真実(truth)・現実(reality)として、四つのカテゴリーを認めている。
即ち、心(citta)、心所(cetasika)、色(rupa)、そして涅槃(nibb?na)である(9)。
 このうち、心と心所と色は世間諦(loka-sacca)と呼ばれ、涅槃は出世間諦(lokuttara-sacca)と呼ばれる。
(略)
世間諦の三つが形成する現象を、私たちは如実に知見することができずに概念(pannatti)や分別の相(papanca,本書の用語で言えば「物語」)を作り出すのだが、そのうち、人々が「正しい」と慣習的に合意しているものが、「世俗諦」と称されるということである。
(略)
テーラワーダの教理に即して言えば、心・心所・色・涅槃を勝義であるとするのだから、世間諦と出世間諦の二層が「本来性」に当たることになり、世俗諦の通用する「物語の世界」の層は、それに対する「現実性」であるということになるだろう。
---以上引用---

533:神も仏も名無しさん
18/12/29 23:12:06.66 P1rlM1bg.net
>>520
引用されたゼロポイントの文章を読ませて頂きましたが
「涅槃」と分別の無い「世間諦」が「勝義」とされています。
とは書いてないですよ
勝義諦のうち世間諦の三つ(心、心所、色)によって【形成される現象】を概念化して分別した結果、世俗において正しいと認められているものを世俗諦とする、ということが書いてあります。
【形成される現象】のことを施設と言います
勝義諦の心、心所、色も言葉であり、心所にある52の法も言葉で示されていますが、世俗諦との違いは施設ではなく自性(本性)があり、それ以上は分別できないところまで分別されているところです
ですから勝義なわけです

大乗仏教ではそれらの法にも自性はなく空であるので(一切皆空)最初から分別できない、でもそれでは
一〇 世俗の表現に依存しないでは、究極の真理を説くことはできない。究極の真理に到達しないならば、ニルヴァーナを体得することはできない。 (中論24章)
ということで、空即是色(空即是受、空即是想、空即是行、空即是識)として概念を分別させて世俗諦とします
テーラワーダでは法には自性があるので我空法有
大乗仏教では法は無自性なので我空法空
この違いがあります
自性がある法は分別されたものです
ですから>>511の勝義のところに無分別とあるのはテーラワーダの教えではなく大乗仏教の教えというわけです

534:神も仏も名無しさん
18/12/29 23:20:04.98 P1rlM1bg.net
>>521
補足として
「般若心経は間違い?」という本を読んで、スマナサーラという御方は大変頭が良いと思いました。この本以外に般若心経が間違ってるという本・論文が御座いましたら教えて頂きたいのですが。
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
このベストアンサーの方の回答は理解するのの手助けになるかもしれません
特に
2.「色即是空」は正しいが、「空即是色」は正しいとは言えない。
の回答が
ちなみに
3.釈尊の教法の五蘊・十二処・十八界、十二因縁・四聖諦などを否定する。
これは回答者は「智慧の完成の段階に来た時は、それらからも離れなさいと説かれています」という説明をされていますが、阿含経でも筏の例えとして有名な説話となっています

535:神も仏も名無しさん
18/12/30 00:04:28.99 +ACrhCcT.net
 
>>522
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
スッタニパータ 21
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが
激流を克服して
すでに渡りおわり、彼岸に到着している
もはや筏の必要はない
  _  _  _
仮設としての
無明を手放し滅し終わっているのなら
苦集滅道の必要はない
それゆえに
無苦集滅道なので
バラモンの神々よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ
たとえ雨の中に飲み込まれたとしても
もう妄想の渦の中に巻き込まれることはない

536:神も仏も名無しさん
18/12/30 00:07:57.16 satqZRHL.net
>>516
>>519の参照URLを付け忘れました。
こちらです。
URLリンク(www.shincho-live.jp)

537:神も仏も名無しさん
18/12/30 07:20:41.57 emzwY8u2.net
空即是色は完全に間違いだろ
色は物質だからね、名前が付いてないとかそういう話じゃなくて
空である、空性があること、それすなわち物質である、は意味がメチャクチャだろ

538:神も仏も名無しさん
18/12/30 07:30:09.63 emzwY8u2.net
智慧を完成した修行者は、五蘊、十二因縁、四聖諦という概念が空、無我であることを知っているのであって、
それらを無と否定した時点でそれらに捉われていることになる
正しく言うなら、五蘊は空、無明が無ければ十二処は無い、四聖諦は無我だね
空と無と法と行と無我と無常と、般若心経はいろいろ勘違いしてる
全部一緒くたにして無だ空だと言えばいいってもんではない

539:神も仏も名無しさん
18/12/30 08:27:44.96 satqZRHL.net
>>505
>>511の図でいうと、下記対応になると思います。
> 何もしない「我」
→「止(サマタ)」「禅定(サマーディ)」に対応
> 四諦の悟りレベルの無我
→「如実知見」に対応
> 五蓋が鎮伏された時に欲界レベルの自我(肉体次元の我、普段の自我意識)が一時的に消える状態
→「止(サマタ)」「禅定(サマーディ)」に対応

540:神も仏も名無しさん
18/12/30 08:55:56.66 ezlS1BdA.net
>>525
一八 どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く。それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である。
一九 なんであろうと縁起して起こったものではないものは存在しないから、いかなる不空なるものも存在しない。
二〇 もしもこの一切のものが空でないならば、【何ものかの】生起することも無いし、消滅することも無いであろう。【そうして】汝にとっては四つの真理(四聖諦)が存在しないということになるであろう。
中論24章
URLリンク(mixi.jp)
これが理解できれば空即是色はすんなり理解できると思うよ
>>526
>智慧を完成した修行者は、五蘊、十二因縁、四聖諦という概念が空、無我であることを知っているのであって、
般若波羅蜜とは智慧を完成させる修行、般若波羅蜜多とは智慧の完成のことです

541:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:05:42.47 emzwY8u2.net
龍樹は縁起により生滅する色は空だと言っている
空、空なるものは縁起により生滅する色だとは言ってない
どうやら般若心経の著者は般若波羅蜜を行じても智慧が完成してないみたいで

542:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:21:09.75 emzwY8u2.net
色は空
受は空
空は色
空は受
なら色は受か
物質は感覚である、意味不明です
ブッダの五蘊説の否定になります
正しくは五蘊は無常である、無常であるものは空である、でしょうね
パーリ経典でもそうなってるでしょう、五蘊は無常である、苦である、無我である、このように観る人に智慧が生まれると

543:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:29:10.29 PscY8ihh.net
空即是色の「即是」は、中国語の文法規則で「イコール」を表しているわけ
ではなく、そのことを知っていれば間違いではない、という話も聞きました。
色即是空
空即是色
色受想行識亦復如是
つまり、
五蘊は空である。
空であるものとは五蘊である。
五蘊・十二処・十八界、十二因縁・四聖諦を、空というひと言に要約
したということでしょうかね。
まぁ、純テラワダ的にやっていく分には余計な知識かも知れませんが。

544:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:32:20.27 PscY8ihh.net
テーラワーダを説一切有部と混同して、龍樹を援用して叩くのも適当ではないが
漢訳大乗経典をよく研究しないうちに、全部間違いと切り捨てるのも適当ではない
のではないかなぁ。
専門外なら専門外で分からない。ノータッチと割り切る方が賢いかも知れん。

545:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:33:46.73 PscY8ihh.net
>>530
般若心経を書いた人も、信奉している人々も、さすがにそこまでアホじゃないですよ。
われわれテラワダが、大乗仏教徒が考えているほどアホじゃないのと同じぐらいには
そこそこの知能はあります。

546:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:36:26.26 PscY8ihh.net
無明がなければ十二処がない、ってどういうことなんでしょうか。
釈迦牟尼の十二処はどうなっているのですか。

547:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:37:37.14 ZtDlhR/G.net
空即是色という逆の視点
あらゆるものは空であり自性がない。それが色即是空。
しかしこれを逆に考えると、自性がないからこそ世界にはあらゆる姿をした物体が存在できているとみることができる。
もし固定的なものが存在していたら、それは変化をしないものとなってしまうからだ。
しかし世の中にそのようなものはない。
すべてのものが「変化する」という理のなかにある。
だからこそ、あらゆるものが生まれることができる。
固定的なものがないからこそ、あらゆる存在は流動的に変化をして、その結果万物として存在することができる。
つまり、存在には自性のような固定性はないが、固定性がないからこそ万物に姿を変えて生まれ変わることができる柔軟性を持っているのである。
これが空即是色の視点。
空だからこそ、物体が存在することができるのである。
とあるHPから抜粋してみました。私は未熟なのでよくわかりません。

548:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:41:10.92 emzwY8u2.net
最後に謎の呪文で締めくくるんだからやっぱりアホでしょう

549:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:45:28.42 emzwY8u2.net
無明が無くなれば行が無くなる
行が無くなれば識が無くなる
識が無くなれば六処が無くなる
要するに眼耳鼻舌身意を通して対象を認識する事、認識しようとする意志、衝動が無くなる

550:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:46:30.56 PscY8ihh.net
ギャーテーギャーテーは、サンスクリット語で意味があるらしいよ。
(彼岸に)到達しよう、到達しよう、みたいな意味らしい。
もともとは呪文じゃなくて、言語の原意を音写しただけとか、そんなところなのでは。

551:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:47:40.97 PscY8ihh.net
>>537
お釈迦さまは、目も見えていたはずだし、耳も聞こえていたはずだと思うのですが
六処がなくなるということとの整合性は、どうにか説明がつくのですか?

552:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:50:14.29 PscY8ihh.net
お釈迦さまが(今回のサーサナで)人間に向けて説いた仏教が、まあ最強の如是だとは思うのだけど
菩薩方が天人(天神)や菩薩志願者、あるいは生天を希望する凡夫衆などに説いた方便ってのも
やはりあるし、それも一応仏教ってことでしょう。

553:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:51:58.36 emzwY8u2.net
>>539
完全に無明が無くなるのは涅槃の話
阿羅漢の六処は無始なる過去からの無明の結果
いわば時間差、惰性、業の残りカス

554:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:52:29.18 PscY8ihh.net
右翼と左翼もそうだけど、いがみ合うのはだいたい下っ端同士なんよ。

555:神も仏も名無しさん
18/12/30 09:55:15.93 PscY8ihh.net
>>541
涅槃は概念だと言っていた方ですか?
涅槃という概念は概念、ではなくて、涅槃が概念で間違いありませんね?

556:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:00:19.67 emzwY8u2.net
>>543
「涅槃」は概念
無明を滅ぼすのが実際の涅槃
概念と実物は違う
概念には実体がない
実物には名前がない
「涅槃」という概念に実体がある訳ではない
実際の涅槃には「涅槃」という名前はついてない

557:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:05:28.31 emzwY8u2.net
人間の思考は全て概念を使う
ありがたい概念を法と言い、つまらない概念を妄想と言う
どっちにしろ実践、実行が無いならただの概念

558:神も仏も名無しさん
18/12/30 10:08:48.75 ezlS1BdA.net
>>520
>>530を読めば無分別がテーラワーダの勝義ではないことがよく分かるでしょう
>>530は実に良い例を出してくれました
>>530
色は受
ではありません
色も受も勝義では空であり分別できない、そういうことです
>>529
大智度論巻第十九で言ってます
URLリンク(www.geocities.jp)
あと>>528を理解できるまで読みましょう
色即是空空即是色と同じことを言ってますので


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