18/12/13 16:12:20.05 0B0vsl/n.net
山岡鉄舟居士は若い頃、ボロ鉄とあだ名されるほど貧乏だった。
家に畳は一枚しかなく、奥さんは着物が一枚しか無かった。
剣と禅の修行に明け暮れていたので食べるものがなく、庭に植えたミョウガを食べて飢えをしのいだ。
在家がどんなに頑張っても、托鉢する出家よりは贅沢になってしまう。
その出家でも悟りに達するものは少ないのだから、在家は本当に考えないといけない。
死ぬか、悟るか。現代日本で飢え死にすることはまず無い。それはある意味不幸だ。
在家でもいつでも死ぬ可能性がある、死が身近に感じられる環境を作るといい。