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テーラワーダにおける自性とは
パーリ仏典において、一般的に最初期であると考えられている文章の中に、自性は出てこない。
後期のミリンダ王の問いに出てきて、そこでは「(心の)状態」「真実の性質」という意味で使われる。
アビダンマにおいては、最小単位の、縁起による、瞬間的な現象と、一般的に作られた物体を区別する為に使われる。
したがって、視覚、触覚の連続により、一般的に「テーブル」と呼ばれるものが心の中で作られるが、
それら構成要素の向こうに、「テーブル」という実在(自性)は無い。
ピーターハービーによると、テーラワーダのアビダンマにおける自性は、条件的で、相互依存するものである。
「法は自性、独自の性質を維持し、条件によって、またその独自の性質によって維持される。(Asl.39)
ここでいう独自の性質とは、その法に固有の特別な性質ではなく、直前に生じた法と、その法を支える条件によって生じるものである。
大乗仏教が批判する説一切有部の自性と、テーラワーダのそれとはおおよそ無関係であることは重要である。」
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