【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15 - 暇つぶし2ch185:神も仏も名無しさん
18/12/18 12:52:28.38 /+AGXll+.net
禅の方では趙州無字の公案があります。
犬に仏性はあるか?の問いに、趙州和尚は有ると言ったり、無いと言ったりする。
その意味を求めて死ぬほど坐禅する訳ですが、犬も本来は空、仏も空だから有るも間違い、無いも間違いな訳です。
この場合空は、存在としての、常住としての有るではないし、何もない虚無の無でも無い。
真理は言葉では言い表わせないのだから、究極的には有も無も空も間違いであるが、
不完全な言葉という道具を使うにはそうとしか表現しようがない。
サンユッタニカーヤでも、ブッダは阿羅漢も「わたし」という表現を使ってもよいとおっしゃった。
「わたし」という自我意識を持たない阿羅漢でも、言語表現として、仮の表現として、「わたし」を使わなければ喋れない。
言語は人間の認識によって成り立っていて、認識は「有る」ということが前提なのだから、有、無から離れることは出来ない。
であるから、黄檗禅師は臨済禅師に「仏法の一番大事なところは何ですか?」と聞かれて、ただ殴った。
痛みの感覚、言語を超えた感覚にこそ仏法はあるのだよ、との教えだが、臨済には最初、何の事だか分からなかった。
瞑想して、眼耳鼻舌身意の感覚を観察してみれば、瞬間にでも有るとか無いとか言えない事が分かると思います。
黙っているしかない。しかし説明する場合は何かを言わなければいけない。この事も一切皆苦に含まれるでしょうね。


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch