【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践15 - 暇つぶし2ch100:神も仏も名無しさん
18/12/15 22:15:10.60 +sfHtEob.net
>>83
>本当のものなんか無い、という事が分かれば疑が無くなる。
これ、どういう意味?

101:神も仏も名無しさん
18/12/15 22:16:23.70 +sfHtEob.net
>>94
輪廻転生ってありますか?

102:神も仏も名無しさん
18/12/15 22:22:29.86 9zO+BMBM.net
>>95
何かの意味を追いかけても現実は一瞬しか無いのだから捉えられない。
無常だから、そこには実際に存在がある訳じゃない。無我。
無我を理解すれば有身見が無くなる。疑が無くなる。
無我を理解すれば輪廻は止む。我、実在、実体、存在を妄想すれば輪廻する。

103:神も仏も名無しさん
18/12/15 22:24:20.85 +sfHtEob.net
>>97
涅槃はどこにあるって言いましたっけか?

104:神も仏も名無しさん
18/12/15 22:26:15.69 9zO+BMBM.net
貪瞋痴が無くなったところ。戯論の無くなったところ。

105:神も仏も名無しさん
18/12/15 22:28:36.99 9zO+BMBM.net
変化し続ける六根と六境に対して、喜ばず、嫌わず、それに対して妄想しないでいるところが涅槃。

106:神も仏も名無しさん
18/12/15 22:31:15.83 +sfHtEob.net
>>97
輪廻が止む以前、過去世の生存はありましたか?

107:神も仏も名無しさん
18/12/15 22:36:05.86 9zO+BMBM.net
>>101
知らない。

108:神も仏も名無しさん
18/12/15 22:46:26.93 9zO+BMBM.net
洞山禅師は、仏とは何かと聞かれて、麻三斤と答えた。
諸法無我、ブッダも無我、が分からないとこうは言えない。

109:神も仏も名無しさん
18/12/16 00:43:36.40 2tkmyDGi.net
般若心経とか中論とか読むと大乗と小乗の違いは大きな船と小さな船とか衆生を救うとか救わないとかじゃなくて、
法(存在)の実在を認めるか認めないか、法の自性を認めるか認めないか、ということになると思う。
小乗は部派仏教と呼ばれるものでテーラワーダももちろん含んでいるけど法の実在も自性も認めている。
一方の大乗は法は空であり実体はなく無自性であるとする。般若心経ではそのことがわかりやすく解説されている。

110:神も仏も名無しさん
18/12/16 07:49:56.47 oKvwB8pS.net
謎の単語自性(svabhāva)はブッダは使ってない。初期の経典には無く、ミリンダ王の問いに出てくる。
URLリンク(en.wikipedia.org)
ブッダの教えに忠実である事を守る立場、テーラワーダもしくはスマナサーラ長老からは、
法無我、自性などの概念を作って議論してはならない、実践を重視しなければいけない。ということのようです。
URLリンク(www.j-theravada.net)

111:神も仏も名無しさん
18/12/16 08:10:55


112:.59 ID:v9Svf66/.net



113:神も仏も名無しさん
18/12/16 08:14:35.45 n2c7EFl3.net
>>104
私の感じるところではどちらも正しいということのようです。
どちらも真実を秘めていると思う。でもどちらかは、片方も含めていると思う。
相対性理論が、古典力学を含めているようなもの。でも、古典力学は相対性理論を含まないけれど。

114:神も仏も名無しさん
18/12/16 08:26:25.47 oKvwB8pS.net
まず説一切有部が自性という単語を使い始めたんでしょう。
それに対して龍樹は乗っかってしまった。議論してしまった。
自性なんてないよと。それは龍樹の間違い。
ブッダに「自性とは何ですか」と聞けば、「そんなものは知らない」で終了です。

115:神も仏も名無しさん
18/12/16 08:52:58.20 C2N493qj.net
>>108
説一切有部の自性(実体のこと)は三世に渡って実有である論
経量部やテーラワーダの自性は現在のみある論
大乗仏教の自性なんて最初からないよ自性があるというから戯論が生じるんだよ論
あなたの立場に立てば自性というものを言い出した人たちがドグマを作り出したということになる

116:神も仏も名無しさん
18/12/16 09:53:12.11 4KZXJQ8o.net
般若心経では色は空とか
是諸法空相と出てくるけど
法そのものが空なんて書かれてないよ

117:神も仏も名無しさん
18/12/16 10:11:09.62 n2c7EFl3.net
本来は私というものはない。感覚器官に対象が触れることによって、
さらにその感覚を無自覚に暴走させることによって、私という実感が生まれる。
多くの人は感覚器官が作用するままに生きているている。だから私があると感じる。

118:神も仏も名無しさん
18/12/16 10:14:31.77 4KZXJQ8o.net
>>106
に出てくる文章内だけならテーラワーダでも特に否定しないだろうけど
涅槃と輪廻に違いは無いとか言い出すとちょっと待ちなさいよってなるんじゃない

119:神も仏も名無しさん
18/12/16 10:49:30.76 HqoUqeZL.net
色声香味触法の法が無我だってことを言ってたの?
当たり前でしょ(苦笑

120:神も仏も名無しさん
18/12/16 10:51:36.64 HqoUqeZL.net
最初っからそう言われてるのに、何を力んで躍起になってるのか意味が分からない。

121:神も仏も名無しさん
18/12/16 10:54:00.34 DlzvJXUR.net
スポーツや音楽などである程度の段階に進むと「脱力」という要素が絡んでくることが多いのですが、
この脱力って瞑想に近くないですか?
サティ状態にならないと本当の脱力にはたどり着けないし、逆もそうだと思います
みなさんどう思われますか?自分はピアノと柔軟体操でそう思うようになったのですが

122:神も仏も名無しさん
18/12/16 11:01:06.76 HqoUqeZL.net
完全にリラックスした状態と、完全に集中した状態は同じですね。
でも、世俗に身を置いて日常生活のなかでその状態に達し、
なおかつ維持するまでに至るには、相当の修練が必要だと思います。
どんな技能・学識の習得でもそうですが、一日でも練習・学習を休む
ようなら、趣味レベルを越えて習得の見込みはないと思われます。

123:神も仏も名無しさん
18/12/16 11:09:14.10 HqoUqeZL.net
大乗仏教をやってる人が、テーラワーダ仏教をやってる人より上だとか
優れているとか、そういうことは全然ない。
それは完全に誤解、錯覚、勘違い。
言葉を尽くして説明しなきゃならないのは、冥想ができない=智慧がない証拠。
龍樹を読んで得意になってる類は、むしろ劣等。
エックハルト・トールも、クリシュナナンダも同じ。
冥想できる人はそんな本読まない。

124:神も仏も名無しさん
18/12/16 11:13:23.34 z5nUcOOp.net
自分が納得できればそれでいい
と思うね
一つのやり方に帰依したいなら
出家して師について
それだけに専念する環境に
身を置いたらいい
私なら
自分の生き方のなかで
その時その時に
自分が納得できる生き方を通して
自分自身を知っていく
ようなやり方だ
誰にとっても正しい
誰にとっても間違ってる
なんてことはないと思うね
私にとっての正しいか間違いかだけだ
自分の生き方を全うしたいね

125:神も仏も名無しさん
18/12/16 11:22:05.22 IqIAxfJZ.net
>>113
テーラワーダの論書「アビダンマッタサンガハ」によると当たり前というわけでもないですよ。
URLリンク(liberi.jp)
↑の3ページをご覧ください。
>第一義法(勝義法)Paramattha dhamma 自性が変わることが無い法
>1. 心 89 Citta 所縁を知る
>2. 心所 52 Cetasika 心に依存して心を飾る
>3. 色 28 Rþpa 寒暖などの反対の現象によってはっきりと分かるように変化する*
>4. 涅槃 Nibbæna 全ての苦が滅した、欲貪などの十種の火が消えた、渇愛から自由になった、本当の幸せ
>*色(物質)以外の法も変化するが色(物質)ほどはっきり見ることができない。
>第一義諦 Paramattha sacca では人、男、女は存在せず名(心・心所)、色だけが真理だが一方、
>世間(世俗)諦 lokiya sacca は世間一般に認められている真理なので人、男、女などは存在すると言っても良い。
>名前や概念などを施設と呼ぶが第八章の終わりに詳しく述べてある。
これらテーラワーダでは自性がある、真理であるといわれている法(事物)を
大乗仏教では無自性である、空である、と説いているわけです。
言い換えれば、テーラワーダでは不変・不滅の法が存在する、
大乗仏教では諸々の法はどこまでも空であるとしているわけです。
どちらが正しいかなどということは私自身の存ずるところではありませんが・・・。

126:神も仏も名無しさん
18/12/16 12:29:58.13 HqoUqeZL.net
仏陀と龍樹だったら、仏陀の説を採ります。

127:神も仏も名無しさん
18/12/16 12:52:39.07 IqIAxfJZ.net
>>120
その仏陀の説は法に自性がある?ない?どちらなのでしょう?

128:神も仏も名無しさん
18/12/16 13:10:59.42 IqIAxfJZ.net
>>117
もう一つ質問させて頂きます。
唯識瑜伽派の人達は瑜伽派と言われるだけあって瞑想を重要視し瞑想によって末那識や阿頼耶識を見つけたとされています。
しかしスマナサーラさんは阿頼耶識などない、愛尽大経でサーティ比丘が輪廻の主体を識として仏陀から叱責されましたが唯識ではそれと同じ過ちをしている、と批判しました。
さて、唯識瑜伽派の人達は正しい瞑想が出来てなかったのでしょうか?

129:神も仏も名無しさん
18/12/16 13:15:10.91 HqoUqeZL.net
ご質問にお答えできる立場でもないので、自分自身の解釈における理解ですが、
そうした矛盾や対立は、言語化、概念化した時に生じるものだと思います。

130:神も仏も名無しさん
18/12/16 13:16:13.62 HqoUqeZL.net
大乗仏教を否定しているのではなく、大乗仏教の概念で
テーラワーダを貶す姿勢には断固反対します。
大乗仏教を排撃する気は毛頭ありません。
あしからず。

131:学術
18/12/16 13:18:40.54 hxdVpiO6.net
説法の効果がよく練られていて、いいものですよね。

132:神も仏も名無しさん
18/12/16 13:32:15.23 IqIAxfJZ.net
>>123
>そうした矛盾や対立は、言語化、概念化した時に生じるものだと思います。
これは龍樹と同じことを言ってると思いますよ。
テーラワーダ含む部派仏教は我空法有として有とする法を言語化して仕分けしていますからね。

133:神も仏も名無しさん
18/12/16 13:38:11.36 HqoUqeZL.net
>>126
三蔵経典全体を通して、言語表現の対象を定義してあるから
その文脈のなかでは不都合は生じないのだと思いますよ。
別の言語体系にぶち込むから不都合がでるだけじゃないかな。

134:神も仏も名無しさん
18/12/16 13:43:21.51 HqoUqeZL.net
名色でも五蘊でも十二処、十八界でもいいけれども
それらは無常であり、苦であり、無我である。
それらは縁起に依って生滅を繰り返している。
これに含まれないのが涅槃。
四諦のひと言に要約されるけれども、そこに自性の有無という
問題意識が入り込む余地があるんですかね。そもそも。

135:神も仏も名無しさん
18/12/16 14:35:11.68 muEo8aYP.net
>>122
>しかしスマナサーラさんは阿頼耶識などない、愛尽大経でサーティ比丘が輪廻の主体を識として仏陀から
叱責されましたが唯識ではそれと同じ過ちをしている、と批判しました。
スマナサーラは、口先ではさも分かっているような批判を言うだろ?
何年か付き合ってみると分かるんだが、ルサンチマンをため込んでいるのに気付かず
テーラワーダ協会の信者に毒針を刺すような罵詈雑言を浴びせているよ。
本人は説法のつもりらしいから笑える。
阿頼耶識はあってもなくても、スマナサーラには無意識の嫌な感情を無視したり
スルーしたつもりがため込んで暴発する悪癖があるね。

136:神も仏も名無しさん
18/12/16 15:16:39.32 FDW2J1E9.net
人間の過去生のカルマが溜まってる場所あると思うよ。それを、阿頼耶識と言うのか、
アカシックレコードと言うのか分からないけど。ヴィパッサナーじゃない他の瞑想
方法で分かる。それをテーラワーダはやらないだけなのか、やってて知ってて言わないのか
判断しかねる。

137:神も仏も名無しさん
18/12/16 15:22:15.74 FDW2J1E9.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)アカシックレコード
妄想たくましくさせたらすいません。

138:神も仏も名無しさん
18/12/16 15:24:32.41 n2c7EFl3.net
自分を観察してみると、私という実感はないんだけど、何かの実感はあるんだよな。
これを真我というのかどうか分からないけれど、真我が存在すると言う人の立場も分かる気がする。
たぶん、脳と体が作り出した何かだと思っているんだけど。つまり生きているという実感かな。感受と脳の電気信号だと思う。

139:神も仏も名無しさん
18/12/16 15:33:03.72 n2c7EFl3.net
宇宙は何もないのではなく、何かがある、といいます。
このことは人間にも適用できると思います。

140:神も仏も名無しさん
18/12/16 15:50:43.60 IqIAxfJZ.net
>>127
龍樹は出家してすぐに小乗仏教(部派仏教)の三蔵を90日で読破し、
またその後インド中を遍歴し仏教、非仏教の者達と対論しこれを打ち破った。
というのが一般的な龍樹伝ですので言語自体の壁も言語体系自体の壁もなかったと思いますよ。
>>128
>四諦のひと言に要約されるけれども、そこに自性の有無という
>問題意識が入り込む余地があるんですかね。そもそも。
ではなぜテーラワーダ含む部派仏教の僧侶は自性としての法があるということにこだわったのでしょうか?
あるいは、もしこだわったというのに引っかかるのなら、なぜ法には自性があるとわざわざ論書に何度も書き入れているのでしょうか?
>>129
スマナサーラさんの般若心経批判の本は般若心経をこきおろすのに悪ふざけが過ぎているような印象を受けました。
彼の阿頼耶識批判もその本の中に書いてあったことです。

141:神も仏も名無しさん
18/12/16 16:39:42.96 oKvwB8pS.net
ブッダは自性という言葉は使わず、諸法は無我とだけ説いた。
清浄道論も本来は余計。説一切有部に反論するために書かれた。
ブッダはただ業とだけ説いた。阿頼耶識は説いてない。
唯識は、どうしても識を実体化して考えたい、妄想の産物。
識蘊が無我であることが分からない証拠。瞑想が足りない証拠。

142:神も仏も名無しさん
18/12/16 16:49:25.29 2ed/WrOt.net
>>128
その四諦において自性つまり実体のあるなしが問題になったんですね
中論24章.四つのすぐれた真理(四諦)の考察
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
時間に余裕があったら一読してみると良いかもしれません

143:神も仏も名無しさん
18/12/16 17:02:28.49 2ed/WrOt.net
>>135
無我というから実体のあるなしが問題になるのです
中村元先生のように非我を使えばその混乱はなくなります
ちなみに中論も中論というタイトルに相応しく無我よりも非我の方に近い立場をとっています
というよりも有我も無我も非我も言葉による虚妄分別というのが龍樹のスタンスかな
URLリンク(mixi.jp)

144:神も仏も名無しさん
18/12/16 17:07:00.46 oKvwB8pS.net
実体という意味なら無い、存在しないです。無我です。
ただ自性という言葉は、定義があいまいなまま使われていて、それぞれの立場で意味が違う。
なので使ってはいけない。議論してはいけない。瞑想して無我を悟らなければいけない。
ブッダが説いたのは諸法無我。人間の思考、概念には実体は無いということです。

145:神も仏も名無しさん
18/12/16 19:31:35.82 oKvwB8pS.net
頭燃を払うってブッダがオリジナルだったんだな。
有身見を無くす、無我を悟るために必死に修行しなきゃいけない。
「刀が体に剌さっている場合に〔刀を抜き去る〕ように、 〔ターバンを捲いた〕頭〔髪〕に火がついている場合に〔急いで火を消そう と努める〕ように、
<自身ありという見解>を捨て去るために、 修行僧は気をつけなから遍歴すべきである。」

146:神も仏も名無しさん
18/12/16 19:42:10.95 HqoUqeZL.net
龍樹を読んでても有身見から抜け出せないより、
龍樹は知らんでも有身見から抜け出せた方がずっといい。
全然比較にならない。

147:神も仏も名無しさん
18/12/16 19:50:31.95 IqIAxfJZ.net
>>136
20偈以降が特に説得力がありますね。
>>138
その概念を含む法には実体はあるとしたのが説一切有部(五位七五法)、経量部(五位百法)、テーラワーダ(勝義法)など我空法有を主張した部派仏教です。
ちなみに自性は法の自性という使い方をした場合には曖昧さはないと思います。

こう言っているわたしですが、法に自性はあるのかどうか、
例えばテーラワーダの第一義諦である貪、瞋、痴、受、想、色、声、香、味、触などは果たしてテーラワーダが主張するようにそれ自体として成立する自性のあるものなのか、
それとも龍樹のいうようにそれらも空であり縁起の産物なのかどうかまでは分かりません。
ただ自性があるという捉え方をしているのがテーラワーダなどの部派仏教、全ては縁起であり空とするのが龍樹を始めとする大乗仏教、それが違いというのは分かります。

148:神も仏も名無しさん
18/12/16 19:52:25.51 HqoUqeZL.net
>>130
瞑想比丘の場合、やってて知ってて言わないだけっぽい。
というか、そういう話は経典にわんさかでてきますよね。
なぜか恣意的な再解釈がなされて、文学表現だとか言われるのだけど
仏説より自分の脳内フィルターの方が正しいと思ってるのが大抵。
仏教徒ですらそう。

149:神も仏も名無しさん
18/12/16 20:01:29.44 HqoUqeZL.net
テーラワーダのアビダンマのどこに自性なんて出てきますの?
名色に自性があるなんて思ってる人、言ってる人って誰かいますか?

150:神も仏も名無しさん
18/12/16 20:02:46.22 HqoUqeZL.net
>>141
すいません


151:ね、賢い方なんでしょうけど、わたしからみると ありもしない問題を妄想して「分かります」と独り合点しているように見えるのですが。



152:神も仏も名無しさん
18/12/16 20:09:15.44 HqoUqeZL.net
心 89種
心所 52種
色 28種
涅槃
どこに自性があるのか教えて下さい。涅槃ですか?
あるいは、自性があると主張しているテラワダの典籍や人物がいたら
指摘してみて下さい。
わたしはいつから「説一切有部」という奴の信者になっていたのですか。
ぜんぜん気づきませんでしたけども?

153:神も仏も名無しさん
18/12/16 20:34:07.08 oKvwB8pS.net
全ての法、概念、思考に実体が無いのを諸法無我という。
色声香味触法の法は行によって生まれ消えていく、それが諸行無常。
瞬間で生まれ消える法は虚しい、空しい、空である、苦である、それが一切皆苦。

154:神も仏も名無しさん
18/12/16 20:37:52.12 oKvwB8pS.net
そもそもこの世の中に、ひとかけらでも実体があるものがあれば、無執着は成り立たない。
一切、六根、六境、五蘊のどこを探しても、実体が無い、存在が無い、空である、苦であるからこそ無執着が成り立つ。

155:神も仏も名無しさん
18/12/16 21:10:14.16 IqIAxfJZ.net
>>143-144
>>113をご覧ください
ご覧になった上でまた感想くださいね
>>146-147
あなたも>>113を是非ご覧あそばせ

156:神も仏も名無しさん
18/12/16 21:41:27.11 IqIAxfJZ.net
>>145
>>113の他にもう一つ参考になるものを提示してみましょう。
ブッダの実践心理学 第一巻 物質の分析
勝義諦はそれ以上変化できない真実そのもの
 世俗諦の根底にある勝義諦を見る
 ウサギとライオン
勝義から見ると、ものごとは四つだけ
四つの勝義諦(心、心所、色、涅槃)
 勝義諦1:心は一つ「講義する機能」だけ
  心=認識するはたらき=生命
  たった一つで全てを知る
  一つの心が八十九種類に
 勝義諦2:心所は認識すると生まれる感情
  心所は五十二種類
心所は心に必ず溶けている
身体の感覚も心に生まれる心所
心所の四つの特色
 特色1:同起
特色2:同滅
特色3:同所縁
特色4:同基
「我」「魂」はどこにあるの?
心にも心所にも「我」も「魂」もない
心が生まれるその場所に心所も生まれる
身体の中で認識・心が生まれない場所
心が生まれなければ心所も生まれない
同所縁と同基のポイント
勝義諦3:物質は変化する本質のもの
 物質を全てのエネルギーのレベルで見る
物質は二十八種類
心、心所、物質のポイント
勝義諦4:涅槃は寂静
URLリンク(www.hanmoto.com)
ですからその4つとも自性があります。
そして誰があなたのことを説一切有部の信者であると言ってますか?
そう言ってるレス番を挙げてみてくださいな。

157:神も仏も名無しさん
18/12/16 21:43:00.58 oKvwB8pS.net
自性も無我、部派仏教も無我、テーラワーダも無我、ブッダも無我、龍樹も無我。
私も無我、世界は無我、無我も無我。
自性に、部派仏教に、テーラワーダ、ブッダ、龍樹、私、世界、無我、何ものにも執着してはいけない。

158:神も仏も名無しさん
18/12/16 22:48:46.58 IqIAxfJZ.net
>>148
>>149
自己レス
>>113ではなく>>119
でした、確認を怠り大変失礼しました。
改めて>>119をご覧頂いた上でよろしかったら感想をください。

159:神も仏も名無しさん
18/12/17 00:18:19.76 Joa2E4US.net
仏陀の四諦も、龍樹の空も、単に説明の仕方が違うだけとしか受け取れない。

160:神も仏も名無しさん
18/12/17 00:43:13.43 ra5600rk.net
>>152
中論24章.四つのすぐれた真理(四諦)の考察
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

161:神も仏も名無しさん
18/12/17 01:00:33.18 Joa2E4US.net
>もし事物に自性を認めるならば、かえって縁起を否定することとなる。
であるなら、縁起を認めるなら、自性を認めることにはならない。
アビダンマの Abi がどうだろうと、論理的にはそうなるし、観測事実もそうであるはず。
取りあえず現時点で頭で考える限り、仏陀の悟りの言い換えに過ぎないとしか解釈できない。

162:神も仏も名無しさん
18/12/17 01:14:04.95 Joa2E4US.net
まず、その文脈で言う「自性」という言葉が指し示しているものは、本当にアビダンマ
が主張しているんでしょうか。
例えば、アビダンマにおいて物質の滅する性質も色(rupa)とされていたと思いますが、
これを以て大乗側は、アビダンマは滅する性質に「自性」を主張している、と言うのでしょうか。

163:神も仏も名無しさん
18/12/17 01:15:56.33 Joa2E4US.net
龍樹が論駁した論敵は、いまこの地球上に現存しているんですか。

164:神も仏も名無しさん
18/12/17 01:19:34.00 Joa2E4US.net
うん、やっぱり誤解してる。
読めば読むほど、大乗側からみた小乗というのはもはや空想上にしか存在してない。

165:神も仏も名無しさん
18/12/17 01:32:12.81 Joa2E4US.net
>>153
完全に油断してたでしょうけど、バカにし過ぎです。
仏教は仏教なんだから、言葉や概念で上下優劣を付けようとして
エゴを強化・正当化するのはやめた方がいいと思います。

166:神も仏も名無しさん
18/12/17 02:06:59.14 Zi7Mn91Z.net
(第25章・第19詩)輪廻はニルヴァーナに対していかなる区別
もなく、ニルヴァーナは輪廻に対していかなる区別もない。
(第25章・第20詩)ニルヴァーナの究極なるものはすなわち
輪廻の究極である。両者のあいだには最も微細なるいかなる
区別も存在しない。
これ言っちゃっていいのかな

167:神も仏も名無しさん
18/12/17 02:23:22.30 PJC8wm61.net
>>155
テーラワーダでは色法の中の相色の色老性や色無常性といったやはり自性のある法で色は古くなって老いたり無常性故に滅したりします。
色はそれ自身自性として老い滅するということです。

168:神も仏も名無しさん
18/12/17 02:38:37.67 PJC8wm61.net
>>159
生死即涅槃
で検索すると満足のいく答えが見つかるかもしれません。

169:神も仏も名無しさん
18/12/17 09:09:43.75 e5uDZgIt.net
「涅槃」と言ってみても涅槃自体が存在するわけじゃない。「輪廻」と言ってみても輪廻自体が存在するわけじゃない。
全ての概念は無我、幻で実在しないわけだが、現実に感じることができる眼耳鼻舌身意も、瞬間に生滅していて、
無明、行という原因によって生まれ、消えるものだから、空、夢、幻のようなもの。
瞬間に生滅する心は瞬間的に存在するじゃないか、実在じゃないかと勘違いしがちだが、
人間の認識が成立するより高速で生滅しているものは存在とは呼べない。
それを禅語で説似一物即不中という。「これ」といった時点でそれはもう変化しているのだから「これ」ではない。
人間が捉えることができないそれを捉えようとするからこそ苦しみが生まれる。
放っておけば苦しみは生まれない。それを禅語で放下著という。

170:神も仏も名無しさん
18/12/17 13:40:51.80 t8BxWrCa.net
 日本語で「分別する」と言うとあまり好ましくないですが、初期仏教・テーラワーダ仏教では、自分たちのことを分別論者 vibhajja-v?din と言います。
大乗は自分のことを大乗仏教と言いますが、そのように我々も自分たちのことをテーラワーダ・上座部と言うよりも、もし威張って言うならば、分別論者だと言うのです。
我々は、存在という幻が消えるところまできめ細かく分析するのです。
物事をそのまま、全体的に、大乗が言うように「すべては」とか「一切は」などとまとめて説明することはしません。
そんな大雑把でいい加減な説明は、始めからどうせ間違っていますから。
 例えばテーラワーダ・ヴィバッジャワーダの人に「ご飯はおいしいですか?」と聞いても、答えません。
まず分析してみないと分かりませんから。 真理はそんなものです。
ご飯は東洋人には馴染んでいるからおいしく感じられ、西洋人にはやはりパンの方がおいしく感じられるとか、立場によってもころころ変わるものです。
大雑把に「ご飯はおいしい」などと言えないのです。
 ご飯がおいしいと感じる人でも、いつでもおいしいと感じるわけでもありません。
午後三時の疲れているときには、ご飯よりは甘いケーキの方がおいしく感じるでしょう。
時期によってもその人の体調によっても、判断はころころ変わります。
いろいろ分析して考えると、何も確かには言えないのです。

171:神も仏も名無しさん
18/12/17 13:41:46.81 t8BxWrCa.net
 真実を知るためには、分析するしか方法がありません。
総体的に大雑把にまとめてみても、いい加減 なだけで、何も分かりません。
テーラワーダ仏教の特色は、本当に、とことん分析してみるということです。
その特色だけは守りましょうということで、「 Vibhajjav?d? Bhagav?. 世尊は分析論者だ」と言います。
分析しないでまとめて、「すべては梵我一如」などと言えば、それは邪見・邪教です、と簡単に捨ててしまいます。
 森羅万象の中で同じ一つのものはないかと探すのも、またちょっとした心の間違いです。
もし真剣に調べて、分析して、同じ・不変の一つのものを探そうとしたら、見つかるのは「無常」ばかりです。
あるいは今説明した、積集、相続、老性、無常性の四つの共通項目しか、最終的には見つかりません。
物質をどんなに探しても梵・ブラフマンも我・アートマンも、神も見つかりません。
アルボムッレ・スマナサーラ; 藤本晃. ブッダの実践心理学 (アビダンマ講義シリーズ―第1巻 物質の分析)

172:神も仏も名無しさん
18/12/17 15:46:42.67 /70/mLau.net
釈迦族は誇り高きクシャトリヤの階級なのだから
なにをおいてもするべき修行は
近接格闘訓練とサバイバル訓練です

173:神も仏も名無しさん
18/12/17 15:54:42.74 /70/mLau.net
釈迦族に一番必要なものとはなにか?

インドを守る愛国心やろがああああああああああああ

174:神も仏も名無しさん
18/12/17 16:31:53.64 3A2NB79d.net
>>159
こういうことでしょう
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

175:神も仏も名無しさん
18/12/17 22:03:55.76 e5uDZgIt.net
瞑想しないのにアビダンマ読むと悟れなくなるってさ。
しかし長老元気そうでなによりだ。
『清浄道論を読む』第1回 講師:アルボムッレ・スマナサーラ
URLリンク(www.youtube.com)

176:神も仏も名無しさん
18/12/17 22:43:15.91 PJC8wm61.net
>>162
物質の章の最後に 、なぜか涅槃が少し説明されています 。
心、心所、物質、涅槃の4つだけが実際に 「ある」ものだと 『アビダンマッタサンガハ』の最初に喝破されましたが、その心を、心所を、そしてそれらによる業と輪廻のからくりを分析した後で、
この章で物質の分析を終えるにあたり、「実在」の最後の1つ 、涅槃も一緒に、紹介しています 。
涅槃は本来、語れない境地ですから、一章をわざわざ割くほどの分量がないのです。
藤本晃『アビダンマッタサンガハ』を読む
URLリンク(images-na.ssl-images-amazon.com)
より引用

ということで、テーラワーダの教義では涅槃は実在するもの(テーラワーダにおける勝義諦)となります。

177:神も仏も名無しさん
18/12/17 22:50:10.27 KawbU7T7.net
>>163
>>164
そのわりにはその人「大乗仏教は」「キリスト教徒は」「イスラム教徒は」って
総体的に大雑把にまとめてばっかだよね

178:神も仏も名無しさん
18/12/17 23:10:40.17 /70/mLau.net
シッダールタ王子のお言葉より
釈迦族の部族長達のクシャトリヤ武勇伝を聞けい

179:神も仏も名無しさん
18/12/17 23:11:51.22 /70/mLau.net
釈迦族はクシャトリヤ
日本で言えばおサムライ
まず釈迦になりたいなら武術の鍛錬んんんん

180:神も仏も名無しさん
18/12/18 01:13:44.66 duco9mhI.net
>>170
そうですね、それに加えて
中論24章の
10.世俗の表現に依存しないでは、究極の真理を説くことはできない。究極の真理に到達しないならば、ニルヴァーナを体得することはできない。
>世俗としての言語でなければ究極の真理を説くことはできない、しかし究極の真理に達していなければ、ニルバーナを得ているわけではない。
や般若心経の空即是色をスルーして一切皆空で済ませてしまうのが大乗ですというミスリードをしています。
また唯識の五位百法もスルーしています。
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)
唯識五位百法はテーラワーダのアビダルマの勝義諦(勝義法)や説一切有部の五位七五法と違って実体はなく空であるとされていますが、分析をしていることには変わりありません。
URLリンク(www.obpen.com)
スマナサーラさんはおそらくそういう大乗の教理は分かっていて、でもあえてスルーしているのだと思いますね。
テーラワーダだけが正しいという前提で説法するのにそのスルーが必要になるからだと思います。
しかしそれは情報隠蔽ですがw

181:神も仏も名無しさん
18/12/18 08:03:45.66 /+AGXll+.net
>>169
>>168の動画では、心も無い、物質も無いっておっしゃってますけどね。チラっとですが。
有る、無いの意味を理解しようと思うと悟らないとダメみたいですけどね。

182:神も仏も名無しさん
18/12/18 08:14:08.13 /+AGXll+.net
>>173
まず空即是色は議論するまでもなく間違いですからスルーしたんでしょう。
おそらくは梵我一如、一即一切を邪見とおっしゃっているのだと思います。
ブッダも一切という言葉を使いますから。
次にスマ師が分析と言っているのは択法覚支、ラベリング、四念処の事ですよ。
真理を発見するためには、現象を正しく分析しなければいけない。瞑想によって。
アビダンマなどの学問的な分析はむしろ余計です。
アビダンマが生まれる前にも悟った方は大勢おられた訳ですから。

183:神も仏も名無しさん
18/12/18 10:34:13.84 gZBc36NZ.net
アビダンマを学ぶと 、「存在とは何か 」「何を目指して生きるべきか 」が分かる可能性があります 。
心の分析と働き、物質の分析と働きも説明されていますが、アビダンマ学の 9 0パ ーセントくらいは心の働きを説明しているので 、「アビダンマとは仏教心理学だ 」と言えるのです。
俗世間の心理学と違うのは、心を成長させるためにあえて育てるべき能力について語っているところです 。それから、俗世間的な心が出世間的な解脱の心に成長するまでのプロセスを詳しく語っています 。
しかし、以上のことを発見できるのは、アビダンマ学を理解できたならば 、です 。
アビダンマを考えた優れた能力を持っていた聖者たちの思考パタ ーンと、現代人の思考パターンは同じではありません 。
桁違いの天才の考え方が 、我々のような凡人にはまったく分からないということは 、昔も今も同じです。
分からないものは諦めるのが一番簡単なやり方です 。しかし 、その人に脳を開発するチャンスがなくなります 。
いくら難しくても 、歯を食いしばってなんとか理解しようと努力するならば 、そのぶん自分の能力は成長します 。というわけで、アビダンマ学をどうしても理解してみたいものです 。
(アルボムッレ・スマナサーラ)

184:神も仏も名無しさん
18/12/18 10:50:38.89 gZBc36NZ.net
>>174
あなたは瞑想でその存在論もすでに何か気づいているのではないのですか?
ちなみに
>説一切有部を批判するためにテーラワーダ仏教がアビダルマを発展させたと言っても過言ではないほどです。
>テーラワーダ仏教は「三世実有」に真っ向から反対するのです。テーラワーダにおいては、存在するのは、今の瞬間のダルマだけです。
URLリンク(www.j-theravada.net)
結局は心(チッタ)も貪瞋痴も四大も五根も今の瞬間には存在していることを認めていますし、
それらは施設ではなく第一義、根本的、勝義として存在していることも認めているのです。
それがテーラワーダの教義です。
その瞬間のダルマをヴィパッサナーでは観察するといいます。
ご存知のように刹那滅の間だけ(でも無数に湧き上がる)のダルマを観察してはその移り変わりを見て無常を知るとされています。
それを分析したのをまとめたのがアビダルマ(優れた法)なわけですから、テーラワーダにとってはアビダルマは(師から授けられる)教科書です。
その教科書に載ってない阿頼耶識みたいなのはいくら唯識瑜伽行者が瞑想で発見したとしても否定するテーラワーダの僧侶もいるのです。
それからもし心も物資も実体として何もない、勝義のダルマとしても存在しないというようなことをスマナサーラさんが言われてたとすれば、
何もないところからなぜ心や物資が実感できるのかを空即是色やそれに類似する概念を使わずにどう説明するのか疑問がありますね。

185:神も仏も名無しさん
18/12/18 12:52:28.38 /+AGXll+.net
禅の方では趙州無字の公案があります。
犬に仏性はあるか?の問いに、趙州和尚は有ると言ったり、無いと言ったりする。
その意味を求めて死ぬほど坐禅する訳ですが、犬も本来は空、仏も空だから有るも間違い、無いも間違いな訳です。
この場合空は、存在としての、常住としての有るではないし、何もない虚無の無でも無い。
真理は言葉では言い表わせないのだから、究極的には有も無も空も間違いであるが、
不完全な言葉という道具を使うにはそうとしか表現しようがない。
サンユッタニカーヤでも、ブッダは阿羅漢も「わたし」という表現を使ってもよいとおっしゃった。
「わたし」という自我意識を持たない阿羅漢でも、言語表現として、仮の表現として、「わたし」を使わなければ喋れない。
言語は人間の認識によって成り立っていて、認識は「有る」ということが前提なのだから、有、無から離れることは出来ない。
であるから、黄檗禅師は臨済禅師に「仏法の一番大事なところは何ですか?」と聞かれて、ただ殴った。
痛みの感覚、言語を超えた感覚にこそ仏法はあるのだよ、との教えだが、臨済には最初、何の事だか分からなかった。
瞑想して、眼耳鼻舌身意の感覚を観察してみれば、瞬間にでも有るとか無いとか言えない事が分かると思います。
黙っているしかない。しかし説明する場合は何かを言わなければいけない。この事も一切皆苦に含まれるでしょうね。

186:神も仏も名無しさん
18/12/18 13:17:34.04 /+AGXll+.net
例えば二枚の大きな板を少し隙間を開けて並べて、その隙間を見ている人がいるとする。
その板の裏でリンゴを投げる。見ている人はリンゴがチラっと見えるが、それが何か分からない。認識できない。
その人にとってリンゴは実在するかどうか。
さっき投げたのはリンゴですよ、と答えを聞かされれば、あぁ確かにリンゴはありましたよと言うかも知れない。認識できてないのに。
答えを聞かされていなければ、リンゴという発想は無いからリンゴは無かった事になる。しかし実際にはリンゴが投げられた。
確かに言えるのは「チラ」はあったということだが、チラはリンゴでは無い。

187:神も仏も名無しさん
18/12/18 13:22:00.12 gXZKQjD6.net
【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】
オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。
創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。
創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。
創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。f
池田大作を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです 
その他の入ってはいけない宗教
アレフ、統一教会、顕正会、エボバの証人、法の華
創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ)

188:神も仏も名無しさん
18/12/18 13:44:04.95 up8xD8NL.net
釈迦族とはクシャトリヤの階級の戦闘部族
禅宗の開祖ダルマもまた少林寺拳法の武人
殴ってみて立っていたらとりあえず本物でよろしいではないか
なあ?

189:神も仏も名無しさん
18/12/18 14:57:10.98 duco9mhI.net
■観(ヴィパッサナー)■
上座部のアビダルマ哲学では、物質は17刹那の間だけしか存在しないと考えます。
1刹那で「生」じ、15刹那「住」し、1刹那で「滅」します。
通常の意識では1刹那の「滅」は認識できないのですが、「観」ではその「滅」を観察しなければなりません。
(1刹那の「生」は意識の上る前に終わってしまうので、認識できません。)
そして、それらへの執着をなくしてきます。
この諸行の「三相」を対象とする「観」が自然に「涅槃」を対象とする特別な「観」になって聖者に至ります。
現代の上座部の改革派であるマハーシ・システムでは、まず、呼吸によるお腹の動きや、歩行動作を中心対象にします。
そして、その対象以外のものが意識に上ってくると、それに気づいて、手放します。
対象に気づいた時は、言葉に表して(ラベリング)意識します。
アビダンマ哲学に沿った細かい「法」の識別などの観察は行いません。
また、ゴエンカ・システムでは、感覚を対象にして観察することに徹します。
そして、身体感覚を順に観察することを行います。
(略)
上座部のアビダルマでは物質が15刹那「住」しますが、これは「本質」を保った存在が存続するということです。
大乗の「空」の思想、「法無我」の思想は、そのような「本質」を認めず、従って、「生」も「住」も「滅」もないと考えます。
つまり、「共相」としては「空性」で、それは上座部の言う「生滅」ではなく「不生不滅」です。
また、主体や概念を対象とする点も、大乗の「観」の特徴です。
URLリンク(ameblo.jp)

190:神も仏も名無しさん
18/12/18 15:35:03.70 /+AGXll+.net
大乗の空と、ブッダの空、龍樹の空は違う。ひとくくりにしない。
龍樹は縁起により生滅する現象が空と言っている。
ブッダは世界を空なりと観よとおっしゃった。
物質が、心が、有ると思ってはいけない、無いと思ってもいけない。空である。
存在に執着してはいけない、有る、無しに執着してはいけないということだろう。
スマ師は、「有るように感じるだけ」「無い花を見ている」と言っている。ここでは。
URLリンク(www.youtube.com)

191:神も仏も名無しさん
18/12/18 16:14:50.11 duco9mhI.net
一八 どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く。それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である。
一九 なんであろうと縁起して起こったものではないものは存在しないから、いかなる不空なるものも存在しない。

192:神も仏も名無しさん
18/12/18 18:38:29.18 gZBc36NZ.net
>>178-179
それは大乗仏教の理論ですね。
>真理は言葉では言い表わせないのだから、究極的には有も無も空も間違いであるが、
>不完全な言葉という道具を使うにはそうとしか表現しようがない。
空即是色とはそういうことです。
まあ厳密には究極的には空であって、その空は本来は言葉で説明できないということになりますが。
テーラワーダでは色は四大や浄色、境色、心色、命色、食色などの自性のある法(実体)によって施設されたものと言葉で言い表すことができます。
流石に部派名を分別説部というだけはあります。
言葉で言い表せないのは四つの勝義諦の中の最後、無為法の涅槃だけです。

193:神も仏も名無しさん
18/12/18 18:39:54.39 gZBc36NZ.net
>>183
縁起によって消滅する現象が空ではなくて縁起によって和合したものを空といったのだと思います。

194:神も仏も名無しさん
18/12/18 18:56:22.45 /+AGXll+.net
>>185
それは概念としての色です。それは言葉でしか説明できません。
言葉で説明することを概念と言います。
では色自体を説明できますか?言葉よりも、概念よりも早く生滅する色を。
真理は諸行無常です。それはあまりにも早く、言葉、概念が追い付かない世界を言います。
そこには色も無く、心も無い。何も無いから空です。
この場合本当に何も無い虚無という意味ではないですよ。
認識できないという意味です。

195:神も仏も名無しさん
18/12/18 19:11:28.47 gZBc36NZ.net
>>187
すみません、テーラワーダの教義だと
「生 、住 、滅という 3刹那が 1心刹那です 。その心刹那 1 7回が 、物質というもの (色法 )の寿命 ( 1刹那 )です」
とちゃんと生滅の時間まできっちりと説明されるんですねえ。

196:神も仏も名無しさん
18/12/18 19:47:25.94 /+AGXll+.net
>>188
ですからその説明も概念でしょ?頭の中の。
色自体を観察して、実際は地水火風の四大分別観、カラーパの生滅を観察して、
これはこのような色である、と言えないという事です。
その感じている「それ」は言葉、概念の無い世界、という意味です。

197:神も仏も名無しさん
18/12/18 19:51:40.30 /+AGXll+.net
アビダンマもダンマ、法でしょう?意門の対象でしかないです。
現実は、実際の世界は眼耳鼻舌身意であって、それらはいくら意門で、法で処理しようとしても無理ですよ。
教学をいくら頑張っても、瞑想体験は理解できないです。
瞑想の世界は概念の無い世界です。

198:神も仏も名無しさん
18/12/18 19:57:27.27 gZBc36NZ.net
>>187
>では色自体を説明できますか?言葉よりも、概念よりも早く生滅する色を。
これは概念ではないですか?頭の中の。

199:神も仏も名無しさん
18/12/18 20:04:30.86 /+AGXll+.net
>>191
はい。人間なので言葉で説明しなければいけない。
その場合は概念を使う必要がある。しかし現実には概念は当てはまらない。
概念を作った時点で現実は過ぎ去っている。
それを諸法無我といいます。法は実物ではない。
逆に言えば実物は法で表せない。

200:神も仏も名無しさん
18/12/18 20:10:51.54 /+AGXll+.net
アビダルマを読む人は以下も読んだ方がいい。
ポーティラのようにならないように。
URLリンク(www.j-theravada.net)

201:神も仏も名無しさん
18/12/18 20:36:43.93 gZBc36NZ.net
>>190
テーラワーダの教義では六境の法所縁とは、浄色 、細色 、心 、心所、涅槃、施設という6種類にまとめられます 。
浄色とは眼耳鼻舌身根のことです。
その6種類で一切です。一切法無我の一切法には当然眼耳鼻舌身も含まれています。
>>192
概念より早く生滅する色
は概念ではないのですか?と訊いています。
概念ではないのなら
概念より早く生滅する色
の証明をしてみてください。

202:神も仏も名無しさん
18/12/18 20:38:34.23 gZBc36NZ.net
>>193
なるほど
ではポーティラのようにならないために
概念より早く生滅する色
の実証をしてみてください。

203:神も仏も名無しさん
18/12/18 21:11:20.21 /+AGXll+.net
証明になるかどうか分かりませんが。
URLリンク(pao.hamazo.tv)
カラーパの生滅に無常、苦、無我を観ることになっています。
無我であれば、実体は無く、概念で説明することは出来ません。

204:神も仏も名無しさん
18/12/18 21:21:50.68 /+AGXll+.net
また四界分別観として、呼吸に風の要素を感じる、
身体の重�


205:ウ、地を感じる、身体の熱、火を感じてみたりすると、 それらは超高速で変化しており、概念などが当て嵌らないことが分かります。



206:神も仏も名無しさん
18/12/18 21:29:55.09 /+AGXll+.net
>>194
その浄色も概念です。
眼耳鼻舌身意について考えた、思考した、概念としての眼耳鼻舌身意です。
現実の眼耳鼻舌身意には名前がついていません。
実際には眼は無い、というか眼ということはできない、瞬間瞬間に生滅している何かです。

207:神も仏も名無しさん
18/12/18 22:04:58.51 gZBc36NZ.net
>>196
>カラーパの生滅に無常、苦、無我を観ることになっています。
なっています、ということはあなた自身はそれを体感してないのですか?
なっています、だけでは概念の域を超えません。
あなたはそうなるはずだという概念を信仰している段階です。
>>188の17刹那もカラーパも似たようなものです。どちらも信仰ですし、体感したものには現実となるでしょう。
>>197
>それらは超高速で変化しており、概念などが当て嵌らないことが分かります。
超高速で変化しているという概念が当てはまるでしょう。
変化しているということがちゃんとイメージ、認識できれば充分です。

208:神も仏も名無しさん
18/12/18 22:08:21.39 gZBc36NZ.net
>>198
>実際には眼は無い、というか眼ということはできない、瞬間瞬間に生滅している何かです。
眼が瞬間瞬間に生滅していることの実証をしてみてください。
移り変わりの実証ではなく、刹那生滅していることの実証です。

209:神も仏も名無しさん
18/12/18 22:13:10.92 /+AGXll+.net
私はカラーパはやってませんが、四大は観察してます。
超高速で変化しているという概念は諸行無常です。
諸行無常は法です。現実では無いんです。
諸行無常について考えても、イメージしても、本を読んでも、諸行無常を理解したことにはならないです。
戒を守って、サマタ瞑想をして心を落ちつけ、現象、諸行を観察して初めて諸行無常が理解できます。
十六観智の生滅智あたりです。

210:神も仏も名無しさん
18/12/18 22:18:01.04 /+AGXll+.net
>>200
ヴィパッサナー瞑想が実証の作業というか実行ですね。

211:神も仏も名無しさん
18/12/18 23:25:57.02 gZBc36NZ.net
カラーパもニミッタも刹那滅もお釈迦様ゴータマ尊の教えではありません。
刹那滅、刹那生滅は部派仏教の時代に法有と無常の辻褄合わせをするために生まれた概念であってお釈迦様の教えではありません。

212:神も仏も名無しさん
18/12/19 08:20:12.87 ORIDQHX8.net
確かに刹那とか、現在の瞬間というのは理論上、概念上のもので、実際に触れたり認識したりはできないでしょう。
地球の中心みたいなものだと思います。理論上存在はするが、誰も見たことが無い。
しかし実際に瞑想してみれば、一刹那でなくても、個人個人の気づきのスピードで生滅は観えます。
その気づきのスピードが瞬間的にでも、十分に早くなったとき、現象のスピードに近づいた時に、真理が見えるんだと思います。
ニミッタについては実際見えるものだからしょうがないです。
仏典では梵天が光と共に現れたりしますが、梵天は禅定の結果ですし、禅定に入る時にニミッタを使ったりするので、
光と禅定、梵天は関係が深いんじゃないでしょうか。
細かい瞑想テクニックについては結集の時に、あえて仏典から外した可能性はありますね。混乱を避けるために。

213:神も仏も名無しさん
18/12/19 12:29:29.95 48HTTA+E.net
「ブッダ・ニミッタ」とはどういうものですか?
URLリンク(thierrybuddhist.hatenablog.com)

214:神も仏も名無しさん
18/12/19 12:29:50.73 48HTTA+E.net
スマナサーラ   麻原は自分が瞑想していると、チカチカ光が見えたと自慢げに語っていました。
それで、自分が最終解脱に達したのだと言って、教団までつくってしまった。
解脱に達したならば、犯罪を起こすどころか、うそをつくといった罪さえ犯すことはないでしょう。
 呪文などを唱えると、脳がくたくたに疲れてきます。そのとき、予測外の現象が起こります。
よくあることは、光を見ることです。目の前にある光ではなく、脳が勝手に光を認識してしまうのです。
迷信・先入観のある人にとっては、驚くべき経験です。
しかし、なんのこともありません。脳の幻覚なのです。
スマナサーラ   脳は幻覚をつくります。夢のような幻覚は誰にでも起こります。
呪文を唱えるなどの特定の訓練をして、幻覚を引き起こすこともできます。
いい悪いを別として考えると、幻覚をつくることは脳にとって異常現象ではないのです。脳の普通の働きなのです。
 このポイントは、脳の機能を開発するために仏教でも使用しています。
特に、集中力を育てるサマーディ瞑想の場合は使用します。呼吸だけ観察して、ほかの思考を抑える修行をします。
脳にとって、普通とは違った訓練です。その結果、脳が光の幻想をつくり出します。
仏教の場合、それに驚いたりしません。自分の瞑想修行は進んでいる、というしるしなのです。
 次のステップに入って、その幻覚を管理してみようとします。見えた光が小さなものなら、大きくしてみるのです。
かすかな光なら強い光にしてみるのです。光が大きく見えたならば、それを徐々に小さくしていくのです。
このように、自由自在に光の幻覚を制御してみるのです。それも瞑想修行のひとつです。
幻覚とは、本人に管理できない現象のはずですが、仏教のサマーディ瞑想の場合、管理できない幻覚を管理してみるのです。
 その結果、観察能力が向上します。幻覚はまさに幻覚であること、事実ではないということを、はっきり理解できるようになります。
幻覚によって頭がおかしくなるということは、まったくありません。
「悟ったぞ」という誤解も起こらないのです。
アルボムッレ・スマナサーラ; 有田秀穂. 仏教と脳科学: うつ病治療・セロトニンから呼吸法・坐禅、瞑想・解脱まで (サンガ新書)

215:神も仏も名無しさん
18/12/19 12:33:00.45 48HTTA+E.net
ごくみ 微塵みじん 仏教的原子論
URLリンク(tobifudo.jp)
古代の原子論(1)
URLリンク(47819157.at.webry.info)

216:神も仏も名無しさん
18/12/19 17:42:57.70 Jhc64/Jf.net
今日も仏教の勉強をしていたのですが、やっぱり頭での理解ではだめで、体感からくる理解が必要なんですね。
12縁起のことを振り返っていたのだけれど、
毎日の瞑想実践のおかげで、以前より、納得度が増して感じられました。
ありがたいことです。

217:神も仏も名無しさん
18/12/19 18:01:01.11 u1IUUE0w.net
>>206
なーに他人事みたいに言ってんだよ。
シンハラ人仏教徒による異教徒虐殺にシラをきっているくせに。
今なお続く、シンハラ人仏教徒の異教徒迫害にも嘘を教えてる分際で。
破戒僧スマナサーラが他人を叩くときは自分等の問題を隠したい時。

218:神も仏も名無しさん
18/12/19 18:03:02.37 u1IUUE0w.net
これがオウムより危険な公権力と一体化したスリランカ仏教の危険性のごく一部。
スリランカ仏教僧侶イスラム教徒の商店を襲撃
URLリンク(www.youtube.com)
スリランカ仏教僧侶ロヒンギャ難民を攻撃
URLリンク(www.youtube.com)
スリランカ仏教僧侶キリスト教会にテロ
URLリンク(www.youtube.com)
スリランカ仏教僧侶キリスト教施設にテロ
URLリンク(www.youtube.com)
スリランカ仏教僧侶カトリックを脅迫
URLリンク(www.youtube.com)
スリランカ仏教過激派BBSによるイスラム教徒襲撃
URLリンク(www.youtube.com)
イスラム教徒の店を襲撃
URLリンク(www.youtube.com)
スリランカ仏教の暴力的側面
URLリンク(www.youtube.com)
レイシスト坊主ウィラトゥ、スリランカ仏教僧侶と共闘
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
暴力をふるうスリランカ仏教僧侶
URLリンク(www.youtube.com)

219:神も仏も名無しさん
18/12/19 18:05:14.59 u1IUUE0w.net
スマナサーラカルトの話題はこっちでやれ
【カルト】スマナサーラの瞑想で発狂した奴
スレリンク(psy板)
ラーマクリシュナvsアルボムッレスマナサーラ
スレリンク(psy板)
テーラワーダ仏教協会を批判スレ [無断転載禁止]・2ch.net
スレリンク(psy板)
【上座】アルボムッレ・スマナサーラ専用スレ【仏教】2(ワッチョイ・IPなし)
スレリンク(psy板)
仏教界の勝ち組、佐藤哲朗さんについて語ろう!
スレリンク(psy板)

220:神も仏も名無しさん
18/12/19 19:13:17.26 ydKPoyla.net
>>204
生滅というか、例えば想念(イメージ、表層、表象)は精神統一できずに雑念が湧きすぎる場合は言葉でのラベリングが追いつけないほど次々ど湧いてくるのは確かですね。
でもその時の「言葉でとらえるのが追いつかないほど想念、雑念が湧いてきた」という認識もまた虚妄とは言えないと思います。
その認識も無常だから虚妄であるという仏教的な言い方は出来ますが、そういうことで混乱を招かぬように龍樹は中論24章で、
24-8
二諦をもって、すべてのブッダは法を説かれた。世俗諦と勝義諦だ。
24-9
この二つの真理を区別できない者は、ブッダの法の深く微妙な所をまだ理解しているとは言えない。
24-10
世間の言葉に頼らなければ究極の真理を説くことができない。
究極の真理に到達しないなら、涅槃を体認することはできない。
と釘を刺しておいたんですね。
果たして二諦をもってブッダが法を説いたかどうかというのはさておき。

あとナーマカラーパも元々は部派仏教で考案された概念です。
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
この佐々木氏の論文の最後にあるような、カラーパとか極微とかの概念は説一切有部やテーラワーダの勝義諦(この場合はの勝義諦は龍樹の空とは違って自性のある法)と
整合性をつけるのが難しくなるのではという見方もあるという話には私もそうではないかと思います。
カラーパや極微はどのみち概念なので整合性があろうがなかろうが真理には関係のない話ですが。
もちろん人間の眼は顕微鏡ではないのでカラーパを見ることはできません、しかしカラーパというのがあると最初に聞かされてから瞑想を進めるといつかカラーパが認識できるようになるかもしれません。
プラシーボ効果と同じようなものだと思っております。

221:神も仏も名無しさん
18/12/19 19:46:14.48 ozf6W4on.net
カラーパは概念じゃないと思う。目を瞑るとものすごい数の粒子が見えるよ。

222:神も仏も名無しさん
18/12/19 20:19:56.55 M6yC2rJk.net
瞑想しなくても見えるよねそれは
子供の時から見えてる
けど大人になって瞑想していくうちに消えちゃった
加齢で消えたのかもしれないけどww

223:神も仏も名無しさん
18/12/19 20:21:37.01 ydKPoyla.net
>>212
ルーパカラーパだった…

224:神も仏も名無しさん
18/12/19 20:24:14.58 ORIDQHX8.net
>>212
言っていいかどうか分からないですが、ラベリングも全部、虚妄ですよ。
「膨らみ」「縮み」とラベリングしても、実際には何も膨らんでないし、何も縮んでない。
お腹の感覚に、自分で勝手にラベリングしたんです。勝手に名前をつけても、それは真実にはならない。
下らない妄想には雑念と名付け、真理に対する妄想は聖なる思考だ、勝義諦だと名付けても、
実際はどちらもただの思考、妄想ですよ。何かの因縁で生まれ、消えるはずのただの妄想です。
だからブッダだろうが何だろうが、一切の概念は虚妄ですが、
その事を世界で最初に発見されたブッダは偉大です。
個人的にはカラーパは網膜の神経細胞だと思います。
液晶ディスプレイは小さな光のドットの集まりですが、網膜にも神経細胞がたくさん集まっているみたいです。
集中力が高まるとひとつひとつの神経細胞の情報が強くなって、ツブツブが見えてくるんじゃないですかね。

225:栄進
18/12/19 20:25:31.06 lbG+opqn.net
>>213
飛蚊症^^

226:神も仏も名無しさん
18/12/19 21:24:34.38 ORIDQHX8.net
因縁により生滅する現象に対しては、欲を出すか怒りを出すかの反応しかない。理解できない、反応できない痴もあるが。
欲、怒りを出すと我が生まれてしまう。対象を「私」の方に引きよせたい、「私」から遠ざけたい。
現実には現象が生まれ、消えただけなのだが、「私」という余計な妄想、錯覚が生まれてしまう。
この私という錯覚が輪廻を継続させてしまう原因で、さらに新しい現象、サンカーラ、眼耳鼻舌身意を生む。
そしてまたその現象に対し、欲、怒りを出すが、現象は一時的であるから欲は完全に満たされることはなく、
怒ろうが怒らまいが、嫌いな現象は因縁によって生まれてしまう。
よって輪廻の中で永久的に苦しみ続ける。解脱するまでは。

227:神も仏も名無しさん
18/12/19 22:00:47.56 48HTTA+E.net
一切皆虚妄
色即是虚妄
虚妄即色
虚妄亦復虚妄

228:神も仏も名無しさん
18/12/19 22:01:54.87 48HTTA+E.net
>>218
解脱もまた虚妄

229:神も仏も名無しさん
18/12/20 08:11:51.59 JTeri1pi.net
>>220
一切が虚妄であると知った人はその一切を捨てる。
一切が、現象が、サンカーラが停止した状態が涅槃。
涅槃だけが虚妄ではない真実。
一切の虚妄を捨て去る事を解脱という。

230:神も仏も名無しさん
18/12/20 08:36:36.62 v64e71u1.net
>>221のレスも虚妄

231:神も仏も名無しさん
18/12/20 08:42:00.83 JTeri1pi.net
>>222
そう。
一切の言語、概念、思想、見解、教義、経典は虚妄であるから、
それらを捨てさって瞑想に専念しなければいけない。
瞑想によって涅槃を体得することだけが真実。

232:神も仏も名無しさん
18/12/20 08:44:13.39 v64e71u1.net
>>223のレスも虚妄

233:神も仏も名無しさん
18/12/20 09:07:37.17 JTeri1pi.net
嘘をつき地獄に落つるものならば なき事作る釈迦いかがせん
一休
虚妄を語ったブッダは地獄に落ちなきゃおかしいw

234:神も仏も名無しさん
18/12/20 09:12:34.87 JTeri1pi.net
世の中はまどろまで見る夢のうち 見てや驚く人の儚さ
一休
世の中は全て夢、幻なのに、世間の人はそれを見て驚く、儚いことだ。

235:神も仏も名無しさん
18/12/20 09:19:32.35 JTeri1pi.net
世もすがら仏の道を訪ねれば 我が心にぞ訪ね入りぬる
一休
世の中を、仏道を探して歩くなら、自分の心の中を探すとよい。

236:神も仏も名無しさん
18/12/20 10:12:39.80 v64e71u1.net
以上、虚妄を書き連ねた虚妄のレスの三連投ですた
ついでに
>>223
瞑想も亦虚妄

237:神も仏も名無しさん
18/12/20 10:16:04.25 v64e71u1.net
一切のものは虚妄であるという想いも亦虚妄である
一切のものは虚妄であるという想いも亦虚妄であるという想いも亦虚妄である
一切のものは虚妄であるという想いも亦虚妄であるという想いも亦虚妄であるという想いも亦虚妄である
一切のものは虚妄であるという想いも亦虚妄であるという想いも亦虚妄であるという想いも亦虚妄であるという想いも亦虚妄である
以下エンドレス 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)


238:神も仏も名無しさん
18/12/20 12:17:54.55 JTeri1pi.net
>>229
一切の想いを無くせばその無限ループ、虚妄は止まる。
禅語では莫妄想。
道元禅師が言う非思量。
一切の想い、虚妄を手放す訓練をヴィパッサナー瞑想という。

239:神も仏も名無しさん
18/12/20 12:26:01.11 v64e71u1.net
一切の想いを無くせばその無限ループ、虚妄は止まる。
という思考、思想、考察、そしてそのレス文もまた虚妄。

240:神も仏も名無しさん
18/12/20 12:26:40.17 JTeri1pi.net
837 師は答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。
諸々の事物に対する執着を執着であると確かに知って、諸々の偏見における(過誤(かご)を)見て、固執することなく、
省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。」
839 師は答えた、「マーガンディアよ。『教義によって、学問によって、知識によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、
わたくしは説かない。『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』、とも説かない。
それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。(これが内心の平安である)」

241:神も仏も名無しさん
18/12/20 12:29:21.80 JTeri1pi.net
嘘をつき嘘と知らする嘘こそは これぞまことの赤まことかな
一休
一切は虚妄であるという言葉も虚妄ではあるが、これこそが真実の中の真実。真っ赤な真実。

242:神も仏も名無しさん
18/12/20 12:31:07.54 JTeri1pi.net
9 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、
この世とかの世とをともに捨て去る。─蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである

243:神も仏も名無しさん
18/12/20 12:33:32.35 JTeri1pi.net
「一休の釈迦をそしりたお蔭にて 多くの人がうろたえぞする」 一休
一休がブッダをディスったから色んな人がうろたえた。一切が虚妄であることを知らないから。

244:神も仏も名無しさん
18/12/20 13:06:53.79 J3xtgDoJ.net
ニミッタを見たらそれを心臓にあわせるんだっけ?
それってお釈迦様が説いたことなの?

245:神も仏も名無しさん
18/12/20 16:36:13.78 v64e71u1.net
『教義によって、学問によって、知識によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、わたくしは説かない。
『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』、とも説かない。
それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。(これが内心の平安である)」とわたしは説く。

246:神も仏も名無しさん
18/12/20 20:09:53.02 JTeri1pi.net
271 、272 、 わたしは、出離の楽しみを得た。それは凡夫の味わい得ないものである。
それは、戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、またひとり離れて臥すことによっても、得られないものである。
修行僧よ。汚れが消え失せない限りは、油断するな。
URLリンク(www.j-theravada.net)

247:神も仏も名無しさん
18/12/20 21:28:04.03 PlRBHBqa.net
無明は虚妄であり無明が尽きることがないのも虚妄であり
老師も虚妄であり老師が尽きることがないのは錯覚である
苦しみも苦しみの原因も苦しみの消滅も苦しみをなくす修行の道も虚妄である
智恵も虚妄で得るというのも虚妄である
そして以上のまた説法も虚妄である

248:神も仏も名無しさん
18/12/20 21:28:37.53 PlRBHBqa.net
老師は虚妄であるが老死もまた虚妄である

249:神も仏も名無しさん
18/12/20 21:55:40.99 opeTSZeo.net
結局、初期大乗仏教の人達(般若時の比丘)が空病に陥らないためもあって空即是色とわざわざ入れたように、空とか虚妄のままで終わったのでは話が成立しないわけで。
言葉、概念、それらは真実ではなく虚妄である、虚妄であるがゆえに世間でのコミュニケーションのためには共通概念を見出し概念に言葉をつけて分別する、
と色即是空空即是色と同じことをしないと虚妄病に陥ってしまうのですね。
それから真実というのは本当に今の瞬間でしかないのか、極端に言えば今見えているペテルギウスは500~700年前の姿を眼識で識別しているわけですが、
この私たちが見ているペテルギウスは今現在のペテルギウスではなく過去のペテルギウスなわけです。
しかし、だからといってそのペテルギウスが真実ではないといえるのでしょうか?
真実とは今だけなのかそれは定義によって変わります。

250:神も仏も名無しさん
18/12/20 22:08:34.11 UsHd0ejH.net
テラワダも駄目だな

251:神も仏も名無しさん
18/12/21 08:14:26.71 AeAZf1m4.net
仏教で一切と言う場合には行と法の2種類あって、諸法は無我で、実体が無く、ただの概念であるから虚妄。
一切の諸行は実際に眼で見たり耳で聞いたりする事だが、それらは一瞬で生滅していて全く捉えることができないから皆空。または皆苦。
過去は妄想、未来も妄想、現在の一瞬には、認識できないほど刹那的な何かが眼に、耳に触れているだけ。
その瞬間的な何かを蓄積して、まとめて、合成して、虚妄である概念、法を作り出して認識している。
この認識プロセスを見破る事ができれば、認識の原因、虚妄の原因、諸行を止める事ができる。
諸行が停止した状態、認識が停止した状態、虚妄が停止した状態を涅槃という。
極端な虚妄論者、虚無論者、空論者は一回思いっきり殴られると目が覚める。
痛いの?怒るの?何で?虚妄なのに?空なのに?

252:神も仏も名無しさん
18/12/21 09:28:34.28 4JyTepTO.net
>>243
>仏教で一切と言う場合には行と法の2種類あって、諸法は無我で、実体が無く、ただの概念であるから虚妄。
テーラワーダ 仏教では色、心、心処、涅槃の4つのみが実在(実体、自性のあるもの)としています。
物事は瞬間的にしか成立しないので、瞬間を構成していある、或いはその可能性のある要素が実体です。

253:神も仏も名無しさん
18/12/21 10:00:16.99 aiPb+Bg/.net
まだそんな洗脳にかかってるのか

254:神も仏も名無しさん
18/12/21 10:17:39.52 4JyTepTO.net
それ自身の本質を梵語でsvabhavaといい、鳩摩羅什はsvabhavaを自性と訳しました。
近年の日本ではsvabhavaの訳として西洋哲学でよく使われる実体という言葉を当てます。
一切のsvabhavaは空であると説いたのは龍樹です。
テーラワーダとかの部派仏教はそうではないです。
人無我についてはアートマンなる常一主催はないということで理解し、法についてはそのsvabhavaは実在するとしています(法有)。

255:神も仏も名無しさん
18/12/21 12:07:47.34 AeAZf1m4.net
テーラワーダにおける自性とは
パーリ仏典において、一般的に最初期であると考えられている文章の中に、自性は出てこない。
後期のミリンダ王の問いに出てきて、そこでは「(心の)状態」「真実の性質」という意味で使われる。
アビダンマにおいては、最小単位の、縁起による、瞬間的な現象と、一般的に作られた物体を区別する為に使われる。
したがって、視覚、触覚の連続により、一般的に「テーブル」と呼ばれるものが心の中で作られるが、
それら構成要素の向こうに、「テーブル」という実在(自性)は無い。
ピーターハービーによると、テーラワーダのアビダンマにおける自性は、条件的で、相互依存するものである。
「法は自性、独自の性質を維持し、条件によって、またその独自の性質によって維持される。(Asl.39)
ここでいう独自の性質とは、その法に固有の特別な性質ではなく、直前に生じた法と、その法を支える条件によって生じるものである。
大乗仏教が批判する説一切有部の自性と、テーラワーダのそれとはおおよそ無関係であることは重要である。」
URLリンク(en.wikipedia.org)

256:神も仏も名無しさん
18/12/21 12:26:44.69 AeAZf1m4.net
説一切有部の自性は実在論+性質論。
テーラワーダの自性は無常論+性質論。
テーラワーダで言う自性があるは、無常で生滅する現象には、心、心所、色、涅槃の4つがあって、それぞれの性質はいろいろですよ、という意味。
実在に関しては最初から最後まで無我。現象に関しては最初から最後まで無常。

257:神も仏も名無しさん
18/12/21 12:33:18.20 AeAZf1m4.net
しかもテーラワーダが一番大事にするパーリ仏典に自性は無く、外典、注釈書にチラっと書いてあるだけ。

258:神も仏も名無しさん
18/12/21 12:36:42.54 4JyTepTO.net
>>247
テーブルは説一切有部でもテーラワーダでも実体ではありません。
テーブルを構成する諸々の法の中でも勝義の法に実体があるとします。
テーラワーダではテーブルはその法による施設であるとします。
>>248
実在に関してはテーラワーダでは何刹那から実在していることを認めます。
刹那住している間は実在です。
経量部の現在有体過未無体と同じようなとらえかたです。

259:神も仏も名無しさん
18/12/21 12:38:17.73 4JyTepTO.net
>>249
説一切有部でも経典はアーガマ(パーリだとニカーヤ )なのは一緒ですよ。
そのアーガマには自性という概念はおそらくはありません。

260:神も仏も名無しさん
18/12/21 12:45:11.14 4JyTepTO.net
五位
類似概念
上座部大寺派
なお、上座部大寺派、すなわち現在の南伝上座部仏教では、『アビダンマッタ・サンガハ』などの記述に依り、
以下の計170法を、「性質(=自性)が変わることが無い法」としての「勝義法」(第一義法、巴: paramattha dhamma, パラマッタ・ダンマ)として挙げる[25]。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)

261:神も仏も名無しさん
18/12/21 12:54:15.57 AeAZf1m4.net
じゃあもう自性という概念は使わなくて大丈夫ですね。
問題は刹那に生滅する現象は実在かどうかですね。
理論的には何かがあると言えそうですね、現在の瞬間に。
ただそれを誰が認識できますか?捉えられますか?掴んでおくことができますか?
捕もうと思っても捕めない、認識しようにも認識できない、幻のような、空虚な、雲のような、幽霊のようなものが実在ですかね。
実在するとか、しないとかが成立する以前に消えていく「それ」が実在ですか?

262:神も仏も名無しさん
18/12/21 13:31:20.87 4JyTepTO.net
>>253
何をごちゃごちゃ言われてもテーラワーダの教理ではそうなっているというだけでありまして、私自身の見解は述べていません。
ただ、テーラワーダではそう説いているということを紹介しているだけです。
納得いかないのならテーラワーダのお坊さんに質問してみてください。

263:神も仏も名無しさん
18/12/21 13:46:16.49 AeAZf1m4.net
そもそもアビ「ダンマ」、勝義「法」ですからね、全て理論であって実体は無い、無我。
心も心所も色も涅槃も実体は無い。仮に「ある」としての議論ですからね。
しかもアビダンマはただの注釈書で、読んでも読まなくてもどうでもいいものがテーラワーダの教理では無いでしょう。

264:神も仏も名無しさん
18/12/21 13:49:03.53 4JyTepTO.net
心自身もものすごい速さで変化生滅を繰り返しているということには 、もっと気づきにくいのです 。自分が自分を知ることは 、大変難しいことなのです 。
どういうことかといいますと 、心が生じたときは 、その心で外界を認識しますから 、自分の心はいつでもそこにあるのです 。
自明のことになってしまうのです 。
自分のことは調べもせずに 、心が生じて認識できるようになったら 、すぐ「『私が 』 、外界を見ている」と、「私が」という気持ちがかならずセットで生まれるのです 。
心が生まれて外界を認識しているときには、認識する 「私が」いることには、疑いは起こりようもないのです 。
「我思う 。ゆえに我あり」な世界なのです 。
では、心が滅しているときはどうでしょうか 。
滅したときは、さすがに心も滅するのだと分かるでしょうか 。
無理ですね 。心が滅したので 、滅したことに気づく 「私が 」いないのですから 。
寝ている間のことは、寝ていると分からないのす 。
だから、「私 」の刹那滅・無常、つまり無我に、なかなか気づけないのです 。
幸か不幸か、普通の心の認識能力では、ちょうど物質 1回分の寿命、1 7心刹那くらい生滅を繰り返して、やっと対象を認識するようになっています 。
テキストはこれから心の対象認識の仕方を、ちょうど、物質1回分の寿命 、1 7心刹那分で分析します 。
(『アビダンマッタサンガハ』を読む 藤本晃)

265:神も仏も名無しさん
18/12/21 13:52:58.25 4JyTepTO.net
>>255
経典だけならどの部派も使ってるものは基本一緒なので部派の主張は論書にありますから、テーラワーダの教義といえばテーラワーダのアビダルマになるのです。
ちなみに中論は龍樹の論書ですが、その元になっている経典はアーガマであって対立派(説一切有部といわれている)と変わりません。

266:神も仏も名無しさん
18/12/21 14:01:40.89 AeAZf1m4.net
>>257
じゃあテーラワーダはブッダゴーサが開祖になってしまう。
アビダンマは説一切有部に反論しただけでしょう。どうでもいいものです。

267:神も仏も名無しさん
18/12/21 14:07:02.76 AeAZf1m4.net
しかも説一切有部は色んな方面から批判されて大昔に消えたんでしょう?
消えた部派に対する反論を教義とは言えないでしょう。

268:神も仏も名無しさん
18/12/21 14:07:16.54 4JyTepTO.net
>>258
説一切有部の教理も阿毘達磨発智論などのアビダンマ文献によって知ることができるのです。
テーラワーダの教理も同じです。
同じアーガマ(ニカーヤ)という経典を用いていても解釈の違いで教理は別れる。
その解釈が書かれているのが論書であり、部派仏教ではアビダンマが論書になります。
阿毘達磨
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)

269:神も仏も名無しさん
18/12/21 14:07:59.78 4JyTepTO.net
>>259
批判されて消えたのではありませんよ

270:神も仏も名無しさん
18/12/21 14:17:49.46 AeAZf1m4.net
テーラワーダのお坊さんが、「誰もアビダンマを勉強しなさいとは言ってない。」
「興味が無い人は読まなくてもいい。」とおっしゃってます。
URLリンク(www.youtube.com)

271:神も仏も名無しさん
18/12/21 14:23:59.52 AeAZf1m4.net
テーラワーダのお坊さんが、「清浄道論は難しい、理解できない、ちょびちょびと参考にするだけ。」
とおっしゃってます。
URLリンク(www.youtube.com)

272:神も仏も名無しさん
18/12/21 14:29:50.19 AeAZf1m4.net
>>260
仏教の基本は瞑想ですよ。経典は二の次であり、その解釈はさらに次です。
テーラワーダの教義も基本は瞑想でしょう。アビダンマは必須ではない。

273:神も仏も名無しさん
18/12/21 14:34:43.69 AeAZf1m4.net
テーラワーダ仏教はお釈迦さまの教えをできるだけ忠実に守ろうとするので、保守的だと言われることもあります。
でもテーラワーダでは、お釈迦さまの教え以上の道はないことを、自分たちの体験から確信しています。
お釈迦さまが説かれた道とは、簡単に言うと、四聖諦、因縁の教え、八聖道と、悟りを開いて解脱をするためのヴィパッサナー瞑想という修行方法です。
お釈迦さまは、解脱をするために必要なことは心の執着をなくすことであり、煩悩を消すことであるとおっしゃいました。
テーラワーダの長老方は、お釈迦さまの教えからはずれないように、ただ一心にお釈迦さまの教えを守っていくことに自分の全責任をおいていらっしゃいます。
お釈迦さまの教えに自分の解釈を加えたりすることは、いっさい拒否します。
そしてパーリ経典に記されたお釈迦さまの道からはずれないように生きることを何よりも大切にします。
URLリンク(www.j-theravada.net)

274:神も仏も名無しさん
18/12/21 14:38:47.26 4JyTepTO.net
>>264
テーラワーダの先人達は説一切有部の瞑想法に不満を持って別れたわけではなく、主に三世実有に矛盾を感じて別れたとされています。
それで法が実在するのは現在(の◯刹那)だけであるという教理に変えたと。
もちろんテーラワーダ流の観行瞑想もテーラワーダの教理です。修法も教学もどちらも教理です。

275:神も仏も名無しさん
18/12/21 14:40:34.81 4JyTepTO.net
>>265
スマナサーラさんは経典を紹介するときも自己流の解釈を加えて誤解を生じさせることが多々あるので、そこに書いてあることも鵜呑みにはしないことです。
以上、今日はおしまい。

276:神も仏も名無しさん
18/12/21 14:52:36.43 AeAZf1m4.net
私は十数年、スマナサーラ長老のお話を聞いて、誤解を生じたことは無いですが。
テーラワーダは三世実有に反論しただけで、現在の瞬間の法有がテーラワーダだ、と主張してないでしょう?
新しい何かの概念を作り出して、これが


277:テーラワーダだ!!!と主張してるなら問題ですが。



278:神も仏も名無しさん
18/12/21 15:00:49.84 4JyTepTO.net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
さ、病院の定期検診もようやく終わったしこれから仕事に行かないといけないのでこれで本当に終わりにしますよ。
それでは。

279:神も仏も名無しさん
18/12/21 15:28:28.50 dElS3nyk.net
仏教の瞑想法と修行体系
「倶舎論」(説一切有部系):総論
URLリンク(gamp.ameblo.jp)

280:神も仏も名無しさん
18/12/21 19:18:36.26 AeAZf1m4.net
「有にもあらず無にもあらざるその中に 我がふる里の人の知らずや」 一休
有るでもない、無いでもないその境地に私の故郷があるが、人はそれを知らない。

281:神も仏も名無しさん
18/12/21 19:22:16.02 AeAZf1m4.net
「心とて実には心のなきものを 悟るはなにの悟りなるらん」 一休
心といっても、実際には無いものなのに、悟りというのは何を悟るというのだろうか。

282:神も仏も名無しさん
18/12/21 19:34:38.15 AeAZf1m4.net
カステラを包丁で真っ二つに切り、左は過去、過ぎてしまったから捨ててしまおう。
右は未来、まだ来てないから捨ててしまおう。その間の現在を食べましょう。

283:神も仏も名無しさん
18/12/21 20:08:58.57 AeAZf1m4.net
ブッダの言葉にも、現在には実体が無いというものがあった。
過去に引きずられず
未来を期待しない
過去はすでに終わり
未来はいまだ現れてない
現在の法(現象)を
その場その場で観察する
しかし現在にも実体がないことを知る
そのように知る人に、成長がある
今日のうちに努力すべきである
明日は死なないと知る方法はない
死王の大軍隊と関わりをもってはならない
このように努力する人の日々は好日である
URLリンク(www.j-theravada.net)

284:栄進
18/12/21 20:43:29.15 VU+n3zxE.net
ブッダは約束の時間守らんの^^

285:神も仏も名無しさん
18/12/21 22:53:59.03 5QtjLVtV.net
インドネシア
ジャカルタの仏教徒
URLリンク(youtu.be)

286:神も仏も名無しさん
18/12/21 22:57:29.62 5QtjLVtV.net
インドネシア
国際仏教会議の様子
URLリンク(youtu.be)

287:神も仏も名無しさん
18/12/21 23:10:31.74 dElS3nyk.net
Atîtam nânvâgameyya,
nappatikankhe anâgatam;
yadatîtam pahînam tam,
appattanca anâgatam.
Paccuppannamca yo dhammam,
tattha tattha vipassati;
asamhîram asankuppam,
tam vidvâ manubrûhaye.
 
過去に引きずられず
未来を期待しない
過去はすでに終わり
未来はいまだ現れてない
現在の法(現象)を
その場その場で観察する
しかし現在にも実体がないことを知る
そのように知る人に、成長がある
その場その場で観察する・・・tattha tattha vipassati
しかし現在にも実体がないことを知る・・・asamhîram asankuppam,
そのように知る人に、成長がある・・・・tam vidvâ manubrûhaye.
かな?
でもさ
asamhîram asankuppam を しかし現在にも実体がないことを知る
と訳すのはかなりの意訳 というよりも意図的な改竄
不動で、揺るぎない が直訳
URLリンク(76263383.at.webry.info)
実体という言葉をわざわざ入れて訳して果たしてよいものか・・・?

288:神も仏も名無しさん
18/12/21 23:50:02.41 dElS3nyk.net
>>274
経典のその部分の英訳
Do not recollect the past, nor desire the future,
The past is over, the future has not come.
These things of the present, see them with insight as they arise
Not faltering and not moved, think about them.
Today itself the dispelling should be done
Tomorrow death might come
We will not have any associations with Death and his great army
You should abide dispelling thus, day and night zealously,
This is the single auspicious attachment, the appeased sage tells.”
まあグーグルやエキサイト翻訳などて訳してみてw

289:神も仏も名無しさん
18/12/22 07:30:09.86 FQbYAarO.net
インドネシア ジョグジャカルタ
小乗仏教の読経の様子
URLリンク(youtu.be)

290:神も仏も名無しさん
18/12/22 07:33:36.77 FQbYAarO.net
インドネシア
ジョグジャカルタ
精進料理をいただく様子
URLリンク(youtu.be)

291:神も仏も名無しさん
18/12/22 08:35:38.16 r20U8CiM.net
asamhîram asankuppamは涅槃を示す慣用句みたいですね。
現在の法をその場その場で観察する、それすなわち涅槃であるが、智者はそれを修習する。
という意味ですかね。パーリ語は難しい。

292:神も仏も名無しさん
18/12/22 08:36:58.54 r20U8CiM.net
涅槃は無我ですから、実体が無いと訳してもよいと思います。

293:神も仏も名無しさん
18/12/22 09:12:35.88 L/5edhP6.net
>>283
仏教の世界でも、「無」「空」という概念は人気があります。
それは、虚無主義ではなく、我々が経験している現象の世界は、実は実体のないものです、という意味です。
この存在は、「空」というのです。
しかし、涅槃は「空」だというと、正しくないのです。
そうなると、輪廻も涅槃も同じものになるのです。であるならば、修行しなくても、努力しなくても良いことになるのです。
釈尊は、涅槃を anakkhâta (ineffable)表現不可能だと説かれているので、涅槃を「空」とは言わないのです。
しかし、「有」でもないのです。
その境地は観念的なものではなく、経験できるものです。
URLリンク(www.j-theravada.net)
というわけで、残念ながら涅槃を空=実体がないとするのは正しくないとスマは言っている
私見ながら涅槃を無我とするためには涅槃は無常であり苦であらなければならないと思う
しかし涅槃は果たして無常だろうか?苦だろうか?違うと思う

294:神も仏も名無しさん
18/12/22 12:21:48.65 FWDbBbXc.net
結局>>267なんですね。

295:神も仏も名無しさん
18/12/22 15:03:47.90 HuytOlJX.net
無為にして不生不滅

296:神も仏も名無しさん
18/12/22 15:04:11.70 r20U8CiM.net
涅槃は行が停止した状態だから、無常もない、苦もない。だから空もない。
しかし涅槃は法だから、無我。
空にも実体は無いが、無我も実体は無い。実体があるものは何もないから、
一切を虚妄であると知れ、世間を空と観よと説かれる。

297:神も仏も名無しさん
18/12/22 15:12:17.48 HuytOlJX.net
>>236
>それってお釈迦さまが説いたことなの?
心基を対象として禅に入るとか、そういうことなんじゃないの。
八正道の正定は、色界四禅を含む九次第定。
禅の定義は、五蓋が鎮伏され、(五)禅支のみがある状態。
その集中の対象は、呼吸瞑想においては呼吸。
呼吸を対象として完全な一境性がある時、名色がどうなっているか。
それは各自が確認すれば分かるはず。

298:神も仏も名無しさん
18/12/22 15:14:46.56 HuytOlJX.net
在家向けの指導内容に、仏教のすべてが包含されていると思っているとしたら
それはおそらく勘違いでしょう。

299:神も仏も名無しさん
18/12/22 15:18:14.97 HuytOlJX.net
禅定の入り方は、禅に入れる段階にまで達したら禅の先生に聞くのがよろしいと思います。
マハーシ式で修行している方は、マハーシ式の指導に忠実に沿えばよろしいと思います。
どこからどう進もうと、中道は中道。
結局のところ最終的には同じになっていくと思います。

300:神も仏も名無しさん
18/12/22 15:36:07.12 HuytOlJX.net
>>288
何かひとつの対象で禅定を習得できたら、それ以降は
任意の一点を対象にして禅に入れるそうです。
呼吸でなくとも、つま先でも心臓でも、何でもいいらしい。
サマタ40種類、ヴィパッサナーの対象の名色も多種多様。

301:神も仏も名無しさん
18/12/22 15:46:04.82 0NK8W7NI.net
>>291
何も考えずただ黙って座るのは、禅、瞑想ではないのでしょうか?
初心者です。

302:神も仏も名無しさん
18/12/22 15:53:06.00 HuytOlJX.net
>>292
禅、瞑想とは何かという本質的な問いのような気がします。
迂闊なことも言えませんので、何ともお答えしようがありません。
仏陀またはお師匠からのご指導を仰いだ方がよろしいのでは。

303:神も仏も名無しさん
18/12/22 15:56:11.90 HuytOlJX.net
本当に何も考えないでいられたら、それは凄いかも知れませんね。
わたしはどうしても無駄なことを考えてしまうので、どこか一点に注意を縛り付けておかねばなりません。

304:神も仏も名無しさん
18/12/22 15:59:56.23 0NK8W7NI.net
>>293
分かりました。
身体の一部に集中して瞑想してみたのですが、なかなか良い感じです。
よく集中できます。

305:神も仏も名無しさん
18/12/22 16:12:15.63 HuytOlJX.net
わたしも、一瞬でつま先に集中して禅定に入れるぐらいになりたいものです。

306:神も仏も名無しさん
18/12/22 16:25:44.31 L/5edhP6.net
>>287
スッタニパータ
756
見よ、神々並びに世人は、
非我なるものを我と思いなし、
<名称と形態>(個体)に執著している。
「これこそ真実である」と考えている。
757
或ものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、
そのものはそれとは異なったものとなる。
何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。
過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。
758
安らぎは(nibbanam)虚妄ならざるものである。
諸々の聖者はそれを真理であると知る。
かれらは実に真理をさとるが故に、
快をむさぼることなく平安に帰しているのである。
URLリンク(s.webry.info)
世尊いわく涅槃は虚妄ならざるもの

307:神も仏も名無しさん
18/12/22 16:49:23.83 r20U8CiM.net
>>297
涅槃には諸行が無い、識別作用が無い。
一切が無い。だから虚妄も無い。
そこには何も無いからこそ言葉で説き得ないと言われる。

308:神も仏も名無しさん
18/12/22 17:34:48.28 HuytOlJX.net
>>283
>涅槃は無我
>>298
>涅槃には一切がない。
>そこには何もない
無常なる一切の中に涅槃を含めてしまうのですか?
それとも、一切の中に涅槃を含めないのですか?
>>284 が既に指摘していますが、改めて確認してみて下さい。

309:神も仏も名無しさん
18/12/22 19:21:56.94 r20U8CiM.net
これが涅槃だ、ここに涅槃がある、涅槃を見た、涅槃を聞いたという事は無いでしょ?
涅槃は概念、法。諸法無我だから涅槃は無我。
涅槃は無明が無くなった状態だから、行も無い、名色も無い、六根も無い。
生命にとっては六根が全て、一切であり、涅槃には一切が、六根が無いという。
一切が、諸行が無いから無常も無く、苦も無く、空も無い。
法と行、ダンマとサンカーラは仏教のキモ。瞑想して「あぁこれが法か」「あぁこれが行か」というのを体験として理解しないと、なかなか難しい。

310:神も仏も名無しさん
18/12/22 19:23:17.21 HuytOlJX.net
>>300
根本的に勘違いしてると思う。

311:神も仏も名無しさん
18/12/22 19:25:13.95 r20U8CiM.net
一切は十二処。六根と六境であると説かれている。
一切経
URLリンク(komyojikyozo.web.fc2.com)

312:神も仏も名無しさん
18/12/22 19:26:05.21 HuytOlJX.net
>>300
>涅槃は概念
この一言にすべてが集約されてる。

313:神も仏も名無しさん
18/12/22 19:26:51.29 HuytOlJX.net
一切って、有為法のことでしょ。

314:神も仏も名無しさん
18/12/22 19:36:05.87 r20U8CiM.net
有為法というか有為ですね、一切は。
有為という単語はブッダの単語じゃないと思います。
行、サンカーラ、形成作用とか言ったりします。原始仏教では。

315:神も仏も名無しさん
18/12/22 19:37:41.84 AzdZ3r9m.net
よく涅槃が一切に含まれるかどうかが議論されますが、テーラワーダの教義、教義というのに差し支えがあるならテーラワーダのテキストのアビダルマッタサンガハ、では涅槃は一切に含まれます。

所縁 (対象)でまとめると 、所縁とは 、色所縁 、声所縁 、香所縁 、味所縁 、触所縁 、法所縁という 6種類です 。
その (六所縁の)中 、色が色所縁です 。同様に 、声などが声所縁などです 。
法所縁とは 、浄色 、細色 、心 、心所 、涅槃 、施設という 6種類にまとめられます 。
(アビダンマッタサンガハ)
(藤本晃の解説)
意門に入るもの 、つまり心の対象となるものは 、ただ 「法 」とだけ言われることが多いです 。
この場合の 「法 」は 「ものごと 」という意味ですので 、何でもかんでも 、ということです 。
過去のこと 、現在のこと 、将来のこと 、あるもの 、ないもの 、何でも 、心で受け取ることができるものが 、対象です 。
とりあえずここで分類しているのは 、まず物質です 。
第六章 「物質の分析 」で詳しく分析されますが 、物質についても 、意門で感受するという視点から 2つのものが挙げてあります 。
1つは浄色です 。これは 、眼耳鼻舌身根のことです 。
根とは 、機能です 。特に 、物質 ・身体にある方の 、見る聞く嗅ぐ味わう触れて感じるための機能です 。
眼球には見る機能があります 。聞く機能はたぶんないと思います 。その場合の眼球が 、見るための浄色です 。
このような感覚器官を 、意は対象として感じています 。
細色とは 、物質そのものより 、物質から受け取れる感受の方です 。目では色を受け取ります 。その色が 、細色と呼ばれます 。
同様にして 、声 、香 、味 、そして 「触れられるもの 」は地 (固さ )と火 (熱 )の 2種類に分けられますので 、 6種類が 、意によって受け取れる物質です 。それが細色です 。
心と心所は 、心ですから 、当然 、意の対象です 。
涅槃も 、変な話ですが 、意の対象です 。
最後の施設とは 、 「仮に設定したもの 」ということで 、本当は存在しない 、空想 、妄想の産物ということです 。
「亀の毛 」などという意味だけでなく 、 「家 」とか 「人 」 、 「車 」などというものも 、仏教から見れば組み合わせただけの 、実在しない施設です 。


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