18/08/26 00:13:53.77 TpxW64a+.net
補足
武士が主君のために命を投げ出すような「忠誠」は、実はそんなに多くはない。
だからこそ、忠臣蔵が流行る。
(まあ、あれもお家再興の望みも微かに持っていたかもだが)
江戸も後期になると、主君への忠誠は、「お家」即ち「藩」への忠誠へと変化する。
殿様のすげ替えはできるからね。
武士も「藩」という組織の構成メンバーにしか過ぎなくなる。
幕末、特に理想の武士像というものが強調されるようになったのかというと、
身分制が緩んで、武士でない者が大量に武士になっちゃったんよね。
彼らは、元、武士でなかったから、代々の武士以上に、理想の武士像を追い求めたわけ。
良い例が、新選組とかね。