18/08/26 00:11:38.60 TpxW64a+.net
今、問題としてるのは「如何に自己の死と向き合うか?」「自己の死という自分にとっての一大イベント
をどのように捉えるか?」・・・ということなんですが・・・・
確かに、歴史上、「自己の死を大した問題ではない」・・と捉えていた人々はい沢山いました。
だが、殆どの場合、彼らには、そこに「自己の死よりも重視すべき何か」があったんです。
そういう比較検討の帰結からではなく、もっと単純に、ストレートに自己の死を「単なる一変化」に
落とし込んだものたちはいなかったのでしょうか?
枯葉が一枚、木から落ちるのに何の意味も見出さないように、自分の死もそれと同じ目線で
みる。
例えば、明日の朝、八時に自分が死ぬことが確定していたとします。
残りは、あと十時間くらいだったとします。
貴方は、普段と全く変わりなく睡眠をとるだろうか?
後、残り十時間しかないと思えば、何かやり残したこと、やっておかなければならないこと
を考えて、普段通りぐっすり寝ることなどできないのでは?
それが一点の曇りもなく、普段通り過ごせる者がいたら、間違いなく彼は悟っていると
思うのだが・・・・
大概は、「平常通りにいようとする自分」 までだと思うな、w
「あ!! 忘れてた。 オレの命、あと30分だわ。」 となれたら大したものだがw