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一方、武士は自己の死をどのように捉えていたか? 戦国期は、「死後の名声」を重視するスタンスが顕著
です。
石田 三成が処刑直前に、警護の人間に喉が乾いたので水を所望したのに対し、「水は無いが、柿がある。
代わりにそれを食せ。」と言われたところ、「柿は痰の毒であるのでいらない。」と答えたというものです。
警護の者は「すぐに首を切られるものが、毒断ちして何になる。」と笑ったが、三成は「大志を持つものは、
最期の時まで命を惜しむものだ。」と泰然としていたといいます。(ちなみに漢方では、柿は痰の毒ではなく、
薬だそうです。)
・・・・う~~ん、これなどは「最後まで平常の心がけを失わない。大したものだ。」との評価もできない
ことはないが、何ていうか、 世情に、或いは、歴史に自己の最後が流布されることを意識しての行為みたいな
「臭み」が感じられてしまいます。
大阪の陣における、塙 団右衛門や真田幸村、後藤又兵衛など皆、自己の死を如何に涼やかに、もしくは華々しく
するかに、心をくだいていましたね。
それは、豊臣秀頼に対する忠誠心というよりは、己一個の進退を重視するスタンスですね。
その後、長い江戸期を通じて、理想的武士像というものが形成されていきます。
それは非常に観念的なものとなります。
戦のない平和な時代ですから、どうしてもそうなります。 「刀は武士の魂」などという観念論ですね。
戦国時代は、刀は単に敵を倒す武器に過ぎなかったのですがw
そして、それらが煮詰まった幕末になりますと、武士とは「死を恐れない者」という固定観念が武士の本質
として認知されていきます。
つまり、自分の命を惜しむ者は「武士」ではない・・・・ということなんですね。
これによって、実に多くの武士が簡単に腹を切ります。