【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践14at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践14 - 暇つぶし2ch596:神も仏も名無しさん
18/11/22 12:50:09.95 QlvWBFqH.net
>>567
ええ、だから思考を止めるんです。
人間だから不完全。主義主張が食い違う事もあるでしょう。
それらを全て放っておいて、目の前の現象を観察するのがヴィパッサナーですね。
一度瞑想すると決めたら、龍樹だろうがスマナサーラ長老だろうが、
ケツを蹴り上げて追い出さなきゃいけない。自分の頭の中から。

597:神も仏も名無しさん
18/11/22 12:51:32.05 T0XSz9dC.net
思考の中に生みだす正しい仏教って、見(ditthi)だから。
概念じゃないよって、そういう意味。

598:神も仏も名無しさん
18/11/22 12:52:58.41 T0XSz9dC.net
考えたり、しゃべったりしているうちは、正しい仏教 vs 正しい仏教のおしゃべりが
延々と(永遠に)続くだけでしょうな。

599:神も仏も名無しさん
18/11/22 13:08:22.19 QlvWBFqH.net
いちおう正しい仏教はあって、それはブッダが説かれた教えそのものなんですが、
問題は「私」の理解能力です。不完全な人間である「私」には理解できないんです。
考えても考えても、ありとあらゆる本を読んでも、「私」には理解できない。
そこで瞑想して、煩悩を滅ぼし、渇愛を無くし、「私」というものが無くなった時に、不思議と正しい仏教が理解できるんです。
無我ということですね。

600:神も仏も名無しさん
18/11/22 13:30:28.38 FWVnIcdP.net
>>554
中村元は説一切有部の「三世実有法体恒」をイデア的に捉えているんですよね
これは中村元が間違っているんですかね?
p154
東西における対応は容易に理解することができる。図式化すると
実念論 - プラトーン - 説一切有部
実念論に対する反対者 - プラトーンに対する反対論 - ナーガールジュナ学派

601:神も仏も名無しさん
18/11/22 14:42:23.80 vp4aKA/n.net
説一切有部 五位七十五法
URLリンク(3fo.org)
唯識 五位百法
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)
これらの法は観念の世界の投影とかじゃないからね
あと説一切有部とかの小乗系は法は自性のある実体
大乗唯識は法は最終的には無自性の空と帰す

602:神も仏も名無しさん
18/11/22 14:46:30.01 5VBfI4WN.net
久しぶりに来ました
無職が悟ったと聞いて

603:神も仏も名無しさん
18/11/22 14:59:11.53 FWVnIcdP.net
>>575
>>558さんの考えには反対ですか?

604:神も仏も名無しさん
18/11/22 15:04:44.46 QlvWBFqH.net
直指人心、見性成仏。
自分にも心はあるのに、なぜ教科書の中に答えを求めるのか。
「お掃除とは何か?」という答えを求めて、お掃除大百科を一日中眺めていて、
自分の家の掃除をしない主婦がいたら笑っちゃうでしょうにw

605:神も仏も名無しさん
18/11/22 15:06:14.41 vp4aKA/n.net
>>575
昨日言われていた自我というのは説一切有部の五位七十五法だと、心所法の中の大煩悩地法や大不善地法、大


606:煩悩地法、小煩悩地法、不定地法が典型であろう テーラワーダの勝義法(勝義諦)だと心所法の中の不善心所だろうな



607:神も仏も名無しさん
18/11/22 15:10:48.71 vp4aKA/n.net
>>577
実体があるのに無常であるというのに整合性を求めるための刹那生滅です
小乗系は皆この考え
大乗でも経量部からの流れで唯識などは刹那生滅
阿頼耶識とアートマンの一番の違いは刹那生滅するかどうか
アートマンは生滅しないので常住である、常一主宰であると言える
一方の阿頼耶識は刹那生滅するので無常であり空

608:神も仏も名無しさん
18/11/22 15:17:37.13 KrnC6iwe.net
皆さんの言ってることが難しすぎてよく分からないんですが、
たとえば真理とか言われるものも、無常・無我ということなんでしょうか?
勝義諦と諸行無常・諸法無我の関係はどうなっているのでしょうか。
勝義諦だけは、別なのでしょうか?

609:神も仏も名無しさん
18/11/22 16:22:12.90 T0XSz9dC.net
勝義諦のうち、涅槃を除く、心、心所、色が無常、苦、無我で、
涅槃だけが別です。
象も実物を見れば一発で伝わるのに、言葉で伝えるとなると
ややこしくなりますね。
例え伝わったところで、日光東照宮の彫刻にある象の像のように
空想上の動物になってしまうでしょうし。
ご自身が依拠する経典以外の語彙、語り方の構造は、あくまで
自分が乗る乗り物とは違う、他の乗り物だと思っておいた方が
良いのではないでしょうか。
他人の乗り物をあれこれ言わないのもマナーかと思います。

610:神も仏も名無しさん
18/11/22 16:29:07.66 T0XSz9dC.net
あと、乗り物の研究だけして、実際に乗らないという時代は
もう終わったと思ってます。
時代は変わりました。

611:神も仏も名無しさん
18/11/22 16:39:12.63 FWVnIcdP.net
>>580
「実体がある」という意味は
「この現象界を構成する要素となる法が実体として刹那生滅していて、感じ取ることができる」
という理解で合っていますか?

612:神も仏も名無しさん
18/11/22 16:40:21.87 KrnC6iwe.net
>>582
人間の道徳や倫理はどうでしょうか?
地球外知的生命体はいると思いますが、倫理や道徳は地球上の人間とそう変わらないと思っています。
たとえば、命を大切にする、ということなど。
同族の命を大切にする、ということなどは、地球上の生命体にとって、普遍なことだと思うのです。

613:神も仏も名無しさん
18/11/22 17:07:25.58 KrnC6iwe.net
さっきまで色々と調べてみたのですが、
簡単に答えのでることではないのですね。
色々な見方がある、ということだけは分かりました。

614:神も仏も名無しさん
18/11/22 17:21:43.54 FWVnIcdP.net
>>586
そうですね 簡単に答えは出ないと思います
見方も違うし、見ているものも違う というのが実情だと思います
テーラワーダの人たちですら意見が合わないので
他宗派を交えたらなおさら話が噛み合わないのでしょう

615:神も仏も名無しさん
18/11/22 17:40:42.74 QlvWBFqH.net
まず刹那生滅を自分で観ることが先決。
本を読んで分かる事ではない。

616:神も仏も名無しさん
18/11/22 17:55:58.30 /MeK4Ni/.net
>>580
部派仏教(小乗系)の諸々の法は実体(自性)があるが刹那生滅するので無常とされます。
唯識瑜伽派の阿頼耶識含む諸々の法も刹那生滅しますがその法は仮であり実体(自性)はなく空であるとされます。
刹那生滅以前に、空であるので無常であるとなります。
大乗では空であるから分別はしないということはなく、色即是空空即是色として空即是色の部分でちゃんと分別しています。
それは分別智とか後得智と呼ばれます。
色即是空は分別智とか根本智と呼ばれます。
菩薩は衆生の機根に応じて説法する(対機説法)ので分別智を得ることが重要視されます。

617:神も仏も名無しさん
18/11/22 18:53:47.31 T0XSz9dC.net
教える中身があるのが前提だと思いますけどね。

618:神も仏も名無しさん
18/11/22 18:59:26.39 QlvWBFqH.net
一回も料理を作ったことが無い人が、レシピだけをものすごい研究してる感じだね。
あっちのレシピでは小麦粉は10グラムです。こっちのレシピでは15グラムです。って。
作ったことあるの?無いです。
おいしいの?さぁ。

619:神も仏も名無しさん
18/11/22 20:14:03.33 kQ/G8d64


620:.net



621:神も仏も名無しさん
18/11/22 20:27:05.61 tNylYVoG.net
人間しか悟りが開けないようですが
仏教でいう人間の定義って何なのでしょうか?
善行為ができる生命ってことでしょうか?

622:神も仏も名無しさん
18/11/22 21:34:37.39 QlvWBFqH.net
他人の涅槃は放っておけばいいのに、文献だ、経験だと余計な詮索をするレス
他人の体験は分かりようがないのに体験してないと断定してしまうレス
>>593
人間というか、生命は五蘊または六根と六境ですね。
人間は善行為もできるし悪行為もできます。
天界に行くこともできるし、地獄に落ちることもできる。
善悪両方経験できるので修行には向いているようです。

623:神も仏も名無しさん
18/11/22 22:37:14.36 KQltmVPM.net
涅槃は認識できないし涅槃の間に認識はないというマハーシ派に対して、認識がない涅槃を認識できるとパオ派は言ってるらしいですけど、
マハーシ派の言う涅槃を体験したという人はたまに聞きますが、パオ派でいう涅槃を体験した方はいますか?
いたらどんなか、お話を聞きたい

624:神も仏も名無しさん
18/11/22 22:43:03.96 ZJlK5d4C.net
涅槃を体験とは
「感覚や認識を含めた一切の意識が断絶した状態である滅尽定のこと」

625:神も仏も名無しさん
18/11/22 22:49:43.56 kQ/G8d64.net
>>594
仕方ないだろう
その涅槃体験のレスが文献に書いてあることそのままなんだから文献丸写しと分かってしまうからな

626:神も仏も名無しさん
18/11/22 22:56:47.14 5VBfI4WN.net
平日昼間もやってんだから
少しは休めば?

5ちゃん漬けは
もっと頭おかしくなるよ

627:神も仏も名無しさん
18/11/22 22:57:01.97 T0XSz9dC.net
まずは心清浄。
涅槃なんてずっと先の話でしょ。

628:神も仏も名無しさん
18/11/22 22:57:11.01 qcJk7RZ5.net
涅槃の体験などいろいろ経験している人は自己評価はどんな感じなのかな
例えば預流果には乗ったなとか一来果まで来たなとかわかるのかな
また、十界でいえば、現在は人界・天界・声聞界・縁覚界のいずれに属しているのかとかも判別できる?

629:神も仏も名無しさん
18/11/23 00:40:40.02 rOalnxpU.net
>>581
真理というのは何のことを指すのでしょう?
また勝義諦というのは大体が中観派かテーラワーダで使われる用語なのですが中観の勝義諦とテーラワーダの勝義諦は違います。

テーラワーダ仏教においては、(勝義諦とは)主に「世界」を構成する不変・恒常の「法」(ダルマ)のことを指し[出典無効]、
それ以外についての世俗的・恣意的・瑣末的な概念(施設(せせつ)・仮設(けせつ)・仮名(けみょう))群と対比される。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
ウィキペディアでは出典無効となっていますが、テーラワーダは勝義諦を勝義法などとも呼び真に実在するもの(存在)として捉えています。
しかしそれはプラトンのイデアとは違いますので注意。
テーラワーダでは法(勝義法)は四位百七十法です。

一方で中観派の勝義諦とは、中論の24章に
「二つの真理(二諦)にもとづいて、もろもろのブッダの法(教え)の説示〔がなされている〕。〔すなわち〕、世間の理解としての真理(世俗諦)と、また最高の意義としての真理(勝義諦)とである。」
とあり、要するに彼岸(涅槃)の真理が勝義諦です。
では勝義諦の真理とは何かというと、掻い摘んで言えば諸法空相で実体はないということです。
般若心経ではそのことを空の世界の中は不~不~であり、諸法は空相であるから実体としての~は無い(しかし世俗諦としての~は尽きることはない)と説いています。
般若心経は空という


630:彼岸の世界のことを説いているのです。 それで涅槃ですが、涅槃自体は無為(作られたものではないもの)であり無因の果であるので諸行無常には当てはまりません。 永遠のニルヴァーナの境地という表現も仏典ではよく見かけますが、境地ですから本当に未来永劫永遠なのかは私には分かりません。



631:神も仏も名無しさん
18/11/23 09:05:39.47 +q0KO2Xv.net
>>601
レスありがとうございます。うーん難しいなぁ。
でもちょっと理解できました。
真理とは何かですが、たとえば五戒とか、人類が存在する限り有効な概念とかです。
プラトンのイデアとかでもいいですけど、未来永劫続きそうな道徳とか倫理とかでもいいです。

632:神も仏も名無しさん
18/11/23 09:46:42.34 1vuOq3mK.net
>>597
仏道修行してるといろいろ体験する。その時は変な体験だなぁと思うだけだが、
経典その他を読んでみると、あぁ確かに、こうゆうことだったのかと納得する。それだけの話。
みんながみんが、自分の体験を自分の言葉で表現する文学者じゃないからね。
>>600
悟った瞬間は、あぁ悟ったなと思うだけ。
しばらく様子を観ていると、ある種の煩悩が残っていることに気づく。
経典などで四向四果の説明と残りの煩悩を照らし合わせると、自分は今預流果だな、とかが分かる。
一来果は微妙すぎて分からなかった。
十界は分からないが、六道は分かる。悟りとは関係無く、自分の心を観察してると、
あぁあの時は地獄の次元に落ちてたな、修羅道に落ちてたな、天界に行ってたな、とかは思う。
悟って以降は、確かに地獄などの悪い次元の感情は起きない。

633:神も仏も名無しさん
18/11/23 10:03:42.64 1vuOq3mK.net
涅槃は永遠じゃない。不生不滅が正しい。もっと正確には不生。
生まれていない、存在すらしていないものについて永遠だとか、どうだとは言えない。
識別作用の滅した、安楽の境地とは言えると思う。
涅槃を経験すると、存在、実在とはどうゆうものかという智慧が生まれる。
存在、実在という言葉に騙されなくなる。

634:神も仏も名無しさん
18/11/23 10:14:01.74 +q0KO2Xv.net
>>存在、実在とはどうゆうものかという智慧が生まれる。
それ知りたいです。
言葉で表現できますか?
なんとか言葉にしてもらえたらありがたいです。

635:神も仏も名無しさん
18/11/23 10:36:29.14 1vuOq3mK.net
スマナサーラ長老の説明が分かりやすいでしょう。
(5)パパンチャのからくり
URLリンク(www.j-theravada.net)
施本PDF『パパンチャ(Papañca) ~ヴィパッサナーで破るもの~』
URLリンク(gotami.j-theravada.net)

636:神も仏も名無しさん
18/11/23 10:37:27.01 MLXqCB31.net
ほれ、涅槃を経験してないのに経験したかのようにしたり顔でレスするだろうw
やれやれだわ

637:神も仏も名無しさん
18/11/23 10:44:55.20 +q0KO2Xv.net
>>606
サンクスです

638:神も仏も名無しさん
18/11/23 10:44:58.65 1vuOq3mK.net
ちなみに、心、心所、色は存在、実在するじゃないかと思うかも知れませんが、
それら全てをバラバラにしてみると、どこにも何もない。
例えば、肉体は実在するじゃないか、色は実在じゃないかと言っても、
それは地水火風の集まりであって、その地水火風も瞬間に生滅している。
ここに存在がある、これだと認識した瞬間にそれはもう変化している。消えている。
法、ダンマに騙されてはいけない。無我だから。私も無我、あなたも無我、リンゴも無我だから。
この世の中に、これと言って捉えられるものは何一つない、というのが無我です。

639:神も仏も名無しさん
18/11/23 10:50:59.81 1vuOq3mK.net
例えば私は無我。
私のナーマも無我、ルーパも無我。
五蘊も無我、貪瞋痴も無我、眼耳鼻舌身意も無我。
どこまで細かく心を分類しても、その全てが無我。捉えることは出来ない。捕まえることは出来ない。
ゆえに手放さなければいけない、無執着でいなければいけない。

640:神も仏も名無しさん
18/11/23 11:16:07.72 gkDEeL3b.net
六神通なるものを得ると人の前世とか来世とか見えるというけどその人の承諾も許可もなく他人の


641:プライバシーを無視して勝手にのぞいていいのか 仏教はプライバシーの侵害をどう考えているの



642:神も仏も名無しさん
18/11/23 11:23:35.04 1vuOq3mK.net
テーラワーダの勝義諦、自性の変わらない法という意味は、
五蘊が六蘊になったりしない、四大が三大になったりしないよ、地水火風が地水火木とかにはならないという意味でしょうね。
Wikipediaの不変・恒常の法という言い方は誤解を招くな。

643:神も仏も名無しさん
18/11/23 11:48:05.17 MLXqCB31.net
>>604
小部経ウダーナ
8.1 第一の涅槃に関することの経(71)
「比丘たちよ、その場所(処)は存在する
―そこにおいては、まさしく、地なく、水なく、火なく、風なく、
虚空無辺なる〔認識の〕場所(空無辺処)なく、
識別無辺なる〔認識の〕場所(識無辺処)なく、
無所有なる〔認識の〕場所(無所有処)なく、
表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所(非想非非想処)なく、
この世なく、他世なく、月と日の両者はない。
比丘たちよ、そこにおいて、また、わたしは、まさしく、帰る所(現世)を説かず、赴く所(来世)を〔説か〕ず、止住を〔説か〕ず、死滅を〔説か〕ず、再生を〔説か〕ず、
これ(涅槃)を、依って立つところなきものと〔説き〕、〔対象として〕転起されることなきものと〔説き〕、まさしく、〔転起された〕対象ならざるものと〔説く〕。
これこそは、苦しみの終極“おわり”である」
8.3 第三の涅槃に関することの経(73)
「比丘たちよ、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの(有為)』でないもの(涅槃)は存在する。
比丘たちよ、もし、その、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの』でないもの(涅槃)が有ることなくあったなら、
ここに、『生じたもの』『成ったもの』『作り為されたもの』『形成されたもの』からの出離は覚知されないであろう。
比丘たちよ、しかしながら、まさに、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの』でないもの(涅槃)が存在することから、
それゆえに、『生じたもの』『成ったもの』『作り為されたもの』『形成されたもの』からの出離が覚知される」

ブッダが比丘たちの前で明確に存在すると言った涅槃
について「存在すらしてない」とよく言ってのけられるな>>604
涅槃が生じたものではないというのは現象世界(有為)と涅槃は違うということであって涅槃は生じたものではないから存在しないというのは読み違いだ

644:神も仏も名無しさん
18/11/23 12:49:15.55 dO6KihAu.net
>>611
仏教的には誰のプライバシーなのか?って話になるのかな
無我なんだから

645:神も仏も名無しさん
18/11/23 12:56:36.58 ejLvBbIz.net
質問なんだけどブッダって死ぬときに「私が死んだら教えを捨てなさい」とか言ってなかったっけ?

646:神も仏も名無しさん
18/11/23 13:34:06.02 rOalnxpU.net
>>612
色、受、想、行、識の五蘊は、実際に存在するものです。そして、それらは生じては滅します。そこには独立した「人」というものは存在せず、ただ、無常(アニッチャ)なる現象があるだけです。
(アーチャン・チャー)
テーラワーダでは五蘊などの法の実在は認めます(我空法有)。
説一切有部のような三世実有ではなく経量部や大衆部と同じく現在有体過未無体、つまり法は現在の瞬間にのみ存在するとしています。
法が刹那生滅するのはそれらの部派全てに共通してはいます。
>>614
それは仏教的ではありません。
釈迦は無我なんだから人を殺してもいいとか他人の悪口を言ってもいいとは言ってません。
逆にそれらを厳しく諌めています。
無我の我とはアートマンのことで釈迦はアートマンの有無については沈黙を貫きましたが、テーラワーダ風に言えば施設された自己については大いに語っています。
>>615
死ぬ間際にアーナンダに対して言ったのは
「アーナンダよ 。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない 、
『教教えを説かれた師はましまさぬ 、もはやわれらの師はおられないのだ 』と 。
しかしそのように見なしてはならない 。お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが 、わたしの死後にお前たちの師となるのである 。」
ですので逆です。
捨てて良いとしたのは
「アーナンダよ 。修行僧の集いは 、�


647:墲スしが亡くなったのちには 、もしも、欲するならば 、瑣細な 、小さな戒律箇条は 、これを廃止してもよい」 と些細な戒律については捨てても良いとしました。 そのでアーナンダが捨てても良い戒律とは何なのか具体的に聞かなかったことで後に長老方に咎められるのですが…。



648:神も仏も名無しさん
18/11/23 13:35:48.48 rOalnxpU.net
そのでアーナンダが捨てても良い戒律とは何なのか具体的に聞かなかったことで後に長老方に咎められるのですが…。

そこでアーナンダが捨てても良い戒律とは何なのか具体的に聞かなかったことで後に長老方に咎められるのですが…。

649:神も仏も名無しさん
18/11/23 13:38:55.97 rOalnxpU.net
>>611
まずその当時にプライバシーの侵害という概念があったかどうかですね。
現在において本人の承諾なしに神通力で他人のことを探って公言したりしたらプライバシーの侵害になるとは思います。

650:神も仏も名無しさん
18/11/23 13:41:39.72 CyL4JE6H.net
当時との違いもそうだけど
インドだよ

651:神も仏も名無しさん
18/11/23 13:42:51.97 negSXlFU.net
>>595
↓これが回答になってる気がするのですが、如何。
>>613

652:神も仏も名無しさん
18/11/23 13:48:08.01 negSXlFU.net
存在するしないがパパンチャなら、パパンチャから抜け出した涅槃はなんなのかね。
よくわかんないね。
パパンチャの言葉で表現できるのかな。

653:神も仏も名無しさん
18/11/23 14:00:35.36 dO6KihAu.net
>>618
プライバシーの侵害で訴えたとしても
検察側は前世があること、それを見たことを証明しなければいけないだろうから罪に問うのは難しいだろうね

654:神も仏も名無しさん
18/11/23 14:43:42.47 1vuOq3mK.net
>>613
概念と実在の違い。
概念としての涅槃はある。
実在としての涅槃は存在しない。
実在、パパンチャが無くなった状態を涅槃と言う。

655:神も仏も名無しさん
18/11/23 14:48:54.08 negSXlFU.net
概念はどこにあるの。
パパンチャだべ。

656:神も仏も名無しさん
18/11/23 14:53:35.90 negSXlFU.net
戒清浄からしっかり積み上げていくしかない。
どんな議論も無駄無駄無駄。

657:神も仏も名無しさん
18/11/23 14:54:45.49 1vuOq3mK.net
>>616
これも、実際にあるのは概念としての五蘊ですよ。
五蘊も無我ですから。実在は無いんです。
ブッダでさえ、自分の五蘊に触れられないんです。放っておくしか無いんです。
誰もそれを捉えられないものを、実在すると表現するのはおかしいと思いますが。
我空法有はテーラワーダの言葉では無いでしょう。
テーラワーダに無い概念でテーラワーダの説明をするのはどうかと思います。

658:神も仏も名無しさん
18/11/23 14:59:12.19 +q0KO2Xv.net
>>625
ここは語り合うスレでもあるからいいのでは?
ずっと議論ばかりはいけないと思うけど

659:神も仏も名無しさん
18/11/23 15:01:09.87 negSXlFU.net
同じだよ。
言葉の運用が違うだけ。
大乗の三宝印では涅槃寂静というが、これは一切行苦をひっくり返した表現なだけ。

660:神も仏も名無しさん
18/11/23 15:12:34.05 1vuOq3mK.net
信じられないかも知れませんが、「世間における一切のものは虚妄である」とはブッダの言葉ですよ。
ブッダも虚妄、八正道も虚妄、五蘊も虚妄、全てです。
六祖慧能は本来無一物と言ってますが、本当に何も無いんです、本来は。
それでは話ができないから、仮に存在するとして、言語表現として、いろいろとブッダは語った訳です。
世間においては、本来はチリひとつも存在してないんです。これは涅槃を経験しないと分からない。
ですから、アビダンマどころか、ブッダも仏教も必要ないんです。余計なものなんです。
仮に名前をつけただけの幻なんです。

661:神も仏も名無しさん
18/11/23 15:14:16.03 +q0KO2Xv.net
ブッダも虚妄は草

662:神も仏も名無しさん
18/11/23 15:38:32.60 1vuOq3mK.net
問「貪や瞋といった煩悩は、単なる幻想なのでしょうか?それとも、それらは実在するものなのでしょうか?」
チャー「両方じゃ。わしらが貪瞋痴と呼んでいる煩悩は、わしらが鉢を指して大きいとか、小さいとか、すてきだと言ったりするのと同様に、
その外形につけられた名前にすぎん。もしわしらが大きな鉢を欲っしているなら、この鉢を小さな鉢だと言うだろう。
執着があるために、わしらはこのように概念を作り出す。真理はただ、あるがままのものであるにもかかわらず、
執着はわしらに物事を区別することを引き起こす。こういうふうに考えてみるといいじゃろう。
わしが「おまえさんは男かい?」と質問したとする。おまえさんの答えは「は


663:い」かな?こういうやりとりは、 現象の表面上に表れたものに関するものなのじゃ。しかし、おまえさんは本当は、四大が結合したものか、変化し続ける五蘊の集まりにすぎないのじゃ。 もし、心が自由なら、現象を区別することはない。「大きい」「小さい」「あなた」「私」など存在しないのだ。 わしらは無我という表現を使うが、究極的には我も無我もないのだ。」 手放す生き方 アーチャンチャー p281



664:神も仏も名無しさん
18/11/23 16:40:21.07 +q0KO2Xv.net
深く自分の中に埋没していくと、我と呼べるような何かがあるような気がするんですよね。
五蘊は無我だと分かっています。
それ以外の何かがあるような気がするんです。。。

665:神も仏も名無しさん
18/11/23 16:44:55.05 +q0KO2Xv.net
末那識 とか阿頼耶識と呼ばれるものかな。
同じことを考えていた人はいたみたいで。

666:神も仏も名無しさん
18/11/23 18:09:31.09 negSXlFU.net
ブッダ(仏陀)。
八正道(仏法、しかも道諦)。
預流果の聖者が、三宝を虚妄と言うことはあり得ないと思う。

667:神も仏も名無しさん
18/11/23 18:19:44.10 1vuOq3mK.net
>>634
臨済禅師なら胸倉を掴んでこう言うでしょうね。
「どこにブッダがいる。どこに八正道がある。さぁ言え。さぁ言え。」
「ブッダは殺せ。目の前の現象を信じ切れずに、どこに道を探しているのか。」

668:神も仏も名無しさん
18/11/23 18:21:51.97 +q0KO2Xv.net
すごいんだかすごくないんだか分からない

669:神も仏も名無しさん
18/11/23 18:51:00.27 negSXlFU.net
>>635
八正道の実践があるところに八正道がある。
それが涅槃へ至る道。道諦。
八正道の実践がないところに八正道はない。
涅槃に至る道もない。
従って、涅槃に至ることもない。
仏陀はどこにいるか。
「法を見るものはわたしを見る」とのことなので、お目見えする日を
楽しみにしておこうと思っている。

670:神も仏も名無しさん
18/11/23 19:01:01.22 1vuOq3mK.net
>>637
全ての概念を捨て、目の前の現象に気づき続けなければ八正道は完成しない。
すなわち八正道を捨ててこそ八正道は完成する。
法とは何か。諸行無常、一切皆苦、諸法無我。
全てのサンカーラを停止し、全てのダンマに実体が無いことを悟れば、どこにもブッダはいない。

671:神も仏も名無しさん
18/11/23 19:05:12.34 1vuOq3mK.net
そもそもブッダは、その当時の全ての経典、師匠、修行、一切を捨てて、菩提樹の下で瞑想して悟られた。
御自身のナーマルーパに対する執着、命を捨てる覚悟で瞑想された。
今の時代の人も、ブッダに対する執着、仏法に対する執着を捨て、自分の体、心に対する執着も捨てて瞑想しないと悟れない。

672:神も仏も名無しさん
18/11/23 19:13:51.82 +q0KO2Xv.net
いいこといいますな
でも仏法僧に対する信仰も大事なんじゃないかと思う
究極的にはなくてもいいのかも知れないですけどな

673:神も仏も名無しさん
18/11/23 19:31:43.63 1vuOq3mK.net
>>640
まぁ私も最初は三帰依から入りましたけど。

674:神も仏も名無しさん
18/11/23 19:35:02.68 CyL4JE6H.net
お釈迦さんのやり方と
お釈迦さんの教えを信じるやり方
やり方は全く違うんじゃないかね

675:神も仏も名無しさん
18/11/23 19:38:25.02 +q0KO2Xv.net
>>641
三帰依で悟れますよね。

676:神も仏も名無しさん
18/11/23 20:05:43.91 1vuOq3mK.net
>>643
どうでしょうね。
それだけではダメなような気もしますし、突き詰めれば最後は三帰依なのかなとも思います。

677:神も仏も名無しさん
18/11/23 20:14:16.42 odcdvB0B.net
>>644
どういった修練で悟れましたか?

678:神も仏も名無しさん
18/11/23 20:34:51.97 1vuOq3mK.net
>>645
最初は本からですね。
徐々に瞑想に力を入れていき、本は捨て、仕事も辞めてしばらく瞑想に専念し、
最後は普通に仕事もし、普通に瞑想し、全く普通の生活をしていたら預流果に悟りましたね。
天国も地獄も一通り経験して、当たり前になった時悟りました。
本はけっこう早い段階で


679:捨てました。 瞑想は基本マハシ式ヴィパッサナーで、たまに呼吸瞑想、只管打坐の真似ごとをやってみたり。 最初は慈悲の瞑想をひたすらやり込みましたね。歩く瞑想もかなりやりました。 とにかく生活の全部を瞑想に費やしましたね。 最後は瞑想に対する気持ちも冷静になりましたけど。



680:神も仏も名無しさん
18/11/23 20:45:53.59 DlSyFrg1.net
>>646
おめでとうございます。
悟る瞬間はどんな経験をするのか教えていただきたいです。

681:神も仏も名無しさん
18/11/23 20:49:22.98 +q0KO2Xv.net
結構苦労されたんですね。
これからの修行の展望はどうですか?
自分はなかなか欲界に対する未練を捨てきれません。
いいところまではきている感じなのですが、近いようで遠いような感じです。
まあ日々の修行が足らないですね。特に念と定の力が足りていないと感じています。

682:神も仏も名無しさん
18/11/23 20:54:46.51 rOalnxpU.net
>>626
仏教のアビダンマでは 、まず心を「勝義諦の一つ 」と位置づけています 。
勝義諦とは 、「真実 、真にあるもの 」という意味の仏教用語です 。
仏教のアビダンマでは 、勝義諦 ・真実 ・真にあるものは 「心と心所と物質 (色 )と涅槃の四つだけ 」と説明しているのです 。
一般的な世界の立場からは 、「もっといろいろなものがあるじゃないか 」という反論が返ってくるかもしれませんが 、アビダンマ論では 、「この基本的な四つがあるだけ 」と見るのです 。
その基本的な真実 、 「本当にあるもの 」の一つが 、心 c i t t aなのです 。
(スマナサーラ著「ブッダの実践心理学2」)
ということで、テーラワーダは心と心所と色と涅槃の四つを真にあるものとして実体視します。
説一切有部だとそれに心不相応法が加わって法の五位です。
実体はありますが刹那生滅するから無常であるというのがテーラワーダや説一切有部の教説です。
我空法有はテーラワーダの教説です。疑うのなら「テーラワーダ 我空法有」で検索してみるといいです。
五蘊に実体はないとするのは大乗仏教の空の理論です。

683:神も仏も名無しさん
18/11/23 20:55:12.02 1vuOq3mK.net
>>647
けっこう普通に冷静ですよ。
あっ!!!とは思います。
見るもの聞くもの感じるもの、全部が止まらず動き続けている。
本当に今の一瞬しか無いんだと気づきます。
その後なぜか、強烈な喜びが湧き上がってきますが、しばらくすると落ち着きます。

684:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:05:13.78 1vuOq3mK.net
>>649
スマナサーラ長老の「本当にある」というのは、実体、実在としてあるという意味では無いと思いますよ。
因縁により生滅しており、無我であり、空である「それ」としてあるのだと思います。
我空法有はパーリ語で何といいますか?検索しても出てきませんが。

685:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:24:30.95 1vuOq3mK.net
ちなみに無我ということも、空ということも、無いという意味ではないですよ。
我が無い、固定していて実際の存在として捉えることの出来ない、認識としてだけ有り、実際は瞬間で生滅している無常の「それ」です。
あるがままのそれです。

686:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:30:17.33 rOalnxpU.net
>>651
テーラワーダでは法は「因縁により」生滅している
と誰か言ってる人がいるのですか?
>>652
我(アートマン)は生滅しません。
あなたがどう思おうともそれがアートマンの定義だからです。
生滅するものでしたらテーラワーダ(分別説部)含む部派仏教の中に我を加えている部派はあったのかもしれませんが事実として我を法に入れている部派はありません。

687:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:34:33.16 rOalnxpU.net
分別説部では、我々が経験する常識的な存在、個別の人や事物・事象は仮のものであって実在しない、
我いわゆる霊魂のような「不滅の私」・「永遠なる個我」(atta)なるものなども存在しない、故に「無我」(anatta)である、と無我を理解。
しかしながら、部派仏教といわれる諸部派がその他なんらかの実在を認めていたように、究極的には四つの範疇に分類されるモノが実在する、という見解を立て、そのような理解に従った教学を構築しています。
現在の分別説部では、そのような究極的実在を、パーリ語でparamattha[パラマッタ]と呼称します。
その意味は、parama(第一の・勝れた)+attha(本質)で、漢訳語ではこれを「第一義」あるいは「勝義」などと言います。
あるいは、それら究極的実在を、vatthudhamma[ヴァットゥダンマ]などとも呼称します。
これはvatthu(拠り所・基礎)+dhamma(存在)で、いわば存在の根拠、要するに実在するモノのことです。
さて、ではその四つとはなんであるか。これを簡潔に表にして示せば、以下のようなものです。
(paramatthaの法の区分表)
これら四つの範疇に属するいちいちの法はすべて真に実在するのであり、これ以外の実在を認めるのは誤りである、というのが分別説部における見解です。

688:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:35:03.83 rOalnxpU.net
>>654の続き
現在、俗世間では一部に、何を根拠にその様に言うのか知りませんが、「上座部は小乗ではない」・「小乗では無かった」などと主張する一類の人々があります。
しかし、上に見たように、個我は実在しないけれども、しかし何事か真に実在するものが有るという見解を建てている以上は、これを大乗では「人空法有[にんくう ほうう]」などと云うのですが、
まさしく大乗から小乗(Hīnayāna)すなわち「不完全な教え」・「劣った教え」と見なされ、称された教え以外の何物でもないことになるようです。
また、現存する諸部派の成立についての伝承や、それらに対する大乗の見解を記した典籍からしても、多く分裂してその見解の是非を競っていた諸部派は、大乗から小乗と呼称されたものです。
であるとしても、しかし、それら部派の教義・教学体系には見るべきもの、学ぶべき有益な事柄が多くあります。
実際、大乗の諸学派はそれら部派を小乗と呼びながらも、しかしそれら(特に説一切有部・経量部・大衆部・犢子部など)を学ぶことは必須のものでした。
実際、大乗であろうが小乗であろうが、いずれも仏陀釈尊という清泉より涌出し、連綿と流れ来たったものです。
そこから汲む水は、その広狭・浅深こそあれこれを散ずれば、等しく人を、世界を潤わせ涼やかにする有益なものに相違ありません。
URLリンク(www.horakuji.com)

689:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:41:08.74 odcdvB0B.net
>>646
有難うございます
丁度仕事に就こうと思っていたので励みになります。
私も瞑想に費やして行ければ良いなと思います。
いかんせん意思が弱く徹底できていませんが・・・

690:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:46:47.31 1vuOq3mK.net
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
これを読むと、我空法有は大乗仏教が、小乗仏教(説一切有部)に対して付けたレッテルじゃないですかね?
大乗仏教の立場は一切皆空ですが、それはブッダの立場と一致するように思います。
法には二つ意味がありまして、真理という意味と存在という意味です。
存在としての法は、我々の意門の対象、概念としての法ですよね。それは当然、無常ですから生滅してますし、
生滅するものは全て因縁が絡んでいるはずです。
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E4%BB%8F%E6%95%99)
私の言う我はアートマンではないです。
固定していて、不変の、存在として捉えられる、実在、実体として捉えられるもの。という意味です。
自分の我は自我ですね。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

691:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:55:46.30 rOalnxpU.net
説一切有部では、我々が経験する常識的な存在、個別の人や事物・事象は仮のものであって実在しない、
我いわゆる霊魂のような「不滅の私」・「永遠なる個我」(ātman)なるものなども存在しない、故に無我(anātman)である、と無我を理解。
しかしながら、部派仏教といわれる諸部派がその他なんらかの実在を認めていたように、


692:大きくは二つ、あるいは五つの範疇に分類されるモノが真に実在する、という見解を立て、そのような理解に従った教学を構築しています。 巷間には開口一番「すべては虚妄である。所詮それは、名(ナーマ)と色(ルーパ)にすぎないのであるから」だとか「すべては無自性空である。あれも空だ、これも空だ」などと宣う愚か者があります。 が、説一切有部では、世間で認められる常識的な存在を無碍に否定などしておらず、これを世俗諦(世間的レベルでの真実)とし、対して究極的に認められる存在を勝義諦[しょうぎたい](真に存在するモノ)としています。 吾人の知覚し、経験する諸々の事象を、端から否定するような態度は取らないのです。 真実(諦/satya)について、その見方によって二つの階層を設定し、そのそれぞれの価値を認めているのです。 そして、そのような真実についての理解の仕方は、その内容とするものこそ相違があるものの、大乗にも引き継がれています。 個我は実在しない。けれども、生命・事物など仮の現象を構成する、真に実在するモノがあるという見解を、大乗では「人空法有[にんくうほうう]」などと云います。 そして、そのような見解自体、またそのような見解を至高として奉持する人々は、同じ仏教であっても、大乗の立場から小乗(Hīnayāna)すなわち「不完全な教え」・「劣った教え」と見なされてきました。 特に説一切有部は、インドで最大勢力を誇る部派の一つであったこともあり、その見解・学説は、大乗の主要な批判対象となっています。 http://www.horakuji.com/treasures/sarvasthivadin_cetasika.htm



693:神も仏も名無しさん
18/11/23 22:01:10.64 rOalnxpU.net
>>657
我空法有は大乗仏教側の用語であるというのはその通りです。
法の生滅はその法の自性であるというのが部派仏教の理論だったと思います。
我の定義は仏教で我と言ったら何のことを指すのかほの定義をはっきりとわきまえていないと対話していて混乱しますね。

694:神も仏も名無しさん
18/11/23 22:08:08.48 1vuOq3mK.net
私もまだ正直、自性という言葉の意味がよく分かりませんし、実在という言葉もちょっと曖昧ですよね。
もう少し勉強したいと思います。

695:神も仏も名無しさん
18/11/24 01:33:53.93 Az+6YhHC.net
法の刹那滅(刹那生滅)は法の自性かどうか、ですが。
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
上記論文をさらっと読んだところでは部派によって見解が違う、と。
説一切有部は実体として存在する五位七十五法の心不相応行法に生住異滅の四相がありそれによって刹那滅していくのですから、刹那滅は四相が因になると言えるかもしれませんが、
四相自体も実有なので結局的には生にしても生を生起させる随相の生があればあとは因なしで生が生起することがこの論文には書いてありました(って書いてても自分でややこしいと思いますが詳しくは論文を…
経量部は四相は認めていませんが生が生起するのには本はなしとしているとあり、これが因なしで刹那滅の生が起こることを意味しているのかは分かりませんでした。
滅について因が必要かどうかは経量部では不要、
正量部では心法や心所法では無因でよいが色法は刹那滅ではなく一定期間相続するから滅には原因が必要とされていたようです。
また経量部は説一切有部の随想の生はそれを生起させる随相の生が必要になり随相の生を生起させる随相の生にもそれを生起させる随相の生が…
という具合に無窮の過に陥るのではないかと突っ込みを入れましたが、説一切有部からの反論があったり、
また中観派からの突っ込みもあったりして、刹那滅というのも随分と論争のネタにされてたんだなというのが垣間見えました笑
釈迦ならこの辺りのことは悟りには関係ないとして、もし訊ねられても無記としたのではないかと思われます。

696:神も仏も名無しさん
18/11/24 03:20:41.91 H/FzB1fS.net
>>576
釈尊も無職ですが?

697:神も仏も名無しさん
18/11/24 04:53:30.65 E/tVDE5M.net
涅槃でいる間は識別作用がないとよく言うけど、それじゃその間、失神や熟睡してしまったのではないとどうして言えるの?
瞑想して入るからそれが涅槃だと言えるのかもしれないけど、状態として失神や熟睡との違いは何かあるのでしょうか?
具体的にどのような違いがあるのでしょうか?

698:神も仏も名無しさん
18/11/24 05:23:59.13 LQgUF+/c.net
>>638
ん~、やっぱりオカシイな。
気づきを保つこと(正念を保つこと)を、八正道(の概念)に対する執着とは言わないでしょう。

699:神も仏も名無しさん
18/11/24 05:25:22.01 LQgUF+/c.net
あれこれ思考を巡らせていたら、それは妄想に流されているのであって
正念は保てていないわけですからね。

700:神も仏も名無しさん
18/11/24 05:32:43.64 LQgUF+/c.net
預流果って、パーリ三蔵の文脈で説明される道果ですよね。
その預流果が、臨済を持ち出して、パーリ三蔵の土台である三宝を否定するかな。
他人が彼岸にわたる乗り物を壊す、少なくとも水を差す行為でしょう。
預流果の人がそんなことをするとういのが、想像できない。

701:神も仏も名無しさん
18/11/24 05:34:20.70 LQgUF+/c.net
テーラワーダの聖者と言われている人で、ブッダも虚妄なんていう比丘がいましたかね。
三蔵経典の中にも、現代の比丘のなかにも、一人でもいましたっけか。

702:神も仏も名無しさん
18/11/24 05:37:31.82 LQgUF+/c.net
大乗仏教の文脈から、パーリ三蔵仏教は劣った不完全な教えだと
言うのであれば、どうぞ人よりも優れた仏教、人よりも上位の仏教、
人よりも優位な仏教である大乗仏教をやっていて下さい、と思って
しまいますね。

703:神も仏も名無しさん
18/11/24 05:44:40.99 CeKdiTGO.net
>>576
釈尊は働いていたんですか?

704:神も仏も名無しさん
18/11/24 08:22:57.25 JjTNM6AK.net
>>663
気づきと智慧があるかないか。
>>668
こう考えてみて下さい。
阿羅漢は仏教徒だろうか。聖者だろうか。八正道を行じているだろうか。
ブッダに帰依しているだろうか。経典を大事に抱え込んでいるだろうか。
解脱するとはどういうことだろうか。一切の執着を断つとはどういうことだろうか。
筏のたとえもありますね。
一休禅師は筏を捨てるだけでなく、筏をぶち壊して小便ひっかけて笑いながら逃げたようなものですよ。
「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな」 一休
ブッダは嘘つきだという意味ではもちろん無いです。仏教の勉強をしたがゆえに、かえって頭が悪くなる場合が多い。
もしくは、阿羅漢にとってはブッダであっても迷いの原因だという意味でしょう。

705:神も仏も名無しさん
18/11/24 08:37:27.26 E/tVDE5M.net
>>670
涅槃の間は気づきも智慧もないですよね
涅槃の後に気づきや智慧が生じたとしても涅槃自体に失神や熟睡との具体的な違いが体験内容としてはないってことですよね
ざっくり言うと失神や熟睡で気づきや智慧が生じた人と区別がつかないってことですよね
言いたいことは体験の内容として涅槃と失神や熟に違いがあるかどうかということなんです

706:神も仏も名無しさん
18/11/24 08:46:02.00 JjTNM6AK.net
>>671
いや、どうも気づきはあるみたいなんですよ。
マハーシ長老の本でも、「対象と気づきが断ち切れた」みたいな表現してましたし。
気づきはどうも不思議なもので、いったい何なのかはあまり語られてないみたいです。
あまり気にしなくていいという事でしょうけど。

707:神も仏も名無しさん
18/11/24 08:51:01.71 E/tVDE5M.net
>>672
へえ、識別作用はなくても気づきはあるんですか
それだと失神や熟睡とは全く違いますね
ありがとうございました

708:神も仏も名無しさん
18/11/24 08:54:53.49 JjTNM6AK.net
>>673
いや、あるというのもおかしいですが、対象と気づきが切れて機能しなくなるとか、
止まった気づきがあるというか。
いずれにせよ言葉では表現できないみたいですね。

709:神も仏も名無しさん
18/11/24 09:13:54.28 eTualzZR.net
涅槃は心・五蘊ではなく純粋観照者たる真我で知覚する
真我のことをインドではプルシャという

ヨーガとは心の働きを止滅することである。
心のはたらきが止滅された時には、’’純粋観照者’’ たるプルシャは自己本来の態にとどまることになる。ヨーガとは心の働きを止滅することである。
(ヨガ


710:スートラ)



711:神も仏も名無しさん
18/11/24 09:55:39.46 rDfEQAqL.net
心の働きを止滅することは簡単にできる

712:神も仏も名無しさん
18/11/24 10:23:36.54 eTualzZR.net
>>676
気絶とか以外でそれができるとしたら、それは貴方が完璧なサマタ瞑想を行ずることができるからだろうね
心の中には一刹那の間にも無数の想念が湧いてくるのだという、ヴィパッサナーを極めるとそれら無数の想念を完全に観察することができるという

713:神も仏も名無しさん
18/11/24 12:32:30.40 JjTNM6AK.net
いいたとえを思いついた。
寝ている時は、無明の闇によって対象が観えない。涅槃の時は、智慧の光が眩しくて対象が観えない。
寝ている時は、気づきが無いから対象が観えない。涅槃の時は、気づきが速すぎて対象が追いつかないから観えない。

714:神も仏も名無しさん
18/11/24 14:21:18.88 oMkXB2jH.net
URLリンク(www.youtube.com)
面白いもの見つけた
知ってる人いたらごめん

715:神も仏も名無しさん
18/11/24 15:03:49.68 f5QaRwO5.net
スマナサーラは90年ごろの土曜の教育テレビでよくみかけた
こころの時代って番組だった。昼の1時から1時間番組。

716:神も仏も名無しさん
18/11/25 02:58:32.09 ax8vmvq4.net
靴箱、こんなとこにいたんだな。相変わら頭のイカれたスマナサーラ信者なんだな。

717:神も仏も名無しさん
18/11/25 05:01:55.15 YGh6QAGq.net
むしろ頭がイカれてるのは自分の方だと気付く
その攻撃心に気付く

718:神も仏も名無しさん
18/11/25 09:07:45.41 bxn9f9zJ.net
221、 怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。
226、 ひとがつねに目ざめていて、昼も夜もつとめ学び、ニルヴァーナを得ようとめざしているならば、もろもろの汚れは消え失せる。
276 、汝らは(みずから)つとめよ。もろもろの如来(修行を完成した人)は(ただ)教えを説くだけである。心をおさめて、この道を歩む者どもは、悪魔の束縛から脱れるであろう。
323 、何となれば、これらの乗物によっては未到の地(ニルヴァーナ)に行くことはできない。そこへは、慎しみある人が、おのれ自らをよくととのえておもむく。
348 、前を捨てよ。後を捨てよ。中間を棄てよ。生存の彼岸に達した人は、あらゆることがらについて心が解脱していて、もはや生れと老いとを受けることが無いであろう。

719:神も仏も名無しさん
18/11/25 09:23:05.37 4IK5P84r.net
>>683
コピペもいいけどさ 自分のコメントもつけろって

720:神も仏も名無しさん
18/11/25 16:23:52.72 LNd4lnhd.net
このスレたまに白熱することがあって、平常は書き込みがないよね
みんな自分のこと頑張ってるんだろうか

721:神も仏も名無しさん
18/11/25 18:16:09.52 Y8uLwEFJ.net
毎度「群盲象を評す」状態に陥り、事態収束のために経典が引用され、
けっきょく最後は自分の心を整えるしかないよね、って結論でおわる。
毎回この繰り返しな気がす。

722:神も仏も名無しさん
18/11/25 18:47:13.04 LNd4lnhd.net
仏教が沢山枝分かれしたのもこのスレを見ていると納得する

723:神も仏も名無しさん
18/11/25 19:01:17.40 Y8uLwEFJ.net
もし経典の結集がなされていなかったら、仏法は跡形もなく
雲散霧消していたのではなかろうか。

724:神も仏も名無しさん
18/11/25 19:04:22.61 bxn9f9zJ.net
色蘊は無我。
肉体は地水火風の集まりであって、その地水火風は米、味噌、野菜などから取っている。
地球にある地水火風を借りて


725:肉体が出来ている訳だが、 この肉体を自分であるとか、自分の物だと勘違いするのは盗み、嘘じゃないか。 図書館で借りてきた本を、自分の本だと言い張るようなもので、馬鹿らしい間違いだ。 いずれ死んだら灰になったりして、地球に返さなきゃいけないのに。 肉体を維持するために一生苦労するのも馬鹿らしい。 最後には返さなきゃいけないレンタカーを毎日磨いて、パーツを交換して、ガソリンを満タンにする。 走れる程度にメンテナンスすればいい。



726:神も仏も名無しさん
18/11/25 20:19:55.46 bxn9f9zJ.net
受蘊は無我。
一瞬も止まらない、止めておくこともできない感覚が私、私のものである訳がない。
生まれては消えていく感覚を自由に管理することはできない。風呂に入れば暖かい感覚を味わうことができるが、
それが期待どおりのものとは限らないし、それを永遠に留めておくこともできない。
感覚は因縁により管理されているものであって、私が管理している訳ではない。
痛みなどの感覚も、自分が勝手に「これは痛みである。」と認識して、勝手に嫌っているだけ。
実際にあるのは喜ぶべきものでもなく、嫌うべきものでもない、名前のついてない、ありのままの感覚。
どこにも「痛み」「かゆみ」「美味い」「不味い」「うるさい音」「きれいな音」なんてものは無い。
感覚にしっかり気づいて、妄想しないでいられれば、そこに「私」というものは生まれない。

727:神も仏も名無しさん
18/11/25 21:35:39.30 Y8uLwEFJ.net
預流相応・摩訶男(マハーナーマ)

728:神も仏も名無しさん
18/11/25 22:29:14.11 4xwXssJM.net
我利我利亡者

729:神も仏も名無しさん
18/11/25 22:29:57.80 pv296AxJ.net
>>688
結集でブッダの言葉を残してくれた五百人の阿羅漢に感謝して近くの五百羅漢像を拝みに行きましょう
URLリンク(kotobank.jp)
URLリンク(hobbytimes.jp)
URLリンク(img-cdn.guide.travel.co.jp)
URLリンク(cocologts.cocolog-nifty.com)
URLリンク(mamechishiki.aquaorbis.net)
URLリンク(rakan.or.jp)

730:神も仏も名無しさん
18/11/26 08:23:39.64 fMN7UKdd.net
想蘊は無我。
思考、知識、見解もまた、私ではなく、私のものでもない。
頭の中にある概念は全て、生まれてから周りに教えられて獲得したもの。
他人からコピーさせてもらった文章を自分のものとして発表すれば大問題になる。
他人から与えられた概念を組み合わせて新しい概念を作るとする。その場合でもやはり自分のものとはいえない。
原因として与えられる概念が無ければ、結果としての新しい概念は生まれないから。
そしてまた、新しい概念が原因となり、さらに新しい概念を生む。古くなった概念はいずれ忘れさられる。
さらに思考、知識、見解は常に頭の中に固定してあるのではない。
因縁により、意志により、条件が整った場合に頭の中に表れ、条件が無くなれば消える。
生まれては消えていく思考、知識、見解は私ではなく、私のものでもない。

731:神も仏も名無しさん
18/11/26 11:22:08.77 2kzYTnVi.net
>>694
この書き込みは?

732:神も仏も名無しさん
18/11/26 12:40:52.46 fMN7UKdd.net
>>695
名無しさんのもの。

733:神も仏も名無しさん
18/11/26 13:01:58.37 fMN7UKdd.net
行蘊は無我。
あれが欲しい、これが欲しい、ああなりたい、こうなりたいという意


734:志は私のものか。 何かの対象に吸い寄せられているだけであって、私の意志じゃない。 対象が無いとき、もしくは対象に興味が無いときには欲は起きないのだから。 あれを見たり、これを聞いたり、それを触ったり、瞬間瞬間に生まれては消えていく意志もまた、私がコントロールしている訳ではない。 何かの因縁で生滅しているだけの意志は私、私のものではない。 何かの対象に心を集中すればサマーディに達する。それは意志の力ではあるが、その意志はどこから生まれたか。 あらかじめ、サマーディに対する情報、欲求があったからこそ生まれた意志。私の意志ではない。 悟り、涅槃を目指すという意志はしっかりと起こすべきである。それは私の意志だと思っても良い。執着しても構わない。 ブッダも阿羅漢も元はただの人間だった。自分も人間である。涅槃に達することができて当然だ。 毎日の生活に振り回されているのは情けない。私は死んででも涅槃に達するという、鉄のような意志、誓願をしっかり起こすべきだ。



735:神も仏も名無しさん
18/11/26 15:14:41.21 DovoINex.net
龍樹の空の思想に対する批判で、涅槃や四諦も空なのかというものがあるけれど、
龍樹はどのように反論しているかわかりません。知ってる方いましたら教えてもらえないでしょうか?
ウィキペディアは見たのですが、説明が分かりませんでした。

736:神も仏も名無しさん
18/11/26 15:17:54.34 DovoINex.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)
これの説明です

737:神も仏も名無しさん
18/11/26 20:17:36.57 fMN7UKdd.net
識蘊は無我。
マハシ式ヴィパッサナーをやれば識蘊がよく分かる。
人間はものすごい速さで物事を認識している。「音、音、吸う、右足、かゆみ、見た、左足、音、吐く。」
それら認識は自分で認識しようと思ってやっている訳じゃない。因縁によって自然に起きている現象。
「ネコ」だという認識は嫌だ、「犬」だと認識しよう、と思ってもできない。
ネコのような光が眼に入った瞬間、「ネコ」という認識が生まれてしまう。
識蘊が無我であることは、涅槃に入らないと分からない。
識は、そこにそれが「ある」という認識そのものなのだから、そこに実体が「無い」、無我である、という事を認識では理解できない。
認識を止めることによって初めて、識は無我である、ということが分かる。
ではどうすれば認識は止まるのか。
まず戒を守る。戒を守らなければ、どうしても心は動揺してしまう。動揺した心は止まらない。次々と認識を生みだす。
次に感覚をしっかり感じる。感覚をしっかり感じれば、それはただの「音」では無く、瞬間で変化している「それ」になる。
次に思考を止める。無我を悟るまでは、思考自体が認識の塊のようなもの。しかし考えてしまったものはしょうがない。
思考が生まれ、消えたことを確認して、感覚の観察に戻る。

738:神も仏も名無しさん
18/11/26 20:25:25.42 8UwJBgOp.net
>>698
wikiの説明そのままじゃない?
お前らは空を理解してねー、空だから涅槃も四諦も成り立つんだ 的な

739:神も仏も名無しさん
18/11/26 20:36:48.56 DovoINex.net
>>701
やっぱりそうとしか読めませんよね

740:神も仏も名無しさん
18/11/26 20:37:40.81 DovoINex.net
なんで空だから四諦も涅槃も成り立つのか分からない

741:神も仏も名無しさん
18/11/26 22:06:51.89 fMN7UKdd.net
涅槃の体験が空を体験していることに他ならない。
一切の概念には実体は無かった。眼耳鼻舌身意は作られたものだった。と理解することは、
涅槃を体験、空を体験するということ。
一切が空だと分かれば、見るもの、聞くもの、感じるものに対する欲が無くなる。
すなわち渇愛が無くなる。渇愛が無くなれば四聖諦が完成する。

742:神も仏も名無しさん
18/11/26 22:08:21.81 STMzcwma.net
>>703
釈迦の四諦も涅槃もさっぱりわからない。
こちらが理解できるまで説明してくれ。

743:神も仏も名無しさん
18/11/26 23:51:39.16 DzAtfIJa.net
>>703
URLリンク(mixi.jp)
上のmixiのログインしなくても読める箇所だけでも読むと大分理解が進むかもしれません


744:。



745:神も仏も名無しさん
18/11/27 09:15:59.23 iw+TCcv4.net
>>705
僕が説明するよりウィキペディア見た方がいいですよ
>>706
ありがとうごうざいます。

746:神も仏も名無しさん
18/11/27 14:32:13.66 HkmmFi6p.net
四諦と縁起をひとまとめにして、その有り様を表した言葉が「空」だと思う。
あるいは、勝義諦と世俗諦をひとまとめでも同じことだと思う。
ということは「悟り」と言い換えても同じはず。
例えば、身体のことを「上半身と下半身」という風に、二つに分けても、
「五体」と五つに分けても、結局同じ「身体」を指している。
本来、そこに上下優劣はないはず。
あくまでIMOなので、間違ってたらごめん。

747:神も仏も名無しさん
18/11/27 15:13:34.50 CQDW3xmi.net
諸行無常、一切皆苦、諸法無我はブッダの言葉。
一切皆空はブッダの言葉じゃない。どうしても一段落ちる。たとえそれが真理だとしても。
だいたい一切はサンカーラなのか、ダンマなのか。どっちもなのか。
いずれにせよ、あまり使わないに越したことはない。

748:神も仏も名無しさん
18/11/27 15:40:06.12 HkmmFi6p.net
確かに。
いくら象を論評しても、盲の目に光は点らない。
パーリ仏教を信奉できる人というのは、仏説をそのまま受容できる機根という
ことだろうから、わざわざ仏説をそのまま需要できない人向けの方便を使う
必要もないと思う。

749:神も仏も名無しさん
18/11/27 15:45:56.29 HkmmFi6p.net
言語的に高度に洗練された仏法の説明って、
群盲に向けて象を語り尽くすってことだから、
仮にそれで象の姿が伝わったしても、
盲が治るわけじゃないと思うんだよね。
その意味では、多くの大乗部派の高度化って、脱線の歴史でもあると思う。
率直に言ってしまうと。

750:神も仏も名無しさん
18/11/27 19:52:06.42 CQDW3xmi.net
教学、理論にかたよると脱線するみたいだね。
実践をメインにしないと。

751:神も仏も名無しさん
18/11/27 20:15:55.62 iw+TCcv4.net
じゃあ今日の実践を書き込み。
昨日より無常というものが身近になった。
私は車が好きで、執着があるんだけど、今日はなぜか無常を昨日よりリアルに感じて、執着が減った。
そんな一日だった。
明日はマインドフルネスを意識しようかな。

752:神も仏も名無しさん
18/11/27 20:18:01.63 iw+TCcv4.net
ちなみにBMWが好き。
でも無常を感じて、気にしてもしょうがない、という感じを強くした。
まだ執着は残っているけど、かすか。

753:神も仏も名無しさん
18/11/27 20:43:13.82 BMzkYxQ/.net
乗り物を所有する願望あるけど
理由は自由や解放を感じらると
思っている部分がある
でも所有してみると
とても沢山の制約に縛られて
自由や解放なんてほんの少しで
やらなければいけないことばかりが
とても増えるだけなのを経験する
結構そういう感じで
所有したいものが減ったな

754:神も仏も名無しさん
18/11/27 20:52:42.03 o+ezoyYr.net
>>552
>例えば概念としての「ネコ」は過去、現在、未来、変わらず有るでしょう、と言いたいのが説一切有部だと思いますが、
ちゃいます。それだと人有我になりますよ。

755:神も仏も名無しさん
18/11/27 20:53:43.53 iw+TCcv4.net
でも所有欲って色欲、無色欲も関係してそうだよね。
車とかのモノは欲界に属するものだけど、
色界、無色界にも影響を及ぼしているのかなと思う。
この考察、てんで的外れだろうか。

756:神も仏も名無しさん
18/11/27 20:56:03.10 o+ezoyYr.net
>>574
それはそうでしょ
普遍なる本当の「勝解」や「信」がイデアとして唯一存在するのではなく、性質の変わらない(自性)法として、個々の勝解や信がいくつも存在するのだから
イデア論というより原子論に近いですよ、説一切有部は

757:神も仏も名無しさん
18/11/27 21:40:25.81 WUxrQANn.net
>>714
私も物への執着が強いです。
自分で勝手に価値を入れて執着しちゃう自作自演の世界は虚しい。

758:神も仏も名無しさん
18/11/27 21:51:57.90 iw+TCcv4.net
>>719
無常を悟って執着するにはあたらないとするしかありませんね。
少なくとも私はそのように感じます。

759:神も仏も名無しさん
18/11/27 21:53:09.15 iw+TCcv4.net
三相を悟ってのほうがいいか。
訂正訂正。

760:神も仏も名無しさん
18/11/27 22:12:46.68 d/TrmTTu.net
>>715
>自由や解放なんてほんの少しで
>やらなければいけないことばかりが
>とても増えるだけなのを経験する
ガソリン代、最近高止まりですね。
燃費の良いバイクに乗っていてもちょっとお財布つらいww
年間2万キロ近く走るので、これが生きがいなのです。
自由と解放は体中で痛いぐらい感じます!!!!
奪われると泣きますねwww

761:神も仏も名無しさん
18/11/27 22:38:23.58 iw+TCcv4.net
無常を悟ると目に見えるもののほとんど全部が空しく感じるようになるんだよな
きらびやかなものも、つまらない、むなしい、ものがなしい、そのように感じる

762:神も仏も名無しさん
18/11/27 22:41:01.71 iw+TCcv4.net
まあ中途半端に悟ってる自分でさえそのように感じるんだから、
自分より上の世界を見ている人は、また違うような認識なんだろうな

763:神も仏も名無しさん
18/11/28 01:26:44.71 8afDlsIT.net
>>707
やはり、わからないんですね。知ったかぶりごくろうさまです。

764:神も仏も名無しさん
18/11/28 01:28:42.52 8afDlsIT.net
>>724
あなたは微塵も悟っていないからご安心あれ
悟ったという妄想を慰めに生きるのみです

765:神も仏も名無しさん
18/11/28 01:51:13.01 +1uELdYN.net
>>628
じゃあなんで四法印があるのよ?

766:神も仏も名無しさん
18/11/28 01:56:44.21 +1uELdYN.net
>>632
それはプドガラ説だね
五蘊と同じでも、五蘊と異なるのでもないプドガラが存在するっていうね
中村元氏の非我的有我説はヤージュナヴァルキヤの焼き直しの解釈だけど
有我説ってパターンが決まってるね

767:神も仏も名無しさん
18/11/28 04:49:25.95 lfgFK5dO.net
五蘊以外の何かがあるような気がするってすごい感覚だな

768:神も仏も名無しさん
18/11/28 07:50:47.13 RL6D6l08.net
学道の人すべからく貧なるべし
学道の人は後日をまちて行道せんと思ふことなかれ
学道の人、自解を執することなかれ

769:神も仏も名無しさん
18/11/28 11:55:05.30 YjgMa82Y.net
五蘊以外にあるのは涅槃だけやろ。

770:神も仏も名無しさん
18/11/28 15:24:56.82 sMLjK24t.net
>>726
手厳しいな
精進します

771:神も仏も名無しさん
18/11/28 19:29:34.03 RL6D6l08.net
まず仏道修行者は貧乏でないと。
自分は一人暮らしの時、テレビもパソコンも本も捨てた。
生活の為にアルバイトを最低限やり、終われば適当なご飯を作って食べ、寝るまで瞑想した。
部屋には小さなテーブルしか無かった。
自炊をしてたから、キッチンは充実してたけど。
いやぁ、楽しかったなぁ。
それでもやっぱり、料理とかお菓子作りに執着が生まれてしまったなぁ。
なかなか無執着の生活は、在家では難しいね。

772:神も仏も名無しさん
18/11/28 20:38:43.35 5vRW/Bas.net
維摩居士は貧乏ではなかったような…

773:神も仏も名無しさん
18/11/28 21:16:21.97 RL6D6l08.net
維摩居士は実在するか怪しい。
龐居士は実在するっぽい。そしてド貧乏。

774:神も仏も名無しさん
18/11/28 21:55:09.38 0GO59Meg.net
よく大乗経典だ小乗経典だと分けて、小乗は大乗に劣るのだというようなことをいう人がおります。
そもそも大乗とは「悟りの世界である向こう岸に、みんなでいっしょに渡りましょう」といって�


775:謔闕桙゙大きな船のことです。 そして小乗とは、自分ひとりだけ悟りを開こう、彼岸に渡ろうとして乗り込む小さなボートといえば、わかりやすいでしょう。 大乗と言いながら自分中心の生活をしている人もおりますし、また、小乗であっても、人さまのことを心から心配してあげる人もおられます。 マザー・テレサ女史は、相手に、どの宗教の信者であるかを、まずたずねます。そして、その人が最期のときを迎えると、イスラム教徒であればコーランを読んであげる。ヒンズー教徒ならばガンジス河の水をかけてあげるのです。 女史ご自身は敬虔なクリスチャンなのですが、相手に応じて、宗教・宗派の違いを超えた奉仕をしておられるのです。 そこには、信仰の違い、宗派の違いといった壁はまったく存在しません。あるのは愛だけです。 女史こそ、まさに大乗の人というべきでありましょう。



776:神も仏も名無しさん
18/11/28 22:00:17.38 u0M/pVAY.net
お人好しだなあ、カトリック神父、修道女なんか全員合法的スパイだぞw
だから未だにバチカンは強いんだよ

777:神も仏も名無しさん
18/11/28 22:08:06.76 0GO59Meg.net
あなたは、強いとか弱いとか、そういう世俗的な理由で宗教をやっているんですか?

778:神も仏も名無しさん
18/11/28 22:18:07.29 GLBQ4O2y.net
陰謀論者の最期のときはどんな奉仕をしてあげたらいいのかな

779:神も仏も名無しさん
18/11/28 22:31:28.40 u0M/pVAY.net
>>738
あのね、ローマ教皇なんてものは歴代ろくなもんじゃないのよ?
おもっきり世俗の組織だよあんなもの
>>739
陰謀論ではないね、事実

780:神も仏も名無しさん
18/11/28 22:34:27.89 u0M/pVAY.net
自分は、カトリックなんぞに比べたら仏教は遥かに素晴らしい宗教だと思うけど
それでも、権力という意味ではカトリックの方が絶大だという事実は認めなければならない
宗教の衣をかぶりながら、ヤクザ、チンピラ、海賊みたいな連中がトップを務めてきた
世俗を統治する巨大組織だからだよカトリックは
オメーラ二人、悟ってたとしても単なる勉強不足

781:神も仏も名無しさん
18/11/28 22:35:32.66 0GO59Meg.net
スブーティ、お前はどう思う?
いわゆる預流果の境地に到達した人がいるとして、その人は「よっしゃ!オレは預流果レベルになったぜ!!」などと考えたりするだろうかね?
いや、それはないですね。
だって、「境地を獲得した」などといったところで、実際には何も得てはいないのですよ。
強いて言うなら、その人が得たものは「見ることも聞くことも、嗅ぐことも味わうことも、触ることも考えることもできない」ものなのです。
もしも「今のオレは預流果だ!」などと考えるようであれば、その人には「自我=自分は存在する」などという恐るべきカンチガイが思いきり残っていることになります。
そんな人は「自分以外のもの」が存在すると誤解し、「物体が存在する」と誤解し、その他の愚にもつかない執着をどんどん強めていくばかりです。
そういう人が聖者への流れへ乗ることはあり得ません。
そんなわけですから、預流果に達した人は、決してそれを意識しません。
だからこそ、預流果なのです。

金剛般若経

782:神も仏も名無しさん
18/11/28 22:51:39.01 YjgMa82Y.net
自分の立場から、自分の尺度で解釈した、
自分にとっての正しい仏道実践のあり方を
自分とは違う立場、自分とは違う尺度を持った人に
押し付けないで欲しい。
少なくとも、その自分基準で人を裁くのは止めて欲しい。
貴方にとっては、それが最善だということは認める。
わたしにとっては、わたしにとっての最善がある。
なぜなら、違う人生を生きているから。

783:神も仏も名無しさん
18/11/28 22:55:09.43 0GO59Meg.net
金剛般若経の現代日本語訳のコピペを貼ったのがお気にさわったのなら、謝ります
すみません

784:神も仏も名無しさん
18/11/28 23:00:17.40 YjgMa82Y.net
〇〇であるはずだ。
だから、〇〇するべきだ。
こういう断定は思い込みの可能性がある。
それって、仏教用語でいう見(ditthi)じゃなかろうか。
彼は〇〇するべきなのに、〇〇していない。
わたしはそれを不快に思い、わたしは怒る。
わたしは正しく、彼は間違っている。
という風に続くでしょう。
仏教は正しいとしても、わたしら個々人は別に正しくないし
間違えるのだから、気を付けないといけないよね。

785:神も仏も名無しさん
18/11/28 23:00:49.22 YjgMa82Y.net
>>744
そうではありません。
ありがとうございます。

786:神も仏も名無しさん
18/11/28 23:11:16.19 YjgMa82Y.net
人それぞれ修行の段階も違えば、どの課題に取り組んでいるかも違います。
どの波羅蜜に取り組んでいるか、どの瞑想課題に取り組んでいるか違います。
自分視点からみて、自分が理解している基準でもって、自分とは異なる他の
修行者を裁けると思わないで欲しいのです。
診察をせずに診断書を出すような医者、裁判もせずにお裁きを下すような
判事にならないでもらいたいのです。

787:神も仏も名無しさん
18/11/28 23:16:03.02 0GO59Meg.net
外の境が現れたならば、すぐに自己にたちかえり、それが自己であると見破れ(臨済録)
裁く主体もいないし、裁かれる主体もいない
傷つける相手もいないし、傷つく自分もいない
壁に画かれた生き物に感覚がないように、世のあらゆる人々も幻のようなものであると見なければいけない
このように見るのが正しい考えであり、これと異なるのを分別の考えというのである

788:神も仏も名無しさん
18/11/28 23:17:04.64 0GO59Meg.net
この世のありとあらゆるものごとやできごとは、
眼を急に動かした時に生じるちらつき
幻覚
朝起きたときに覚えている夢
のようなものだと知りなさい

789:神も仏も名無しさん
18/11/29 00:58:56.57 jjClSqeq.net
>>745
731 名前:神も仏も名無しさん :2018/11/28(水) 11:55:05.30 ID:YjgMa82Y
五蘊以外にあるのは涅槃だけやろ。
こう断定している人の台詞とは思えませんな

790:神も仏も名無しさん
18/11/29 01:11:16.48 7PtLTxTP.net
己が傲慢で慢心しているから、上から裁かれていると感じるのかもしれない
あなたを裁いている人は、上から裁いているつもりはないのかもしれない
もっと別な考えがあって、書き込んでいるのかもしれない

791:神も仏も名無しさん
18/11/29 01:17:53.35 7PtLTxTP.net
禅では、獅子が吠えれば狐狸は脳が破裂してしまう、といいます。
お互い狐狸にならないように努力したいものですね。

792:神も仏も名無しさん
18/11/29 01:22:17.24 7PtLTxTP.net
ただ、獅子のほうも狐狸に迷惑をかけようと思って、吠えているわけではないのかもしれませんね。

793:神も仏も名無しさん
18/11/29 01:24:09.25 +5zyH2oS.net
本当の獅子なら驚声を捨て黙して他を驚かしむることはないでしょう
野狐禅者のマウンティングじゃないかな

794:神も仏も名無しさん
18/11/29 01:47:21.71 7PtLTxTP.net
だったらべつに恐れる必要はありませんね

795:神も仏も名無しさん
18/11/29 01:51:28.39 7PtLTxTP.net
診断する力量もないし、裁く力量もないし、
それらに傷ついたり怒ったりする必要もありません
むしろこちらで諭してあげましょう

796:神も仏も名無しさん
18/11/29 01:55:12.11 te/zcvvl.net
自分のために言ってるのではなくて、修行者コミュニティの円滑な
運営のために言っているのかも知れないでしょう。
わたしも皆さんも、各々の発言に込められた前後の文脈と背景を知らない。
知らないで判断している。
阿羅漢ならいざ知らず、人間の判断というのは、ほぼすべからくそういう
ものでしょう。

797:神も仏も名無しさん
18/11/29 01:57:49.94 te/zcvvl.net
言葉による遣り取りには、常にこの不完全さ(前後も背景も知らない)が付き纏う。
おまけに、言葉の定義すらそれぞれに違う。

798:神も仏も名無しさん
18/11/29 02:06:54.41 te/zcvvl.net
〇〇しないで欲しい、との発言を見て
ある人は、彼が避難されて傷ついていると解釈した。
その後の思考は、すべてその判断を前提としてなされる。



799:サしての断定的な判断は、ほぼ無意識的かつ自動的になされている と推測できる。 なぜなら、意識的であれば、その前提が事実であるか確認する必要 に気付くはずだから。 阿羅漢でもないのに自分の反射的な判断が正しいと思うのだとしたら それはまだ智慧が育ってない証拠だと思う。



800:神も仏も名無しさん
18/11/29 08:15:46.41 s+lQvBAJ.net
○○して欲しい、しないで欲しいと言っている人はまだ一切皆苦を理解してないね。
世の中が自分の思惑どおりに行く訳が無いだろうに。
今日いきなり誰かに殴られるかもしれない。殴って欲しくないのに。
金剛般若経は間違ってるね。
有身見と慢の微妙な違いが分かってない。
預流果ではまだ自分がある。無常、苦、無我を理解し、有身見を滅ぼした自分がある。
阿羅漢果になってやっと慢が無くなる。自分が無くなる。目指すものが無くなる。

801:神も仏も名無しさん
18/11/29 16:30:38.22 te/zcvvl.net
善行為(kusala)は、適切なやり方で行われた行為という意味も含意するので、
コミュニケーションの巧拙に配慮することは、仏教徒コミュニティの健全な
発展にも寄与すると思っている。

802:神も仏も名無しさん
18/11/29 19:23:43.22 s+lQvBAJ.net
>>761
匿名掲示板でコミュニティの健全な発展とか無いから。
フェイスブックとかで頑張って。

803:神も仏も名無しさん
18/11/29 23:18:50.58 te/zcvvl.net
BBSの外にある実生活での話ですよ。
人間関係や社会生活において、他者や他者の意見に対して主観的な判断が生じたなら、
その瞬間、自分自身の思い込みのフィルターに妄想が生じたということです。
その反射的な判断は、まだ事実確認のとれていない仮説に過ぎません。
ですから、断定する前に、まず自分の判断の根拠となった前提認識が正しいか
どうか確認する必要があると思います。
そのために、まずするべきことは、判断ではなく質問です。
回答の第一声を、裁きではなく質問にするだけで、かなり改善できるはずです。

804:神も仏も名無しさん
18/11/30 00:37:02.98 EkdLS5FM.net
「質問です」
「鶴が枯れた松のてっぺんに止まっている境地はどうですか」
仏法の世界にのぼり孤高な様子を喩えたものでしょう。枯れきって日常の世間とは断絶がありますね。
「上の方は立派でも足元は見苦しい限りだ」
“お高く”止まっている奴のその足元はきっと汚れっぱなしじゃないか、というわけです。

805:神も仏も名無しさん
18/11/30 01:16:02.79 wW0B7uWN.net
高いところにいるとは思っていません。

806:神も仏も名無しさん
18/11/30 01:20:49.03 wW0B7uWN.net
現状、日本のテーラワーダ仏教コミュニティは個人主義的な傾向が強く、
コミュニティのひとつとしてみた時に自浄作用に乏しく、融通の利かない
ところがあるように見えます。
あまり好ましい傾向とは思えません。

807:神も仏も名無しさん
18/11/30 01:29:59.03 EkdLS5FM.net
まだ哲学化される以前の、釈尊現存のころの原始仏教もそうですが、禅は生活全般を重視して、それこそご飯を食べるのも、食べた食器を洗うのも、あるいは匿名掲示板のカキコミまでも仏道と無縁ではない、という姿勢ですから、
仏教用語をゴタゴタならべてとり澄ましていることが悟りとか修行とされていることに欺瞞を感じるわけなのでしょう。
生活の中から「悟り」や「仏教」という時間や場所を抜き出すことはできないのですから・・・

808:神も仏も名無しさん
18/11/30 01:35:57.90 4DbX0A9V.net
勝義で思い出したけど5ちゃんねるの宗教板ではしばし勝義視座とかイミフな用語を目にする
この用語を使ってる人は恐らく勝義とはなんのことか分かってないのだろうね
部派仏教だけでも勝義諦は法だとはいえ三世実有を説く


809:有部のような部派もあれば現有過未無体を説く経量部や大衆部のような部派もあり また色法は刹那滅せずしばらくは存続するとした正量部のような部派もあり勝義は究極的実在である法であるまでは共通しているがそこから先は部派によって主張が違う 大乗仏教では法も空であり勝義諦とは空を指す それらを十把一絡げにして勝義視座という自分で作ったのかなんなは知らないけどそのような用語を見ると「この人は仏教を知らないのだな」というのが分かるというもの 多分勝義視座を使ってる人は勝義を空の意味で使ってるのだと思うけどそれもまたおかしいんだよね 般若心経の 是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界 が読めてないのかな、あるいは般若心経知らないのかな、と思ってしまう とにかく勝義視座という用語一つでもその人が仏教についてよく知らないというのが分かるってもんだということ 知らないの仕方ないけど知らないのなら独自用語を作らない方がいいと思う そんな用語をわざわざ作って使ってる時点でその人のいうことに説得力がなくなるからね まあそういう俺も学ぶことはまだまだあるわけだが 法門無尽誓願学だわ



810:神も仏も名無しさん
18/11/30 01:47:08.83 EkdLS5FM.net
過去・現在・未来の仏たちは、「それ」があることを知らない。
知り抜いているからだ(つまり、知っていることも忘れている)
畜生の方がかえって仏性があることを知っている。
それこそあらゆる用語で、日夜語り尽くすことができるほどだ。
だから知っているというのは、全く知らないということだ。

811:神も仏も名無しさん
18/11/30 01:55:46.46 wW0B7uWN.net
最初はわたしが勉強して知るのかと思ってたけど、そうじゃなかった。
別にまだ悟ったわけでもないが、悟りへの道は見えた。
見りゃわかる。

812:神も仏も名無しさん
18/11/30 02:00:35.77 wW0B7uWN.net
教学の重要性を否定する気はありません。
ただ、八正道は道なので、歩かないと進まないっす。

813:神も仏も名無しさん
18/11/30 02:11:35.41 EkdLS5FM.net
仏とは、計らいのない日常を送る人のこと。
計らいがない(無心)ということは、自分が仏であるかどうか、悟っているかどうか、という意識も離れているということです。
つまり、仏だからこそ知らない。知る・知らないを超え出ているのです。
逆に、ことさらに仏になろうとしたり、悟りや無我にこだわることは、仏で「ある」ことの妨げにしかなりません。
ここでは南泉和尚はそういう存在を「畜生」とまとめましたが、これは対比のための言葉のアヤで、動物がダメだというわけではありません。

814:神も仏も名無しさん
18/11/30 02:30:25.82 EkdLS5FM.net
「私は何もかも全て捨て去って、日夜仏道をあゆむ純一無難な修行者でございます」と。
言葉づらとは逆に、自我に満ちて高慢な様子が溢れんばかりに感じられます。自意識過剰というやつですね。
趙州の返事はつれないもので「それも捨ててしまえ」
そんな差別意識や選民意識の類は悟ることを妨げる落とし穴のようなもの。
この僧も、「捨てている」という自意識の鼻っ柱が結果的に大きな荷物となってしまっているわけです。

815:神も仏も名無しさん
18/11/30 02:48:23.39 wW0B7uWN.net
私というものは、不完全で間違えるものですよね。
阿羅漢でも無い限り。
それを言うことが、高慢なのでしょうか。

816:神も仏も名無しさん
18/11/30 07:27:33.84 r2p6NjHD.net
俺は5chでだけしか仏教の話はしない。
リアルでは黙ってる。聞かれない限りは。
5chは言いたい放題だからいい。本音も分かる。
涅槃とか悟りの話題をしても平気。プライベートな煩悩についても平気。
匿名じゃなきゃそんな話題はできない。5chの唯一のメリット。

817:神も仏も名無しさん
18/11/30 12:16:20.41 wW0B7uWN.net
相手の意図を確認する前に断定するケースが多すぎる。

818:神も仏も名無しさん
18/11/30 15:49:37.97 PENp4YHl.net
瞑想って上手になる�


819:ニ他のどんなことより素晴らしいものになるんですね 全ての楽しみを凌駕していることが分かった



820:神も仏も名無しさん
18/11/30 16:04:20.17 1KY3/Wu0.net
ある種の高揚感、わくわく感 躍動感 多幸感などを一回経験すると止められないよな

821:神も仏も名無しさん
18/11/30 16:41:21.39 wh9jkteb.net
全体能力が底上げされる気がしますね
後特殊かもしれませんが予知夢的なものをよく見ます

822:神も仏も名無しさん
18/11/30 18:19:03.30 r2p6NjHD.net
一瞬の喜、楽などの楽しみはまだ序の口で、
悟りの楽しみは異常。
金輪際、未来永劫、悩み苦しみが無くなってしまうんだから。

823:神も仏も名無しさん
18/11/30 22:33:29.95 Obd23n2U.net
インドで仏教の興隆に力を注いだアショカ王の教えを刻んだ石碑が発見されています。
「人は、自分はこんな善いことをしたのにと自分の善事だけを見て、自分はこんな悪事をなしたと、自分の悪を見ることがまったくない」という内容だそうです。
昔もいまも、人間というものは自分の非を棚に上げて、自分に都合のよいところだけを宣伝するもので、そこのところは少しも変わっていないことを物語っています。
なにか不都合なことが起こったとき、その原因を人のせいにし、社会のせいにし、政治のせいにして責任を他に転嫁していれば、自分は傷つかずにすみます。しかし、そうしているかぎり自己反省は生まれません。
自分にも至らないところがあり、自分は足りない人間だという謙虚さを失って、いたずらに権利の主張ばかりが多いところに、健全で美しい社会は生まれるはずがありません。やがては自分が傷つかなくてはならないのです。

824:神も仏も名無しさん
18/12/01 07:54:59.39 6LUcvIP7.net
健全で美しい社会なんていつあったのか。これからもありえるだろうか。一切皆苦の世の中で。
預流果に悟れば自分の悪を隠さない。とスッタニパータに説かれている。
社会を良くする事よりも、早く悟りを目指すべき。
仏教は社会福祉の宗教じゃない。

825:神も仏も名無しさん
18/12/01 17:26:33.11 kMl3GgSF.net
善行為の三条件
一、動機が善であること
一、やり方が善であること
一、結果が善であること

826:神も仏も名無しさん
18/12/01 17:40:32.20 544I0xW8.net
良かった... 人を傷つけたり悪いことをしたと思っても それを悔いたり後ろめたく思ったりする必要は無いと言うことですね
命が尊いというのも偏った価値観にすぎないし 尊く無いというのも価値観に過ぎない 社会的な決まり(法律)に罰せられることはあってもそれはたまたまその時そういう決まりがあったに過ぎず 本質的には罪というものは存在しない
自分が気にしない限り罪など存在しないということか

827:神も仏も名無しさん
18/12/01 18:57:21.84 6LUcvIP7.net
>>784
本質的な罪といえば貪瞋痴だろうね。
欲、怒り、愚かさ。
自分を苦しめる、もしくは他の生命を苦しめる行為は悪行為。
預流果になれば、自分の中の貪瞋痴を誤魔化すことができない。

828:神も仏も名無しさん
18/12/01 19:07:03.34 yN4hJBfE.net
靴箱、居場所があって良かったな

829:神も仏も名無しさん
18/12/01 20:50:01.55 MEBGSxWU.net
山の中での修行は誰だってできる。瞑想するくらいなら簡単である。
だがひとたび俗界に下りてきて生活を始めたら、異性関係は乱れ、お金では欲望に目をくらませ、人間関係では激しく葛藤する。これがもっぱらである。
そのようなものは本物ではない。

830:神も仏も名無しさん
18/12/01 20:51:03.74 MEBGSxWU.net
瞑想にふけって神秘らしきものを体験しても、あるいは滝に打たれ断食しても、日常生活に戻ったとたんに欲望にかられたり、くだらないおしゃべりに明け暮れているだけなら、何の意味もないではないか。
役人は役人という仕事の上において人欲をなくし、教育者は教育者という仕事の上において、修行をしなければならないのだ。
このように、日々の生活の中で人欲をなくし、聖人になる修行をしなければならない。これを「事上錬磨」という。

831:神も仏も名無しさん
18/12/01 21:19:59.74 Kd38Yv6o.net
スリランカ仏教僧侶イスラム教徒の商店を襲撃
URLリンク(www.youtube.com)
スリランカ仏教僧侶ロヒンギャ難民を攻撃
URLリンク(www.youtube.com)
スリランカ仏教僧侶キリスト教会にテロ
URLリンク(www.youtube.com)
スリランカ仏教僧侶キリスト教施設にテロ
URLリンク(www.youtube.com)
スリランカ仏教僧侶カトリックを脅迫
URLリンク(www.youtube.com)
スリランカ仏教過激派BBSによるイスラム教徒襲撃
URLリンク(www.youtube.com)
イスラム教徒の店を襲撃
URLリンク(www.youtube.com)
スリランカ仏教の暴力的側面
URLリンク(www.youtube.com)
レイシスト坊主ウィラトゥ、スリランカ仏教僧侶と共闘
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
暴力をふるうスリランカ仏教僧侶
URLリンク(www.youtube.com)
スリランカ仏教僧侶焼身自殺
URLリンク(www.youtube.com)

832:神も仏も名無しさん
18/12/01 21:48:02.17 O3cpUs+/.net
>>763
>そのために、まずするべきことは、判断ではなく質問です。
てめえ、なめてんのか?
こういう質問で正しいでしょうか?
浅学菲才凡夫の私見で申し訳ありません。

833:神も仏も名無しさん
18/12/01 21:50:13.02 6LUcvIP7.net
>>788
確かに少しばかりの瞑想をして、貪瞋痴、欲、怒りなどを弱めたところで、
日常生活に戻れば煩悩も逆もどりしてしまう。
しかし一度しっかり瞑想に専念し、悟りの智慧が現われると貪瞋痴が無くなってしまう。
日常生活に戻っても後戻りしない。
なぜなら悟りの智慧は、物事の本質、自分自身の本質を見抜くから。本質とは無常、苦、無我のこと。
無常であるもの、苦であるもの、無我であるものには欲を出すことができない。激しく怒ることもできない。
そのような智慧があらわれた人は、どこに行っても物事に惑わされない。
どこへ行っても自分が主人公であって、物事に使われるという事がない。

834:神も仏も名無しさん
18/12/02 00:01:26.58 o0sNwDhW.net
人として生まれたからには悟らなければならない
そういう社会になってくるね

835:神も仏も名無しさん
18/12/02 04:54:04.75 9eQ7W/9x.net
その前に「悟りとはなにか?」
という明確な定義が必要になるな

836:神も仏も名無しさん
18/12/02 05:44:06.34 S5RCGori.net
豊富な知識を具えるのは、それによって偏見や固定観念を離れて、ものごとをさまざまな角度から見られるようになるためなのです。
ところが、うっかりすると逆に、たくさん詰め込んだ知識をこれみよがしに振りかざして、それで人を見下したり、人の言葉には耳も貸さないという態度をとってしまう人がいるのですね。
法華経には、「もろもろの有らゆる功徳を修し、柔和質直なる者」という言葉があります。
本当に仏に近づくためには、知識を学ぶのと一緒に、人に奉仕する実践が必要です。
それが、功徳を積むことです。
人の幸せのために働くことなどなにひとつしようとせず、ただ自分を偉く見せるための勉強であっては、知識で武装した独善的な人間になってしまいます。

837:神も仏も名無しさん
18/12/02 07:52:16.18 A7lnwntC.net
瞑想というのはただの気トレ(筋トレの気バージョン)
ただの気の鍛錬法のひとつ
なので瞑想してて「気づき」とか「悟り」とか「ある日突然ひらめいた」みたい精神的な変化が起こったりはしない
目を閉じてたらいきなり何かが見えたというような現象もない

838:神も仏も名無しさん
18/12/02 09:46:30.58 AQJSo12H.net
スマナサーラ長�


839:Vは「タイトルに騙されるな」って言ってたな 私達は言葉を聞いただけで自分勝手にこういうことだって妄想してしまう。



840:神も仏も名無しさん
18/12/02 09:48:09.63 ewrsSL0D.net
>>794
法華経より古く、ブッダのそのままの言葉が残っているとされる、ダンマパダには、
孤独を楽しめ、人のいない林で瞑想に専念せよ、他人のためでなく自分の目的に専念せよ、
と説かれています。
他人の為に働くのも功徳ですが、慈悲の瞑想、ヴィパッサナー瞑想の功徳の方がより功徳を積めます。

841:神も仏も名無しさん
18/12/02 09:52:10.27 ewrsSL0D.net
>>795
いちおう悟りはあります。
「ひらめいた」という感じではなくて、「抜け落ちた」「無くなった」「理解した」「疑いが無くなった」
という感じのほうが近いですね。
悟ると、具体的にはまず、有身見という見解、この体、この心のどこかに自分、私という固定した何かがあるという見解、
が無くなります。人間というのは無常、苦、無我だと理解することです。

842:神も仏も名無しさん
18/12/02 09:56:51.81 ewrsSL0D.net
>>792
昔もそう、今もそう、これからもそう。
人間に生まれようが、天界に生まれようが、畜生に生まれようが、
生存は苦であるから早く解脱せよというのがブッダの教え。

843:神も仏も名無しさん
18/12/02 10:38:36.55 qfYKQPGa.net
>>798
離人症とどう違うの?

844:神も仏も名無しさん
18/12/02 12:47:02.21 ewrsSL0D.net
>>800
悟りは一時的な精神状態でもなく、ボンヤリした状態でもなく、苦しむような精神状態でもなく、
視覚も聴覚もはっきりクリアで、「あぁ、確かに無常だわ、無我だわ。」という納得、理解が生まれる。
同時に肩の荷が下りた、もう悩むことはないという喜びが生まれる。

845:神も仏も名無しさん
18/12/02 12:50:03.77 306CbgWL.net
日常生活のなかで、他人を診察しないで裁くのは善くない。
大抵の場合、正しくもない。
なぜなら各々立場も違うし、見方の視点や価値判断の物差しも違うから。
見下されたと感じたり、不快感を覚えたならすみません。
しかし、この場所だからこそ共有できる会話というのもあると思います。

846:神も仏も名無しさん
18/12/02 12:54:05.41 gBcGR2zJ.net
>>802
アーチャンチャー氏が、
他人を裁くのはいけない、知恵が育つわけでもない、煩悩になるだけ
と言っていたね

847:神も仏も名無しさん
18/12/02 13:12:20.15 306CbgWL.net
自分も救わず、他者も救わない人。
自分は救わないが、他者を救おうとする人。
自分だけ救おうとして、他者を顧みない人。
自分を救い、他者をも救う人。
一概にひとくくりにできないと思いませんか。

848:神も仏も名無しさん
18/12/02 13:22:09.38 1M6ND+xH.net
自分を救い、他人を救おうとする
から
自分を救い、他人を実際に救う
までに至るには
ここも思うようにならないものがあることに気づく
気づかないとしたらもう人をどんどん救ってるということになる
あるいは、本当は他人を顧みていないか

849:神も仏も名無しさん
18/12/02 13:25:55.82 /i7oqm6E.net
「私」とか 「私のもの」などといえるものはなく 、すべてのものは無常なのです 。
私たちは 、なぜ 「ニッバーナを得た」という言い方ができないのでしょうか ?
なぜなら 、ニッバーナを体験した人は 、もはや 「私」とか 「私のもの」という考えを持たないからです 。
もし 、そのような言い方をするのであれば 、その人はニッバーナを真に体験してはいないということです。
(アーチャン・チャー)
修行僧たちよ、そこで、わたしはみずからは生まれるものであるけれども、生まれるものに患いを知り、生まれることのない無上の安らぎであるニッバーナを求め、生まれることのない無上の安らぎであるニッバーナを得た。
みずからは老いるものであるけれども、老いるものに患いを知り、老いることのない無上の安らぎであるニッバーナを求め、老いることのない無上の安らぎであるニッバーナを得た。
みずからは病めるものであるけれども、病めるものに患いを知り、病めることのない無上の安らぎであるニッバーナを求め、病めることのない無上の安らぎであるニッバーナを得た。
みずからは死ぬものであるけれども、死ぬものに患いを知り、死ぬことのない無上の安らぎであるニッバーナを求め、死ぬことのない無上の安らぎであるニッバーナを得た。
みずからは憂えるものであるけれども、憂えるものに患いを知り、憂えることのない無上の安らぎであるニッバーナを求め、憂えることのない無上の安らぎであるニッバーナを得た。
みずからは汚れるものであるけれども、汚れることに患いを知り、汚れることのない無上の安らぎであるニッバーナを求め、汚れることのない無常の安らぎであるニッバーナを得たのである。
そしてまた、わたしに知見が生まれた。『わたしの解脱は不動である。これが最後の生まれである。もはや再生することはない』と。
(パーリ中部 聖求経)
アーチャン・チャーに言わせればブッダさんはニッバーナを真に体験してないらしいw

850:神も仏も名無しさん
18/12/02 13:47:23.77 306CbgWL.net
だから、言葉による伝達って不正確なんよw
阿羅漢をもってしてすら、如来の十力にはかなわないのでしょう。

851:神も仏も名無しさん
18/12/02 13:49:42.63 306CbgWL.net
阿羅漢かどうか分からん、思い込みの推測だ。

852:神も仏も名無しさん
18/12/02 14:01:44.76 wsUAUshr.net
皆さん合宿とかは行かれたことありますか?
私はゴエンカ氏の方のは行ったことあるのですが。
都合が合えば行ってみたいなと思いまして

853:神も仏も名無しさん
18/12/02 17:51:04.89 ewrsSL0D.net
>>806
ブッダは天上天下唯我独尊とか言っちゃう人だから。
本当はおかしいけど、あえてニッバーナを得たと表現した可能性はある。

854:神も仏も名無しさん
18/12/02 21:34:34.13 x4v+s7qR.net
>>809
スマナサーラ長老の瞑想合宿4泊5日に参加した経験があります。
個室での瞑想指導を受けました。
ここで個人的な人格否定される罵倒を受け、
それ以来 うつを発症し精神科にかかっています。
何度か本人に直接、苦情を申し上げましたが 残念ながら
精神病の人は病院へ行くようにとしか答えていただけません。
すべて私が悪いようです。


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