【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践14at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践14 - 暇つぶし2ch508:神も仏も名無しさん
18/11/20 19:14:57.93 mDiQUAaJ.net
>>482
たまって出さざるをえないのなら問題にしなくてもいいんだよ
大した必要性もないのにするのなら問題だけど
要は貪ったらだめということね

509:神も仏も名無しさん
18/11/20 19:23:09.03 9DVBPTAj.net
自分もオナニーするけど、これは邪淫に含まれるのかなぁと思っちゃう。不倫するのとはわけが違うし。
ただ、やりたいようにやってると欲に振り回されてる感じがするから、土曜日の午後だけって決めて、それは守るようにしてますよ。
自分なりのルールを決めたらどうですかね

510:神も仏も名無しさん
18/11/20 19:30:46.25 mDiQUAaJ.net
性欲も睡眠欲と一緒でなかったらダメなものだからね
修行を完成させるために寝るなとはいわれないでしょ?
性欲も一緒だよ。やっていい。でも出家者はオナニーもだめなんかな?

511:神も仏も名無しさん
18/11/20 20:02:17.85 YOp7PIH9.net
みなさま有難うございます
不浄観を養いつつ土日だけと決めやってしまった場合でもくよくよせず
精進したいと思います

512:神も仏も名無しさん
18/11/20 22:18:19.14 76gCX/R9.net
菜食主義を「心がければ」性欲はかなり落ち着いてくる。
慣れるには三月ぐらいはかかるかな。

513:神も仏も名無しさん
18/11/20 22:30:44.76 6dcTgBJY.net
夢精しまくるけどな!

514:神も仏も名無しさん
18/11/21 00:35:31.16 zvha6nB7.net
●説一切有部が伝える部派分裂
『異部宗輪論[いぶしゅうりんろん]』とは、説一切有部[せついっさいうぶ]の比丘、世友(Vasumitra[ヴァスミトラ])によって、1-2世紀頃に著されたと思われる書です。
仏滅後のサンガが分裂してさまざまな部派を形成した経緯と、それぞれの部派の教義の要を、説一切有部の立場から記されています。
(中略)
『異部宗輪論』が伝えるところの、仏滅後はじめてサンガが分裂した原因。
それは、仏滅後100数年を経て、摩竭陀(Magadha[マガダ])国の無憂(Aśoka[アショーカ])王の治世にて、
当時その学徳・行徳の高さを讃えられている大天(Mahādeva[マハーデーヴァ])という名の比丘が唱えた、阿羅漢[あらかん]についての五つの事項であるといいます。
これを大天の五事といいます。
(中略)
そもそも、大天がなぜこのような五事を言ったのきっかけは、大天がある日、おぼえず夢精してしまい、弟子にその衣を洗濯させたときに、弟子からの質問に答えたことに始まったといいます。
すでに触れたように、大天は当代きっての高僧として世間に認められ、みずからを阿羅漢であると称していました。
しかし律蔵では、人が夢精するのは、その者が心を安立していない為、念を失している為であるとしています。
故に阿羅漢であれば、夢精などするはずのないものです。
そこで弟子は、「阿羅漢はすべての煩悩を滅しているはずですが、なぜ阿羅漢のあなたが夢精などするのですか?」という、素朴な疑問を発したのでした。
『婆沙論』の所伝によれば、大天のこの説は、そのようなやりとりの中で弟子への答えとして出されたものです。
しかし、大天は、この説を「餘所誘無知 猶豫他令入 道因聲故起 是名真仏教」という偈頌としてまとめ、布薩の場で公然と主張したと言います。
これが大問題となったのでしょう。
サンガではこれをどうみるかで意見が分かれ、ついにサンガが分裂するに至ったといいます。
URLリンク(www.horakuji.com)

515:神も仏も名無しさん
18/11/21 00:49:58.36 gFVafdnV.net
根気よく三学の修習を進めていくうちに、性欲は制御できるようになってきますよ。
食欲、睡眠欲よりよほど簡単。

516:神も仏も名無しさん
18/11/21 01:01:39.18 gFVafdnV.net
座る瞑想で深い集中を経験しておくと、普段の精神統一の度合いも底上げされるはず。
一日の最初に、まず戒律と瞑想をやってしまうのがベスト。

517:神も仏も名無しさん
18/11/21 01:13:18.44 gFVafdnV.net
サティを保つことが本能に流されることと両立するのかどうか
やっていけば分かる。

518:神も仏も名無しさん
18/11/21 06:15:02.46 3U9TVuIm.net
>>489
自分の心に「やらされてる」って気づいた方がいいですよ。
自慰行為は集中力が落ちるから私はお勧めしません。
私の場合は一週間ぐらいは影響が残りますね。

519:神も仏も名無しさん
18/11/21 08:17:24.82 GkioJXYj.net
オナニーは快楽。まずそれを素直に認める。
その上で、このつまらない快楽に耽っているのがいいのか、涅槃という究極の安穏、
2500年間、たくさんの人が目指して挫折していった、人間の限界を超えた楽しみ、解脱に達するのがいいのかをじっくり考える。
オナニーしたらしたでいい。それでも自分は、死ぬまでに解脱に達する。全ての煩悩を滅ぼして、苦しみを終わらせる、
不惜身命、解脱の為にはひとりの人間の命、肉体などは捨ててもかまわない、たとえ明日死ぬとしても、今日のうちに必ず解脱に達してみせる、
という覚悟でいれば問題ない。

520:神も仏も名無しさん
18/11/21 09:02:55.91 wp9bPvrq.net
オナニーは快楽。それは確かに同意です
だけど、オナニーした後の瞑想はあまり心地よくないので、それを思うと踏みとどまれることがあります。
それでもやってしまったら、賢者タイムのときにティッシュに出したものをじっと見つめる。
お世辞にも清らかなものとは思えない液体をよく見る。で、次にやりたくなったら汚れたティッシュを思い出し、あれを出すのかと思うと、なんとなくする気が失せます。

521:和尚
18/11/21 09:08:01.79 Ew1aymL9.net
嘘つきが嘘を本当だと言って
傷口を広げているのに似ているのう

522:神も仏も名無しさん
18/11/21 09:13:39.03 zvha6nB7.net
小乗の説では煩悩を尽くした阿羅漢の人は、眠らないか横臥したまま正念を保つから性的な夢を見ず、夢精しないらしい。
しかし、いわゆる大衆部の祖「大天(マハーデーヴァ)」は、彼が阿羅漢を自称しながらも夢精したという経緯を弟子(大天に仕えているのでザーメン汚れ袈裟を洗濯していた)に問われ、阿羅漢も天魔の作用によって夢精するという見解を示した
(異部宗輪論「余所誘・ほかのものにさそわれること」=阿毘達磨大毘婆沙論「天魔所嬈・てんまになやまされる、夢失不淨・むせい」)。
律蔵には、自慰・オナニー・マスターベーションなど故意の射精を禁じる「故出精戒"śukravisṛṣṭir, śukravisarga"」があり、
僧残法"saṃghāvaśeṣa"という大勢(20人以上)の比丘への懺悔によって僧団に残してもらえる比較的重い罪に該当する。
律蔵は夢精について赦すようで、比較的重い罪「故出精(故意の射精)」にも相当せずに済む。

523:神も仏も名無しさん
18/11/21 10:51:49.23 gFVafdnV.net
無漏というのは24時間、365日、正念にほころびが無い状態だとすると、
夢精はあり得ないね。
わたしレベルでさえ、夢の中でも抑制が効くのに、これより戒と定が進んだ
状態において夢精に至るとは考えられない。
>>499
三学の実習をしないと分からないよ。
知りもしないで嘘呼ばわりされても、本当のことだからどうしようもないね。

524:神も仏も名無しさん
18/11/21 12:15:04.80 GkioJXYj.net
俺はノイローゼで療養してた時、夢精した事がある。
別に性的な夢を見た訳でもないが。
体が弱っていると出てしまう場合がある。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

525:神も仏も名無しさん
18/11/21 12:23:42.73 GkioJXYj.net
一休禅師は大悟徹底した後、子供を作ったという噂がある。
阿羅漢になっても性機能が無くなる訳ではないみたい。
やろうと思えばやれるようだ。

526:神も仏も名無しさん
18/11/21 12:32:59.74 XVPRmeOe.net
テーラワーダとかあまり知らん通りすがりだけど面白いテーマなので書き込み
二人の若者が将来について議論し、一人は神聖な教えを求めて聖堂に入り、もう一人は世間の享楽のほうが良いと思い売春窟に住むようになりました
やがて聖堂に入った若者は、もう一人の若者が売春窟で楽しくやっていることを羨ましく思い、聖なる教えも結構だが、世間の楽しみを全て棄てて自分は一体何をしているんだろうと後悔するようになりました
売春窟に住む若者もまた自分の惨めさに満ちた人生を後悔し、聖堂に入った若者を思い、聖なる教えを求めて涙するようになりました
やがて死の時が来て、死神は聖堂に入った若者を地獄へ、売春窟に入った若者を天国に連れて行きました
心というのは不可思議なもので、制御するのも難しい
過剰に抑圧することによって、逆に悪い印象が強い影響力を持つようになることもあるし、制御することなく手綱を外して欲望のままにすることによっても、その印象を強く受けることになる

527:神も仏も名無しさん
18/11/21 12:34:47.81 GkioJXYj.net
アーナンダ尊者も、釈尊入滅前、女性についての対処を釈尊に尋ねた。
釈尊曰く、「見てはいけない、話してはいけない、慎しんでおれ。」



528:阿羅漢になっても、性欲に対しては気をつけないといけないようだ。



529:神も仏も名無しさん
18/11/21 12:38:11.60 GkioJXYj.net
おっとアーナンダ尊者はその時預流果か。失礼。

530:神も仏も名無しさん
18/11/21 12:50:50.67 /vZ9b+9/.net
一休禅師は大悟徹底してないし、阿羅漢でもない

531:神も仏も名無しさん
18/11/21 13:11:00.22 gFVafdnV.net
テーラワーダの戒律は、仏教徒にとっては直に接することのできる三宝であるから
テラワダの阿羅漢が自ら戒律を破って、在家仏教徒のサンガへの信を損ねるような
真似をするとは考えられない。
また、本能についての考え方は、有身見の有無によってまるで違ってくる。

532:神も仏も名無しさん
18/11/21 13:12:45.37 gFVafdnV.net
自我(自己)が、ある種の錯覚に過ぎないとわかれば有身見がなくなる。
その状態では、生存本能すら捨てることはそれほど難しいことではなくなってくる。

533:神も仏も名無しさん
18/11/21 13:14:26.28 gFVafdnV.net
ただし、生存本能の世界で生きている一般人に、そういう話をストレートにする
わけにはいかないので、有身見の誤りを見破った人も、おそらく黙っている場合が
多いと思う。

534:神も仏も名無しさん
18/11/21 14:06:15.96 c6X6a0+U.net
>>510
あなたは自分の修行を進めるには5ちゃんは止めるべきだと思う
そうすればもっと世俗からの厭離が進み離欲も進むだろう
今程度で良いというなら今のままでもいいが

535:神も仏も名無しさん
18/11/21 14:50:38.22 GkioJXYj.net
まず自我はある種の錯覚じゃなくて完全な錯覚ね。
有身見が無くなった預流果には貪欲、瞋恚は普通にある。生存本能は捨てられない。
阿羅漢果になれば命を捨てることは簡単かも知れないが。
戒律を破っちゃいけないって感覚は阿羅漢には無いと思うが。もうすでに自我が、慢が無いんだから。
俺には欲が無いぞ、阿羅漢に悟ったぞ、解脱したぞってのは慢がある証拠。
もうすでに、戒定慧も八正道も、仏法も何も関係が無くなった人が阿羅漢。
「我ありと思う心を捨てよただ 身の浮雲の風にまかせて」 一休

536:神も仏も名無しさん
18/11/21 17:07:19.27 T4dtPPaA.net
お釈迦様の初転法輪時には自ら悟った、解脱したことを宣言されているよね。

537:神も仏も名無しさん
18/11/21 18:18:17.67 GkioJXYj.net
釈尊は特別。
法を説き初める時には、誰かがまず宣言しなきゃいけない。よりどころになる為に。
だから仏法僧の三宝も、僧とブッダを区別してる。

538:神も仏も名無しさん
18/11/21 18:28:54.56 GkioJXYj.net
どうも悟ってない人ほど、聖者信仰が強いように思う。
聖者は清らかであるはずだ、煩悩が完全に無くなっているはずだ、人格が完璧であるはずだ。
聖者は自分が凡夫であることをよく知っていて、よく気をつけているから聖者と呼ばれているだけで、
自分が凡夫であることを知らない人こそ本当の凡夫。自分は聖者だと思っている人は救いようがない凡夫。

539:神も仏も名無しさん
18/11/21 18:35:17.51 gFVafdnV.net
自分って、要するに五蘊だからね。
お釈迦さまに最初から答えを全部教えてもらってるのだが、意味がわからないんだよな。

540:神も仏も名無しさん
18/11/21 18:35:48.69 VBLxdHFo.net
やらしい夢は見ないが夢精はするぞ

541:神も仏も名無しさん
18/11/21 18:39:59.00 gFVafdnV.net
聖者信仰してるわけじゃないのに、テラワダの伝統に忠実なだけで
聖者信仰してると思い込まれたりもするよ。
人が何をみてどういう反射をするか分からないので、もうどうしょもない。

542:神も仏も名無しさん
18/11/21 18:42:38.94 GkioJXYj.net
その五蘊は因縁によって生滅している。
おっさんの五蘊は今までのおっさんの因縁により、おっさんのような五蘊を形成している。
ビールが好きかもしれないし、昼寝が好きかも知れない、女が好きかも知れない。
そうゆう事はない、ただの五蘊だ、人間ぽい感情などありはしない、というのが聖者信仰。

543:神も仏も名無しさん
18/11/21 18:49:14.79 gFVafdnV.net
煩悩が無くなるのかどうか、すでに十結で説明されてる。
もし無くならないという主張なら、それは仏説に符合しない。

544:神も仏も名無しさん
18/11/21 18:55:41.94 GkioJXYj.net
どこまでが煩悩か。
本当に欲が完全に無くなるのなら、スッタニパータに離欲を貪らない、と説かれない。
795 (真の)バラモンは、(煩悩の)範囲をのり超えている。かれが何ものかを知りあるいは見ても、執着することがない。
かれは欲を貪ることなく、また離欲を貪ることもない。かれは(この世ではこれが最上のものである)と固執することもない。
サーリプッタ尊者も甘い物が好きだったらしい。人間だから色々ある。
その人間をそのままに執着しないのが阿羅漢。

545:神も仏も名無しさん
18/11/21 18:56:15.17 gRJztXWN.net
次スレどっちにしする?

▼   働 か な い 男   ▼
スレリンク(gender板)
母が逝ったら僕も逝く(50歳・毒)
スレリンク(single板)

546:神も仏も名無しさん
18/11/21 19:00:54.80 gFVafdnV.net
>>521
教学的には色貪、無色貪のことじゃないかと思う。
離欲を貪る、とあるからには貪があるはずだし、であるからには無明がある。
無明と貪りから離れて涅槃を目指すことを、離欲を貪るとは言わないでしょ。

547:神も仏も名無しさん
18/11/21 19:06:21.59 5h0DGwmC.net
>>gFVafdnV
参考までに聞きたいのですが、無常・苦・無我、はどこまで理解されていますか?
深く体感するところまであるでしょうか?

548:神も仏も名無しさん
18/11/21 19:08:10.86 GkioJXYj.net
>>523
ちょっとよく分からないけど、自分は離欲を貪るというのは、
ブッダがやられた苦行みたいな事なんじゃないかと思う。
食欲を無くそうとしたり、寝ないでいようと思ったり、生理的欲求を無くそうと一生懸命になることなんじゃないかな。

549:神も仏も名無しさん
18/11/21 19:10:24.76 gFVafdnV.net
>>524
まだ全然です。
自我がないのは経験的に知ってはいますが、普段は自我で生活してます。
八正道が涅槃まで続いているのは見ました。(あくまで比喩的表現です)

550:神も仏も名無しさん
18/11/21 19:21:41.19 5h0DGwmC.net
>>526
ありがとうございます。
私事で恐縮ですが、最近、頭での理解から体感での理解になりつつありまして。
全然違う感じで驚いているんですよね。間違いなく悩み、苦しみ、迷いは減りました。

551:神も仏も名無しさん
18/11/21 19:24:59.65 gFVafdnV.net
>>527
なんともありがたいことですね。
仏法に出会えたことが何よりの宝です。
>>511
そうですね。
ありがとうございました。

552:神も仏も名無しさん
18/11/21 19:34:05.09 GkioJXYj.net
>>526
たぶんそれは自我じゃないですよ。
一旦自我は存在しない妄想だと分かれば、自我で生活するとかありえないと思います。
わざわざ自我を妄想しながら生活するんですか?

553:神も仏も名無しさん
18/11/21 20:30:22.00 9a63g3s1.net
あなた達はヒンドゥー教徒ですか?
自我を幻影(マーヤ)のように扱うだなんて
いや、あなた達がヒンドゥー教徒ならそれでもいいですが
もし自我が心や心処を指すのでしたらテーラワーダではその存在は一瞬だけとはいえ実在であると認めています
だからテーラワーダの勝義諦には心や心処が入っているのです

554:神も仏も名無しさん
18/11/21 20:40:34.44 k/ZlssfN.net
自我は存在しない と何が認識するのだろうか
自我以外のものが 自我は存在しない と認識できるのか

555:神も仏も名無しさん
18/11/21 20:42:32.81 GkioJXYj.net
自我、我はどこにも無いでしょう。
五蘊の中にも無いし、六根の中にも無い、心にも心所にも無い。
我を妄想する人には、妄想として存在するでしょうね。我見として。

556:神も仏も名無しさん
18/11/21 20:55:52.03 GkioJXYj.net
>>531
一瞬でも涅槃を経験し、認識が止まった状態を経験すれば、
自我が認識から生まれる錯覚、妄想であることが分かる。
その瞬間、五蘊の中に固定した私というものが有るという見解、有身見が無くなる。

557:神も仏も名無しさん
18/11/21 20:56:55.76 9a63g3s1.net
不善心所なんて悪い意味での自我に分類されませんか?

558:神も仏も名無しさん
18/11/21 20:58:07.76 9a63g3s1.net
>>533
それは誰がそう言ってるのですか?

559:神も仏も名無しさん
18/11/21 21:01:55.82 GkioJXYj.net
>>535
私が。

560:神も仏も名無しさん
18/11/21 21:08:23.17 GkioJXYj.net
スマナサーラ長老も似たような言い方してたかな。
私はスマ信者だから。

561:神も仏も名無しさん
18/11/21 21:18:50.52 sFjGQN3G.net
>>530
>テーラワーダではその存在は一瞬だけとはいえ実在であると認めています
このことはどこに書いてありますか?

562:神も仏も名無しさん
18/11/21 21:19:44.00 GkioJXYj.net
スマナサーラ長老が説法で、
「私は若い頃秋


563:葉原によく行っていた。機械類をよく買ってしまうので、部屋に置き場が無い。」 とおっしゃっていた。 これを、「スマナサーラ長老は欲がある。聖者では無い。」と捉えるか、 「かっこつけて聖者のふりをしない、スマナサーラ長老は本物の聖者だ。」と捉えるか。 どちらも妄想であるのは確かだが、実は他者を見るときには自分自身の影を見ている。 欲深い人は他人に欲を見るだろうし、愚かな人は他人に愚かさを見る。



564:神も仏も名無しさん
18/11/21 21:24:03.11 Pss2lbWR.net
経験した涅槃の状況や認識が止まった状態を説明してあげればいろいろ参考になるのではないかと思う

565:神も仏も名無しさん
18/11/21 21:32:56.06 31bwFREm.net
確かに涅槃となぜ理解できたのかの判断基準とか興味ある

566:神も仏も名無しさん
18/11/21 22:26:26.75 GkioJXYj.net
預流果に悟る瞬間は一瞬だから、それが涅槃だったかどうかは本人は分からない。
本人としては、「あれ?眼耳鼻舌身意の全てが動いている、一瞬も止まっていない、これは何であるとか、ここに何があるとか、認識は成り立たない。」という気づきはある。
後でマハーシ長老の本を読むと、どうやら涅槃で間違いないみたい。

567:神も仏も名無しさん
18/11/21 23:43:45.22 9a63g3s1.net
>>538
URLリンク(www.horakuji.com)
上記サイトの
分別説部における「無我」の理解 ―人空法有
URLリンク(www.j-theravada.net)
説一切有部を批判するためにテーラワーダ仏教がアビダルマを発展させたと言っても過言ではないほどです。
テーラワーダ仏教は「三世実有」に真っ向から反対するのです。テーラワーダにおいては、存在するのは、今の瞬間のダルマだけです。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
経量部のページですが
説一切有部のアビダルマ説を批判・修正する。
「三世実有」説に対しては、現在に於いてのみ法有を認め…
(ここまでは経量部もテーラワーダも同じです)
URLリンク(gamp.ameblo.jp)
テーラワーダ仏教の勝義諦はそれぞれ変わらない性質をもつもの「自性がある」と言われています。
テーラワーダ仏教は法有で法空の立場ではありません。

など
説一切有部と経量部やテーラワーダの違いは法の実在を三世に渡って認めるか現在のみ認めるか
また法の分類の仕方など
※法とはここでは諸々の存在要素というような意味であり無常とか縁起とかの法則の意味ではありません

568:神も仏も名無しさん
18/11/21 23:54:33.84 mFvGQi4m.net
>>543
ありがとうございます
これってミリンダ王の問いの例えを使うと
車は実在しないけどタイヤなりハンドルなりは実在するという意味なんですかね

569:神も仏も名無しさん
18/11/22 00:12:39.88 T0XSz9dC.net
>>530
諸法無我は、ヒンドゥー教なのですか?

570:神も仏も名無しさん
18/11/22 00:26:12.98 FWVnIcdP.net
最近、中村元の龍樹を読んでいるのですが
中村元によると説一切有部の法は概念であり、超越的実在という理解ですが
スマナサーラによると説一切有部の法は自然的事物であるように見えます。
中村元 龍樹より抜粋します
・有部は法の実在を説いたのであって、自然的存在の実在は説かなかった。
・存在はつねに時間的に存するが、法は、「それ自身の本質を持つ」ものとしてより高次の領域において有るから、超時間的に妥当する。かくして法は有る、すなわち実在する、とされた。
・こういうわけで法は「もの」であるとする解釈が成立するに至ったのであるが、この「もの」というのはけっして経験的な事物ではなくて、自然的存在を可能ならしめている「ありかた」としての「もの」であることに注意せねばならぬ。
・故に「法有」の「有」とは「経験界において有る」という意味に解することはできないと思う。
・「中論」は決して従前の仏教のダルマの体系を否定し、破壊したのではなくて、法を実有とみなす思想を攻撃したのである。概念を否定したのではなくて、概念を超越的実在と解する傾向を排斥したのである。

571:神も仏も名無しさん
18/11/22 00:51:10.14 FWVnIcdP.net
・以上は「ありかた」としての法を中心として考察したのであり、今日のことばでいえば
ほぼ概念の中に含まれるところのものである。ところがわれわれはその他に法有の立場の注目すべき特徴を認める。
有部は概念のみならず判断内容すなわち命題それ自身実在することを主張した。
つくられたものども(諸行)は無常である。しかしながら「諸行は無常である」という命題自身は変易しない。
もし命題自身が変易するならば、つくられたものどもは無常である、とはいえなくなる。
故に命題自身、すなわち「句」も実有であるとされ、五位七五法の分類中の心不相応行法の中に入れられた。

572:神も仏も名無しさん
18/11/22 00:54:55.55 FWVnIcdP.net
法とは何かを部分部分で抜粋したので前後の文章を読まないとうまく理解できないかもしれません

573:神も仏も名無しさん
18/11/22 01:12:41.86 BM5F0P1D.net
>>544
車輪や轅にも構成要素というのがあってそれぞれ更に細分化できそうですが、そういうのを無視すればまあそう言えると思います。
ただし車輪や轅のように実在はしますが、車輪や轅とは違って法は常に刹那消滅しています。刹那消滅しているので法有(法は実体として存在する)であっても法も無常です。
(正確には車輪や轅は色法ですからこれらも刹那消滅しているのですが)
この刹那消滅論は部派仏教全体と唯識や禅の一部など一部大乗仏教に見られます。
>>545
諸法無我は仏教です。
自我は仏教でもヒンドゥー教でも我ではありません。
(では仏教では我の方は実在として認めるのかとなるとうるさくなるのでここでは一旦割愛)
ヒンドゥー教では一元にしても二元にしても我(アートマン=ブラフマン、プルシャ)は実在としますが、
自我(エゴ、マインド)は我とは違う幻影(マーヤ)であるとか現象世界の意識(プラクリティに属する)であるとかされています。
仏教ですが、部派仏教のアビダルマでは自我のことと思われる貪瞋痴とかそれらから派生した慢とかは法としてあげられていますが、
流石に我を法に入れている部派はありません。
部派仏教では我の実有は認めていません(我空法有)。

574:神も仏も名無しさん
18/11/22 01:56:24.25 FWVnIcdP.net
中村元によると
説一切有部は実念論(法という概念が存在する)なのですが
>>543>>549さんによると、テーラワーダは実念論ではなく実体論のようですね

575:神も仏も名無しさん
18/11/22 05:26:56.27 T0XSz9dC.net
瞑想の実践から見えてきたことを書いているの?
それらの記述が本当かどうか、瞑想で確かめたの?

576:神も仏も名無しさん
18/11/22 08:23:11.46 QlvWBFqH.net
瞑想してみれば、法、概念、思考は無常であることは分かるでしょう。
生まれては消えていきますから。
例えば概念としての「ネコ」は過去、現在、未来、変わらず有るでしょう、と言いたいのが説一切有部だと思いますが、
いずれにせよ、概念は概念で「ネコ」という実体は無いのだから、どうでもいい話で、空論ですよ。
諸法は無我である。全ての概念には我と呼べる実体は無い。という真理を知れば、
概念に対する執着が無くなる。法によって苦しむことが無くなる訳ですから、諸法無我には意味があるんです。
論理的に、理論として正しいものでも、実際に苦しみを無くさなければ意味は無いですよね。

577:神も仏も名無しさん
18/11/22 08:32:40.01 /MeK4Ni/.net
説一切有部の比丘もテーラワーダの比丘も経量部の比丘も唯識の比丘も中観の比丘も大衆部の比丘も禅宗の禅師もヒンドゥー教の聖者もみんな瞑想はしてますよ。
でも出る解はそれぞれ違うんですよ。
>>551さん以上にそれぞれの部派や宗派や宗教の修行者は瞑想しているんですよ


578:。 そしてそれぞれ別な解を出してきてるんですよ。 瞑想でみんな解決すると思ったら大間違いですよ。 その個人の見解が得られるがそれは全てが普遍的なものでもないのですよ。 1+1=2に決まってるのとは違うんですよ、瞑想で確認できるものは。



579:神も仏も名無しさん
18/11/22 08:37:08.65 /MeK4Ni/.net
>>552
説一切有部の我空法有,三世実有法体恒有の法とはイデアとは違います。
ちゃんと実体をもったものとしてそれらの法が刹那消滅するいうのが説一切有部の教説です。
テーラワーダの法も実体を持つという点では同じです(我空法有)。

580:神も仏も名無しさん
18/11/22 08:54:02.48 QlvWBFqH.net
テーラワーダで法に実体が有ると本当に言っていますか?
諸法無我に完全に矛盾すると思いますが。
瞑想で確認できる事実は一つしか無いですよ。
諸行無常、一切皆苦、諸法無我だけです。
それ以外の答えは全て妄想、空論です。

581:神も仏も名無しさん
18/11/22 09:13:40.74 /MeK4Ni/.net
初期仏教でもテーラワ ダ仏教でも部派仏教でも 、 「現象には自分の特色がある 」と言います 。
大乗仏教は 「そんな特色はない 、すべては空だ 」と一生懸命批判しています 。
どちらが正しいか 、ちょっと考えればすぐに分かります 。
部派仏教の一派で 、大乗が生まれる前からあった説一切有部や経量部 * 1 8などものごと ・現象には特色はあると言っています 。
初期仏教でも 、くだらない哲学はありませんから 、 「この人は男でこの人は女です 」と言ったら 、ごく普通に 「ああそうですね 」と言います 。
大乗仏教は 「そんなことはない 、男も女もない 、みんな仏でみんな空だ 」と言いますけど 、それで何か得られるものがあるのかどうか分かりません 。
「すべては空である 」という大乗仏教の哲学は 、ある立場から見れば正しいです 。
それは初期仏教 ・テーラワーダ仏教でも認めます 。それに対して 、初期仏教やテーラワーダ仏教が厳密に分類している物質や心の区別論 ・分別論が間違っていると主張するのは 、大乗仏教だけです 。
確かにすべてが空という立場から見れば 、区別 ・分別は間違いです 。
でも初期仏教の立場では 、間違いではないのです 。
物質や心の現象を徹底的に分析したときは 、「すべてが空 」という立場から説いたわけではないからです 。
当然 、その内容も間違っているわけではありません 。
「すべては空だ 」という一つの立場に執着して 、すべてをその立場からだけ見ようとすると 、空論以外はすべて間違いだということになる 、ただそれだけのことです 。
(スマナサーラ著「ブッダの実践心理学1」)

582:神も仏も名無しさん
18/11/22 09:30:00.44 /MeK4Ni/.net
なお、上座部大寺派、すなわち現在の南伝上座部仏教では、『アビダンマッタ・サンガハ』などの記述に依り、
以下の計170法を、「性質(=自性)が変わることが無い法」としての「勝義法」(第一義法、巴: paramattha dhamma, パラマッタ・ダンマ)として挙げる[24]。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)

583:神も仏も名無しさん
18/11/22 09:37:38.71 QlvWBFqH.net
因縁により刹那生滅するものは実体が有るとは言わないですよ。普通。
法だけでなく、色声香味触法、眼耳鼻舌身意、五蘊、一切について、刹那生滅するものは、無常であり、苦であり、無我です。
無我を空と呼び変えてもいいですけど、空は無いという意味でもないし、有るという意味でも無い。
どこかに何か、存在が有る、実体が有るというのは間違いです、無いというのも間違いですが、
固定した、不変の実在、実体、存在が有るという我々が起こしやすい錯覚は間違いである、というのが無我だと思います。
ですからテーラワーダの立場としては、我空法有では無く、ただ単に、諸法無我だと思います。

584:神も仏も名無しさん
18/11/22 09:41:25.56 /MeK4Ni/.net
>>547
>故に命題自身、すなわち「句」も実有であるとされ、五位七五法の分類中の心不相応行法の中に入れられた。
それが生・住・異・滅の四相と言われている法ですね。
それらにより無為を除く全ての法は刹那生滅するので、法は実有であるが刹那生滅するが故に無常である、とするのが部派仏教です。
テーラワーダもその部分では変わるところはありませんが、説一切有部の法の三世実有は否定しました。

585:神も仏も名無しさん
18/11/22 10:18:19.36 4uezwz0H.net
484 :名無しさん@1周年 :02/05/28 18:15
上座部の人はヴィパッサナを徹底的にすれば、
刹那滅は手にとるように見えてくると言ってました。

58 :名無しさん@1周年:02/06/01 13:20
>>53
>>現在法として転変していない種子も刹那生滅を繰り返す
>などというオカルトは笑うしかないです♪
これは唯識の基本的なところ、知らないというのは.....
経量部も同様の立場で....唯識はこれを採用しているのに。
>>44
>有部→過・現・未 三時に実在(法体恒有)+刹那滅☆
>経量部→現在のみ実在+刹那滅☆
別に三世実有説は部派仏教一般の認識。
過や未の「無体」を主張したのは、経量部以外は大衆部、大衆部も
末派は三世実有を説く。
なんかローカーヤタ派のところに行って、夜のうちにオオカミの足跡
を付けておいたという話を思い出したぞ。
過・未を認めないから、彼らはオオカミが来たと推測することも許さ
れないで、慌てふためくばかりであったという。

586:神も仏も名無しさん
18/11/22 11:23:09.55 /MeK4Ni/.net
現在有体過未無体
げんざいうたいかみむたい
仏教用語。
部派仏教のうち経量部の教説で,人間存在ないし現象界を構成するもろもろの要素 (法) は,現在現れているかぎりにおいては実有であるが,過去,未来においては無であるという主張。
説一切有部の「三世実有,法体恒有」の説に対する。
URLリンク(kotobank.jp)
経量部
説一切有部の説の幾つかを修正し、なかでも三世実有説に対して、現在有体・過未無体、つまり法は現在世のみ実在するという説などを主張した。
4-5世紀の世親は、説一切有部によって『倶舎論』の偈を著し、のち経量部に移ってその注釈文にそれを反映させて、
さらに大乗に転向し、唯識説を完成させたので、経量部は有部の批判者として、唯識説との近縁について、注目されている。
URLリンク(www.wikidharma.org)

587:神も仏も名無しさん
18/11/22 12:29:23.68 T0XSz9dC.net
>>553
お釈迦さまからして、わたしなんかよりずっと瞑想してますよね。
理論なら本なり経典なりを読めばわかることでしょう。
わたしには、あなたの発言が、ありもしない論敵を妄想して、妄想上の
論敵に反論しているようにしか見えないのですが。
そもそも勝義諦の心と心所が我であるなんて、誰も言ってないし
それに、ここは瞑想実践スレのはずではありませんでしたか?

588:神も仏も名無しさん
18/11/22 12:31:47.64 QlvWBFqH.net
あんまり仏教の勉強しすぎると瞑想して悟るのが苦しくなりますよ。
瞑想中は仏教のブの字も出してはいけない。あらゆる概念、法を手放さなきゃいけない。
諸行無常すら考えてしまえば妄想になる。
きちんと瞑想して無我を悟れば、無駄な哲学的思考に嵌らない。
説一切有部も、唯識も、大乗も、ブッダが定義しなかった概念を持ち出した宗派が次々現れた歴史は、
瞑想失敗の歴史だと思えばいい。
禅だけは一部成功したけども。

589:神も仏も名無しさん
18/11/22 12:33:34.02 T0XSz9dC.net
>>556
>初期仏教でもテーラワ ダ仏教でも部派仏教でも 、 「現象には自分の特色がある 」と言います 。
>大乗仏教は 「そんな特色はない 、すべては空だ 」と一生懸命批判しています 。
>どちらが正しいか 、ちょっと考えればすぐに分かります 。
考えて答え出されてますよね。
智慧まで到達してから、それを言語化した場合、いろんなバリエーションになるのは仕方ないと思いますよ。

590:神も仏も名無しさん
18/11/22 12:39:31.26 T0XSz9dC.net
各部派の分厚い経典を読んで、解釈するのに時間をつかっていたら
悟りの智慧にかすりもしないうちに、あっというまに時間切れになって
しまうと思う。
乗り物は、これと1つに決めたら、あとは突破するまでや�


591:關リるのみ。 いまはそれが出来る時代だと思う。



592:神も仏も名無しさん
18/11/22 12:42:05.07 T0XSz9dC.net
乗り物はテーラワーダ。
方便はパーリ三蔵経典。
そうと決めたら、もうよそ見はしないことです。

593:神も仏も名無しさん
18/11/22 12:45:46.69 /MeK4Ni/.net
>>563
>説一切有部も、唯識も、大乗も、ブッダが定義しなかった概念を持ち出した宗派が次々現れた歴史は、
テーラワーダもその中に入れないと。
あと龍樹は「ブッダに帰れ」と言って説一切有部を批判したんだから龍樹自身はブッダの教えに忠実だという想いはあったんでしょう。
法を実体視するのはブッダの教えではないという信条からの説一切有部批判であり中論です。
その龍樹を批判してるのがスマナサーラ長老ですが。

594:神も仏も名無しさん
18/11/22 12:46:57.60 QlvWBFqH.net
>>565
現代人は、いろんな情報に触れられるけども、仕事が忙しく瞑想するヒマが無い。
いかに不要な情報をシャットアウトするか、いかに仕事を減らして瞑想する時間を作るかがカギでしょうね。
あと最後までやり切る根性と。

595:神も仏も名無しさん
18/11/22 12:48:16.17 /MeK4Ni/.net
あ、スマナサーラ長老は説一切有部も唯識も批判しています。

596:神も仏も名無しさん
18/11/22 12:50:09.95 QlvWBFqH.net
>>567
ええ、だから思考を止めるんです。
人間だから不完全。主義主張が食い違う事もあるでしょう。
それらを全て放っておいて、目の前の現象を観察するのがヴィパッサナーですね。
一度瞑想すると決めたら、龍樹だろうがスマナサーラ長老だろうが、
ケツを蹴り上げて追い出さなきゃいけない。自分の頭の中から。

597:神も仏も名無しさん
18/11/22 12:51:32.05 T0XSz9dC.net
思考の中に生みだす正しい仏教って、見(ditthi)だから。
概念じゃないよって、そういう意味。

598:神も仏も名無しさん
18/11/22 12:52:58.41 T0XSz9dC.net
考えたり、しゃべったりしているうちは、正しい仏教 vs 正しい仏教のおしゃべりが
延々と(永遠に)続くだけでしょうな。

599:神も仏も名無しさん
18/11/22 13:08:22.19 QlvWBFqH.net
いちおう正しい仏教はあって、それはブッダが説かれた教えそのものなんですが、
問題は「私」の理解能力です。不完全な人間である「私」には理解できないんです。
考えても考えても、ありとあらゆる本を読んでも、「私」には理解できない。
そこで瞑想して、煩悩を滅ぼし、渇愛を無くし、「私」というものが無くなった時に、不思議と正しい仏教が理解できるんです。
無我ということですね。

600:神も仏も名無しさん
18/11/22 13:30:28.38 FWVnIcdP.net
>>554
中村元は説一切有部の「三世実有法体恒」をイデア的に捉えているんですよね
これは中村元が間違っているんですかね?
p154
東西における対応は容易に理解することができる。図式化すると
実念論 - プラトーン - 説一切有部
実念論に対する反対者 - プラトーンに対する反対論 - ナーガールジュナ学派

601:神も仏も名無しさん
18/11/22 14:42:23.80 vp4aKA/n.net
説一切有部 五位七十五法
URLリンク(3fo.org)
唯識 五位百法
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)
これらの法は観念の世界の投影とかじゃないからね
あと説一切有部とかの小乗系は法は自性のある実体
大乗唯識は法は最終的には無自性の空と帰す

602:神も仏も名無しさん
18/11/22 14:46:30.01 5VBfI4WN.net
久しぶりに来ました
無職が悟ったと聞いて

603:神も仏も名無しさん
18/11/22 14:59:11.53 FWVnIcdP.net
>>575
>>558さんの考えには反対ですか?

604:神も仏も名無しさん
18/11/22 15:04:44.46 QlvWBFqH.net
直指人心、見性成仏。
自分にも心はあるのに、なぜ教科書の中に答えを求めるのか。
「お掃除とは何か?」という答えを求めて、お掃除大百科を一日中眺めていて、
自分の家の掃除をしない主婦がいたら笑っちゃうでしょうにw

605:神も仏も名無しさん
18/11/22 15:06:14.41 vp4aKA/n.net
>>575
昨日言われていた自我というのは説一切有部の五位七十五法だと、心所法の中の大煩悩地法や大不善地法、大


606:煩悩地法、小煩悩地法、不定地法が典型であろう テーラワーダの勝義法(勝義諦)だと心所法の中の不善心所だろうな



607:神も仏も名無しさん
18/11/22 15:10:48.71 vp4aKA/n.net
>>577
実体があるのに無常であるというのに整合性を求めるための刹那生滅です
小乗系は皆この考え
大乗でも経量部からの流れで唯識などは刹那生滅
阿頼耶識とアートマンの一番の違いは刹那生滅するかどうか
アートマンは生滅しないので常住である、常一主宰であると言える
一方の阿頼耶識は刹那生滅するので無常であり空

608:神も仏も名無しさん
18/11/22 15:17:37.13 KrnC6iwe.net
皆さんの言ってることが難しすぎてよく分からないんですが、
たとえば真理とか言われるものも、無常・無我ということなんでしょうか?
勝義諦と諸行無常・諸法無我の関係はどうなっているのでしょうか。
勝義諦だけは、別なのでしょうか?

609:神も仏も名無しさん
18/11/22 16:22:12.90 T0XSz9dC.net
勝義諦のうち、涅槃を除く、心、心所、色が無常、苦、無我で、
涅槃だけが別です。
象も実物を見れば一発で伝わるのに、言葉で伝えるとなると
ややこしくなりますね。
例え伝わったところで、日光東照宮の彫刻にある象の像のように
空想上の動物になってしまうでしょうし。
ご自身が依拠する経典以外の語彙、語り方の構造は、あくまで
自分が乗る乗り物とは違う、他の乗り物だと思っておいた方が
良いのではないでしょうか。
他人の乗り物をあれこれ言わないのもマナーかと思います。

610:神も仏も名無しさん
18/11/22 16:29:07.66 T0XSz9dC.net
あと、乗り物の研究だけして、実際に乗らないという時代は
もう終わったと思ってます。
時代は変わりました。

611:神も仏も名無しさん
18/11/22 16:39:12.63 FWVnIcdP.net
>>580
「実体がある」という意味は
「この現象界を構成する要素となる法が実体として刹那生滅していて、感じ取ることができる」
という理解で合っていますか?

612:神も仏も名無しさん
18/11/22 16:40:21.87 KrnC6iwe.net
>>582
人間の道徳や倫理はどうでしょうか?
地球外知的生命体はいると思いますが、倫理や道徳は地球上の人間とそう変わらないと思っています。
たとえば、命を大切にする、ということなど。
同族の命を大切にする、ということなどは、地球上の生命体にとって、普遍なことだと思うのです。

613:神も仏も名無しさん
18/11/22 17:07:25.58 KrnC6iwe.net
さっきまで色々と調べてみたのですが、
簡単に答えのでることではないのですね。
色々な見方がある、ということだけは分かりました。

614:神も仏も名無しさん
18/11/22 17:21:43.54 FWVnIcdP.net
>>586
そうですね 簡単に答えは出ないと思います
見方も違うし、見ているものも違う というのが実情だと思います
テーラワーダの人たちですら意見が合わないので
他宗派を交えたらなおさら話が噛み合わないのでしょう

615:神も仏も名無しさん
18/11/22 17:40:42.74 QlvWBFqH.net
まず刹那生滅を自分で観ることが先決。
本を読んで分かる事ではない。

616:神も仏も名無しさん
18/11/22 17:55:58.30 /MeK4Ni/.net
>>580
部派仏教(小乗系)の諸々の法は実体(自性)があるが刹那生滅するので無常とされます。
唯識瑜伽派の阿頼耶識含む諸々の法も刹那生滅しますがその法は仮であり実体(自性)はなく空であるとされます。
刹那生滅以前に、空であるので無常であるとなります。
大乗では空であるから分別はしないということはなく、色即是空空即是色として空即是色の部分でちゃんと分別しています。
それは分別智とか後得智と呼ばれます。
色即是空は分別智とか根本智と呼ばれます。
菩薩は衆生の機根に応じて説法する(対機説法)ので分別智を得ることが重要視されます。

617:神も仏も名無しさん
18/11/22 18:53:47.31 T0XSz9dC.net
教える中身があるのが前提だと思いますけどね。

618:神も仏も名無しさん
18/11/22 18:59:26.39 QlvWBFqH.net
一回も料理を作ったことが無い人が、レシピだけをものすごい研究してる感じだね。
あっちのレシピでは小麦粉は10グラムです。こっちのレシピでは15グラムです。って。
作ったことあるの?無いです。
おいしいの?さぁ。

619:神も仏も名無しさん
18/11/22 20:14:03.33 kQ/G8d64


620:.net



621:神も仏も名無しさん
18/11/22 20:27:05.61 tNylYVoG.net
人間しか悟りが開けないようですが
仏教でいう人間の定義って何なのでしょうか?
善行為ができる生命ってことでしょうか?

622:神も仏も名無しさん
18/11/22 21:34:37.39 QlvWBFqH.net
他人の涅槃は放っておけばいいのに、文献だ、経験だと余計な詮索をするレス
他人の体験は分かりようがないのに体験してないと断定してしまうレス
>>593
人間というか、生命は五蘊または六根と六境ですね。
人間は善行為もできるし悪行為もできます。
天界に行くこともできるし、地獄に落ちることもできる。
善悪両方経験できるので修行には向いているようです。

623:神も仏も名無しさん
18/11/22 22:37:14.36 KQltmVPM.net
涅槃は認識できないし涅槃の間に認識はないというマハーシ派に対して、認識がない涅槃を認識できるとパオ派は言ってるらしいですけど、
マハーシ派の言う涅槃を体験したという人はたまに聞きますが、パオ派でいう涅槃を体験した方はいますか?
いたらどんなか、お話を聞きたい

624:神も仏も名無しさん
18/11/22 22:43:03.96 ZJlK5d4C.net
涅槃を体験とは
「感覚や認識を含めた一切の意識が断絶した状態である滅尽定のこと」

625:神も仏も名無しさん
18/11/22 22:49:43.56 kQ/G8d64.net
>>594
仕方ないだろう
その涅槃体験のレスが文献に書いてあることそのままなんだから文献丸写しと分かってしまうからな

626:神も仏も名無しさん
18/11/22 22:56:47.14 5VBfI4WN.net
平日昼間もやってんだから
少しは休めば?

5ちゃん漬けは
もっと頭おかしくなるよ

627:神も仏も名無しさん
18/11/22 22:57:01.97 T0XSz9dC.net
まずは心清浄。
涅槃なんてずっと先の話でしょ。

628:神も仏も名無しさん
18/11/22 22:57:11.01 qcJk7RZ5.net
涅槃の体験などいろいろ経験している人は自己評価はどんな感じなのかな
例えば預流果には乗ったなとか一来果まで来たなとかわかるのかな
また、十界でいえば、現在は人界・天界・声聞界・縁覚界のいずれに属しているのかとかも判別できる?

629:神も仏も名無しさん
18/11/23 00:40:40.02 rOalnxpU.net
>>581
真理というのは何のことを指すのでしょう?
また勝義諦というのは大体が中観派かテーラワーダで使われる用語なのですが中観の勝義諦とテーラワーダの勝義諦は違います。

テーラワーダ仏教においては、(勝義諦とは)主に「世界」を構成する不変・恒常の「法」(ダルマ)のことを指し[出典無効]、
それ以外についての世俗的・恣意的・瑣末的な概念(施設(せせつ)・仮設(けせつ)・仮名(けみょう))群と対比される。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
ウィキペディアでは出典無効となっていますが、テーラワーダは勝義諦を勝義法などとも呼び真に実在するもの(存在)として捉えています。
しかしそれはプラトンのイデアとは違いますので注意。
テーラワーダでは法(勝義法)は四位百七十法です。

一方で中観派の勝義諦とは、中論の24章に
「二つの真理(二諦)にもとづいて、もろもろのブッダの法(教え)の説示〔がなされている〕。〔すなわち〕、世間の理解としての真理(世俗諦)と、また最高の意義としての真理(勝義諦)とである。」
とあり、要するに彼岸(涅槃)の真理が勝義諦です。
では勝義諦の真理とは何かというと、掻い摘んで言えば諸法空相で実体はないということです。
般若心経ではそのことを空の世界の中は不~不~であり、諸法は空相であるから実体としての~は無い(しかし世俗諦としての~は尽きることはない)と説いています。
般若心経は空という


630:彼岸の世界のことを説いているのです。 それで涅槃ですが、涅槃自体は無為(作られたものではないもの)であり無因の果であるので諸行無常には当てはまりません。 永遠のニルヴァーナの境地という表現も仏典ではよく見かけますが、境地ですから本当に未来永劫永遠なのかは私には分かりません。



631:神も仏も名無しさん
18/11/23 09:05:39.47 +q0KO2Xv.net
>>601
レスありがとうございます。うーん難しいなぁ。
でもちょっと理解できました。
真理とは何かですが、たとえば五戒とか、人類が存在する限り有効な概念とかです。
プラトンのイデアとかでもいいですけど、未来永劫続きそうな道徳とか倫理とかでもいいです。

632:神も仏も名無しさん
18/11/23 09:46:42.34 1vuOq3mK.net
>>597
仏道修行してるといろいろ体験する。その時は変な体験だなぁと思うだけだが、
経典その他を読んでみると、あぁ確かに、こうゆうことだったのかと納得する。それだけの話。
みんながみんが、自分の体験を自分の言葉で表現する文学者じゃないからね。
>>600
悟った瞬間は、あぁ悟ったなと思うだけ。
しばらく様子を観ていると、ある種の煩悩が残っていることに気づく。
経典などで四向四果の説明と残りの煩悩を照らし合わせると、自分は今預流果だな、とかが分かる。
一来果は微妙すぎて分からなかった。
十界は分からないが、六道は分かる。悟りとは関係無く、自分の心を観察してると、
あぁあの時は地獄の次元に落ちてたな、修羅道に落ちてたな、天界に行ってたな、とかは思う。
悟って以降は、確かに地獄などの悪い次元の感情は起きない。

633:神も仏も名無しさん
18/11/23 10:03:42.64 1vuOq3mK.net
涅槃は永遠じゃない。不生不滅が正しい。もっと正確には不生。
生まれていない、存在すらしていないものについて永遠だとか、どうだとは言えない。
識別作用の滅した、安楽の境地とは言えると思う。
涅槃を経験すると、存在、実在とはどうゆうものかという智慧が生まれる。
存在、実在という言葉に騙されなくなる。

634:神も仏も名無しさん
18/11/23 10:14:01.74 +q0KO2Xv.net
>>存在、実在とはどうゆうものかという智慧が生まれる。
それ知りたいです。
言葉で表現できますか?
なんとか言葉にしてもらえたらありがたいです。

635:神も仏も名無しさん
18/11/23 10:36:29.14 1vuOq3mK.net
スマナサーラ長老の説明が分かりやすいでしょう。
(5)パパンチャのからくり
URLリンク(www.j-theravada.net)
施本PDF『パパンチャ(Papañca) ~ヴィパッサナーで破るもの~』
URLリンク(gotami.j-theravada.net)

636:神も仏も名無しさん
18/11/23 10:37:27.01 MLXqCB31.net
ほれ、涅槃を経験してないのに経験したかのようにしたり顔でレスするだろうw
やれやれだわ

637:神も仏も名無しさん
18/11/23 10:44:55.20 +q0KO2Xv.net
>>606
サンクスです

638:神も仏も名無しさん
18/11/23 10:44:58.65 1vuOq3mK.net
ちなみに、心、心所、色は存在、実在するじゃないかと思うかも知れませんが、
それら全てをバラバラにしてみると、どこにも何もない。
例えば、肉体は実在するじゃないか、色は実在じゃないかと言っても、
それは地水火風の集まりであって、その地水火風も瞬間に生滅している。
ここに存在がある、これだと認識した瞬間にそれはもう変化している。消えている。
法、ダンマに騙されてはいけない。無我だから。私も無我、あなたも無我、リンゴも無我だから。
この世の中に、これと言って捉えられるものは何一つない、というのが無我です。

639:神も仏も名無しさん
18/11/23 10:50:59.81 1vuOq3mK.net
例えば私は無我。
私のナーマも無我、ルーパも無我。
五蘊も無我、貪瞋痴も無我、眼耳鼻舌身意も無我。
どこまで細かく心を分類しても、その全てが無我。捉えることは出来ない。捕まえることは出来ない。
ゆえに手放さなければいけない、無執着でいなければいけない。

640:神も仏も名無しさん
18/11/23 11:16:07.72 gkDEeL3b.net
六神通なるものを得ると人の前世とか来世とか見えるというけどその人の承諾も許可もなく他人の


641:プライバシーを無視して勝手にのぞいていいのか 仏教はプライバシーの侵害をどう考えているの



642:神も仏も名無しさん
18/11/23 11:23:35.04 1vuOq3mK.net
テーラワーダの勝義諦、自性の変わらない法という意味は、
五蘊が六蘊になったりしない、四大が三大になったりしないよ、地水火風が地水火木とかにはならないという意味でしょうね。
Wikipediaの不変・恒常の法という言い方は誤解を招くな。

643:神も仏も名無しさん
18/11/23 11:48:05.17 MLXqCB31.net
>>604
小部経ウダーナ
8.1 第一の涅槃に関することの経(71)
「比丘たちよ、その場所(処)は存在する
―そこにおいては、まさしく、地なく、水なく、火なく、風なく、
虚空無辺なる〔認識の〕場所(空無辺処)なく、
識別無辺なる〔認識の〕場所(識無辺処)なく、
無所有なる〔認識の〕場所(無所有処)なく、
表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所(非想非非想処)なく、
この世なく、他世なく、月と日の両者はない。
比丘たちよ、そこにおいて、また、わたしは、まさしく、帰る所(現世)を説かず、赴く所(来世)を〔説か〕ず、止住を〔説か〕ず、死滅を〔説か〕ず、再生を〔説か〕ず、
これ(涅槃)を、依って立つところなきものと〔説き〕、〔対象として〕転起されることなきものと〔説き〕、まさしく、〔転起された〕対象ならざるものと〔説く〕。
これこそは、苦しみの終極“おわり”である」
8.3 第三の涅槃に関することの経(73)
「比丘たちよ、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの(有為)』でないもの(涅槃)は存在する。
比丘たちよ、もし、その、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの』でないもの(涅槃)が有ることなくあったなら、
ここに、『生じたもの』『成ったもの』『作り為されたもの』『形成されたもの』からの出離は覚知されないであろう。
比丘たちよ、しかしながら、まさに、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの』でないもの(涅槃)が存在することから、
それゆえに、『生じたもの』『成ったもの』『作り為されたもの』『形成されたもの』からの出離が覚知される」

ブッダが比丘たちの前で明確に存在すると言った涅槃
について「存在すらしてない」とよく言ってのけられるな>>604
涅槃が生じたものではないというのは現象世界(有為)と涅槃は違うということであって涅槃は生じたものではないから存在しないというのは読み違いだ

644:神も仏も名無しさん
18/11/23 12:49:15.55 dO6KihAu.net
>>611
仏教的には誰のプライバシーなのか?って話になるのかな
無我なんだから

645:神も仏も名無しさん
18/11/23 12:56:36.58 ejLvBbIz.net
質問なんだけどブッダって死ぬときに「私が死んだら教えを捨てなさい」とか言ってなかったっけ?

646:神も仏も名無しさん
18/11/23 13:34:06.02 rOalnxpU.net
>>612
色、受、想、行、識の五蘊は、実際に存在するものです。そして、それらは生じては滅します。そこには独立した「人」というものは存在せず、ただ、無常(アニッチャ)なる現象があるだけです。
(アーチャン・チャー)
テーラワーダでは五蘊などの法の実在は認めます(我空法有)。
説一切有部のような三世実有ではなく経量部や大衆部と同じく現在有体過未無体、つまり法は現在の瞬間にのみ存在するとしています。
法が刹那生滅するのはそれらの部派全てに共通してはいます。
>>614
それは仏教的ではありません。
釈迦は無我なんだから人を殺してもいいとか他人の悪口を言ってもいいとは言ってません。
逆にそれらを厳しく諌めています。
無我の我とはアートマンのことで釈迦はアートマンの有無については沈黙を貫きましたが、テーラワーダ風に言えば施設された自己については大いに語っています。
>>615
死ぬ間際にアーナンダに対して言ったのは
「アーナンダよ 。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない 、
『教教えを説かれた師はましまさぬ 、もはやわれらの師はおられないのだ 』と 。
しかしそのように見なしてはならない 。お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが 、わたしの死後にお前たちの師となるのである 。」
ですので逆です。
捨てて良いとしたのは
「アーナンダよ 。修行僧の集いは 、�


647:墲スしが亡くなったのちには 、もしも、欲するならば 、瑣細な 、小さな戒律箇条は 、これを廃止してもよい」 と些細な戒律については捨てても良いとしました。 そのでアーナンダが捨てても良い戒律とは何なのか具体的に聞かなかったことで後に長老方に咎められるのですが…。



648:神も仏も名無しさん
18/11/23 13:35:48.48 rOalnxpU.net
そのでアーナンダが捨てても良い戒律とは何なのか具体的に聞かなかったことで後に長老方に咎められるのですが…。

そこでアーナンダが捨てても良い戒律とは何なのか具体的に聞かなかったことで後に長老方に咎められるのですが…。

649:神も仏も名無しさん
18/11/23 13:38:55.97 rOalnxpU.net
>>611
まずその当時にプライバシーの侵害という概念があったかどうかですね。
現在において本人の承諾なしに神通力で他人のことを探って公言したりしたらプライバシーの侵害になるとは思います。

650:神も仏も名無しさん
18/11/23 13:41:39.72 CyL4JE6H.net
当時との違いもそうだけど
インドだよ

651:神も仏も名無しさん
18/11/23 13:42:51.97 negSXlFU.net
>>595
↓これが回答になってる気がするのですが、如何。
>>613

652:神も仏も名無しさん
18/11/23 13:48:08.01 negSXlFU.net
存在するしないがパパンチャなら、パパンチャから抜け出した涅槃はなんなのかね。
よくわかんないね。
パパンチャの言葉で表現できるのかな。

653:神も仏も名無しさん
18/11/23 14:00:35.36 dO6KihAu.net
>>618
プライバシーの侵害で訴えたとしても
検察側は前世があること、それを見たことを証明しなければいけないだろうから罪に問うのは難しいだろうね

654:神も仏も名無しさん
18/11/23 14:43:42.47 1vuOq3mK.net
>>613
概念と実在の違い。
概念としての涅槃はある。
実在としての涅槃は存在しない。
実在、パパンチャが無くなった状態を涅槃と言う。

655:神も仏も名無しさん
18/11/23 14:48:54.08 negSXlFU.net
概念はどこにあるの。
パパンチャだべ。

656:神も仏も名無しさん
18/11/23 14:53:35.90 negSXlFU.net
戒清浄からしっかり積み上げていくしかない。
どんな議論も無駄無駄無駄。

657:神も仏も名無しさん
18/11/23 14:54:45.49 1vuOq3mK.net
>>616
これも、実際にあるのは概念としての五蘊ですよ。
五蘊も無我ですから。実在は無いんです。
ブッダでさえ、自分の五蘊に触れられないんです。放っておくしか無いんです。
誰もそれを捉えられないものを、実在すると表現するのはおかしいと思いますが。
我空法有はテーラワーダの言葉では無いでしょう。
テーラワーダに無い概念でテーラワーダの説明をするのはどうかと思います。

658:神も仏も名無しさん
18/11/23 14:59:12.19 +q0KO2Xv.net
>>625
ここは語り合うスレでもあるからいいのでは?
ずっと議論ばかりはいけないと思うけど

659:神も仏も名無しさん
18/11/23 15:01:09.87 negSXlFU.net
同じだよ。
言葉の運用が違うだけ。
大乗の三宝印では涅槃寂静というが、これは一切行苦をひっくり返した表現なだけ。

660:神も仏も名無しさん
18/11/23 15:12:34.05 1vuOq3mK.net
信じられないかも知れませんが、「世間における一切のものは虚妄である」とはブッダの言葉ですよ。
ブッダも虚妄、八正道も虚妄、五蘊も虚妄、全てです。
六祖慧能は本来無一物と言ってますが、本当に何も無いんです、本来は。
それでは話ができないから、仮に存在するとして、言語表現として、いろいろとブッダは語った訳です。
世間においては、本来はチリひとつも存在してないんです。これは涅槃を経験しないと分からない。
ですから、アビダンマどころか、ブッダも仏教も必要ないんです。余計なものなんです。
仮に名前をつけただけの幻なんです。

661:神も仏も名無しさん
18/11/23 15:14:16.03 +q0KO2Xv.net
ブッダも虚妄は草

662:神も仏も名無しさん
18/11/23 15:38:32.60 1vuOq3mK.net
問「貪や瞋といった煩悩は、単なる幻想なのでしょうか?それとも、それらは実在するものなのでしょうか?」
チャー「両方じゃ。わしらが貪瞋痴と呼んでいる煩悩は、わしらが鉢を指して大きいとか、小さいとか、すてきだと言ったりするのと同様に、
その外形につけられた名前にすぎん。もしわしらが大きな鉢を欲っしているなら、この鉢を小さな鉢だと言うだろう。
執着があるために、わしらはこのように概念を作り出す。真理はただ、あるがままのものであるにもかかわらず、
執着はわしらに物事を区別することを引き起こす。こういうふうに考えてみるといいじゃろう。
わしが「おまえさんは男かい?」と質問したとする。おまえさんの答えは「は


663:い」かな?こういうやりとりは、 現象の表面上に表れたものに関するものなのじゃ。しかし、おまえさんは本当は、四大が結合したものか、変化し続ける五蘊の集まりにすぎないのじゃ。 もし、心が自由なら、現象を区別することはない。「大きい」「小さい」「あなた」「私」など存在しないのだ。 わしらは無我という表現を使うが、究極的には我も無我もないのだ。」 手放す生き方 アーチャンチャー p281



664:神も仏も名無しさん
18/11/23 16:40:21.07 +q0KO2Xv.net
深く自分の中に埋没していくと、我と呼べるような何かがあるような気がするんですよね。
五蘊は無我だと分かっています。
それ以外の何かがあるような気がするんです。。。

665:神も仏も名無しさん
18/11/23 16:44:55.05 +q0KO2Xv.net
末那識 とか阿頼耶識と呼ばれるものかな。
同じことを考えていた人はいたみたいで。

666:神も仏も名無しさん
18/11/23 18:09:31.09 negSXlFU.net
ブッダ(仏陀)。
八正道(仏法、しかも道諦)。
預流果の聖者が、三宝を虚妄と言うことはあり得ないと思う。

667:神も仏も名無しさん
18/11/23 18:19:44.10 1vuOq3mK.net
>>634
臨済禅師なら胸倉を掴んでこう言うでしょうね。
「どこにブッダがいる。どこに八正道がある。さぁ言え。さぁ言え。」
「ブッダは殺せ。目の前の現象を信じ切れずに、どこに道を探しているのか。」

668:神も仏も名無しさん
18/11/23 18:21:51.97 +q0KO2Xv.net
すごいんだかすごくないんだか分からない

669:神も仏も名無しさん
18/11/23 18:51:00.27 negSXlFU.net
>>635
八正道の実践があるところに八正道がある。
それが涅槃へ至る道。道諦。
八正道の実践がないところに八正道はない。
涅槃に至る道もない。
従って、涅槃に至ることもない。
仏陀はどこにいるか。
「法を見るものはわたしを見る」とのことなので、お目見えする日を
楽しみにしておこうと思っている。

670:神も仏も名無しさん
18/11/23 19:01:01.22 1vuOq3mK.net
>>637
全ての概念を捨て、目の前の現象に気づき続けなければ八正道は完成しない。
すなわち八正道を捨ててこそ八正道は完成する。
法とは何か。諸行無常、一切皆苦、諸法無我。
全てのサンカーラを停止し、全てのダンマに実体が無いことを悟れば、どこにもブッダはいない。

671:神も仏も名無しさん
18/11/23 19:05:12.34 1vuOq3mK.net
そもそもブッダは、その当時の全ての経典、師匠、修行、一切を捨てて、菩提樹の下で瞑想して悟られた。
御自身のナーマルーパに対する執着、命を捨てる覚悟で瞑想された。
今の時代の人も、ブッダに対する執着、仏法に対する執着を捨て、自分の体、心に対する執着も捨てて瞑想しないと悟れない。

672:神も仏も名無しさん
18/11/23 19:13:51.82 +q0KO2Xv.net
いいこといいますな
でも仏法僧に対する信仰も大事なんじゃないかと思う
究極的にはなくてもいいのかも知れないですけどな

673:神も仏も名無しさん
18/11/23 19:31:43.63 1vuOq3mK.net
>>640
まぁ私も最初は三帰依から入りましたけど。

674:神も仏も名無しさん
18/11/23 19:35:02.68 CyL4JE6H.net
お釈迦さんのやり方と
お釈迦さんの教えを信じるやり方
やり方は全く違うんじゃないかね

675:神も仏も名無しさん
18/11/23 19:38:25.02 +q0KO2Xv.net
>>641
三帰依で悟れますよね。

676:神も仏も名無しさん
18/11/23 20:05:43.91 1vuOq3mK.net
>>643
どうでしょうね。
それだけではダメなような気もしますし、突き詰めれば最後は三帰依なのかなとも思います。

677:神も仏も名無しさん
18/11/23 20:14:16.42 odcdvB0B.net
>>644
どういった修練で悟れましたか?

678:神も仏も名無しさん
18/11/23 20:34:51.97 1vuOq3mK.net
>>645
最初は本からですね。
徐々に瞑想に力を入れていき、本は捨て、仕事も辞めてしばらく瞑想に専念し、
最後は普通に仕事もし、普通に瞑想し、全く普通の生活をしていたら預流果に悟りましたね。
天国も地獄も一通り経験して、当たり前になった時悟りました。
本はけっこう早い段階で


679:捨てました。 瞑想は基本マハシ式ヴィパッサナーで、たまに呼吸瞑想、只管打坐の真似ごとをやってみたり。 最初は慈悲の瞑想をひたすらやり込みましたね。歩く瞑想もかなりやりました。 とにかく生活の全部を瞑想に費やしましたね。 最後は瞑想に対する気持ちも冷静になりましたけど。



680:神も仏も名無しさん
18/11/23 20:45:53.59 DlSyFrg1.net
>>646
おめでとうございます。
悟る瞬間はどんな経験をするのか教えていただきたいです。

681:神も仏も名無しさん
18/11/23 20:49:22.98 +q0KO2Xv.net
結構苦労されたんですね。
これからの修行の展望はどうですか?
自分はなかなか欲界に対する未練を捨てきれません。
いいところまではきている感じなのですが、近いようで遠いような感じです。
まあ日々の修行が足らないですね。特に念と定の力が足りていないと感じています。

682:神も仏も名無しさん
18/11/23 20:54:46.51 rOalnxpU.net
>>626
仏教のアビダンマでは 、まず心を「勝義諦の一つ 」と位置づけています 。
勝義諦とは 、「真実 、真にあるもの 」という意味の仏教用語です 。
仏教のアビダンマでは 、勝義諦 ・真実 ・真にあるものは 「心と心所と物質 (色 )と涅槃の四つだけ 」と説明しているのです 。
一般的な世界の立場からは 、「もっといろいろなものがあるじゃないか 」という反論が返ってくるかもしれませんが 、アビダンマ論では 、「この基本的な四つがあるだけ 」と見るのです 。
その基本的な真実 、 「本当にあるもの 」の一つが 、心 c i t t aなのです 。
(スマナサーラ著「ブッダの実践心理学2」)
ということで、テーラワーダは心と心所と色と涅槃の四つを真にあるものとして実体視します。
説一切有部だとそれに心不相応法が加わって法の五位です。
実体はありますが刹那生滅するから無常であるというのがテーラワーダや説一切有部の教説です。
我空法有はテーラワーダの教説です。疑うのなら「テーラワーダ 我空法有」で検索してみるといいです。
五蘊に実体はないとするのは大乗仏教の空の理論です。

683:神も仏も名無しさん
18/11/23 20:55:12.02 1vuOq3mK.net
>>647
けっこう普通に冷静ですよ。
あっ!!!とは思います。
見るもの聞くもの感じるもの、全部が止まらず動き続けている。
本当に今の一瞬しか無いんだと気づきます。
その後なぜか、強烈な喜びが湧き上がってきますが、しばらくすると落ち着きます。

684:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:05:13.78 1vuOq3mK.net
>>649
スマナサーラ長老の「本当にある」というのは、実体、実在としてあるという意味では無いと思いますよ。
因縁により生滅しており、無我であり、空である「それ」としてあるのだと思います。
我空法有はパーリ語で何といいますか?検索しても出てきませんが。

685:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:24:30.95 1vuOq3mK.net
ちなみに無我ということも、空ということも、無いという意味ではないですよ。
我が無い、固定していて実際の存在として捉えることの出来ない、認識としてだけ有り、実際は瞬間で生滅している無常の「それ」です。
あるがままのそれです。

686:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:30:17.33 rOalnxpU.net
>>651
テーラワーダでは法は「因縁により」生滅している
と誰か言ってる人がいるのですか?
>>652
我(アートマン)は生滅しません。
あなたがどう思おうともそれがアートマンの定義だからです。
生滅するものでしたらテーラワーダ(分別説部)含む部派仏教の中に我を加えている部派はあったのかもしれませんが事実として我を法に入れている部派はありません。

687:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:34:33.16 rOalnxpU.net
分別説部では、我々が経験する常識的な存在、個別の人や事物・事象は仮のものであって実在しない、
我いわゆる霊魂のような「不滅の私」・「永遠なる個我」(atta)なるものなども存在しない、故に「無我」(anatta)である、と無我を理解。
しかしながら、部派仏教といわれる諸部派がその他なんらかの実在を認めていたように、究極的には四つの範疇に分類されるモノが実在する、という見解を立て、そのような理解に従った教学を構築しています。
現在の分別説部では、そのような究極的実在を、パーリ語でparamattha[パラマッタ]と呼称します。
その意味は、parama(第一の・勝れた)+attha(本質)で、漢訳語ではこれを「第一義」あるいは「勝義」などと言います。
あるいは、それら究極的実在を、vatthudhamma[ヴァットゥダンマ]などとも呼称します。
これはvatthu(拠り所・基礎)+dhamma(存在)で、いわば存在の根拠、要するに実在するモノのことです。
さて、ではその四つとはなんであるか。これを簡潔に表にして示せば、以下のようなものです。
(paramatthaの法の区分表)
これら四つの範疇に属するいちいちの法はすべて真に実在するのであり、これ以外の実在を認めるのは誤りである、というのが分別説部における見解です。

688:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:35:03.83 rOalnxpU.net
>>654の続き
現在、俗世間では一部に、何を根拠にその様に言うのか知りませんが、「上座部は小乗ではない」・「小乗では無かった」などと主張する一類の人々があります。
しかし、上に見たように、個我は実在しないけれども、しかし何事か真に実在するものが有るという見解を建てている以上は、これを大乗では「人空法有[にんくう ほうう]」などと云うのですが、
まさしく大乗から小乗(Hīnayāna)すなわち「不完全な教え」・「劣った教え」と見なされ、称された教え以外の何物でもないことになるようです。
また、現存する諸部派の成立についての伝承や、それらに対する大乗の見解を記した典籍からしても、多く分裂してその見解の是非を競っていた諸部派は、大乗から小乗と呼称されたものです。
であるとしても、しかし、それら部派の教義・教学体系には見るべきもの、学ぶべき有益な事柄が多くあります。
実際、大乗の諸学派はそれら部派を小乗と呼びながらも、しかしそれら(特に説一切有部・経量部・大衆部・犢子部など)を学ぶことは必須のものでした。
実際、大乗であろうが小乗であろうが、いずれも仏陀釈尊という清泉より涌出し、連綿と流れ来たったものです。
そこから汲む水は、その広狭・浅深こそあれこれを散ずれば、等しく人を、世界を潤わせ涼やかにする有益なものに相違ありません。
URLリンク(www.horakuji.com)

689:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:41:08.74 odcdvB0B.net
>>646
有難うございます
丁度仕事に就こうと思っていたので励みになります。
私も瞑想に費やして行ければ良いなと思います。
いかんせん意思が弱く徹底できていませんが・・・

690:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:46:47.31 1vuOq3mK.net
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
これを読むと、我空法有は大乗仏教が、小乗仏教(説一切有部)に対して付けたレッテルじゃないですかね?
大乗仏教の立場は一切皆空ですが、それはブッダの立場と一致するように思います。
法には二つ意味がありまして、真理という意味と存在という意味です。
存在としての法は、我々の意門の対象、概念としての法ですよね。それは当然、無常ですから生滅してますし、
生滅するものは全て因縁が絡んでいるはずです。
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E4%BB%8F%E6%95%99)
私の言う我はアートマンではないです。
固定していて、不変の、存在として捉えられる、実在、実体として捉えられるもの。という意味です。
自分の我は自我ですね。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

691:神も仏も名無しさん
18/11/23 21:55:46.30 rOalnxpU.net
説一切有部では、我々が経験する常識的な存在、個別の人や事物・事象は仮のものであって実在しない、
我いわゆる霊魂のような「不滅の私」・「永遠なる個我」(ātman)なるものなども存在しない、故に無我(anātman)である、と無我を理解。
しかしながら、部派仏教といわれる諸部派がその他なんらかの実在を認めていたように、


692:大きくは二つ、あるいは五つの範疇に分類されるモノが真に実在する、という見解を立て、そのような理解に従った教学を構築しています。 巷間には開口一番「すべては虚妄である。所詮それは、名(ナーマ)と色(ルーパ)にすぎないのであるから」だとか「すべては無自性空である。あれも空だ、これも空だ」などと宣う愚か者があります。 が、説一切有部では、世間で認められる常識的な存在を無碍に否定などしておらず、これを世俗諦(世間的レベルでの真実)とし、対して究極的に認められる存在を勝義諦[しょうぎたい](真に存在するモノ)としています。 吾人の知覚し、経験する諸々の事象を、端から否定するような態度は取らないのです。 真実(諦/satya)について、その見方によって二つの階層を設定し、そのそれぞれの価値を認めているのです。 そして、そのような真実についての理解の仕方は、その内容とするものこそ相違があるものの、大乗にも引き継がれています。 個我は実在しない。けれども、生命・事物など仮の現象を構成する、真に実在するモノがあるという見解を、大乗では「人空法有[にんくうほうう]」などと云います。 そして、そのような見解自体、またそのような見解を至高として奉持する人々は、同じ仏教であっても、大乗の立場から小乗(Hīnayāna)すなわち「不完全な教え」・「劣った教え」と見なされてきました。 特に説一切有部は、インドで最大勢力を誇る部派の一つであったこともあり、その見解・学説は、大乗の主要な批判対象となっています。 http://www.horakuji.com/treasures/sarvasthivadin_cetasika.htm



693:神も仏も名無しさん
18/11/23 22:01:10.64 rOalnxpU.net
>>657
我空法有は大乗仏教側の用語であるというのはその通りです。
法の生滅はその法の自性であるというのが部派仏教の理論だったと思います。
我の定義は仏教で我と言ったら何のことを指すのかほの定義をはっきりとわきまえていないと対話していて混乱しますね。

694:神も仏も名無しさん
18/11/23 22:08:08.48 1vuOq3mK.net
私もまだ正直、自性という言葉の意味がよく分かりませんし、実在という言葉もちょっと曖昧ですよね。
もう少し勉強したいと思います。

695:神も仏も名無しさん
18/11/24 01:33:53.93 Az+6YhHC.net
法の刹那滅(刹那生滅)は法の自性かどうか、ですが。
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
上記論文をさらっと読んだところでは部派によって見解が違う、と。
説一切有部は実体として存在する五位七十五法の心不相応行法に生住異滅の四相がありそれによって刹那滅していくのですから、刹那滅は四相が因になると言えるかもしれませんが、
四相自体も実有なので結局的には生にしても生を生起させる随相の生があればあとは因なしで生が生起することがこの論文には書いてありました(って書いてても自分でややこしいと思いますが詳しくは論文を…
経量部は四相は認めていませんが生が生起するのには本はなしとしているとあり、これが因なしで刹那滅の生が起こることを意味しているのかは分かりませんでした。
滅について因が必要かどうかは経量部では不要、
正量部では心法や心所法では無因でよいが色法は刹那滅ではなく一定期間相続するから滅には原因が必要とされていたようです。
また経量部は説一切有部の随想の生はそれを生起させる随相の生が必要になり随相の生を生起させる随相の生にもそれを生起させる随相の生が…
という具合に無窮の過に陥るのではないかと突っ込みを入れましたが、説一切有部からの反論があったり、
また中観派からの突っ込みもあったりして、刹那滅というのも随分と論争のネタにされてたんだなというのが垣間見えました笑
釈迦ならこの辺りのことは悟りには関係ないとして、もし訊ねられても無記としたのではないかと思われます。

696:神も仏も名無しさん
18/11/24 03:20:41.91 H/FzB1fS.net
>>576
釈尊も無職ですが?

697:神も仏も名無しさん
18/11/24 04:53:30.65 E/tVDE5M.net
涅槃でいる間は識別作用がないとよく言うけど、それじゃその間、失神や熟睡してしまったのではないとどうして言えるの?
瞑想して入るからそれが涅槃だと言えるのかもしれないけど、状態として失神や熟睡との違いは何かあるのでしょうか?
具体的にどのような違いがあるのでしょうか?

698:神も仏も名無しさん
18/11/24 05:23:59.13 LQgUF+/c.net
>>638
ん~、やっぱりオカシイな。
気づきを保つこと(正念を保つこと)を、八正道(の概念)に対する執着とは言わないでしょう。

699:神も仏も名無しさん
18/11/24 05:25:22.01 LQgUF+/c.net
あれこれ思考を巡らせていたら、それは妄想に流されているのであって
正念は保てていないわけですからね。

700:神も仏も名無しさん
18/11/24 05:32:43.64 LQgUF+/c.net
預流果って、パーリ三蔵の文脈で説明される道果ですよね。
その預流果が、臨済を持ち出して、パーリ三蔵の土台である三宝を否定するかな。
他人が彼岸にわたる乗り物を壊す、少なくとも水を差す行為でしょう。
預流果の人がそんなことをするとういのが、想像できない。

701:神も仏も名無しさん
18/11/24 05:34:20.70 LQgUF+/c.net
テーラワーダの聖者と言われている人で、ブッダも虚妄なんていう比丘がいましたかね。
三蔵経典の中にも、現代の比丘のなかにも、一人でもいましたっけか。

702:神も仏も名無しさん
18/11/24 05:37:31.82 LQgUF+/c.net
大乗仏教の文脈から、パーリ三蔵仏教は劣った不完全な教えだと
言うのであれば、どうぞ人よりも優れた仏教、人よりも上位の仏教、
人よりも優位な仏教である大乗仏教をやっていて下さい、と思って
しまいますね。

703:神も仏も名無しさん
18/11/24 05:44:40.99 CeKdiTGO.net
>>576
釈尊は働いていたんですか?

704:神も仏も名無しさん
18/11/24 08:22:57.25 JjTNM6AK.net
>>663
気づきと智慧があるかないか。
>>668
こう考えてみて下さい。
阿羅漢は仏教徒だろうか。聖者だろうか。八正道を行じているだろうか。
ブッダに帰依しているだろうか。経典を大事に抱え込んでいるだろうか。
解脱するとはどういうことだろうか。一切の執着を断つとはどういうことだろうか。
筏のたとえもありますね。
一休禅師は筏を捨てるだけでなく、筏をぶち壊して小便ひっかけて笑いながら逃げたようなものですよ。
「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな」 一休
ブッダは嘘つきだという意味ではもちろん無いです。仏教の勉強をしたがゆえに、かえって頭が悪くなる場合が多い。
もしくは、阿羅漢にとってはブッダであっても迷いの原因だという意味でしょう。

705:神も仏も名無しさん
18/11/24 08:37:27.26 E/tVDE5M.net
>>670
涅槃の間は気づきも智慧もないですよね
涅槃の後に気づきや智慧が生じたとしても涅槃自体に失神や熟睡との具体的な違いが体験内容としてはないってことですよね
ざっくり言うと失神や熟睡で気づきや智慧が生じた人と区別がつかないってことですよね
言いたいことは体験の内容として涅槃と失神や熟に違いがあるかどうかということなんです

706:神も仏も名無しさん
18/11/24 08:46:02.00 JjTNM6AK.net
>>671
いや、どうも気づきはあるみたいなんですよ。
マハーシ長老の本でも、「対象と気づきが断ち切れた」みたいな表現してましたし。
気づきはどうも不思議なもので、いったい何なのかはあまり語られてないみたいです。
あまり気にしなくていいという事でしょうけど。

707:神も仏も名無しさん
18/11/24 08:51:01.71 E/tVDE5M.net
>>672
へえ、識別作用はなくても気づきはあるんですか
それだと失神や熟睡とは全く違いますね
ありがとうございました

708:神も仏も名無しさん
18/11/24 08:54:53.49 JjTNM6AK.net
>>673
いや、あるというのもおかしいですが、対象と気づきが切れて機能しなくなるとか、
止まった気づきがあるというか。
いずれにせよ言葉では表現できないみたいですね。

709:神も仏も名無しさん
18/11/24 09:13:54.28 eTualzZR.net
涅槃は心・五蘊ではなく純粋観照者たる真我で知覚する
真我のことをインドではプルシャという

ヨーガとは心の働きを止滅することである。
心のはたらきが止滅された時には、’’純粋観照者’’ たるプルシャは自己本来の態にとどまることになる。ヨーガとは心の働きを止滅することである。
(ヨガ


710:スートラ)



711:神も仏も名無しさん
18/11/24 09:55:39.46 rDfEQAqL.net
心の働きを止滅することは簡単にできる

712:神も仏も名無しさん
18/11/24 10:23:36.54 eTualzZR.net
>>676
気絶とか以外でそれができるとしたら、それは貴方が完璧なサマタ瞑想を行ずることができるからだろうね
心の中には一刹那の間にも無数の想念が湧いてくるのだという、ヴィパッサナーを極めるとそれら無数の想念を完全に観察することができるという

713:神も仏も名無しさん
18/11/24 12:32:30.40 JjTNM6AK.net
いいたとえを思いついた。
寝ている時は、無明の闇によって対象が観えない。涅槃の時は、智慧の光が眩しくて対象が観えない。
寝ている時は、気づきが無いから対象が観えない。涅槃の時は、気づきが速すぎて対象が追いつかないから観えない。

714:神も仏も名無しさん
18/11/24 14:21:18.88 oMkXB2jH.net
URLリンク(www.youtube.com)
面白いもの見つけた
知ってる人いたらごめん

715:神も仏も名無しさん
18/11/24 15:03:49.68 f5QaRwO5.net
スマナサーラは90年ごろの土曜の教育テレビでよくみかけた
こころの時代って番組だった。昼の1時から1時間番組。

716:神も仏も名無しさん
18/11/25 02:58:32.09 ax8vmvq4.net
靴箱、こんなとこにいたんだな。相変わら頭のイカれたスマナサーラ信者なんだな。

717:神も仏も名無しさん
18/11/25 05:01:55.15 YGh6QAGq.net
むしろ頭がイカれてるのは自分の方だと気付く
その攻撃心に気付く

718:神も仏も名無しさん
18/11/25 09:07:45.41 bxn9f9zJ.net
221、 怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。
226、 ひとがつねに目ざめていて、昼も夜もつとめ学び、ニルヴァーナを得ようとめざしているならば、もろもろの汚れは消え失せる。
276 、汝らは(みずから)つとめよ。もろもろの如来(修行を完成した人)は(ただ)教えを説くだけである。心をおさめて、この道を歩む者どもは、悪魔の束縛から脱れるであろう。
323 、何となれば、これらの乗物によっては未到の地(ニルヴァーナ)に行くことはできない。そこへは、慎しみある人が、おのれ自らをよくととのえておもむく。
348 、前を捨てよ。後を捨てよ。中間を棄てよ。生存の彼岸に達した人は、あらゆることがらについて心が解脱していて、もはや生れと老いとを受けることが無いであろう。

719:神も仏も名無しさん
18/11/25 09:23:05.37 4IK5P84r.net
>>683
コピペもいいけどさ 自分のコメントもつけろって

720:神も仏も名無しさん
18/11/25 16:23:52.72 LNd4lnhd.net
このスレたまに白熱することがあって、平常は書き込みがないよね
みんな自分のこと頑張ってるんだろうか

721:神も仏も名無しさん
18/11/25 18:16:09.52 Y8uLwEFJ.net
毎度「群盲象を評す」状態に陥り、事態収束のために経典が引用され、
けっきょく最後は自分の心を整えるしかないよね、って結論でおわる。
毎回この繰り返しな気がす。

722:神も仏も名無しさん
18/11/25 18:47:13.04 LNd4lnhd.net
仏教が沢山枝分かれしたのもこのスレを見ていると納得する

723:神も仏も名無しさん
18/11/25 19:01:17.40 Y8uLwEFJ.net
もし経典の結集がなされていなかったら、仏法は跡形もなく
雲散霧消していたのではなかろうか。

724:神も仏も名無しさん
18/11/25 19:04:22.61 bxn9f9zJ.net
色蘊は無我。
肉体は地水火風の集まりであって、その地水火風は米、味噌、野菜などから取っている。
地球にある地水火風を借りて


725:肉体が出来ている訳だが、 この肉体を自分であるとか、自分の物だと勘違いするのは盗み、嘘じゃないか。 図書館で借りてきた本を、自分の本だと言い張るようなもので、馬鹿らしい間違いだ。 いずれ死んだら灰になったりして、地球に返さなきゃいけないのに。 肉体を維持するために一生苦労するのも馬鹿らしい。 最後には返さなきゃいけないレンタカーを毎日磨いて、パーツを交換して、ガソリンを満タンにする。 走れる程度にメンテナンスすればいい。



726:神も仏も名無しさん
18/11/25 20:19:55.46 bxn9f9zJ.net
受蘊は無我。
一瞬も止まらない、止めておくこともできない感覚が私、私のものである訳がない。
生まれては消えていく感覚を自由に管理することはできない。風呂に入れば暖かい感覚を味わうことができるが、
それが期待どおりのものとは限らないし、それを永遠に留めておくこともできない。
感覚は因縁により管理されているものであって、私が管理している訳ではない。
痛みなどの感覚も、自分が勝手に「これは痛みである。」と認識して、勝手に嫌っているだけ。
実際にあるのは喜ぶべきものでもなく、嫌うべきものでもない、名前のついてない、ありのままの感覚。
どこにも「痛み」「かゆみ」「美味い」「不味い」「うるさい音」「きれいな音」なんてものは無い。
感覚にしっかり気づいて、妄想しないでいられれば、そこに「私」というものは生まれない。

727:神も仏も名無しさん
18/11/25 21:35:39.30 Y8uLwEFJ.net
預流相応・摩訶男(マハーナーマ)

728:神も仏も名無しさん
18/11/25 22:29:14.11 4xwXssJM.net
我利我利亡者

729:神も仏も名無しさん
18/11/25 22:29:57.80 pv296AxJ.net
>>688
結集でブッダの言葉を残してくれた五百人の阿羅漢に感謝して近くの五百羅漢像を拝みに行きましょう
URLリンク(kotobank.jp)
URLリンク(hobbytimes.jp)
URLリンク(img-cdn.guide.travel.co.jp)
URLリンク(cocologts.cocolog-nifty.com)
URLリンク(mamechishiki.aquaorbis.net)
URLリンク(rakan.or.jp)

730:神も仏も名無しさん
18/11/26 08:23:39.64 fMN7UKdd.net
想蘊は無我。
思考、知識、見解もまた、私ではなく、私のものでもない。
頭の中にある概念は全て、生まれてから周りに教えられて獲得したもの。
他人からコピーさせてもらった文章を自分のものとして発表すれば大問題になる。
他人から与えられた概念を組み合わせて新しい概念を作るとする。その場合でもやはり自分のものとはいえない。
原因として与えられる概念が無ければ、結果としての新しい概念は生まれないから。
そしてまた、新しい概念が原因となり、さらに新しい概念を生む。古くなった概念はいずれ忘れさられる。
さらに思考、知識、見解は常に頭の中に固定してあるのではない。
因縁により、意志により、条件が整った場合に頭の中に表れ、条件が無くなれば消える。
生まれては消えていく思考、知識、見解は私ではなく、私のものでもない。

731:神も仏も名無しさん
18/11/26 11:22:08.77 2kzYTnVi.net
>>694
この書き込みは?

732:神も仏も名無しさん
18/11/26 12:40:52.46 fMN7UKdd.net
>>695
名無しさんのもの。

733:神も仏も名無しさん
18/11/26 13:01:58.37 fMN7UKdd.net
行蘊は無我。
あれが欲しい、これが欲しい、ああなりたい、こうなりたいという意


734:志は私のものか。 何かの対象に吸い寄せられているだけであって、私の意志じゃない。 対象が無いとき、もしくは対象に興味が無いときには欲は起きないのだから。 あれを見たり、これを聞いたり、それを触ったり、瞬間瞬間に生まれては消えていく意志もまた、私がコントロールしている訳ではない。 何かの因縁で生滅しているだけの意志は私、私のものではない。 何かの対象に心を集中すればサマーディに達する。それは意志の力ではあるが、その意志はどこから生まれたか。 あらかじめ、サマーディに対する情報、欲求があったからこそ生まれた意志。私の意志ではない。 悟り、涅槃を目指すという意志はしっかりと起こすべきである。それは私の意志だと思っても良い。執着しても構わない。 ブッダも阿羅漢も元はただの人間だった。自分も人間である。涅槃に達することができて当然だ。 毎日の生活に振り回されているのは情けない。私は死んででも涅槃に達するという、鉄のような意志、誓願をしっかり起こすべきだ。



735:神も仏も名無しさん
18/11/26 15:14:41.21 DovoINex.net
龍樹の空の思想に対する批判で、涅槃や四諦も空なのかというものがあるけれど、
龍樹はどのように反論しているかわかりません。知ってる方いましたら教えてもらえないでしょうか?
ウィキペディアは見たのですが、説明が分かりませんでした。

736:神も仏も名無しさん
18/11/26 15:17:54.34 DovoINex.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)
これの説明です

737:神も仏も名無しさん
18/11/26 20:17:36.57 fMN7UKdd.net
識蘊は無我。
マハシ式ヴィパッサナーをやれば識蘊がよく分かる。
人間はものすごい速さで物事を認識している。「音、音、吸う、右足、かゆみ、見た、左足、音、吐く。」
それら認識は自分で認識しようと思ってやっている訳じゃない。因縁によって自然に起きている現象。
「ネコ」だという認識は嫌だ、「犬」だと認識しよう、と思ってもできない。
ネコのような光が眼に入った瞬間、「ネコ」という認識が生まれてしまう。
識蘊が無我であることは、涅槃に入らないと分からない。
識は、そこにそれが「ある」という認識そのものなのだから、そこに実体が「無い」、無我である、という事を認識では理解できない。
認識を止めることによって初めて、識は無我である、ということが分かる。
ではどうすれば認識は止まるのか。
まず戒を守る。戒を守らなければ、どうしても心は動揺してしまう。動揺した心は止まらない。次々と認識を生みだす。
次に感覚をしっかり感じる。感覚をしっかり感じれば、それはただの「音」では無く、瞬間で変化している「それ」になる。
次に思考を止める。無我を悟るまでは、思考自体が認識の塊のようなもの。しかし考えてしまったものはしょうがない。
思考が生まれ、消えたことを確認して、感覚の観察に戻る。

738:神も仏も名無しさん
18/11/26 20:25:25.42 8UwJBgOp.net
>>698
wikiの説明そのままじゃない?
お前らは空を理解してねー、空だから涅槃も四諦も成り立つんだ 的な

739:神も仏も名無しさん
18/11/26 20:36:48.56 DovoINex.net
>>701
やっぱりそうとしか読めませんよね

740:神も仏も名無しさん
18/11/26 20:37:40.81 DovoINex.net
なんで空だから四諦も涅槃も成り立つのか分からない

741:神も仏も名無しさん
18/11/26 22:06:51.89 fMN7UKdd.net
涅槃の体験が空を体験していることに他ならない。
一切の概念には実体は無かった。眼耳鼻舌身意は作られたものだった。と理解することは、
涅槃を体験、空を体験するということ。
一切が空だと分かれば、見るもの、聞くもの、感じるものに対する欲が無くなる。
すなわち渇愛が無くなる。渇愛が無くなれば四聖諦が完成する。

742:神も仏も名無しさん
18/11/26 22:08:21.81 STMzcwma.net
>>703
釈迦の四諦も涅槃もさっぱりわからない。
こちらが理解できるまで説明してくれ。

743:神も仏も名無しさん
18/11/26 23:51:39.16 DzAtfIJa.net
>>703
URLリンク(mixi.jp)
上のmixiのログインしなくても読める箇所だけでも読むと大分理解が進むかもしれません


744:。



745:神も仏も名無しさん
18/11/27 09:15:59.23 iw+TCcv4.net
>>705
僕が説明するよりウィキペディア見た方がいいですよ
>>706
ありがとうごうざいます。

746:神も仏も名無しさん
18/11/27 14:32:13.66 HkmmFi6p.net
四諦と縁起をひとまとめにして、その有り様を表した言葉が「空」だと思う。
あるいは、勝義諦と世俗諦をひとまとめでも同じことだと思う。
ということは「悟り」と言い換えても同じはず。
例えば、身体のことを「上半身と下半身」という風に、二つに分けても、
「五体」と五つに分けても、結局同じ「身体」を指している。
本来、そこに上下優劣はないはず。
あくまでIMOなので、間違ってたらごめん。

747:神も仏も名無しさん
18/11/27 15:13:34.50 CQDW3xmi.net
諸行無常、一切皆苦、諸法無我はブッダの言葉。
一切皆空はブッダの言葉じゃない。どうしても一段落ちる。たとえそれが真理だとしても。
だいたい一切はサンカーラなのか、ダンマなのか。どっちもなのか。
いずれにせよ、あまり使わないに越したことはない。

748:神も仏も名無しさん
18/11/27 15:40:06.12 HkmmFi6p.net
確かに。
いくら象を論評しても、盲の目に光は点らない。
パーリ仏教を信奉できる人というのは、仏説をそのまま受容できる機根という
ことだろうから、わざわざ仏説をそのまま需要できない人向けの方便を使う
必要もないと思う。


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