【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践14at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践14 - 暇つぶし2ch23:神も仏も名無しさん
18/08/12 23:00:50.56 aplJC33A.net
禅定に達せず預流に達する人の記述もありましたが
グナラタナ長老の「マインドフルネスを越えて」では、こんな感じみたいですね。
>  この喜びは、「感覚から離れることから生じる喜び」と呼ばれます。
>  いきなり心に喜びが流れ込んでくるのではありません。私たちはこれまで長いあいだ、
> 五蓋から生じる苦しみを経験してきました。そして苦しみを引き起こす五蓋を越えるために、
> 懸命に努力してきました。いま五蓋を越えるたびに、「五蓋の苦を制御した」という
> 大きな安堵感があります。この五蓋から解放された安堵感から、喜びが生まれるのです。
> 「喜び」や「喜悦」というものは、これまでずっと欲しかったものがようやく手に入り、
> 高揚して舞い上がっているような状態であり、「幸福」や「楽」は、それを持っているときに感じる
> 穏やかで長つづきする充足感のようなものです。
>  「喜び」のほうは、身体中の毛が逆立つような感覚かもしれませんし、繰り返し降りそそがれる
> 瞬間的な光や波のようなものとして感じられるかもしれません。一方、「楽」のほうは、
> より制御された持続する充足感なのです。
> ピーティは、「喜び」「歓喜」「喜悦」「興味」「熱意」などと訳されています。
> これは身体で感じる感覚ではありません。心理学的には「興味」としてあらわされる
> こともあります。
>  禅定の幸せは、落ち着きがあり、穏やかで、なめらかです。興奮ではありません。
> 興奮と反対の状態です。心の幸せは、リラックスした、落ち着きのある、穏やかで、
> 集中した状態なのです。
>  瞑想中、深い喜びに満たされていると、目が涙でいっぱいになり、あふれることが
> あるかもしれません。でも気づきがあるなら、涙を流すことも、心をざわめかせることも、
> 感情的になることもなく、喜びに十分気づくことができるでしょう。
禅定に達せず預流に達する人の記述は
「法」に従うタイプの人は理性を広く使い、法(ダンマ・真理)を深く理解することを悟りへの第一の手段とする。
理性は、言葉のない深い理解、真の智慧へと導く。禅定に達しなくとも鋭い智慧のみで預流に達する、等とありました。


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