18/09/16 00:44:11.75 s8FkADfy.net
日蓮正宗歴代上人の戒壇についての発言
三十七代日■(《ぽう》ぎょくへんにたてまつり)上人
「仏の金言空しからずんば、時至り天子・将軍も御帰依これ有り。此の時においては、富士山の麓・天生原に戒壇堂造立あって…」(御宝蔵説法本)
五十六代日応上人
「上一人より下万民に至るまで此の三大秘法を持ち奉る時節あり、これを事の広宣流布という。その時、天皇陛下より勅宣を賜わり、富士山の麓に天生ヶ原と申すこうこうたる勝地あり、ここに本門戒壇堂建立あって…」(御宝蔵説法本)
五十九代日亨上人
「宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華十一号)
「唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)
六十四代日昇上人
「国立戒壇こそ本宗の宿願なり。乃至時を待つべきのみ、事の戒法とは之なりの金言を体して、必ず来るべき国立戒壇建立の暁まで(戒壇の御本尊を)守護すべし」(聖教新聞 昭和30年11月27日)
六十五代日淳上人
「この元朝勤行とても、宗勢が発展した今日思いつきで執行されたというのでは勿論なく、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて、国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を伝えたものであります」(大白蓮華 昭和34年1月号)
と、上記文を読めば内容解釈まで触れているので、日蓮正宗が当時目指していた戒壇の内容が容易に理解できる。
特に注視すべきは田中智学が「国立戒壇」を公言する以前の上人の発言であろう。
日■《ぽう》上人によれば、「本門戒壇」とは天子(天皇)や将軍(国家行政の最高責任者)までも帰依した後に戒壇が立つとしているし
また日応上人も「上一人より下万民が仏法に帰依する時がやがて訪れ、これを広宣流布といい、天皇より勅宣が出され、戒壇が建立される」としている。
これらの文証のどこをどう読めば「国立でなければならないなんて言われてないよ」になるのか?