--佛教論議の伽藍スレ-- 第二巻at PSY
--佛教論議の伽藍スレ-- 第二巻 - 暇つぶし2ch616:3/5
18/11/14 15:16:41.09 h3BhhFtK.net
>辻先生の『ウパニシャッド』でも原先生等の『インド思想史』でも輪廻は生まれ変わり死に変わりの経巡りを意味しています。逆に「生まれ変わりという概念とは関係ない」という説は誰が言ってるのでしょうか?
そりゃ「ウパニシャッド」ではそうですよ。ウパニシャッドの時代頃からサムサーラに「生まれ変わり」の意を(派生的に)もたせるようになったのだから。
言葉の意味というのは、時代背景・文化背景・文献によって違うのは当然なんですよ。「ウパニシャッド」ではこういう意味だからといって、仏典でも
同じ意味で使われていると思ったら間違い。
だから、枠組みを無視して「生まれ変わりという概念とは関係ない」と言っているわけではない。
むしろ、釈尊自身が「生まれ変わり」を説いた、と主張している(まともな)学者なんているんでしょうかね?
◆2
スレリンク(psy板:397番)
397 神も仏も名無しさん 2009/01/20(火) 01:16:56 ID:/Asf4Tge
参考までに、米国で最も広く使われているWebster's New World College Dictionary
の第4版(1999)におけるSamsaraの定義は、次のとおり。
「(Hinduism) the continuing cycle in which the same soul is repeatedly reborn」
1.Hinduismにおける用語となっている。古い辞書では、Hinduism & Buddhissm
となっているものや、両者で意味を使い分けているものもある。
2.「生まれ変わり」に相当する「reincarnation」という言葉は使われていない。
3.語源は、「共に、流れる」の意味。
新しい辞書では、「ヒンドゥー教の用語」としているものが多いのが、意味が
あるね。「仏教の用語」とは解していないということ。
現代では、「魂(精神、思考・感情)は肉体の死と共に消滅すると解するのが
一般だから、この語は、現代では意味を持ち得ないことになる。
◆3

617:4/5
18/11/14 15:17:16.51 h3BhhFtK.net
スレリンク(psy板:446番)
446 初代スレ7 sage 2009/01/20(火) 18:19:44 ID:HI7fFWH9
>> 397
《西洋的な(西洋における)「生まれ変わり(→)」という概念とは違う》
ということなんでしょうね。
(これは、「転生」や「生まれ変わり」という概念とも違うことを示唆しますが・・・。)
 ※そのWebなんちゃらでは“reincarnation”は、どう解説されてるんでしょう?
   また、それってアメリカ人の一般的(≒大衆的)理解と見ていいんでしょうか。
   てか、意外に安いなw 買っとくか・・・。
破壊と創造が繰り返されるインド思想に於いて『次の生を受ける』ということは、
『現代日本や、そうした西洋的生まれ変わり(→過去のあらゆるもの(様々なもの)を引き継いだ生)』
ではないのだろう。
ここに於いて【業果の相続(≒行為の報い)(のみ)】を前面に押し出した点に、
仏教の特異性があったのかもしれない。
「次の生を受けるに際し、何を引き継ぐのか?」が重要なのかもしれない。
勿論この時、「次の生」とは(宗教学的に言う“再生”“宗教的再適応”という意味での)
「新たな、心の在り様の誕生」を意味する、と読む(解釈する)ことも可能だろう。
(それがブッダの本意であったかどうかは別にして。)そう、まさにアングリマーラのように・・・。
 ~後略~
スレリンク(psy板:469番)
469 神も仏も名無しさん 2009/01/20(火) 22:45:04 ID:XZ40Vvs+
>> 446
"Reincarnation"の定義は、次のとおり。
"rebirth of the soul in another body, as in Hindu belief".
また、「ヒンドゥー教の概念」と言っているw。英米人にとっては、
「生まれ変わり」とは、どうやら「ヒンドゥー教」と関連させるのが、一般の理解のようですね。
 ~後略~

618:5/5
18/11/14 15:17:41.07 h3BhhFtK.net
スレリンク(psy板:473番)
473 初代スレ7 sage 2009/01/20(火) 23:31:13 ID:HI7fFWH9
>> 469  感謝。
別の肉体への「ソウル」の再生(再び生まれる)、か・・・。
>> 363に見るように、(そして意味的にも)、確かに「再」と訳さざるを得ない側面はあるのだが、
個人的感想を言えば、
「仏教における輪廻の中の“再生”」は、【ニュアンス的には】「新生」だと思うんだよな・・・。
この流れで英語を使うなら“new-birth”とか“neo-birth”とかwww
その意味で、(ソウル云々は別問題としても)reincarnationと英訳したら座りが悪いな。rebirthも。
何度も何度も繰り返す輪廻の(中にあるという)ニュアンスも伝わらないし・・・。
けど、“re-”には「あらためて」というニュアンスもあるようだし、まあいいか・・。
日本語訳としてもこなれてないし・・・。(無難な所で「次の生」って感じ?)
ちなみに、PTSのpunaの項の用例中で(puna自体はagain。)
punabbhava は、『renewed existence、new birth』 に、
puna-abhinibbatti は、『birth in a new existence』 になってるなw
まんざら妄想でもないかも?w
スレリンク(psy板:476番)
476 神も仏も名無しさん 2009/01/20(火) 23:40:56 ID:woNxlAcR
>> 473
最近の英訳では transmigration ではなく cyclic existence などと訳されます。
483 神も仏も名無しさん 2009/01/21(水) 00:02:36 ID:XvY8VkXi
>> 476
それはsamsaraの訳の話?流を見失った・・・
”transmigration”は原語のニュアンスを伝えているが、
"cyclic existence "にはそれがないので、 「ヒンドゥ」の思想としても
”cyclic existence” と訳すことには反対。

619:神も仏も名無しさん
18/11/14 15:20:14.08 h3BhhFtK.net
--佛教論議の伽藍スレ-- 第三巻
スレリンク(psy板)

620:おじゃる?
18/11/14 15:27:56.28 qw6OAnj8.net
 
スッタニパータ 21
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが
激流を克服して(輪廻を超えて)
すでに渡りおわり、彼岸に到着している(輪廻から解脱してる)
もはや筏の必要はない
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ
  _  _  _
5ちゃんねる掲示板で
書き込みをしてた禅宗系の
たとえば
机師匠とかは↓こんな感じだったような気がする
道元 普勧坐禅儀
そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており
仏法 = 涅槃 = 元々すでに渡りおわり、彼岸に到着している
それゆえに
修行したり、悟り証したりすることもないはずである
  _  _  _
真如、自性清浄心、仏性、法身、如来蔵、実相、法界、法性、円成実性と同体異名であるとされる
元々、仏そのものである。みたいな感じ?
URLリンク(fukagawafudou.jugem.jp)
成田山 東京別院 深川不動堂
(仏性からの真如縁起だからこそ、それゆえに)
仏さまの教えにより心の安らぎを得て、何事にも動じない境地に至る

621:おじゃる?
18/11/14 16:41:01.01 qw6OAnj8.net
 
URLリンク(labo.wikidharma.org)
真俗二諦
その当時のインドの人達にとって
仏教を理解せしめるためには
その当時の、その地域の、世間的な『想い』を一応認めて、さらにその理解のうえで
仏教を理解せしめるというやり方がとられねばならなかった
それゆえに
(仮設としての)輪廻という『想い』を一応認めた対機説法だった
 - これに対して ↓
スレリンク(psy板)
68 :神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 20:27:53 ID:XYCyD47T
『ミリンダパンハー』ですが
そのなかでミリンダ王は輪廻に対して疑義を呈していたと記憶しますが
それに対してナーガセーナが答えて納得させていたと思います
問題となるのは、輪廻がどの国の起源かではなく
輪廻説を盲信しているインド人のために釈尊が方便で説いたとするなら
輪廻を信じない外国人に方便で説く必要などないということです
それなのに輪廻を外国人に説く必要があるということは
仏教にとって必要な説であるからということです
  _  _  _
知りませんでした
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

622:承狂
18/11/14 20:07:59.63 HYQJYpGI.net
>>621
そうして、あたかも「仏像の前提が個人主体の転生」であるかのようにミスリードしたがる連中って本当にどうしようもないね。(笑)
ウィキにもあるように、ミリンダ王の問いにはちゃんと完全な同一と呼べるものではないが輪廻していると重ねて説いてあるというのに。
(^。^)我執を仏説と偽るなんて、バカカルトと同罪だろうに。(笑)

623:神も仏も名無しさん
18/11/14 21:59:13.19 4NbfUCz/.net
中村元はバラモン教徒や在家信者に対しては勧善懲悪の方便として輪廻と業報を説いたと言ってたと思ったが、
仏典ではむしろ比丘たちに対して輪廻や業を説いていることの方が多い。

624:神も仏も名無しさん
18/11/15 00:54:20.37 vPlBeqkj.net
宮崎哲弥の言ってることはパーピマンが言ってることと変わらんような気がする

625:承狂
18/11/15 00:59:55.65 gYoxH2x+.net
>>624
同じ価値観で同じ問題をかんがえてんだから、結論が似るのは当然。
(^。^)俺も仏教入る前は同じだったし。(笑)

626:おじゃる?
18/11/15 04:31:36.62 yfTL+987.net
 
> ウィキにもあるように、ミリンダ王の問いにはちゃんと完全な同一と呼べるものではない
いつも、ご教示ありがとうございます m(_ _)m
URLリンク(ja.wikipedia.org)
ナーガセーナ長老は
「今、現にある現象的個体の善なり悪なりの行為(業)に応じて
  それが介入・影響した別の現象的個体として改組・回帰される」と述べる
  _  _  _
> (^。^)俺も仏教入る前は同じ(輪廻否定?)だったし。(笑)
中論 第二十七章 見解(邪見)の考察
仮設としての
この現世だけに限定したとしても、それでも
地水火風の微細な粒子に依存している
色受想行識の仮和合は
縁起に依存して、変化しているので、それゆえに
「私は過去に存在していた」と言うことは妥当ではない
過去に存在していたものは
今、現在の私と同一ではないからである
それゆえに
前世からの → 現世のものについても
今、現在の私と同一ではない
↑こんな感じ? おじゃる?

627:承狂
18/11/15 04:38:40.31 gYoxH2x+.net
先にあるミリンダ王の問いにある通りです。
同じ火ではないがーとか同じ女ではないがーとか。
全く同じではないけど、ある意味同じって話ですね。
じゃあどーゆー意味かってのは、俺も想像でしかないからね。(笑)
(^。^)少なくとも、漫画の輪廻転生と、仏教の輪廻とは別物なんすよ。(笑)

628:宝珠真範@迦楼羅
18/11/15 13:36:43.13 yJMOl6Vu.net
>>603
この私が永年、セブンと対論を続けているのは、
彼は自分自身のしっかりとした見解を持ち、そして、それを自分自身の言葉で語ってくるからです。
けれども、あなたはそうじゃない。
自分では何も語らずに、
ただリンク貼りやコピー転載だけを続けるというやり方というのは、
“嫌がらせの無言電話”を続けてるとの一緒です。
>だから、第一の覚者も、第二の覚者も、第三の覚者も、第四の覚者も、仏教にしか現れないのです」と。
嘘ばかりです。
その結果など出てないじゃないですか!
ゴータマ以降の覚者(生ける如来)の出現はまったくなく、ただ話だけの阿羅漢の存在ばかりです。
その阿羅漢(テーラワーダの完成者)というのは、比較的にいえば圧倒的に容易い境地です。そもそも五百羅漢というくらい。
真実の完成者たる生ける如来のブッダというのは、未来仏の弥勒までは出現しないとゴータマによって明言されています。
 『仏教学においても釈迦の直説が含まれると推定される阿含経においても、阿羅漢と仏陀は明確に区別されており、ゴータマ・シッダールタ
以外の阿羅漢が如来十号の他の九つで呼ばれることはない。阿含経の一部『ドナ・スッタ』では仏陀は「神でも人でも魔でもない」とされる。
 阿羅漢と仏陀の主な違いとしては
 ・阿羅漢は女性もなれるが、仏陀は女性はなれない。
 ・仏陀は宇宙が何十億年の年月の単位である「劫」レベルの膨大な年数のうちに、一つの世界に一人だけ現れる存在だが、阿羅漢は(特に)
釈迦在世時には多数輩出された。
 がある。』(阿羅漢と仏陀の違い)
 URLリンク(dic.pixiv.net)

629:宝珠真範@迦楼羅
18/11/15 13:37:48.91 yJMOl6Vu.net
>仏教にしか現れないのです
仏教だけが唯一の真理であって、
他はすべて間違いだなどという偏狭なことをゴータマは説かない。
 『かれらは自己の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何人を愚人であると見ることができようぞ。
他の説を、愚かである、不浄の教えであると説くならば、かれはみずから確執をもたらすであろう。』
(Sn.893)
仏教の発祥以前における太古の仏陀存在(覚者)は、
当然、仏教に拠らない更にもっと古い宗教的教えの伝統の中から出現したもの。
仏教で説かれる過去七仏の概念というのも、仏教徒によるヴェーダ(バラモン伝統)からのパクリに他ならない。
 『仏教によれば、ダルマをさとった人がすなわち覚者なのであるから、覚者はいかに超人化・神化して考えられようとも、決して
唯だ一人の人格的存在者であるということはできない。ゴータマのほかにもなお覚者が存在し得るはずなのである。そこで過去未来
の諸仏と現在における一人の仏を立てて考える。特に過去七仏の観念は古く成立し、その名称はすでにガーターの中に伝えられている。
 過去七仏とはパーリ語でヴィパッシン(Vipassin)、シキン(Sikhin)、ヴェッサブ(Vessabhu)、カクサンダ(Kakusandha)、コーナー
ガマナ(Konāgamana)、カッサパ(Kassapa)および第七に釈尊をいう。そうして仏は「第七の仙人」と呼ばれている。過去七仏の観念が
もとをたどれば、『リグ・ヴェーダ』に由来することは、すでに指摘したとおりである。』
(『中村元選集・11巻・インド仏教の諸問題』春秋社P.515~516)

630:宝珠真範@迦楼羅
18/11/15 13:45:52.63 yJMOl6Vu.net
>>566
>二千五百年の歴史ある組織に、
 確かに、史実のゴータマから数えれば二千五百年ですが、しかし、二千五百年の歴史ある組織などは世界中を探しても一つもありません。
もちろん、ゴータマの教えを正しく忠実に継承している団体についても皆無です(あるなら、何処にあるのか教えて欲しいくらい)。
 日本に仏教が伝来したのは6世紀です。チベットは7世紀、中国は1世紀。スリランカの仏教は古くて前2-3世紀頃からですが、しかし、
現存する現代のテーラワーダの正体は、『分別説部大寺派』というものであり、これは部派仏教の中の『分別説部』(Vibhajjavādin)にお
いて、その中でも更にマイナーだった『大寺派』(Mahāvihāravāsin)が今日まで生き残ったものです。つまり、現在のテーラワーダ仏教の
直接的な起源としての「大寺派」はこの法燈を嗣ぐもので、その確立は5世紀頃だったとされています。
 その他、同じテーラワーダであるビルマやタイの南方仏教は12-13世紀です。
>それとも、実際に霊的な相談などにのっているんですか?
私の心霊に対する理解は、神智学とそれから仏教以前から傾倒した心霊科学の知識によるものが中心です。
また、霊的能力のある密教僧からの教えなどもとても参考にしています。
それからまた、私自身が、自分で心霊体験を何度も持つので
心霊存在の“実在性”については100%を保証しますよ。

631:宝珠真範@迦楼羅
18/11/15 16:20:46.56 yJMOl6Vu.net
>>569
>俺は拝み屋さんで、祓うのを手伝ってただけで、
--略--
>(^。^)色んな人が色んな流派で色んな事をやってるけど、何が本当かは判らん、
>というか全部間違ってるような気がして辞めました。(笑)
それって、やっぱり密教系?
しかし、せっかく拝み屋さんにて助法されていたというのに、
それが能力者として本物であったかどうかすらも確認できなかったと?
普通、何度も携わっていれば分かる筈ですが?
いつもデタラメばかりだったならば相談者や信者らにバレるのだから。
もしも、ただのインチキだったならば、あなたも人の弱みに付け込む金取り詐欺に加担していたこととなり、
大変な悪業を積んだことになるでしょうね。
こちらの近郊には、
地元ではかなり知られた能力者(真言系)がいます(まっ、近年は亡くなられて今は二代目が継いでいるけど)。
私も若い頃に一度だけ行ってみたことがありますが、その能力だけは本物のようです。
その頃は小さな平屋の古い個人住宅だったのに、
彼女に救われたという感謝の寄付とお布施で大きな立派な寺院が建設されましたね。
中には一千万単位や全財産を捧げたという人もいたらしいからね。

632:おじゃる?
18/11/15 16:22:22.17 yfTL+987.net
 
> 自分自身の言葉で語ってくる
おじゃるの個人的な見解としては
神仏習合
神社・仏閣・霊場
↓金銭的に余裕があるのなら
鵜戸神宮
URLリンク(www.udojingu.com)
鵜戸神宮 鵜戸山八丁坂
URLリンク(www.pmiyazaki.com)
URLリンク(www.pmiyazaki.com)
霧島神宮
URLリンク(www.kirishimajingu.or.jp)
熊野那智大社
URLリンク(www.jisyameguri.com)
飛瀧神社 那智の滝
URLリンク(www.jisyameguri.com)
色々と逝ってみたい所存で おじゃります m(_ _)m
(心霊現象の実際の現場とかも含めて…)

633:承狂
18/11/15 19:22:17.18 sYvyJllp.net
>>631
本当に理解出来ないんで質問しますが、
「シンチガク」でも仏教でも何でも、それが「本物」ってどうやって決めてんの?
単に自分の好みでしょ。
実際に自分が霊的な事象や相談などを何年かこなして検証してないってことは客観的な判断基準はない訳だから。
で、その「本物」を知りたいだけなの?
それで世の中の役に立てようとか、自分が神仙の位に昇りたいとかは考えてない訳でしょ。
何がしたいのか理解出来ない。
単なる趣味で、マニアとして収集してるだけってことでいいのか?
それとも、シンチガクの瞑想か何かしてて神秘体験でもしてるのか?
だが、それも単なる個人的体験でしかないから客観的な判断基準とは言えないが。
(^。^)正直、バカカルト信者の意見と同じで、何を言われても全く意味がないとしか思えないんだが。(笑)

634:おじゃる?
18/11/15 20:32:08.91 yfTL+987.net
 
> 「本物」ってどうやって決めてんの?
仏教の対機説法としては
仮設としての
無明に依存して
我癡・我見・我慢・我愛に依存して
その人、個人にとっての「善である・悪である」
という『想い』が、現れ、変化して、滅している
  _  _  _
> 瞑想か何かして
たとえば上座部系なら
我所も我も
地水火風の微細な粒子に分解して
最終的には滅して逝く
因縁生滅智
刹那生滅智
という観察法?
URLリンク(yamaneko.hatenablog.jp)
上座部 パオ・セヤドー

635:神も仏も名無しさん
18/11/15 20:54:05.18 Qp3daa1F.net
>>310
臨済宗の栄西はイニシエート2.2で斯陀含クラスの覚者です
曹洞宗の道元はイニシエート1.5で預流果クラスの覚者です

636:承狂
18/11/15 21:12:09.88 sYvyJllp.net
>>634
そうした理屈はありますが、じゃあ霊的な事象、そもそもこれは精神的な病かもという問いも含めて、
そうした事象に、物理の追実験並の再現性で解消出来ることはあり得ない訳。
で、その失敗する理屈も色々な話があるが、そんなもんでいいなら、その辺の詐欺師でも成功率の違いこそあれ、結果は同じって話になります。
勿論仏教は、そうした事は本筋には関係ありませんが、(悟ったなら出来るというスタンスだから)
「本物」と判ったとするなら、仏教では悟ったから判ったって話しかあり得ない、という事に。
(^。^)勿論、信仰は自由ですが、俺は屁理屈で納得は出来んし。(笑)


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