18/05/05 10:40:20.21 RBEKQ07h.net
>>866おてんば私立学院総長 記
>>725
>神の眼には耳にはどのように届いているかと考える人はほとんどいないのです。
>神の心と自分の心がどれほど乖離しているのか気が付けるよい場にいるのに実にもったいない。
これ、貴方様ご自身には、これを着実に実行できているという確信があってのことなのでしょうね?
幸福の科学では神の心を体得し得るにはまだまだのようですが。
自分の中にもマイナスではないかという思いは湧いてくることはあるのです。
それではいけないだろうと反省したことを外に向けて発しているのです。
それは自分に還ってくるものとしての言葉なのですよ。
自己採点としての魂の生地は62くらいですがこの世では52くらいしかない自分に向けているのです。
時には48くらいまで落ちますが半分を割らないように日々想いを整えるための言葉なのですよ。
100を超えるだろう永遠の神はいまだ及ばず信仰のなかにある。