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若き日の妻へ 僕たちの結婚の頃 大川隆法
既成事実を積み重ね、結婚後急ぐp64
君との婚約が決まった後、僕は、「男として、行動力のあるところを見せなくてはならない」と思った。
当時、僕は西荻窪に住んでいたが、自転車に乗って杉並区の杉並会館へ下見に行き、
結婚式の予約をしたことを覚えている。
生まれて初めての経験であったと思う。
ただ、僕たちは、とんとん拍子に結婚できる状況になったかといえば、そうでもなかった。
それは幸福の科学の存在があったからだ。
当時、幸福の科学は、始まってまだ一年あまりであり、非常に不安定な状況であった。
1987年の3月から講演活動が始まり、同じ年の4月から月刊誌も出はじめたばかりであって、
まさしく立ち上がりの時期であった。
教団の幹部は、若い人で40歳ぐらい、なかには50代の人もいて、
当時31歳だった僕よりも十歳から二十歳年上の、いわば”大人”だった。
こういう人たちが弟子であったので「この結婚は、彼らから反対されて、かなり難しいのではないか。
時間がたてばたつほど、横槍が入って潰れるのではないか」と思った。
しかし、僕は、元商社マンとして、交渉力や決断力、行動力などには自信を持っていたので、
なんとしても、この結婚を断行するつもりでいた。
そこで、「僕たちは結婚について悠長には構えていられない。
できるだけ速攻で決めてしまわなければならない」と僕は判断した。
秋田の両親のほうは、「長男が医師国家試験を終えてから結婚式をしてほしい」という気持ちを持っていたようだが、
その結果を待つ前に僕たちは結婚することになった。
君のほうは、「卒業式さえ終われば充分だ」という考えだったと思う。