【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践13at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践13 - 暇つぶし2ch952:神も仏も名無しさん
18/08/09 08:11:53.13 mnVshjpT.net
どちらも、相手が言ってもいない極論を相手に反論しているだけに見えて、実に滑稽。
>マッリカー夫妻への、自衛愛から他衛  >自他分別なき、大海の如き慈悲
前者は、確かに自分を優先させているけれども、
それは、他を蔑ろにして、或いは無視して、
或いは常に・必ず、自分よりも後とする・自分の利よりも下位グレードとして扱う、
ということではなくて、
他者の利益を(不害を)確かなものにし、やがてそれが、自身の最上の善なる行為となさしめるために、
気付きをうながしているだけでしょ。
決して自己中心的な思想が説かれているわけではないでしょ。
なぜ、他をがいしてはいけないのか?という理由付けとして、これほど説得力があり、
むしろ、現代社会に於いて、大層希薄となってきている
「相手の立場となること」「他者の気持ちを想うこと」そうした想像力を生じせしめるのに、
「わかりやすい」んじゃないかね・・・。
 (まあ、子どもの虐待なんてのは、昔からもあったことだろうけれど、
 最近のは、ほんとうに想像力の欠如に起因するんだろうな、とも思うわけで・・。
また後者は、
区別しなくていい、吟味しなくていい、無条件の平等でいい、条件・環境・状況を無視していい、
或いは、たとえ他者の不害のためであっても、まず自衛を掲げることを忌避し、嫌悪し、
更に極端に自己を犠牲にしてこそ徹底的に自己の利益を避け・寧ろ自ら不幸になることによって、慈悲の本質とする、
ということでもないでしょう?
 (どっかのすれでの行き過ぎたボランティア理解と重なる話だけれど、
  自分を優先して犠牲に資、不幸にしてたら、それはそれで、逆の位相で、平等無分別に外れるしw)
分別してたら、それが、扱いの相違になり、やがて単なる区別を通り越して差別と化していくから、
そうならないよう、わけ隔てない視線の投げかけが、仏法の(慈悲の)本質だということを言いたいだけでしょう。


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