18/11/27 10:41:04.05 JIPZGlba.net
この1880年の観兵式、又、民意を束ねるための「国会開設期成同盟」が、行われた、「数理・43年後」から、
URLリンク(historycycle.michikusa.jp)
1922年12月の島原地震を契機に、再び大地震が頻発するようになった。
そして、中山みきが、据えた歴代「しんばしら」は、数理43年にて、真柱の職責と日本の大地震と、連動するという「験し」を歴史に刻んでいる。
「国会では治まらない」「天皇制では治まらない」は、神の験しとして、歴史に、実現化していく。
「人が核を兵器として用いる愚かな自滅の道を、たすけるために、みきは、この世を陽気に普請する「大工」を寄せる。
神の「試し」が見えたときから、世界たすけの普請は開始されると、みきは、あらかじめ、見えない先に理を説いた。
「筆 先の責め」と、知らされている。