中山大亮が真柱となってからの天理教を予想するスレat PSY
中山大亮が真柱となってからの天理教を予想するスレ - 暇つぶし2ch650:基本。
18/11/25 23:46:07.75 0nSR3rsW.net
恐竜の教訓があります。
高山が、強大で難攻不落のシステムを作り、構築する。
それは、滅亡の道。
親神様は、ヒットマンとしては、神です。

651:基本。
18/11/25 23:49:32.47 0nSR3rsW.net
 アメリカ・テキサス州 干ばつによる水不足が深刻化、下水再生水を飲料水に利用
今回の新しい淡水資源を飲料水として利用することになるのは、テキサス州のビッグスプリングと周辺3市である。
この水道区の人口は約27,000人となる。供給の開始は2012年初頭


652:を予定しており、設備の総工費は1300万ドルとなる。  下水再利用水を飲料水とするために、逆浸透膜によるろ過が行われ、過酸化剤、紫外線による殺菌、汚物の処理が行われる。 これによって、1日あたり飲料水200万ガロン(756万リットル)の供給が可能となるという。 テキサス州では「トイレの水だから嫌だ」といっていられないという程に干ばつ被害が深刻であるとのことである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お筆先13号です。水不足への理が知らされてあります。  月日よりにち/\心せきこめど そばの心にわかりないので    100  せきこみもなにの事やとをもうかな りゆけつくれば水がほしかろ 101 このはなしみな一れつの心にわ なんとをもふてしやんしている 102 月日にわ大一これをたすけたさ そこでとのよな事もゆうのや    103 なにもかも月日いかほどくどいても まことにきいてくれるものなし    104 それゆへに月日のざねんりいふくが 山/\つもりかさなりてある     105



653:基本。
18/11/25 23:52:05.65 0nSR3rsW.net
親神さまの警告に耳を貸さなかったのは、天理教内の高弟と言う「高山」
それは、九十九年たって、皆出直すまでの、天理教団の姿。
このたびの月日ざねんとゆうものわ
よいなる事でないとをもゑよ (13-32)
月日にハこのしんぢつをせかへぢうゑ
どふしてなりとをしへたいから (13-33)
それしらず月日ゆう事みなけして
あとわにんけん心はびかる (13-34)
このさきハ月日のざねんりいふくを
みなはらすでなこれがしよちか (13-35)

654:基本。
18/11/25 23:55:02.98 0nSR3rsW.net
ここからが、お筆先の本論というべき、理の責めが続きます。
月日よりあまくだりたる心な なんの事やらたれもしろまい (13-59)
 大一わりゆうけつくるをたすけたさ
 こゑ一ぢよふをしへたいから (13-60)
こゑてもなどふしてきくとをもうなよ こゝろを神がうけとりたなら (13-61)
 いまゝてハしんぢつ神がゆてあれど
 うちからしてもうたがうはかり (13-62)
 此のたびハなにをゆうてもうたがうな
 これうたがへば月日しりぞく (13-63)
この事ハあくどいほともゆうてをく これうたがへばまことこふくハい (13-64)
月日より一どふゆうてをいた事 いつになりてもちがう事なし (13-65)
 いまゝでわ月日なに事ゆうたとて
 みなうたごふてゆいけすばかり (13-66)
月日にハ大一これがざんねんな なんでもこれをしかときめるで (13-67)
これからハ月日ゆう事なに事も そむかんよふに神にもたれよ (13-68)
したるなら神のほふにもしんちつに たしかひきうけはたらきをする (13-69)
 月日にハこらほどくどきつめるから
 心ちがゑばすぐにしりぞく (13-70)

655:基本。
18/11/25 23:58:09.52 0nSR3rsW.net
つまり、天理教団神学も、愛町関根豊松も、
 いまゝでわ月日なに事ゆうたとて
 みなうたごふてゆいけすばかり (13-66)
そういう状態であって、親神さまの第一の目的である、「 大一わりゆうけつくるをたすけたさ
 こゑ一ぢよふをしへたいから (13-60)」を、言い消していたわけです。
↓次のお歌の理ばかり説いていた。
「しんちつに心にまことあるならば どんなたすけもちがう事なし (13-71)」
「こえ」について、「りうけ」について、これが神意の「第一」だと言う事は、打ち消すばかりであった。
自分たちの都合で、教えも知らせも、守護もおたすけも、自分たちの都合で、どこにも客観性が無い。
山名系教義、愛町系教理、では、親神さまを「残念立腹」状態に追い詰めていたと、そう言う事です。

656:基本。
18/11/26 00:01:31.23 p3leMfcC.net
「正月こえのさずけ」と、御神楽歌にあります。
それは、「第一番」に出てきます。
「一に百姓たすけたい」と、おやさまは言われました。
おふでさきは、よろづよの八首部分の、すぐからこう続いています。
 だん/\と心いさんてくるならバ せかいよのなかところはんじよ (1-9


657:)  このさきハかくらづとめのてをつけて みんなそろふてつとめまつなり (1-10)  みなそろてはやくつとめをするならバ そばがいさめバ神もいさむる (1-11) いちれつに神の心がいづむなら ものゝりうけかみないつむなり (1-12) りうけいのいつむ心ハきのとくや いづまんよふとはやくいさめよ (1-13) りうけいがいさみでるよとをもうなら かぐらつとめやてをとりをせよ (1-14) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ このようにあります。 陽気遊山の土台は、「ところ繁盛」であり、それには、食糧問題こそ最重要だからこそ、 親神様は「こえ」を、教え、与えようとして、「立教」されたのです。 それを、きちんと伝えられないどころか、わが教会わが信者、わが理の親、わが理の子と、 恥も外聞も、お筆先も、全く無視の、かれら天理教と言う門内の「たちもの」。 これを掃除しなければ、親神さまの残念は、立腹は、収まらないと、 お筆先には、ちゃんと書かれています。 もう、皆様には、理が、見えたと思います。



658:基本。
18/11/26 00:08:25.91 p3leMfcC.net
「とうじん」については
ありがとうございました。
とうじん思想はおやさまがお嫌いなのは理解しました。
イギリスがイランに対して報復すると発表しました。
すでに、イランの核施設に攻撃情報もあります。
ただでさえ、ヨーロッパ経済危機が騒がれているのに…
これから世界はえらいことになってきそうです。
ところで、「とめふで」本部未公認の本席さまなる
お言葉がありますが、信じていいものでしょうか?
まるで、世界終末の予言のようです。

659:基本。
18/11/26 00:12:03.88 p3leMfcC.net
とめふでについては、以前にも述べた事があります。「異説」そのものです。
異説である根拠を、説明しますと、とめふでの文章の、矛盾です。
URLリンク(www.geocities.jp)
「とめふで」・・・・・
さあ、これより一寸さとして日本中授けで響きわたらす。
神の話みな疑うている。
討つ者あれば討たれてみよ、向かって切る者あれば切られてみよ。
一人一名の心定めたら一人で千人助けするのや。
神がにをいかけて出すのや。一人でも人の助けさすのや。これ程大きな「こうのう」はない。
道の者は、神の授けたる借りものの理をわきまえたものは、心の因縁、道のものは田地はいらん。
田地は世界の信者のものがある。これも作ってあまりの心を運ぶ。これを結構と思わにゃならん。
また、席ずみのものは、見わけ聞き分け、この世の因縁の理を聞き分けて、財産を売り払い人を助け、これは因縁の理とす。
これにそむけば、命も財産も神が受け取る。
この事はいつの事やと思うなら、三六二五の暮合いに、これを百十五年限りとす。
この時は、小さい魂をこの世に返して牛馬と生き返す、これを承知せよ。
それ故に、今日一日を生涯の日とす。早く悟れよ。神がせき込む。さあ/\急いで働け。
わずかな日やで。今日一日を万日に向かうよう、聞いて悟らにゃならん。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「道のものは田地はいらん。」これは、おやさまの教えには無いものです。

660:基本。
18/11/26 03:59:36.88 D2bV2Iio.net
> 「道のものは田地はいらん。」これは、おやさまの教えには無いものです。
天理教の教えの上で、一番の基準は「みかぐらうた」ですが、みかぐらうたには、こうあります。
その、原典の御神楽歌には、七下り目にこのようにあります。
三ッ みなせかいのこゝろにハ でんぢのいらぬものハない
四ッ よきぢがあらバ一れつに たれもほしいであらうがな
五ッ いづれのかたもおなしこと わしもあのぢをもとめたい
六ッ むりにどうせといはんでな そこはめい/\のむねしだい
七ッ なんでもでんぢがほしいから あたへ


661:ハなにほどいるとても おやさまの教えは「いつも豊年教えたい」のですから、「田地」が無かったら、豊年はないわけです。 その田地を、道の者はいらないと言う、そんな教えは、天理では無い。 「命も財産も神が受け取る」という文言にも明らかなように、 また、「席ずみのものは、見わけ聞き分け、この世の因縁の理を聞き分けて、財産を売り払い人を助け、これは因縁の理とす。」という文言でも明らかなように、 田地財産を、神に奉納せよと言う、投げ出せと言う意図が明白です。 天理教の異端が、おふでさきの言葉を混ぜて、言葉上手に組み合わせて、信者から財産を巻き上げる為に作文した、「偽おさしづ」ですね。



662:基本。
18/11/26 04:02:02.47 D2bV2Iio.net
お指図は、お筆先とは共通の用語は、あまり用いられていません。
天理教の教理を悪利用して、脅して、「財産放棄」を信者の義務だと、洗脳するための、偽造原典。
内容が、過激だから本部が認めていないとか言う、口上は、詐欺師の常套社団です。
異端の作成した偽造お指図ですが、教団幹部が、『いや、実は門外不出の、「とめふで」があって、
田地や財産を売り払わないと因縁は切れないと、教えがあるのですよ。』
『今に、死人の山が・・・』『その時に、たすかるには、因縁を切ってないとたすけて頂けない・・』
こんな風に、脅し揚げていくのにも、利用された事でしょう。
情けない事に、教団幹部、山名系や愛町系には、
まことしやかに、そういう脅しの偽教理で集金していた「泥水」が混じっていると言う事も、忘れてはいけません。

663:基本。
18/11/26 04:05:05.58 D2bV2Iio.net
> 本席様の後継者は上田ナライト様ですよね。
このご質問ですが、そうではありません。
「本席」と言う言葉は「別席」という言葉と対句のようなものです。
親神さまが座る席という、そんな風に理解したら分かると思います。
人は神というお言葉がありますように、誰の心にも「神の席」があるわけです。
そういう、隔ての無い思案の上では、本席様は特殊では無いと言う事です。
k指図では、
明治二十年三月二十五日 午前五時三十分
刻限御話
『一寸頼み置くと言うは、席と定めたるといえども、今一時にどうせいと言うでない。
三人五人十人同じ同席という。
その内に、綾錦のその上へ絹を着せたようなものである。』
このようにありまして、「同席」の皆同列の中に、綾錦の上に絹と言う、その程度の差と言う事は明らかです。
本席様と言う立場を、「教祖の後継者」と定義するのは、重大な理の誤解です。
ですから、「教祖→本席→ナライト」という、天啓者の継続と言う組み立ても、大間違いです。
ぜんぜん物が違うという言い方が出来ます。
> あちこちの教会でもこんなことがあるんでしょうか?
私の近所の教会長さんは、入信したてのころ、赤衣のおやさまを見て、それで熱心な信仰をしています。
でも、お地場にて、赤衣のおやさまを見ても、その後信心は全くしなかった人の例も知っています。
重大な問題では無いと思います。
皆「同席」、一列ということですから。

664:基本。
18/11/26 04:08:16.30 D2bV2Iio.net
授訓について(その一)
※みちのとも大正七年八月号に「授訓に就いて」という記事があります。これは‥
 大正7年7月11日 中山たまへ(初代真柱夫人)、授訓のお運びをする。(改訂6版 天理教史参考年表・高野友治編・養徳社・平成9.4)
という出来事に対する記事であります。冒頭を読みますと分かるのですが、
あきらかに上田ナライト様から中山たまへ様への授訓(おさづけ)のお運びの交代に対する、本部の公式な見解(あるいはそれに準ずるもの)と言えると思われます。
将来の参考になると信じまして、ここに紹介させて頂きます。(いつものように、旧仮名遣�


665:「等は適宜改めさせて頂きます)



666:基本。
18/11/26 04:11:10.72 D2bV2Iio.net
 授 訓 に 就 い て
   一
 今回前管長夫人が上田奈良糸様の御病気御差支えに付授訓の運びをせらるゝに至りました。
そこでこの事情の経過を知らざる部下先々に於いては、多少の誤解が生じんとも限らぬので、
如何にして前管長夫人が授訓の運びをせらるゝに至ったか、
その事情の経過を明瞭にすると共に、本教の教義の上からも、
本教の歴史の上からも、これが当然の処置である事を説明しておきたいと思うのであります。
 そもそもこの問題は、本年の三月廿三日来の上田奈良糸様の病気が動機となり、遂に今回の結果になったのであるから、
この病気及びこれに対する本部員の協議から申し上げなければ分明(※1)せないのであります。
::::::::::::::::
資料は、↑、当時の事情を述べていますが、
お授けを渡すということについては、東京に教会本部が設立されたとき、「松村吉太郎さん」が、一時、渡していたという史実があります。
それは、おさしづにて、神意を受けてのものでした。
松村吉太郎東京に於てさづけの事に付伺

667:基本。
18/11/26 04:18:33.56 D2bV2Iio.net
明治二十一年五月二十三日(陰暦四月十三日)
さあ/\尋ねる処、一寸分かるまい。一名一人さづけ処、内々しん/\処々、あちらこちらで違い、代として又一つ代理勤めさそう。
このように「代理勤め」として許されています。ナライトさんを引っ張り出すとか、していません。
誰が渡すのではない「おやさま」が渡すのです。
代理は、内内の「しん」がなさるようにということですから、その部者部者のしんが、代理するのは、きわめて自然な天理です。
代理が誰かということは、内内の事情ですから、考えすぎても意味はありません。

668:基本。
18/11/26 04:25:03.46 D2bV2Iio.net
おやさまがご存命で、お屋敷はおやさまの、神屋敷です。
それが、いつになっても同じことだという、それを理解できていないと、意味のない考えすぎに陥ります。
医者が薬を渡した、それを受付の事務員が代理して渡した。
免許証を、受け取るときに、代理人はだれかと、問題にする人はいません。
当事者というのは、代理人に過ぎない。
誰が、代理人に選出されたとしても、渡すのは「おやさま」です。

669:基本。
18/11/26 04:28:31.13 D2bV2Iio.net
おつとめは、基本は、「たすけのためのおつとめ」です。
自分の「ほこり」はおつとめで、払うということは、結果論的にくっつけるとそうなるかもしれませんが、
それは、食堂とトイレをくっつけた様な無理な論理です。
掃除用のバケツの水と、渇きを癒すための水を、一緒くたに思案するのは、味噌くそ一緒。暴論です。
埃を払うには、自分の精神そのものです。あるいは、行為そのものです。
何かに祈願して、自分の贖罪をするというのは、天理ではありません。
「信心するものの心得」で、一番大切なのは、「陽気遊び」が、基本です。
原典でいうところの「陽気づくめ」です。

670:基本。
18/11/26 04:31:05.33 D2bV2Iio.net
ですから、「信心して、陽気になる」という、そういう思案は、原典にかみ合いません。
信心していても、いなくても「陽気づくめ」が、可能であり、大切なわけです。
では、どうして信心するのでしょうか?
それは、おやさまが恋しいからですね。そしてこの世の普請をおやさまとともに、したいからです。
だから、おたすけの為の「おさずけ」を頂くわけですね。
そして、よろず助けのおつとめの、学びをし、朝晩に、たすけを祈願する。
それが、信心のはじまりですね。

671:基本。
18/11/26 04:34:06.88 D2bV2Iio.net
> ここ最近熱心に信仰していた方が、若くして病気で亡くなりました
先ず、この問題ですが、熱心な信仰というのは、「近道」、最短距離というものを求めがちです。
生きる事を急ぐと言う事は、密度を濃くする事ですから、濃い時間をすごして、生き急ぎ�


672:ィ死に急ぐ。 「薄きは誠」「薄きは天の理」と教えられています。 熱心が、急く事になりますと、それは、埃そのものですから、生きている事そのものの意味を失うことになります。 さて、大工さんが仕事をしている現場では、木屑、鉋屑はたくさんあります。 それは、正味となる「柱」や「板」が、出来ていくから、屑も出ます。 屑のまったく無い現場は、いわば死んでいる現場です。 埃の出ないような人生では、正味も、少ないということ、理として心得るべきです。



673:基本。
18/11/26 04:37:05.98 D2bV2Iio.net
生き急がないで、つまり死に急がないで、埃の無い現場にしない。
そういうことの一例として、おやさまは、病んでいる手と健康な手を示されて、
やんでいて何もしない手は、きれいだと、働いている手は、そんなものではないと、示されたと、ありました。
旅行やお酒を飲んで歌うのも、働いているから、楽しい、楽しめる。
そういう陽気もあれば、じっとお月様を眺めていると言う陽気もあります。
「信仰の不熱心」が楽しめたら、「埃ばかりの現場」が楽しめたら、陽気づくめに、なれます。
「因縁の切れない事」が、親神様のお慈悲である事すら、楽しむ事です。

674:基本。
18/11/26 04:41:04.78 D2bV2Iio.net
「たんのう」。
これが、因縁を切る唯一の道と教えられています。
「我慢、辛抱」も、たんのうのひとつですが、「たんのう」とは「堪能」と理解する事です。
「たんのう」とは「堪能」、つまり精通する事です。
大工仕事に堪能と言えば、精通していると言う事です。
お酒に堪能と言えば、お酒に精通していると言う事で、酒のみの因縁を切ろうとしたら、御酒に精通し、お酒の飲み方に精通し、お酒の肴に精通する事です。
精通しようとしたら、酔ってなんぞいられない。
利き酒の出来る人は、なめる程度しか召し上がりません。
酔いつぶれていたら、ソムリエにはなれません。
精通しないで、辛抱しないで、我慢しないでいたら、本当の味も飲み方も分からない。
ただ、酔っているだけと言うすがたが、因縁の切れていないすがたと言う事です。
酒の楽しみ方を知らない。
つまり、因縁が切れていないということは、酒で陽気になれない姿。
酒に精通し、うまい酒をうまく飲む事、楽しめることが出来たら、因縁は切れているのですが、
「断酒」していては、酒で楽しめないと言う、悪因縁は全く切れていないと、そういう事です。
陽気づくめに、酒を飲めたら、因縁が切れたということ、です。

675:基本。
18/11/26 04:45:11.36 D2bV2Iio.net
精通するには、たんのう。「単能」です。
シンプルに、そのことにのみ能力を注がないと、精通は難しいものです。
「単能」の反対が「万能」です。
万事に精通すると言う事を、望むと、「欲」です。
「単能」ではなく、「万能」になったら、「玄人」として、無理があります。
人を助けたいとしても、万能はおやさまにお任せして、自分はたんのうであることです。
出来ない九千九百九十九の、己の無能を、「結構やなあ」と楽しめないと、たんのうは、成り立ちません。

676:基本。
18/11/26 04:50:14.94 D2bV2Iio.net
> 「埃を払うには、自分の精神そのものです。あるいは、行為そのものです。」
> について具体的にお聞かせくださいませ。
> 精神は人をたすける心使いで行為はおたすけなのでしょうか?
具体的にいいますと、「正味=真の持ち味」と「正味でないもの=埃」との、精神においての「分別」であり、「仕分け」を、日常に常に行う精神力です。
例えば、人が誉めてくれたとしますと、これを、「正味」と受け取るのか「埃」と受け取るのか、心を澄ませて思案する、精神、精神力が、必要と言う事です。
奥さんが真心から、悪いと叱る行為を、「カス」と、いらん事してと、受け止めていては、埃の掃除は出来ません。
友人が、悪いことに誘うのに、とても親切で優しくても、「さすが友情」と受け止めていたら、埃の掃除は出来ないわけです。
それで、基本的には、おやさまにお願いして、「善悪」をお知らせ頂けば良いわけです。
それは、「左善・右悪」と、教えて頂いていますから、日日に、おやさまに教えてくださいと、頼んでおけば安心です。
知らせが何も無かったら、悪では無いわけですから、埃だと、神経質になる必要はありませんが、
右足をくじいたり、右手をはさんだり、右頬に出来物が出たら、基本的には


677:埃ですから、すぐ、対処し、心を変えればよいのです。



678:基本。
18/11/26 05:01:29.43 D2bV2Iio.net
行為そのものとしては、その知らせ、サインのようなものですが、サインに従うことです。
赤信号なら、止まり。青信号なら、進む。
サインの見落としは、しても、たいした問題ではありません。
神様が、またよこせばそれで、すみます。
サインの無視は、三回やったら、見捨てられる行為ですから、神の慈悲にすがっても、無理です。
精神とは、「精」「神」。
「精」とは、国語の意味は、
[1]生物の根元にあるもの。たましい。精霊。多く人間以外の霊魂についていう。スピリット。
[2]生命の根本にある力。心や体に備わる力。精力。
つまり、その人の根源ですから、全てにおいて、心の根源を、
「神」に置くと言う、状態が、精神そのもの。
おやさまに、お任せすることです。
そして行為とは、おやさまのお知らせや、なって来る理に、「理」に素直と言う行為です。

679:基本。
18/11/26 05:05:21.00 D2bV2Iio.net
> 精神は人をたすける心使いで行為はおたすけなのでしょうか?
人をたすける心と言うものは、「誠真実」ですから、神に適っています。
しかし、それだから、「埃」は無いかと言えば、人をたすける心と言う心にも、「埃」は、それは必然的に生じます。
人をたすける行為だから、汗をかかないのかといえば、汗は出ます。
真心でしている行為でも、大工の仕事場なら、屑や埃は、それは、あるのが当然です。
つまり、真心の料理でも、台所には、生ゴミがでる。
おやさまは、「私でも台所に立ったら埃が出る」と仰せられたとの事です。
つまり、「埃の掃除の為に、人をたすける」というのは、「お座敷とトイレが一緒」なので、ちょうど、刑務所の中での生活のようなものです。
埃の掃除をしたかったら、それは、人たすけでは無い。
人をたすけたいという、その心だけが正味、真価であり、人をたすけてわが身助かるのは、教えられたところの「天理」ですが、
それも、全てをおやさまに、もたれきると言う、天理教徒なら、当然のことに、心は砕くべきです。

680:基本。
18/11/26 05:11:54.96 D2bV2Iio.net
> つまり、「埃の掃除の為に、人をたすける」というのは、「お座敷とトイレが一緒」なので、ちょうど、刑務所の中での生活のようなものです。
↑ このように比ゆしましたのは、「因縁切る」ということを、「罪の償い」と、そのような認識があるから、
結局は、人をたすけることで、己を清めようと言う、言うなら贖罪の発想が、心に浮かぶと言う事を、お分かり頂きたかったからです。
人をたすけると言うのは、己の「神性」を生かしきる行為です。
しかし、それにも「埃は、必ずある」、ということは、「埃とは正味の本質を教えてくれるもの」です。
お魚の「アラ」を掃除して、お魚の真の美味を味わうのであり、
それを、仕分けし、分別しないと、人助けどころか、わが身への執着となり、一緒くたに、ゴミになってしまいかねないと言う事ですね。
お分かり、頂けたでしょうか。

681:基本。
18/11/26 05:15:04.17 D2bV2Iio.net
> 八つのほこりを使わないよう常に気をつけて
> 「陽気づくめ」なのでしょうか?
埃を余分には出さない配慮は、マナーかもしれませんが、埃を出さないということは、正味が生かされていないと言う事に成ります。
例えば、増井りん先生は、怒りっぽくて、一寸でも遠慮したりすると、すぐ、怒りつけたと、聞きました。
正味を出すとは、埃を積極的にバンバン出す、それくらいな気持ちだないと、真価は表れず、道は先に進みません。
おやさまは、この道は、と、限定されて、道の者の出してはならない「埃」を教えられていますから、それだけは、気をつけるべきです。

682:基本。
18/11/26 05:19:09.91 D2bV2Iio.net
このみちハをしいほしいとかハいと よくとこふまんこれがほこりや
第3号 96
つまり、欲しい、惜しい、かわいい、欲、高慢。は ← 道の、「埃」。
では、残りの三つは「憎い�


683:A恨み、腹立ち」は、 ← 人間生活の「埃」。 つまり、「欲しい」は、正味に「意欲」があれば、必ず出る埃。 理想を見れば、見れば必ず出る埃ですから、「欲しくない」人は、本当の道の者ではない。 増井おりんさんは、「あんた私の上げるものいらんのか」と、遠慮する人には、叱りつけたそうです。 欲しがるととても喜んでいた。 当然おやさまも、欲しがる人を喜んだ。「汚なはすか」という逸話が雛型です。 それは、「惜しい」という埃も、それが出ないようでは、道の者ではない。 惜しむのは、価値を知り、恩を知るからです。



684:基本。
18/11/26 05:32:02.95 D2bV2Iio.net
おやさまには、なんの堅苦しいことをしなくても、「おやさまお知らせ下さい」だけで、良いのです。
親子ですから。
お言葉に「一度は許す、二度は見逃す、なれど三度目は」とあります。
私の十代の頃の仲間には、単独布教から教会を設立した、現役の会長さんたちがいました。
「君は熱心に天理教を布教しようと考えているが、そんなんじゃだめだ。
じっとしていても、神様が信者さんは連れてきてくださる。
通ればわかるよ」。
「おたすけおたすけで、朝から晩まで布教していた○○さんという人がいたが、雛型だ雛型だと、ご飯は冷や飯にお湯掛けて流し込んで・・
結局、何もならんことだった。」「おやさまのひながたなんて、そんなものじゃない。」
こんな話を、聞かされて、・・でした。

685:基本。
18/11/26 05:36:31.73 D2bV2Iio.net
熱心な大教会長さんで、熱く道の展望や将来を語ってくれて、ともにやっていこうと、・・
その時、この方危ないと思いました。
数ヵ月後には、死にました。
熱心な会長さんで、アウトになった人、後継者でアウトになった人、大勢見てきています。
おやさまに、お聞きするというのは、セレモニーではだめです。
普段着でないと、だめです。
おふでさきでは、「儀礼的な信仰していて・死んだ」実例が、残されています。
逸話篇に、「絹と木綿」の話題がありますが、そのお諭しを頂いた本人です。
「近道も欲も高慢無いように」と、お筆先にはあります。
欲は「重欲・強欲」。高慢は「自慢に我慢に高慢」。これは、あっては、本当の道には出られないと言う事です。

686:基本。
18/11/26 05:47:24.36 D2bV2Iio.net
> 信仰を知り始めた人でおやさまに半信半疑でも大丈夫ですか?
> 年限がものを云うのでしょうか?
元冶元年のつとめ場所の普請の時、大工の伊蔵さんは「超信仰の浅い、年限の無い」入信したてでした。
明治七年に、入信したてが、増井りん先生。
おやさま扉を開くときの、直前の入信は「増野正兵衛」さん。扉を開く当時においては、松村吉太郎先生は、年限なんて浅い若造。
年限は、浅いほど、チャンスがあるわけです。
おやさまに、半信半疑の場合は、半信半疑というのは、「信じていない」という、事として、理解されていれば、大丈夫です。
人は、「半分信じて、半分疑って」で、文字は半信半疑ですが、良く考えれば、「疑っている」そのものです。
それは、ちゃんと自覚が大切です。実は、疑っているのだと。
そして、疑う以上、試すべじです。
試すようにと、おやさまは、おふでさきに、知らされています。

687:基本。
18/11/26 05:51:09.81 D2bV2Iio.net
能力は、人は皆神の子ですから、誰にでもある です。
ですから、霊能力者と称する人にも、能力としてはあるでしょうが、
甘露とは、元なるおや、つまり、存命の中山みきさまのみから、渡されるものですが、うちと外には、隔ては無いのですが、
精神の問題と言うものは、そこにあると言う事です。
さて、平野楢造さんの逸話ですが、あの日、平野さんは、「お守り」を手放してしまっていて、それで、「山本利八先生」に相談したら、
「そりゃ、あんたの命はないのや」と、諭されたと言います。
楢造さんは、「あんな寂しい思いをした事は無かった」と、語られたそうです。
そうか、自分はもう死ぬのかと、家路にも着かず、お屋敷にいて、



688:サこに、暴漢が殴りこんできて、おやさまをさらおうとした。 俺はここで死ぬのだと、思われたそうです。 おやさまの為に、死のう。 「このものゝ度胸を見せたのやで」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 天理教への妨害組織と、乱闘に告ぐ乱闘の、楢造さんでした。 奈良にて、乱闘があった後のこと、「ご教祖様でも、このような事はなかっただろうと」か、そのような事を誰かが言ったとき、 楢造さんは、それを否定されたそうです。 針が別所の謀反の時には、竹槍立てて取り囲む中を、おやさまは、お一人、泰然自若とお通りになって、助造さんに、お諭しになった。 おやさまは、どんな道もお通りになっておられるのだと、諭されたそうです。 度胸とは、 楢造さんには、そんなおやさまの、お姿そのものだったのでしょう。



689:基本。
18/11/26 06:01:25.77 D2bV2Iio.net
能力の話と言うものを、もう少し、語りましょうか。
能力は誰にでもあるとしまして、神様の知らせというものが、あるとします。
あるとしまして、それを悟り、行うとします。
すると、それは自分の力であると、そのように考えて、それで皆間違えていくわけです。
或いは、本人は自分の力とは思っていなくても、周囲や、弟子たちが、その人個人の特殊な能力だとか、間違えてしまう。
それは、どこにでもある光景です。
能力としてではなく、知識としてだけの事でも、普通に見たら神秘的に見える事もあります。
それで、「異端」が生まれるのです。
それは、謀反です。

690:基本。
18/11/26 06:25:43.81 D2bV2Iio.net
それで、異端の数理として、「3625」がお筆先に知らされてあります。
 しかときけ三六二五のくれやいに むねのそふぢを神がするぞや (3-64)
しやんせよなんぼすんだる水やとて
とろをいれたらにごる事なり (3-65)
にごり水はやくすまさん事にてわ しんのはしらのいれよふがない (3-66)
お筆先において、はっきりと、「澄んだ水に入れた泥」というものが、「異端」であり、謀反であると言う事の理が知らされてあります。
針が別所の助造さんは、おやさまから頂いたさずけで、「奇跡的霊救」を行い、自分が「本地」だと説いた。地場は「垂迹」だと、説いたわけですが、
それは、おやさまを「元の神」とは認めずに、おやさまは、自分と言う本地を登場させるための存在だと、そう言う理屈ですから、真柱、甘露台という「しん」に対する「濁り」です。
おやさまが、渡された以上は、異端になったとしても、霊救の効能には変わりがない。それは、澄んだ水。
しかし、泥をいれると言う事、それが問題なのです。

691:基本。
18/11/26 06:30:21.41 D2bV2Iio.net
霊能について語り合うことは、おやさまの望まれない事と思案します。
足が速いとか、疑うまいと言うのと同じですから特別視しないし、特別な話題とは、しない立場です。
ごめんなさいね。
能力と言うものは、人はトラに劣り、サルに劣る、泳ぎなら魚に劣る。
空も飛べない人間が、霊能においては、空が飛べて、深海を遊泳できる。あり得ない事です。
「不思議」にも二種類あります。「自由」は、「じゅうよう」と読みます。
自由な霊能とね自由でない霊能です。
暴力の問題は、「倍かえし」と訓えられていて、神はそうします。

692:基本。
18/11/26 06:57:07.82 D2bV2Iio.net
> 霊能者に関しては、まるで魂を抜かれたような被害者になった方がいましたので、
> いわゆる洗脳を解くてだてと申しますか…
鍵と鍵穴の関係と言いますか、因縁と呼ばれますが、洗脳者と被害者と言うのは同じ体質と認識すべきでしょう。
ご自分の描いている「理想型」をそれ以上のスタイルで、
洗脳者に見出して、共鳴してしまっているから、洗脳されたと言うよりも、自分悪因縁に時分では待っていると、見たほうが、宜しいでしょう。
その場合、「こふまん」の埃が、原因ですから、
高慢の心と言うのは、「自慢に我慢に高慢」が、高慢のすがたの基本です。
高慢の心と言うのは、正味が「引き出し・引き伸ばし」という守護の理の正味から、出た埃です。
人よりも引き出されて、リーダーになったとき、それを自分の力と自慢する。
努力して、成績が上がって、クラスのトップとなったと、その時、「元々俺は頭良いんだ」と、自慢する。
そういう、正味とかすの関係ですから、如何にして正味の側の心を覚醒させるかと言う事です。

693:基本。
18/11/26 07:01:12.45 D2bV2Iio.net
そして、「大戸辺命」さまの守護の理ですから、
をふとのべの命様は、天にては、宵の明星となって現れ、男神なり。お姿は黒ぐつな(黒蛇)なり。この者は、勢いつよく、引いても切れぬ故に、人間の食物立毛、万物引き出しの道具に使うた神様なり。
又、物を引き出すには、お綱が要り、且つ おお手でのべん事には引き出されん。故にをふとのべの命と神名を授け給う。
 また、なに事も先にたって、引き出すものを玄人と今にても云うのは、この黒ぐつなの理から来るなり。
 人間身の内では、生まれる時の引き出し、五尺の引伸ばし、五尺の身体への引伸ばし、又、知恵、工夫の引き出しはこの神様の守護。世界では、立毛、立木一切の引伸ばしの守護。
 この神様の守護が、欠けてくると、逆子、難産になり、又、脳、筋の患いになる。これは、高慢の心を使うて通る故なり。高慢と云うても、自分の知っている事を人に教えてあげるならいいけれども、
知らない事を知ったかぶりする心使いが埃となる。
 裏守護に於いては、不動明王、役の行者、弘法大師は、この神様の守護なり。宗門にては、真言宗なり。
 方角に於いては、西、酉とも云う。時は酉の刻、午後六時から午後八時。季節は、秋の守護なり。
 以上、くにとこたちの命様から、おおとのべの命様までを、八方八柱の神様と云い、仏法では、な む あ み だ ぶ つ う と云うなり。

694:基本。
18/11/26 07:05:08.64 D2bV2Iio.net
長々引用しましたが、「こふき」話からの引用です。
『役の行者、弘法大師は、この神様の守護なり。』
日本を代表する霊能者の代表お二人は、役の行者と弘法大師。そういう大目標を目指さないで、小物や代用品で自己満足している心が、「高慢」ということで、
仕事が長続きしない、苦労して玄人になろうとしない。
そういう「高慢体質」を、ひとつで良いから、直す事です。
たいした事を期待させると、直らないでしょう。こんなこと誰でもできるよねと言う事から、苦労していただく事です。

695:基本。
18/11/26 14:01:03.97 D2bV2Iio.net
このたすけどふゆう事にをもうかな ほふそせんよにたしかうけやう (12-95)
またゝすけりうけ一れつどこまでも いつもほふさくをしゑたいから (12-96)
このみちをはやくしこもとをもゑども 一れつ心わかりないので (12-97)
せかいぢうどこにへだてわないほどに 一れつしやんしてくれるよふ (12-98)
しんぢつに心にさだめみなついて 神のゆう事そむきなければ (12-99)
それよりも月日の心しいかりと うけとりしだいたすけせきこむ (12-100)
このたすけ一寸の事やとをもうなよ これわにほんの一のこふきや (12-101)
これさいかはやくしいかりみせたなら とのよな高いところなるとも (12-102)
こればかりにんけんハさでないからに 月日ぢうよふそむきでけまい (12-103)
能力そのものに対して執着している。それがこふまん。
仮に努力していても、能力を得るための努力は、高慢のそのものですね。

696:基本。
18/11/26 14:04:22.48 D2bV2Iio.net
神の言うことに背かないなら、たすけの能力はおやさまが、つまり神が引き受けるのです。
 しんぢつに心にさだめみなついて 神のゆう事そむきなければ (12-99)
これが肝心だと思います。

697:基本。
18/11/26 14:07:03.82 D2bV2Iio.net
> もっと高い目標や理想を持って、地道に努力を重ねるべき
という意味ではなく、「神通力」という能力が大切であって、努力を積�


698:ン重ねて能力者になる事は、高慢に過ぎないと、そのようにご理解ください。 役の行者と弘法大師。ともに、裏守護のお方です。 裏で、親神さまが守護していたと言う事。です。



699:基本。
18/11/26 14:10:07.48 D2bV2Iio.net
このみちをはやくしこもとをもゑども 一れつ心わかりないので (12-97)
心わかりないので、とは、おやさまのお心を分からないと言うことです。
このたすけ一寸の事やとをもうなよ これわにほんの一のこふきや (12-101)
「こふき」→「子富貴」。
このように理解しますのが基本です。

700:基本。
18/11/26 14:13:05.06 D2bV2Iio.net
おさしづの「修行」については、
飯降政甚大祭に帰りしに付、又々神戸へ出越すの願
明治二十三年三月十七日(陰暦正月二十七日)
さあ/\修行々々、学問上十分という、心通して修行。
学問上何が違う、彼が違う、どういう事であろう。
身上どんと不足なれば、どうする事も出来ん。
どんと不足あるとて、さしづ一つで速やか。
何年幾年了えたら、身上どんと不足成ったらどうもならん。
修行の処、身上不足取次何も案じる事は無い。
修行のため、銘々身上磨きに出るのが修行。
通さにゃなろまい。修行という、心の身を磨きに出るのや。
修行、大切に扱うては修行にならん。そら水汲みや、掃除や、門掃きやと、万事心を磨くのが修行。そこでさしてくれるよう。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ここで言われているのは、「学問上の充分な修行は意味がない」と言う事と、
「身上磨きに出るのが修行」という事です。

701:基本。
18/11/26 14:16:30.52 D2bV2Iio.net
飯降政甚の伺 明治二十三年二月三日 これが先にあります。
さあ/\尋ねる処、身上一寸の事情、どういう事である。案じる。
たゞ一つ修行という、深きという。これからどうでも思う。
日々の処治まり難ない。それよりの事情計り出す。
日々どうでも思う、大抵何も一寸修行という。
修行の理は分かりて居る。
身上の事情あっては出来難ない。
速やかになる。暫くの処これどうであろ。
深き何でも十分の学をし、十分の学を治めよう。
智者学者あっても何にも治まらせんで。一つの理を始め掛け、日々暮らさせたい。
思う道もう暫く。日々の理、事情より治まる理が無きという理を治めくれるよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、「深く修行」させようとしていて、病気になった。それでお指図を伺った。
神様は、そういう中を、「一つの理」を始めかけよと指図してありました。
「一つの理」とは、「天理」と言う事です。
「心の身を磨きに出るのや。」つまり、色々な状況を、心一つで健康において頂く修行そのものを、
心と身を修行せよと言うおさしづでした。

702:基本。
18/11/26 14:19:19.05 D2bV2Iio.net
肉体と精神の関係を、実地に通る修行と言うこと。
本席様は、下足をそろえておられて、深谷源次郎さんが、もったいないと、交代をもうしでたとき、なんと言われたか。
「これはあんたには出来ん仕事や。人の心のあっち向いているものを直しているのや」と、言われたそうです。
これが、修行です。
下駄をそろえるだけなら、修行では無い。履いていた人の心を揃えてあげられるように下足をそろえる。
こういう修行として、水撒きも拭き掃除も、なされるようにとお指図されました。
結果として、柾甚さんは、「書道は超一流」。道楽で散財、お屋敷からたたき出される寸前までになっています。
書道の訓練や、立派な後継者の修行が、とんでもない食わせ物と言う事は、事実が語っています。
柾甚さんには、「大工」の修行が、本当は神意でしたが、
高邁な宗教家にふさわしい教養の修行ばかりさせた、兵神の勘違いが、当時の高弟の共通した誤りでした。

703:基本。
18/11/26 14:22:09.93 D2bV2Iio.net
古記ではなく「子富貴」ですか?
初めて聞きました。
もう少し詳しくお聞かせくださいますでしょうか?
これは、基本が教理研究して、悟ったものであり、証明作業はこれからです。
教理的には、以前にザ掲示板にて おやさまの思想を述べた内容が基本です。
先ず、「から」「とふじん」とは、西欧・米国を示していたこと、これが基本です。
そして、西欧米国には「こふき」があり、それは「聖書」であることを、史実的に示しておきました。

704:基本。
18/11/26 14:25:07.21 D2bV2Iio.net
> 「とふじん=西欧人」の思想。それは、現代でも、アメリカにおいては、民意に深く根付いています。
> 聖書の執筆者の一人パウロが、「ローマ人の手紙」で書いたものは、ユダヤ教からキリスト教を経由して、
アメリカと言う聖書主義の国に、「割礼」の子たちを、数々排出しているという事。
それは、もう一方で、「マリアの処女受胎」を受け入れてしまう民を大勢生んでいるという事。
このような、「天然自然の理に反した思想」は、「高山の支配の道具」になっています。
おやさまは、「高山の真の柱はとふじんや」と、権力構造そのものを「大社・宗教と言う権威」として、
「取払いの思想」を語られているのは、その「オカルト利用の悪意」に対する批判からです。
イエスキリストの教えを「弟子。使徒たち」が、書き記したものが「新約聖書」として世界中に、イエスキリストの思想を伝えています。
おやさまは、神が「啓示=おつげ」として説き聞かしたものを弟子たちが書き残した書物の事を「こふき」と呼び示しています。
おやさまの思想では、イエスは「完成の意義」を伝えた神です。

705:基本。
18/11/26 14:30:26.96 D2bV2Iio.net
「聖書と言うこふき」、それには、「神の言葉=イエスの言葉」は含まれているけれど、実は弟子たちの思想の書。でした。
中でも、キリスト教社会の思想に多大な影響を与えたのは、「使途・パウロ」の思想でした。
パウロは、イエスキリストの死後の弟子です。
> URLリンク(ja.wikipedia.org)
> 『復古神道において大きな役割を果たしたのが国学者の平田篤胤である。
彼は法華宗や密教、キリスト教などの他宗教や神仙道を取り入れた「平田派国学」を大成させた。
この平田派国学の流れから後に川面凡児や出口王仁三郎といった宗教家が多く誕生してくる。』

706:基本。
18/11/26 14:33:05.53 D2bV2Iio.net
> 『宣長没後2年経った1803年(享和3年)になって、本居宣長のことを初めて知ったようである。
没後の門人として加わるために本居春庭に宛てた書簡によると、夢に宣長が現れて、そこで師弟関係を結んだと述べている。・・』
> 『夢に宣長が現れて、そこで師弟関係を結んだ』。
これはまさに、オカルトの世界である。

707:基本。
18/11/26 14:36:06.67 D2bV2Iio.net
> 平田篤胤が本居宣長の、死後の弟子であった。
イエスキリストの死後の弟子が、キリストの「こふき」を「聖書」として書き記したという事。
その「こふき」が、世界の列強の海外侵略の、強い思想根拠となっていたことを、おやさまは、見抜いておられたということです。
このパウロが、「ローマ人の手紙」の冒頭に、神の教えを異邦人に伝える事を、神に対する神の子の義務だと説きました。
異邦人を、キリスト教によって、教化すると言う行為は、実は「奴隷」を増やし集める行為として、歴史に無数の悲劇を刻みました。
日本に来た宣教師が奴隷を本国に搬送していたのは、紛れも無い事実。
それで、日本の江戸幕府は、仏教による統治を敷いて、キリスト教を禁じたのであり、
明治の開国において、「大教=天皇教」を宣布したのも、その強迫観念に由来するのかもしれません。
「毛唐」と忌み嫌う思想の根底にあったものです。
死後の弟子パウロと、死後の弟子篤胤。
それは、元々の教えを、オカルト絡みで、政治思想に育て上げた、「祭政一致」の「こふき」の作者という事になります。
世界を支配している「パウロのこふき」、日本を支配した「国学のこふき」。
その根


708:は、旧約聖書の思想にあります。



709:基本。
18/11/26 14:39:25.16 D2bV2Iio.net
旧約聖書の説いている世界は、「絶対唯一の神の世界である」
おやさまは、八百万の神を仏を裏から守護して教えてきた。
旧約聖書は、キリスト教とイスラム教、ユダヤ教のルーツにあたる。
言うならば、「こふき」である。
「こふき」には、口述されたものを記録したと言ういみで「口記」だと文字を当てる思想がある。
それは、実は、おやさまの思想と言うよりも、弟子たちの解釈である。
また、同じく弟子の解釈として「功記」と言うような解釈もある。
新約聖書が書かれた事について、秀司の生まれかわりの中山正善氏は、死後百年以上たって「聖書」は作成された。
天理教でも、ちゃんとした書き物が書かれるには、おやさまが姿をかくしてから、百年は要するであろうと、書いた文章を読んだ記憶がある。
教祖直々の原典があり、それなのに、「天理教の聖書」が必要なのかと疑問に思った記憶があるが、それは、聖典といわれる宗教書とは、信者の信仰告白であり、
同時に、教祖の思想を伝えるものであるために、教祖が死なないと、作成されないためであると言うことだと思う。
聖書や仏教の経文は、弟子の作成した聖典であるからこそ、当時の信仰のありのままを伝えてもくれる。
神の言葉だけでは無いから、人間には理解されやすい。

710:基本。
18/11/26 14:43:01.52 D2bV2Iio.net
さて、旧約聖書の伝える信仰とはなんであったのか、神の思召しとはなんであったのか。
創世記に、それはきちんと「口記」されている。
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
{ 神の約束(15章)—土地授与の儀式}
{以前、「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。
見える限りの土地を全て、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、
あなたの子孫も数えきれないであろう。さあ、この土地を縦横に歩き回れがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」(13・14~17)}
{ とすでに、神から土地の取得と、子孫繁栄の保証を告げられていたアブラムは幻の中で、再び神の啓示を受けます(15・1)。}
{それは、「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」(15・6)からです。そして、神から命じられた通りの、犠牲の動物を準備します(15・9)。}
つまり、旧約聖書とは「こふき」を文字にあてはめると「子富貴」そのものだと分かります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

711:基本。
18/11/26 14:46:03.42 D2bV2Iio.net
長々と引用しましたが、現代の米国は聖書の「こふき」を信奉しています。
その「子孫繁栄の子富貴」の手段と統治術は、「大社」「高山」による我がままによって実行されています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、旧約聖書とは「こふき」を文字にあてはめると「子富貴」そのものだと分かります。
絶対的唯一の神は、「目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。
見える限りの土地を全て、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。」と、約束されています。
もし仮に、欲一つ無き農夫であったなら、「見える限りの土地」とは、せいぜい、農夫本人と、妻と子の、ささやかな土地の広がりに過ぎなかったでしょう。
「高山」に登って、そこから、見渡していたら、もっとたくさんの大地が手に入ると、「欲深くなき農夫」ではなかった族長のアブラハムは、「高い山に登ろう」とします。
神の言葉は、そのような意味だったのか、「問う」事が、全ての始まりにありました。
唯一絶対の神は、『あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。
大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。
さあ、この土地を縦横に歩き回れがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。』と、言われています。
それゆえに、「歩いた土地は全て自分の子孫のものになる」と解釈した事は、
船と、汽車と、戦車と、どんな機械を使って歩いた土地でも、自分のものになるのだという、人間のおごりを生んでいます。

712:基本。
18/11/26 20:51:07.90 D2bV2Iio.net
♪『Wonderful Christmas』ワンダフルクリスマス(ダイ


713:エーオリジナルクリスマ スソング) https://youtu.be/vMc-55oxpmI ダイエーのTVCM・動画



714:基本。
18/11/26 20:57:05.58 D2bV2Iio.net
文字については、原典として市販されています。
音については、ローマ字本があります。
第12号 101
このたすけ一寸の事やとをもうなよ これわにほんの一のこふきや
Kono tasuke chotto no koto ya to omouna yo Kore wa nihon no ichi no Koki ya
Do not think of this salvation as being trivial. It is the principal matter of the Divine Record of Nihon.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
音では、「Koki・こうき」ですが、文字では「こふき」です。
音での意味から、「口記」「功記」と文字が当てられています。
文字での意味では、「こふき」「子富貴」が一番似つかわしいと思います。
英訳では、the Divine Record of Nihon.→日本の神の記録。
そこで、「こふき」を文字通りに「子富貴」と読んで、西欧の「子富貴」の書物、聖書に対比したわけです。

715:基本。
18/11/26 21:00:31.76 D2bV2Iio.net
つまり、旧約聖書には、人間への神からの契約として、子孫の繁栄が書かれているわけで、それが「こふき」の一番の骨格です。
繁栄にいたる道筋としての、こふき、古記。
天理教の教えも、神と人間の約束としての「陽気遊山」があり、それに至る道筋があるのですが、モーゼが書き記したようなその記録が無い。
天理教の繁栄の歩みは、事実繁栄出来ていないので、記録がない。
神に言われたことを背いた、山名系の歴史とか、愛町系の神人伝とか、こふきに該当する「記録」が無いわけです。
おふでさきは、「違いがあるから知らせた、間違いの記録書」です。
おさしずも「功記」ではない。
サクセスストーリーが欲しいと言うのは、親神のお筆先に記された、こふきが欲しいと言う、趣旨そのものです。

716:神も仏も名無しさん
18/11/26 21:03:24.01 f4W94+dD.net
すいません、どなたか池田大作が死亡となってからの例の会を予想するスレを立ててもらえないですか?

717:基本。
18/11/26 21:04:01.17 D2bV2Iio.net
サクセスストーリーがない理由は、月日の言う事を聞かない弟子ばかりだったからです。
なに事も月日の心をもうにわ にほんにこふきほしい事から (10-87)
にほんにもこふきをたしかこしらへて それひろめたらからハまゝなり (10-88)
このはなしなんとをもふてみなのもの にほんのものハみなわが事や (10-89)
それしらずなんとをもふて上たるハ むねがわからん月日さんねん (10-90)
このところどのよなこふきしたるとも これハにほんのたからなるぞや (10-91)
一れつの心さだめてしやんせよ はやくこふきをまつよふにせよ (10-92)
しんぢつのこふきがでけた事ならば どんな事でも月日ひろめる (10-93)
月日よりひろめをするとゆうたとて みなの心ハしよちでけまい (10-94)
それゆへにとりつきよりにしいかりと たのみをくからしよちしていよ (10-95)
このひがらこくけんきたる事ならば なんどき月日どこいゝくやら (10-96)
にち/\にとりつぎの人しいかりと 心しづめてはやくかゝれよ (10-97)

718:基本。
18/11/26 21:07:38.35 D2bV2Iio.net
このみちハどふゆう事にみなのもの をもているやら一寸にわからん (10-98)
月日にハなんでもかでもしんぢつを 心しいかりとふりぬけるで (10-99)
このみちを上ゑぬけたる事ならば ぢうよぢざいのはたらきをする (10-100)
月日よりこのはたらきをしかけたら いかなこふてきたるとゆうても (10-101)
心よりしんぢつハかりすみきりて とんな事でもをやにもたれる (10-102)
このさきハせかへぢううハどこまでも よふきづくめにみなしてかゝる (10-103)
たん/\とこのみちすじのよふたいハ
みなハが事とをもてしやんせ (10-104)

719:基本。
18/11/26 21:25:40.22 D2bV2Iio.net
たん/\とこのみちすじのよふたいハ
みなハが事とをもてしやんせ (10-104)
つまり、この「こふき」作成ストーリーは、基本のわが事でもあるわけです。

720:基本。
18/11/26 21:31:31.69 D2bV2Iio.net
一れつの心さだめてしやんせよ はやくこふきをまつよふにせよ (10-92)
それにしましてもこのお筆先は、一見不可思議です。
こふきを造れと言う事と、こふきを待つようにと言う事は、どういう言う神意か。
です。

721:基本。
18/11/26 21:34:03.13 D2bV2Iio.net
こふきとは、神の教えそのものが、こふきであると知らされてあります。
しかし神のこふきは、旬が来ないと実現されない。
そこで、こふきを待つという事の意味が見えてきます。
「日柄刻限」。これが、旬です。

722:基本。
18/11/26 21:37:02.71 D2bV2Iio.net
そこで、こふき作成当事者としての基本は、神の教えを根を掘ることを、一意一頑として、年限かけてきたわけです。
わが事として、認識したのは、十八から二十歳の時でしたから、教理の研究をわが事として、
一貫の人生であって、こんなにも幸福な人生は無いと感謝しています。
126の旬に、正月に向けて、こふきの実体化に向かうために、
当スレに、甘露の研究を書き続けたのは、教理的な吟味、洗い直しでもありました。

723:基本。
18/11/26 21:40:09.59 D2bV2Iio.net
米国の正義は、敵国を裁判すると言う、宗教国家ならではの風習を国際化しましたね。
普通、戦争ですから勝者が敗者を支配するのは、常道ですが、「人道」という基準で、実は宗教基準で、裁判と言う方法で、宗教的優越を公開する。
「とふじん」の大社高山らしい、思いつきで、戦争の当事者として、浅ましいものでしたね。
おやさまが、世界の高山の胸元に風穴を開ける今、旬の到来を、陽気に遊山する「こふき」の開始と、基本的には悟っています。

724:基本。
18/11/26 21:43:32.62 D2bV2Iio.net
テクノロジー対オカルト
この闘いの、一面ですね。
西欧の才とは、テクノロジーであり、西欧においては神と科学は対立しながら、宗教は科学を容認しつつ、支配の武器に、用いて来ました。
繁栄は、洋才が、そしてこの世では無い、あの世の審判後には、宗教がという、二つの基準の幸福が、「とふじん」の価値観となっているわけですが、
それは、「空虚・から」の思想であり、おやさまの「ころり」を願うお気持ちは、切ないものです。

725:基本。
18/11/27 00:48:37.74 JIPZGlba.net
そこで、基本自身のなすべきは、『子』としての『富貴』そのもの。
自分が、わが事として通るために、通りつつ研究していた、
これからが、テクノロジー対オカルトの、基本のこふきに、なります。

726:基本。
18/11/27 00:52:04.06 JIPZGlba.net
『俺がするのやで』というお言葉があります。
みんなわが事と思うて思案せというお筆先をまじめにわが事と受け止めますと、この、「俺がするんやで」のお指図が、実感として理解できます。
すでに世界中の一列兄弟が、陽気遊山できるだけの、ご守護と言うものは、
この世にお与え頂いてあるのですが、大社高山が、谷底をままにする支配があって、
それで必ず奴隷状態の谷底を用意しながら、高山の繁栄は維持され続けているわけです。
そのカラクリはそんなに単純なものでは無い。
最初私は、もう少し安易に考えていて、
家業として事業を立ち上げる最初の段階で、金融資本、行政、司法と真っ向から対立するような、そんな経験を重ねました。
その経過は、長いストーリーなので、この場では語りませんが、これから、通る道の為の、大きな教訓として、残されています。
情報は、ことごとく管理されていて、新規事業を立ち上げることは、食われるための注文の多い料理店現象だと言う事です。
だから、こうして投稿していると言う事も、基本が「子富貴」に向かうと言う事は、
本当にそうなる目が出てきたら、徹底的に妨害されると、理解できています。
オカルトは、果たして、現代社会の支配の構造を打破できるのか、です。
そんなこと、おやさまが尽いてる限り、勝てるに決まっています。

727:基本。
18/11/27 00:55:04.52 JIPZGlba.net
その人は〇〇○銀行経営相談所の所長さんでした。
「基本さん。銀行と言うのは、一度記録に残ってしまうと、絶対忘れないものですよ」
「戦前に、銀行とトラブル起こした方がいて、戦後かなりすぎてから、ま、そのころは表向き円満なお取引先でしたがね、
ちょっとしたことから、きちんと潰されました。覚えていてくださいね。」
「所詮個人企業みたいなもので、恨みはとことん忘れないものです」
地元で、倒産した病院がありましたが、その経理担当者さんが語っていました。
『あの日、手形を落とすためのお金を持って、銀行に行きました。
そしたら、支店長さんが、応接室にと通してくれて、いろんな話をしていたら、「あ、もう時間ですね。不渡りです」と、やられました。』
やくざさんに追い込みをかけられていた方で、たすけて欲しいと相談に来られて、その時に聞いた話です。
地元の弁護士さんでも「あんたに協力したら、ご飯が食べられなくなる」と、正直に断った方もいました。
そういう、この世の常識の数々を学んだのは、とても良かったと思っています。
「難儀せねば難儀なるものの心わからん」と、それは実に本当の事でしたから。
警察さんとも、裁判所さんとも、行政とも、ずいぶん色々と、バトルしました。
当然ながら、やくざさんにも厄介が色々ありました。
社会の構造そのものに、批判的であると言う事は、敵ばかりです。
そういう中から、何をもって、富貴になろうというのか、まさに、行った所が袋井やという、楽しい道です。

728:基本。
18/11/27 00:59:49.27 JIPZGlba.net
あの頃、〇〇銀行の経営相談所は三社の面倒を見ていました。
その内の一社が、基本の経営で、
その内の別の一社は食品関係で順風万歩、TVCMでもおなじみとなり、地方の一中小企業から、上場企業になるという勢いでしたが、
ニュースを賑わした一寸したトラブルで、その美味しい部分は、大企業に吸い取られました。
あの頃、所長さんは、コンビニの地方展開プランを語って、私に質問するので、
「それを又潰すきで、別なコンビニを近くに用意しているのでしょう」と指摘すると、そのとおりです。良く分かりますねと、笑っていました。
『基本さん、物を作って売る次代じゃないのですよ。お金がお金を生むのです。者を作って売るなんて、時代遅れで巣よ。』
ご指導を頂きました。懐かしく思い出します。
投機の時代と言う事を、教えたかったのでしょう。
おやさまも、相場の必勝法を教えていたのではと、思われる節があります。
以前に、書いたことがありますが、秀司さまに博打を教えた従兄弟の家や、
言上の伺いを許されていた女性の家に、教えられていて、その間違いで、相場で損したと言うことがあったりして、道から離れたのではと、推察したりしてます。
辻忠作さんが、伊蔵さんから、米の相場の予言を聞いていた話は、再三述べたので、お分かりの方ばかりでしょう。
能力が本物なら「金が金を生む時代」には、天理をマスターしていたら、「金で金を生む」ことが可能なわけですから、
難儀の救済をそうした資金で行うなら、宜しいことです。
ところが、基本さんは、神様が失敗するけれどやれと言う知らせで、
〇〇銀行経営相談所の後ろ盾で、失敗すると確定の事業に三千万ほどの資金融資を得て、突入したわけです。
それはまさに、面白おかしいお話でした。

729:基本。
18/11/27 01:02:20.59 JIPZGlba.net
なにせ、工場長のお一人は当時の自民党長野県一の実力者の側近で村会議長、もうお一人は、
経営相談所のお墨付きの資産家で、勤勉勤労、西武デパートに一発で販路を空けてくれる。・
日本を代表する電子機器メーカーの80%出資の子会社が全面的に技術協力で、共同開発。
全国理美容協同組合が納入業者に指定、現金問屋の大手にて取り扱い開始、桂由美ファッションショウにて採用、・・・
絶対に失敗するおやさまのお知らせは、このような展開で、営業が開始されました。
では、なんで失敗したのか。
日本を代表する某メーカーの電子回路に、不良が発生した。
そこで、おやさまのお知らせだけを頼りに、原因を調べると、
実は製造をしていたのは、その下請けの一個人事業者であった。しかも、意図的に不良部品を使っていた・
さらに、基本の会社に修理した改良品を納品すると約束する一方で、基本以外の別のメーカーに共同事業を意図して、動いていた。
神様の知らせで、探偵社を雇って、密会の現場を写真の証拠に、また、銀行の担当者の会話を録音して、業務妨害の証拠にして、
銀行と企業に、損害賠償の請求をなし、1500万円は得たが、すべてのルートは絶たれていた。
和解のときの銀行の支店長の、哀れむような目は、とても印象深かった。
通れといわれれば、通ると、こんな目にあうという見本であった。

730:基本。
18/11/27 01:06:03.42 JIPZGlba.net
ともかく難儀の底に手を打って待つというのだが、膨大な負債で倒産した。
従業員は50名はいたので、社会保険料の焦げ付き額が長野県内最大であった。
どうしたか。
社会保険担当の課長は、すべての帳簿を改ざんして、なかったことにしてくれた。
社員の支払いのためにサラ金がちょうど開始されたので、最高限度額借りまくった。
やくざさんとは、融通手形の割引と言うだましあいをして、資金をつくり未払い工賃の支払いに当てた。
社会党系の労組にて労働債権確保をなして、やくざやサラ金に渡さず、労働の皆さんに解雇予告一か月分まで支払えた。
そのかわり、やくざの追い込みは厳しく、特に経営相談所推薦の工場長は、経理事務員を脅して
手形を乱発させて手に入れていて、それを渡されたやくざの追い込みはかなりだった。
窓をぶち破り事務所に侵入して、金目のものは盗んでいった。警察は、「あの人たちは悪い人じゃない」と取り扱わない。
結局、名古屋で別件の窃盗で逮捕されたが「元警察官」であった。
そう簡単な修行ではないことは、明白だったが、お上と戦えというお知らせがあったので、真剣にバトルをしたりもした。
基本は、おやさまが、失敗するがやれというから、やってきたのだが、そんなおやさまがというような話、誰が信じるというのか。
そんなものは、いいわけだとみなされて、「人の笑いを」紙はしっかりと楽しまれたであろう。

731:基本。
18/11/27 01:10:04.68 JIPZGlba.net
法廷闘争では、勝てそうな場所では相手を追い詰めなかった。
そんなことして,勝ってしまったら、おやさまの道は通れなくなるからだ。
長野県の公文書が書き換えられていると「証拠保全」の決定を勝ち取ったことがあるが、それはそれ以上、追求しなかった。
当時は、公文書公開関係のニュースが盛んに取り上げられていて、そんな事で時の人になったら、天理教研究家にはなれないからである。
警察にもわなを仕掛けられた。
裁判所とも争った。
それは全て、教理研究のためであった。
あらゆる場面で、頼みの綱は原典であった。身の知らせであった。
今なら3秒でわかることも、三日うなって、思案し続けた。
今より真剣であった。
おやさまのせかいろくぢへの執念の原因を体感した。
失敗するからと、予告されて開始した事業であったが、「八棟八商売」というご神言と「家業第一」が基準にあった。
そして、その理念は、大社高山との戦いなくしては実現しないという、当たり前に、関係者誰もが気がついた。
それは、連戦連敗の基本の事業への不信感となり、
つまり勝てっこない戦いをしている、ドンキホーテへの失望となって、何名かの同士は去った。

732:基本。
18/11/27 01:13:04.58 JIPZGlba.net
今している事業も「ためし」であるが、おやさまは、失敗するとは示していない。
だが、「失敗するよ」という仕事の時には、周囲は極めて熱く仕事にまい進したが、もう覚めていて、簡単に踊らない。
そして、旬を逃し、道に踏み迷う。
それだから今は、言うこと聞かないと病気になり聞くと治る人しか、スタッフにしていない。
教理の実験という、この世のためしという、おふで先を、研究する以上は、
「子富貴」として、おやさまにお見せしなければ、教理にはならぬから。
その意味で、甘露の研究は、甘露を得ることが、研究そのものと言うことになる。
基本の教理が、役に立つとすれば、それがきちんと証明されてからと言うことになる。

733:基本。
18/11/27 01:16:09.36 JIPZGlba.net
おやさまが扉を開いたとき、それが世界ろくぢの道の開始だと、誰も理解できなかっただろう。
真柱さまと、本席さま以外は、教団の先を案じていただろう。
本席が出直したときにも、初代真柱が出直したときにも、それが世界ろくぢの道の開始とは理解できなかったろう。
教団の先を案じてばかりの、情けないうから、やからと言う事だ。
今日は何日、「26日吉祥」と言い残して死んだ。
初代真柱は、おやさまの定命の115才に、間に合うように、神殿普請をして死んだ。
それは、世界ろくぢの道に進むための普請であった。
いさいをおやさまにお任せして通るという、天理教の当たり前が、実現したことがなっかたのに、なぜか天理教はそこにある。
それこそが、最大のご守護なのだろう。
安心してよいのは、旬が来ていると言う事だ。

734:基本。
18/11/27 01:19:05.52 JIPZGlba.net
「首」と言うのは、「手首足首」、うちわを振るときの動かす場所で、「かしこね命」さまの守護の理です。
やけどと言うのは、熱は面足命様のご守護の理で、強く加熱して「水ぶくれ」が出来ている状態と理解します。
皮膚ですから、金銭縁談の事情、また、埃としては「恨みに嫉妬」です。
左足のやけどですから、「道教え」と理解しますと、「やけどしなさい」になります。
通常は、「夜も寝れないほどの痛みの場合」はお叱りと理解して「左は神ですから、神の言う事を聞かなかった」事への手入れと受け取るところですが、
「おやさまに念のためにお聞きした」とのことですから、道教えで、かなり厳しい切羽詰った事情と示す痛みです。
熱は、埃は惜しみですから、神の教えを聞きながら、時間が過ぎても行動ができていない。
対立する相手は「熱」の事情、火が当たってのやけどですから、母親にぶつかって行けと言う道教えと理解します。
またやけどは、大量の水で冷やせば傷跡残さず治癒できるとされています。
薬では、漢方系の「紫雲膏」が最も有効な治療薬です。
つまり、母親と直接対決をしなさいと、基本ならば、そう理解します。
腫れる、膨らむというのは、ふぐの理で、たいしょくてん命様の、切る理。
ですから、分かれる切れるが、埃の実態にあって、不足を抱いていて言うとおりにはしないと言う状態に悟るわけです。

735:基本。
18/11/27 01:22:24.10 JIPZGlba.net
神様は、分かるように知らせて下さいますから、一つ一つ確かめるようにして、
何にやけどしなければいけないのかに、到達して、解決に向かわれるよう、念じております。

736:基本。
18/11/27 01:25:21.88 JIPZGlba.net
おやさまは、用木にては手入りすると仰せられています。
> 中南の門屋があって
> おやさまが、将来いきすがたのつとめ人衆をおさめるところや
> と聞いたことがあります。
「いきすがたのつとめ人衆」をどのように解釈していたかの事情ですが、「生き仏」と似た意味に理解していたのが当時の高弟の解釈であったようです。
この話題については過去に二チャンネル「天理」スレにて解説してありますので、その辺りから、基本を確認して頂けたらと思います。

737:基本。
18/11/27 01:28:41.16 JIPZGlba.net
おやさまの思想として「違いあるならうたで知らせる」という、思想があります。
> それよりも、異端さんが重宝にしてくれたことで、「甘露台三下がり」と言う神の、歌の教えが伝承されたということに、深い意味があります。 二
一ッ、ひろくもんよりさしかけてほんやのもよふしよふかいな 二ッ、ふしんするならぢどりからみさだめつけにやいかんでな
三ッ、みればよふばがじやまになるどこへなほしてよかろうぞ 四ッ、よふばひとつでいかんでなみいつゆうつはせにやならん
五ッ、いつまでしやんしてみてもいづれよおばがじやまになる 六ッ、むりにとれゑとゆはんでなこころさだめてとるがよい
七ッ、なんでもたちものとりはらいあとへたてるがよいほどに 八ッ、やしきないとはおもふなよもとのやしきがあるほどに
九ッ、このうらにいつまでもおいてもらふとおもへども 十ド、このたびぜひがないやかたもらふてたちかへる

738:基本。
18/11/27 01:31:10.69 JIPZGlba.net
この、二下り目には、「よふば」という、現在では教団教理の中では聞きなれない言葉が出てきます。
に下り目の意味を整理しますと、
広く門より差しかけて、本屋の模様をしようかい。 (本屋ふしんの準備とりかかり)>
普請の準備は、地取りから。
見れば用場が邪魔になる。どこに移築しようか。  (その為の用場の移築)>
用場は、一箇所ではなく、三四箇所必要だ。    (用場は数が必要)>
いつまで思案しても、未来には用場は邪魔になる。 (用場の将来・邪魔)>
無理に取れとは言わないが、(屋敷内の)用場は、心を定めて取り払え。
たちものを取り払いして、後に本屋を立てるのが良い。 (用場→取り払い→本屋)>
(用場は)屋敷内とは、思うな。元の屋敷がある。  (用場と本屋の関係)>
(用場)の裏に、神としておいてもらうと思っているが (神を裏に置く思案)>
このたびは是非が無いので、神は本屋普請をして立ち返る。 (本屋普請の意味) >
つまり、「用場」というものが、必要施設、言うなら必要悪として存在していて、
それを取り払わないと、「本屋」を普請できないという、「理」の責めが、歌われているということです。

739:基本。
18/11/27 01:34:41.96 JIPZGlba.net
そして、小寒様製作とも言われていると、この二つの点から考慮します。
資料は、「天理教フリーフォーラム」。私、基本の作詞作曲の4曲が、SONGコーナーに登録されている、
基本の三六二五初投稿の場所であった、サイトです。
その資料を利用させてもらいます。
窓なしの十畳の建物に小寒様が関与していたという資料があります。
この場所には教祖が、「末では、つとめの人衆のいきすがたを納める場所やで」と仰った。(飯降正甚)との話が伝わっています

740:基本。
18/11/27 01:37:23.67 JIPZGlba.net
 〈 窓なし倉といきすがた 〉について
  窓のない倉に、普通の人間は息苦しくて入りづらい。この門屋は、櫟本に嫁いでいた“こかん”さんが、3年の期限がきたので、早く帰って来て、教祖と共に神の御用に着くために計画された関連の建物といわれている。
  月日よりやしろとなるを二人とも べつまへだてゝ(別間隔てて)をいてもろたら 筆9-5 
 しかし、思惑通りのものが出来ずに、この程度の建築になったといわれている。
  “いきすがた”という言葉を、教祖は次のようにも語っておられる。
  明治18年6月29日(旧5/17) 神様の仰せ   
此手入トゆふハ、百姓の一にたすけたさの咄し。
・・・是ヲ誠トヲモエハ、150歳が、180歳が、200歳も、いきたとて、やまずしなずによわりなきよふの道ヲおしゑたい。
そふしてわかき年寄、男女にかぎらず。
此道ヲつけて、此 いきすがた ヲこしらい、唐天竺迄の人ヲ参詣ヲつけて、是ヲみせて、よふきゆさんのくらしをさせたいとの神のせき込。  
「山田伊八郎文書」御教祖様御言葉 敷島大教会編 s48

741:基本。
18/11/27 01:41:01.83 JIPZGlba.net
「生き仏様」として、窓なし蔵に、生き通しの姿で祭っていただけると、河原町初代たちはそれを目標にしていたのではないかと、伝わっています。
これは、「十畳の建物」ですから、甘露台三下がりの「ほんや・本屋」の普請には直接関係ありません。
しかし、ここに示された図には、「よふば」を示していると思われる部屋が、数々出ています。
参考になります。

742:基本。
18/11/27 01:44:11.04 JIPZGlba.net
『 他者との交わりを絶ち、一人大自然の中で、ひたすら虚空蔵菩薩の真言を唱え続けること、
実に100万回途中で行をやめると発狂するとまで言われる荒行である、命を落す危険も十分ある。
だが真魚は、すでに自らの進む道はこれしかないと決意していた。
この行の果てに何かが見つかるかもしれない、かくして彼は、大学から突如として出奔する、吉野・大峰・熊野へ修験道のみちを行く。
 竜神、高野、金剛、葛城、犬滝、海を渡り彼は、室戸岬の崖上に座し、一心に求聞持法を修めていた。
 今まで夏には穀物を断って懺悔の毎日を過ごし、冬には、下着1枚で外に出て行に臨んだ、真理を求める修行の歳月はまたたく間に過ぎ去り、
かれは、「虚空を蔵する」というこの菩薩の名の通り、真言を唱えるほどに心は一点の曇りもなく、澄み渡り、万象を包含するかのように思えた。
体は大自然と一体になり、どこからどこまでが自分なのかも判然としなくなる。
真魚は、その拡大した全身をもって、大自然の響きを聞いた。
おりしも明けの明星、金星が水平線の彼方に輝いている。
だがふと気がつくと、それは「彼方」ではなくなっていた。
今の真魚には、爛々と燃え上がる金星が、ほんの自分の目と鼻の先にあるように思えた。
とそのとき、金星は突如として輝きを増し、すさまじいスピードで真魚めがけて飛来した、と思うといきなり彼の口の中に飛び込んできたのである、
「うおぉーー」体のなかで何かが開花し、意識が大宇宙に溶け込んでいく・・・どれくらいの時間が経ったのか、一気に星を吐き出すと、光が海を金色に染めていった。
明星来影すのちに空海はそう簡潔に記している、金星は、虚空蔵菩薩の化身といわれる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中山みきがこふき話として説いた内容には、「弘法大師」は、十全の守護の理の「八柱目の神・おふとのべ命」様と説かれています。
「天にては明星として、御現われになる」と諭されています。
空海師は、明星を口から体内に入れて、明星になった。
地にてハ、弘法太師さまになったのが、「洞窟修行」の結果であったと言う事です。

743:基本。
18/11/27 01:47:23.70 JIPZGlba.net
言葉といえば、「かしこね命」の守護の理と想起しますが、「真言」は「大戸辺命」様であったという事、
その意味については、読経百万回を洞窟にて行うと言う、密教の修行方法そのものの意味に求める事が出来ます。
中山みき本人は、浄土教の経文や讃歌を毎日称えると言う少女であり主婦でした。
「お経」を唱えると、仏と一体になれると言う、この「称名の利益」の意味として、空海の修行法は、脳を活性化させるといわれています。
つまり「引き出し引き伸ばし」の守護の理。
能力を引き出し引き伸ばすのが「真言・マントラ」を無心に唱える効果だと理解するのが基本です。
そして、真言には「文字を唱える」と言う意味だけではなく、「響き・倍音効果」として、「発声する」という意味がある。
「言葉」と言うよりも「振動。波動」としての「真言」だという事に、「洞窟」や「蔵」に籠もり唱え続けると言う事の価値があるわけです。
中山みきは、立教から三年間「内蔵」にこもって、「おうた」を「お言葉」をうたい続けた。
内蔵の中からの声が、外に、響いていた。
この「倍音効果」を持つ意味において、甘露台三下がりのおうた。
そして「窓無し蔵を建てて、つとめの人衆十人の息を通す」という意味が、その「マントラ」効果に意味を有していたと言う事です。

744:基本。
18/11/27 01:53:06.39 JIPZGlba.net
分かりやすくいいますと、何の修行もしないで、その道の玄人になると言う事は、あり得ないことです。
おやさまのお陰で、自由自在な力が病たすけにおいて仮に得られたとしましても、
それはそれで、おやさまのご守護だから宜しいものですが、「生き通しの神」になると言う事なら、それなりの修行がなければならない。
初期の高弟には、行者であったり修行をしていた、半生の後に入信したが多かった。
一通りは別に宗教を学んでいたとか、「心学道話」」の熟練者であったとか、「易者」においての先生であったとか、
行が行ってあった。
おやさまご自身も、浄土教の修行をなさっていた。
また、おやさまは、ご自身の娘さんたちにも、神社へのはだし参りのような行をさせています。

745:基本。
18/11/27 01:56:10.32 JIPZGlba.net
特におやさまが、内倉にこもられた三年は、「お籠もり」とは修行の一つですが、近隣まで響き渡る声で、おうたをうたわれています。
ひな型の三年千日とした、最初になすべき最大の実践は、「声明」。
「夜昼どんちゃんつとめする」は、これを踏まえてのものと思慮します。
神名流し、これも「声明」。「称名」。
おつとめは、「称名」「称名」。
「声をながす」「声をかける」という、ことの、「正月」は、それがあって、一月二月と次に進みますから、
修養科でなら三月、教会生活なら三年、「南無天理王命」の声を、発声するのは、とても大事な修行と言う事、明らかです。
三日ほど前、耳の少し不自由な人が、基本に一緒に歌って欲しいと、お隣でカラオケを歌いましたが、「耳が聞こえるようになった」と、
当然、未信者さんですし、格別のお求めか髪の知らせなければ布教対象にはしませんので、「お陰話」ではありませんが、
「マントラ効果」があるような声にご守護頂けるなら、
歌声だけでも、病たすけが出来るよと言う、匂いを、神からお掛け頂いたと、常日頃の心使いを反省したところです。

746:基本。
18/11/27 04:39:04.94 JIPZGlba.net
多少の誤解もあると思いますがイメージとしては、ご理解いただけた様に感じています。
> 近所に響き渡るように
そうなんですね、響く声は、称名信仰の必需品ですね。
おつとめとして、なさるのは、普通に「悪しきを払うて」が宜しいと思います。
> 神名を長時間唱えることにより、瞑想状態に至り
> 心が澄んでくるのですね。
振動の問題ですね。
共鳴振動が宜しいようで、密教系の「呪文」は痺れるような振動の声で唱えられます。
地中に埋められて、経を唱え続ける修行もあるようですが、地上に響く声で無いと、直ぐに出されてしまうでしょう。
死にそうかと疑われて。
南無天理王命と唱える神名にはパワーがあるのでしょうか?
それは、おやさまの名です。
おやさまは、パワーの根源です。唱えればおやさまは、お喜びでしょう。

747:基本。
18/11/27 04:59:26.98 JIPZGlba.net
> カラオケを手ほどきしてくださることは出来ますでしょうか?
これは、いつでもどうぞ。です。
ただし、必ず上手になります。
現在は国道153号、豊田市から飯田市に通じる、中馬街道に演歌王の看板の出ている店舗。
「中馬街道演歌王」、諏訪湖の周りで、ガラスの里から岡谷市に向かう湖岸に「天下一」の看板ある店舗。
滋賀県草津市で、「夢うさぎ」という店舗など、各お店のママが、カラオケの生徒さんで、定期的に教えています。
どちらの店舗でも、演歌王先生で教えています。
お近くを選んで、連絡して下さい。
ただし、基本さんではなく、演歌王さんで、お願いします。

748:基本。
18/11/27 05:02:33.25 JIPZGlba.net
おつとめの勤行というものは、神との交流という趣旨があって、それは座禅であっても、読経であっても、意味するところは一つです。
二ちゃんの「天理教教理解説スレ」にて、解説中ですが、
十二下りと言う一人でなすおつとめも教えられてあります。
「名を称える」。と言う事から「称名」信仰と言うものは、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」と念じて称える行の事です。
おやさまの内倉のひな型をお通りになりたいのであれば、「十全の守護の理」。
ご自身の選択で、なされたら良いと思います。
基本は子供の頃、父親が「おかきさげ」を毎朝夕に、暗唱せよとの指示で、唱えておりました。
おさづけを頂かれてあるのであれば、「かきさげ一条」と教えがありますので、
先ずおかきさげは、声を出して暗唱されたら、基本どうりだと思います。

749:基本。
18/11/27 05:07:17.16 JIPZGlba.net
明治二十六年一月十三日 夜二時四十五分
・・・・・・・・・・・・・・・
さあ/\/\/\一つの話、・・・ふでさきにも出てある。
十二下りの理にも出てある、十二下り出て居る。この事情からはい/\、この事情から聞き分け。
たゞ一度の道じゃあろまい。通りたら分かる。
三年これまで楽しんだる、世界明らかと言うであろう。
遠慮気兼は要らんと言うたる。
頼み置いたる一つの理、十二下り一人の身体より治め来たる処、誰が頼りであるか、一人の目当てに入り込んだる、
中々大切、誰が大切、いかなる処も仕上げた。
入り込んだる身体というは、若き者であろうか、学者であろうか、智者であろうか、よう聞き分け。
この道始め掛けたる、草生えの中から始め掛け、どんな事も出てある。もうこれ心さえ曇りが無いと思う。
曇りさえ無くば何も怖わき恐ろしいは無い。
もう一段一寸掛かり掛ける。
一度にも仕上げる。一時の理一時は一代、一つさあ、一代も一年、一年も一代、これ事情にて悟ってくれ。
これまでよりだん/\思やんしてみよう。
嘘は無い。嘘は一つも言うてない。
これ事情にて、互い/\の心を治めてくれるよう。

750:基本。
18/11/27 05:10:08.10 JIPZGlba.net
ご提案ですが、『十二下りの理にも出てある、十二下り出て居る。この事情からはい/\、』
が、「はいはい」で宜しいのではないかと思います。
折角の十二下りです。わが身で声を出しわが身で足を出し、わが身で手を振る。
それが、おやさま直伝の天理教らしい「一人でする勤行」かと、ご提案します。

751:基本。
18/11/27 05:14:35.53 JIPZGlba.net
「はいはい」というのは這い這いです。
よちよち歩きとも思わないことです。
立って踊れるようになったら、やっと、よちよち歩きです。
それから、ものをいう様になったら、三歳です。

752:基本。
18/11/27 05:17:09.22 JIPZGlba.net
隔てが無いと言う事は、「隔離」という行為が無い事。
特別扱いが無いと言う事です。
おやさまの「世界ろくぢ」には、天理教だからという隔離があってはならない。
そこに、意識をおかねばならない。
そう思います。
カラオケ店で、来る人ごとに、相手の心次第に接客したら、「埃・隔て心」です。
相手の歌唱力しだいで接客態度を変えていたら、「埃・隔て心」です。
まして、チップくれたらで接客態度変えてたら「大埃」です。

753:基本。
18/11/27 05:20:08.44 JIPZGlba.net
皆と一緒は、学びです。
お子さんとご一緒が楽しいでしょう。
しかし、精神の修行として、お勤めするのなら、お一人が宜しいかと思います。
今ようやく、真柱派としての自分が、基本として語ることができました。
にっこりさん。
基本は戦士なので、仲良しはしてられないのです。
誰とでもね。
教えの本筋に立ち返る。
しばしご思案いただきたく願います。

754:基本。
18/11/27 05:23:13.51 JIPZGlba.net
           _,r f 几'7ゝ、
         イ>:'::::::::::::::::弋ゝ,
        イ./::::;x:::::::::::::::、::::::`ト}
        ),'::::/:::::::::::ハ::::::i::::i::::::ソ、
        {l::::i::::::l:::::i }:::::!:::|:::l::}::
        ,イi::::::r‐-、:{ イ::ノ-‐}::j:::!::i
      //:イ:::ヘ 斥i  ´ f孑j::|::ノ:ハ
         _ l:::リハ.   ,   ソ:::}:/- 、
        //ハ/、ハ::: ヽ、 ー ./l:::/ '//ハ
     r/////} .弋.  `ニ´  イ ∨///ハ
     |/////リ    /ハヽ    ∨///l
     j/////    .ゝ〈oゝ'    ∨//ハ
     〈////{.     / } ヽ     }////
     ヽ//人       !o     ノ///{
      ゝ‐-,' ` rー‐'" ̄`゙ー‐イ´ゝ-‐ハ
     ,////  _,イ、         ト、 .∨/∧
     .////'r ' />x、_   _,x<  ヽ∨/∧
    ∨//ハ /  ; ヽ ` ̄´  '     }///}
     ∨/∧   ハ  ` 、       ///,イ
     /∨/入   ヽ        . ////、
    ,rイ  ∨  〉、  :.        ,イ ゙̄〉 }、
   .{イ   ヽ/  ゙っ   ':.     .(nnnイ | |ハ
   { |.    ; ヽ 、シ    ':..     ^´  リ/ハ

755:基本。
18/11/27 05:26:05.66 JIPZGlba.net
明治二十六年二月六日 朝
事情願
さあ/\よう事情/\、これまでの事情にさあ/\分からん/\。どんならん。
分からんからこういう日が出て来る。幾日経てども竦んで居る。
今日は起きられようか、明日は起きられようか。顔が懐しなったらどうするぞ。
ワハヽヽヽヽ、さあさあ皆んな勝手ばかり言うて放って居ってはどんならん。放って置くからこうなる。
未だ/\何でも彼でも働か


756:さにゃならん。 これまでの処、だん/\日を送り、どんならん事情から日延べもし、どうなりこうなりこれまでの処、 ワハヽヽヽヽヽヽ、これまでだん/\さしづ/\で日々の処、危ない処も怖わい処も知らし、 こうなる道も知らし、さしづ順序、危なき道を通りたか、よう思やんすれば分かるやろ。 ただ一言のさしづ柔らかなもの、さしづに間違いはあろまい。 心真実の理を見分けるなら、間違うた理はあろまい。これだけ聞き分けて置け。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 笑い声が、響いています。 「ワハヽヽヽヽヽヽ」と、昼に明るい道を提灯に灯を入れて、うろたえている人間心が、本当におかしかったのです。 ここにターニングポイントがありました。



757:基本。
18/11/27 05:46:29.75 JIPZGlba.net
同日、前事情に付会


758:長はじめ役員一同本席の御機嫌伺いに出でし際の刻限 さあ/\早いと思えば早う成る、遅いと思えば遅く成る。難しいと言えば難しいようなもの、なれどよう思やんすれば難しいやない。 思うように成る事が暇がいるというは、よう聞き分け。 皆心運ぶなら、成らん事は無い。始め掛けが是非無く/\身をかくれた。 なれど日々入り込んで居る。入り込んで居るは承知の事でもあろ。 入り込んで始めたる事に、間違うた事は無い。人間の心なら二つに一つは間違う事はあろ。入り込んで居るならこそ、間違うた事は無い。 早く仕上げてくれ。 思うようにならん。間違いの事情もあろ。万事立て合うてある。 立て合うた事も追々治めて、又入り込んで居る処はどうでもこうでも、どうしたとてこうしたとて、話し掛けたら、せにゃならん。 差し上げて了うと言うた初めの理を聞き分け。 一つの道、一つの理、一つ心、これ三つ一つ欠けてもならん。 どう成っても案じる事は要らん。日々盛大の道を見れば、皆頼もしやろ。手を措いて思やん。 折角の道、三里戻れば今度三里行けば十年も掛かる事、ものというは一時に成れば快いもの、 無理々々の理を集めてすればいろ/\の理が出る。 勇む/\と口で勇んだ処が、日々どうよこうよこれが難しい。これをよう聞き分けてくれ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 何をお笑いか、それは、おやさまにもたれ切れない人間の、字なさです。



759:基本。
18/11/27 05:49:21.35 JIPZGlba.net
元々より始め掛けたる話、成る成らん、見る見られんもあろうまい。
建家遠い所見るやない。あちらへ行けば草だらけ、それから踏み込み、だん/\始め掛けた道/\。
怖わい/\頼りさえせにゃよいと逃げて了い、何事も真にする者無かった。
一人の主というは、神の言う事用いらず、今年も商いや、相場や、言い/\皆無くして了うた。
よう聞き分け。何も無い処よりそれ/\だん/\道を付けて来た。
道を付けて来たは神の利やくとも言う。
神の働きとも言う。
それよりだん/\上り/\あちらへ入り込み、こちらへ押し合い、分からん/\、だん/\送りて来た。
もう一段という処どうもならん。余儀無くかくれた。
二年三年後の話、皆前後は知ってあろ。

760:基本。
18/11/27 05:52:06.58 JIPZGlba.net
「建家遠い所見るやない」
陽気暮らしの普請。建家遠い所見るやないと言われたのは、皆の心に潜む、案じ心、不信感の確信を突くお言葉でした。
「道を付けて来たは神の利やくとも言う。」
神の利益によって、道が付く。これが天理教の普請である。
しかし人は、人間思案で道の先を案じる。
「今年も商いや、相場や、言い/\皆無くして了うた。」
けれど、「神の利益で付けた道」。
これが、今の道。今からの道。

761:基本。
18/11/27 05:55:41.38 JIPZGlba.net
             i⌒V´ヽ                    _
             l   l   |               ,.-v冖マ_}7⌒ク-、         /∨ヘ
                  l  l.  |            人_ン'´ ̄   ̄`ヽイへ    |\/    \/|
     ( `ヽ、     l  ∥ l ,.-、     r‐'フ7/            ∨^〉    |   、_」    └z
       ヽ   \    |   l   V  l       {/ '/ _//l ,ィ   /l  Ⅵ_   _」  (乂`)    〈
.     〈 `\   \   |   |  {   l    <人/ /レ`メ、ノ| ,/_」_l_  K`ヽ \          >
      \  \   `ーヽ ノ   ト-  |   く,/ ,イ ≡ミヽ レ/__ ノレl  | トl 〉 <   L )   く
        ヽ  \  '/    j    l   __/ '// | ,,,  `   =≡ 'リ ノ 〉レ′ >         >
.          \  `      ,/    l<i_/\l l l      ,   ,,, // 仆|  <    {__ l l  <
           ヽ      //    j、 \,ハ|ハl、 r'^ー┐   /, /l」_|    〉   (_      >
           ヽ__,   ´  {     / !   Y,ハ N\ヽ_ノ_,. イ l /l        7       ∠_
            ヽ        _/} |     kイ \ `ァ ´ / l/レf⌒ 、     /    |│    /
               \__ ,ノ   / ノ    ト、ハ__、イ又   /, ム⌒}   ヽ    ̄7   ‥    」
               〉`>‐'´ /     |ソ∧// { \/ {/ヽ、ノ     〉     ∨\/\∧/
                 //´ r─<_       | l 〈  ハ ヽ ∨ト 〉    {
             〈/_/      ` ̄`¬、l i、ハ_ノハ_ソ  ノ     \

762:基本。
18/11/27 06:01:56.88 JIPZGlba.net
第10号 18
たん/\とにち/\心いさむでな
なんとやまとハゑらいほふねん
Dandan to nichinichi kokoro isamu de na
Nanto Yamato wa erai honen
Step by step and day by day, the mind will become spirited. What a rich harvest will appear in Yamato!
第10号 16
このひがらいつころなるとゆうならば
たあのしゆりをしまいしだいに
Kono higara itsu goro naru to yu naraba
Ta no shuri o shimai shidai ni
To say when this will come: it will come as soon as the weeding of the rice fields is done.
おやさまは、お筆先十号にて、「やまとのえらいほうねん」を予言されている。

763:基本。
18/11/27 06:04:19.24 JIPZGlba.net
日清間事件に付朝鮮国へ人夫五百人本部より出す願
明治二十七年七月二十六日 朝
さあ/\尋ねる事情、さあどういう事始まる。どういう事聞くとも分からん。
やれ怖わや恐ろしや、分からん。何度の諭してある。事情はふでさきに写してある。今の間にも見えると伝えて、どうでも是非々々残念を現われにゃならん。
ならん中の道から新しい道が見せ掛ける。どういうこうと思うた理を計り、こうしたらよかろう、さしづを以て一つの事情、これ第一の事件、第一話までの話であろう。
ほんに出来たかいなあ、一つの心一つ治める。今一時の道は、怖わき恐ろしい道を通らねばならん。
未だ柔んわりと諭する。
それより人夫一つの理を以て一つ防ごう一つ抑えよう、大概もう世上の処、要らざる事やなあ、
一つには道のため果たしてみよう、聞いたる道が出来て来た。大概の理は諭したる。
これまでうか/\聞いてはならん。
幾日日柄月柄楽しう理了い次第と言うてある。
五月五日より始まると言うて、今見えるというも何年以来に伝えてある。
多く話伝えて居る。
一時早くの理に人夫と言えば一寸俺も/\と言う。これも道で一寸には集まる。
今一時集まり難くい。一日一日迫り来る事情お前もな/\。
一時の処は応法些かなる印までにして未だ/\治まらん。
どうでも治めてみせる。
遠く所へ出越す。大いの心を働くと言う。難しい理を尋ねる。
さしづの理を以て掛かれば一つの道明らかと言う。
これまでの話の理に心を寄せ、一時一寸の理を運び、一度二度未だ是非々々の道があるで。
それ/\話詳しく伝えて、一時の道を通ってくれるよう。

764:基本。
18/11/27 06:07:23.15 JIPZGlba.net
大和の豊年は、「楽しう理了い次第」と、おふでさきに知らせたことは、>>708 明治26年2月6日、「26・26」のお指図にて、説明がされています。
おふでさきでは「たあのしゆり」と責められています。
「the weeding of the rice fields is done.」
weeding of 除草。がお仕舞いになってと、その豊年の訪れは、予言されました。

765:基本。
18/11/27 06:10:46.94 JIPZGlba.net
第4号 75
だん/\とくさがしこりてみちしれす はやくほんみちつけるもよふを
前お歌参照 しこりて:はびこるの意。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第4号
いまのみちなんのみちやとをもている なにかわからんみちであれども 1
このさきハをふくハんみちがみへてある もふあこにあるこゝいきたなり 2
このひがらいつの事やとをもている
五月五日にたしかでゝくる 3

それよりもをかけはぢまるこれをみよ よるひるしれんよふになるぞや 4
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、五月五日に始めかけると予言されたおふでさき四号の予言の「第一話」の事件は「日清戦争」であった。
それは、「草」がしこっている、はびこっているから、起こる「神の立腹」の予言と言う事であるけれど、合図たてあっているから、
それは豊年の道の開始の合図でもあると言う事です。

766:基本。
18/11/27 07:44:59.51 JIPZGlba.net
つまり、豊年の道には、五分五分の理があって、五つ理を吹くの、豊年の旬なのだが、戦争と言う「神の立腹」の旬でもある。
豊年の道は「非戦」の道であること、これはキーワードですが、
その為には、当然に甘露が先に、降っていなくてはならないという、当たり前の「ご利益」が必要なわけです。

767:基本。
18/11/27 07:49:29.12 JIPZGlba.net
人は、幸福に暮らしたくて、生きています。
結婚も、家族も、交友関係も、本来は幸福に暮らすための人の暮らしです。
しかし、人は幸福であろうとして、色々な欲に絡めとられます。
結婚は二人の世界をつくる事であるとしても、欲の為に暮らしたいるだけという真には心の通っていない二人になっていたりします。
天理教会は、人を幸福に導くのが使命ですが、幸福になるためにはと、「注文の多い料理店」の教会は、実は「信者を食べてしまう」教会ですね。
天理教団の本筋は、そういう「注文無しに」幸福に助けあげてくれる、おやさまの道です。

768:基本。
18/11/27 07:52:16.83 JIPZGlba.net
おやさまの逸話編をよめば誰でも分かる事ですが、おやさまは、たすけてくださいに対して、お助け下さるだけです。
そして、たすけられた礼をしたいと申し出た人には、教えていますが、たすけた人にお礼を求めたり、御礼の仕方を教えてはいません。
天理教団の本筋は、おやさまのひな型です。
人を幸福にするだけの、施す一方の天理教団が、本筋にあたります。

769:基本。
18/11/27 07:55:17.07 JIPZGlba.net
そこで、王道を、天理王の王道を行かんとする精神定めが第一です。
雑音には耳傾けぬことです。
人の道には心向けぬことです。

770:基本。
18/11/27 07:59:08.28 JIPZGlba.net
甘露の研究は、当分の間、実験中にて、30年ほど、語りません。
春です。
お互いに陽気に暮らしましょう。

771:基本。
18/11/27 08:02:11.47 JIPZGlba.net
四月四日より
 このはなしなにの事をばゆうならば にほんもからもてんぢくの事 7
 これからハせかいぢううを一れつに 月日そふぢをするでしよちせ 8
 これまでもせへいゝばいにことハりを 月日だん/\ゆうてあれども 9
 くちさきでゆ


772:うたるまでハたれにても たしかしよちをするものハない 10 中山みきは、明治9年、おふでさき12号にて、「四月四日」よりの予言を記した。 中山みきは、自身の定命を20年縮めていたが、本来の定命、115歳は、 教祖誕生は1798年、定命は115才、1913年。 ここで、いちど白紙になり、翌年から新たな一を始める理であった。 四月四日は、数理44年。1913年の翌年から44年目は1957年。 この時、東海村に、日本で初めて、原子力発電の火が点った。 http://showa.mainichi.jp/news/1957/08/post-a59b.html 「原子の火」初めてともる これが、中山みき、四月四日よりの、予言の実現の第一歩であった。



773:基本。
18/11/27 08:06:13.63 JIPZGlba.net
スレリンク(psy板:58番)
> 明治15年、中山みきは、明治政府に甘露台石の没収と言う弾圧を受けている。明治15年お筆先17号には、
> このはなしどふゆう事にをもうかな ふでのさきがなみへてきたなら 24
> お筆先でのみきの予言が見えて来た時が、おやさまの本来の道が見えてくるときと、理は知らされていた。
それでは、お筆先17号には、どのような予言がなされているか。神の残念の予言であり、26日と告げられていた。
 この日ハないつの事やとをもている 廿六日がきたる事なら 46
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 教祖誕生は1798年、そに定命は115才、1913年。
そこから、26日の数理は26年、1939年。
 1939年. 9月1日, 第二次世界大戦開始。
「このはなしなんとをもうぞみなのもの 神のざんねんゑらい事やで」
まさに、皆の心通りに、第二次世界大戦が開始された。
中山みきは、こういう高山の闘いを治めるために、天理教を開始したのであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
谷底支配のために戦争を仕掛ける高山の手法を、封じ込める神に「そふじ」は、
「核」に手を出させる事から開始されました。

774:基本。
18/11/27 08:10:06.34 JIPZGlba.net
米国は、拡大する反核運動に対し、「核の平和利用」を打ち出し、日本に原発を造らせました。
最初は被爆地広島に原発をという米国でしたが、その目的は、
『「原発建設は日本に経済、政治の安定をもたらす。
それは日本の軍事力、ひいてはアジア自由主義陣営の軍事力を強化する」と説明した。』
そして、読売正力松太郎と言うマスコミ協力を利用して、米国は、日本を「核基地化」していく。
『広島は建設予定地から外れたものの、その後、日米間で原子力協定が結ばれ、
「原子力基本法」に続いて、1956年1月には総理府に「原子力委員会」(初代委員長正力松太郎)が設置され、
日本での原発立地は着々と準備が進められた。』
「四月四日」は、このようにして、高山は支配のために「核利用」をすすめ、
高山では管理すら出来ない、取り返しの付かない、核施設は、日本に設置されたと言う事です。

775:基本。
18/11/27 08:14:20.35 JIPZGlba.net
1957年、予言の「四月四日」に、開始された、東海村の核の火は、
1999年9月30日に、東海村JCO臨界事故 を迎えました。
30日は、みそかです。
中山みきが、おふでさき一号で、「正月三十日と日を切っておくる」と予言した、三十日の刻限。
 一寸はなし正月三十日とひをきりて をくるも神の心からとて
第1号 39
この予言は、明治二年、1869年から、1月30日は数理130年。
1999年、東海村の臨界事故として、神の宣言どおり送られています。

776:基本。
18/11/27 08:18:09.24 JIPZGlba.net
明治七年、中山みきは、こう宣言をした。
「親神にとっては、世界中は皆我が子。一列を一人も余さずたすけたいのや」
これに対して、「まことの神であるならば、この身に罰をあててみよ。」と、挑発を受けて、こう宣言した。
「火水風ともに退くとしれ」
明治2年は1874年の宣言であった。
そこから、「五つ理を吹く・神の立腹」、5×5×5=125年の事。1999年。
1874年の宣言を1と数え始めると、数理正月二十六日は126年目。1999年。
@四月四日に開始された「神の掃除」は、1999東海村原発臨海事故をもって、「正月、第一章の三十日」をみた。
原発事故は「火水風」に反した人間のおごりへの、神の返し・
しっかりと、中山みきの働きを、みておく事だ。

777:基本。
18/11/27 08:27:42.23 JIPZGlba.net
汚染水12トン海へ流出か 福島第一原発 ストロンチウム含む
2012年4月5日 13時58分 東京新聞
東京電力は五日、
福島第一原発の汚染水処理システムの配管から高濃度のストロンチウムなどを含む汚染水十二トンが流出したと発表した。
配管のホースがつなぎ目から抜けたのが原因。
汚染水は排水溝を通って、ほとんどが海に流れ出た可能性がある

778:基本。
18/11/27 08:31:19.26 JIPZGlba.net
高山は「戦い」に、軍事行動によって支配している。それは、最強の武器を持っているからである。
その中でも、最強の軍事高山の米国の、中心思想は「聖書原理主義」である。
「聖書原理主義者」から見たら、イスラムも仏教も神道も、土俗の宗教は全て、聖書に支配されると言う。
「天然自然・月日によって、」現実の「豊年」を封じられた米国は、
米国のエネルギー支配力のある内に、世界を支配下におく必然性に迫られている。
だから、米国もまた「エネルギー基地」を攻撃している。
北朝鮮に対しても、原発に圧力をかけていて、シリアにも核基地に圧力をかけている点では共通している。
ギリシャを債務奴隷化した理由は、ロシアの石油パイプの通路だからであり、イランの石油を取引封鎖しているのも、同じ意味である。
他国の「燃料・エネルギー」を支配する米国が、その心どうりに、中山みきからの返しを受けるのは、天理である。

779:基本。
18/11/27 09:10:36.48 JIPZGlba.net
311・福島は、米国高山の「手先」であったから、天災を受けた。
核による支配の、経済支配の手先としての「にほんの唐人」がいるから、天災は、「地震・大風。水つき」は容赦なく襲う。
竜巻か?電柱15本ポッキリ、ぐにゃり 滋賀・近江八幡
2012.4.4 00:48
「送電設備」による支配を一撃したのは、まさに「天災」の意味を明示している。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中山みきの予言は、確実に、現実世界を世界ろくぢを、「かわいい」「こわい」で、諭している。

780:基本。
18/11/27 09:24:59.19 JIPZGlba.net
<大飯原発>関連工事 おおい町長が役員の会社が大量受注 毎日新聞 4月6日(金)15時1分配信
 関西電力大飯原発の地元、福井県おおい町の時岡忍町長(74)が取締役を務める金属加工会社「日新工機」(同町)が10年までの6年間に
関電発注の原発関連工事を少なくとも65件、計4億4800万円受注していたことが分かった。
直接受注だけでも19件、約3億円分ある。大飯原発3、4号機の再稼働には、福井県やおおい町の同意が前提とされており、
町関係者は「原発と利害関係の深い町長に公正な判断ができるのか」と指摘する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
利益誘導で、地元の有力者を「唐人側」に取り込む。
今までもこれからも、高山の唐人が用いる手法だが、それは原発の腹黒い正体の姿である。

781:基本。
18/11/27 09:27:16.32 JIPZGlba.net
唐人の米国高山は、アルカイダ追討の舞台に、核保有国パキスタンを利用したが、
オサマ暗殺は結果的にパキスタンの人心を反米に染めた。
その撒いた種が、生えて、テロ活動は活発化してしまって、こういう事案になる。
そして、マスコミは、こう言う事案は報じなければならないから、情報操作の時間が制約される事になる。
唐人は、やりにくい事だろう。

782:基本。
18/11/27 09:30:11.72 JIPZGlba.net
以前にもありました。基本さんの投稿が書き込みできないと言う事態。
そこで、「しずちゃん」を利用していますが、「新スレはこの板では立てられません」との事で、
甘露スレに、中山みきの 予言を、書いています。
みのもんたの、高山唐人様御用達の報道姿勢は、TBSを、汚染したと言う事でしょう。
それほどに、困っていると言う事です。
黒の基本は、みのもんたの、プロパガンダこそ、『お払いさん』とみなしています。

783:基本。
18/11/27 09:53:29.61 JIPZGlba.net
できるだけわかり易く書きます。
明治20年は1887年です。
神の返しは1月26日に開始されるとの予言がなされていて、その、扉開いた1887年の刻限予言は、「山を刳り貫く」は、
五つ理を吹くの、五の三乗125の数を1887年から数えて、2011年の同月同日、311福島原発事故で予言実現開始となっていることは、これまでにも述べてあります。
それは、何に対する神の返しかといえば、明治19年の中山みきへの投獄と拷問に対する神の返しです。
三十年に一度と言う寒波の牢獄で、板の間に寝起きさせ、昼はさらし者にし、中山みきに休息を与えず、
さらには水をぶっ掛けて、殺してしまおうとするほどの、徹底ぶりでした。
「稿本教祖伝」には、お久は水をぶっかけさせなかったと、お久にまつわる事実として、記録されています。

784:基本。
18/11/27 09:56:09.82 JIPZGlba.net
> 「稿本教祖伝」には、お久は水をぶっかけさせなかったと、お久にまつわる事実として、記録されています。
URLリンク(www.geocities.jp)
『・・分署にお居での間も、刻限々々にはお言葉があった。すると、巡査は、のぼせて居るのである。
井戸端へ連れて行って、水を掛けよ。と、言うた。しかし、ひさは全力を尽くしてこれを阻止し、決して一回も水をかけさせなかった。
 或る日のこと、
「一ふし/\芽が出る、・・・」
と、お言葉が始まりかけた。すると、巡査が、これ、娘。
と、怒鳴ったので、ひさが、おばあさん、/\。と、止めようとした途端、教祖は、響き渡るような凛とした声で、
「この所に、おばあさんは居らん。我は天の将軍なり。」
と、仰せられた、』
この、弾圧・拷問は、『教祖が御苦労を了えられて、三月一日(陰暦正月二十六日)』までの期間であった。
『三月一日(陰暦正月二十六日)』 
この、正月二十六日から、陰暦時代の天の将軍中山みきの残念への「返し」が開始された。
1886年三月一日  (陰暦正月二十六日)が、1となって、126年。
2011年三月一一日  311・福島は、中山みきの「返し」の開始を示して「11日は十分始まりの日」である。

785:基本。
18/11/27 09:59:19.56 JIPZGlba.net
扉書きには明治13年1月ヨリ(1880/1)とある、中山みきのの予言は、
 明治13年1月 第15号 13
 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも



786:雌冾フ腹がはじけたと、神の大立腹を予言している。 みきが扉開いた後の本席(飯降伊蔵)からの「刻限」お指図で予言、明治20年3月11日の予言と内容が一つである。>>655-656 これは、おふでさきの予言であるが、 13年1月→131との数理で、執筆の1880年から131年は、2111年、東北大震災が起きている。 きちんと、この世が中山みきの理の世界である事を、示すように、 幾つもの予言は一つ事を示していて、それは、「大社高山取り払い」の、正月二十六日に開始されると言う予言です。



787:基本。
18/11/27 10:02:12.89 JIPZGlba.net
おふでさき四号には、6月について、このように理が知らされてある。
 第4号 119
 けふの日ハなにがみへるやないけれど 六月をみよみなでかけるで
Today, nothing can be seen, but be watchful! In the sixth month, everything will begin to appear.
この執筆時1794年6月には、中山みきは、証拠守りを渡している。
2012年 6月は、20126であり、126と言う数理の旬となっている。

788:基本。
18/11/27 10:05:18.88 JIPZGlba.net
「火水風」の高山への返し。
それに巻き込まれて被災しないためには「証拠まもり」がある。
それは、「心の守り」である。
おやさまに守って頂くしかないが、それには、中山みきの神名と名誉と尊厳をお守りする事。
中山みきは、人間の親神である。

789:基本。
18/11/27 10:08:07.20 JIPZGlba.net
高山の唐人は、神をも恐れていない。
天災も恐れてはいない。
金儲けだけ考えている。

790:基本。
18/11/27 10:11:03.86 JIPZGlba.net
青葉山と言う山があります。
福井県高浜町と京都府舞鶴市との境にそびえる山、昔に火山活動によって出来た山です。
URLリンク(www.geocities.jp)
断層の真上に原発3基
--------------------------------------------------------------------------------
 敦賀原発、美浜原発、新型転換炉「ふげん」、高速増殖炉「もんじゅ」などが集中している若狭湾の敦賀半島にも多くの活断層が確認されています。
 中でも敦賀原発1、2号機、ふげんの直下を走っている「浦底断層」は、周囲の海底の断層とつながった長大な活断層である可能性が高く、もしこの断層が動けば大惨事はさけられません。
特に老朽化した敦賀原発は心配です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いまゝでわ人の心のしんちつを
しりたるものハさらになけれど   19
さあけふハどんなものてもしんちつの
むねのうちをばたしかあらハす   20
これさいかみなあらハした事ならば
むねのそふぢがひとりでけるで   21
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
唐人の本心が、さらけ出てきたら、にほんの人は、唐人に踊らされる事はしなくなります。
見ていましょう。
唐人の心の醜さを。

791:基本。
18/11/27 10:14:27.69 JIPZGlba.net
「沈まない太陽・米国のエネルギー危機」
こんな報道がありました。 朝日新聞。
 米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ委員長は6日、不具合で停止中のカリフォルニア州南部のサンオノフレ原発を視察した。
三菱重工業製の蒸気発生器の配管が破損し水漏れが起きた問題について、「非常に珍しい現象で、深刻な問題だ。
原因を究明し、安全が確保されるまで再稼働はしない」と述べた。
 視察後、近くのダナポイントで記者会見した。蒸気発生器についてヤツコ氏は
「放射性物質を外界に出さない壁の働きをする、安全上極めて重要な部分だ。我々が通常目にする現象ではない」と指摘した。



792:Q年前に納入したばかりだが、3号機で破損、原子炉が緊急停止した。蒸気発生器の設計自体、米国で珍しいタイプだという。  定期点検中だったもう1基の2号機でも配管摩耗が見つかった。 原因究明に時間がかかれば夏場に州南部が電力不足に陥る懸念もあり、 閉鎖した発電施設を復活させる案なども州内では浮上している。(ダナポイント=藤えりか) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 核に手をつけたと言う事は、中山みきの返しの開始であった。 原発事故の問題は、相変わらずマスコミは報道しない。



793:基本。
18/11/27 10:17:27.47 JIPZGlba.net
 誰が唐人で、誰が唐人では無いのか、見えてしまうから怖い時代だ。
 みのもんたが、朝ズバでの論客たちは、唐人みのもんたの同調者、つまり、お仲間だったと言う事に見えてしまった。
しかし、みのもんたと、中山みきでは、能力が違いすぎるのだが、理解できないだろうな。
唐人さんの脳は、空洞の「から」としか思えない。

794:基本。
18/11/27 10:20:34.47 JIPZGlba.net
おやさまは、こんな予言をなされてある。
真之亮の手記に、
(明治19年)この年、七月二十一日(陰暦六月二十日)教祖は、
「四方暗くなりて分りなき様になる、其のときつとめの手、曖昧なることにてはならんから、つとめの手、稽古せよ。」
と、仰せられたと誌して居る。
大噴火というものは、震度9の地震があれば、火山は大噴火する。
四方暗くなるとは、大地震M9。→ 大噴火 → 世界中を雲が覆うと言う事である。
おやさまの口伝の予言である。
1886年から126年。6月。
これは、特別な旬になる。

795:基本。
18/11/27 10:24:04.35 JIPZGlba.net
その日。陽気な日にしたい。
教祖は1798年6月に生まれた。
それから、115才が19131年。
そこから99年たったら、2012年。
214歳の誕生日の、2012年6月。
99年たったら、みな心の生まれ変わりをし、お祝いに、非核を宣言して揚げたい基本です。
現実は、世界暗くなる方向に、高山は唐人は、悪巧みの只中。
中山みきのお働きさえみていたら、安心です。
みていれば、お働きは、ますます盛んです。


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