中山大亮が真柱となってからの天理教を予想するスレat PSY
中山大亮が真柱となってからの天理教を予想するスレ - 暇つぶし2ch500:神も仏も名無しさん
18/11/01 22:41:05.83 RwBASuqf.net
>>441
おさづけ貰うために
家屋敷売り払ってまで来た海外の信者さんおったからな。
すげーガッカリしてたぞ

501:神も仏も名無しさん
18/11/06 01:39:40.48 jNvZiW6I.net
彩華の本店、なんであんな車がないと行けないような不便なところにあるんだろ?
他の店もみんな駅から遠い。
オークワの方は開店時間が遅いし。
敷島郡山前にあった屋台の彩華時代の方が美味いと思うのは俺だけか?

502:神も仏も名無しさん
18/11/06 21:03:26.04 5WgkOUP1.net
>>470 真柱じたいがあれじゃねえ・・・
こんな新興宗教のために家屋敷売り払う?
これぞ文字通り「屋敷を払うて 田売りたまへ テン貧乏の命」だわw。

503:神も仏も名無しさん
18/11/07 17:55:30.33 Y9sv8TvB.net
「100Fes」なんていうオナニー行事の動画を見たが、末期症状としか思えない
もう教会関係者だけの宗教になった感じしかないわ・・・・・

504:神も仏も名無しさん
18/11/08 11:14:42.81 fdKgPUYL.net
在とエッタとドーワかよ。

505:神も仏も名無しさん
18/11/08 23:10:57.33 yvVzBa7J.net
社会学コメント欄より
URLリンク(tenrikyosyakaigakulabo.com)
あるツイッターより
>笠岡系の高屋分教会の信者さんは給料袋を封を切らずにそのまま渡しています。
高屋が怖いから皆いいなり要するに奴隷です。
誰でもいいから高屋分教会の悪行三昧を拡散して~。<
怖いから皆いいなり、とは!こんな搾取を放置していていいのでしょうか?
信者達は偽教理で時間をかけて心を縛られ、お供え至上主義を信じ込まされ、
神の報復を恐れているのでしょうか?洗脳の怖さです。
こんな恐ろしい事が平気で出来る教会長の神経が信じられません。
世間を知らず井の中しか知らずにいると、かような理不尽も善き導きだと思ってしまうのでしょうか。
こんな


506:社会悪を野放しにしていて良いものか。 天理教によって脅され生活困窮にあえぐ人々が少なくともこの教会の周囲にいると言う事実。 陽気暮らしの天理教の実態をもっと世間に広く周知させなくてはならない。 犠牲者をこれ以上出してはいけない。



507:神も仏も名無しさん
18/11/08 23:24:33.01 fdKgPUYL.net
在とエッタとドーワだからしょうがな

508:神も仏も名無しさん
18/11/09 01:01:20.32 IBMuX27w.net
三笠宮もエッタの一族だしな。

509:神も仏も名無しさん
18/11/09 06:24:29.24 s6EabCFC.net
洒落神戸。ドーワエッタ在日。

510:神も仏も名無しさん
18/11/09 11:36:30.31 s/iBUUlD.net
天理教内には、妬み合いが多いそうです。
神様も、世界にも数は無いっていうくらい、教内の妬み合いは多いらしいです。

511:神も仏も名無しさん
18/11/09 21:14:35.29 fz+7Pl33.net
>>475
訂正があったようですのでこちらでもその旨掲載。
URLリンク(tenrikyosyakaigakulabo.com)

すいません訂正があります。先ほど給料袋を封を切らずと言いましたが、
正しくは〇〇の部内教会が祭典などで信者さんからのお供えを封を切らずに
そのまま〇〇教会に渡しているです。改めて訂正します。

512:神も仏も名無しさん
18/11/09 22:26:56.60 XbuGpOHZ.net
【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】
オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。
創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。
創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。 j
創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。
池田大作先生を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです nG
備考 その他の入ってはいけないランキングです
アレフ、統一教会、顕正会、エボバの証人、法の華
創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ)

513:糖質ですが
18/11/18 14:44:01.98 VE3qjmXK.net
自由民主党のお仕事。
URLリンク(hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com)
世の中の女性のすべてが必ずしも「女」になれるとは限らない。
髪の長い短い、巨乳貧乳、これらの中から「五行」目として「女」を作らなければならない。
(陰陽五行説)
髪の短い中国女の「心」をカントからアプローチすることは無理だった(文化大革命の失敗)。
舜の心が知りたいという髪の短い女と、「私たちの心が知りたい」という髪の長い女は
対立したし、
勉強ができない男は「異端」とされ、どの女も「にゃんにゃん」というのが「神の国」
だとされた。

514:神も仏も名無しさん
18/11/19 18:37:57.58 Ey1Gm2eQ.net
大亮がなろうと他の兄弟がなろうと誰がやっても変わらないだろ!
大亮なんて名前だけのお飾りで運営は役員たちが行う�


515:セから今と変わるわけがない 衰退の一途をたどる未来しか見えない・・・・・



516:|男|名無し湯|女|
18/11/22 05:25:01.45 p8WC+Yp0.net
>>483
とにかく「かなめ会」を教内から締め出すか、さもなくば始末してしまわないとね。

517:基本。
18/11/23 12:24:34.24 GY3UNDP+.net
第2号 40
高山に火と水とがみへてある たれがめへにもこれがみへんか
Takayama ni hii to mizu to ga miete aru Tare ga me nimo kore ga mien ka
I can see fire and water in the high mountains. Can you not see this with your own eyes?
上に立つ人々にも親神の守護が分かりかけているのに、人々にはこれが分らんのであるか。
註 火と水は、「火と水とは一の神」と教えられているように、親神様の御守護を意味し、
又、特に親神様の絶大なお力を現実にお現し下さるを言う。火とは燈火もむ火、体温も火、火災も火である。水とは飲用水も水、雨も水、身体の水気も水、つなみも水である。
↑ 解説は、宗教家のお仕事だが、おふでさきは、
現時点、「産業高山」「電力高山」には、「火」と「水」が、見えてあるという宣言になっている。
地震は「天日火の海→じしん」と悟るなら、
「余震」ではなく「ほんしん」を神が用意していると、いう思案は基本である。
早く、関西に製造を戻さないと、日本の製造量は、中山みきに、たたき潰されると、
それは、見えないのだろうか。
上の統治術を、急所への一撃で潰す。
この、100年単位の戦いに、眼を開いて、天理を知る事になる。

518:基本。
18/11/23 13:13:16.08 GY3UNDP+.net
竹中さんのコメントがありました。
誤った議論の代表は「復興税」だ 慶応大学教授・竹中平蔵
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
それには、復旧、復興、その後の改革を一体化し、迅速かつ切れ間なく行う必要がある。
東北の農業を単に復元するのではなく、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)対応型の強い農業にする。
街の再建では完全エコタウン・防災都市に仕上げる。
市町村合併を進めて強固な基礎自治体にし、東北の地方分権を本格化させる…。
そんな構想力と、それを実現するため、戦後の安定本部(「安本(あんぽん)」)のように縦割り行政を超えた強力な「復興安定本部」が必要だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
政府批判の形を取っていますが、「経済高山」の本心がきちんと見えていて、大変、よく意味が分かります。

519:神も仏も名無しさん
18/11/23 13:26:36.79 GY3UNDP+.net
統治術そのものから、語るなら、福島県のペットボトル用キャップが全国製造の10割というような手法です。
そこを抑えておいたら、ペットボトル飲料の全生産量は自動的に把握できてしまう。
こういう手法です。
自動車関係、電機関係でもこういう手法を用いたら、小さな部品1品を独占化していれば、全てを支配してしまえる。
財閥は、大きな商社ではあるが、小さな資源、今風に言えばレアメタルは、絶対に寡占化を保持していて、競争原理を持ち込ませていない。
それを東北では、製造業として、世界の「レア部品」寡占をなしていたわけです。
「甘い露」ならぬ「永遠に甘い汁」のシステムを構築していたという事です。
それは、「高山」の誰にも気づかれぬ「横暴」。
キチガイ婆さんが、天日火の海活動で、力比べするのは、高山への神の返しです。
神の返しとは、して返せば、神の仕返しと言う意味です。
高山さんたち、相手は、人間では無いのですよ。
無謀なわがままは、神の返しにあいますよ。

520:神も仏も名無しさん
18/11/23 13:31:13.77 GY3UNDP+.net
第10号 104
たん/\とこのみちすじのよふたいハ みなハが事とをもてしやんせ
Dandan to kono michisuji no yotai wa Mina waga koto to omote shiyan se
Take each course of this path as your own matter and ponder.
容態・ようだい。
おやさまが高山の「上」に、神の自由を見せて、親神を信頼しもたれるようになる、道筋の容態は、
それを、わが事と思い思案するようにと、↑ 知らされてある。
高山対親神の問題は、わが事なのだ。
自然エネルギーの普及阻む勢力と戦う孫正義氏 この問題を、見る場合も同じである。
URLリンク(news.livedoor.com)
米国に踊らされた日本政府は国策として原子力発電を進めてきた。
これほどの大事故を招いていながらその姿勢を変える気配はない。
 「自民党は電気事業連合会の言いなり、民主党は電力総連に骨抜き。メディアは電力会社から広告漬け。
(そうしたなか)自然エネルギー計画をどう着地させるのか?」、ジャーナリストの上杉隆氏が質問した。
 孫氏は「原発は国民の一番の関心事。啓蒙してゆくこと。これが王道」と答えた。
 心配症の筆者は、原発に反対していた佐藤栄佐久・前福島県知事に孫氏が重なる。佐藤前知事の逮捕容疑は収賄だが、
佐藤氏自身「原発反対も逮捕理由のひとつ」(18日、日本外国特派員協会)と捉えているのである。
 政権はあらゆる規制を駆使して自然エネルギーの普及を妨害してくるだろう。マスコミは孫氏を絡めてネガティブキャンペーンを張ってくるだろう。
 筆者は上記(「佐藤前知事」「政権による妨害」「マスコミのネガキャン」)を説明したうえで孫氏に「具体的に対抗策を考えているのか?」と聞いた。
 孫氏は「損害を被ることもあるが、それでも正義を通さなければならない時がある」と決意を示した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

521:基本。
18/11/23 13:38:02.17 GY3UNDP+.net
エネルギー問題に首っぴきで取り組んだ結果、
「今、日本人を不幸にしているのが原発問題」、「批判ばかりしていてもしょうがない」として「自然エネルギー財団」を立ち上げることを決めた。
アメリカでは昨年から太陽光による発電コストが原子力発電を下回るようになった。
孫氏は世界中の科学者100人を集めて太陽光発電を中心に自然エネルギーの普及を目指す。
・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、東電が行ってきた事を、学者を大量動員して「原発」に向けてきた事を、
「太陽光発電」に向けて、同じ事をしようとしているに過ぎない。
「学者の動員」それは、「高山の特権」そのものであり、一列隔てなく、
「太陽光」に、絞り込まず、自由な研究を学者に保証しなされていない点で、何一つ変わっていない「高山体質」が見えてしまう。
誰の心にもある、間違いと言う事だ。

522:基本。
18/11/23 13:41:07.13 GY3UNDP+.net
高山の統治術には、情報操作は、圧倒的な武器になっている。
デジタル大辞泉の解説.によれば、コマーシャリズム 【commercialism】とは、
商業主義。営利主義。「―に踊らされる消費者」
・・
政財官の高山が、「財。経済界高山」のCMを、「マスコミ高山」にて垂れ流していて、
原発推進は、まさにコマーシャリズムそのものだから、
「営利の為の原発推進」は、止めたくない「高山」の事情となっている。
核は、人間が扱うには厄介なものであり、原子爆弾と言う登場の仕方のように「核」は、高山にとっては「武器」でもある。
それを、永続的に支配することは「高山」の欲高慢にとって、魅力的。
だから、統治術の全てを用いて、原発の推進再開への道筋を、高山は空けようとする。
「上と神」。
真の支配者は、どちらなのであろうか。

523:基本。
18/11/23 13:44:23.97 GY3UNDP+.net
ここで、しんばしらは、全おふでさき中、二首です。
せかいぢうむねのうちよりしんばしら
神のせきこみはやくみせたい
第3号 51
このたびハうちをふさめるしんばしら
はやくいれたい水をすまして
第3号 56
世界中、と、このたびはの内。
二首あるという事です。

524:基本。
18/11/23 13:47:40.86 GY3UNDP+.net
>>440
さて、肉体的欠陥は、それが劣るのと、唱える事は、精神のみの存在としての「自己」に、
自覚が至っていないからである。
神の貸し物だから、「欠陥が無いはずだ」とは、天理を侮っている。
そんな自分の都合優先の「神」しかイメージできないことが、「精神の未熟」を物語っている。

525:基本。
18/11/23 13:51:17.75 GY3UNDP+.net
>>449
どんな借物をお借りしていても、それを用いるのは人間である。
そこに、研摩が大切で、使い道を間違えないことだ。

526:基本。
18/11/23 13:54:18.49 GY3UNDP+.net
刻限御話
明治二十一年九月七日(陰暦八月二日)午後四時四十五分
さあ/\/\余の儀外の儀やないで/\/\。
さあ/\一廉一つの事情改める/\。さあ/\一つ事情改める。
さあ/\しっかり聞き分け/\。
日限の刻限改める。すっきり改め、日々の処改め。
どういう事改める。これまでの処、日々取次の処、扱って早く聞き分け/\。
日々一つの事情取次処へ、何かの処すうきり改める。
日限の事情、これまで日々の取扱い深きの処、繋ぎ合い深きの事情、さあ/\尋ね一条から又聞かそ。
すっきり改めるからすっきり改め。
日々出替わり遠くの所受け取りてある。
知らして居る者もある。互い/\契り結んだ理を立て、契り結んだ理を立てゝ、これまでの処何人も居る。
一人の理では何ぼの人にも成りたないと、これよりも言う者はこうで成りた、俺はこうやとこれまでの処分かり難くうてどうもならなんだ。
これから幾名何人ある/\、めん/\の処、何名々々事情によりて一時も放って置けんと/\。
めん/\それ相応に/\めん/\に幾名何人あると、これより話聞いてあると。
話一条一つの理、事情というは、又一つには方角の許しも、又縁談一つ事情処も言うまでやない。
取次に委せてある。
これまでにも委せてある処、又一つだん/\誠の心の理という処、たすけ一条の理も渡さにゃならんという処、先ず/\それより一つ先ず/\伺い一条には、尋常に秘そかに/\、一日の日にも渡す日もある。
何年経ちても一日の日ともいう。
分からん処は何遍も/\取次より聞かし、これまでとなら尋ね一条にもころりと変わる。
成るだけ秘そか/\。たすけ一条の理は一名一人とこれ聞いて、速やかな理を治めてくれるようと。深きの事情という、先に説いてある。
世界一つたすけ一条の処、日々処による/\。

527:神も仏も名無しさん
18/11/23 13:56:44.85 5/0wIP4R.net
まことは、ニートよりなお暗い引きこもりだな

528:基本。
18/11/23 13:57:48.60 GY3UNDP+.net
> 一命一人
お指図では、一名一人と、文字が当てられています。
基本は「一命一人」と文字を当てて、みました。
> たすけ一条の理は一名一人とこれ聞いて、速やかな理を治めてくれるようと。
> 深きの事情という、先に説いてある。
> 世界一つたすけ一条の処、日々処による/\。
教団組織とは、「一名一人」「一命一人」というたすけ一条の天理には、無用とみなされます。
その、刻限が、引用紹介しましたお指図です。」

529:基本。
18/11/23 14:00:54.01 GY3UNDP+.net
> 教会が嫌でたまらなかった。神実様が御本部から附下された
ものでなく大教会に転がっていたなんて、愕然としました。
↑ 全ての大教会でこのような事をしているどうかは、疑問ですが、貴兄の所ではそうであったと、。。
残念です。
おやさまは、きちんとたすけてくださいます。
教団と言うものは、亡霊に過ぎない。
一人。
それが、おやさまのお示しになった「神一条」です。
第1号 50
このはなしほかの事でわないほとに 神一ぢよでこれわが事
おやさまは、組織論なぞ語ってはおられない。
「一名一人」、「わが事」の問題として、「神一条」は語られている。

530:基本。
18/11/23 14:03:28.51 GY3UNDP+.net
先日、全くの初見のご婦人に、その方が原因不明の低体温症で、長年悩まれているということで、
私、その病気の事は、治るように神様に頼んであげますから、カラオケ楽しみましょうと、
そんな話をしました。
一昨日、その日以来初めてそのご婦人にお目にかかったとき、良くなっていました。
病たすけで、信者増やす時代は終わりました。
組織のための時代は、終焉し、
それは、刻限に知らされていたわけです。
『互い/\契り結んだ理を立て、契り結んだ理を立てゝ、これまでの処何人も居る。
一人の理では何ぼの人にも成りたないと、これよりも言う者はこうで成りた、俺はこうやとこれまでの処分かり難くうてどうもならなんだ。』
理の親信仰の当時が、きちんと、語られていて、厳しく批判されていますね。
「互い互い結んだ理」というのが、「理の親分」「利の子分」、「上級、部下」という関係を示しています。
そんなものを、自慢しあって、俺はこうだとか、分かりにくい当時の姿。
この話は、「みなわが事」というすっきりしたものです。

531:基本。
18/11/23 14:06:46.33 GY3UNDP+.net
第10号 104
たん/\とこのみちすじのよふたいハ みなハが事とをもてしやんせ
Dandan to kono michisuji no yotai wa Mina waga koto to omote shiyan se
Take each course of this path as your own matter and ponder.
組織ごっこは、する必要なんてなにもない。
おやさまが、おたすけくださる。
わが事として通る。
それだけのことです。

532:基本。
18/11/23 14:10:14.38 GY3UNDP+.net
おやさまは、震災の予言をしたのではなく、助かり方を教えたのだ。
【原発】非常用冷却装置が津波前に停止していた
テレビ朝日 - &#8206;5 分前&#8206;
東京電力は福島第一原発の事故直後のデータを公表し、1号機の非常用冷却装置が津波の到達前に停止していたことが分かりました。
運転員が止めた可能性があります。
データによると、地震直後の午後2時52分、原子炉が緊急停止した1号機で、非常用の冷却装置が正常に自動で ...
・・・・・・・・・・・・・・・・
東電の情報操作、がんばってるなー。
中日新聞はこう書いている。
【社会】 本震直後に非常用復水器3時間停止 福島1号機
2011年5月17日 02時00分
 福島第1原発事故で東京電力は16日、非常時に原子炉を冷やす1号機の非常用復水器が、本震直後から3時間にわたり止まっていたとの調査結果を公表した。
東電はマニュアルに従って止めた可能性を強調するが、津波ではなく、地震の衝撃による不具合だった可能性がある。
1号機は後に炉内の温度が上がり、炉心溶融を起こしている。
・・・・・・・・・・・・・・・・
パルスにやられていたとなると、安全基準は全て白紙だから、手動でとめたと、言い張るのだろうが、
もう遅いのだ。
天理は、みんな知ってしまっているのだから。
炉内圧力が急激に低下
それは、パルスで穴が開いたのだと、誰でもわかる。

533:基本。
18/11/23 14:23:56.93 GY3UNDP+.net
キラーパルス、地震の専門家は、知っていて、なぜ語りたがらないかといえば、
それを視野に入れたら、現状、原発は全て危険とみなすしかないからで、
それで、避けて、無視しているわけだ。

534:基本。
18/11/23 23:35:50.37 GY3UNDP+.net
核兵器、核発電。「人工核反応絶対反対」です。

535:基本。
18/11/23 23:40:32.85 GY3UNDP+.net
天災がなかったら、原子力で統治された奴隷国家が完璧に出来ていたでしょうね。
この社会、立て直します。
中山みき母が、全責任を持って、「大社高山とりはらい」します。

536:基本。
18/11/23 23:44:16.82 GY3UNDP+.net
本席身上御障りに付願
明治二十二年七月三十一日(陰暦七月四日)午前六時十七分
さあ/\/\/\、どういう事を言い掛ける。何にも分かろうまい/\。
世界の道理事情の処、神の道は分かり難くい/\といえども、世界の道理上の処、一寸分かるやろう/\。
神一条の道は大変であろう。
長らえての道の処、分かり難くいといえども、なれど世界の道理上から思やんすれば、分からんであろうまい。
どんな事を定めるのも、神一条の道を以て定める。
どうもならんから世上道理上の道、一寸通してあるのやで。神一条の道をどうでも聞き分けにゃならん。
長らえての道の処分かり難くい。よう聞き分けてくれ/\。どんな事も、さあ世界ありながらどんならん。
余儀無きの道でないで/\。よう聞き分けてくれ/\。
さあ/\世界の道は何処でも付けられる。
世界の道を以てあちらにもこちらにも本部や、偽の本部やと言うて居る理聞かしたい。
どんな事でも聞かしてある。
一日も早く理を見せたい。
鏡やしきの理を失う、失う。
さあ/\理を失う処、急がしい事情知らずして、年が明けたら、お陰や/\。
国会が開ける。
何にも分からず、開けたらと言うて居る。

537:基本。
18/11/24 00:23:01.39 atQqxcqF.net
急がしい事はその日来にゃ分からん。
一寸事情ありて治めて居る。
日々は通れる。早く聞かねばどうもならん。
よう聞いて置かねばならん。元一つ鏡というは、内から言うのやあろうまい。
世界から神の理を見て鏡やしきと言うのや。
鏡というは何処から何処まで分かるが鏡やしき。
聞かにゃ分からん事ではどうもならん。もうこれ年限に徳を付けてある。
心だけ皆それ/\″授けてある。めん/\徳が付けてある。その徳だけをめん/\よう働かさん。第一どうも成らん。
鏡曇らしてはどんならん。鏡やしきに曇りありては救ける事は出けん。
しんが濁れば傍が皆濁る。
濁せ/\、濁してはどんならん。
それ/\の処より濁す者ありてはどんならん、
それ/\の処より濁す者ありてはどんならん。
日々の話はその場だけや。どんな者が来ても心だけの守護。
寄り来る処、日々種を蒔く、一つ種を蒔く。旬々の理を見て蒔けば皆実がのる。
旬を過ぎて蒔けばあちらへ流れ、遅れてどんならん/\、とんとどんならん。
話聞いて日々の処、もう何年経ったら/\要らん。
一日の理が治まれば生涯の理というは、ちゃんと筆に知らして一々話してくれるがよい。
世上世界の理と一つに成ってはならん。
明治三十二年五月三十日 朝

538:基本。
18/11/24 00:37:59.83 atQqxcqF.net
天理教会一派独立の件に付伺
明治二十五年十二月二十日
さあ/\尋ねる事情/\、順々と言えば、後々ともいう。
順々の道と言うて、これまで長らくの間、長い日柄、又一つ事情にては第一事情、これまで諭したるは千日の事情と諭したる。
どうか一寸千日、もう事情治まり、


539:又一つ事情、又事情これより始める、始まる。 どうでも一時話通り、よく/\事情、古き道夜々刻限事情、だん/\事情諭したる。 日限という。 もう一段一つ一時世界だん/\の理を諭したる。 事情一時触れ流し出したる処、見るよう聞くようの理が始まる。 しっかり改め。 一時道の事情何時なりと言うて、これまで話通り事情ある。 又一つ一寸事情ある。 立て合いの理、世界一時の道、事情ある。立 て合い世界始まり掛けたる道、順序の道、事情第一順序は世界、誠一つ、天の理、これ思やん。 これ諭し置く。又一時後々の道、今一時世界早くという。今順序互い世界という。 危なきような道ある。 又、思やんもせにゃならん。 又出て行く、出て来る事情ある。 表の道独り立って来る。 事情ある、出る。 尋ね掛けたら、元ある元が分かる。 一時一つの道のため、成る成らん事情、放って置いても出て来る、立って来る。 一時に開く、一時に成る。これ諭したる。 さあ/\急いで万事何か運び掛け。 さあ/\許し置こう/\。



540:基本。
18/11/24 00:48:50.31 atQqxcqF.net
表の道独り立って来る。
本席の身上御障り願 明治二十四年五月十六日 午前九時
さあ/\続いて話し掛けたる事がある。
どういう事を話し、これまで聞いたる事や。
聞いてあっても刻限に外れるやない。
皆遅れるのや。第一の理を話したる。刻限の理に話したる事は外れるやない、遅れるのや。
第一事情皆ほのかの理になる。
刻限の話めん/\の思いに忘れる。
そこで遅れてどうもならん。
今の処は二つある。一つの道は表の道、一つの道は心の道や。
表の道一寸の道や。心の道は違わしてどんならん。
分からんから皆見許してある事を、どんな事であったやらなあ。見許してあるから、遅れてどんならん。
胸の道あればこそ、これまで通り出来てある。これをよう聞いて置かねばならん。
世界道というものは、とんと頼りにならん。しっかりしたようで、ふわ/\してある。
世界の道に力を入れると胸の道を薄くなる。
ほんの分からぬ世界の道に力入れては何もならん。
そこで、皆んな戻りたら、この理を皆聞かして置かねばならん。世界の道に心を寄せたらどうもならん。
胸の道は神の道やで。一つに心を寄せて置かねばならん。
これまで刻限話と言えば、何や流行歌のように思うて、あちらへこちらへ言うたぶに、これまで刻限話というたら、何やいなあと、言うて了うてある。
つい月日が経てば忘れて、何やいなあ/\と言うて了うてある。
それではどんならんで。これ胸の道が第一やで。
しっかり聞いて置かねばならん。大事の刻限の道やで。

541:基本。
18/11/24 00:53:11.80 atQqxcqF.net
遅れるという事は、「実現が遅れる」と、そのように解釈されてきた。
しかし、それは、実行が遅れるという意味にもなる。
良く読み直してみると分かるのは、
「第一の理を話したる」
「刻限の理に話したる事は外れるやない、遅れるのや。」と、
「第一の理」と「刻限の理」とふたつ、ある事が分かる。

542:基本。
18/11/24 00:56:04.89 atQqxcqF.net
本席身上おさしづ
明治二十一年六月五日(陰暦四月二十六日)
さあ/\/\いかなる処/\、身上いかなる処、尋ねる。知らす。身上一つ身上ある。
いかなる処、さあ/\早く止め、神一時、一つ話、これに先々に毎夜この道下がり、さあ/\どんな話も仕掛けてある。
一寸今一時尋ね出す。早く通し、まあ一寸始め掛ける。どんな道を始め分からん。
まあ/\それより成る成らん。これまで一寸話伝え、夜々出て話、一つ話、あっちこっちの理を見遁がし、
今一時世界理多く十分早く世界事情運ぶ、分からん、上下とも理分からん、いつまで言うではない。
いずれ一つだん/\日柄刻限移るなら、道の通り連れて通らねばならん。
又々所々変わる処、実の処、早く求めよ。いかなる道も分かるであろう。やれ/\と言う日もあろう。
一つ心早く一つ運ばねばならん。

543:基本。
18/11/24 01:06:36.97 atQqxcqF.net
お筆先二号は、かんろたいについての理を知らせています。
めつらしい このよはじめのかんろたい これがにほんのをさまりとなる 39
甘露を頂く台であるから「甘露台」です。一般的な理解は、↓「はてな」に要約されています。
はてなキーワ


544:ード > 甘露台 『天理教において、教義における人類誕生の地と主張されている場所「おぢば」にある置物。「かんろだい」とも書く。本部神殿にある。 本来は石製で作られるものであり、明治初期に製造が開始されたものの、途中で石工が逃げ出して製造は中止状態になり、 のち未完成の石製かんろだいは警察に押収され所在等の詳細は現在も不明。 現在はレプリカ的ものが木製で作られ、置かれているに過ぎない。 救済が行われた際に天から甘い雫が落ちてくると教えられている』 先ず、「レプリカ」だという事は、理として間違いである。 「ひながた甘露台」と呼ばれているように、「ひながた」であり、ひながたとは、理として重いものである。 問題は「霊力」であるが、43年前の数理にて確かめたように、 大工の伊蔵の制作した「模型」も、歴代真柱の「木製ひながた」も、いずれも「43年後の震災」にきちんとリンクしていて、 「ぢばのしん」→「じしん」と、きちんと理は実現してある。 問題は「石」であるか否かに、その本質は無いと言う事にある。



545:基本。
18/11/24 01:10:18.06 atQqxcqF.net
はてなキーワード > 甘露台
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
には、「天理教から独立した教団「ほんみち」の代表職の名称。」として、
「人間甘露台」について語られている。
甘露を頂くのは、人間なのだから、「地場」という地面ではなく人間が甘露台なのだという説なのだが、
それは、「おやさま・中山みき」お一人であり、おやさまから、甘露は分けて頂くものである。
そして、「地場」というものは、単なる地面では無い。
この一点を、信じるか否かで、「甘露」は頂け無い事にもなる。

546:基本。
18/11/24 01:13:07.27 atQqxcqF.net
つまり、甘露と言うご利益は、「地場を聖地」と信じるという信者以外には、意味を持たないと、そういう事は自明です。
神楽つとめという、つとめは「地場限り」です。それが天理です。

547:基本。
18/11/24 01:16:24.42 atQqxcqF.net
すると、地場以外でお勤めしていた「山名」、それを意図していた「河原町」は、「甘露」を頂く資格は無いのが、天理です。
では、そういう場合には、神様は「水」・・「甘露では無い・水」を、水のさづけとして渡されていたと、そういうことになります。

548:基本。
18/11/24 01:20:06.70 atQqxcqF.net
水のさづけについて、説明を見ましょう。 
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
・・この「水のさづけ」を戴かれた小兒ろく女は、前記の如く生後十ヶ月目になる嬰兒である。
この「水のおさづけ」を戴いた日、宿へ歸ると、同行者の一人であった小栗市十氏が、
きびしいお障りでおさづけを頂き度いと願つた時、ろく女が座つて手を拍つてお授けを渡した。
この時には同行の人々の何れも不思議だと云つて驚いた。
こんなエピソードがある。
ある先生(すでに出直されている)から直接聞いた。
ボク(先生)が若いころ、修養科に入ったんだが。
同期の修養科生で、精神的にかなり問題のある女性がいたんだ。
おかしいのなんのって、そうとうなモンだった。
修養科で御守護戴こうってことなんだが、よくなりゃしない。
補導員(教養掛)がほとほと困って、ついに、おろくさんにおさづけのお願いをする決心をした。
なんたって、直々の水のさづけだからね、畏れ多くて、お願いなんて滅多にできるモンじゃない。
ボクは思った。
「いくら水のさづけ、ったって、あんなワガママなばあさん�


549:iろくさん)のおさづけなんか効くワケがない」ってね。



550:基本。
18/11/24 01:24:48.14 atQqxcqF.net
ひながた時代には、「飯田岩次郎」、そしてお指図時代には、「諸井ろく」に小児水のさづけ。
お指図時代には「東・水のさづけ」が、あります。
飯田家は、お屋敷とは別に宗教家業をしていた飯田善六さん。
諸井家は、天輪講教会で、偽神楽つとめしていた諸井国三郎さん。
東は、東京の信者は全て東の縄張りだと、「東京本部」きどりに、上原佐助さん。
甘露には似合っていませんが、「水のさずけ」なら、お渡しくださるおやさま。
「何も見ずに」渡すおさずけでした。

551:基本。
18/11/24 01:27:15.36 atQqxcqF.net
水の授けの効能に衝撃を受けて、単独布教に出るのなら、それは「宗教家業」にまい進するという事です。
おやさまは、「人間は働く為にこの世に生まれた」と教えられています。
通常は「働く」とは「労働」と理解されがちですが、「労働者」という意味ではなく、
「自営業」という意味においてのもので、「資本家であり労働者である」という、自立自営が原則になります。
それは、宗教と言う世界に霊能を求めるだけではなく、
農業においての「肥えの授け」のように、経済行為そのものへの「特別な守護」を意味しています。

552:基本。
18/11/24 01:33:05.38 atQqxcqF.net
教祖伝の逸話編の13に、「種を撒く」というお話がある。
摂津国安立村に、「種市」という屋号で花の種を売って歩く前田藤助、タツという夫婦があった。二人の間には、次々と子供が出来た。
もう、これぐらいで結構と思っていると、慶応元年、また子供が生まれることになった。
それで、タツは、大和国に、願うと子供をおろして下さる神様があると聞いて、大和へ来た。
しかし、そこへは行かず、不思議なお導きで、庄屋敷村へ帰り、教祖にお目通りさせて頂いた。
すると、教祖は、「あんたは、種市さんや。あんたは、種を蒔くのやで。」と、仰せになった。
タツは、「種を蒔くとは、どうするのですか。」と、尋ねた。すると、教祖は、
「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻わるのやで。」と、お教えになった。
とあります。

553:基本。
18/11/24 01:36:43.90 atQqxcqF.net
>>467
イエスキリストは、種まきについてこう教えられています。
「マルコによる福音書」 URLリンク(www.wcsnet.or.jp)
0403> 「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。 
まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
0405> ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 
日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
0407> ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。 
0408> ほかの種はよい地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。
0409> そして言われた、「きく耳のある者は聞くがよい」。
イエスキリストは、言われました。 
0414> 種まきは御言をまくのである。
おやさまは、言われています。
「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻わるのやで。」と。

554:基本。
18/11/24 01:40:31.56 atQqxcqF.net
御神楽歌では、「肥えの授け」が歌われています。
「種をまく」→「肥を置く」→「修理丹精」→「作りとる(収穫)」と,示された順序を、
教会組織上に理解して、
「効能を結ぶ」「講を結ぶ」が、本来の信心の講を、拡大解釈して「教団」の大組織化に向かったのは、人間の悪因縁、宗教高山「大社」思想でした。

555:基本。
18/11/24 01:46:35.19 atQqxcqF.net
甘露の教理は、遊山の教理であり、豊年の教理。
自分だけが甘露を食するわけにはいかないので、ひたすらに、投稿し続けましたが、もう、そろそろ甘露信仰の結実を、これも研究しなくてはならないわけです。
原発問題は、目覚めてしまった方々と、高山の唐人とのせめぎあいが続く。
そして、おやさまが、味方して、「にほんの者」が勝ちます。
それには「効能」。
「効能」を結びましょう。

556:基本。
18/11/24 01:51:12.24 atQqxcqF.net
基本自身も自白のように、伝えるべき言を伝える場として、利用しておりましたから、そういう意味での役割は終焉といたした次第です。
「出直して甘露で育つ赤子になるん?」「それなら早くもどっておいで」
と、お見通しの言、有り難く思います。
この世を陽気に普請するには、甘露で澄ますしかない。
「一列澄ます甘露台」なのか「一列澄まして甘露台」なのか。
「月日より一度ゆうた事」は、何時になりても変わることなしが天理ですから、「一列澄ます」が、普遍の真理です。
模様替えと言う言葉が、その変更について、用いられますが、甘露台で一列澄ますと言う事は、「甘露」で澄ますという事に他なりませんから、
世間的な言葉で言う「太陽政策」、北風さんでではなく、温かさとやさしさと言うもので、心を澄ますという意味になります。
現実に今のお勤めは「一列澄まして」ですが、実は「一列澄ます甘露だ」なのだという、原点が、地中の根であると言う事になります。

557:基本。
18/11/24 04:31:35.95 atQqxcqF.net
甘露と言う視点でみますと、原発は「沈まない太陽」であり「人工甘露」の一種とみなして良いでしょう。
セシウムの除去について、研究が発表になったというニュースがありました。
汚染水の放射性物質除去、金沢大教授が処理剤開発 
・国や東電には処理剤を開発したことを報告しており、被災地からの関心は高い。
福島県のある自治体からは、放射性物質で汚染された土壌の除染を依頼された。
↑ 問題点は二つある。
ひとつは、吸着されても、「処を変えただけ」という1点。
もうひとつは、天然のものではなく「合成物質」である事。の、2点。
吸着した結果として「放射線を浴び続けた後」について、長期間の後に来る問題の研究は、まだ何も出来ていない。
おやさまの「水晶」の一言を、基本的には採用したいと言う事になる。

 また、東京都議からは、下水処理施設から出た汚泥に残る放射性物質を処理出来ないか相談を受け、現在、研究を進めている。

558:基本。
18/11/24 04:38:23.19 atQqxcqF.net
結局は、ゴミの処理が、成果の結果の後始末が問題と言う事です。
本物の甘露。
おやさまからしか、与えられない、ものです。

559:基本。
18/11/24 04:41:30.02 atQqxcqF.net
真之亮よりの思召を以て、八九人懇親会研究に付御願
明治二十年十月二十六日
さあ/\いかなる処、どうせこうせは言わん。
時談々々、時談はすうきり要らん/\/\/\で。
心次第の道を知らんか。
どんな者でも、道に譬えて一つ事を聞き分け。
さあ/\一分一厘の理を、よう聞き分け。
最初拵えた道具は、どういう道具で、拵えた道具や。
神がちゃんと見分けて、一つのあたゑを渡してある。
今の楽しみ、先の細道。
今の細道、先の楽しみ。先の道を見て居るがよい。
どういう道や、よう聞き分け。

560:基本。
18/11/24 04:44:07.71 atQqxcqF.net
五人七人十人はどういう心、いかなる定め、十分定め。
成程という理であろう。よう聞き分け。
難学やで。
人間心要らん/\。
神一条でさい取り決まられん今の道や。
自由自在だん/\説き聞く/\。
内にもある、外にもある。
いかなる理と思うか。
どんな思やん幾重々々、一つの実を定め。
一人でも何人でも同じ事。
こうしたらよかろうか、何にも要らん/\


561:で。 一人は一人の心定め、百人千人万人でも同じ事やで。



562:基本。
18/11/24 04:47:04.08 atQqxcqF.net
初代真柱様は、「研究」について、お指図を伺っています。
親神さまが、「十月二十六日」「研究の吉祥の日」に仰せられたのは、「心しだいの道を知らんか」という、基本です。
それは、「最初拵えた道具は、どういう道具で、拵えた道具や。」という、言葉で、説明されていました。
「神がちゃんと見分けて、一つのあたゑを渡してある。」と、補足の説明もされておられます。
つまり、元一日の日から、神様は「一つの与え」をお渡し下さってある。
それは、守護の道具としての与え。
基本教理に言う、「甘露は既に降りている」という事は、この、「与えを渡してある」という親の宣言に基づくものです。

563:基本。
18/11/24 04:50:05.89 atQqxcqF.net
乳呑児に、乳を含ませて下さるおやさまです。
私たち赤子に、乳を含ませて下さるのは当然としまして、生まれた赤子に、最初から「与え」はお渡し下されてある。
それは、「道具」、陽気遊山の道具としての、特性であることは、こふき話にある、比ゆの通りです。
「ふぐは毒があるゆえに」、「切る神」となり、「カレイはその身薄いゆえに」、「風の神」なった。
そういう、個性が、心通りにきちんと、発揮されること。
その研究が、基本とならねばならない。
つまれ、甘露の研究とは、今与えて頂いてある、「与え」そのものに対する研究でなくばならないと言う事です。

564:基本。
18/11/24 04:53:21.36 atQqxcqF.net
基本は、おやさまが、すっきりいらんと言われている「時談」としてではなく、天災の教理を語り、
そして、おやさまが、論はいらんと言われている「論」ではなく、「掃除」として、山名系批判をして来ました。
それは、天理教団を「たちもの」とみなしてのものでした。
「たてもの」ではなく、「たちもの」。
門の内にたちし、たちものは、早く急いで取り払いせよと、おやさまは言われている。
もう、理の親・教団組織は、取り払って、あたらしく「たてもの」を普請しなければならない旬だと言う事です。
「たちもの」、門の内のたちものとは、山名系教理、愛町系、言うなら「教内異端」。
これは、おやさまの与えが、全ての人に平等に渡されていると言う、あたりまえの天理の基本を無視したものでした。
高潔な人格や、完成された人間にのみ「天の与え」があると言う、妄説は、愛町の関根先生は「魂の徳」ある、特別な方だと言う、プロパガンダを撒き散らしました。
山名系の教義のといた理の親信仰と、同根の、「たちもの」。
その自覚のない、ふがいない天理教団は、もう掃除ですから、速く急いで説いて説きました。
時談では無い、道具の自覚。
天の与えの自覚。
それなくして、研究はありえないことだと、お指図は示しています。

565:基本。
18/11/24 04:56:06.76 atQqxcqF.net
3号 77才老女 明治7戌年1月ヨリ 
このたびハもんのうちよりたちものを
はやくいそいでとりはらいせよ (3-1)
すきやかにそふぢしたてた事ならば
なハむねいそぎたのみいるそや (3-2)
しんぢつにそふぢをしたるそのゝちハ
神一ぢよで心いさむる (3-3)
だん/\とせかいの心いさむなら
これがにほんのをさまりとなる (3-4)
いまゝでハなによの事もハかりない
これからみゑるふしぎあいづが (3-5)
こんものにむりにこいとハゆうでなし
つきくるならばいつまでもよし (3-6)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「たちもの」とは、明治七年のおやさま77才の時に、
取り払えとおおせられた、掃除の対象が、ひながたにある。

566:基本。
18/11/24 04:59:18.62 atQqxcqF.net
それは、「しんの柱を入れたい」と言う「神意の発動」でした。
だん/\とをふくよせたるこのたちき
よふほくになるものハないぞや (3-49)
いかなきもをふくよせてハあるけれど
いがみかゞみハこれわかなハん (3-50)
せかいぢうむねのうちよりしんばしら
神のせきこみはやくみせたい (3-51)
せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ
神がほふけやしかとみでいよ (3-52)
これからハ神がをもていあらわれて
山いかゝりてそふちするぞや (3-53)
いちれつに神がそうちをするならば
心いさんてよふきつくめや (3-54)
なにもかも神がひきうけするからハ
どんな事でもぢうよぢさを (3-55)
このたびハうちをふさめるしんばしら
はやくいれたい水をすまして (3-56)

567:基本。
18/11/24 05:02:09.71 atQqxcqF.net
しんの柱を入れたい。
それは「真の柱」とは「甘露台」であり、「真柱」であると理解されていますが、
おやさまを親神として認めていない、「たちもの」の存在こそ、「この世のしん」が分からない、「教内異端」でした。
これまでハいかなはなしをといたとて
ひがきたらんでみへてないぞや (3-62)
これからわもふせへつうがきたるから
ゆへばそのまゝみへてくるぞや (3-63)
しかときけ三六二五のくれやいに
むねのそふぢを神がするぞや (3-64)
しやんせよなんぼすんだる水やとて
とろをいれたらにごる事なり (3-65)
にごり水はやくすまさん事にてわ
しんのはしらのいれよふがない (3-66)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
濁りの水とは、「宗教家業」異端信仰であり、当時で言えば、有力者たちの信心のありさまで、
3625の数理によって、異端は、異端であると発現する、そして掃除となると言うひながたでした。

568:基本。
18/11/24 05:05:36.78 atQqxcqF.net
濁りの水とは、「宗教家業」異端信仰であり、当時で言えば、有力者たちの信心のありさまで、
3625の数理によって、異端は、異端であると発現する、そして掃除となると言うひながたでした。

569:基本。
18/11/24 05:09:02.37 atQqxcqF.net
旬の到来と言う事について、一つの誤解があるように思います。
旬とは、「旬のもの」と言う表現が示すように、「陽気遊山」の旬の到来と言うのが、本来の「立教の旬」の意味となります。
年数が到来したと言う、時期の問題とだけ思案するのは、誤解と、言えるでしょう。
それは、心澄ましてみれば、見える世界なのですが、濁りの水にあっては、見えることの無い世界となります。
おやさまが、神がかりから立教したことは、「旬」の到来であり、それは、陽気遊山できる条件は満ちていると言う事。
けれど、陽気に暮らせる条件はいくら整っていても、人の心がそれを、陽気に活用するのではなく、欲一条に、あるいは泥水混じりにしてしまえば、
それは、陽気の要因が打ち消されてしまいます。
その、陽気に暮らせるための、天然資源を、寡占独占する高山の、
その欲のための横暴は、目に余るものがあると、おふでさき三号は厳しく指摘しています。

570:基本。
18/11/24 05:12:28.90 atQqxcqF.net
人のものかりたるならばりかいるで
はやくへんさいれゑをゆうなり (3-28)
資源は、人が、陽気に暮らすための「人のもの」です。
技術も学問も、みんな「人のもの」。
その人のものを、高山はわがままにして、独占専横している。
その一例は、寡占の水利権、電波の使用権、鉱山の採掘権などなど。
それは、谷底の人々を債務奴隷に陥れて、宗教思想と政治軍事の権力にて支配すると言う、この世の泥海を生んでいます。
債務奴隷からの開放は、全資源の人類への解放を伴うものでなければならない。

571:基本。
18/11/24 05:15:42.55 atQqxcqF.net
『12世紀になると、各地からの律令税の徴収や年貢米の都への輸送に不可欠な商業・輸送ルートを掌握していた神人(じにん)・供御人(くごにん)が請け負うようになった。
彼らは、公家や社寺に奉仕者として仕えることが認められた特権的武士であり、
天皇や神仏の権威により日本中を自由かつ安全に行き来することができた。』
以前に「ザ掲示番」に、投稿しておいた事は、債務奴隷のルーツの問題でした。
現代社会は、資源のなかでも、特に「エネルギー資源」は、大社高山の独占寡占の下にある。
農業資源の支配においても、様々な悪行がある。
それを、悪事を除けるのは、親神の仕事としても、その悪事に加担するのでは、陽気くらしどころではないのに、
天理教団は、山名系を指導者に、戦争協力を積極的に行って、布教に利と使用とした。
いまだ反省


572:の言葉も無い。 そして、真柱の理を、一番に軽く扱ってきた。 まさに、「たちもの」は、天理教団そのものであるという惨状でした。 真柱が、「しん」でないのなら、「地場」が「ぢば」でないのなら、 それで陽気くらしは、出来るべくもない。 世界は、陽気にならない。 天理教団は、生まれ変わるしかない。 126の旬が、今まさに、訪れようとしています。



573:基本。
18/11/24 05:19:42.92 atQqxcqF.net
さて、おやさまがいるということは、「陽気暮らしができる」という、絶対に狂わない真実です。
そして、予言があると言う事は、「おやさまがおられるのですから」、予言は実現するという、絶対に狂わない天理です。
傍陽気さんは、どうして迷われたのでしょうか。
そして迷いながらも、教団批判においては、他の投稿などで、舌鋒鋭く語っておられた。
この矛盾は、後に「山名」と自ら名乗って、基本の説く基本教理の批判・観察と言う行為に連なりました。
おやさまの予言があると言う事は、必ずそうなるのだと言う、天理の当たり前が何で見えなくなるのでしょう。
それは、「祝う心」が無いからです。
おやさまは。「祝ってくだされ」と言われた。家こぼち。
貧に落ちきることを祝う心。
「祝ってくだされ」と、頼まれながら、それをともに祝えない。
この、自らの貧乏を楽しめないのは、「予言」を信じきっていない、正味のていたらくでした。

574:基本。
18/11/24 05:22:26.89 atQqxcqF.net
おやさまは、「さあこれから世界の普請に取り掛かる。皆祝って下さい。」という一声で、
その先頭に立って実現に向けて、江戸の末期に社会的活動をお始めになりました。
その初めての社会的活動、行動は中山家と言う自らの家のこぼちを皆に祝ってもらうというものでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、社会的行動せよと言う意見がそのひとつであり、
同時に、天理教会と言う道中にそんな予言が在ったとして、
たとえ在ったとしてそんな事でどうして「世界の普請」ができるのか。まだ教えてもらってませんが。
と、質問がなされたように、
「予言があったとしても、そんな予言だけでは世界は普請できない」という、
実は、おやさまへの「不審・不信」そのものであるという、批判者の立場でもありました。

575:基本。
18/11/24 14:28:33.83 atQqxcqF.net
予言は実現すると言う、当たり前は、間近には東北大震災にて、震災の数理で神様はきちんとお見せになりました。
それは、人間は陽気遊山できると言う、予言も必ずそうなると言うことを示す一例にすぎません。
そして、おやさまの予言は、「かんろだい」と「真柱」というしんを、基点としての数理でした。
世界は、おやさまのお働きで、ろくぢになります。
その時私たちは、まさか、宗教家業なんて、してますか?
それは、おやさまが、在世中に、一度も許さなかった事。
天理教中山みき派なら、誰でもわかることです。

576:基本。
18/11/24 14:31:28.58 atQqxcqF.net
それならば、天理教会は必要ないのかと言う事になりますが、天理教会神一条は、
扉開かれたおやさまが、「応法」としてお許しのものですから、天理教会は必要です。
人間の因縁上も必要な天理教会であり、どうでも信心すると言う者にとっては、
講として、理の親支配制度の無い、素朴な信心の場となる教会は、なくばならないものと、それが基本です。
「お屋敷」には「おやさま」「真柱さま」がおられるのだから、国々に「国のしんはしら」がいるという、信心がある事は宜しいことです。
おふでさき第三号は、「門の内のたちもの」の掃除と、「しんの柱をいれる」と言う事と、
「大社高山に対しての掃除」と、そしてそれは、「3625の胸の掃除」と、
つまり、「異端信仰」の排除について知らされた予言です。
学会と言う異端、松下政経塾と言う異端。
キリスト教原理主義者も含めて、世は異端の時代です。
山名系も愛町系も、これが、おやさまの教えを、基にしていながら、
たちものとして存在している現代において、基本教理は、絶対に必要なのだと、
かっての傍陽気さんは熱く語ってくれましたが、
通らぬ道は道とは言わない。
貧のどん底に、難儀の底にて手を打って待つおやさまの、
「祝うてくだされ」を素直に通る道がないなら、それは道とは言わないのです。

577:基本。
18/11/24 14:33:42.15 atQqxcqF.net
しかときけ三六二五のくれやいに 
むねのそふぢを神がするぞや (3-64)
しやんせよなんぼすんだる水やとて とろをいれたらにごる事なり (3-65)
にごり水はやくすまさん事にてわ しんのはしらのいれよふがない (3-66)
はしらさいはやくいれたる事ならば まつたいしかとをさまりがつく (3-67)
このよふをはじめた神のしんぢつを といてきかするうそとをもうな (3-68)
いまゝでもしんがくこふきあるけれど もとをしりたるものハないぞや (3-69)
そのはづやどろうみなかのみちすがら しりたるものハないはづの事 (3-70)
これまでハこのよはじめてない事を たん/\といてきかす事なり (3-71)
なにもかもない事はかりとくけれど これにまちごた事ハないぞや (3-72)
十一に九がなくなりてしんわすれ
正月廿六日をまつ (3-73)
このあいだしんもつきくるよくハすれ にんぢうそろふてつとめこしらゑ (3-74)
にち/\に神の心のせきこみハ ぢうよじざいをはやくみせたい (3-75)

578:基本。
18/11/24 14:35:56.29 atQqxcqF.net
おやさまは、「こうき」という思想を提言されています。
おやさまの世界たすけは、「たすけ一条」とおやさま自らが定義をなされています。
おやさまの「たすけ一条」は、外観上のたすける立場の人と、たすけられる立場の人は、
二つ一つにひとつであり、ともにたすけ一条である。一つであるとされています。
 このたびハたすけ一ぢよをしえるも これもない事はしめかけるで 三号17
 いままでにない事はじめかけるのわ もとこしらえた神であるから 三号18
 にちにちに神のはなしがやまやまに つかえてあれどとくにとかれん 三号19
 何ににても説かれん事はないけれど 心すましてきくものハない 三号20
 すみやかに心すましてきくならば よろづのはなしみなとききかす 三号21
 このよふのたしかためしがかけてある これにまちがいないとをもえよ 三号22
 このためしすみやかみえた事ならば いかなはなしもみなまことやで 三号22

579:基本。
18/11/24 14:38:24.04 atQqxcqF.net
おやさまが、たすけ一条のうえで、この世にかけた「ためし」が、間違いないと思うこと、
そして、そのためしが見える事が、何よりもの、大切な事です。
 はやはやとみへるはなしであるほどに これがたしかなしょこなるぞや 三号26
 これをみてなにをきいてもたのしめよ いかなはなしもみなこのどふり 三号27
おやさまが、確かに仕掛けたためし、の目的は、「このどうり」と示されています。
 人のもの借りたるならばりがいるで
 はやくへんさいれいをいうなり    三号二八
即ち、「債務奴隷社会」からの脱却と言うためしです。

580:基本。
18/11/24 14:42:24.88 atQqxcqF.net
おやさまの、思想を知り、平野楢蔵は、「女郎屋」という債務奴隷の所有者であったが、女郎たちに、礼を述べて解放した。
明治18年のことである。
この事は二つの意味を示している。
明治五年の人身売買禁止令は、有名無実化し、法を免れる形で遊郭は経営されていたと言うことである。
平野楢蔵は、その経営者であり、暴力で支配していた博徒である。
もう一つは、その楢蔵の「奴隷解放」よりも先に、おみかという女性が、奴隷を解放していたという、先覚の存在である。

581:基本。
18/11/24 14:45:08.06 atQqxcqF.net
> 明治5年に、江藤新平の尽力で、人身売買禁止令を出したとき、この頃、金剛院の妾として、
夫が在りながら屋根屋と言う女郎屋のおかみをしていた「おみか」は、この頃既におやさまを知っていたと言う。
> そのおみかは、女郎屋を廃業し、抱え女に旅費を持たせて国へ帰したと言う。(同)
> おみかの子と孫が、おやさまの前で三味と踊りを披露したともある。
「この話は、舞踏をやった当のおますから、筆者(高野友治氏)が、直接聞いた話である。
 当時おますは、七、八才であったようで、踊りが終わるとおやさまが、
 『また来て屋や、』と、仰せられ、お菓子を下されたという話しだ。』
                           (同)
この、明治五年の前年には、おやさまは、「春を売る女を舟で運ぶ」家業の男の、耳の不自由を、たすけている。
大阪の三軒屋の、博多市次郎さんである。
この時、おやさまは、自分の耳が不自由となることで、博多市次郎さんの耳の自由を叶えている。
人も我も隔て無しという、おやさまの思想が、「債務奴隷」解放の思想の、基本にある。

582:基本。
18/11/24 20:49:47.40 atQqxcqF.net
人のもの借りたるならばりがいるで
 はやくへんさいれいをいうなり    三号二八
おやさまは、明治7年に、このお筆先をもって、人の固有の精神と、それに神が貸し与えた肉体とを、
つまり「人のもの」を奴隷のように束縛し利用する「高山」に対して、決然と、その、「返済」即ち「奴隷解放」を迫ったが、
それは、明治6年に政府が、地租改正条例(太政官布告272号)を制定、明治7年から地租改正に着手した高山への、厳しい理の責めであった。
地租改正は明治14年に改正作業が完了した。
その間、お筆先は、この高山の意図のどこにあるかを、厳しく理を責めておられる。
 高山は世界いちれつをもうよう
 ままにすれどもさきはみえんで 三号四八
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、「博徒」が分教会筆頭という事実。
傍陽気さんには、その方法を直接に伝えて、参画頂いて、
「博徒」としての守護は、絶対にあるけれど、それは人間が得られるものでは無いとのコメントに至った事実経過がある。
その、秀司が、相場とばくちで失ったと言うひながたは、容易に解読できるものでは無い「ひながた」であるが、
「祝福」、「祝うて下され」。
天国の門は、モンテクリストの宝は、いつでも神の祝福と共にある。

583:基本。
18/11/24 20:53:43.03 atQqxcqF.net
人身売買の盛んであった地での被災。
そこでは、エネルギー産業への身売りが、政官財で奨励されていた。
それは、タイでもありトルコでもあった。
数理の支配する、天災の原因を示す事実。
これを、変えていくには、おやさまは、三号の理にて、「異端の掃除」を示されている。
このはなし一寸の事やとをもうなよ 神がしんぢつみかねたるゆへ (3-82)
これからハ神のちからと上たるの ちからくらべをするとをもへよ (3-83)
いかほどのごふてきあらばだしてみよ
神のほふにもばいのちからを (3-84)
しんぢつの神がをもていでるからハ
いかなもよふもするとをもゑよ (3-85)
いまゝでハからがにほんをまゝにした 神のざんねんなんとしよやら (3-86)
このさきハにほんがからをまゝにする みな一れつハしよちしていよ (3-87)
をなじきのねへとゑだとの事ならバ ゑたハをれくるねハさかいでる (3-88)
いまゝでわからハゑらいとゆうたれど これからさきハをれるはかりや (3-89)
にほんみよちいさいよふにをもたれど ねがあらハればをそれいるぞや (3-90)
このちからにんけんハさとをもハれん
神のちからやこれハかなわん (3-91)

584:基本。
18/11/24 20:57:19.24 atQqxcqF.net
人のもの借りたるならばりがいるで
 はやくへんさいれいをいうなり    三号二八
おやさまは、明治7年に、このお筆先をもって、人の固有の精神と、
それに神が貸し与えた肉体とを、つまり「人のもの」を奴隷のように束縛し利用する「高山」に対して、
決然と、その、「返済」即ち「奴隷解放」を迫ったが、それは、明治6年に政府が、地租改正条例(太政官布告272号)を制定、
明治7年から地租改正に着手した高山への、厳しい理の責めであった。
地租改正は明治14年に改正作業が完了した。
その間、お筆先は、この高山の意図のどこにあるかを、厳しく理を責めておられる。

585:基本。
18/11/24 21:03:17.03 atQqxcqF.net
 高山は世界いちれつをもうよう
 ままにすれどもさきはみえんで 三号四八
この地租改正は、日本の帝国主義の道に向けての、国家の財政基盤を固めて、国民を牛馬同等のみちにおとしめていく一大悪法であった。
女子の身売り、自作農の小作化、女工哀史、そうした直接的な「債務奴隷」を生み、国民を総奴隷化する道を開けた。
このことを、おやさまは見抜いていた。
明治7年四月、おやさまは、おふでさきに、
 このひがらいつのことやとをもている
 五月五日にたしかでてくる       四号三
 それよりもをかけはぢまるこ�


586:黷ンよ  よるひるしれんよふになるぞや     四号四 と、日柄を予言した。



587:基本。
18/11/24 21:06:12.25 atQqxcqF.net
明治政府が、地租改正で実行し意図した、国民総奴隷化計画は、日清・日露の戦争において、具現化していく。
おやさまの唯一の弟子、伊蔵は、日清・日露の戦争の件にて、「五月五日」とは、今の事情だと解説している。
「五月五日」
「端午の節句」
「大本営誕生の日」
預言者、おやさまは、奴隷を産む社会は、戦争国家であると、見抜き、理を責めていた。
地租改正、それは、高山が谷底をままにする、税制と言う奴隷制度であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これに対しての傍陽気さんの投稿を次に↓示しておきましょう。

588:基本。
18/11/24 21:55:44.79 atQqxcqF.net
立毛、百姓をままにする高山は、今の事です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それならば、どう通るのか。
通らぬ事は、道とは言わん。
因縁上「博徒」ならば、博打で勝つ以外には「因縁きりは出来ない」。
それは、教理の基本ですが・・・。

589:基本。
18/11/24 22:23:37.59 atQqxcqF.net
愛町系への批判に対して、愛町無双さんが、基本の傲慢な態度に反発されて、
基本に対して批判をなさいましたが、その批判として、「予言」が当たる、当たらないと言う論点からの批判がありました。
> 基本。がペテン師なのかどうかは、年限が来たら分かることだよな。
> 時間が解決する。「行ったとおりになるかならないか」それだけだ。
行ったとおりになるは、言ったとおりになるの誤字も知れません。
でも、教えがあったとして、「行い」がなければ、「言った」という言葉の予言のみでは、なるとは限らない。
教えが、履行されて、理が現れるわけですが、先にゆうて、それに賭けて、行わないとすれば、意味は成立しません。
つまり、基本さんそのものが、行うことが全く無いとしたら、「いったとおりになる」ものも、その意味、範囲は限定されますが、ならない状況を生むわけです。
愛町無双さんは、「言うておく」→「おうたら」→「成る」の順序において、
「おうたら」は、文字や言葉の意味だけではなく、「行為行動」も含まれると言う事をきちんとはご存じないわけでした。
現実的に「着手・行動」しなければ、予言も何も、理がないのですから、教えは、その範囲、発現しません。

590:基本。
18/11/24 22:26:09.55 atQqxcqF.net
このはなしさとりばかりであるほどに
これさとりたらしよこだめしや (3-14)
このたびハたすけ一ちよにかゝるのも
わがみのためしかゝりたるうゑ (3-44)
わが身が試せない、わが身で試せないでは、たすけ一条の道は、その人においては発現しないと言う事です。
関根さんに出来たのだから、自分にも出来ると、
わが身で試さないと、「苗代という」「ガラパゴス」にて、朽ち果てるのみでしょう。

591:基本。
18/11/24 22:29:04.39 atQqxcqF.net
山名系教義の誤解は、愛町系教理の誤解は、言うならばおやさまの教えに「泥」を入れたようなものでした。
それでは、「おうていない」から、「成る」わけがない。
宗教家業のテクニックで粉飾したり、豪華な建造物で目を奪ったりと、そういう手法で信者が増えたと言うのも、
お助けが上がったと言うのも、みな、泥水事情。
そういう、大きな理の間違いと言うものを、きちんと指摘するのは、基本の基本的実行に相当します。
いまのみち上のまゝやとをもている
心ちがうで神のまゝなり (3-120)
上たるハせかいぢううをまゝにする
神のざんねんこれをしらんか (3-121)
お筆先三号の解釈の問題です。
第3号 120
いまのみち上のまゝやとをもている
心ちがうで神のまゝなり

592:基本。
18/11/24 22:32:04.46 atQqxcqF.net
この道を、上に立つ者が自由に出来るように思うて圧えようと思うが、
これはたすけ一条の道であるから、人間のままにならぬ。親神の意図通りになるのである。 上:高山
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この解釈は、「神の世界・神のまま」という一点が最も重大であります。
高山も、親神の手の平の上にいると言う、その認識は、山名系に最も欠落していて、
それだから、戦争協力という思考もまかり通�


593:チてしまったということです。 これまでハよろづせかいハ上のまゝ もふこれからハもんくかハるぞ (3-122)



594:基本。
18/11/24 22:41:17.75 atQqxcqF.net
親神様は、「心違うで」と言われていて、
それは、道の者の心が違うと、言われているわけです。
英文おふでさきにて、それは、きちんと分かります。
You are thinking that the present path is at the mercy of the high places,
but you are mistaken. It will be as God pleases.
お前たちが間違っている。
心違うのは、山名系であり愛町系、お前たちであって、「高山」の問題とは、このお歌では示されていないわけです。
お筆先3号には、こうあります。
 だん/\とをふくよせたるこのたちき よふほくになるものハないぞや (3-49)
 いかなきもをふくよせてハあるけれど いがみかゞみハこれわかなハん (3-50)
教えをすっきりと受け止められないで、いがんだ、かがんだ受け止め方しか出来ない当時の「先生方」は、用木では無いと、そういう事でした。

595:基本。
18/11/25 03:53:46.11 0nSR3rsW.net
既に、この世は陽気の旬になっている。
しかし、おやさまの教えを聞いた初代たちは、「道は神のまま」とは受け止めきれず、「道は上のまま」と理解した。
それは、元冶元年のつとめ場所の普請において、当時の高弟の本音として、心どうりに表に現された。
こういう「濁り」があっては、陽気の旬は来ていても、人の心が「昼の暗がり」を、心通りに出現させてしまう。
おやさまの教えは、「人類のもの」である貸し物借り物を「我がまま」にする大社高山の取り払いを説いているのに、
初期の信者の中の有力信者(高弟と言う高山)たちは、その天理の掃除の対象の高山に、媚を売るような態度ですらあった。
明治七年、明治政府は、国民を豊かにという「 pleases」として、富国強兵にまい進した。

596:基本。
18/11/25 03:59:32.35 0nSR3rsW.net
人のもの借りたるならばりがいるで
 はやくへんさいれいをいうなり    三号二八
おやさまは、明治7年に、このお筆先をもって、人の固有の精神と、それに神が貸し与えた肉体とを、
つまり「人のもの」を奴隷のように束縛し利用する「高山」に対して、決然と、その、「返済」即ち「奴隷解放」を迫ったが、
それは、明治6年に政府が、地租改正条例(太政官布告272号)を制定、
明治7年から地租改正に着手した高山への、厳しい理の責めであった。
地租改正は明治14年に改正作業が完了した。
その間、お筆先は、この高山の意図のどこにあるかを、厳しく理を責めておられる。
 高山は世界いちれつをもうよう
 ままにすれどもさきはみえんで 三号四八
この地租改正は、日本の帝国主義の道に向けての、国家の財政基盤を固めて、国民を牛馬同等のみちにおとしめていく一大悪法であった。
女子の身売り、自作農の小作化、女工哀史、そうした直接的な「債務奴隷」を生み、国民を総奴隷化する道を開けた。
このことを、おやさまは見抜いていた。

597:基本。
18/11/25 04:03:36.68 0nSR3rsW.net
明治7年四月、おやさまは、おふでさきに、
 このひがらいつのことやとをもている
 五月五日にたしかでてくる       四号三
 それよりもをかけはぢまるこれをみよ
 よるひるしれんよふになるぞや     四号四
と、日柄を予言した。
明治政府が、地租改正で実行し意図した、国民総奴隷化計画は、日清・日露の戦争において、具現化していく。
おやさまの唯一の弟子、伊蔵は、日清・日露の戦争の件にて、「五月五日」とは、今の事情だと解説している。
「五月五日」
「端午の節句」
「大本営誕生の日」
と、日柄を予言した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その、戦争協力の天理教団に組織を指導した山名系も又、
初期の高弟と同様の、理解しか出来ていなかったということだ。

598:基本。
18/11/25 04:06:28.04 0nSR3rsW.net
おやさまの弟子たちは、上に従い、王政の「祭政一致」に媚びへつらい、
こともあろうに、おやさまの思想の対極にある明治政府に、公認の道を模索していました。
それは、当時の信者の民意であり、総意であり、それは「真柱」にゆだねられた、信者の要求でした。
弟子の中でも「仲田義三郎」は、「山本利三郎」とともに、公認運動に教団をリードした指導者でした。
彼らの模索したものは、稲荷講の発展に見られるような、
明治政府の政策に迎合しての、教団の「繁栄」でした。
しかしそれは、お稲荷さん信仰の歴史の示すように、もともとの信心とはかけ離れた、「天皇中心の神道からの天下りによる思想支配」でした。
「大教の詔」を宣布し、国家を一つの宗教で統一しようとする高山に、迎合しようとする弟子たちは、真柱を代表として、おやさまに問答しました。
1887年一月十三日(明治20年陰暦12月20日)、真柱の立場にある中山真之亮と控え柱の立場にある前川菊太郎は、
明治政府に迎合したいという趣旨で、おやさまに、おうかがいをします。
その時に言われたのが、
『ぜんもって つたえてある。むっつヶしきことをいいかける。ひとつのことにとって しあんせよ』
との、お言葉でした。
弟子たちは、
「前以って伝えてある。難しい事を言い掛ける。一つの事にとって思案せよ」
と、理解し解釈しました。

599:基本。
18/11/25 04:10:33.52 0nSR3rsW.net
しかし、実は、
「「前以って伝えてある。六つが敷き事を言い掛ける。一つの事にとって思案せよ」
と、言う意味でした。
これが、おふでさき六号の事を示していた。わけです。
「お前たちの希望は、おふでさき六号の「元の理」の数理の


600:ままに実現するのだ。どんな事も、「元の理」の「一つ始まりに基づいて思案せよ」 事実歴史として、お筆先六号の元の理の数理のままに、天理教会神一条の道は、実現し、天理教は、一派独立しましたが、それは応法時代の、ことですが、 「ひながた」においても、元の理の数理のままに、歴史に刻まれているのです。



601:基本。
18/11/25 04:15:22.24 0nSR3rsW.net
> 1861年 南北戦争 ←→ 元の理の数理に基づく「つとめ」の開始。
その開始は、【一寸身上に】逸話篇というもので始まりました。
『 文久元年、西田コトは、・・庄屋敷へ詣ったら、どんな病気でも皆、救けて下さる。」という事を聞き、早速お詣りした。
すると、夕方であったが、教祖は、
「よう帰って来たな。待っていたで。」
と、仰せられ、更に、
「一寸身上に知らせた。」
とて、神様のお話をお聞かせ下され、ハッタイ粉の御供を下された。お話を承って家へかえる頃には、歯痛はもう全く治っていた。
が、そのまま四、五日詣らずにいると、今度は、目が悪くなって来た。激しく疼いて来たのである。それで、早速お詣りして伺うと、
「身上に知らせたのやで。」
とて、有難いお話を、だんだんと聞かせて頂き、拝んで頂くと、かえる頃には、治っていた。
 それから、三日間程、弁当持ちでお屋敷の掃除に通わせて頂いた。こうして信心させて頂くようになった。この年コトは三十二才であった。』
おやさまの思想は、「命のやりとりは、おやさまが支配がする」という思想。身体そのものにおやさまが知らせるという思想。

602:基本。
18/11/25 04:18:49.26 0nSR3rsW.net
大社高山の人間業では、絶対不可能な命題をつきつけて、命のやり取りの「理の世界」にて、人間のこころを掃除するという、思想であり、
それだからこそ、元の理を伝え、つとめの理にて、世界を普請するという、真実真心が、おやさまの思想には、満ち溢れています。
元の理の数理を歴史に残した「六つが敷き事」。
それは、西田ことさんからはじまつた。
ろくぢはまず女からという、おやさまの思想。
とふじんの干渉し、とふじんの支配する「日本」。
おやさまだけは、せかいろくぢに向けて、元の理を教え、つとめの理の完成を、身をもってお説きになっていたのでした。
すべては理の世界にあると歴史に示して、のことでした。

603:基本。
18/11/25 04:22:57.65 0nSR3rsW.net
こうした天理教幹部の姿は、まさに、掃除となる対象の高山そのものですから、
「理の親」なる大教会高山のままにする支配の教団となりました。
これが、出直しとなる126 正月26日の旬の、意味は、
陽気暮らしの旬という意味であって、日本の根の国の力が出現すると言う、旬です。

604:基本。
18/11/25 04:25:47.15 0nSR3rsW.net
第3号 90
にほんみよちいさいよふにをもたれど
ねがあらハればをそれいるぞや
旬は、来ています。

605:基本。
18/11/25 04:29:57.32 0nSR3rsW.net
「旬は来ています」
この意味は、とても簡単であり、とても重大です。
旬は来ていても、旬に撒かなければ芽は生えないからです。
かって基本は、その旬の出来事の一例として、「白の基本」として、投稿をしました。

606:基本。
18/11/25 04:32:25.51 0nSR3rsW.net
> 八十八夜は、1956年の陰暦1月から、1957年の陰暦1月までの期間です。
> 「教祖70年祭執行」
> 「1/26(12/24)より2/18(1/17)までを年祭期間とし、毎日つとめを、つとめる。」
> 天理市において、天理教が「おふかん道」に出たのは、「八十八夜」の旬でした。
二代真柱様の「八十八夜」は、今日の「おうかんみち」の到来であり、
七十年祭は、「なぜか」、陰暦を基準に、祭典日が定められ、かぐらつとめが、毎日つとめられたと記録されています。

607:基本。
18/11/25 04:36:06.91 0nSR3rsW.net
それでは、初代真柱様の「八十八夜」は、どのようなものであったでしょうか。
明治二年(1869年)の陰暦1月、から、八十八夜は、1869年から、5夜を一年とと数えて、
5夜5夜と数えまして、八十八夜=17,6年ですから、きちんと整理しますと、
一夜から五夜は、
1869年の陰暦1月から1870年の陰暦1月までの期間。
六夜から十夜は、
1870年の陰暦1月から1871年の陰暦1月までの期間。
・・・このように、数えていきますと、
七十六夜から八十夜は、
1884年の陰暦1月から1885年の陰暦1月までの期間。
八十一夜から八十五夜は、
1885年の陰暦1月から1886年の陰暦1月までの期間。
八十六夜から八十八夜は、
1886年の陰暦1月から1886年の陰暦8月頃までの期間。
このように、「八十八夜」とは、1886年の陰暦1月から8月頃までの期間と分かります。
陰暦1月、心勇講の信者が、豆腐屋の二階にて十二下りてをどりつとめました。
その事から、櫟本の分署跡の今に残る監獄に、教祖、真柱の真之亮、桝井、仲田が拘引、留置されました。
教祖は、『「心勇講」は、一の筆』と言われています。
八十八夜のことは、年表には、こうあります。
「7/21(6/20)」
「教祖『四方暗くなりて分かりなきようになる。其のときつとめの手、曖昧になることにてはならんから、つとめの手稽古せよ』と仰せられる。」
このお言葉を書きとめた初代真柱様は、「つとめの稽古」に取りかかりました。
八十八夜の出来事と言うことになります。

608:基本。
18/11/25 04:39:27.84 0nSR3rsW.net
それでは、八十八夜とは、なんなのか、歌が大好きなおやさまの、真骨頂です。
「夏も近づく八十八夜」→「茶摘み」です。
明治三年三月(陰暦1月)に、教祖は、お筆先を記されました。
 ちやつんであとかりとりてしもたなら
 あといでるのハよふきづとめや    二号 三
これは、茶摘み歌にあります、「八十八夜」の予言でありました。
一連を通して、拝読します。
 これからハをくハんみちをつけかける
 せかいの心みないさめるで      二号 一
 上たるハ心いさんでくるほとに
 なんどきにくるこくけんがきた    二号 二
 ちやつんであとかりとりてしもたなら
 あといでるのハよふきづとめや    二号 三

609:基本。
18/11/25 04:43:06.69 0nSR3rsW.net
おはらいさんが降るという、操作で、民意をあげくだしした「高山」。
神仏の分離を命じた政府に対し、教祖は、厳しく、理を責めておられました。
その、経過です。
慶応3年
* お払いさんのええじゃないか ←→ 立って踊る十二下り。
* 神仏判然令。神と仏の分離政策。 ←→ 南無天理王命。一体に唱える。
明治2年
*           ←→ お筆先一号。「胸のわかりた者は無い」
*           ←→ お筆先二号。「唐人がにほんの地に入る」
明治3年
* 大教宣布の詔宣布  ←→ 神楽のだし「ちょとはなし」教えられる。
明治4年
* 伊勢神宮を頂点に神社制度。
この明治の御代の始まりに、帝国主義を意図的に邁進する、その「高山」の悪意を見抜いて、
教祖は、理の証拠として、お筆先二号においては、おうかんみちが到来する刻限を、茶摘みの「八十八夜」にて、予言していたのでした。

610:基本。
18/11/25 04:45:25.11 0nSR3rsW.net
この明治の御代の始まりに、帝国主義を意図的に邁進する、その「高山」の悪意を見抜いて、
教祖は、理の証拠として、お筆先二号においては、おうかんみちが到来する刻限を、茶摘みの「八十八夜」にて、予言していたのでした。
初代真柱においては、「八十八夜」にて、その準備を、
二代真柱においては「八十八夜」にて、現実の「往還道」が到来しています。
明治二年のお筆先に知らされた「高山」の掃除の問題は、我々ようぼくの、心に置くべき、大切な教えです。
明治2年に、教祖は38日間の断食をしています。
明治2年から、38年を経て、明治41年に天理教は一派独立しました。
明治5年に、教祖は75日間の断食をしています。
明治5年から75日を経て、立教111年。おしえの復元開始となりました。

611:基本。
18/11/25 04:48:26.60 0nSR3rsW.net
このように、歴史に予言をきちんと刻まれたのは、疑い深い人間に、確かな証拠を遺し、「こわき危なき道」を、未然に防ぐようにと言う、親心からと悟らせていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
高弟たちは、神の支配と思わないで、実は「上」の世界と思っていた。
何一つ、狂いの無い天理であるからこそ、
濁った天理教団幹部の「半信半疑の指導者」=「実はとふじん」がいては、濁りの水であり旬は来ていても、人に陽気が到来しない。
それが、諸井神学であり深谷教学であって、諸井は「天理神学」を説いて、深谷は「元の理=こふき」を説いた。
第3号 69
いまゝでもしんがくこふきあるけれど
もとをしりたるものハないぞや
このように知らされていて、それならばなぜ、「神のまま」という「この世の元」が研究できなかったのか。
それは、おやさまを、なめてたと、みなすより無い事です。

612:基本。
18/11/25 04:52:05.80 0nSR3rsW.net
> 神一条のコミュニティー
この言葉の意味するものは、「陽気暮らし社会」と言う事であるとするならば、まず、天理教団内部においては、実現は不可能です。
天理教会組織というのは、普請現場の「普請用仮設事務所」と言うようなものです。
「地場と中山家」以外は、道具や用材、大工という存在であり、普請のためだけに設置されるものです。
その天理教会組織が、普請をするには、神の働きが無ければならない。
その意味で、おやさまの思想と、まるで違う向きの天理教信者の「陽気暮らし」は、「陽気遊山」とはまるで違うものといえます。
[413] 基本。 2007/03/16 03:21
天理教社会というのは、「陽気普請の職能・機能集団」です。
社会とは、一線を画した所に位置している。
それには、宗教社会という隠れ蓑は、宗教の因縁上からも、隠れ蓑として利用される事は、妥当です。
そして、世の中の「厄介者・廃れ者からたすける」。
これも、天理教組織の重大な役割です。
それに対して「講」というものは、「非天理教社会」です。
天理教会は、その意味で、「講」であるためには、職業を持ち家業をなさねばならない。
そして、社会の中の普通の経済体としての、存在に、戻る事しかない。
教会が講と言うのは、それだけの実践があった後の事です。

613:基本。
18/11/25 05:03:09.08 0nSR3rsW.net
世の中そのものの中に、「講」としてあるというのが「講」です。
天理教系統信仰の、あり方の中では、それは、不可能です。
つまり、系統をばらしてしまう事は、幼稚園児が一列に手をつないで、
いる姿を批判するようなもので、成人の途中としての姿である以上、系統はばらせない。解体できない。
一人前になった時から、自立した。
自立したものが、結ぶのが「講」。
自立できない信者の、手をつなぐ姿そのものは、意味を成さない。
と、言う事です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そこで、より深い考察が大切です。
「にほんの根」の問題です。

614:基本。
18/11/25 06:36:26.09 0nSR3rsW.net
�、元々おやさまは許さなかった。
�、弟子(信者・特に高弟たち)は、宗教組織になりたがった。
�、教祖に物を言わせなければ、公認を認めてやろうという条件を飲んだ。
�、教祖は、ものを言わなくなった。(お体冷たくなる) >扉開いた。
�、この世の泥海の中に、天理教会本部という「苗代」=地場ができた。
�、各地の講は、天理教会と公認を望み、地場の万分の一の理として、地域の「苗代」になろうとした。
と、このような、�から�までの経過を経ました。
ところが、各地の天理教大教会は、「苗代」であろうとするよりも「水田」であろうとた。
違いは、収穫をあげるという事です。
「苗代」は育てるだけて、役割を終えます。が、「水田」は、収穫をあげます。
基本的質問さんは、「講」と言う前提で、教会を論じようとしておられるけれど、それは理想ですが、現実の大教会は、「我が田思想」。
つまり、「苗代」に徹していない。
そしても「講」でもない。
欲と高慢のなれの果てです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現実の社会の中では、教団組織にいる状態の甘えた考えでは通用しません。
もうお分かりでしょうが、今もいつも、甘露は降っている。
その前提だからこそ、慎重さが大切なのです。
高弟や、山名や諸井や河原町や郡山や船場の、大間違いの教訓を、社会において、きちんと生かして、
講としてのありようへの、二十年三十年の道が、ある事、忘れない事です。

615:基本。
18/11/25 06:39:34.98 0nSR3rsW.net
山名系教学、神学は、天理教は「人間完成の道」と定義付けして、「成人の道」だからと、
それは、信仰指導者・理の親への孝行で、成人した子供になれると、
お尽くしやお供えや、大教会・教団への自己犠牲を美徳と説くに至りました。
世間では、諸井慶徳氏の事は、例えば以下のように評価している。
URLリンク(www.keio-up.co.jp)
諸井慶徳

616:基本。
18/11/25 06:42:24.14 0nSR3rsW.net
諸井慶徳の試みは、神学研究とは一線を画す。彼は神学を、研究したのではない。神学を樹立しようとした。それは、天理教という一宗教内の出来事に留まらない。
教祖的な人物を別に、近代日本で神学と教義学の樹立を強く意思した宗教者がどれほどいただろう。
諸井慶徳の営みは、そのほとんど類例を見ない独創的な営みとして評価しなくてはならない。
 天理教内での位置とは別に、宗教学者としての彼も、学会内で広く注目を集めていた。36歳のとき、日本宗教学会の理事に選出された。博士論文を公にしていない、
一冊の著作もない人物を京都大学が招聘しようとしたという事実も、また、諸井慶徳の特異な才能の一端を物語っている。
 イスラーム神秘主義研究において、井筒俊彦が容易に追随を許さない業績を残しているのは事実だが、彼がほとんど単独でその分野を切り開いたかのような記述は事実にそぐわない。
井筒俊彦もこよなく愛したイスラームの神秘家アル・ハッラージュの研究において、
諸井慶徳は先駆的なだけでなく、今日も凌駕されない研究を残している。ハッラージュ研究の一点においては、井筒俊彦に比べても、諸井慶徳の業績は傑出している。
 諸井慶徳のイスラーム研究が、私たちに垣間見せる深みは、彼が天理教の信仰者であることと無関係ではないだろう。
絶対的普遍者としての一神教、啓示の介入と教祖の出現、聖典の誕生、さらに聖域 の認識、天理教とイスラームそれぞれの宗教生誕の経緯は、驚くほど似ている。
 二者の近似を、単に比較宗教学的に論じても、深みがそこを通じて現れてくるとは思えない。
(引用続きます)

617:基本。
18/11/25 06:47:02.75 0nSR3rsW.net
苗代は、苗代として、世界の普請の人材を育て道具を育む。
けれど、苗代には、収穫は無い。
おやさまは、「東に種撒きゃ、西に生える」と言われました。
人間はその理を知らず、東に撒いて東に収穫しようと、
天理教団の繁栄という収穫を天理教団に種撒いて、結果として得ようとした。
恥ずかしいことです。
地場は苗代として、東。だと仮定しますと、各家庭は、西。
そこに収穫がある。陽気遊山がある。
収穫は、おのおのに、・・・
それがおやさまの、陽気遊山が見たいおやさまの、教えです。

618:基本。
18/11/25 06:50:16.48 0nSR3rsW.net
「東に種撒きゃ、西に生える」は、神様に尽くしておけば、必ず自分に返ってくるという意味として説かれたりします。
それは、天よりのお与えとしての「甘露」とは違う次元のご守護です。
天が無条件に与えてくださるものと、心次第のものには理として大いに相違があります。
そして、心次第と言うのは、天理教に無関係な人も批判する人も他宗の信者も、一列です。
無条件にお与えくださる「甘露」とは、甘露台で、おやさまがお渡しになるものですから、それは、一列に渡すためのお与えですから、
特定の〇〇さんの受け取った独占物ではない。
どこどこまでも隔てない、おやさまのご配慮が、大前提となります。
魂の徳のある関根先生と言う表現は、「追従」であり、関根豊松さんは、おやさまの子にすぎません。
信仰上にままある、虚構。
嘘と追従。
諸井慶徳さんは、一度も客観的ではなかったと、指摘が評価としてありましたが、
客観的で無いと言う事は、「虚構」と言う事です。

619:基本。
18/11/25 06:58:55.56 0nSR3rsW.net
おやさまの教えは、「客観的」であり、厳然とした数理で、客観的に予言は実現してある。
主観的な信仰と言う「嘘」の世界が、泥水の実態です。
山名系・愛町系という異端は、虚構ゆえに異端なのです。
戦時下では戦争協力教理を、指導し説いた諸井慶徳先生。
それは、「嘘」「追従」。
そして戦後は、人間完成の道を説く、嘘追従。
僕は何にも持っていないと言いながら、熱海に梅園をちゃんと持っていた関根豊松さん。
しまいには、自分が神だと言うような、嘘。
本部の直属にと勧められても、それには従わず。
弟子には関根式「理の親信仰」で、素直さを教え込む大嘘。
上級の為に、自分は部下であり続けると言う、それでいて下克上と言う関根式「嘘と追従」は、
まさに「遅れてきた初代」そのもの。
全国各地の大教会初代たちの「嘘追従物語」の、最終章の、末路でした。
おやさまは、そんなインチキな苗代を拵えたのではない。
拵えさせたのでもない。
ようやく、99年が経ち、100年になろうとしています。
皆、出直しです。

620:基本。
18/11/25 07:09:50.12 0nSR3rsW.net
そこで、説いただけは通らなければならないという天理があります。
説いただけは、通る。
それが、おやさまのお楽しみです。

621:基本。
18/11/25 07:34:13.75 0nSR3rsW.net
天理教の教会の土地や建物は、元々誰かが寄付したものです。
その資産価値は、土地代建物代、膨大なものであったりもします。
数千万はするでしょう。
それを継がせたいためにね後継者を「跡取り」として、「財産後継目的」で、育てているのが普通です。
家賃ただ、固定資産税の支払いは優遇の宗教法人。
そんな誰に供えたのか、寄付したのか分からないで、寄付で出来た教会だから、欲で子供に継がせようとする。
そして洗脳する。
見えている建物や土地、それを天理教として財産化して、子供を苦しめる。
恥ずかしい事です。
そんな天理教会は、欲の塊ですから、信じる必要もないし、離れてしまった方が、賢明です。
おやさまの、お心にもかないます。
ぶっ壊したい、賛成です。大賛成です。

622:基本。
18/11/25 07:37:26.29 0nSR3rsW.net
ありもしないものを拝むのは馬鹿です。天理教の後継者だと言う育て方も以上であり狂っています。
洗脳が解けたことは、嬉しい事です。

623:基本。
18/11/25 07:40:34.48 0nSR3rsW.net
3号 77才老女 明治7戌年1月ヨリ 
このたびハもんのうちよりたちものを
はやくいそいでとりはらいせよ (3-1)
天理教の一門の中に、私的財産として教会を経営している「理の親信仰」の掃除は、
神の望みです。
後継者さんには、それを壊してしまう役割があります。
壊してしまうと言うのは、建物破壊では無く、欲の心の破壊です。
教会を私物化させないで、ありもしない神の為ではなく、人のために活用する事です。

624:基本。
18/11/25 07:43:27.72 0nSR3rsW.net
このたびハたすけ一ぢよをしゑるも これもない事はしめかけるで (3-17)
いまゝでにない事はじめかけるのわ もとこしらゑた神であるから (3-18)
にち/\に神のはなしがやま/\と つかゑてあれどとくにとかれん (3-19)
なにゝてもとかれん事ハないけれど 心すましてきくものハない (3-20)
すみやかに心すましてきくならば
よろづのはなしみなときゝかす (3-21)
このよふのたしかためしかかけてある
これにまちがいないとをもゑよ (3-22)

625:基本。
18/11/25 07:46:17.31 0nSR3rsW.net
おやさまは、この世の中の「確かな証拠」として、「ためし」をかけました。
このためしすみやかみゑた事ならば
いかなはなしもみなまことやで (3-23)
なにもかもいかなはなしもとくほどに
なにをゆうてもうそとをもうな (3-24)
めへにめん神のゆう事なす事わ
なにをするとも一寸にしれまい (3-25)
はや/\とみへるはなしであるほどに
これがたしかなしよこなるぞや (3-26)
これをみてなにをきいてもたのしめよ
いかなはなしもみなこのどふり (3-27)
人のものかりたるならばりかいるで
はやくへんさいれゑをゆうなり (3-28)
このためしすみやかみゑた事ならば
いかなはなしもみなまことやで (3-23)

626:基本。
18/11/25 15:42:44.35 0nSR3rsW.net
ためしをかけたと言う事は、それを見せたら、
このためしすみやかみゑた事ならば
いかなはなしもみなまことやで (3-23)
ためしとは何であったのか。
それは、お筆先三号においては、基本的には、

しかときけ三六二五のくれやいに むねのそふぢを神がするぞや (3-64)
十一に九がなくなりてしんわすれ 正月廿六日をまつ (3-73)
いまゝでの事ハなんにもゆてくれな 廿六日にはじめかけるで (3-113)
二二の二の五つにはなしかけ よろついんねんみなときゝかす (3-147)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、3625の数理。0126の数理。22の2の5の数理。
これが、見えたときから、理の世界がきちんと見えて分かるようになると言うためし。
かけておかれた、おやさまでした。

627:基本。
18/11/25 15:48:36.40 0nSR3rsW.net
八島秀雄さんが、八島教理の「教典」ともいうべき文書「私の教理勉強」を出版したのは、昭和51年3月26日でした。
 天理教教典・昭和24年10月26日公刊。それから、3625の、数理で、28年目は、
{数えて28年目}→昭和51年3月26日、「私の教理勉強」出版でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3625と222の5についても、確認しておきましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
> 3625 > 22の2の5
天理教の目的は、「大社高山取り払い」にあります。
3625 とは、大社因縁の。
22の2の5 とは、高山因縁の。 と、簡単に理解されます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

628:基本。
18/11/25 15:51:18.42 0nSR3rsW.net
お筆先には、三号の147にあります。
「二二の二の五つに話しかけ 万づ因縁みな説き聞かす」
これですね。
 先ず、お筆先の前後を参照、考察しておきましょう。
「二二の二の五つに話しかけ 万づ因縁みな説き聞かす」 三号147
「高山の説教聞いて 真実の神の話を聞いて思案せ」 三号148
つまり、「元の親神様のお話」と「高山の説教」との、対決宣言のような内容ですね。
 もう一つ、こういう見方も出来ます。
「今の道 埃だらけであるからに ほふけを持ちて掃除ふしたて」 第三号145
「後なるハ 道ハ広くでごもくなし 幾たりなどと連れて通れよ」 第三号146
「二二の二の五つに話しかけ 万づ因縁みな説き聞かす」 三号147
「高山の説教聞いて 真実の神の話を聞いて思案せ」 三号148
このように、セットにしてみますと、
「掃除する→大勢を連れて通れる」→→「教えの説き始め→高山の説教との対決」
と、このように見ますと意味が良く理解できると思います。

629:基本。
18/11/25 15:55:33.69 0nSR3rsW.net
「22の2の五つ」と言う数字ですが、先ずひな型においては、夫善兵衛様の問題と言うように、理解するのが基本です。
それは、嘉永六年に、二月二十二日に出直しになっています。66歳です。
この数字の並び、「22の2」の数理として、ろくぢという、二が三つで6という意味に解しています。
ろくぢと言う教えに反していて、掃除されたと言うのが、基本的な見方です。
22年に出直しているという意味では、真柱に欲しいと望まれていて、親が承知しなかったので「迎えとられた」梶本亀造さんの例があります。
立教       天保九年 10月26日  西暦 1838年 12月12日 1年目
梶本亀造の出直し 西暦 1860年 2月20日 22年目  (1859年12月12日~1860年12月11日 の間)
いずれの場合も、「谷底」に落ちると言うおやさまの方針に対して、各々地方の「高山」として、そむいたと言うことです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

630:基本。
18/11/25 15:58:24.49 0nSR3rsW.net
天理教は、きちんと「ためし」がかけてある、現実の神。実の神です。
ためしの中でも、えらいためしという教えがあります。
 このもとわ四十三ねんいせんから ゑらいためしがかけてあるぞや 第15号41
43年の数理は、
 又、43年の数理は、「天理2」天災の数理にて語られています。
 1993年(平成5年)1月15日午後8時06分07秒 釧路�


631:ォ地震発生。 →43年以前とは、1950年1月が43年前で、その以前に当たる、前年10月26日。中山善衛を真柱後継者と選定。  1994年(平成6年)10月4日22時22分57秒 北海道東方沖地震 →43年以前とは、1951年10月が43年前で、その以前に当たる、同年4月27日。雛型かんろだい据えかえの儀。  1994年(平成6年)12月28日21時19分21秒 三陸はるか沖地震 →43年以前とは、1951年12月が43年前で、その以前に当たる、同年4月27日。雛型かんろだい据えかえの儀。  1995年(平成7年)1月17日火曜日午前5時46分 1995年兵庫県南部地震 →43年以前とは、1952年1月が43年前で、その以前に当たる、前年4月27日。雛型かんろだい据えかえの儀。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ つまり、真柱様は、震災を知っていたという事は、歴然としています。 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> まさに、おやさまは、実の神として、現実社会の親神として、えらいためしを、きちんと、予言し、実行し続けているのです。



632:基本。
18/11/25 16:01:05.61 0nSR3rsW.net
予言の書としてのおふでさきは、音と文字の二通りにて告げられています。
文字としては、 この神の残念と発生の43年の数理は、以下の15号の和歌に書かれています。
 あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 10
 いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
 けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12
 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 13

633:基本。
18/11/25 16:08:51.67 0nSR3rsW.net
紹介しました、15号のおふでさきには、
 10番のお歌で、「明日から働く」とありますね。
 13番のお歌で、「さあ今日は」とありますね。
これが、何時の事かと言いますと、これが書かれたのは、第十五号 明治13年1月より 90首 83歳 1880年の1月。
 あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 10
 いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
 けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12
つまり、10番と12番までの間に、43年がある。
そして、13番に、「さあけふハ月日のはらがはぢけたで」とありますから、
神は立腹なのだが「控えていた」「ぢいとしていた」1880年の、翌年1881年から一年、二年と数えて、
その43年後が、
 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 13
と、腹がはじける事態となるとの予言です。確認します。
1880年から、数えて43年、1923年。関東大震災。
関東大震災という、まさに月日のはらがはぢけた震災が、襲ったのは、キチガイ婆さんの予言の数理そのものでした。

634:基本。
18/11/25 16:23:39.29 0nSR3rsW.net
>天理教
>人助けを、名目で多額の寄付を、つのる教会があります。
>全然人助けになってないし、相談にもならない
>それだったら共産党のほうが、よっぽど人助けしている。
>少なくとも共産党は、多額の寄付を要請しない
>少しは、共産党みならえ!
「地場は独り立ちしてある」と教えられていますが、それは、「天理教会は地場の万分の一の理」ですから、天理教会は自立自活していなくてはならない事の意味を含んでいます。
つまり、家業と言うものを持っていなければならないし、持っていれば「集金業務」はしなくて良いわけです。
中山家は、現実には家業をしています。百姓・寺子屋・お針子・・それらは、成立しているわけです。
各大教会も、福祉や教育の仕事を経営していたりしていますが、その余分に、信者からの献金を、生活費や贅沢費に集めていて、
大教会が集金した金の二割は、本部に届いていたとして、あとは、届いていないでしょう。
大教会の直属教会もその理の子だと自称していたほどですから、まず八割は、自分の教会にて使ってしまっていて、いやそれ以上を中間搾取していて、
神が怖くないわけで、
その分、色々と手入れ頂いていて、健康管理に必死なことでしょうが、親神様はとても怖いので、お気の毒です。

635:基本。
18/11/25 16:32:16.63 0nSR3rsW.net
>「とうじん」とは親神様の教えを知らない人、信じていない人の
>他に、この資本主義経済社会をつくったユダヤ人という意味も
>あるのでしょうか?
とても難しいご質問です。
> この資本主義経済社会をつくったユダヤ人
これが、客観的事実としてそうな�


636:フかどうかという問題が先ず先にあります。 客観的事実としては、「産業革命」があり、「拡大再生産システム」が作られて、つまり工業生産においての「いつも豊年」の状態が出来たと言う事です。 それが、「資本家」においての膨大な資産形成を容易にして、「資本家と労働者」というような構図が格差としてこの世に生まれた。 その、資本家たちが市場を支配し、金融資本家として、「この資本主義」を作ったと言う事は、そのとおりでしょうが、 それは、「おやさま」の手の平の内であって、 欲の心から、利益独占のための大社高山がそのように振舞うことは、世界一列を放念にするための神の「ためし」であったと言うのが、基本的見解です。



637:神も仏も名無しさん
18/11/25 20:00:08.07 IWxUDcf3.net
ユダヤ・イルミナティの話してんの?

奴隷船貿易のオーナーがすべてユダヤ人だったんでしょ?

638:神も仏も名無しさん
18/11/25 20:07:30.27 IWxUDcf3.net
被害者のフリしてるのが一番都合がいいものな。

639:神も仏も名無しさん
18/11/25 20:10:01.87 IWxUDcf3.net
奴隷船オーナー ユダヤ人


検索

640:基本。
18/11/25 22:27:47.19 0nSR3rsW.net
> 明治2年、おふでさき二号にて とふぢんがにほんのぢいい いりこんでままにするのが かみのりいふく 二号32
 元冶元年の頃には「大和神社」は、拝して通れと、おやさまは、敬意をしめされています。
しかし、「大教の詔」の後の、「大和神社」には、決然と、理非を諭されています。
この相違点こそ、明治維新の裏の「高山」たちが、本来の「やまと=にほん」に介入したと言う、宗教事情をきちんと示しています。
 ほんらいは、おやさまの思想を「裏から教えていた」、「にほん」に、「とふじん」が、干渉し、支配を開始していたのです。
前年   ええじゃないか、(プロパガンダ)の世直し。
     王政復古。
明治1年、神仏判然令。
     排仏毀釈運動おこる。(プロパガンダ)の宗教統制。
明治3年 大教宣布の詔(みことのり)
明治4年 皇室の祖先神を祭る伊勢神宮を頂点に神社制度を設けた。

641:基本。
18/11/25 22:34:42.59 0nSR3rsW.net
前年   ええじゃないか、(プロパガンダ)の世直し。
     王政復古。
明治1年、神仏判然令。
     排仏毀釈運動おこる。(プロパガンダ)の宗教統制。
明治3年 大教宣布の詔(みことのり)
明治4年 皇室の祖先神を祭る伊勢神宮を頂点に神社制度を設けた。
対して、おやさまは、明治2年、おふでさき二号にて
 とふぢんがにほんのぢいい いりこんで
 ままにするのが かみのりいふく     二号32
決然と、理を責めておられます。
おやさまと、たかやまのとふじんとの、たたかいは、一貫したものであったと言う事です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、ひながたの史実においては、「ユダヤ」ではなく「アメリカ」が、「とふじん」でした。
米国は、「割礼」を現行していて、処女マリアを処女で出産したと説く国、「説く大社」に支配された国です。

642:基本。
18/11/25 22:47:03.09 0nSR3rsW.net
学問のススメにも、明治維新の「高山」の一部にも、大きな影響を与えていたものは、それは、アメリカの思想である。
・・キリスト教徒には、罪深き黒人を、救うと言うことと、奴隷にすると言うことは、けっして矛盾したものではなく、
アメリカの自由と独立は、そこに奴隷がいてのものであり、「とふじん」の思想そのものであった。
しかし、劣等国から先進国の仲間入りをめざした明治の「高山」には、その「とふじん」の思想が魅力的なものに見えていたと言うことである。
「米国」、「自由と独立」、その背景の強い武力に、あこがれを抱いた軍国主義者が、明治の高山の「とふじん」に大勢いた。
 おやさまは、その思想背景をきちんと見据えておられた。

643:基本。
18/11/25 22:52:59.37 0nSR3rsW.net
> 実は、維新の幹部たちは、奴隷制に支えられた大農場を基盤とするアメリカの経済力と軍事力を、模倣すべく、
> 地租改正と徴兵制への準備に入っていて、
> それは、アメリカの思想の影響下にあったと言うことです。
日の本の、大和の庄屋敷の片田舎にいて、おやさまは、世界を動かす、帝国主義の覇権行動を、じっと見据えておられました。
 これからハからとにほんのはなしする
 なにをいうともハかりあるまい    二号31
 とふじんがにほんのぢいいいりこんで
 ままにするの神のりいふく      二号32
この時代、「唐人」と言えば、「唐人お吉」が有名です。
アメリカ人を「唐人」と呼んでいたのは、明治の社会の常識です。

644:基本。
18/11/25 22:57:24.84 0nSR3rsW.net
米国の思想介入は、米国の大社・高山の思想背景が、聖書の原理主義であるとみなすのが基本です。
 1840年アヘン戦争。     ←→ この年「貧に落ちきれ」との神命。
 1853年ぺりーの軍艦威嚇。  ←→ この年「母屋のとりこぼち」。酒肴で祝う。
 1856年唐人ハリス下田に。  ←→ この年、足達重助の四歳の娘、足立つ。たすけ開始。
 世界中の、債務奴隷の難儀を、谷底からたすけあげようと言うおやさまの思想は、
こうして、「とふじん」がままにする姿に対して、自ら難儀の底に落ちて、吹き上がると言う、思想を示しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世界が、植民地支配される中、米国は経済支配のみならず思想支配をリンクさせた奴隷国家に植民地を陥れていきます。
それが、「債務奴隷」による支配。「金融市場主義」のよる、「債務支配」です。
米国そのものも「国家」は「債務奴隷化」されてしまっています。
市場もまた、しかりです。
しかし、おやさまは、そうした「大社高山」の取り払いの道を、ひながたにきちんと残されています。
それは、奴隷経済では無い「自立経済」です。
この年、足達重助の四歳の娘、足立つ。たすけ開始。
足が立ったのではなく、おやさまのたすけの道が立ったと言う事です。
唐人は米国民の大多数も債務奴隷にしていて、
しかし、奴隷と感じさせないために、快楽もまた、宗教思想もまた、統治に用いられていると言う事です。

645:基本。
18/11/25 23:05:05.14 0nSR3rsW.net
ひながたの史実を客観的に見つめれば、天理教指導者たちは、明治政府の意には従わず、素朴に谷底競り上げにまい進できたのですが、
高弟たちは、自分たちが宗教的権威権力になりたくて、逆に、明治政府に媚を売りました。
また、宗教家業の専務となり、寄付され寄付された宗教建造物の資産を、私的財産として扱い、
まさに理の親信仰と言う「奴隷住み込み人」までありという、真逆の謀反状態すら、見受けられて、
天理市の施設は軍部の協力に専心したほどです。
おやさまの教えに背いた彼らは、ことによったら、
ほんの昨日までの大教会や有力教会の実態かもしれません。

646:基本。
18/11/25 23:15:25.15 0nSR3rsW.net
今日の現実の事ですが、神様から〇〇に手入れがあった、知らせがあったと、
基本に質問してくる場合に、会った知らせと言うもの全てではなく、一部を相談し、一部は相談しないと言う事があります。
それは、誰にもある事ですが、聞かなくても分かってるとか、どうせ言われることは一緒だとか言う判断がそうさせたりします。
又、本人に深くかかわることは、それだけは相談しないと言う場合もありました。
これも、客観的でない場合の一例になりますが、そういう場合には、「身の知らせ」そのものが、知らせとして「客観的には・成立」していません。
問われた瞬間に、「それ知らせですか?」と、疑問が湧く場合には、ほとんどそういう、恣意的な質問の場合です。
その場合でも、問われれば理の意味はお答えしますが、それは「重大なキーワード」の無い状態でパズルを解くように、見当違いに誘導されてしまう。
天理教の幹部が、おやさまの教えを客観的真実とみなさず、
「宗教的真理」とみなしたのは、自分に都合不都合が優先していたと、幹部の都合で、教理を曲げて説いたと言うべきでしょう。
それもこれも、実はみなおやさまの、手の平の上なのです。
高山が、そうであって、今もそうである様にです。

647:基本。
18/11/25 23:27:08.58 0nSR3rsW.net
書くのが、遅くなりましたが、彼が寝起きするようになって数日したとき、長男の嫁さんが基本の奥さんに、
「何かあった?」と、
お知らせあったけど、覚えが無くて、そっちかなと思って、と聞いて来たとの事でした。
それで、今彼がいるよ、と、簡単に経過を話したら、
「仕事、手伝って欲しいな」と、
「神様から、知らせあったから、こっちに手伝った貰うよ」と、
・・
長男は基本とは完全独立していて、自営業していて、その仕事を頼みたいというのです。
・・
ま、長男夫婦のことは、何処までか、・・・
神様のお知らせだと、勝手に言っているわけですが、
今日は、基本の奥さんが案内して、どんな仕事か見てもらった。
本人は、やってみますと、そんな話のようです。
とりあえず、なる理に任せてみます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「神様の知らせだと勝手に言っている」と書いたように、都合で知らせの一部を利用していると、基本的には分かっていました。
彼は、基本よりは、長男の夫婦を選択し、私から離れ、社員になって仕事を始めました。
それから、どうなったか、・・、対偶の問題から対立し、今年一月には、離れていかれました。
身の知らせは、客観的でない場合には、つまり、天理の返しとして、本人に「嘘つき」という烙印を押したりします。
心得たい基本です。

648:基本。
18/11/25 23:36:59.60 0nSR3rsW.net
つまり、おやさまは、「から」の思想の本質を、「から」と一言で諭しきっておられる。
「一に百姓助けたい」との、おやさまの思想。
「農業という業を営む」。これには、「から」は無い。
しかし、金融資本主義を見たらわかる。
尽くが「から」である。
株券が、電磁化された事は、まさに、「から」であることの自白である。
金融市場においては、実際の製造も製作も無い。
マネーゲームと呼ばれるが、元々、親神様が人間にお貸し下された無料の物を、
人間が価格をつけて付加価値として金銭に交換した貨幣経済においては、貨幣と対価の物品が存在した。
しかし、それには、限度がある。
人間がルールをこしらえて、株式の売買というゲームにおいて、無から有を生み出し、
世界中の経済は、そのゲームそのものに支配されている仕組みに見えている。

649:基本。
18/11/25 23:43:01.22 0nSR3rsW.net
東京の不動産が高騰していて、バブルに向かっているという。
土地というものは、それ自体、親神様からの貸物借物である。
公地公民の時代には、天皇陛下からのお分けいただいた口分田であった。
少なくとも江戸幕府までは、土地は、公のものという認識が支配していた。
それを完全に崩壊させた、明治維新の唐人思想。
税制の改革で、土地は、マネーゲームの対象になった。
「需要と供給」という経済ゲームのルールは、土地に適用されて、
大都市の地価は高騰し。その信用力に、金融資本が投下されて、貸物借物の土地は、「大社高山」の基盤となった。
・・・
今は、情報が、マネーゲームの対象となり、大社高山は、そこに、今までに成功したノウハウを集約している。
・・・
それは、親神様の、手ひどい返しの、道具を自ら構築しているようなものである。
旬刻限の到来の意味は、そんなに単純なものではない。
現代社会とは、「神が表に現れた」、「現れた時代」という自白とも解する事が出来る。
すでに、天火は、人類をろくぢに向けて、降り注ぎつつつあると言う事だ。

650:基本。
18/11/25 23:46:07.75 0nSR3rsW.net
恐竜の教訓があります。
高山が、強大で難攻不落のシステムを作り、構築する。
それは、滅亡の道。
親神様は、ヒットマンとしては、神です。


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