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親鸞の布教開始の動機は、以下に記されています。
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◎恵信尼消息 第三通 ○【現代語訳】
善信の御房(親鸞聖人)は、寛喜三年(一二三一)四月十四日の昼ごろから、すこしお風邪をひかれ、その夕方からおやすみになっておられましたが、病気が次第に重くなられました。
腰や膝をなでさせもせず、看病人も全く寄せつけず、ただ静かに寝ておられました。
おからだにふれてみますと、体温が火のように熱く、頭痛も激しくて、ただごとでないご病状でした。
ご病気になられて四日ほど経た明け方、お苦しみのなかで、「まこと、そうであろう」と仰せになりましたので、
「いかがなされました。うわごとを申されたのではありませんか」とおたずねしますと、
「うわごとではありません。病気になって二日目から、『大無量寿経』を休むことなく読んでいました。
ふと目を閉じてもお経の文字が一字も残らずはっきりとくわしく見えます。
これはいったいどうしたことであろうか、不思議なことだと思いました。
お念仏をよろこぶ信心よりほかに、なにか心にかかることがあるのだろうかと思い、
よくよく考えてみますと、今から十七、八年前にもっともらしく『浄土三部経』を千部、衆生利益のためと思って読みはじめましたが、
これはとんでもない間違いをしている。
善導大師の著わされた『往生礼讃』に、
「自信教人信、難中転更難」とあるように、
自ら信じ、人を教えて信じさせることが、ほんとうに仏の恩に報いたてまつることであると信じていながら、名号を称えるほかに、なにが不足で、お経を読まなければならないと考えたのだろうと反省して、
読経を中止したことがありました。
このような読経への思いが、いまなお少し残っていたのでありましょうか。
人が一度思いつめると、それにとらわれる心と、自力への思いは、たやすく捨てきれないもので、
よくよく注意しなければならないと反省したのちには、お経を読むことはなくなりました。
このようなことで、病に臥して四日目の明け方に〝まこと、そうであろう″といったのだ」と申されました。
そしてまもなく、ひどく汗をおかきになつて、病気は快復されたのでした。