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正方眼蔵 見仏 釈迦弁尼仏が大衆に向かって言われた。「諸相と非相を同時に見ることができればそのまま如来に見える
事になる」いま言うところの見諸相と見非相、つまり諸相が見えていることと、同時に非相が見えている事は、そのまま
全体が透徹していると言うことであるしたがって、それは如来にまみえていることになる。この仏に見えるという事は、
既に仏道が開かれて実現している事を示すのである。仏にまみえる眼が活き活きととしてはたらいている路行が、仏に
参学する眼に外ならない。ところで自分の仏を自分以外のものに見たり、さまざまなものがもつれあってくる。けれども
そうした中で仏に見える事、すなわち見仏を参学、見仏をすでにうなずいたり、見仏をさらに抜け出して、見仏を生き抜い
たり、見仏を使いこなしたり、というように見仏について色々な働きが出てくる。こうした事はいずれも昼は昼で日に向か
い、夜は夜で月に向かう事にほかならない。・・・・??見るという事はジタバタしてもこちらからもあちらからも身得る
のが見えるのか?まあ絵絵か要するに修行して空の三昧が身についてない私は注意散漫で修業の基礎からやり直し
参歩以上は駆け足で坐禅使用。人の欠点よりまあ良い所も見よう真実の裏ばかり見るなそれなりに真実にも事情が有る師