坐禅と見性第114章馬が田に入り、牛が田に入り、早乙女が田植えするat PSY
坐禅と見性第114章馬が田に入り、牛が田に入り、早乙女が田植えする - 暇つぶし2ch351:神も仏も名無しさん
17/01/12 01:56:47.46 RckjlAO6.net
>>272
>「心は万境に随って転ずる、転処実に能く幽なり」で、臨済が「転」曹洞が「幽」を重視すると云いますが、何故「幽」なのか解りました。
上記をみる限り、目指す至高に二種ある様にも取れるでしょう。
つまりは、転と幽と、です。
臨済宗でも曹洞宗でも、結局は両方を学びきる事に違いはありません。
何故ならどちらも仏道だからです。
お釈迦様は上記の二種を経典でこう述べられています。
「はじめに法住智があり、そのあと涅槃智がある」
簡単に言うなら、前者が「生」で後者が「滅」となるでしょう。
生と滅とは合わせて二種なれども一如だ、と言うのが実際な訳です。
どこぞの御仁は一如(一の如し)が説けないと強弁してますが、一如は実際の有様に過ぎず
真理そのままではありませんから説明出来る事なんです。
言葉で説明したら途端に別の事になってしまって説けない、言葉にし難いものとは
一義、つまり勝義諦(第一義諦)の事に他なりません。
例えば見るそれ自体も聞くそれ自体も実況する事は絶対に出来ず
言葉に出来てるのはそれを思考認識出来たあとなので
色も音も説明は出来るがそれ自体を語る事が出来ないのです。
これが「彼」が本来言いたがってる、語りにくい代物の正体です。


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