☆★『幸福の科学』統合スレッドpart「性の儀式」★★at PSY
☆★『幸福の科学』統合スレッドpart「性の儀式」★★ - 暇つぶし2ch662:神も仏も名無しさん
18/06/10 16:59:11.90 H5NSn4O2.net
 ユダヤ教は、もともと、イスラエルのユダヤ民族の小さな宗教だったわけですが、「次の世界宗教としてキリスト教が出現する基盤をつくるために、途中からエローヒムという神が入っていった」ということです。
 しかし、このあたりの区別が、ユダヤ教のなかでは明確についていません。
イエス自身も、『旧約聖書』を勉強していたので、この区別がはっきりしていない部分があるのですが、イエスが信じていたのは、エローヒムという神のほうです。エローヒムは、当時、中東全域を覆っていた「愛の神」だったのです。
 それで、古いユダヤ教を信じている人たちは、キリスト教を迫害しましたが、その後、また、「キリスト教 対 イスラム教」の争いが起きています。
 このイスラム教を指導したのも、『救世の法』に書いてあるように、その当時、中東全域を覆っていたエローヒム(アッラー)なのです(前掲『「ヤハウェ」「エホバ」「アッラー」の正体を突き止める』・参照)。 。
 したがって、神は"同じ”なのですが、このあたりを理解し合えていない部分があります。さらには、偶像を否定しやり、「われ以外、神なし」と言ったりした者との軋轢などによって、教えがいろいろ混在して整理ができていないために、戦いが起きているのです。

663:神も仏も名無しさん
18/06/10 18:01:57.75 H5NSn4O2.net
  世界の紛争を根本からなくし、未来を拓く幸福の科学の使命
 今、私は、それを全部、整理し直そうとしています。そうした世界宗教のもとにあるものを、ルーツのところからきちんと整理し、世界の紛争を根っこからなくそうとしているのです。
 核兵器を用いるよりも前に、宗教の根元から、その勘違いや、相互理解のできていない部分を、根本的に直そうとしているわけです。
 幸福の科学は、そういう大きな使命を持っています。
 さらに、幸福の科学は、単なる国粋主義的な右翼の運動とは、当然違ったものではありますが、日本神道に対しても十分な理解を持っています。
 私は、過去、キリスト教にも、イスラム教にも、ユダヤ教にも、その他の世界の宗教にも、あるいは、アフリカ等にもかなり大きな影響を与えてきました。もちろん、エジプトにも、ギリシャにも、ローマにも、インドにも影響を与えてきました。
 そして今、日本にも大きな影響を与えようとしています。今、あなたがたに明かされている「未来の計画」を実践していかなければならないと思っているのです。
 未来は、ただ与えられるものではありません。「自らの力で拓いていこう」と、


664:強く願っていただきたいのです。



665:神も仏も名無しさん
18/06/10 18:03:44.22 H5NSn4O2.net
>>557-579
🌟 信仰の法 第4章

666:神も仏も名無しさん
18/06/11 00:09:21.71 eRggssnr.net
🌟 信仰の法 第5章
地球神への信仰とは何か
1 エル・カンターレは「地球神」
  幸福の科学は日本の一宗教の枠を超えている
 現在、私は海外伝道も行っていますが、今後は、"危険地帯”にも巡錫に赴くことになるだろうと思います。
 今は国際時代であり、昔ほど交通の便が悪いわけではないのですが、何か不測の事態が起きないとも限らず、万一、言い残したことがあるようだと、あとで後悔する可能性があります。
 また、はっきりとは説明していないものとして、「エル・カンターレ信仰」があります。これについて詳しく語ってはいないため、一度、説いておきたいと思います。
 私が常々、「不惜身命」と言っている以上、いつ何が起きてもいいように、大事なことは述べておきたいのです。それを語るべき時が来ていると思うので、話すことにします。
 幸福の科学の教えは地球規模になってきていますし、日本の一宗教としての分はすでに超えていると思うこともあります。
 私は、2010年の10月に、石垣島と沖縄本島に行き、日中の国境にて、この国のあるべき方針を語りましたが、そろそろ宗教としての限度を超え始めていると思っています。
 ほかの宗教には、今、ここまで言えるところはないので、当会は一宗教の枠を超えて情報を発信し始めていると言えます。
 それは、同年10月の愛知県体育館での法話「宗教の復活」(『この国を守り抜け』第5章所収)においてもそうだったと思います。世界に衛星中継をかけていたこともありますが、そこで私は「ワールド・ティーチャー」としての立場を宣言しました。

667:神も仏も名無しさん
18/06/11 00:10:22.14 eRggssnr.net
  会の規模や教え相応に変化してきた、幸福の科学の信仰形態
 今、私は、「幸福の科学では、信仰の段階が、以前の状態から脱皮し、進化し、次第に変化しつつあるのではないか」と考えているところです。
 そもそも幸福の科学は、1986年に東京都の杉並区で六畳一間の小さな仮事務所から始めたわけですが、それから現在までの約三十年間に、やはり、会の規模や教え相応に信仰の形態は変わり、その信仰の内容も変化を遂げてきたのです。
153神も仏も名無しさん2018/05/28(月) 23:41:07.88ID:y/REe7zv
 霊言集の刊行は『日蓮の霊言』(1985年刊。現在は『大川隆法霊言全集』第1巻・第2巻所収)から始まりましたが、初期においては、まだ、霊のほうがこの世の人間よりかなり偉いように感じていたので、その霊の言葉を受けて活動してもいました。
 しかし、霊人たちはそれぞれ個性が違うため、多様な霊人たちの言葉を聴くだけでは、教団としての信仰を一本化するのが難しい面もあったのです。
 その後、1994年ぐらいからは、「信仰をもう少しシンプル化しよう」という理由で、「仏陀・ヘルメス中心型の思想」に移行してきました。
そのころ、霊言集の発刊をいったん止め、理論書中心の流れに変えたわけですが、会員たちには、まだ戸惑いもあり、その段階で、ついてこられない人もいたのではないかと思います。
 最近では、また霊言集もずいぶん出ています。「七百人を超える霊人が出てきている(2017年11月時点)」とのことでもあるので、「単に昔返りをしたのか」という見方もあろうかと思いますが、そうではありません。

668:神も仏も名無しさん
18/06/11 00:11:02.57 eRggssnr.net
 前述したように、私は過去にも霊言集を出していたのですが、霊言集を発刊しなくなってから時間がたったため、今の若い人たちのなかには、霊言現象を知らない人や、当会が霊言集を出していたことを知らない人も増えてきました。
 また、この世の中には、「霊的存在や霊界について教えてほしい」というニーズ自体は、やはり、いつの時代もあり続けると感じています。
 そこで、新しい信者層を惹きつけつつ、彼らが霊界に関心を持ち、自分自身の心の探求をしていくためにも、今、再び霊言集を出しているのです。
 これは、ある種の「遠心力」が働いているところだと思います。
つまり、入り口がまたたくさんできようとしているわけですが、こうした「遠心力」が働いているときであるからこそ、「求心力」も同時になければ、教団としては、その方針、方向性を保つことができないのではないかと考えています。

669:神も仏も名無しさん
18/06/11 00:11:57.50 eRggssnr.net
  信仰において、もう一段の絞り込みが要る
 当会は、「エル・カンターレ」というものを信仰の中心、中核に置き、そのなかで、「釈尊、ヘルメス、オフェアリス、リエント・アール・クラウド、トス、ラ・ムーという、魂の兄弟がいる」という説明をしています。
 しかし、「これでは、まだ、信仰として、きちんと固まり切らない部分が残っているのではないか」と感じています。大きな数から絞ってはいますが、まだ、もうひとつ絞り切れていないところがあります。
 そのため、「信仰を立てるに当たっては、やはり、もう一段の絞り込み、考え方のまとまりが要るのではないか」と感じる時期に至ったように思います。それが、最近の当会における、一宗教の枠を超えた大きな動きの延長上に見えるものであるように考えられます。
 今、私の意識のほうが、かなり先のほうに進んでいっているので、教団のほうは、まだまだゆっくりとついてきている状況ではありますが、いずれは追いついてくると思います。
 そこで、私が目指している方向等について、語らなければならないと考えています。
 「再誕の仏陀」という言い方をすると分かりやすいので、方便的には、そういう言い方もしていますが、実は、「そろそろ、もう一段、踏み込まなければいけない時期に来ているのではないか」と思うのです。
 エル・カンターレの分身たちのうち、歴史上、知られている名前として、仏陀やヘルメスぐらいまでは、聞いたことがある人はいるかと思うのですが、ほかの人の名前を知らない人もそうとう多いでしょう。

670:神も仏も名無しさん
18/06/11 00:12:37.08 eRggssnr.net
 エル・カンターレも、その名は知られていない、耳新しい名前です。
 その意味においては、「エル・カンターレ信仰」を立てようとしても、その名前そのものが耳新しくて聞いたことがないために、それが、一つの壁になっている面もあると思います。
 もちろん、分身という考え方は、古代のインドにも、よく似たものがあります。古代のインドでは、「ヴィシュヌ神は、いろいろと分かれて出てきた。
その化身の一人が仏陀だ」という言い方をすることもあるので、「大きな霊体が分身型で魂をこの世に出してくる」という思想自体は従来からあり、インドなどでは認められていることではあるのです。
 しかし、キリスト教やイスラム教という、ここ二千年ばかりの一神教系の宗教においては、そのあたりについて、よく分からない状況が続いていると考えられます。

671:神も仏も名無しさん
18/06/11 00:13:58.09 eRggssnr.net
  エル・カンターレ信仰とは、地球神の存在を認める信仰
 はっきり述べると、エル・カンターレ信仰は、別な言葉で言えば「地球神の存在を認める」という信仰です。
 しかし、これについて明確には言わずに、「それを悟れ」ということを言っていたわけです。
 もちろん、それには、教団の客観的な力の成長を待っている部分も多分にあります。
 例えば、浄土真宗では、親鸞は「弟子一人持たず候」と言っていたのに、今では公称一千万人という大教団になっています。また、日蓮は自分を「法華経の行者」と言っていたのに、日蓮教団もまた、「数百万人の信徒を持っている」と言われる大教団になっています。
 このように、宗教も時代を下れば大きくなり、信仰の形態も変わっていくものだろうと思います。
 釈迦も、生前には「人間・釈迦」の部分が確かにあったのでしょうが、時代を下るにつれて、「人間・釈迦」ならぬ、「久遠実成の仏陀」としての信仰が立っていったと思われます。
 したがって、「今、地上に降りている大川隆法を通じて、みなさんが、"現在進行形”で感じているエル・カンターレが、本当のエル・カンターレであるかどうか」ということには、まだ疑問とする余地はあるのです。
 みなさんは、人間としての属性を持ったエル・カンターレを、ちょうど3D眼鏡をかけてみているかのような状況にあります。しかし、後世の人たちから見たエル・カンターレは、みなさんが見ているエル・カンターレとは、おそらく


672:違ったものになるであろうと想像されます。  そして、「どちらが本当であるか」ということであれば、おそらく、後世の人が見ているエル・カンターレ像が、本当のエル・カンターレに近いであろうと感じられるのです。



673:神も仏も名無しさん
18/06/11 00:15:02.53 eRggssnr.net
  同時代の人には「本当のエル・カンターレ像」が見えにくい
 この世においては、いろいろな迷わし、目の錯覚、三次元的な束縛が数多く、それに引っ張られることがあります。そのため、同じ時代に生きている人間に対しては、自分の眼を通して見たものを信じることが多いと思います。
 キリスト教においても、「存命中のイエスを見た弟子たちが信じていたイエス」と、「二千年後のキリスト教徒が信じているイエス」とでは、おそらく違うであろうと思われます。
 イエス在世中の弟子たちが見ていたイエス像は、自分たちと同じように、迫害を受け、その日の糧や、その日の宿を探すことにも苦しみ、最後には裏切られて、民衆に石つぶてを投げられ、ローマ兵に引きずられて、十字架に架かり、強盗殺人犯と一緒に処刑されたイエスです。
 それが人間としてのイエス像であったでしょう。そのため、それを見ていた人のなかには、それでつまずいた人も数多くいたであろうと思います。
 しかし、後世の人が見たイエス像は、そういうイエスとは違ったイエスです。彼らは、この世では見たこともない「復活のイエス」を信じ、「神の独り子であるイエス」を信じ、イエスそのものを神と同一視するような信仰を持つに至ったのです。
  当会の信仰も、時代が下るにつれて、おそらく、そのような変貌を遂げてくるでしょう。

674:神も仏も名無しさん
18/06/11 00:16:06.52 eRggssnr.net
 仏典等を読み、釈迦在世当時の細々とした戒律などから推定すると、釈迦像としては、「相当細かいことについてまで指示を出している人間の姿」が浮かんでくるわけですが、
実際の信仰における釈尊は、やはり、「大仏に象徴されるようなものが本当の姿」なのではないかと思われます。
 どちらが本当なのかというと、実は、人間としての姿を視ていない人の信じているものが本当であることが多いのです。
 キリスト教で言うならば、キリスト教は、異教徒の人々から、「自らを救えなかった人間が救世主であることは、ありえない」という批判を受けることがあります。
 当時、十字架に架かったイエスは人々から嘲笑われました。
「ユダヤ人の王」と札に書かれ、王冠の代わりに茨の冠をかぶせられて、「本当にユダヤ人の王で救世主であるなら、自分を救ってみよ」という、挑発的で侮辱的な言葉を数多く投げかけられました。
 しかし、イエスは、現実には、釘で打ち付けられた十字架から逃れ、何かを起こしたわけではありません。
実は、そのあとの霊的な復活を通して、人々に魂の永遠性を信じさせたのであり、また、霊的な目覚めを得た弟子たちの前に、その姿を現すことによって、真実の世界のあり方と、自分が永遠不滅の存在であることを説いたのです。
 私の場合も、残念ながら、同時代に生きている人たちには、やはり、"百分の一ぐらいの姿”にしか見えないことが多いであろうと思われます。
 したがって、「意外に、日本にいる人々よりも、地球の裏側であるブラジルで信仰している人々や、インド、アフリカの地で信仰している人々のエル・カンターレ像のほうが正しいかもしれない」ということは、知っておいたほうがよいでしょう。
 なぜかというと、人間には、どうしても、自分に引き比べて物事を考える傾向があるからです。私が説いている教えのなかにある普遍的なるものを、同時代において、つかみ取ることができるならば、その人は相当優れた人だろうと思います。
 しかし、現実には、なかなかそうはいかないものなのです。

675:神も仏も名無しさん
18/06/11 00:17:11.71 eRggssnr.net
2 エル・カンターレの本体下生の真実
  一回目の名は「アルファ」二回目の名は「エローヒム」
 「エル・カンターレという魂は六人の分身を持っている」というような言い方をしていますが、実は、エル・カンターレの本体としての下生は、今回が三回目に当たります。
 一回目の下生は、今からもう三億年以上前のことになります。そのときは、「アルファ」という名で呼ばれていました。
 霊言などで、ときどき、「アルファの法」という言葉が出てきていますが、「アルファ」は最初の下生のときの名前です。それは「物事の始まり」「始原」ということです。
 そのアルファの説いた法が、「始原の法」といわれているものです。

676:神も仏も名無しさん
18/06/11 00:19:20.19 eRggssnr.net
 二度目に生まれたのは、今から一億五千万年ほど前に当たります。このときに呼ばれ�


677:ス名前は、「エローヒム」で、一般的には、これを簡略化し、「エル」という名で呼ばれています。  「エル」という名前は、中東からアフリカ、南ヨーロッパあたりにまで広がっていて、ある意味で、神の代名詞にもなっており、「神の光」「光」「神」という意味で使われています。  「エローヒム」という名で呼ばれているのが二回目の下生のときです。



678:神も仏も名無しさん
18/06/11 00:21:25.56 eRggssnr.net
  アルファは地球的真理の方向づけを行った
 一回目の本体下生は、地球人類の新しい文明実験のころ、すなわち、ちょうど他の惑星からも第一弾の集団が飛来し、新しい地球人をつくろうとしているころであったと思います。
 そのころは、まだ地球的価値観が十分に確立していなかったため、この世に下生し、「アルファ」という名で法を説いたのです。
 最初に来ていたのはマゼラン星雲のゼータ星の人たちです。この星はベータ星とも言われています。
今も、「アルファ」「ベータ」「ガンマ」という言葉はよく使われます。
 このゼータ星から、かなり多くの人たちが来て、地球でつくられた魂たちと混在して住んでいましたが、当時、最初の人種的対立、あるいは世界戦争の危機、そうした危機的な状況が人類に起きたため、
地球の価値観というものを打ち立てようとして、アルファが地上に下り、それを統一したのです。
 今、幸福の科学では霊言集が数多く出ていますが、「どれが本当の教えか分からないので、いろいろなものに勝手に帰依すればよい」というような選択をされては、教団に混乱が起きてくるでしょう。
 それと同じです。いろいろな星から人が来始めたとき、それぞれが持ってきた元の星のカルチャーを「地球文化」にしようとすると混乱が起きてくるので、
「何が、地球における正しい真理であるのか」ということを説き、「地球的真理」というものを方向付ける必要があったのです。
 それが「アルファの法」として説かれたものです。地球神としての立場から、「この教えに帰依しなさい。この教えに帰依することが、地球人になるための条件である」と述べ、地球生まれの地球人類と、宇宙から来た人たちとを、一つの法の下にまとめ上げたのです。
 それが、三億年以上昔の最初の下生です。
 いずれ、詳しく説けるときが来るかもしれませんが、今は、とりあえず、「そういうことがあった」と述べておきます(詳しくは『アルファの法』『アルファの時代』参照)。

679:神も仏も名無しさん
18/06/11 00:23:28.95 eRggssnr.net
  エローヒムは、光と闇、善悪の違いを示した
 二度目の本体下生は一億五千万年ほど前になります。
 「アルファの法」を説いたアルファが生まれたのは、どちらかといえば、今のアフリカに近い地域だったと思われますが、
次にエローヒムとして生まれたのは、やはり、アジアの西側で、ヨーロッパとつながる地域であり、宗教の本場である今の中近東にかなり近いあたりだと思われます。
 エローヒムの教えは、今の砂漠地帯から、アフリカやヨーロッパ、さらには、コーカサスから東側に大きく広がったユーラシア大陸にまたがった部分に広がりました。
「このあたりに教えを広げる」ということで、二度目の下生が起きています。
 当時は、地獄のもとになる、いわゆる低位霊界ができ始めていたころですが、天上界の指導霊団のなかでも、実績の差や意見の差がかなり出てき始めていたころでもありました。

680:神も仏も名無しさん
18/06/11 00:25:35.13 eRggssnr.net
 まだルシフェルが地獄界に堕ちる前ではあったのですが、数多く地上に転生を繰り返している者が起こした宗教などの影響がかなり強くなり、それが「アルファの法」とかなり食い違ってきていて、
「このままでは、やがて地球霊界にも大きな分断が起きる」という予兆が現れていました。
 すでに、低位霊界の住人となり、天上界に上がってこられない者が出始めていたので、「もう一段、人々を正しい方向に導く必要がある」ということで、エローヒムがこの地に下りたのです。

681:神も仏も名無しさん
18/06/11 00:27:40.21 eRggssnr.net
 最初の「アルファの法」は「創世記」「人類創成の法」を中心とする教えでしたが、エローヒムのときには、当時、光と闇が分かれてきつつあったので、「光と闇の違い」や「善悪の違い」、
つまり、「何が光で、何が闇であるか」というようなことを中心に、智慧として示す教えがかなり出てきました。
 そして、「地球的な意味における善悪とは何であるか」というようなこともかなり指導しましたが、それを指導しつつも、「その悪のなかにも、まだ光は宿っている」と説くことも忘れなかったのです。
 したがって、単なる善悪二元論までは行っていないのであり、「それぞれのなかに光なるものは宿っている。しかし、地球的真理から見ての善悪、光と闇はある。だから、あなたがたは光を選び取りなさい」というような教えを説いたわけです。
 こうした教えは、おそらく、後のゾロアスター教やマニ教にも影響を与えているように思います。また、インドの仏教にも、その影響が表れているでしょう。
 キリスト教も、善悪二元論というべきかどうかは分かりませんが、どちらかというと、罪の意識を非常に強く主張する宗教ではあるので、やはり、そうした思想が背景には流れていると考えていると考えてよいと思います。
 これは、「一回目の下生に比べて、二回目のときには、人々に善悪をもっと教えなければいけない時期が来ていた」ということです。

682:過去ログ ★
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