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【聖霊を信ず/本論 ②】
この 「父の右の座に着いておられるキリスト」 の現在の支配 (マタ 28:18) と結びつかないで、ただ思い出の 「愛の神」 「失われた者の友であるキリスト」 を語ることは、教会の正統的な信仰ではありません。
宗教改革以来の “聖書のみ” という主張の鬼子として、聖書が人間的、主観的に読まれることによって、博愛主義や人道主義が人々を教会の正統的な信仰から遠ざける結果を生みました。
しかしそこでは最早、キリストは人間の理想の大いなる手本ないし教師ではあっても、もし仮にその理想が実現した場合には用済みとして不要になり、破棄される運命にあります。
この 「現在のキリスト」 は、何よりも先ず教会を通して支配されます。
教会とは、「キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分であり」(ロマ 12:5)、「イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主である」(Iコリ 1:2) 共同体なのです。