16/12/29 10:41:28.41 x3nhGj6x.net
>>267 >愛の動機のない信仰は無価値ということだろう。
人間の善意としての 「愛」 を、信仰の動機づけとして説明しようという考え方は、西欧の啓蒙主義に起源があるように思えます。
そういう色眼鏡を通して聖書を読むことが、久しく続いて現代に至っています。
「わたしたちが神を愛したのではなく」(Iヨハ 4:10) や、「わたしたちがまだ罪人であったとき」(ロマ 5:8) という、神の愛の先行が正しく理解されていないところでは、「人の誇り」(ロマ3:27) こそが雄弁に語られることになります。