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2011年(主日A年) 4月3日 四旬節第4主日
サム上 16:1~13a エフェ 5:8~14 ヨハ 9:1~41
「眠りについている者、起きよ。 死者の中から立ち上がれ。 そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」(エフェ v.14)
これはおそらく、初代教会で洗礼式に歌われた賛美歌の一節です。
キリストの福音、それも罪と死と悪魔に対するキリストの勝利の福音を信じる信仰が、人を新たに生まれさせるという体験を、信者たちは共有していました。
現代の私たちは 「何が主に喜ばれるか」(エフェ v.10) を、キリストの福音をよく理解し、“罪の赦し、からだの復活、永遠の命を信じる信仰” から、決して切り離して理解してはなりません(ヘブ 11:6、ロマ 12:2)。
人々の考えでは、次のイスラエルの指導者としてふさわしい者は、エッサイの七人の息子たちの中にいるはずでした。
末の子ダビデは数の内に入らない未熟な少年として、羊の番をさせられていました。
「人をやって、彼を連れて来させてください。 その子がここに来ないうちは、食卓には着きません。」(サム上 v.11)
しかし、神がダビデを選ばれたとき、人々がその子を見ると、「彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。」
サムエルが兄弟たちの中で彼に油を注いだとき(サム上 v.13)、初めて人々の目が見えるようになったということに注目しましょう。
私たちにはこの世の多くのことが、そうです、あまりにも多くのことが見えています。
しかし、使徒たちが伝えたキリストの福音、すなわち神の救いの御業をよく理解し、信じることが出来るためには、私たちはシロアムの池に行かなければならないのです。
“聖伝と聖書と教会の教導職”(神の啓示に関する教義憲章 10 参照) は、現代のシロアムの池に他なりません。
ただ行って、親しくなるだけではなくて、あなたの目を私の福音で洗いなさいと呼びかけてくださる勝利者キリストにこそ、感謝しようではありませんか。
・・・・・ 以下、本文参照。
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